天国と地獄6 (4)

天国と地獄6 (4)





 金曜日の夜、薪の自宅で行なわれる定例会に、岡部は出席しなかった。
 母親と約束がある、とのことだったが、もしかしたらそれは嘘かもしれない。薪に不参加の理由を述べたあと岡部は、「今夜が勝負だぞ」と小さな声で青木に言った。「思い切ってぶつかってみろ」と囁かれて、青木は不思議そうに首を傾げた。
 週末の夜をふたりで過ごすなんてチャンスには違いないが、あの薪が相手では期待はできない。例え一緒のベッドで夜を明かしてさえも、薪が青木を意識してくれることはない。青木が男だからだ。
 その事実を岡部は知っているはずなのに、どうしてそんな叶いもしない期待を抱かせるようなことを言うのだろう?

 その疑問は、二人で作った青椒肉絲がふたりの胃袋の中に綺麗に収まった後、解消する兆しを見せた。
 食後、いつものように青木が薪専属のバリスタに変身すると、薪は今日に限ってダイニングの椅子に座ったまま、頬杖をついて青木のする様を見つめていた。いつもならさっさとリビングに移動してしまうのに、今日はどうしたのだろう。
 やがてコーヒーのいい香りがキッチンに立ち込め、白いマグカップに注がれた青木の真心が薪の手に渡された。
「はい、どうぞ」
 
 マグカップを両手で受け取って、薪は青木の顔をじっと見た。薪のつややかなくちびるは何かを言おうとして開かれ、しかし言葉を発せず、代わりにコーヒーを含んで閉じられた。
 薪がその場でコーヒーを飲んでいるので、青木も向かいの席に座って自分のコーヒーを飲み始めた。香気と湯気の向こうに、薪の整った顔が見える。蛍光灯の白い光に照らされて輝く亜麻色の髪と、伏せられた長い睫毛。きれいだな、と青木は思い、こうして彼を見ることができる、その幸せをしみじみと噛み締める。

「岡部に聞いたんだけど」
 唐突に、薪は切り出した。空になったマグカップを両手で弄び、瞳はカップに据えられたまま、握ったり傾けたりしている。
「こないだの宴会のとき、僕、おまえにキスしたんだって?」
「え。岡部さんが言ったんですか?」
 薪が気にするからナイショにしておこうって仲間内で決まったのに、それを副室長が破るなんて。ていうか、岡部らしくない。薪の憂いを増やすことを一番嫌がるのは彼なのに。

「悪かったな。酒の席のこととはいえ、ヘンな真似して」
「いいえ!」
 ヘンな真似なんかじゃない。薪にとってはそうかもしれないけど、青木にとっては3億円の宝くじが前後賞付で当選するよりラッキーな出来事だった。
「オレ、すっごく嬉しかったです。何度も言いましたけど、オレはあなたが好きですから。だから薪さんにキスしてもらえて、すごくうれしかったです」
「そこが理解できないんだけど。男にキスされて、うれしいのか」
「はい。相手が薪さんでしたから」
 薪の質問にストレートに答えるなら、答えは否となる。青木だってその辺の男にキスされたら、おぞましさに卒倒するだろう。でも、相手が薪だったから。性別なんか関係ない、この世でたったひとり、青木を狂わせるひとだから。

「青木、おまえ」
 率直に返ってきた青木の言葉に、薪は目を瞠る。マグカップを弄ぶのをやめて、両手をテーブルの上に置き、すっと背筋を伸ばした。
「今まで気が付かなくて悪かった、おまえ本当は」
 そうです、そうなんです。
 オレはずっとずっと前からあなたが好きで、性別だとか年齢だとかそんなものはどうでもよくなるくらいにあなたが好きで。でも何度その気持ちを訴えてもあなたは真面目に取り合ってくれなくて、だけどそんな仕打ちすらもあなたを愛しく思う要因のひとつになるほどに――――― オレはあなたに夢中なんです。
 青木の真剣な眼差しに応えるように、薪は職務中に負けない真面目な顔で重々しく言った。

「女の子だったのか」
 ………………。

「身体が大きいから、その可能性に気付かなかった。悪かったな、酔ったはずみとはいえキスなんかして」
「もういやだ―――!!!」
 テーブルに突っ伏してオイオイ泣く青木に、笑いを含んだアルトの声が降ってきた。
「冗談だって。本気で泣くなよ」
 冗談に取れないんですけど! 今までの経歴が輝かしすぎて、全然冗談に思えないんですけど!

