タイムリミット(13)

タイムリミット(13)





 金曜日の室長会議の後、薪は第九の部下たちに、金箔の封緘が貼られた白い封筒を配って歩いた。見事な文字は毛筆で書かれており、小野田の知り合いの書道家の手によるものだった。
「え? 俺たちも招待してもらえるんですか?」
 招待状を受け取って、小池と曽我は揃って声を上げた。相変わらず、この同期生は仲がいい。
「ああ。美和子さんのお友だちは、美人ぞろいだぞ。おまえらも頑張れよ」
「はい!!」
 この二人はまだ独身だ。こいつらもそろそろ、落ち着いてもいい年だ。
 40過ぎまで独身でいた自分が、説教する権利はないが。

「青木は?」
「青木は宇野さんと一緒に、新システムの研修です。夕方まで帰ってきませんよ」
 知っている。だから、今日これを持ってきたのだ。
「そうか。じゃ、これ渡しといてくれ」
 差し出した封筒を曽我が受け取ろうとしたとき、野太い男の声が響いた。

「ご自分で渡したらどうですか。まだ日数もあることですし。その方が青木も喜びますよ」
 第九の副室長、岡部警視だ。薪が官房室との掛け持ちになってから、岡部は実質的に室長の職務をこなしている。
「そうですよ。青木は室長を尊敬してますから。きっと直接、お祝いの言葉を言いたいと思ってるはずですよ」
 岡部の言葉尻に乗って手を引っ込めた曽我に、薪は頷くしかない。受け取り手のいなくなった招待状を、仕方なく内ポケットにしまいこんだ。

「そう言えば青木のやつ、この頃元気ないんだよな」
「そうそう。食欲もなくて。ずい分やせたみたいだし」
「このところ薪さんが、ずっと官房室に詰めてるからじゃないですか? 顔が見れなくて寂しいんだと思いますよ」
「青木は室長っ子だから」
「おかしな日本語を作るな、バカ」
 薪が怒ったフリをすると、すいません、と明るく笑って二人は仕事に戻った。

 招待状の返事は、小野田のところへ郵送するようになっている。結婚式の2ヶ月前といえば、式の準備でてんやわんやの時期だが、婿養子に入る薪にはさほどの負担はない。小野田が気を使って、仕事を優先させてくれているからだ。美和子と小野田の妻に任せきりで申し訳ないとは思うが、小野田家の付き合いのことなど分からないし、女性のドレスのことなどもっと分からない。

「室長。さっきの会議のことですけど」
 岡部に促されて、薪は室長室へ入る。部屋にふたりきりになると、岡部はファイルを閉じてしまい、薪は嫌な予感が当たったことを知った。

「薪さん。いま、幸せですか?」
 岡部のお節介が始まった。
 岡部は薪の後継者で、腹心の部下だ。彼の捜査能力の高さと人心を掌握するスキルは、第九の誰よりも高いと評価している薪だが、このお節介だけはマイナス点だ。

「2ヵ月後に結婚する男が、幸せじゃないわけがないだろう」
「俺にはそうは見えませんけどね」
 太い腕を組み、グローブのような手を無精ひげの生えた顎に当て、岡部は何かを思い出すように視線を上空に泳がせた。
「何年か前、足を引き摺りながら歩いてたあなたのほうが、ずっと幸せそうでしたよ」
 
 岡部は、薪と青木の関係を知っている。
 青木とこういう仲になる前から、岡部には自分たちの気持ちを悟られていた。ふたりが恋人同士になってからは、陰になり日向になり、その秘密を他の職員の目から隠してくれた。
「あの頃のあなたは、まともに座ることもできなくて。よく前傾姿勢になってましたよね」
「岡部。やめろ」
「怒った俺が青木を道場で締め上げたら、あなたは真っ赤になってあいつを庇って」
「やめろ!!」

「あなたが決めたことなら、俺は何も言いません。でも、今度は引き返せないですよ」
 岡部の声には、心配と叱咤が入り混じっている。その割合は9対1。これはずっと昔から変わらない、岡部の黄金比率だ。
「そんな無責任なことはしない。夫としても父親としても、精一杯務めるつもりだ」
「責任とかで務めとかで結婚される女性も、たまったもんじゃないでしょうね」
 ぐっと言葉に詰まって、薪は俯いた。

