天国と地獄8 (7)

 薪さんの女装話、ラストでございます。
 お付き合いくださって、ありがとうございました。(^^




天国と地獄8 (7)





 昼間の蒸し暑さも風に払われて、汗ばんだ肌から水蒸気と共に奪われる体温が心地よい夏の夕暮れ。
 人気のない公園のベンチに、美しい少女と坊主頭の男が並んで座っていた。

 もしも誰かがその光景を見たら、思わず自分の見たものを疑い、懸命に眼をこすったかも知れない。というのもその美少女が、見目麗しい脚を下品にも大きく開いて、まるで中年の男性が座るように座していたからだ。開いた膝の上に右手首を載せ、もう片方の膝には反対の足の踝を載せ、顔は非の打ち所のない美少女なのに、まるで彼女にオヤジの霊が取り付いてしまったかのようだった。
 男の方はうつむいて、じっと自分の靴先をみている。両手を握って膝の上に置き、沈んだ様子であった。

「悪かったな。勝手なことして」
 美しい少女の口から、今度は男の声が洩れた。やはり彼女は憑依されて、などということはもちろんなく、白いドレスに包まれた彼女の華奢な肢体は、よくよく観察すればその骨格は男のもので、類稀なる美少年が女の衣装を身につけているのだと分かる。しかしどうしても看破できないのは彼の年齢で、今年38になる立派なオヤジだという事実はシャーロックホームズにも見抜けまい。

「いいえ」
 彼の実年齢はもちろん、本名も職業も知っている曽我は、先刻の猿芝居を思い出してクスクス笑うと、
「室長やみんなが、あそこまでノリがいいとは思いませんでした」
 舞台がはねた後、曽我は薪と二人でこの公園に置いてきぼりにされた。青木が運転してきたのは警備部所有の要人用のエスコートカーで、警視庁に返しがてら他の皆を家まで送り届けるつもりらしい。警視正の特権を振りかざしたのだろうが、こんな目的のためにエスコートカーを借り出すなんて。本当のことが知れたら、所長から大目玉を喰らいそうだ。

「岡部さんなんか、完全に楽しんでましたよね」
「岡部はなー。ああいうの、意外に好きだからなー」
「室長も楽しそうでしたよ?」
「馬鹿言え」
 薪は膝に持たせた手首を離すと、両の踵をきちんと地面につけた。執務室にいるときのように背筋を伸ばして腿の上に拳を置くと、
「僕は反対だったんだ。結局はウソなんだから、こんなことしたって納得できるわけがない。だから青木に頼まれたとき、最初は断ったんだ。余計なお世話だって」
 それはおれが青木に頼んだんです、と曽我が青木の事情を明かすと、薪は意外そうに大きな瞳を瞬かせた。どうやら曽我の頼みだとは言わず、自分の勝手なお節介として薪に協力を頼んでいたらしい。

「どうして協力してくれる気になったんですか?」
「そりゃあおまえ。青木がおまえの恋人役をやるなんて言い出すから。それだったら僕がやったほうが、市民に与える視覚的衝撃が少なくて済むと思って」
 確かに。悲惨なことになりそうだ。

 青木は何とかして曽我を元気付けたくて、何度も薪に頼んだのだろう。青木の女装を防ぎたかった、と言うのは薪の照れ隠しで、本当は青木の熱意に負けた、と言うのが真相だろうと曽我は思った。なんのかんの言って、薪は青木の『お願いします』には弱い。
「青木はやさしいですね」
 薪は答えなかった。
 答える代わりにふっと微笑んで、それは幸せそうに微笑んで、「バカだ」と彼の思いやりを切り捨てた。

「彼女も懲りたでしょうね」
「は。どうだかな」
 彼女の話題が出ると薪は表情をがらりと変えて、不愉快極まりないというように、ぞんざいな口調で吐き捨てた。
「彼女も反省してますよ。公衆の面前で、こてんぱんにやられたわけですから」
「あのギャラリーは計算外だった。なんであんなに注目されたんだか……??」
 相変わらず、自分が分かっていないひとだ。
 しかし曽我もまた、薪というひとがわかっていなかった。

