天国と地獄6 (2)

天国と地獄6 (2)




「僕が? 青木とキス? まさか」

 岡部の前で美濃部焼きのぐい飲みを傾けながら薪は、笑えない冗談はやめろ、とばかりに細い手をひらひらと振った。
 狂乱の一夜が明けて、一人残らず重度の二日酔いに悩まされても、3日も経てばその辛さを忘れる。人間の脳は、目先の快楽に弱くできているのだ。
 そんな都合のいい脳に踊らされて、今日はいつものように薪と二人、馴染みの小料理屋で静かに杯を傾けている岡部である。

「いくら酔ってたとはいえ、僕がそんなことするわけないだろ」
「第九の全員が証人ですよ」
 薪に先日の出来事を事実として認識させようと、岡部はできるだけ重い口調で言った。
「薪さん。そろそろ自覚されたらどうですか?」
 いくら酔っていたとはいえ、好きでもない相手にキスはしない。相手が女の子ならともかく、男相手にはしない。普通の男なら絶対にしない。
 薪は普通の男だ。だから、あのキスは座興のノリではなくて、きっとこういうことだ。
「昨日のあなたの行動は、酔って制御を失って、いつもは抑制していた感情が表面に表れたとしか」
「分かってるさ、自分のことくらい。おまえに言われなくても」
 岡部が薪の行動に説明をつけようとすると、薪はぱっと頬を赤らめて、恥ずかしそうに横を向いた。

 この反応は、もしかして。
 薪は、自分の中に芽生えた青木への気持ちを認めたのか。

 事前に打ち明けてはもらえなかったことは残念だが、薪が自分の恋情に気付いたのは嬉しい限りだ。青木がどんなにか喜ぶことだろう。
 恋に一途な後輩の喜びに輝く笑顔を想像して岡部は、自分でも驚くほど優しい気持ちになり、早くそれが現実のものになることを願う。
「そうですか。じゃあ、早いとこ青木のやつに伝えてやったほうがいいですよ」
「……いやだ」
 くちびるを尖らせてぼそりと呟く、そんな薪の様子を見れば彼の恥じらいは嫌でも伝わってきて。12歳も年下の自分の部下を好きになってしまったなんて、それは確かに薪にとっては他人にも相手にも知られたくないことだと察せられるが、ほんの少しの勇気で幸せになれる人間が二人、確実に増えるのだ。ここは自分が薪の背中を押してやらなくては。

「照れくさいのは分かりますが、青木もあなたと同じ気持ちでいると思いますから」
「まあ、そうだろうな。あいつも女には縁がなさそうだし」
「そうですとも。……はあ?」
 なんだか、微妙なニュアンスの違いを感じる。女に縁がない、つまり、薪は青木のことをゲイだと思っているのだろうか。青木は女を愛せないのではなく、薪のことが好きでたまらないだけなのだが。

「昔、特別承認を受けたとき監察に引っかかっちゃってさ。その時は厳重注意で済んだけど、それからそういう店に出入りできなくなっちゃって。だから何年もご無沙汰でさ」
 遠くの空に暗雲が見えたような気がして、岡部は顔を引き締める。忌まわしい黒雲からはバチバチと電気のはぜる音がして、それが地表に落ちてくるときには必ずと言っていいくらい、岡部を虚脱状態に陥らせるのだ。

「欲求不満が高じて、酔ったはずみにそんなことをしちゃったんだな」
 ほーら、落ちてきた落ちてきた。予想はしてたけど、あー、タルイ。

「青木には悪いことした。男にキスなんかされて、凹んでるだろうな。謝らなきゃ」
「いや、止めたほうがいいです。薪さんに謝られたら、一気に凹みます」
 宴席の戯言とはいえ、薪にキスしてもらえたのが嬉しくて地に足が着いていない状態の青木に薪の今のセリフを聞かせたら、地球のコアまで落ちていきそうだ。
「だよな、思い出すのも苦痛だろうな。そっとしておいた方がいいか」
 真面目に青木の身を案じる薪の様子を見て、岡部は何とかして薪に自分の本心を悟らせたいと思う。青木は薪のことが大好きで、薪だって自覚はないけど彼のことが好きで、だったらこのままでいい訳がない。それに、酒宴の席のこととはいえキスまでしておいて進展ゼロなんて、いくらなんでも青木が可哀相だ。

