秘密の森のアリス(6)

秘密の森のアリス(6)





「よ、妖怪!? ―――― あ痛っ!」
 驚いた拍子に思わず背中を伸ばしてしまって、青木は頭を通路の天井にぶつけた。自然の洞穴を利用したと思われる妖怪たちの住処は、青木の身長には低すぎるのだ。

「妖怪なんて、そんなバカな」
「僕だって信じたくない。でも現実なんだ」
 オカルトとは縁のない第九の室長は、青木の横を走りながら冷静に答える。
「僕には彼らの姿が見えない。だけど声は聞こえたし、攻撃も受けた」
 日頃のトレーニングの成果を十二分に発揮して、青木は走り続ける。第九職員に求められるのは体力と根性、それから薪のイジメに耐えられる強い精神力。今の状況には、どれも必要なものばかりだ。

「気配はあるのに人の姿はないとか、誰もいない場所から声が聞こえたりとか、しなかったか?」
「オレが目を覚ましたときには、彼が――― さっきの男の人がですね、オレの上に乗ってその、服を、脱がそうと……」
 ちらりと薪の隣を走っている少女を見て、青木はこの手の話は教育上よくないと判断し、口を噤んだ。腐女子というのがどういうものか青木はよく知らないが、見た目は中学生くらいの女の子だ。大人の話はまだ早いだろう。

「彼女は、彼らの姿が見えるそうだ」
 走りながら、薪が彼女のことを教えてくれる。
「2,3年前に彼らにさらわれて来て、逃げ出すチャンスを伺っていたんだ。アキバのオタクでコスプレイヤーでもある彼女は、その柔軟な精神から彼らの姿を見る事ができるんだ」
「あなたたちには、あの妖怪が薪さんの姿に見えていたでしょう? でも、わたしには本当の姿が見えるの。彼女は女の妖怪。薪さんとは似ても似つかない」
「へえ。オレも『びーえる』っていうのを学べば、見えるようになりますか?」
「そんなことは僕が許さんぞ! あれは悪魔の書だ!!」
「……読んだことあるんだ……」
 何故だか顔を真っ赤にしている薪と、ジト目で彼を見る少女の顔が気になったが、それは後回しにして、青木は今自分たちが置かれている状況を整理する。

 薪の言う通り、ここはどう見ても病院ではない。山道で事故に遭って気がついたらここにいた、そこには何らかの超常的な力が働いたと考えていい。
 自分たちは慰安旅行の途中だったのだし、怪我もないのだから、引き続き旅行を楽しむ権利があるはずだ。ちょうど雪も降ってきたし、薪の大好きな温泉で雪見風呂を楽しませてやれると思っていたのに、どこの誰とも知らぬ輩に邪魔されて。何だかだんだん、腹が立ってきた。

 相手が妖怪だろうが怪人だろうが関係ない。
 自分の役目は、薪を守ることだ。

 走るスピードは落とさずに、妖怪に詳しいと言う少女は、彼らについて青木に説明してくれた。
 彼らは3人兄弟で、長兄が一番強い。2番目がさっき青木に迫ってきた女妖怪で、3番目は薪が気絶させた上に手足を縛ってある。よって当座の敵はふたり。
 兄の能力は怪力と高い防御力。走っている車を止める事ができるというから、かなり強力だ。まともに攻撃をくらったら、命はないかもしれない。
 妹はテレパシスト。相手の心が読めるらしい。さっきも、青木の心から薪の映像を感じ取って、それに化けたのだと説明された。

 しかし、ちっとも似ていなかった。薪の肌はもっと透明感があるし、瞳は星みたいにキラキラしてるし、睫毛もくちびるももっとセクシーだ。からだからは百合の香りがして、華奢な腰に浮いている腰骨の曲線といったらクラクラするくらいに色っぽくて。
 それでいて初心で恥ずかしがり屋で、ベッドに連れ込むのが毎回一苦労で、だから絶対にあんな格好するわけないし、だいたい薪の方から迫ってくれたことなんて、この4年の間に数えるほどしか。
「そうなんだ。青木さん、苦労してるのね」
「え? なにが?」
「こっちの話」
 なんだろう、今の会話。青木は何も言ってないが。

「あの、オレは青木といいます。きみは?」
「えっ」
「そう言えば、きみの名前を聞いてなかった。何て言うの?」
 少女は何故か口ごもって、自分の名を告げるべきか迷うようだった。
 