「あの女、どうしておまえが自分と話したかったのか、その理由もわかってない」
 曽我は弾かれたように振り向いた。小さな眼をいっぱいに開いて、上司の美しい横顔を見つめる。
「男が出てきた途端におまえがどうして黙ったか、そんなことにも気付かない。本命の彼氏の前で、彼女の立場が悪くなることを懸念して引こうとしたおまえの心遣いを卑しい自己保身なんかに貶めやがって。
 あんなバカ女に部下が愚弄されるなんて。不愉快だ。室長の沽券に関わる」

 瞬間、曽我は薪を知る。
 曽我がどうして自分を振った彼女ともう一度話したいと思ったのか、その理由を彼は知っている。誰にも言わなかったのに、彼女のことについては薪には直接話すらしなかったのに、なぜ?
 
 彼女は確かにひどい女だった。でも、曽我は彼女からたくさん楽しい思い出をもらった。別れ間際の言い草に腹が立ったのは事実だが、それ以上に、曽我は彼女の行く末が心配だった。
 不誠実な行為で得たお金で本当の愛を育むことなどできるわけがないと思った。そのことに気付いていない彼女の、いや、彼女たちの未来が不安だった。自分と切れたあと、もう二度と彼女にこんなことをして欲しくなかった。曽我は、それをこそ彼女に訴えたかったのだ。
 しかし、それはどう贔屓目に見ても『バカ』が付くお人好しの考えることで。お人好しの代表格の青木にすら呆れられると思ったから、口にはしなかった。
 でも、薪は知っていた。曽我の本当の気持ちに気付いていた。その上で曽我を、『本当の男だ』と言ってくれたのだ。

 怒りに頬を紅潮させた薪のきれいな横顔を、曽我は、知らない人を見るような心持ちで見つめていた。
 こうしてこのひとは、どれだけの人の心を見抜いてきたのだろう。闇を、光を、やさしさを、憎しみを、ありとあらゆる感情の揺らめきを感じ取って飲み込んで抱きしめて慈しむ。バカ女、と評した彼女のことだって、彼は本当は気になっている。彼女を語るとき亜麻色の瞳にわずかに浮かんだ憂いを、MRI捜査に慣れた曽我の眼は見逃していない。

「遅いぞ、青木」
 薪の声に我に返り、曽我が前方を見やると、そこには糸目の親友と高身長の後輩が並んで立っていた。青木は手に紙製の手提げ袋を持っており、それを受け取った薪が真っ直ぐ公衆トイレに向かったので、中には着替えが入っていたのだと分かる。女装したまま自分のマンションに帰りたくない薪の気持ちを汲んで、薪の家に自由に出入りできる青木が彼の着替えを持ってきたのだろう。
 
 男3人でベンチに腰を下ろして、夕暮れの風に吹かれる。遠くに見える街では、気の早い飲食店の明かりが、ちらほらと燈り始めている。
「青木。ありがとな」
「いいえ、オレは大したことしてなくて」
 計画も筋書きも、青木が立てたと聞いた。配役も彼が決めて、みんなに交渉したのだろう。この後輩は謙虚なくせに、意外と押しが強いのだ。

 右隣に座った後輩の、額に落ちた前髪が風に揺れるのを眺めながら、曽我は感謝の気持ちを込めて彼に言った。
「おれ、今度は薪さんみたいなひと好きになるよ」
「えっ!?」
 それはもちろん、人の気持ちが分かる大人の女性という比喩的な意味合いで言ったのだけれど、何故だか青木は慌てふためいて、
「だ、だめです!薪さんはいけません、薪さんはオレのっ……!!」
 言いかけた言葉を無理矢理飲み込み、両手で口を押さえて眼を白黒させる。どういう理由からか、夕焼けの空に負けないくらい真っ赤に頬を染め替えて、青木は地面に付けた長い脚をバタバタと意味なく動かした。