「薪さん。嘘から始まった供述は、必ずどこかに歪みがでるもんです。そこで本当のことを言えばマルヒは楽になれますけど、あなたは一生、歪んだままの人生を背負っていかなきゃいけないんですよ」
 畳み掛けるように、岡部は言葉を重ねる。相手の弱みに付け込むのは、容疑者を自白に追い込むときの常套手段だ。
「イビツなものってのは、持ちづらいんですよ。あっちこっちで落っことしては、その度に相手も自分も苦しむことになるんです。でっかい岩の方が、よっぽどマシじゃないですか? 疲れたら岩を道に下ろして、寄りかかって休むこともできるんですから」
 岩の例え話を、誰から聞いたんだ。小野田さんが岡部にそんな話をするはずはないから、青木のやつか。あのお喋りめ。

「寄りかかろうにも形が悪いと、相手もろとも崖下に真っ逆さまですよ」
「大丈夫だ。おまえの心配してるようなことにはならないから。夫婦ってのは、長い時間かけて愛を育てていくものだろ」
「それまで、あなたが保てばいいですけど」
 僕はそんなに脆弱な人間じゃない、と言おうとして、薪は言葉を飲み込む。岡部の右手がさっと薪の身体を抱え、肩に担ぎ上げたのだ。

「下ろせ! 何のつもりだ」
「この軽さは、俺達が初めて会った夏以来じゃないですか」
 何を食べても吐いてしまうものだから、びっくりするくらい体重が落ちた。パット入りのスーツを着ていたのだが、やはり岡部の眼は誤魔化せないか。
「仕事が忙しかったから、それだけだ。来年までには官房室へ完全異動になるだろうから、そうしたら接待や付き合いでブクブク太るさ。立派なメタボになって貫禄つけてやるから、楽しみにしてろ」
 岡部の背中に向かって、薪は悪あがきをしてみる。何を言っても岡部には通用しないと思うが、もう後戻りはできない。
 きれいにアイロンが掛けられた、岡部のワイシャツの白さが目に沁みる。頭が下になっているせいか、水分が頭部に集まってきたようだ。

「あれ? おまえらどうしたんだ。研修は?」
 モニタールームから聞こえてきた声に、薪はびくりと身を震わせる。岡部が薪の身体を床に下ろし、室長室の扉を細く開けた。ドアの向こうに、メガネを掛けた男がふたり、顔を見合わせて苦笑している。
「研修所のシステムに障害が発生しまして。復旧の目途が立たないので、研修は先送りになりました」
「さては宇野。新システムにウィルス入れたろ」
「そんなことするかよ。楽しみにしてたんだせ、俺は。須崎の作った新しいシステムが、俺の作ったスーパープログラムの負荷にどこまで耐えられるかなって」
「まさか、入れたのか? MRI専用のスパコンでさえ悲鳴を上げるおまえの悪魔のプログラム」
「……ちょっとだけ」
「研修段階でシステムをショートさせてどうするんだよ」
「どっちにせよ、あんなスペックじゃ使い物にならないよ。俺は先のことを考えてだな」
「ほー。そのセリフ、室長の前でも言ってみろ」
「え? 薪さん、来てるのか」
「結婚式の招待状。俺たちも式に呼んでくれるって」
 小池が室長室のドアを指差したのを見て、宇野が嬉しそうな顔をする。その様子を見て、岡部は後ろを振り返った。

「良かったじゃないですか。これで直接あいつらに招待状を……っ!?」
 そこにいるはずの上司の姿はなく、岡部は言葉を失う。窓が開いて、風に煽られたブラインドがカタカタ音を立てている。
「なんて無茶を! ここは3階だぞ!」

 窓に走り寄って下を見るが、薪の姿はない。
 薪に会うために室長室に入ってきた宇野と青木が、岡部の様子に気付いてこちらに寄ってくる。
「どうしたんですか? 岡部さん。室長は?」
「知らん! 窓から帰りたくなる人間の心理なんか、理解したくもない!」
「え!?」
 宇野が驚いて、窓から顔を出す。岡部の顔と交互に下を見て、まさか、という顔で首を捻った。