 シュールすぎて笑えない冗談を飛ばした後、薪は神妙な顔つきになって、テーブルの上で両手を握り合わせた。細い手首と小さな両の拳に、ぐっと力が入っている。それからしっかりした声で、青木の目を真っ直ぐに見て、薪は言った。
「僕の主張は撤回する。同性間にも恋愛は成り立つと認める」
 薪の言葉は青木の聴覚を経由して、彼の脳にゆっくりと沁み込んだ。何度打ち砕かれたか数え切れない青木の告白たち、でも彼らの犠牲は決して無駄ではなかったと、そして薪のことを思い続けてよかったと、青木は心の中でそっと過去の自分を褒め称えた。

「やっと、オレの気持ちをわかってくれたんですね」
「そうじゃなくて」
 まだ納得しないのか、てかここから理論を覆すつもりか。いったいどんなウルトラQが来るのかと身構えた青木の耳に、薪の諦めたような声が聞こえた。
「僕、おまえのこと好きみたいだ。友だちとしてじゃなく」
「ほえっ!?」
「……あんまり間の抜けた声を出すなよ。本当のバカに見えるから」
 いや、だって!
 今、何て言いました!?

 自分の耳が信じられない。脳がフリーズして、言葉の解析ができない。喋るどころか、まともに声も出せない。
 喉の奥に緩衝材の塊がつまったみたいになって、空気は微かに通るけれど充分ではなく、だから呼吸もかなり苦しい。心臓はバクバクいってるし、こめかみはドクドク脈打ってるし、てか、血管切れそうなんですけど!マラソン大会のラストスパートよりしんどいんですけど!

「あ、あのっ。薪さん、あのっ……!」
 声がつまる。言葉が出てこない。

 オレも好きです、ずっと前から大好きです。
 心臓が爆発しそうにドキドキしつつも、これまではちゃんと言えたのに、どうしてこの大切な局面で舌がもつれてしまうのだろう。あんなに恋焦がれ続けたものがこの手に入るかもしれない、いざとなったらそのとてつもない幸福に臆してしまったのだろうか。

 絶対に諦めない、諦めきれないと思いつつも、心のどこかで諦めていたのかもしれない。
 見かけはアレだけど薪はノンケで、男の自分を恋愛対象として見てくれる事はないと分かっていた。プライベート時の勘違いと思い込みは凄まじいけれど、薪は自分とは比べ物にならないくらいレベルの高い人間だと知っていた。彼の仕事ぶりは天才の称号に相応しく、彼が成し遂げた偉大な功績に対する当然の帰結として数々の最年少記録を更新中。加えて、他の追随を許さないこの美貌。そんなすごい人が自分のことを唯一無二の相手として求めてくれるなんて、夢に見ることはあっても現実になるとは思っていなかったのかもしれない。
 それをいきなり目の前に差し出されて、青木の言動は空回りを繰り返す。薪が自分の気持ちに応えてくれる場面をあれだけ空想していたのに、だけどそれはあくまでも妄想に過ぎなくて、きちんと計画を立てていたわけではないから、どう動いていいのか分からない。

 強烈な戸惑いから金縛り状態にある青木に比べて、薪は冷静だった。この辺は、度量の差か。過緊張の経験は、マスコミにも慣れている薪の方がずっと上だ。
 滑らかな動作ですっくと立ち上がり、テーブルを迂回して青木の方へ歩いてくる。テーブルの上に置いた拳を握り締めたまま身体の向きを変えることもできず、眼だけで薪の姿を追って青木は、自分の横に立った薪と不自然な形で見つめ合った。
「今も、おまえとキスしたい、って思ってる。こないだみたいな戯事じゃなくて、ちゃんとしたやつ」
 大きな拳に、ほっそりした手が置かれる。片方の拳を両手で覆われ、前方を向いたままの青木の顔に合わせるように、類稀なる美貌が目前に回り込んできた。

「恋人のキスがしたい。おまえと」
 青木の手を包んでいた薪の手が離れ、青木の後頭部に回された。薪の動きは素早く、先日と同じように気がついたら唇を奪われていた。薪の長い睫毛が視認できないほど近くにあって、青木に見えるのは首を傾けた薪の左の眉と青みがかった目蓋。やわらかいくちびるの感触と、薪の匂い。
 アルコールの匂い以外は、先日の酒宴と変わりなく。だけど。
 ふたりのくちびるは、今日はいつまでも離れなかった。




(おしまい)



*****


 ということで、二人はめでたく恋人同士に。
 本編もこれくらいお気楽だったらよかったのにね~。(^^;