「『薪さんはオレの』、なんだよ?」
「……オレの上司です」
「おれの上司でもあるぞ?」
「………………はい」
 短い肯定の言葉の前の長い沈黙の間、青木は両の拳を胸の前で振り動かし、地面をドスドスと蹴って、3人が座っているベンチを揺り動かした。
「おまえは何がしたいんだよ?」
「……すみません……」
 
 謝りつつ、なおも衝動が自分の身を動かすのを止められないでいた青木は、着替えを済ませてやってきた上司の姿を眼で捉えるや否や、勢い良く立ち上がった。職場では見られない薪の私服は半袖パーカーに膝丈のジーンズというラフなもので、実年齢よりも20歳は若く見える上に、限りなく中性的だ。
「帰るぞ、青木」
「あれっ、飲みに行くんじゃなかったんですか?」
「予定変更だ。疲れた」
「車、返してきちゃいましたけど」
「歩きたくない。負ぶっていけ」
「!!! はい!!」
「……真に受けるなよ」
 幼い顔をして言葉だけは横柄に、一回りも年の離れた部下と頭の悪そうな会話をして、薪は足先を公園の出口に向けた。

「じゃあな。小池、後は頼んだぞ」
「はい。お疲れさまでした」
 青木が二人にぺこりと頭を下げて、薪の後ろを飼い犬のように付いていく。薪が脱いだ衣装の入った手提げ袋を当然のように持たされて、彼は小さな背中を追いかけていく。
 二人の姿が見えなくなってから、曽我はポツリと呟いた。
「なあ、小池。あのふたりってさ」
「ああ」
 それ以上言わずとも、小池は察したらしかった。ベンチの背にもたれ、さっと脚を組んで群青色に変わり始めた空を見上げる。
「いいんじゃねえの、別に」
「そうだな」
 小池の言うとおり、べつに、どうでもいいと思った。好奇心もないではないが、それこそ余計なお世話だと思った。

 小池はしばらく何も言わずに色濃くなっていく群青を見つめていたが、やがてその藍色に微かな星の瞬きが混じり始める頃になって、唐突に口を開いた。
「曽我」
「ん?」
「なんでおれが皆に協力しなかったか、分かるか」
 小池は上を向いたまま、閉じているのか開いているのか分かりにくい眼で、天空に何かを探しているようにも見えた。
「面倒だったんだろ」
「ちげーよ、バカ」
 罵りながらも小池の視線は空に固定されたまま、曽我の顔には至らなかった。しかし彼の声は職務中のように真摯で、凶悪犯罪に憤るときのように激しかった。

「おれ、絶対にその女、許せねえから。おまえには悪いけど、分からせてやることなんかないと思った。勝手に痛い目見ればいいと思った」

 もうひとり。
 誰にも言わなかった気持ちを、むしろ隠していた気持ちを、いつの間にか知られている。そのことの幸福と不利益を秤にかければ前者に大きく傾いて、それは時と場合によると思うが、今日は祝杯でも上げたい気分。

「さて。店も開いた頃だろうし、飲みに行くか」
 小池は身軽に立ち上がり、初めて曽我の顔をしっかりと見た。細くて感情の分かりにくい眼には、いつもの少しだけシニカルな彼の優しさが輝いていた。
「おお。当然、おまえの奢りだろうな?」
「何バカ言ってんだ、割カンだよ、割カン」
「ええ~、だっておれ、金ないもん。彼女に貢いじゃって」
「ったく。仕方ねえなあ」
 連れ立って歩き出す、自分より少しだけ高い親友の肩は細く尖っている。

「やった。じゃ、叙々苑に行こうぜ」
「ば……ふざけんな、てめえ。どんだけタカル気だよ」
「この胸の痛みは、あそこの特選和牛じゃないと癒されないんだよ」
「なにが特選和牛だ。居酒屋でモツ煮込みでも食ってろ」
「あ、そっちもいいな」
 食えれば何でもいいんだろうとか、そんなんだからメタボ体型になるんだとか、余計な一言は相変わらず多いけれど、曽我は彼のことが嫌いになれない。
 それは第九で一番最初に知り合った同僚だから、ということばかりではなく。彼の失言の裏に隠された不器用な彼のやさしさを、曽我は知っているから。それ以上に、自分の不器用さを彼が分かってくれるから。

 すっかり夜の空気に包まれた街の中、暖かな色合いの明かりがビルの窓に点る。それを目指して、二人はふざけ合いながら歩いていく。
 彼らが去った公園では、やっと点き始めた外灯が、誰もいないベンチを照らしていた。



(おしまい)



(2011.6)



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんにちは。
お元気でいらっしゃますか?


