破壊のワルツ(9)

破壊のワルツ(9)





 公休日の書類庫は無人で、警備システムだけが黙々と仕事をしていた。入口にあるカードリーダーにIDを通し、建物の中に入ると、薪は滝沢の先に立って歩き始めた。
 空調の止まった建物は、蒸れた空気に包まれていた。二人は上着を脱ぎ、片手に持って廊下を歩いた。暑くて不快だが、書類を見つけるまでの我慢だ。冷房が建物全体に回る頃には、こちらは帰りの電車の中だ。

 建物の中に部屋はいくつもあるが、第九が保管庫として使っているのは地下の一室だ。元々、研究所の重要書類や現金を保管しておくための金庫だったところらしい。
 重犯罪の調書はそのすべてが署外に流失してはならないものだが、中でも第九の書類は特秘扱いだ。常にプライバシー問題を抱えるこの研究室から発祥したものは、メモ一枚でも世間に洩れてはならない。鉄壁の防御力を持ったこの部屋が第九に割り当てられたのは、当然の配慮と言えた。

「けっこう歩くんだな」
 2歩後ろを歩きながら、滝沢が独り言のように言った。
「薪に一緒に来てもらってよかった。俺一人では、迷ったかもしれん」
 滝沢は、この建物は初めてだ。月曜日で管理人が出勤していれば案内を請うこともできたかもしれないが、今日は休日。彼ひとりでは、どの部屋が目当ての部屋かも分からなかっただろう。

「迷路の類は苦手でな。昔、巨大迷路とか言うのが流行っただろう? 行ったことあるか?」
「ああ」
 そのアトラクションは知っている。薪も、鈴木と雪子と3人で遊びに行ったことがある。お喋りをしながら先の見えない通路をそぞろ歩き、行き止まりに当たったり元の場所に戻ってしまったり、みんなで迷子になる感覚を味わうのは大人でも楽しい。

「俺はいつもびりっけつだった。よく連れに怒られたよ」
「そうなのか?」
 エントリーすると、他の客とタイムを競うゲームができる。
 薪たちの作戦はこうだ。
 背の高い鈴木が角の櫓に登って指示を出し、薪が道を完璧に暗記してから鈴木を迎えに櫓まで走る。雪子は最終兵器で、タイムオーバーになりそうなときに壁をぶち破る係だった。もちろん、最終兵器を発動した時点で薪たちの失格は確定するわけだが、それがルールを知った上での冗談だったのか、遊びの常識に疎い薪が本気で提案したのかは、彼ら3人だけの秘密だ。

「おまえが迷子とはね」
 滝沢の昔話に、薪は少しだけ頬を緩める。
 友人と一緒にアトラクションを楽しむ、そんな時代がこの男にもあったのだ。若い頃の滝沢を想像して、その彼が行き止まりの壁に当たって焦っている様子を思い浮かべる。が、どうしても滝沢の幼い姿が上手くイメージできず、無理にその作業を進めた結果、薪の脳内には滝沢が蝶ネクタイに半ズボンの七五三セットを着こなしている姿が。

「ぶふっ! ゴホッ、ゴホッ!!」
「……おまえ、とんでもないものを想像してるだろう」
 今だけは自分の豊かな想像力を恨み、必死で頭の中の画像を打ち消すと、薪はゴホンと咳払いをして気持ちを切り替えた。

「おまえにも、子供の頃があったんだな」
「当然だ。まあ、巨大迷路はガキの頃に行ったわけじゃないんだが」
「まさかと思うが、彼女とか?」
「まあな」
「おまえ、彼女いるのか!?」
 こともなげに答えられて、薪は軽いパニックに陥る。この自分が10年以上も男女交際から遠ざかっているのに、どうしてコイツが!?
 現在の薪には、女の子の友だちと言えば大学からの友人の雪子くらい。でも彼女は親友の恋人で、そういう対象にはなり得ない。捜一時代に仲良くなったキャバクラの女の子たちとは疎遠になってしまったし、歌舞伎町のお風呂屋さんのヒトミちゃんとはもっとご無沙汰だ。
 
