天国と地獄3 (6)

天国と地獄3 (6)




「俺は、彼女が新しい伴侶を見つけるまでの間、息子としてあのひとを守りたいだけです」

 岡部はカップを持って、テーブルの反対側に回った。薪の向かいに座って、黙ってコーヒーを飲むことに専念した。
「じゃあ、僕がモーション掛けてもいいのか?」
 驚いて顔を上げると、薪はコーヒーカップで顔の下半分を隠して、岡部を見据えていた。まだ、あの瞳をしている。岡部は用心深く応えを返した。

「胸の小さな女性は、好みじゃなかったんじゃないんですか?」
「それはベッドを楽しむとしたら、って意味だ。結婚相手はまた別だ」
「結婚?」
「彼女は朗らかで可愛くて、見ているだけで癒される。それでいて、突発的な事故にも動じない強い精神力を持っている。警察官にとって、理想の妻だ」
 薪の言う通りだ。彼女が警察官の妻としてどれだけ素晴らしい資質を秘めているか、岡部は嫌というほど知っている。ずっと見せ付けられてきたのだ。身に沁みて分かっている。

「もちろん、料理は僕が受け持つ。悪くないカップリングだと思うが?」
「駄目です」
 薪の提案を、岡部は即座に否定する。ふっと笑みを浮かべた薪に、釘を刺すようにきつい口調で、
「言っておきますけど、薪さんが考えているような意味合いじゃありませんよ」
 薪に嘘は通じないと悟って、岡部は本音を喋ることにした。ここで嘘を吐いたら、ますます誤解されるだけだ。

「俺は、あのひとを二度と警察官の妻にはしたくないんです」
 薪の瞳を見返して、岡部はキッパリと言った。

「俺の父は殉職です。強盗犯を追いかけて、犯人に射殺されました。そのとき、あのひとがどれだけ泣いたか。俺はもう二度と、彼女のあんな顔は見たくない」
 岡部が口を結ぶと、薪は少し考え込む様子だった。長い睫毛を下方に伏せてカップの縁に唇を寄せる様は、第九で年若い捜査官が淹れたコーヒーを片手に捜査報告書に記された事案を検証するときのように厳かだった。

「彼女はおまえが思っているより、ずっと強いひとかもしれないぞ」
 やがて薪はぽつりと言った。先刻までのからかうような調子は、失せていた。
「そうかもしれませんね。本当は、彼女は一人で自由に暮らしたいのかもしれない。女の一人暮らしは無用心だし、男手があった方が何かと助かると思っていたんですけど……俺のお節介に過ぎないのかもしれません」
 自分がいないほうが彼女の未来は拓けるかもしれないと、思いながらも目先の心配が先に立って、ずっと否定してきたもう一つの道を、岡部は自嘲気味に口にした。良かれと思ってしている事が、相手の可能性を奪っている。それもまた事実だと、岡部には分かっている。

「そういう意味じゃない」
 岡部の逡巡を切り捨てるように、薪はさっくりと言い、残りのコーヒーを飲み干した。空になったコーヒーカップをテーブルに置くと、卓上に肘をついて身を乗り出し、
「彼女は、なんて?」
「俺の嫁さんが見つかるまでは、母親として俺の世話をする、だそうです」
 父親の初七日が済んで、雛子とこれからのことについて話し合ったとき、彼女は岡部にそう言った。
『靖文さんに可愛いお嫁さんが来るまでは、わたくしが靖文さんのお世話係です』
 そう言われた。世話係なんかじゃない、あなたは俺のたった一人の母親です、と言ったら、涙ぐんでいた。彼女は岡部の本当の母親になりたがっていたから、その言葉が嬉しかったのだろう。

