タイムリミット(12)

 今週から堤防の修繕工事が始まりまして、代理人なので現場に出てます。
 でもこの現場、今まで経験したどんな現場よりも、

 くそ寒いっ!
 骨まで染みとおるくらい風が冷たい! (そりゃそうだよね、川っぺりだもん)
 冷凍庫なんかに入らなくても、人間シャーベットになりそうです☆

 この現場に年末までいるのか……。
 せめてアツアツのあおまきさんでも妄想して暖を取ろう、と思えば、うちの薪さん、こんなことしてるし。 あー、さむい。
  





タイムリミット(12)




 彼女に会ったのは、小野田の家だった。薪は小野田のお供で出張や会議に出席した後、自宅で労をねぎらわれることがしばしばあった。小野田の末娘の香が、薪の来訪をことのほか喜んだからである。

「剛さん、いらっしゃい!」
「こんばんは、香ちゃん。元気だった?」
「うん! 剛さんは相変わらず素敵ね。うっとりしちゃう」
「こらこら。彼に怒られるぞ」
「あ、あ、ナイショにして。彼、意外とヤキモチ妬きなの」
 香は今年、19になる。
 色々と気になる年頃で、小野田は彼女のことが心配でたまらないらしく、大学のボーイフレンドからかかってくる電話に戦々恐々としている。香と仲の良い薪は、彼女の恋人が2歳年上のゼミの先輩であることを知っているが、パパには黙ってて、と固く口止めされている。

「そうなの?」
「うん。わたしが他の男の子と喋ってたりしたら、もう大変」
「ああ~、わかるわかる。ものすごくウザイよね、そういうの」
「そうなの。ウザイんだけど、でも」
「ちょっと嬉しいんだよね」
「さすが剛さん。女心が分かるのね」
「いや、僕、男なんだけど」
 香のガールズトークに付き合っていた薪は、自分に向けられる密かな悪意を感じて頭を巡らせた。この家に、自分を嫌っている人間はいないはずだ。少なくともこれまで、それを表面に滲ませるような人物は存在しなかった。

 ドア口を見た薪の瞳に映った、小野田の妻によく似た美しい女性。それが美和子だった。

 彼女は実家に住んでおらず、神楽坂のマンションで一人で暮らしている。これまで彼女を見かけたことがなかったのは、香曰く「美和子姉さんはお見合い写真を見ると鳥肌が立つ」から。要は、結婚しろと親にうるさく言われるのが嫌で、実家に寄り付かなかった、ということらしい。
 しかし、美和子も30歳の誕生日を迎え、諦めの境地に入ったのか、最近は夕食の誘いを受けるようになった。「こないだもママにお婿さん候補の写真を見せられていたわ、長女って大変ね」と末っ子ならではの無邪気さで、香は笑った。

 小野田に紹介されたとき、美和子は薪を恨むような目で見た。
 初対面の女性にどうしてそんな目で見られるのか、訳が分からなかった薪はひどく戸惑ったが、小野田に言われて彼女の運転手を何度か務めるうちに、彼女が自分を警戒している理由に思い至った。
 10年ほど前に、「ぼくの娘と付き合ってみないか」と小野田に言われたことがある。
 小野田は、現在の薪の恋人のことを知っているから、薪には何も言ってこない。しかし、彼は今でも自分の娘と薪との結婚を望んでいる。その気持ちはありがたいが、薪にはそれに応じることはできない。
 薪の心の定員は、ひとりだけ。不器用な男なのだ。
 美和子は、そんな父親の気持ちを察しているのだろう。父親が自分と結婚させたがっている男、という目で見られているのだ。
 ここは、先手必勝だ。

「美和子さん。お付き合いしてらっしゃる男性はいるんですか?」
 美和子は何も言わなかった。
 彼女は無口で、薪とふたりで車に乗っていても、何も喋らないことが殆どだった。薪も必要がなければ口を開かないタイプだから、二人が乗った車はいつもとても静かだった。
「僕はいますよ。一生、思い続けようと心に決めているひとが」
 赤信号の手前で注意深くブレーキを踏みながら、薪はさらりと言った。ルームミラーの中で俯いてた美和子が、薪の言葉に顔を上げた。
「あなたにもいるんでしょう? 例えば」
 フロントガラスの向こう側を、泳ぐように歩く人々を見ながら、薪は言葉を切る。息を吸い込んで、何気ない口振りで美和子の秘密を暴露した。
「そのお腹の子の父親とか」

