未来への弁証(3)

未来への弁証(3)






 夏の事件を境に、そんな考えに囚われ始めていた青木だが、その年の晩秋、彼の憂鬱をきれいに払拭する事件が起きた。
 それは彼らに訪れた何度目かの破局と、失笑を伴う復縁のおかげだ。
 まるでマンガのような出来事だった。あの後しばらくは薪の顔を見るたびに思い出して、笑いを堪えるのが大変だった。でも、その珍事はとても重要な決意を青木にさせてくれた。

 迷うことはない。
 この先、何があろうとも。
 自分はずっとこのひとを好きでいればいい。物理的に隔てられたとしても、彼を世界で一番愛しいと想っていていい。それを薪が望んでくれていると解ったからには、恐れるものは何もない。

 恋人同士になって3年も経ってからこんな基本的な見解に達するなんて、どうも薪と自分の関係は色々な手順が普通とは違っているようだが、それも仕方ないかもしれない。自分たちは同性でありながら恋人という関係に進んだのだし。
 いや、ちがう。相手が薪だからだ。このひとの特異な性格のせいだ。
 まったく、こんなひとは見たことがない。もしもこの世に薪が3人いたら、世界はめちゃくちゃになってしまうに違いない。

 クリーム色のマフラーに顔を半分埋めるようにして、自分の隣を歩いている恋人を横目で見て、青木はまたもや心の中でクスクスと笑う。
 薪と出会って5年。
 彼に恋をして2年、想いが叶って3年。
 薪との関係は常に破綻とその修復に追われて、穏やかな幸せとは程遠いのだが、とりあえず退屈だけはしない。山あり谷あり、というよりはフォッサマグナとマリアナ海溝の連続、という感じだが。

 真っ直ぐ前を見て歩いていた薪が、突然こちらを向いた。心中の不敬な思惑を見抜かれたかと思ったが、薪はぐるりと頭を巡らせ、
「青木っ、追え、現行犯逮捕だ!」と小声で叫んだ。薪の視線の延長上を走るのは、荷台に高温の石に包まれた黄金色のスイーツを乗せて走る軽トラック。冬の日本の風物詩だ。
「冤罪です。あのおじさんはお芋を焼いてるだけです」
「いいから走れ! 雪子さん、焼き芋大好きなんだから」
 これから訪ねる約束をしている薪の友人の名前が出て、青木は彼の気まぐれの原因を知る。薪は雪子には徹底的に甘いのだ。
「三好先生のお土産には、かぼちゃのケーキを焼いてきたんじゃなかったんですか?」
 薪が下げている白いケーキの箱を指して、青木は聞いた。雪子が好きな生クリームの装飾をしてあるらしく、持ち方が慎重だ。腕を軽く曲げて、歩く振動が箱に伝わらないようにしている。

「あれだけ世話になったくせに、この恩知らずめ。おまえ、雪子さんがいなかったら、今ごろ病院のベッドにくくりつけられてるぞ」
「え? だってあれはお芝居で」
「あそこに雪子さんが居合わせなかったら、腕の2,3本は折ってた。僕を騙したんだから、そのくらいの覚悟はしてたんだろう?」
 亜麻色の瞳にぎろっと睨まれて、青木は右上空に視線を泳がせる。薪は執念深いから、何ヶ月かはこのネタでねちねちと甚振られるに違いない。
「謂わば、命の恩人だ。おまえからも礼をするのが当たり前だ」
 雪子がいなかったら薪に殴られるようなことにもならなかったのだが、薪の頭脳に彼女を悪者にする選択肢は最初から組み込まれていないのだから、それを言っても無駄だ。

「追跡、確保します」
 軽く頭を一振りすると、青木は走り出した。
 自分で買いに行けばいいじゃないですか、なんて言ったが最後、この後のデートはキャンセルされてしまうだろうし、夜は絶対に青木の頼みをきいてくれなくなる。それは困る。

 住宅街の路肩をゆっくりと走る軽自動車を捕まえて、雪子の好物を大きな紙袋一杯に買い込む。香ばしくて、甘い匂い。追いついてきた薪に袋の口を広げて中を見せ、彼が満足気に頷くのを確認し、青木はにっこりと微笑んだ。
 青木が抱えた紙袋と自分が持った箱を順繰りに見て、薪はほっと白い息を吐く。
「雪子さん、これで竹内との結婚、考え直してくれないかなあ」
「あはは、三好先生なら真面目に悩みそうですね」
「だろ? この作戦、行けるよな。雪子さん、食べることに命懸けてるもんな」
「……本気ですか?」