「ふふ。やっぱり強いな」
「何がですか?」
 薪が下した『強い』という評価が何に対して為されたものか皆目見当がつかず、岡部は戸惑った。岡部が不思議そうに聞き返すと、薪はゆっくりと首を横に振り、
「岡部。こういうことは、他人から教えられたんじゃ駄目なんだ。自分たちで進んでいかないと」
 と言って、教えてくれなかった。薪の思考は展開が速くて付いていけないときがある。今回もそういうことだろうか。

 二人の会話が途切れたタイミングを見計らったように、雛子が薪のスーツを抱えてダイニングに入ってきた。サニタリーの鏡を借りて着替えを済ませ、薪は腕時計を確認する。
 午後9時15分。初めて訪れた家を辞するには、遅すぎる時間だ。

「お世話になりました」
 母親にきちんと頭を下げて、玄関先に出る。雛子が手渡してくれた靴べらを使って靴を履いていると、岡部が薄手のジャケットを着て、薪を追いかけてきた。
「送りますよ」
「大丈夫だ。そろそろ迎えが来るはずだから」
 薪はポケットから携帯を出し、メール画面を岡部の顔の前に突き出した。小さな液晶画面に、業務連絡としか思えない文章が打ち出されている。

『岡部のマンションにいる。迎えに来い』

 いつもながらに素っ気無い、でもこれを受け取った人物にとっては、発信人の欄に薪の名前があるだけで、世界に名だたる文豪の傑作よりも感動するのだろう。
「どうして青木に迎えを?」
「あいつ、今日は代休で休みだろ。どうせやることなくて、ヒマしてるに決まってるんだから」
 青木はあなたからのメールだったら、地球の裏側からだって吹っ飛んできますよ。てか、薪さん、今日一日、何となく元気がありませんでしたよね? あいつの顔が見られなかったからじゃないんですか?
 雛子とのことを構われた腹いせに、そう言ってやろうかと岡部は思ったが、結局何も言わなかった。
 そう、薪の言うとおり。こういうことは、他人から教えられたのでは駄目だ。

「室長さん。またいらしてくださいね。今度はご馳走作って待ってますから」
「じっ、実は僕、糠漬けとお茶漬けが大好物なんですっ。次の機会がありましたら、ぜひそれでお願いしますっ!!」
「まあ、シンプルなお好みですのね。でもわたくし、こう見えてイタリアンが得意ですのよ。自慢のラザニア、室長さんに召し上がっていただきたいわ」
 眼で訊いてきた薪に、岡部は無言で首を振る。彼女のラザニアは、ボロネーゼソースに大量の唐辛子を入れてあり、ベシャメルソースにはたっぷりと砂糖が入っている。それをカチカチのラザニアに挟んで真っ黒になるまで焼き上げれば、高い殺傷力をもつ劇薬が出来上がる。あれは岡部でもヤバイ。

「すすすすみませんっ、僕、親の遺言でイタリアンは食べられないんですっ!!」
「まあ、お可哀想に。あんな美味しいものが食べられないなんて」
「お母さん。すみませんが、このシャツ明日着たいんです。アイロン掛けておいてもらえますか」
 はい、と襟衣を受け取って、雛子は薪に頭を下げ、奥の部屋に姿を消した。残された二人の男がホッと胸を撫で下ろしたとき、玄関のチャイムが鳴った。
 
 こんばんは、と青木の声がして、ちょうど三和土に立っていた薪がドアを開けた。
 薪の姿を認めた瞬間、青木はとても嬉しそうな顔をして、それはどう見ても休日の夜に上司に呼び出されて、彼の送り迎えを言いつけられた部下の顔ではない。分かりやすいやつだ。恋焦がれている相手に会えた、そう顔に書いてある。
 そして薪もまた。
 青木の方を向いているから、顔は見えない。見えないが、その背中はピンと潔く伸びて、肩は若々しく張っている。今日は感じられなかった躍動感が、身体中から迸るようじゃないか?