 ぎりっと奥歯を鳴らして口惜しそうに眉を吊り上げる岡部の後ろで、そうっと床を這っていく小さな人影。机の下から出てきたその影は、岡部の様子を伺いながら、ドアの隙間に滑り込もうとした。
 何かにぶつかって、行く手を阻まれる。亜麻色の頭がごつんと音を立てたのは、薄い灰青色のズボンに包まれた長い足だった。
「何してるんですか?」
 四つん這いの犬のような格好で固まってしまった薪に視線を合わせるように、衝突事故の相手はその場に屈み、薪の顔を覗き込んだ。

「青木」
 騙されたと知った岡部が、怒りよりも青木の炯眼に驚いて振り向き、彼の名前を呼んだ。隣で宇野が妙に落ち着いた態度で腕を組み、窓枠にもたれて足を交差させた。
「薪さんの行動は、だいたい読めますから」
 静かに言って、手を差し出す。薪がその手を取るのを躊躇っていると、青木は乾いた声で薪に話しかけた。

「ご結婚おめでとうございます、室長」

 床に正座して、薪は硬直していた。大きな目をいっぱいに見開いて、小さなくちびるを引き結んで。
「どうか末永くお幸せに。結婚式には必ず出席させていただきます」
 自分を敬愛している部下からのお祝いの言葉に、薪は目の前に出された大きな手の意図を知る。
 自分に向けられた手は、自分を助け起こすためのものではなく、さっさと招待状を置いてオレの前から消えろ、という意味だったと。思い知らされて、息が上手くできなくなる。
 促されるままに内ポケットから招待状を出し、青木の手の平に載せる。膝に手を当てて立ち上がり、崩折れそうになる足に力を込める。
 薪は室長室を出て行った。岡部がその後を追って行き、部屋には青木と宇野が残った。

「薪さん、俺には招待状くれないのかな」
「忘れちゃったんじゃないですか。あのひと、意外とドジだから」
「おまえがあんなこと言うからだろ」
 あからさまな舌打ちの後の宇野の言葉に、青木は驚いて先輩の顔を見る。ITの申し子のような彼の顔は、厄介なウイルスを発見したときのように歪められていた。

「あんなことって……オレ、なんかおかしなこと言いましたか?」
「もう少し言葉を選べよ。薪さんが可哀想だろ」
 理不尽だ。
 結婚が決まった上司に、おめでとうございます、とお祝いを言って叱られるなんて。

「何か他の言い方あるだろ。例えば」
 宇野は両目をぐるりと回して、なにかうまい言い回しを考えているようだったが、やがて肩を竦めて、ハッと短く息を吐いた。
「何を言っても同じか。仕方ないよな」
「宇野さん?」
 四角いレンズの向こうから、どんな小さなバグも見逃さない目が、青木の顔をじっと見ている。まるで自分がプログラムになって宇野に解析されている―――― そんな錯覚を、青木は覚えた。

「おまえはそれでいいのか」
「なにがですか」
「このまま薪さんが結婚して、それでいいのかって聞いてんだよ」
「おめでたいじゃないですか。これで薪さんの警視監昇任は決まったようなもんだし。上手く行けば、どこかの局長とかに就任できるかも」
 宇野はわざとらしく額に手を当てると、天を仰いで大きなため息を吐いた。芝居がかった仕草に、微かな苛立ちが感じられる。

「はあ……ほんっと、デキの悪い後輩もつと苦労するわ」
 突然、自分の能力にケチを付けられて、青木はムッとするより先に意外に思う。宇野はいつも頑張り屋の青木を、高く評価してくれていたはずだ。

「青木。おまえ、第九に来て何年だっけ」
「7年です」
「7年もかかって、おまえはここで何を学んできたんだ」
「……MRI捜査の手法と技術を」
 それが宇野の求める解でないことは分かっていたが、青木には他に答えが見つからない。
「MRIには、音声は無い。だから俺達は読唇術を習得して、必死こいて事件関係者の唇を読むわけだけど」
 青木の答えに可も不可も付けず、宇野はズボンのポケットに両手を入れて室内をゆっくりと歩き始めた。
「そうやって読み取った言葉が捜査を混乱させたことが、今まで何回あった?言葉だけじゃない。意識的に作った表情にミスリードされて、袋小路に迷い込んだこともあっただろう。失敗から何も学べないなんて、爬虫類以下だぞ」
 ぐるぐると室内を歩いて青木の側までやって来た宇野は、今まで見たこともないような凶悪な目つきで、オチコボレの後輩を睨みつけた。

