天国と地獄4 (3)

天国と地獄4 (3)




 グラスの氷がもう一度音を立てて、が、今度は青木は動かなかった。
 うつ伏せたままの後輩の大きな背中を軽く叩き、岡部はため息混じりに彼を慰める。
「まだそうと決まったわけじゃないだろう。だいたい、俺のカンでは薪さんは」
 思わず口から出かかった言葉を、岡部は飲み込んだ。青木は真剣なのだ。軽はずみなことを言うべきではない。
 ……しかし。
 どう見てもあれは、と岡部は休日前の室長とのやり取りを思い出す。

『岡部。ネズミーランドって、行ったことあるか?』
 遠足前の子供のような瞳をして、薪はそう訊いてきた。第九の室長室という場所にそぐわしくない話題と顔つきだった。
「おふくろにせがまれて、何回か」
「雛子さん、かわいいもの好きだもんな。絶対に行ってると思ってた」
 意味ありげに微笑まれて、岡部は焦った。
 先日、ゲリラ豪雨に見舞われた薪を自宅に避難させた。もちろん、薪と母親を会わせる心算はなかった。その日、彼女には同窓会の予定が入っていた。だから自宅に連れてきたのだ。それが、出かけようとしたところにこの雨で、もともと雨に濡れるのが嫌いな彼女は突然の発熱による欠席を余儀なくされたらしい。
 人数を取りまとめる幹事の身にもなりなさい、と彼女を叱っているところを見ていた薪だったが、あの日を境に、岡部が母親のことを口にする度に、ニヤニヤ笑うようになった。

「どうして急に、ネズミーランドなんですか?」
「青木に誘われたんだ」
 あっけらかんとした口調で薪が言うのに、岡部はなるほど、と心の中で頷いた。それで遠足前の子供みたいな顔をしていたのか。
「僕、ネズミー初めてだから。楽しみでさ」
 初めての場所に浮かれているわけじゃないでしょう。青木が誘ってくれるなら、何処だって楽しみなんじゃないですか?
 彼女とのことをからかわれたお返しに、そう言ってやろうかと思ったが、やめた。
 薪にはまだ自覚がない。外野からつつくのは反則だ。

「どんなところなんだ?」
「でっかい遊園地みたいなもんですよ」
「ふうん。面白かったか?」
「おふくろは楽しそうにしてましたね」
 リピーターの中には年間パスポートを購入して、仕事が定時で終わったらパレードに間に合うように駆けつける、というツワモノまでいると聞く。ネズミーファンにとっては、そうまでして行きたい夢の国らしいが、正直なところ、何が面白いのか岡部にはよく分からない。
 いつ訪れても物凄く混んでいて、人気のアトラクションは2時間並んで乗車は5分、それを当たり前だと思う人々の神経が理解できない。ランドの中だけではなく、その近辺は常に混雑している。電車は鮨詰め状態だし、みやげ物で荷物が膨れる帰りはラッシュ時の満員電車より厳しい。
 が、まあ、あのひとの笑顔が見られるなら、自分は何処へでも行くが。

「電車で行くなら、早い時間に行かれることをお勧めしますよ」
「いや、車で行こうと思う」
「車は大変ですよ。渋滞が半端じゃないです。駐車場待ちの時間を考えたら、電車の方が早いですよ」
 遠方から来るのでなければ、電車の方が絶対にいい。時間帯によっては1時間以上も流れない地獄の交通渋滞より、電車は動くだけマシだ。