「そうじゃなくてですね、青木は薪さんのことを」
「よく覚えてないけど、いよいよ末期症状だな。きっとそのときは、青木が女の子に見えたんだろうな」
 あ、なんか一気に虚脱感が……青木の巨体が女に見えるようだったら、それは完全に脳の病気だと思いますけど。
「でも僕はもう、そういうことしないって決めてるし。仕方ない、また脇田課長に頼むか」
 薪はさっさと液晶画面の向こう側の恋人の算段をすると、携帯電話を取り出して、5課の課長に連絡を取った。

「すみません、脇田課長。明日、あのビデオ貸してもらえます? そうそう、僕好みの可愛い女の子が色んな男に×××されちゃうやつ。え、もっとスゴイのがある? ……え! そんなことまで、しかも電車の中で?!」
 ああ……そんな目的でも薪さんの瞳はキラキラと子供のように輝くんですね。途中から正座して、きちんと背筋を伸ばして会話をされているのはどういう心理状態なんですか……?
「い、今から借りに行ってもいいですか?」
 涙出てきた……。
「じゃあな、岡部!僕、急用ができたから!!」
 …………すまん、青木。不甲斐ない先輩を許してくれ。



*****



 翌日、出勤してきた室長の顔を見て、岡部は思わずその場に膝を付きそうになった。
 目は赤く、腫れぼったく、頬は心なしか削げて青い。朝シャワーを浴びる時間がなかったと見えて、いつもなら眩しいくらいにきらめく天使の輪が、徹夜明けの鈍い輝きになっている。
 彼の後を追って室長室へ入り、ミーティングにかこつけて、岡部は呆れた声で言った。

「薪さん……高校生じゃないんですから」
 脇田が貸してくれたビデオがどれだけ好みの内容だったか知らないが、何もこんなに憔悴するまでしなくたって。
「僕の寝不足の理由は、おまえが考えてるような単純なものじゃないぞ」
 不機嫌な声で返されて、岡部は改めて薪を見た。
 薪はとても難しい顔をしていた。何か仕事上のトラブルでも起きたのだろうか。
「何かあったんですか?」
「あったって言うか、できなかったって言うか」
「できなかった?」
「……岡部。僕、ちょっとおかしいのかも。医者に行ったほうがいいのかな」
 途切れ途切れの言葉と、薪の落ち込んだ様子から推察するに、どうやら昨夜、せっかく借りたビデオが役に立たなかったらしい。いや、役に立たなかったのは薪のほうか。

「そんな、医者なんて大袈裟な。よくあることでしょう」
「ええええっ!!??」
 驚きの声を上げながら薪は、慌てて自分の口を両手で押さえる。室長室のドアを見て、そこから誰も入ってこないのを確認すると、今度は声を潜めて、
「そ、そうなのか? 岡部にもそんな経験があるのか?」
 そんなに驚くことだろうか。40近い男なら、誰もが経験していることだと思うが。
「ありますよ、もちろん。あんまり人に言えた話じゃないですけどね」
 内容が内容だけに、岡部はさすがに照れて笑った。
「だけど、そんなに気にすることはないですよ。ちゃんと休養をとれば、すぐに元に戻りますから」
「そうか、そうなんだ。別に珍しい話じゃないのか」
 岡部が一般的な解決方法を述べると、薪はホッと安堵の表情を浮かべて、青白かった頬に僅かばかりの朱色を刷いた。この年になるまで役に立たなかった経験がないなんて、薪は外見も若いが、中身も若いらしい。しかし見かけによらないな、と岡部は思った。あまり浮いた話を聞かないから、てっきり淡白な人だと思っていた。

「よかった、安心した。×××するときに男のことなんか考えたの、生まれて初めてだったから」
「ええ、よくある話……はっ!?」
 今なんて!?
「そっかー。岡部も経験あるのかー」
 ないです! 断じて!!
「ちょ、ちょっと待ってください。男って、だれの」
 言いかけて岡部は、薪がそんな気分のときに思い浮かべる可能性のある男はこの世にひとりしかいないことに気付き、口を噤む。案の条、薪は恥ずかしそうに俯いて、相手の名前を躊躇いつつも口にした。