 ミラーの中の美女は、ギョッと両目を見開いた。見る見る青冷めていく頬に、細い右手が当てられる。
「なぜ?」
「初めてお会いしたときは、ハイヒールを履いてらっしゃいましたよね。最近はローヒールに変えられたみたいでしたので」
「それだけのことで?」
「香水も、つけられなくなりましたよね。色々な匂いに、敏感になられているのでしょう」
 信号が青に変わり、薪は慎重にアクセルを踏む。左側の車線をゆっくりと走る黒のレクサスを、周りの車が追い越していく。

「余計なお世話だとは思ったんですが。隠していても、いずれ分かることです。早くご両親に打ち明けた方がいいですよ。デキちゃったもの勝ちで、彼との結婚を許してもらえるかも」
 一人暮らしをしていても、美和子は放蕩娘ではない。長女らしく落ち着いているし、きちんと礼儀も弁えている。彼との付き合いも、いい加減な気持ちではなかろう。
 お腹の子にしても、愛し合った相手との結晶なら、誰に恥じることもないはずだ。靴の踵を低い物に変え、季節的にまだ早いと思われる厚手のハイソックスを着用していることから、お腹の中の子供を慈しんでいることが分かる。これは間違いなく、愛した男性の子供だ。
「よく気が付いたわね。お母さまでさえ知らないのに」
 その事実に少し驚く。が、あり得るかもしれない。高名な政治家の末娘である小野田の妻は、よくも悪くもお嬢さまで、世間知らずというか純真無垢というか。
 
 やがて車は、彼女の父親と母親が待つレストランに到着する。薪の今日の仕事はこれで終わりだ。
 小野田はもちろん薪を誘ってくれたが、第九の仕事が残っていると嘘を吐いた。親子水入らずの夕食を邪魔するのも気が引けたし、今日は水曜日だから。どこかの誰かさんが、薪の帰りを待っているはずだ。

 今日こそ、別れ話をしなきゃいけないな、と薪は苦笑する。
 これから青木に電話をして、この店ほど高級でなくても、近くのレストランに呼び出そうか。最後に食事くらいはいいものを食べさせてやって、思い出に夜景のきれいなホテルとかで愛を交わして、それから……駄目だ、ぜんぜん別れられる気がしない。

「あなたはどうして結婚しないの?」
 車をレストランの駐車場に入れても、美和子は車から降りようとしなかった。薪のお節介への報復か、弱味を握られたことへの牽制か、そんなことを聞かれた。
「僕の相手は、絶対に結婚できない相手なので」
「わたしと一緒ね」
「……もしかして、不倫ですか」
「違うわ。だったらとっくに奪い取ってる」
 強気の発言とは裏腹に、美和子の表情は今にも泣き出しそうだった。

「じゃあ、どうして? 年が違いすぎるとか、身分が違うとか?」
 この女性がどんな恋に苦しんでいるのか詮索する気はなかったが、彼女の秘密を暴いた本人としては、話に付き合う義務があると思った。
「彼とは大学の頃からの付き合いなの。でも、お父様はわたしたちの仲を認めくださらなかった。彼は将来を託するに値しない男だって。その上」
「大丈夫ですよ、少しくらい反対されても。子供がいるって言えば、少々のことには目をつぶりますよ。親って、結局は子供の幸せを願っているものじゃないですか」
「彼のお兄さんが、人を殺してしまったの」

 低い女の声に、薪は振り返った。
 警察官僚の長女として、いやでも内部事情に詳しくなってしまった彼女は、それがどんなことか、よく分かっていた。
「傷害致死。はずみだったのよ」

 殺人犯の実弟と、官房長の娘。
 かける言葉が見つからず、薪は黙り込んだ。

「それが父の耳に入って、わたしたちは無理矢理別れさせられたわ。子供がお腹にいることが分かったのは、その後」 
「かれは、知ってるんですか? 自分の子供があなたの」
 美和子は首を振った。
 その理由を、薪はすぐに察した。
 親にこの事実が知れたら、間違いなく堕胎させられる。美和子もそう思ったから、母親にも相談できずにいたのだ。産めるかどうかも分からない子供の存在を、別れた相手に告げることはできない。相手は美和子と一緒になりたいと思っていても、彼らは引き裂かれる運命で。結局は愛する女性も子供も失うという悲痛を、彼に味あわせるだけだ。

