緋色の月(16)

緋色の月(16)




 初めて見る天井だった。
 斑にぼやける意識の中で薪はそれを視認し、しかしすぐに彼の瞳は男の唇にふさがれた。

「薪さん、始めるよ」
 精神科医の声が聞こえた。声の方向に頭を倒すと、東条と目が合った。彼は床に屈み、リクライニングチェアに横たわっている薪に高さをあわせ、彼の顔をじっと見ていた。
 身体は動かせなかった。両手が肘掛けに包帯で縛られ、両足首は自分のベルトで一つに結わえられていた。声も出せなかった。布のようなものを口に押し込まれ、その上から紐のようなもので縛られていた。

 意識が明確になるに従って、薪は自分の置かれた状況を正確に理解し始めた。
 やばい。殺人犯に捕まった。

 自分を拘束した時点で、薪は東条の有罪を確信した。こいつが二人を殺したのだ。青木に罪を着せたのも、この男だ。
 おそらく彼は、自分たちが公園でしていたことを目撃していた。あの場所に、彼もいたのだ。そして自分たちが立ち去った後、草叢に落ちた青木の精液を手に入れた。それを被害者の女性に注入したのだ。
 彼は医者だ。急患に備えて、最低限の医療器具は常備しているのだろう。昨日薪と偶然会ったときも往診カバンを持っていたし、夕方からの聞き込みのときもカバンを手放さなかった。一昨夜も持っていたとして、不思議はない。

「最近、調子はどう?」
 診察室で訊くのと同じように尋ねられて、薪は不快感を露にする。猿轡をした相手にカウンセリングなんて、完全に遊ばれている。薪がくぐもった唸り声で不満を訴えると、東条は苦笑して、薪の呼吸を不自由にしている拘束物に手をかけた。
「そうだよね、これじゃお喋りできないよね。大きな声を出さないって、約束できる?」
 薪はコクコクと頷いて、でも大人しくする心算は毛頭ない。犯人を捕まえるためなら、薪は手段を選ばない。犯罪者との約束なんか破るためにあるのだ。
 が、次の瞬間、薪は心の中で自分の主張を必死で撤回する羽目になる。東条が、診療カバンから刃物を取り出したのだ。

「ちょっと強く縛りすぎちゃって、解けないから。じっとしててね、薪さん」
 それは、昨夜台所で使った万能包丁だった。自分が研いだ包丁の切れ味を自分の肉で試すなんて、冗談じゃない。
 東条は、薪の口を縛った紐をスパリと切り、薪の唇を解放すると、包丁を布に包んで診療カバンに戻した。薪の口を縛っていたものは包帯で、中に入っていたのはガーゼだったが、それもきちんと折りたたんでカバンに入れた。薪がここで拘束されていた証拠を残さないように、気をつけているらしい。
 警察の科学捜査を舐めるな、と言いたかった。風呂の排水溝に残った髪の毛一本からでも、自分のDNAは検出できる。この時代に完全犯罪なんかありえない。
 それを諭して、彼に自首を勧めようと思った。本音では死刑にしてやりたいけれど、自分は警察官だ。犯罪者に正しい道を示すのも、仕事のうちだ。

「おまえがやったんだな」
 薪が鋭く訊くと、東条は「なにを?」と無邪気に返してきた。
「空とぼけても無駄だ。公園内に落ちていたストラップは、鑑識に回すよう頼んでおいた。指紋の照合が済めば、警察がここに来るぞ」
「そうなんだ。じゃあ、あんまり時間はないんだね。残念だな」
 東条は不満そうに唇を尖らせ、肩を竦めた。これは犯行を認めたことになるのだろうか。
 警察が来ると聞いても焦った様子のない東条に、薪は不吉なものを感じた。捕まることを怖れていない、そういう犯罪者は厄介だ。彼らの半数は自棄になり、もう半数は何らかの覚悟を決めていることが多い。

「なぜだ」
 彼の心理状態を把握しようと、薪は東条に話しかけた。カウンセリングのスペシャリストに精神分析を試みようなんて、滑稽だが仕方ない。決定的な証拠はないのだから、東条の自白を取らなかったら青木は留置所から出られない。

「何故あんなことをした。彼らに何か恨みでもあったのか」
「別に。恨みなんかないよ。あそこで会うまで彼らの顔も知らなかった。ていうか、ごめん、今も憶えてないや」
「じゃあどうして」
「君があそこに残してくれたものを、彼らが台無しにしたからだよ」
 東条の指先が薪の襟元にかかり、ワイシャツのボタンを外した。慣れた手つきだった。

