天国と地獄3 (2)

天国と地獄3 (2)





 新橋駅から歩いて10分の築8年になるマンションの5階。岡部はここに、母親と二人で住んでいる。はずだった。

「…………えっ?」
 予想もしない事態に、薪は固まる。目と口をポカンと開けたまま、蝋人形のように硬直してしまった。
 7年前に警察官であった父親を亡くし、独りになってしまった母親の面倒を見ている、と薪の人事ファイルには記してある。だから、間違っているのは自分の眼のほうだ、と薪は思った。雨に打たれて熱でも出たらしい、幻覚を見ているんだ、きっと。

「あらあら、靖文さんたらびしょ濡れですのね。まあ、そちらの方も。どうぞ、お風呂を使ってくださいな」
 準備万端に整えていたらしいタオルと温かい風呂で彼らを迎えたのは、年の頃20代後半、フワフワした薄茶色の髪を少女のように背中に流した、あどけなささえ残る女性だった。

「岡部。このファンシー系の美女はどちらさま?」
「なんでいるんですか!?」
 大きな声で薪の質問を遮った岡部は、その厳しい詰問口調とは正反対のやさしい手つきで彼女からタオルを受け取り、ひとつを薪の頭に、もうひとつを自分の頭に載せた。髪を拭きながら靴を脱いで部屋に上がり、薪の眼から彼女を隠すように、彼女を一番手前の右側の部屋に引っ張っていった。

 玄関口に立ち尽くしたまま、薪はショックで動けなかった。
 あれが岡部の恋人か。なんてことだ、めちゃくちゃ可愛いじゃないか。端から見たら美女と野獣だが、しっかりファーストネーム呼びしてるし、それに、お風呂を使ってください、なんて言葉が出てくるところを見ると、彼女はかなり頻繁にこの家に出入りしている。もしかして、結婚も近いんじゃないか?
 岡部のやつ、それならそうと言ってくれないと、新婚旅行のときとかシフト組むのが大変なのに、いやいや、そんなことよりどうして僕に一言の相談もなくこんな。

 少なくとも、薪は岡部のことを友人だと思っていた。でも、岡部は……自分が思っているほど、岡部は自分のことを友人だとは思っていなかった、ということか。
 そのことに軽いショックを受けて、薪は俯く。
 第九の室長と副室長として、何年もコンビを組んできて、他の職員には鬼の室長と敬遠されても、岡部のことだけは頼りにし、心を開いてきたつもりだったのに。

 やがて彼らの間で交わされる会話が、薪の耳に自然と入ってきた。
 岡部が彼女を連れ込んだ部屋にドアはなく、間仕切りは入り口に下げてある小花柄の暖簾で為されていたおかげで、中の会話はハッキリと聞こえてきた。もともと地声が大きい岡部は、ナイショ話が不得手なのだ。
「どうしてここにいるんです。今夜は同窓会だって、今朝言ってたじゃないですか」
 今朝? 今朝も一緒だったのか? もしかしなくても昨夜から? な、なんてうらやまし、いや、ふしだらな。
「わたくしだって、楽しみにしていたんですのよ。それが急な頭痛で」
「……雨で出かけるのが面倒になったんですね?」
 岡部が決め付けるような言い方をしたその後、わずかに沈黙が降りて、続いて岡部の呆れたようなため息が聞こえた。
「ったく、あなたって人は。雨くらいでドタキャンなんて、同窓会を取りまとめてる幹事さんの身にもなりなさい。料理の手配とか席順とか、急に欠席者が出ると大変なんですから」

 オヤジ臭く説教を始めた岡部に、薪は少しハラハラする。
 そんなきついことを言って、嫌われちゃうぞ、岡部。いくら結婚を約束した相手だからって、今から亭主風吹かすのはまずいだろう。

 心配になって薪は、初めて訪れた他人の家に家主の承諾も得ずに上がりこむという暴挙に出た。
 この眼で様子を見て、険悪になるようだったら止めなければいけない。岡部の幸せのためだ。遠洋訓練中の海軍兵士並みに女性に縁のない岡部のこと、彼女を逃したら生涯独身だと断言できる。

 薪は短い廊下を進み、岡部たちが姿を消した右側の部屋の前に立った。ファンシーな暖簾の隙間から中を伺う。
 そこは、ごくありふれた家庭のリビングだった。ソファに並べてある濃桃色のクッションや窓辺に飾られたクマの人形など、居住者の年齢を考慮するとかなり違和感があったが、母親の趣味なのかもしれない。
 フリル付きのカバーに包まれたソファの前で、二人は立ったまま向き合っていた。岡部の恋人は小柄で痩せていて、大柄な岡部と比べると、一層幼く見えた。

「ごめんなさい。でもね」
 岡部の叱責に素直に謝罪し、彼女は床に屈んだ。直ぐに立ち上がって岡部を見上げた彼女の腕には、小さな猫。貧相にやせ細って、首輪もついてないし、雑種のノラのようだ。
「下まで降りたら、この子がずぶ濡れになって泣いていたものですから」
 彼女の弁護をするように、子猫が『にゃ~ん』と愛くるしく鳴いた。
「何度言ったら分かるんです、うちでは猫は飼えません」
 今の時点で彼が持ち得る最大の武器であろうそれを存分に発揮して挑んできた子猫に、岡部は冷たかった。彼の言葉と態度から、彼女との間でこの類の会話が交わされるのは初めてではないことがわかった。
「捨ててきなさい」
「そんな。まだ、こんなに小さいのに」
「俺は猫の面倒が見られるほど、暇じゃないんですよ。あなただって、お店があるでしょう? 世話もできない人間にペットを飼う資格はないんです」