 あれだけの数のラブレターが舞い込むのに、どうして直接アタックしてくる娘がいないのか周りの人間には不思議がられるのだが、どうも自分は観賞用にされているらしい。薪が受け取るラブレターには、
「あなたの美しさに魅せられています」(美しさってなんだ、僕は男だ)
「遠くから、いつも見つめています」(それはストーカー行為だ、すぐにやめなさい)
「鈴木さんとお幸せに」(……???)
 と言った意味合いの事が書かれていて、「付き合ってください」という言葉は紙面の何処にもない事が多い。果たしてあれをラブレターと呼んでいいものかどうか。

「胸は何カップだ? 美人か? 何処で知り合った?」
「薪……その質問の順序はどうかと思うぞ、人として」
 そう言えば、昔鈴木にも忠告された気がする。女の子と付き合いたかったら、まず相手の顔より先に胸を見るクセを直さないと無理だとか何とか、ええい、余計なお世話だっ!

「結婚するのか?」
「死んだよ」
 薪は思わず立ち止まった。亜麻色の瞳を小さく引き絞って、滝沢の顔を凝視する。
「飛行機事故でな」
 咄嗟には言葉が出てこなかった。失言を悔やむ気持ちと、大切な人を亡くした男への憐憫が、薪の口を重くした。

「なんて顔をしてるんだ。おまえの恋人じゃないぞ?」
 滝沢は、いつもの尊大な態度と平気な口調を崩さないでくれた。それに感謝して、薪は軽く頭を下げた。
「悪かった。嫌なことを聞いて」
 薪の謝罪に、滝沢は無表情で答えた。
「Fカップだった」
「……うらやましい限りだ」
 ズレた会話を真面目な顔で交わしながら、鈴木が言ったことは正しかったかもしれない、と薪は思った。
 ちゃんと話せば、そんなに嫌なやつじゃない。

 それからは黙って目的の場所へ向かったが、車中のような気まずい雰囲気は生まれなかった。
 帰りは一緒の車で第九へ帰ってもいい、と薪は思い直し、それをどのタイミングで切り出すべきか迷っていた。

 やがてふたりは地下倉庫に着き、扉の前に並んで立った。
 銀行の大型金庫のような重厚な扉に、ダイヤル錠がついている。その扉の向こうには格子に組まれた鉄の扉があり、その鍵は薪が持っている。
 4つの数字と回転数を暗記している薪がダイヤルを回し、重い扉を開いた。上着の内ポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込み、格子扉を押し開く。
 重い扉を開けると、むっとするような熱い空気が漂ってきた。
 廊下側にあるスイッチを押し、照明を点ける。地下なので窓は無い。閉め切るとこの部屋は、鼻をつままれても分からないくらいの暗闇に包まれる。
 部屋の中にはたくさんの段ボール箱が整然と並んでいた。天井まで届きそうな整理棚は30近くもあり、その半分が埋まっている状態だった。

「7ヶ月前というと、この辺りだと思うが」
 整理棚の間をぐんぐん進み、薪は棚の一角を指差した。箱に、年月と事件名が書いてある。
「ほら、あれだ。脚立が必要だな」
 部屋の奥まで歩いて、壁に立て掛けられていた便利な道具を持って来る。背の低い薪には必需品とも言えるアイテムだ。
「滝沢。上から2段目の、左から5つ目の箱だ」
 滝沢が脚立に登り、逞しい腕で箱を下した。箱の中をざっと見て、薪は目的のファイルを取り出す。同じ箱に入っていたCDを見つけ、薪はこの事件を担当したのが自分の親友だったことを思い出す。
 さすが鈴木。万が一のデータ破損に備えて、予備CDまで用意していたのか。

 誇らしげな気分になって、薪はファイルとCDを手元に残し、箱の蓋を閉じた。
 月曜日、鈴木に会ったら『CDを残しておいてくれて助かった』と礼を言おう。事件の記録を保存するなら、印刷物をスキャンするよりデータの方が良いに決まっている。細部を拡大して見る事が可能だからだ。
 薪は滝沢にファイルとCDを渡し、自分は手ぶらで廊下に出た。部屋の中よりは廊下の方が、空気の動きがある分だけ涼しかった。