 なにをする気だろう、と薪は不思議に思い、訝しげに彼を見上げた。
 自分を殺す気なら、失神していた間にいくらでもやれたはずだ。そのほうが手間も掛からないし、確実に息の根を止められただろう。それをわざわざ薪が意識を取り戻すのを待って猿ぐつわまで解いて、もしかしたら東条はサディストなのかもしれない。薪が死の恐怖に怯える様を見て楽しみたいのかも。

 的外れな予想に、薪は身を硬くする。彼が自分に性的な欲望を抱いているとは、露ほども考えなかった。
 薪は人の好意に鈍感だ。昔、青木が半年もの間薪への気持ちを暖めていたのに、好きだと告げられるまで、ちっとも分からなかった。毎日顔を合わせる部下相手ですらその調子だったのだ。月に一度くらいしか接触を持たない精神科医の想いになど、気付くはずもなかった。

「あの夜の君は、とてもきれいだった。この世のものとも思えなかったよ」
 東条は夢でも見ているようにうっとりとした瞳をして、それはあと何時間かで警察が自分を捕らえにくるという追い詰められた彼の状況にまるでそぐわなかった。
「あそこには君の残像が、匂いが、息遣いが残っていたのに。それは君が僕に残してくれたものだったのに、あいつらはその上で汚らしくまぐわって」
 東条の言っていることは、薪には半分くらいしか理解できなかった。特に『君が残してくれたもの』の意味がわからない。自分があそこに捨てたのは、青木の精液と羞恥心だけだ。
 とにかく、東条は彼らが薪たちと同じ場所で行為に及んだことが許せなかったらしい。しかしそれは、薪には全く同調できない殺意の理由だった。

「そんなことで?」
「残像とはいえ、君を穢したんだよ。許せるはずがないだろう?」
 ワイシャツのボタンがすべて外され、彼の手が薪の胸にあてがわれた。心臓の場所を確認されているのだ、と薪は思った。
 きっと東条はさっきの包丁を用いて、薪の身体を切り刻もうとしているに違いない。人を生きたまま刻むには、大動脈を傷つけてはいけない。主要臓器も避けないと、出血のショックでそのまま死んでしまうことがある。だからシャツをはだけて血管と内臓の位置を確認しているのだ。

「近くにあった石で殴りつけたら、男は簡単に死んだ。女の方は、何が起きたか分からないみたいだった。下半身丸出しのみっともない格好で、ポカンとした顔して……何度思い出しても頭にくる。彼らは自分がどれだけ罪深いことをしたのか、分かってないんだ」
「よくもそんなことを!」
 自分が殺されるかもしれない状況にあって、彼を非難する言葉は勝手に出てきた。独りよがりな理屈で二人の人間の命を奪った東条を、薪は許せなかった。薪の中の正義感が、怒りになって彼の身を震わせた。

「あんな馬鹿女の体内に、君のものを入れたことは謝るよ。それだけは、本当に申し訳なかったと思う」
「僕のじゃない、あれは青木のものだ」
「ちがうよ。あれはきみのものだよ。君の中から出てきたんだから、きみのものだ。だから拾っておいたんだ。青木くんは、彼は重要ではない」
「拾っておいた」という東条の言葉に、薪は自分の思い違いを知る。
 順番が逆だ。殺人が先ではなく、体液の収集が先だったのだ。東条は捜査をかく乱するために、たまたま落ちていた青木の体液を利用したのではない。予め手に入れておいたそれを使ったのだ。

「きみは自分の身体からあれを草の上に出して、それは僕に残してくれたんだってすぐにわかった。僕があそこにいたの、きみは知っていたんだろう?」
 つまりそれは――――― どういう意味だ? 薪の身体から出てきた汚物が、東条にとっては価値のあるものだったとでも言うのか?

「きみが僕にくれたものは、全部取って置いてるんだよ。僕のコレクション、見る?」
 東条はこの二日、決して手放さなかった黒い診察カバンを持ってきて、その中身を取り出して見せた。
「いつも持って歩いてるんだよ。いつでも君を感じられるように」
 コルク栓をされた透明な広口瓶が、いくつも出てきた。その中身は、毛髪、汚れたティッシュ、爪など、誰が見てもゴミと判断されるものばかりだった。
「これはね、昨日入ったばかりのニューアイテム」
 それは薪の髪に落ちた桜の花びらと、薪が夕飯を食べるときに使った割り箸だった。