「彼を愛してるわ。この子も、産みたい。小野田家と縁を切って、彼と一緒になることも考えたわ。でも、親のことも悲しませたくない。わたしがそんなことをしたら、お父様の名前に泥を塗ることになるし。
 だけど、彼が好きなの。彼と一緒に、この子を育てたいの」
 話しているうちに、美和子の鳶色の瞳からは、ほろほろと涙が零れ落ちてきた。
「どうしていいのか、わからない」

 両手で顔を覆って俯く姿に、美和子の頑なで高慢な態度は、彼女の精一杯の強がりだったことを知る。
 この女性は、自分と同じだ。
 添い遂げられない相手と恋をして、その想いに胸を焼かれて。別れなくてはいけないと思いつつも、相手を思い切ることができない。

 薪は携帯を取り出すと、メモリーの中からひとつのアドレスを選び出した。「今日は行けない」と用件だけを発信し、車を降りて外に出た。ふっと夜空を仰いで、きっとあいつもこの空を見ている、と何故か確信し、そのことに心が凪いでいくのを感じながら後部座席の女性の隣に座った。

「美和子さん。僕と結婚しませんか」
「え!?」
 美和子は、びっくりして薪を見た。
 彼女の目の周りは涙で流れたアイメイクで無残な有様だったが、薪はそれを滑稽とも思わず、笑ったりもしなかった。

「あくまでひとつの方法ですけど。僕と結婚して、その子を産むんです。で、彼と一緒に育てればいい」
「なにをバカなこと言ってるの? そんなことできるわけが」
「一番誠実なのは、ご両親に本当のことを話して、彼との仲を許してもらうことです。でも、今の状態でご両親が本当のことを知ったら、その……お子さんは、殺されてしまうかもしれません。僕には、それを阻止する力はありません」
 小野田は、やさしいばかりの男ではない。目的の為には手段を選ばない、非情な一面も持っている。薪にそれが向けられたことはないが、敵には容赦しない。そうしなければキャリア組の熾烈な出世競争の中では生き残っていけないし、官房長の役職を得ることは不可能だ。

「もしもご両親が真実を知っても、子供が生まれてしまった後では、それはできなくなります。お子さんの命だけは確実に守れる。彼とのことだって。僕をカモフラージュに使えば、会うこともできるでしょう?」
 細い眉を寄せて、美和子は怪訝な顔をしている。薪の突拍子もない提案に、どう反応していいのか分からない、と言った表情だ。
「彼と会う時は、僕に連絡をください。話を合わせておきますから」
 
 薪には、彼女の気持ちが痛いほどわかる。
 自分と同じ苦しみを舐めている女性。愛するひとと共に生きていくことが、周りの人間を不幸にする。でも、彼女の場合はまだチャンスがある。子供という強い切り札が。
 薪には子供がいないし母性本能もないから、子供を利用しようなどという冷酷な考え方ができるのかもしれない。だが、手札は出来る限り有効に使わなければ。

「問題は彼の気持ちです。偽装とはいえ、あなたが他の男の妻になるわけですからね。だから、これはひとつの企画案です。彼と相談して、よく考えて決めてください」

 美和子の恋は、叶えてやりたい。
 捨てなくてはいけない僕の恋の代わりに、この女性の恋は成就させてやりたい。僕が青木と別れることで、日陰とはいえひとつの愛が貫けるなら。僕も青木も、少しは救われるかもしれない。

「あなたはそれで、何を得るの?」
「僕にだってメリットはあるんですよ。あなたと結婚できれば、僕の将来は約束されたも同然ですから」
「尤もらしい理由ね。でも、それをわたしに信じさせたかったら、普段の行動にもう少し気を配らないと。あなた、わたしのことなんて眼中になかったでしょう」
 たしかに。
 香とはよく話をするが、美和子とふたりでこんなに喋ったのは初めてだ。皆と一緒のとき、それも誰かを挟んで話をしていた気がする。