「このクソムシ野郎が。薪さん、泣かせてんじゃねえよ」
 薪の陰に隠れて目立たないが、ノンキャリアの宇野は口が悪い。第九で薪の次に罵倒文句がキツイのは宇野である。

「宇野さん。あの、もしかして」
 はっきりと言葉にすることはできないが、宇野の言動は青木にある危惧を抱かせる。人に知られてはいけない自分たちの秘密に、宇野は気付いてしまったのだろうか。
 後輩の青くなった顔を見て、宇野が意地悪そうに笑う。室長の影響か、第九には意地悪な先輩が多くて困る。

「俺だけじゃないぜ。みんな薄々気付いてるよ。薪さんが嫌がるから、知らない振りしてるだけだ」
「えっ!」
「あんだけイチャイチャしてて、気付かれないとでも思ってたのかよ」
「仕事中にそんなことはしてないです。どっちかって言うと、薪さんにはイジメられることが多かったかと」
「それがあのひとの愛情表現だって、第九の人間なら常識だろ」
 青木は言葉に詰まった。
 たしかに、むかし薪は自分を愛してくれた。でも、今は……。

「青木。薪さんとは、ちゃんと話したのか」
「話も何も。いきなり婚約したって知らされて、美和子さんのお腹には薪さんの子供がいるって聞かされて。アアもウウも無かったです」
「俺はさ、薪さんの結婚に反対してるわけじゃないよ。だた、薪さんがあまりにも」
 宇野はそこで言葉を切った。辛そうに伏せられた眼鏡の奥の瞳が、その先の言葉を雄弁に語っていた。

「その蛆虫みたいなチンケな脳みそで、もう一度考えてみろ。おまえがしなきゃいけないことが、まだ残ってるはずだ」
 かつて薪がよくしたように、宇野は青木のネクタイをぐいと掴み、脅し文句を叩きつけた。

「オレが……しなきゃいけないこと……」
「おまえも第九の捜査官なら、最後まで真実を見究めろ」
 真剣な目で言って青木を突き飛ばすと、宇野は室長室を出て行った。




*****


 この話を書いてしまってたのでね、トイレで、滝沢さんの手が宇野さんに掛かったときはどうしようかと思いましたよ。 
 うちじゃこの役、宇野さんにしかできないもん。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Mさまへ

Mさま、こんにちは~♪
コメントありがとうございます。


> 薪さんの『愛するひとにとって最高の自分でありたい』気持ちと、青木さんの『愛するひとの仕合せのために潔く身を引きたい』気持ちが、思い込んで、すれ違って...もう大変なことになっちゃってますが。
> 必要以上に深刻にしてしまっているのが当人たちで、周りにはダダ漏れってところが二人らしいです。

なんて傍迷惑な二人でしょう。(笑)
いつものごとく、薪さんが勝手に突っ走ってる状態で、青木さんはどこまで付いてこれるか試されてるような?
そして自分たちの力だけでは先に進めない二人・・・・・この辺が、これからの彼らの課題ですね。


> 雪子さんの突っ込みは入らないんでしょうか(笑)

入れればよかったなー、って思ってました~。(^^;
雪子さんは、竹内と結婚してからは、基本的に二人にはノータッチになってしまうんですけど。
文句くらいは言って来るのが自然ですよね。 別れる騒ぎになってるんですから。


> 宇野さんグッジョブ d(^^
> 普段は何も言わないから、今回はMVP獲得ですね。

そうですね、この話のMVPは宇野さんで。(笑)
宇野さんはずーっと前から二人の関係には気付いていて、それを自分の胸に収めておいたんです。 彼は岡部さんのようにお節介ではないので、薪さんさえ幸せそうにしていてくれれば一生口にする気はなかったのですけど、今回は耐え切れず、余計なお節介を焼いてしまいました。
ここまで言われて動かなかったら青木さんじゃないので~、次章は青木さんに頑張ってもらいますねっ!

ありがとうございました。

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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