「滝沢。行くぞ」
 部屋の中に向かって声を掛け、薪は首を傾げる。
 箱を元の位置に戻し、脚立を片付けて、やることはそれだけのはずなのに、滝沢はなかなか部屋から出てこなかった。いったい中で何をしているのだろう。
「滝沢?」
 蒸し暑い室内に再び足を踏み入れ、薪は部下の姿を探した。先刻の棚を通り過ぎ、2列ほど奥に彼の姿を見つける。

 滝沢は熱心に、箱の外側に書かれた事件名を見ていた。
 そういえば、滝沢は研究室でも自分が入る前に起きた事件のデータを、時間外に見直していた。早く職務に慣れるための自己学習だと言っていたが、資料も見てみたいと考えているのだろうか。
「滝沢。研究熱心なのは認めるが、それは時間に余裕があるとき、いや、せめて空調が動いているときにしてくれ」
 薪が話しかけても、滝沢はこちらを見もしなかった。血走った眼で、一列に並んだ箱を凝視していた。

「あの事件の資料はどこだ?」
 ぞっとするような低い声が響いて、薪は背筋を粟立てた。さっきまでは「話してみるとけっこういいやつ」だった滝沢の心象が、一転して危険を孕む。モニタールームで味わった底知れぬ闇に呑まれそうな感覚がまたもや薪を襲い、薪は全神経を緊張させてそれに耐えた。
「あの事件?」
 彼が見ているのは、2057年の後期、つまり2057年10月から2058年3月までの事件資料が置かれた棚だった。

「いったい」
 何のことだ、と言いかけて、薪はその時期に起きた重大な事件のことを思い出す。
 あの事件の記録はどこにもない。書面もデータも、メモ一枚残さなかった。すべては自分の頭の中に封印したのだ。

「帰るぞ」
「待て、薪」
 引き止める滝沢に、薪は一切の感情を込めず、冷ややかに言い放った。
「真実を求める心は捜査官にとって必要なものだ。でも、過ぎた好奇心は身を滅ぼすぞ」
 刑事と言う職業に身を投じたものなら、誰もが真実と正義を貫きたいと願う。しかし、それを為せないのが現在の警察機構だ。薪も組織の一員として、数々の隠蔽工作に携わってきた。それは決して慣れることはできないが、飲み込まなくてはいけないものだということも分かってきた。

 外に出ようとして、薪は脚立が定位置に戻っていないことに気付いた。広い書類庫の中、箱の壁に遮られて視界が悪いこの部屋で、物を置く場所を定める事がどんなに大切か。次のときに備えて、薪は脚立を元に戻しに行った。
 西側の角に脚立を戻したとき、ガシャンという重い音が聞こえた。
「……えっ?」

 驚いて、薪は入り口に向かって走った。
 内側の格子扉は開いていたが、その向こうの重い金庫扉は完全に閉まっていた。ダイヤルロックが掛けられてしまったのだろう、押してもびくともしない。
「滝沢! ここを開けろ!!」
 廊下にいるはずの部下を大声で呼ぶが、返事もないし、ダイヤルを回す音もしない。おい、ともう一声掛けると、それを合図にしたように部屋の電気がいっぺんに消えた。入り口の外にあるスイッチを切られたのだ。
「ふざけてるのか!?おい、滝沢ッ!!」
 声を限りに叫んだが、扉が開けられることも電灯が点くこともなかった。タールを溶かしたような闇の中、薪は呆然と立ち尽くした。

 閉じ込められた。
 わざと?
 いや、まさか。滝沢は、自分がまだ中にいることに気付かなかっただけだ。脚立を戻しに行ったことを知らず、先に外に出たものと思って閉めてしまったのだろう。

 この扉は、中からは開かない。ダイヤルロックの暗証番号は、薪と所長と倉庫番しか知らない。滝沢が車に戻り、薪の不在に気付いても、直ぐにはここから出られない。
 こちらから連絡を取りたいところだが、地下にあって厚いコンクリートに囲まれているため、携帯電話の電波は届かない。滝沢が迎えに来るのを待つしかない。

「ったく。今日は厄日か」
 薪はその場に座り込んだ。入り口近くの壁にもたれて、だらしなく足を投げ出す。

 しかし、本当の災厄はこれからだった。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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