未来への弁証(2)

未来への弁証(2)







 激しくて甘い時間が過ぎて、ゆっくりとたゆとう時間が訪れる。
 青木の恋人は、眠りについたところだ。満足気な顔で、幸せそうに寝息を立てている。

 青木はベッドの上に身を起こして、少し不満そうな顔でその寝顔を見つめている。
 亜麻色の髪とやさしい眉。長い睫毛と小作りな鼻。それから青木がいちばんの魅力を感じているつややかなくちびる。どこまでもきれいで清らかで。ついさっきまで自分の腕の中で乱れまくっていたひととは別人みたいだ。

 このひとは行為のあとすぐに眠ってしまうクセがあって、ひどいときにはその最中でも寝入ってしまう。青木はまだ若いので1度や2度では満足できないが、薪は今年で40になる。一度すれば充分とばかりに、青木を受け入れたまま自分だけイッたかと思うと1分もしないうちに眠りに落ちていたという、青木にとっては生き地獄のようなことが今まで何度あったことか。
 それでも惚れた弱みで無理強いすることもできず、じっと我慢している自分の健気さに時々涙が出そうになる。 とにかく、ぞっこん参っている。心を奪われている、などと生易しいものではない。風速40mのハリケーンに引きずり込まれて、何もかも剥ぎ取られていく感じだ。

 自分勝手でわがままで、へそ曲がりで頑固で……自分の好みとはかけ離れたひとだということに気づいたときには、もう遅かった。好きになってしまった後だった。好きな人のことは何でも許せてしまう青木の性格のせいで、薪はどんどん増長した。今では青木はすっかり薪の言いなりで、恋人というよりは奴隷である。

 つれない恋人にため息を吐きつつも、青木はいつものようにパジャマを薪に着せてやる。
 暴君の身体を起こし、片袖を通そうと細い腕を持ち上げたとき、薪は目を開けてぼんやりと青木を見た。不満が表れてしまったのか、起こし方が少し乱暴だったかもしれない。
「すいません。起こしちゃいました?」
 青木は薪の前ではいつも謝っているような気がする。とても恋人同士とは思えない。
 薪の眼はいつも居丈高で上から目線で。でも、職場でも上司だし12歳も年上だしで、青木が薪より上位に立つことなど何一つないのだから仕方がない。

「あおき」
「はい?」
 薪は、大きな目を半分だけ開いて青木を見ている。これは完全に寝ぼけている。
「僕は……いまのままでいいから……」
「ダメですよ。風邪ひいちゃいます」
 風邪をひいたら、このひとは必ず青木のせいにする。
 おまえがあんなことをするから、と責められて、冬の間は禁止だ、と3週間くらいさせてもえらえなかったこともある。あの事態だけは避けたい。

「いいんだ……このままで、じゅうぶん……しあわせ……」
 そりゃあ薪は1回すれば満足なのだから、幸せなのだろう。でも青木はぜんぜん足りない。
「薪さんはいいですよね。淡白で」
「なんにもいらない。おまえだけいればいい……」
 それだけ言って、また眠りに戻ってしまった。まったく勝手なひとだ。

 ……これだから、離れられないのだ。
 時々こうして、青木の心をわしづかみにするようなことをする。
 それは今のような寝言だったりベッドの中で見せる表情だったり、薪お得意の勘違いによるおかしな行動だったりするのだが、どれも計算してのことではないからいっそ忌々しい。このひとは表面はぶっきらぼうだけど、本当は自分のことを大事に思ってくれているのかもしれない、などと考えてしまったらもうお終いだ。ますます好きになってしまう。どんな意地悪もかわいく思えてしまう。そしてイジメはどんどんエスカレートする。悪循環である。

 いつものループにがっちりはまったところで、青木は堪えきれず苦笑する。
 きれいな寝顔が急に愛しくなって、激しくくちづけたい衝動に駆られる。でもそれを行動に移したら、寝ぼけた薪に張り飛ばされる。すでに何度も体験済みだ。

 あとどれくらい、この虐げられる幸せは残されているのだろう。
 これから先、薪に運命の女性が現れて、彼女と人生を歩むことになったら。自分は身を引かなくてはならない。

 青木は自分の立場を、正確に理解している。
 薪は今、自分の人生を立て直そうとしている。あの事件のせいで狂ってしまった人生を、元の輝きに満ちたものに戻そうとしている。それには精神的なリハビリが必要で、そのために青木を側に置いてくれている。
 目的がリハビリならば、事件のことを知り、薪のことを知り、鈴木に対する恋情まで全部心得ている自分が最適だと思ったのだろう。それで自分を受け入れてくれたのだ。薪の「努力してみる」という言葉の裏には、青木には計り知れない様々な思惑があったのだ。

 3年付き合って解ったが、薪は、男に抱かれるタイプでも男を好きになるタイプの男でもない。鈴木のことがあるから誤解を受けがちだが、このひとは当たり前に女性が好きなのだ。街中で大胆に肌を露出している女性がいれば自然にそちらへ目が行くし、かわいい女の子にぼーっと見蕩れていることもある。
 男としての能力に欠けるわけでも、女性を愛せないわけでもないのだ。あの事件さえなければとっくに結婚して、今頃は可愛い子供もいたかもしれない。

 だけど、今はまだ不安定な時期で。誰かに支えて欲しがっている。
 だから薪が充分に立ち直り、ひとりで歩けるようになったら。そこで青木の役目は終わりだ。

 その日が来るのを、青木は怖れてはいない。
 薪のような人間を一生恋人にしておけるなんて、自惚れたことを考えてはいない。このひとの誇りに満ちた人生の一部分に貢献できただけでも、自分には過ぎた幸せだと思っている。
 
 青木はずっと、薪のことを自分の手で幸せにしてあげたいと思ってきた。
 薪は見かけより強くない、むしろ精神的には弱い人間だと決め付け、彼を一生支えていきたいと――― しかしそれは、ひどく傲慢な考えではないかと最近になって気付いた。
 薪が脆いと思っていたのは自分の都合のいい誤解で、もともと強いひとだったのかもしれない。青木と会ったばかりの頃は、あの事件からまだ半年くらいで、薪のこころに深い傷が残っていた。このひとには誰か支えになる人間が必要だと思い、それは自分でありたいと願って、嫌がる薪を口説きまくって恋人関係に持ち込んだけれど。

 今回のことも、薪は自分ひとりで解決し、ひとりで立ち直った。青木は何もしていない。写真が送られてきたのが官房室宛だったため、青木には聞かせられない事情もあるのだろうが、事件の顛末についても詳しいことは話してくれない。ただ、心配ない、大丈夫だと繰り返すだけだ。
 それを寂しいと思ってしまうのは、自分のエゴだ。薪に立ち直って欲しい、昔の笑顔を取り戻して欲しいと願いながらも、いつまでも自分に頼って欲しいと思うのは間違っている。

 薪の未来に、自分は必要ではない。人生を立て直した薪に必要なのは、生涯を共にできる相手だ。男の自分にそれが難しいことくらい、青木にも分かっている。
 自分が薪の傍に、未来永劫居続けることは許されない。それは薪の輝かしい将来に影を落とすことになる。警視長になって、官房室への転属も内々にではあるが確実なものになって、薪の前には再び光に満ちた道が開かれたというのに、そこに暗雲を呼ぶような真似をするなど、あってはならない。

 静かに過ぎていく日常の裏側で、確実に刻まれる別離へのカウントダウンを聞きながら。
 あと何回こうして薪と愛し合えるのだろうと、切ない思いに身を切られるような痛みを覚えながら。
 青木は薪の寝顔に、そっとキスを落とした。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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