「じゃあ、岡部。明日研究室でな」
「はい。おやすみなさい。青木、薪さんを頼んだぞ」
「はい!」
 家まで送り届けるだけなのに、海外へバカンスに行くみたいにはしゃいじゃって。この世の春だな、青木。

「青木、岡部と飲みに行く予定がぽしゃったんだ。おまえ付き合え」
「えっ。オレ、車で来ちゃいました」
「なんで」
「いや、だって平日だし。迎えって言われたら普通は」
「うるさい、僕は飲みたい気分なんだ。おまえは横で見てろ」
「ええ~~~」

 いつものように青木に優しくない会話を交わしながら、二人はドアの向こうに消えていった。玄関に鍵を掛け、岡部が部屋に戻ろうとして振り向くと、リビング入口の暖簾に隠れるようにこちらを伺っていた雛子と目が合った。
 彼女は岡部に走りより、細い両手で岡部の無骨な手をぎゅっと握って、
「靖文さん。わたくしはあなたの味方ですけど、戦況を正確に把握することは必要だと思いますの。これからの作戦を立てる上で」
 …………こっちもまだ続いてたのか。

「ショックだと思いますけど、よおく聞いてくださいましね。あの、薪さんとおっしゃる方は、いま迎えに来られた男の方を」
「あー、いいです、聞かなくても分かってますから」
 やっぱりそう見えるか。まあ、こちらの方面にはとんと縁のない自分でさえ何となく感じるくらいなのだから、ロマンチック街道のド真ん中を行く彼女には、瞬時に分かるものなのだろう。
 岡部が両手を振って作戦参謀の提案を断ると、雛子は気の毒そうな顔になって、しかし力強く、
「だからって、諦めることはありませんのよ。ご自分に自信を持ってくださいな。靖文さんは、誰よりもステキですもの」
「……俺がですか?」
「ええ。靖男さんの息子ですもの」

 そう言って微笑した彼女の美しさは、初めて出会ったときと少しも変わらず。父に、新しい母だと言って彼女を紹介されたあの日、岡部の心に住み着いたその姿のまま、多分これからも色褪せることはない。
 そう。俺はあなたの息子です。出会ったときから、死ぬまでずっと。

「これからわたくしが、薪さんのハートを射止める作戦を考えて差し上げますから。靖文さんは、どうかそれを参考になさって」
 雛子は両手に恋愛小説と少女マンガを山ほど抱えて、どうやらそれが彼女の作戦のベースになるらしい。
「ほら、例えばこんな演出とか」
 彼女は多数の指南書の中から一冊の雑誌を取り出し、顔の半分が目玉という人類とは思えない顔をした少女が、海岸で性別不詳の人間(というのも、その人物には体毛が無くて男か女か岡部には判断が付かない)と一緒に砂山を作っている場面を指差した。誌面に広がる点描とハートの世界に、岡部は辟易しながら、
「それは青木に授けてやってください。薪さんのことは大事ですけど、俺と青木の感情は種類が違いますから」
「……そうなんですか?」
「はい。一度もそういう目で見たことはありません」
 岡部がキッパリと否定すると、雛子は複雑な顔になってマンガ雑誌を閉じ、それをぎゅっと胸に抱いて、
「まあ、残念。靖文さんの恋の応援ができると思ったのに」

 応援されても困ります、と岡部は心の中で呟き、天真爛漫な母親にそっとため息を吐く。彼女が鈍いおかげで自分はずいぶん助かっている、と岡部は思い、直ぐにそれを否定する。
 雛子は鈍くない。その証拠に、薪たちの微妙な関係を一発で見抜いたではないか。でも彼女は良識のある女性だから、思いもよらないだけなのだ。薪のような突拍子もないカンチガイは、彼女はしない。

「今夜は薪さんと、お酒を飲まれる予定だったんですね?」
「あなたが同窓会に出かけてると思ってましたんで」
「わたくしが代わりにお付き合いしましょうか?」
「!! い、いや、明日は平日ですし、お母さんの相手は土曜の夜にでもゆっくり」
「遠慮なさらないで。飲みたい気分なんでしょう? 今夜はわたくしに甘えてくださいな」
 青冷める岡部の前で、雛子はマンガ雑誌を一升瓶に持ち替えて、にっこりと笑った。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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雛子さんのお料理の殺傷能力は
【高】ビアンキ(リボーン)←姫路さん(バカテス)←雛子さん→志村たえ(銀魂)→井上さん(ブリーチ)【低】
くらいのランキングでしょうか?(笑)
でもお味噌汁にゼリービーンズのセンスは井上さんっぽい

雛子さんみたいな素敵な警察官の妻を目指してがんばろ~~

岡部さん ストイック過ぎて可哀想です
ぜひ、この恋を成就させてあげて下さい

Aさまへ

Aさま、こんにちは!
コメントありがとうございます♪


>実は薪さんの奥さんに

おおお、なんと希少なご意見!
たしかに、和み系女子は薪さんの奥さんに最適かと・・・・みちゅうさんとこの、ねこのご側室さまのように。
しかーし、胃弱の薪さんに雛子の夫は無理です! しかも、うちの薪さんだとビジュアル的に百合。(笑)

岡部さんは~、
実は雛子さんに惚れてます。
一生懸命自分に言い聞かせてますけど、がっつり惚れてるんです。 だから薪さんによろめかないの。

アニメで岡部さんが妻帯者だったのは、
わたしもショックでしたー!
岡部さんはいつでも一番に薪さんを守るのよっ! と思っていたので、ていうか、
あのアニメ、岡部さんと薪さんの絆がぜんぜん描かれてないっ!!! アニメスタッフ、原作ちゃんと読んでる!? (こんなところで今更アニメの批判をしても・・・・・)


>第九が解体されるかして、岡部さんが室長になったら奥さん貰って欲しいです!あ、しづさんはショックですか(笑)

大丈夫です、わたし、妄想得意ですから、その妻はわたしですからv-10 ←キショイ。


>ギャグの話かと思ったらとてもしんみりさせて頂きました(´▽`)

あ、ギャグなんですよ、男爵シリーズなので。
でもそうですね、岡部さんと雛子さんの恋は絶対に成就しない恋なので、いくらかはしんみりしちゃいますね。(^^;
思い合っていても、永遠に確かめ合えないんですよね。 うーん、それってやっぱり悲恋なのかな・・・・・。

まきまきさまへ

まきまきさま、こんにちは!


> 雛子さんのお料理の殺傷能力は

ええ、ちょうどそのくらいのレベルかと・・・・
と言ってもわたし、リボーンとブリーチは存じ上げないのですけど、ビアンキさんと仰る方はそこまですごいのかとググってみましたら、ポイズン料理の使い手とか。 そうか、何を作っても毒入り料理になっちゃうのか。(笑)

バカテスと銀魂は、わたしの本棚の中段に並んでます♪(←男子中学生の本棚のようだ)
登場人物をご存知ということは、Mさまも読んでらっしゃるんですね(^^
お仲間がいてくださって、うれしいです~。


> 雛子さんみたいな素敵な警察官の妻を目指してがんばろ~~

はい、是非がんばってください!
わたしも陰ながら応援しております!



> 岡部さん ストイック過ぎて可哀想です
> ぜひ、この恋を成就させてあげて下さい

確かに可哀想かも。
し、しかし~、735条が~~。(^^;

この二人、思い合ってはいるんですよね。 お互いの気持ちを知らないだけで。
なのに、これ以上は発展しないような気がするのは、わたしが「岡部さんは薪さんのナイト」だと思っているからかしら☆
わたしは割と、こういう距離感のある関係も好きで、原作のあおまきさんが今ちょうどこの状態だと思うのですけど、あれはあのままでもいいかな、と思います。 
この先きっと、って思えるから・・・・・。





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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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