 ずい分、厳しい言い方だ。
 子供を叱ってるわけじゃあるまいし、もうちょっとソフトにしないと。「なんてやさしいんだ、君は女神のようだ。でも僕たちには猫の世話は無理だから、残念だけど」とか言っとかないと、今夜のベッドは断られちゃうぞ?
 その台詞を口にしたら世の中の女性の9割はドン引く、という事実を恋愛経験の少ない薪は知らない。

「岡部」
 岡部の楽しい夜を守るために僕が一肌脱ごう、と決意し、薪は部屋の中へと一歩を踏み出した。
「さっきから聞いてれば、言いすぎじゃないのか? こんな美人相手にそんな言い方」
 とりあえず、褒めとけ。
 自分の恋人を褒められれば男は悪い気はしないから、岡部もきっと態度を軟化させると思った。しかし、岡部は厳しい顔つきのまま薪の方を見て、
「美人は関係ないでしょう」
「なに言ってんだ、彼女に失礼じゃないか。胸がちょっと寂しいから僕の好みじゃないけど、顔はかなりのハイレベルだぞ? ここで逃したら一生後悔す……いやその」
 まずい、本音が。

「その人とどういう関係なのか知らないけれど、岡部にとって『大切な人』なんだろう?」
 薪が確認の意味で尋ねると、岡部はらしくもなく頬を赤くして、
「ち、違います! いや、違わないですけど違います、ていうか、そこは違わないといけないところなんです!!」
「おまえ、日本語が崩壊してるぞ?」
 おーおー、かわいいな、照れちゃって。

「あらあら。わたくしったら、靖文さんのお友だちにご挨拶もせずに。失礼いたしました」
 引き換え、彼女の方は冷静だった。
 部下の未来の妻になるであろう彼女の沈着に、薪は好感と安心感を抱く。彼女なら、第九のハードな業務をこなす夫を労わり、安らがせ、癒してくれるに違いない。充実した家庭生活は、クオリティの高い仕事を為すための必須要件だ。室長として、ふたりのことは全面的に応援しよう。何なら、明日岡部は昼出勤にしてやっても。

 100万回馬に蹴られても済まないような究極のお節介を薪が申し出ようとしたとき、彼女はすっと薪にその頭を下げ、未婚女性にしてはひどく落ち着いた口調で、薪を恐慌の渦に叩き込んだ。

「初めまして。靖文の母でございます」






テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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岡部さんのオカンがファンシー系(笑笑)
よかった!岡部さんと同じ顔の女性じゃなくて!(←清水先生ならやりかねない)

お母様

こんにちは。
しづ様の岡部さんのお母様の設定が、こんな美しい女性だったとは、ビックリです。
今までのお話を拝見して、時々岡部の母の存在を匂わせてらっしゃったので、「一体どんな女性なのかしらー」と気になっていたのですが、私の貧困な頭の中の想像では、岡部さんのお母様のイメージは、ジャイアンのおかあさんになってしまい…(笑)。
しづ様のお話の中の、こんなカワイイお母さんなら、さすがの岡部もラブになっちゃいますよね。毎日、自宅でも職場でも美人が隣にいて、岡部が羨ましいです。
ちなみに…実母じゃないですよね??
続きを楽しみにしております。

まきまきさまへ

まきまきさま、こちらにもコメントありがとうございます!


> 岡部さんのオカンがファンシー系(笑笑)
> よかった!岡部さんと同じ顔の女性じゃなくて!(←清水先生ならやりかねない)

びっくりしました?
笑っていただけて嬉しいです。(^^
これはうちだけの設定ですから、
そうですね、原作の岡部さんのお母さんはきっと、豪快な感じの方ではないかと・・・・・
しかし、あの三白眼で女性は、、、、
ぷくく、ぜひ清水先生に番外編で描いて欲しいですね!(>∇<)

あずきさんへ

あずきさん、こんにちは~♪


> しづ様の岡部さんのお母様の設定が、こんな美しい女性だったとは、ビックリです。
> 今までのお話を拝見して、時々岡部の母の存在を匂わせてらっしゃったので、「一体どんな女性なのかしらー」と気になっていたのですが、私の貧困な頭の中の想像では、岡部さんのお母様のイメージは、ジャイアンのおかあさんになってしまい…(笑)。

ジャイアンのお母さん!
わかる、わかりますよ!!
「こら、靖文! 夕飯要らないときは連絡しなって、何度言ったらわかるんだい!」 
「わ、母ちゃん、カンベンして!」 
とか、第九の研究室でやっていただいて、薪さんを点目にして欲しいです☆


> しづ様のお話の中の、こんなカワイイお母さんなら、さすがの岡部もラブになっちゃいますよね。毎日、自宅でも職場でも美人が隣にいて、岡部が羨ましいです。

ホントだ。(@@)
ううーん、うちの岡部さん、恵まれてるなあ。


> ちなみに…実母じゃないですよね??

もちろんです。(^^
実母だったら大変、ギャグにならないです~。(いや、普通、義母でもギャグにはならないか・・・・)
雛子さんの類稀なる才能とか、これから遺憾なく発揮してもらうので~、
あずきさんに、ちらっとでも笑っていただけたら、とってもうれしいです。

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Aさまへ

Aさま、
ステキな偶然、教えていただいてありがとうございました!
わたしもうれしいです!


ひなこ、って可愛い名前ですよね。
世間知らずで、おっとりしてて、でも芯は強い女性のイメージでつけました。
しかーし!
男爵シリーズに出てくるからには、当然普通の女性じゃなくて、その章を公開したら、
Aさまに叱られてしまうかも・・・・・(^^;

どうか、広いお心でお願いします!!!
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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