お話、楽しんでいただけました? うれしいな~。(^^
笑ったり、怒ったり、温かい気持ちになっていただいたり、書き手としては嬉しい限りです。


>そうですね、第九の面々は様々な人の人生をみている分、やはり大人としての思いやりにあふれている「いいやつ」が多くて、一見うわべはお調子者に見える曽我だって、中身は本当にいい男ですよね。

たくさんの人を見ている人って、人生がよく解っている、というか、その分、寛大になれる気がします。 
わたし自身、若い頃は許せなかったことが、この年になると許せるようになってきて、
それはわたしの人生経験が若い頃よりは幾分豊かになったのと、わたしに関わってくれた人たちのおかげだと思うのです。
だからAさまのおっしゃる通り、第九の面々はみんな「いいやつ」だと思います!


今回は、第九メンズが主体のお話でした。
言われてみれば、わたしにしては珍しいかも・・・・ええ、わたしの中では薪さんと青木さんだけが特別で、岡部さんは準レギュラーみたいになってますけど、他の第九メンズはギャラリー的な存在でしたからね~。
彼らは一人ひとり、とても個性的で魅力のあるキャラですから、誰にスポットを当てても話が出来る気がしますね。(^^

Nさまへ

Nさま、こんにちは~。


コメントありがとうございます。
楽しんでいただけましたか? よかった~(^^


> 私は黒髪メガネの運転手さんが好きです!(わかったから)

ええ、わかりましたとも、聞かずとも。(笑)


> 最初、曽我薪とかおっしゃるものだから、どこをどうつっこんでいいか迷いました~笑

わはは、ちゃんと曽我×薪になってたでしょう?
「お慕いしてます」って言ってましたし☆


おお、Nさまの中で小池さんが№2とは!
思いがけず喜んでいただけて、わたしもうれしいですっ。

> 小池さんが曽我さんの事とっても大事に想ってるんだなぁと思うと、普段の一言多かったりひねくれてたりする彼とのギャップから胸がキュンキュンします。

彼らは普通に親友なんじゃないかと思います。
でね、薪さんは彼らを見ると自分と鈴木さんのことを思い出して、ちょっと切なくなったりするんですよ、きっと。


> 青木くんがうっかり薪さんはオレのと言って、取り乱す所、かわいかったです^^
> ま、うっかりしなくても第九メンバーにはバレてると思いますが・・・

バレてーら、でもまあいっか、って感じです。
その辺はあまり深く考えてないんです。
本編からすべてのマイナス要素を排して、ギャグを特出したのが男爵シリーズですから☆


> はっ!忘れてました!(4)でついに期待通りの夜を迎えられたのでしょうか!
> おめでとう二人!薪さんグロキショってならなかったか心配です^^
> (多分また寸止めだったんじゃないかと踏んでいるけども・・)

いや、この辺、わたしも分からないんですけど~。(自分で書いておいて・・・)
どうだったんでしょう? 気になりますよねえ。
うん、多分、ていうかほぼ間違いなく、寸止めだったんだろうな。(笑)


やさしいお気遣いのお言葉、ありがとうございます。
Nさまも、お風邪など召されませんように。
ご自愛くださいね~。(^^

Cさまへ

Cさま、こんにちは。

ご指摘の箇所、書いた本人はあまり意識していなかったのですけど~、
お褒めの言葉、とってもうれしかったです。 ありがとうございます。

はい、愛情は、たくさん入ってます。(^^
観察眼は自信ないです。 恥ずかしいくらい読解力無いの~e-330
だから、原作の予想も当たった試しがないのです。 
推理小説の犯人当てはけっこう得意なのにな~。 清水先生のお話は、コ○ンより難しいです。(笑)
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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