「だって青木が悪いんだ。こないだ一緒にAV見て、僕がそうなったときに『お手伝いしましょうか』なんて言うから。つい、想像しちゃって」
「そんな失礼なことを言ったんですか!? 青木のやつ」
 責める口調で言ってしまって、しかし岡部は直ぐに思いなおした。薪が自分の前でそんな状態になれば、青木も平静ではいられなかっただろう。その状況を我が身に当てはめてみれば岡部だって健康な男、青木の気持ちは痛いくらい解って、だから岡部は青木のことをフォローしようと彼の信用を回復するプレゼンテーションを必死で考える。そんな岡部の心中を知ってか知らずか、薪は自慢げに言った。

「なんだ、知らないのか、岡部。体育会系の部活動では、先輩の×××のお手伝いは当たり前のことなんだぞ」
 ……誰に教わったんですか、そんな三流BL本の中にも存在しないような常識。
「って、僕も脇田課長からの受け売りだけど」
 あの鬼瓦か。次の武闘大会で息の根止めてやる。しかし、どうしてこのひとって、事件以外のことだとこんなに簡単に騙されるんだろう。
「そんなことも厭わないくらい、僕のこと尊敬してくれてる証拠だって」
 なんだろう、涙が出てきた。薪も青木も、なんだかすごくカワイソウなひとに見える。
「そうか、よくある話か。あんなにかわいい娘が×××してるのに、全然その気にならなくて、なのに青木の『お手伝い』を想像したら急に……だから僕、異常なんじゃないかって不安になって。
 あーあ、悩んで損した。昨夜は一睡もできなくてさ。昨夜のうちに、おまえに相談すればよかった」
 そしたら俺も一睡もできなかったでしょうね……。

「ところで岡部」
 ふと気付いたように、薪は右手の拳を口元に持って行き、上目遣いのくりっとした瞳で岡部を見上げた。青木だったらここで宙を舞うんだろうな、と思いつつ、なんですか、と目で尋ねる。
「おまえが思い浮かべた男って誰?まさか僕じゃないよな?」
「……カンベンしてください……」
 今夜は一睡もできなくなりそうな岡部だった。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Cさまへ

Cさま、コメントありがとうございます。
お返事遅くなってスミマセンでした~~。


誰がしたのかと問われれば、それはわたしですと答える他はありませんが~~、(^^;
でもCさまご指摘の通り、面白いでしょう?(笑)


そうですね、男爵シリーズは岡部さんに頑張ってもらわないと。 彼がいなかったら、あおまきさんくっつかないです。

て、ちょっと待って。
本編では雪子さんがいないとダメで、こっちでは岡部さんがいないとダメなの?
うちのあおまきさんて、自力でカップルになれないの!?
・・・・・・・・なんだかなあ。(笑)

Aさまへ

Aさま、こんにちは。
お返事、こってり遅くなってすみません~~。


>ひーっ、おかしすぎますーっ。さすがこのシリーズの薪さんは勘違い大王ですねっo(≧∇≦o)。

笑っていただけてうれしいですっ!
男爵シリーズはもともと、わたしが原作の展開で落ちるたびに書いてたリハビリシリーズなんですよ。 だから、どこまでも笑いを重視していて、そのために矛盾点も突っ込みどころも満載なんですけど~、「ギャグだから」の一言でオールグリーンかなって。(笑)


青木くんのお手伝いを想像している薪さん、ですか?
男爵では色事のシーンは書けないと思ってたんですけど、先日、面白いものを見つけまして。 これをネタに書いてみようかな、と思ってます。
目指せ笑撃のR!!


>このカップルがどう紆余曲折を経てハッピーエンドになるのか、続きを楽しみにしております(^-^)/。

ありがとうございます。
ギャグなんでね。 さらっと安易にくっつけちゃいました。
こちらの薪さんは、本編の薪さんほど余計なことを考えないし、プライドも高くないので。 男同士と言う関係にさほど抵抗もないみたいです。
この話のラスト、Aさまに喜んでいただけたらうれしいです。(^^

Mさまへ

Mさま、こんにちは~。
お返事、がっつり遅くなってすみません!


> 男爵薪さんに恋心を自覚させるには、本当に“青木と一緒にいると楽しい事由書”を800字以内にまとめさせた方がいいのでは?