 彼女は変わった服を着ていた。アキバのコスプレイヤーだと薪が言っていたが、これは『不思議の国のアリス』のアリスのコスプレだろうか。
「あ、アリスよ」
「へえ、可愛い名前だね。どんな字を書くの?」
「か、カタカナで」
 自分の名前に合わせてコスプレの衣装を選んでいたのかもしれない。しかし、アリスは猫耳をつけていたかな。

「じゃあ、アリスちゃん。きみはここに詳しいんだよね? どこかに武器になりそうなものはないかい?」
「青木」
 微かに咎める口調で名前を呼ばれて、青木は厳しいボディガードの顔になった。
「攻撃は最大の防御です。もしも追っ手が迫れば、オレが時間を稼ぎます」
「おまえにそんなことをさせるわけには」
 言いかけて、薪は言葉を止めた。彼が素早く動かした視線の先には、夢中で走る少女の姿。
 
 おまえにだけ危険な真似をさせるわけには行かない、僕たちはいつでも一緒だと、自分ひとりなら通る我儘も、彼女がいては通らない。自分たちは警察官だ。彼女の安全を優先させなければならないと、薪の心の動きは手に取るように解る。
 どんなときでも自分が警官たることを魂に刻んでいる、そんな薪にだからこそ、この身を捧げても悔いはないと青木は思う。

「だが、相手は人間じゃない。まともに戦えるとは」
「弟には薪さんの踵落しが効いたんですよね?だったら、上の2人にも物理攻撃が有効かと。その辺、どうなの? アリスちゃん」
 大人の自分達についてくる彼女の脚力に舌を巻きつつ、青木は彼女の知識を頼る。敵の内情に一番詳しいのは彼女だ。
「兄のほうは素手では厳しいと思う。妹は身体能力だけだったら、弟よりも弱いはず」
「妹のほうは腕づくで何とかなるとしても、問題は兄ですね」

 角を曲がったところで、アリスは横道に入った。ちょっと寄り道、と彼女が案内したのは8畳ほどの部屋で、水を入れた瓶や焚き付けの薪、更には竈のようなものが置いてあった。奥には物干しに掛けられた布巾のようなものが干してあり、どうやらこの少女のおかげで妖怪たちは人間に近い生活を営んでいるらしい。

「この部屋で食事を作るから、包丁とかもあるわ。好きなものを選んで」
「オレ、これでいいです」
「……ものほし竿?」
「はい」
 樹木の枝を利用した物干し竿を適当な長さに叩き折り、青木は棒の端に干してあった布を裂いて巻きつけた。そうして作った不恰好な木刀を、両手でぎゅっと握る。使い慣れた竹刀には程遠い握り心地だが、自分が武器を持つなら、これが一番だ。
 それに、妖怪といえども刃物で切りつけたりはしたくない。もし先刻のように人間の姿で出てこられたら、相手に刃物を向けることはできそうにもなかった。
 薪も同じ考えらしく、刃物には手を伸ばさなかった。薪の得意な武術は柔道と空手。どちらも接近戦だ。彼が見かけよりもずっと強いことは知っているが、相手は妖怪。素手で倒せる敵ではない。

「薪さん、これ。持っててください」
 青木が差し出したものに、薪の瞳が見開かれる。自然に後ずさる彼の手を取って、青木は強引にそれを握らせた。
「薪さんが銃を持ちたがらないのは知ってます。でも、今は緊急時です。刃物を通さない相手に対抗するには、飛び道具しかありません」
「おまえは?」
「オレにはこれがあります」
 剣道には自信がある。特に、高身長を生かして高い位置から繰り出される面はかなりの破壊力を持つと、自分でも自負している。

 小さな手のひらの中の黒く冷たい鉄の塊に目を据え、薪はその重みにしばし耐えるように立ち尽くしていたが、何か他に役立つものはないかと壺や籠をひっくり返している少女を見て、思い切ったように銃を背広の内ポケットに入れた。