 おぞましかった。
 男に告られて不愉快な思いをしたことは何度かあったが、こんな人間はいなかった。彼の執着は異常だ。

「…………狂ってる」
「狂ってる? 僕が?」
 思わず出てしまった薪の呟きを逃さず、東条は薪を咎めた。
「君が悪いんじゃないか」
 両手で薪の頬を挟み、ぐっと顔を近づけて、すると彼の瞳には異常者特有の度を越した熱っぽさが宿っており、薪は彼の精神が限りなくあちら側に傾いていることを悟って唇を結んだ。下手なことは言わないほうがいい。

「君に出会うまで、僕の人生は光に満ちていた。家は貧しかったけど、周りの人々はみんな親切で、僕は彼らに感謝しながら自分を幸せな男だと思って生きてきた」
 東条の手が、薪のズボンにかかった。真ん中のフックを外されて、ファスナーが引き下げられる。下着の中に彼の手が入ってきて、薪はようやく東条の真意に気付いた。
「それが君に出会ってからは、君のことしか考えられなくなった。他の人間はどうでもよくなったんだ。君に会えない時間は世界が闇に閉ざされたようで……。
 なのに、君はあの男とあんなことをして!」
 東条は唐突に口調を変え、薪の脚の間で身を竦めているものを強く握った。薪は痛みに仰け反り、しかし声は上げずにじっと堪えた。この状況で相手を刺激するのは自殺行為だと分かっていた。

 痛みの中で、薪はやっと彼の闇を理解する。
 公園で東条が見た光景は、彼の心の均衡を突き崩した。彼は薪に恋情を募らせ、妄想に妄想を重ねて、それでも人間としてギリギリの範囲に留まっていたのだ。ところが彼は、恋焦がれた相手が公共の場所でふしだらな行為に及んでいるところを見てしまった。それが偶然か薪の後を付けていたことによる必然かは不明だが、彼が大事に守ってきた世界を壊す原因になったことは想像に難くない。
 それで、『君が悪いんじゃないか』か。

「僕はとても辛かったんだ、察して欲しい」



******


 この男、気色悪い、と書きながら思っているしづですが、
 もしかすると、
 薪さんが飲み残したコーヒーとかあったら飲んじゃうかも。
 薪さんが使った割り箸とか紙ナプキンとかあったら、こっそり持ち帰っちゃうかも。
 なんのかんの言って、東条もしづの分身のひとりなんですねえ。(--;


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Sさまへ

Sさま、こんにちは。

> いやいや東条クンの変態っぷりはなかなかイケてますね!だって薪さんを愛する者なら皆、薪さんの触れたモノを手に入れたいと思いますものね。これは薪さんファンの正しいあり方といえましょう?(先日しづさんを呪ったことは忘れている)

きゃはは、Sさまったら!!
こんなんが正しい在り方だったら、薪さんファンは片っ端から留置所に送られちゃいますよ☆


> ところで今回表紙の薪さんがお召しになっているパジャマと特別編2008で青木が着ていたそれは、
> 1、清水先生がパジャマのステレオタイプとして描いている
> 2、薪さんが青木のを借りている(襟元が大きい感じだし)
> 3、おそろ
> 4、特に意味はない
> 一体どれなんだ~!そしてY子のセリフ「剛くんの手を離さない云々」、あれは上司と部下に当てはまる表現ではないですよね?どう考えても二人を恋人同士と認識している物言いですよねっ?ねっ?ねっ?(しつこい)

きゃー、Sさま! 素晴らしい目の付けどころです!!
わたしも言われて見直してみましたら、本当に同じ型ですね! 襟の形も縁取りも、そっくりですものね!! これは敢えて、わざと同じに描かれたのだと思います。

答えは3番ですね、間違いないです!
貼ってあるトーンが違うみたいだから、色違いのペアパジャマだと思います!! 

そして、雪子さんのセリフですが。 
もう間違いなく、恋人として見ていますね。 「わたしのように」と婚約を破棄された自分を引き合いに出しているのは、完全に自分と薪さんを同列に見ている証拠です。 

だから彼女はこの時点で、薪さんと青木さんの恋愛関係を認めている唯一のキャラなんですよ。 雪子さんのこの言葉、ある意味、あおまきさんの後押しをしてくれた、とも思えませんか?

彼女の言葉が反芻されて、青木さんが薪さんへの感情に気付く、その瞬間が訪れることを願ってやみません。
早く続きが読みたいです。 4か月は長いですけど、二人は少しずつ結ばれる方向へ進んでいると信じて待ちましょう!

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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