そうですねえ。
『苛めると楽しい』とか『コーヒーが美味い』とか『高いところの掃除に便利』とか書いてきたらどうしましょう。 商品のセールストークみたいになってたらどうしましょう。 ありそうで怖いんですけど。(^^;


> >そんな目的でも薪さんの瞳はキラキラと…
> のあたりで笑いました

ありがとうございます。
あそこはわたしも読み直して自分で笑いました☆
Mさま、笑いのツボ、ご一緒ですねっ。


> >12才も年下の自分の部下を好きになってしまったなんて、それは確かに薪にとっては他人にも相手にも知られたくないこと
> のあたりは原作の薪さんがそう思ってそうです

ああ~、思っているかも~~。


> そして“ほんの少しの勇気で幸せになれる人間が2人確実に増える”のにっ!
> と思いながら見守っている私達(≧▼≦)
> 『秘密』ってある意味『君に届け』よりもどかしいですよね~(←しみじみ)

ええ、もう!!
『君に届け』もねえ、一番のネックは爽子自身の考え方の問題で、自分なんかが風早くんに好かれるはずがない、と思い込んでいるのがすれ違いの原因なんですよね。 
薪さんも、そう思っていそうで・・・・・・薪さんて、自分が愛されることに関しては、とってもネガティブなんじゃないかなあ。
貝沼事件の原因となった自分には他人の愛を受ける資格はない、とか、青木のように明るく素直で真っ直ぐな人間に自分のような人間が愛されるはずがない、とか考えていそうじゃないですか?
だから放っておけないんですよねえ。 で、ついつい書いちゃう。 二次小説を書いたところでどうなるものでもないんですけどね。(-◇-; 


> メロディ4月号の
> 「何故青木の姉夫婦を惨殺する事があなたへの『警告』になるんです?」
> 当然浮かぶ僕を苦しめるような疑問は岡部はわざわざ口にはしなかった。
> ↑で、薪さんが青木くんを好きな事って、敵方に伝わるほどバレバレなのかっ
> 分かってないのは青木だけで、敵に伝わるくらいなら第九メンバー全員にバレバレなのかっ
> そんなっコメディ過ぎるっ(◎-◎;)

えっ、わたし、真面目にこれだと思っ・・・・・・・ちがうの?


> と一瞬思ったんですが、フツーに考えてカニバリズム事件を青木が“自分も見た”って言っちゃったせい
> または、薪さんの過去話の伏線ですよね

ですね。(^^;
お姉さん夫婦が殺されたのって、青木さんの「オレも見ました」発言のせいですよね。 薪さんは悪くないの。 薪さんは、ずっと大人しくしてたんだもん。 警告されるいわれはないはず。
あら? じゃあ車にバクダン仕掛けられたのはなぜ?
と思った時に、バクダンが薪さんへの警告で、夫婦惨殺は青木さんへの警告なんじゃないかと思いました。

だけどさー、本職の殺し屋さんなら、青木さんを直接殺したほうが話は早かったと思うのね。 で、その脳に『おまえの舌を引っ込めろ』とやれば、薪さんへの警告にもなるじゃん。 なんでそうしなかったのかな~。
まあ、そのおかげであおまきさん成立したとも言えるけど・・・・・・・はっ。 もしかして、犯人グループもあおまきすとなんじゃ!? ←ヤメロ。


> (1)で1人平然とビールを飲んでいた宇野さんが気になります。

そうそう、実は宇野さんは何となく、二人の関係に気付いているのですよ。 その上で黙認している。
本編のキャラ設定が残っているので、休日出勤の時に中庭で一緒にお弁当食べてる二人を見てたりしてね。 で、第九のみんなが『あれ?あの二人ってもしかして』となったときに、『今ごろ気付いたのかよ、おまえら』みたいなカンジでシニカルに言わせたい。 
まあ、この先を書く気はないので、わたしの頭の中だけのことになりそうですけど。(^^;


それと、
きゃーーーー!!! ありがとうございますーー!!!
はい、確認してまいりました! 今から楽しみですーー!!

辻村さんの情報もありがとうございます。
おお、その設定はまさに薪さんと鈴木さんのためにあるような!! って、ついつい秘密に変換しちゃいますよね~。(^^;
ぜひ機会を作って読んでみたいと思います。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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おかげさまで8歳になりました(^^♪
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