「二人とも、刃物は要らないのね?」
 武器の選択を確認してきた少女に、彼らは頷きで応えた。少女はちょっと呆れたような顔をしていたが、やがて肩をすくめて、
「そんな甘い相手じゃないと思うけどなあ」と呟いた。
 生きるか死ぬかの局面で、相手を殺す決意を固めきれないふたりに失望したように少女は彼らに背を向けたが、それ以上は何も言わず。そう呟いた彼女も、やはり刃物は持たなかった。
 代わりに少女は、引き出しから黒いロープのようなもの何本か取り出し、ポケットに入れて調理場の出口に向かって歩き出した。

 年齢に似つかわしくない勇ましい彼女の態度に、青木は心の中で舌を巻く。自分は男だけれど、果たして中学生くらいの時にこんな勇気を持てただろうか。3年という月日が彼女の精神を逞しく造り替えたのかもしれないが、それにしても大したものだ。
 再び薄暗い通路を早足で歩きながら、青木はそんな気持ちでアリスに話しかけた。
「アリスちゃん。アリスちゃんが家に帰ったら、お父さんとお母さん、喜ぶだろうね。頑張ったね、ってアリスちゃんを褒めてくれるよ」
「え? あ、そうね」
 思ったよりも素っ気無い返事が返ってきて、青木は面食らう。両親が恋しくはないのだろうか。

「青木、無駄口はよせ。声で敵に居所を悟られないとも限らない」
 薪に叱責されて、今はそんな悠長なことを言っている場合ではなかったと気付く。薪も少女も必死なのだ。が、少女の説明を聞いただけで、妖怪たちと対峙していない青木には、今ひとつ実感がわかなかった。さもあらん、青木は最先端科学を集結した第九の捜査官だ。妖怪なんてそんなもの、そう簡単には信じられない。
 信じられないはずなのに。

「止まって! ふたり、前にいるわ!」
「うわあああっ!!」
 狭い通路を抜けて大きな部屋に入り、そこを通過しようとしたとき。突如として目の前に現れた異形のものたちに、青木は悲鳴を上げて後ろへ飛び退った。
「えっ? 青木、見えるのか?」
 薪が不思議そうな顔をして青木を見る。
 薪にはこれが見えないのだろうか。いや、見えないほうが幸せかもしれない。

 全身毛むくじゃらのヒヒのような化け物。手足の爪は伸び放題で鋭く、腰まである髪はぼうぼうに乱れている。身の丈はそれ程大きくはない。薪より少し高いくらいか。
 人型を取ってはいるものの、その顔は人間のものではない。目はぎょろりと大きく、鼻は潰れ、口は耳まで裂けている。真っ赤な口からむき出しになった彼らの歯はのこぎりのように尖って、生きたまま人間を食べるという少女の話は嘘ではなかったと、信じさせるに充分な恐ろしい風貌だった。
 ふたりの姿形は似たり寄ったりだったが、右側に立った妖怪のほうが幾分小柄だった。こちらが妹のほうだとすると、注意すべきは大きいほうの妖怪だ。
 思ったとおり、大柄な妖怪がこちらに向かって突進してきた。反射的に薪と少女を抱えて横っ飛びに逃げ、彼の攻撃を避ける。

「な、なんですか、あの恐ろしい生き物は!」
「すごい、青木さん。あいつらが見えるのね?」
「なんで!? どうして僕にだけ見えないんだ!?」
 そんなの、青木にだって分からない。自分は『びーえる』の勉強もしていないし、オタクの修行も積んでいない。

「青木さんには素質があるのかもしれない。ちょっと頑張れば、立派なアキバ系男子になれるかも」
「ならんでいい!」
「何だったら、わたしが教育してあげても」
「アリスちゃん、余計なことしないで! ただでさえこいつは色々と規格外なんだから! そんなもの教え込んだら、どんなプレイになって僕に返ってくることか!」
 さすが薪さん、どんな状況に陥ってもユーモアを忘れない。真っ青になってるけど、ジョークですよね?

「冗談言ってないで、逃げてください。マジでやばそうな相手です」
 ふたりの軽口に付き合っている余裕は、青木にはなかった。身体を張ってでも、彼らを逃がさなくてはならない。
 妖怪の風体はとても恐ろしかったが、その場に座り込んでしまうほどでもなかった。自分はこんなに度胸が良かったか、と青木は考えて、今は守らなければならない人たちがいるからだ、と戦う決意を強くする。

「ヤ――――ッ!!」
 青木は腹の底から声を出した。剣術の掛け声には、相手を威嚇する意味もある。
 大声量と共に、青木は敵に斬りかかった。


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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