 竹内と雪子が結婚を前提として付き合っていることを知った薪は、雪子の親友として『悪い男に騙されている、即刻別れた方がいい』としつこく彼女に警告している。自分の知人でまだ独身の男を紹介しようとしたり、竹内の身辺捜査を行なったりして、二人の仲を裂こうと躍起になっている。が、薪の悪企みは悉く失敗中だ。雪子たちは本当に愛し合っているし、竹内は昔のような遊び人ではなくなった。

「そっとしておいてあげた方がいいんじゃないですか? 三好先生だって、子供じゃないんですから」
「相手が竹内でなかったら、僕だって祝福したさ! でも、あいつだけは絶対に許せない。我慢できないんだ、僕の雪子さんが亭主の浮気に泣かされる可哀相な人妻になるなんて!」
 雪子は薪のものではないし、竹内が将来浮気をすると決まったわけではないが、薪は大真面目だ。
「結婚してからじゃ遅いんだ、今のうちに何とかしないと。ああ、どうして竹内の女関係が出てこないんだろう。あんなに調べてるのに」
 結婚を前提として付き合っている恋人がいるのに、出てくる方がおかしいと思うが。

「それは三好先生のほかに、だれとも関係してないからじゃないですか?」
「そんなわけないだろ。あの女ったらしが2年近くもひとりの女性とだけ、なんて嘘に決まってる。狡賢いキツネめ。絶対に尻尾をつかんでやる」
「それだけ三好先生が魅力的だってことじゃないんですか? 他の女性なんか、目に入らなくなるほど」
 青木が雪子を褒めると、薪は途端に嬉しそうな顔になって「そりゃあ雪子さんは、世界一の女性だからな」とのたまった。聞いたのが青木以外の人間だったら、完全に誤解されるセリフだ。

「竹内さんも三好先生の魅力に参った、ということで。認めてあげたらいかがですか」
 青木がそう言うと、薪は複雑な顔つきになって唇を尖らせた。薪にだって分かっているのだ。たとえ不確かな未来でも、愛する人と生きるのが雪子にとって一番の幸せだと。
「大事なのは、三好先生の気持ちでしょ? 薪さん、あの時そう言ってたじゃないですか」
「うん……そうだな」
 雪子のマンションの前まで来て、ようやく薪は頷いた。インターホンを鳴らし、ドアを開けてくれた黒髪の美女に、にっこりと笑いかける。

「雪子さん。ご婚約、おめでとうございます」
「ありがとう」
 幾度となく恋人との付き合いを止めるよう長年の友人に諌められていた彼女は、彼のお祝いの言葉にうれしそうに笑い、ケーキの箱を両手で受け取った。左手の薬指に控えめに輝くダイヤモンド。彼女の誕生石だ。
 薪の後に続いて部屋に上がった青木に、感謝の眼差しを向けてくる。薪くんを説得してくれてありがとう、と黒い瞳が言っている。

 しかし、頭では納得しても、気持ちと身体が納得しないのが男という生き物で。
 小綺麗に片付けられたリビングに落ち着き、持参のケーキとアツアツの焼き芋で紅茶を楽しんでいると、玄関のチャイムが鳴った。応対に出た雪子を目で追うと、ドアが開いた瞬間に彼女を抱きしめる男の腕が見えた。
「会いたかった」
「あら、今日仕事じゃなかったの?」
「片付きました。先生に会いたくて、現場から直行しちゃいました」
 雪子の左手に光る指輪の送り主は、彼女の首筋に顔を埋めると、目を閉じてふうっと満足げなため息を洩らした。それから彼女の背に回した手を短い黒髪に埋め、唇を首から頬にかけて滑らせた。
「あ、竹内。今ちょっと」
 忙しくてデートもままならない恋人たちの性急さで、玄関口に立ったままキスを交わす。雪子は抵抗したが、その手は弱々しかった。