「でもあいつ、車の運転好きだから」
 経験から来る岡部のアドバイスを、薪は断った。青木の車好きは岡部も知っているが、あの渋滞に巻き込まれたら、どんなに気の長い人間でもうんざりするはずだ。
 ましてや薪だ。この気の短い人が、あの交通渋滞に怒り出さないはずがない。
「いや、普通じゃ考えられない渋滞なんですよ。朝は早く出てくれば平気かも知れませんが、帰りはみんな閉演のパレードと花火を見てから帰るから、一緒になっちゃって。1時間以上、進まないことだって」
「問題ない」
「失礼を承知で言いますけど。警察庁のエレベーターも待ちきれなくて、毎度毎度8階の官房室まで階段を駆け上がってる薪さんが、どうやって渋滞を乗り切るお心算で? まさか、高速道路を歩いて帰ってくる気じゃないでしょうね?」
「そんなことするわけないだろ。高速道路を歩くのは交通違反だぞ」
 薪は可笑しそうに笑って、こともなげに、
「大丈夫だ。青木が同じ車に乗ってるんだから」

 ……それは……渋滞しようが軽快に飛ばそうが、青木と一緒にいることには変わりないから、という意味ですよね? そこまで口にしておいて、どうして自覚しないんですか? 頭悪いんじゃないですか?
 馬に蹴られたくないから、言いませんけどね。

「気に入りのCDと、飲み物は用意していくといいですよ。あと、車に乗る前に必ずトイレを済ませておくこと」
「うん、わかった。雛子さんにお土産買ってくるから。黄色いクマの、なんてやつだっけ?」
 薪が買ってきてくれたクマのぬいぐるみは、岡部の車に積んである。
 彼女はアレが大好きなのだが、岡部にはさっぱり理解できない。あの間抜け面のどこがいいのか、だいいち、どうして熊が黄色? 突然変異にしても、黄色はありえないだろう。
 そういえば、彼女の気に入りのネズミーキャラクターを薪が知ったとき『クマつながりだな』と言っていたが、あれはどういう意味……。

「いいえ、確定です。薪さん、彼女と話してるとき、赤くなってたし」
 後輩の淀んだ声に、岡部の思考は現在に帰る。
「薪さんが?」
 女性と話をして頬を染める、そんな初々しいひとでもないと思ったが。
「若い頃の失敗談でも蒸し返されてたんじゃないのか」
「話の内容を聞いたわけじゃありませんけど。嬉しそうに、照れ臭そうに笑ってて」
 職場では付いたことのない頬杖を付いて、青木はやるせなく訴える。その時の薪の表情を思い出しているのか、遠い目をして、
「オレ、薪さんのあんな顔見たの初めてでした。やっぱり、男のオレじゃダメなのかなあ……」
 そうは思えない。
 土産の人形を受け取ったとき、「ランドは楽しかったですか?」と訊いた岡部に、薪は「あれは子供の行く所だな」とシビアに返し、でも、「だから今度はシーの方へ行こう、って青木に言ったんだ」と、それはそれは楽しそうに答えたのだ。

「そんなに悲観的になることもないんじゃないのか? その女と薪さんの間に、まだ何かあったってわけでもないのに」
「励ましてくださってありがとうございます。でも、いいんです。薪さんは、見た目はああだけどノーマルで、男のひとには興味ないって、初めに岡部さんに言われましたものね」
 くすん、と鼻を鳴らして、未練いっぱいの顔をして、それでも青木は気丈に言った。
「薪さんがあの人と付き合いたいなら、オレの気持ちは迷惑なだけですから。きっぱり諦めます」
「おい、青木」

 どうしたものか、この展開は。
 岡部のカンでは、このふたりはお互いに特別な感情を抱いている。でも、薪の方はまだ自分の気持ちに自覚がない状態だし、青木は薪のそんな心情に全く気付いていない。このまま放っておけば、自然に消滅する可能性が高い。
 正直なところ、岡部は二人の仲が進展することには反対だ。青木の愚痴を聞いてやるのはやぶさかではないが、上司と部下が男同士で恋仲なんて、そんなフクザツな環境で仕事をしたくない。だから岡部は素知らぬ振りで、日和ったアドバイスをするしかない。