 この下はオマケです。
 ええ、男爵ですから……あ、ロマンチックなお話がお好みの方はご遠慮ください。




*****


 オレが自分を取り戻したのは、数十分後。
「おまえも入ってくれば?」と肩を叩かれて、ハッと振り向いたら薪さんが風呂上り定番の腰タオル姿で立っていた。

 いつもと変わらない薪さんの態度に、今のはやっぱり夢だったのか、妄想と現実の区別がつかなくなってるのか、そろそろ精神科医の門を潜るべきかなどと考えつつ、心の隅に安堵を覚える。でも薪さんはタオルで髪を拭きながら、自分の腕で顔を隠すようにして、
「ベッドで待ってるから」
 細い腕の隙間から薪さんの顔を見れば、いつものポーカーフェイスはどこへやら、大きな瞳をウロウロさせて柔らかそうな頬を赤くして、戸惑って緊張しているのは自分だけじゃない、薪さんだってテンパッているんだと分かって、そうしたら何だかすっと気持ちが楽になった。

 風呂に入って温かいお湯の中で、これからのことを考えた。
「恋人のキスがしたい」と薪さんは言ったが、中学生じゃあるまいし。大人にはこの続きが許されていることを、薪さんもオレも知っている。

 約束どおり、薪さんはベッドでオレを待っていてくれた。
 オレの姿を認めると同時に、薪さんはぎこちなく笑った。身体には毛布が掛かっていたけれど、薄ピンク色の肩がむき出しになっていて、その下の姿が想像できた。
 ベッドの上に起き上がり、腰の辺りを毛布で隠した薪さんからは、ぴりぴりとした緊張感が感じられ、それを懐柔するためにオレは彼を抱きしめて、亜麻色の頭髪に頬ずりした。

 湯上りのやわらかく湿った薪さんの肌に触れて、その体温を感じたら愛おしさが込み上げてきた。薪さんの背中はすべすべしてしなやかで。皮膚の下にしっかりとした筋肉は感じられるものの、それは不快ではなく。これが現実のものだと悟らせて、オレの気持ちを昂ぶらせた。
 薪さんがしたがっていた恋人のキスを、今度はオレのほうから仕掛けて、その甘い感覚に酔いしれる。何度も繰り返すうちに早くなってくる互いの呼吸と、自然に相手の身体をまさぐる男の本能に導かれた手。
 薪さんもオレも男だから、どちらも受け身ではいられない。女性にする方法しか知らないオレたちは、二本の手を動かして互いの肌を擦りあった。

 オレはあのときのことを、今でも忘れていない。
 それは初めて薪さんのすべてを見たという感激と、心に深く深く刻まれたその直後の体験のせいだ。

「先に進んでもいいですか?」
「……うん」

 オレはバスローブを脱いで床に落とし、薪さんの細腰にまとわりついている邪魔な毛布を取り払った。
 お互い下肢を顕にし、昂ぶりを確認し。
 確認し―――――。
 ―――――――――――――――― ………………。

「薪さん?」
「グロッ! キショ!! やっぱムリ!!」
 それを見た瞬間、薪さんはオレに枕を投げつけると、部屋を飛び出していった。

「…………薪さんの嘘吐き……」
 薪さんの恋人になるには、まだ先は長そうだった。



(本当におしまいです)




(2010.8)



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Mさまへ

Mさま、こんにちは~!

わははは、本編よりロマンチックですか~!?
「グロッ、キショッ、やっぱムリ!」がですか~?
どんだけずっこけてたんだよ、本編! と思って見直したら、薪さんの痔疑惑が・・・・・・・・ひーどーいー!!! こりゃーひど過ぎるよーー!! げらげらげら☆ (←誰が書いたんだ。 しかもげらげらって)

ふふふ、今ね、男爵でRができないか、ちょっと試してる最中なんですよ。
ちょっと面白い(?)ネタを仕入れたんで~、男爵ならではのギャグR!!
お楽しみに~~♪

Aさまへ

Aさま、こんにちは~。


> キャー、やっと両思いにー。青木、おめでとうっ!

ありがとうございますー!
けっこう引きましたけどね、本編に比べたら苦労のうちに入らないと思います。(笑)


> 青木のは同性から見ても、

わははは、というか、その状態の男を見るのは初めてだったんでしょうね。
自分も含めて、そんな場面をマジマジ見ることなんか、普通はないでしょう?


ところで、Aさまのご心配ですが、
・・・・・・・・・・・・・・遠からず、当たってます。
攻守についてはどっちも譲らず、一時は脅されて青木さんが受けることになるんですけど、いざとなると薪さんは役に立たず(←男の身体には反応しない) 最終的には薪さんが受けるんです。(^∀^;
まったく、カンチガイ男爵様にも困ったもんです。(笑)


プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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