「その汚い手を放せっ、僕の雪子さんだぞ!!」
 いきなり突き飛ばされて、竹内はびっくりして目を開けた。

「え!?」
 謂れのない非難を受けて、雪子の婚約者は呆然としている。竹内は薪が雪子に心酔していることを知らないから、彼の怒りをどう捉えたらいいのか分からないのだろう。
「あー、聞き流しといて大丈夫だから。青木くん、早く連れて帰って」
「雪子さんっ、こんなやつに騙されちゃダメです! お願いですから目を醒ましてください!」
 ひらひらと手を振る雪子の軽い口調に、薪の悲痛な叫びが重なる。
 喚き散らす薪の声は、竹内が初めて聞く彼の声音だ。数年前、火事に巻き込まれて死にかけたときより、遥かに取り乱している。

「竹内、雪子さんにおかしなことしたら許さないからな! 月夜の晩ばっかりじゃないぞ、背中に気をつけろ!!
 僕は結婚なんかぜったいに認めなっ、ふがっ、もごごっ……!」
 凶悪な口をマフラーで塞ぎ、青木は薪を後ろから羽交い絞めにして彼の狼藉を押し留める。抵抗する薪をベッドに押さえつけるのは年中やっているから、スムーズなものだ。

「オレたち、これで失礼します。竹内さん、お邪魔してすみませんでした」
 爆発寸前の薪を肩に担ぎ上げ、青木は雪子のマンションを出た。あとのフォローは雪子がうまくやるだろう。
 暴れる薪の腰から下をがっちりと抱きしめて、階段を下りる。誰かに見られたら完全に誘拐犯だが、薪が落ち着くまでは地面に降ろせない。スプリンターの薪に走って逃げられたら、青木には追いつけない。

「放せ、青木! 僕にこんなことして、只じゃおかないぞ!」
「放したら、三好先生たちの邪魔しに行くつもりでしょう?」
「当たり前だ。警察官として、か弱い女性が変質者に襲われるのを黙って見過ごせるか!」
「三好先生はか弱くないし、竹内さんは変質者じゃないと思いますけど」
 薪の認識は間違っている。しかし、それを正すのはとても難しい。薪の思い込みは果てしなく深いのだ。

「ちくしょー、竹内のやつ。雪子さんにキスなんかしやがって。僕だってしたことないのに、ああっ、羨ましい!」
「もう諦めてくださいよ。薪さん、きっちり振られてたじゃないですか」
「おまえがそれを言うのか? 何回振っても諦めなかったくせに」
 背中から聞こえてくる薪の声が、軽い揶揄を含む。どうやら落ち着いてきたらしい。
「いい加減、下ろしてくれ。頭に血が昇ってきた」
 地面に屈んで薪の足を地につけ、青木は薪を立たせた。細い身体が、青木の背中から肩へ這い下りてくる。

「すみませんね、しつこくて。でも、ご自分がされてイヤだと思ったことは、他人にしないのが立派な大人の行動だと思いますけど」
「じゃあ、僕も諦めない」
 薪が青木の肩につかまったままでいるので、青木は立つことができない。屈んだ姿勢で薪に視線を合わせ、彼の言葉の真意を探る。

「僕は立派な大人だから。されて嬉しかったことは、他人にもしてやるんだ」

 意地悪そうに歪められたくちびるは、それが彼独特のシュールな冗談だと物語っていたけれど。青木にとっては思わず彼を抱きしめずにはいられない、愛の告白と同等級のセリフで。
 抱きすくめて塞いだ薪のくちびるからは、さっき飲んだF&Mのダージリンの香りがして、薪の周囲をいつも包んでいる百合の匂いと相まって、青木を夢心地にする。甘くて爽やかでうっとりするような、きめ細かな舌ざわりはまるで極上のマシュマロ。

「バカ、おまえ。こんなところで」
 小声で叱るが、目立った抵抗はしてこない。薪はキスに弱いから、その直後は力が抜けてしまうらしい。
「ビリヤード変更して、ホテルにしません? 薪さんに、いっぱいウレシイことしてあげたいで、痛ったっ!!」
 腹に小さな拳がのめり込んで、青木は呻いた。その隙に、腕の中の暴漢はひらりと身を翻す。
「調子に乗るな」
 吐き捨てて走り出す、野生動物みたいにしなやかな動き。細い身体に溢れるエナジーを、青木は美しいと思う。

 数秒後、50mほど離れた場所で振り返り、薪はイッと舌を出した。



―了―


(2010.3)←ほおらね、これも1年前。(^^;


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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