「わたしの周りに集まる男たちはね、もっとギラギラした目をしてるわ。あなたは出世なんか望んでない」
 さすが幼い頃から、警察関係者に囲まれて育っただけのことはある。官房長の娘ともなれば、妻にしたがる男がわんさか押しかけただろうし、自然とひとを見る目も養われたというわけか。
 美和子を納得させるために、薪は小さな嘘を吐くことにした。

「実は僕、男のストーカーに悩まされてまして」
「え? 男のひとなのに?」
「あ、僕ゲイなんです。だから結婚しても、あなたには指一本触れません」
 薪は本当は女性とのセックスのほうが好きだが、こう言っておけば相手の男も安心するだろう。

 薪の衝撃の告白に、美和子は大きく頷いた。……なぜ驚かないんだろう。
「やっぱりね。そうじゃないかと思ってた」
 なんでっ!?
「まあ、あなたの顔を見れば大体ね」
 顔ってなんだ! 女っぽいとか言いたいのか!!
「アレ取って、女性ホルモン注射してるんでしょ。そうでもしなきゃ、その顔は無理よね」
 拡声器で洗いざらいぶちまけてやろうか、このオンナあああ!!!

 荒れ狂う心を必死で抑えて、薪は美和子の誤解を敢えて解かない。誤解させておいたほうが都合がいい。そう思いつつも泣きたくなるのは、彼のなけなしのプライドだ。
「僕が結婚してあなたの家に住むようになれば、彼も諦めると思うんです。この計画に乗ってくださるなら、僕のことも助けてくださいませんか」
「結婚しても、お互いの恋人については干渉しない。そういうことでいいのね」
「はい」
 考えてみる、と美和子は言った。

 薪は車を降りてドアを開けてやり、ご両親がお待ちかねですよ、と微笑んだ。
 レストランまでの小道を歩いていく美和子の足取りは、しっかりしていた。芯の強い女性なのだろう。

 薪は運転席に乗り込み、警察庁に向かった。
 今夜の予定はなくなった。少し早いが、来週末の支部会議の資料を作っておこう。
 運転をしながら、美和子の顔を見たレストランの支配人がどんな顔をしたかな、と考えてクスクス笑う。美和子の化粧の乱れを指摘しなかったのは、傷つけられたプライドのささやかな報復だった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんにちは。


兄が殺人犯、というドラマはいくつかありましたね。
その中でも、東野圭吾の『手紙』とか、『誰も守ってくれない』とかが印象深いです。 被害者遺族も加害者家族も、とても悲しい。 死んだ人は帰ってこないのだから、被害者遺族の悲しみの方が大きいのかもしれませんけど、加害者の親が自殺してしまったこともありますしね・・・・どっちも地獄だろうな、と思ってしまいます。



>薪さんは計画のためもあるけど、美和子の恋を叶えてあげたい優しさもある(^^)

そこは薪さんの優しさですね。
でも、決定的に間違ってますね。(笑) こんなやり方しちゃダメです。 
薪さんが青木さんと別れなきゃいけない元々の原因は、小野田さんとの約束です。 だからね、まずはそこをどうにかしようと努力するのが筋ってもんじゃないですか。 約束はしましたけど、やっぱり別れられません、て言うのが本当でしょう? それで小野田さんに見限られても、それは仕方のない事。 小野田さんの軽蔑が怖くて言えなくて、挙句の果てには他人まで巻き込んで嘘を吐くなんて、最低ですよっ!
・・・・・・・・・・・・・・・・自分で書いておいて、誰に怒ってるんでしょう??


子供が無事生まれてから美和子さんと離婚したとしても、小野田さんとの約束が無くなったわけではないので、ヨリは戻りませんねえ。
薪さんが青木さんを好きなことは、美和子にはすでにバレております。 薪さんの部屋で青木さんと会った時に、一発で分かってしまいました。 だから、「あなたはそれでいいの?」とか、「彼には本当のことを言ってあげたら?」とか、イラつきながら言ってたわけです。


美和子と薪さんのやり取りは、
笑っていただけて嬉しいです。(^^
笑えるシーンは入れないと。 ギャグ小説だもん。


風邪を引かないで、とのお気遣い、ありがとうございます。(^^
大丈夫、病気には強いです。
毎年、家族の中でわたしだけ風邪引かないんです。 バカは風邪引かないって、本当なんですよ。(--;
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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