「まあ、相手の出方次第だな。早まるなよ」
 当たり障りのないことしか言えずに、その日は家に戻った岡部だったが、玄関のドアを開けて自分を迎えてくれた若すぎる母親に、薪からの土産だと言ってありえない毛色のクマのぬいぐるみを差し出したとき、それを受け取った彼女の笑顔を見て、自分の間違いに気付いた。
 彼らよりも遥かに許されない恋をしている自分ですら、好きなひとの笑顔を見られるのがこんなに嬉しい。
 男同士が何だ、上司と部下がなんだ。全身が震えるような歓喜、この幸福感を味わってこそ、生きる価値があるというもの。彼らはふたりとも、岡部の大事な友人だ。だったら、彼らの喜びを応援するのは人として当たり前のことではないか。

 小さなピンク色のくちびるを窄めて、のほほんとしたクマの鼻先にキスをしている年下の母親を横目に、岡部は上司の携帯に電話を掛けた。
「俺です。土産をありがとうございました。おふくろ、すっごく喜んでました」
『そうか。よかった』
「それでですね、おふくろが礼に、ネズミーシーのチケットをどうですかって。商店街の福引の景品で、ペアチケットをゲットしたんだそうです。薪さん、行きたがってましたよね?」
『気持ちだけ貰っておく。息子さんと二人でどうぞ、って伝えてくれ』
「それが、ペアチケットは2組ありまして。1組は誰かに譲る気だったんですよ」
『そうなのか? じゃあ、ありがたく貰うよ』

 電話を切ると、母親がイタズラっぽい眼で岡部を見ていた。
「まあ、ネズミーシーのペアチケットを2組も。わたしって、福引の天才ですのね?」
「……すいません」
 無断で彼女をダシに使ったことを岡部が素直に謝ると、雛子は薪にもらったクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、
「ふふっ。上手く行くといいですねえ、薪さんと青木さん」
「さあ、どうですかね」
 そんな未来のことまで考えてはいない。ただ、好きなひとの笑顔が見られればうれしいだろうと、そんな単純な思い付きから出た余計なお節介だ。お節介は岡部の悪い癖だが、これがなかなか治らない。あの手のかかるひとが自分の上司でいるうちは、快癒は望めないかもしれない。

「それより、腹ペコです。今夜はなんですか?」
「靖文さんの食べたがってた鯛めしにチャレンジしてみました」
 雛子がとびきりの明るい笑顔でパカンと炊飯器の蓋を開けると、中にはぐずぐずに崩れた鯛の身と、ところどころ黒くなったごはん。炊飯器でごはんを焦がせるのは、彼女の類まれなる才能のひとつだ。

 岡部が先日、料理番組で見た鯛めしとは大分違うが、一応は鯛が入っているのだし、味はいいかも、なんて甘かった。
「猫の餌みたいですね」
 てか、鯛の骨が刺さって口の中血だらけなんですけど。
「そうですねえ。こういうものなんでしょう」
 標準とは少々異なった味覚を持っている彼女は平気のようだが、岡部は焦げたごはんは苦手だ。内臓もウロコも全部混じってるみたいだけど、これって取ったほうが美味いんじゃないかな。やたらと生臭いし、ウロコはジャリジャリ言うし……。

「テレビでは、内臓とウロコは除いてあった気がしますけど」
「ええ、そこは工夫したんですのよ。内臓のおかげでごはんにコクと、鯛の鱗の心地よい歯ごたえが加わりましたでしょう? 狙い通りですわ」
「……そうですか」
 少なくとも、骨はごはんに混ぜないほうが安全だと思うけど。
「栄養面にも気を配りましたの。靖文さんのお仕事は、ストレスが多いでしょう? ストレスの緩和にはカルシウムを摂るといいんですって。だから骨ごと食べられるように長時間熱を加えて、そうしたらごはんがこんな風におこげ状態になりましたの」
 ごはんのおこげというのは表面がキツネ色の段階のものを言うんじゃないのかな。これは単なる炭じゃないのかな。苦いし。

 悶々と胸のうちで疑問符を重ねる岡部に、彼女は自慢そうに、
「初めて作りましたけど、なかなか美味しくできたでしょう?」
「…………はい」
 にっこり微笑まれたら、何も言えない。
 ごはんに混ざった無数の小骨を噛み締めながら、岡部は今度の定例会では薪に鯛めしをリクエストしようと心に決めた。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

渋滞してても青木が一緒だから平気なんて……ああっ薪さんっっ可愛いっっ(≧ω≦)

ランドデートが(1)だけで終わって少しさびしかったので
ぜひ、シーデートを少し長めに~
インディジョーンズの帽子をかぶってみる薪さんとか…
海底二万マイルで「子供の頃読んだ。今考えるとネモ船長ってテロリストだよな。」と逮捕を考える薪さんとか…

ランドでも毎日MRI画像を見てるのにホーンデッドマンションでビビる青木と平気な薪さん…
スプラッシュマウンテンで必要以上に水濡れから薪さんをかばってびしょ濡れの青木…
等々、妄想止まりません。

この際ダブルデート(岡部&雛子さん)も素敵っ
↑いや、大暴走ギャグにしかならないだろ~

まきまきさまへ

まきまきさん、いらっしゃいませ~。


> 渋滞してても青木が一緒だから平気なんて……ああっ薪さんっっ可愛いっっ(≧ω≦)

ありがとうございます♪
はい、それを意識してればかわいいと思いますが、完全天然だとただのバk・・・・・・(←さすがに、それは言ってはいけないと判断)
バカな子ほどかわいいんですよねっ! (←言ってんじゃん)


> ランドデートが(1)だけで終わって少しさびしかったので

そうなんですよ~~、
わたしも書こうと思って書き始めたんですけど、書けなかったの~~。
4月号の段階で書いたものですから、ラブラブなあおまきさんを妄想するのがつらくて~。 婚約解消は、雪子さんとの結婚式フラグだと思っていたので、めっさ落ちてたんですよ~。(^^;
今なら書けると思って、現在、薪さんと青木くんがペンションお泊りでラブラブの一夜を過ごす話を書き始めました。 シーデートも、そのうち改めて書けたらと思います。


まきまきさんの妄想、面白いです!
うんうん、やりそうです。
特に、「ネモ船長ってテロリスト」は言いそうです☆
ホーンデットマンションは・・・・・
実はうちの薪さん、幽霊嫌いなんですよ。 仕事のときは平気なんですけど、プライベイトでは超ビビリだったりして。


> この際ダブルデート(岡部&雛子さん)も素敵っ
> ↑いや、大暴走ギャグにしかならないだろ~

ぶははっ☆
カンチガイ大王頂上決戦、ここに! ってカンジですね。
それを苦労人の2人がフォローするんですね、楽しそうですね~!

筆者も思いつかないようなアイディアの数々、ありがとうございます!
自分の書いたものを、さらに妄想で広げていただけるなんて、書き手冥利に尽きます。
まきまきさんの豊かな想像力にちょっとでも近付けるよう、これからもがんばりますっ。
ありがとうございました。

Cさまへ

Cさま、コメントありがとうございます~。

これ、本当に言ったら大変でしょうね!(>ε<)
あ、でもね~、
わたし、5巻で薪さんが死蝋化死体を前にして、「セミよろしく」と始まったとき、
真顔で冗談を言ってるんだわ、お茶目さん、と思ったら青木さんが 
『このひとは冗談は言いません』 って、えっ、じゃあマジで言ってたの? 薪さんてバ・・・・・・・(寒気)
命の危険を感じたので、この話はこれまで。

笑ってくださって嬉しかったです。(^^
ありがとうございました。

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
文字サイズをお選びください
最新記事
最新コメント
拍手のお返事
いつもありがとうございます!

最新拍手コメのお返事はこちらです。

過去の拍手レスの確認は、該当記事の拍手欄を押してください。
鍵拍手コメのレスは、記事のコメント欄にお返しします。
月別アーカイブ
カテゴリ
詩 (1)
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
こんにちは(^^
現在の閲覧者数: