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ヘアサロン(2)

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 怒りを含んだ男の声で、薪は眼を覚ました。
 女の声と何やら言い争っている、いや、一方的に男が怒っているだけのようだ。「どうしてこんなことに」とか「確認しない君が悪い」とか、相手の非を責める言葉が聞こえてきて、薪は目蓋を開いた。
 声がする方向を見やると、いつも穏やかな店主が女の子を叱りつけていた。どうやら、自分が眠っている間に何かトラブルがあったようだ。

「そりゃ、総務部長に捕まって帰ってこれなかったぼくも悪かったけど、ていうか、君がカンチガイするのも無理はないけど、靴を見れば分かったはずだよ」
 トラブルの内容については不明だが、どの仕事にも苦労は付き物だな、と彼らに少しだけ同情して、軽く頭を振る。低血圧の薪は、眼が覚めてもすぐには起き上がらないようにしている。急に起きると貧血を起こす恐れがあるからだ。
 リクライニングチェアに仰向けになったまま、腕時計を確認する。カットクロスが外されていないことから、さして時間は経っていないと思われたが、文字盤を確認したらとんでもなかった。

「…………嘘だろ!」
 なんと、二時間も眠ってしまった。会議の時間まで、あと10分しかない。

 慌てて飛び起きて、カットクロスを椅子の上に脱ぎ捨てる。低血圧なんかに構っている余裕はない。
「あ、室長! 誠に申し訳ありません、こちらのミスで、オーダーを間違えてしまいまして」
 薪が起き上がるや否や、店主が気付いて謝罪をしてきた。彼がバイトの娘を叱りつけていた理由は解ったが、そんなことはどうでもいい。ここから警察庁の12階の会議室まで、全力で走って間に合うか。
「すぐにやり直しさせていただきますので」
「悪いけど時間がないんだ。とりあえず、前髪が眼に刺さらなきゃ何でもいいよ」
 料金をカウンターの上に置いて、猛ダッシュで店を出た。本当に、髪型なんかどうでもいいのだ。触ってみた限りでは、オールバックに固められた様子もないし、五分刈にされたようでもない。分け目を間違えたとか、前髪を短く切りすぎてしまったとか、そんなところだろう。

 廊下を走ってエレベーターに到着し、下のボタンを連続で押した。何回押しても箱が下りてくる速度は変わらないと分かっていても、急いでいる時はついついやってしまう行動だ。
 幸い、エレベーターは1分もしないうちに来た。中には2人の男が乗っていて、彼らは薪とは一面識もなかったが、何故か薪を見てびっくりしたような顔をされた。
 時間に追われて血走った形相をしていたのかな、とその時は思ったが、各階止まりのエレベーターの扉が開くたび、入って来る職員たちがみな、薪の顔を見て一様に眼を見開くのだ。何だかおかしい、とは思ったが、腕時計のアラームが薪にその違和感を放棄させた。会議開始時刻、5分前だ。
 警視庁から警察庁へは、一旦建物の外に出なくてはならない。短距離走には自信があるが、それでもギリギリだ。若輩者の自分が会議に駆け込みなんて、後で部長たちに何を言われるか。

 1階に着いて外に飛び出し、警察庁まで必死に走る。警察庁のエレベーターに乗ったのが、定刻の3分前。12階の会議室に入ったのは、定刻の1分前だった。
 ドアを開けると、既に薪以外の全員が顔を揃えていて、一斉にこちらを見た。若造のくせに定刻1分前の到着とは非常識な、そう言わんばかりの非難がましい視線が突き刺さる。
 部長会議の出席者は全員が薪よりも10近く年上の重役ばかり。若輩の薪が事前準備に駆り出されるのは当たり前だ。もちろん、手伝いではなく第九の代表者として出席しているのだが、そんなものに拘って第九の立場を悪くしたくない。薪は重役たちの前で、捜査以外で自分の主張を通そうとしたことはなかった。出世にも保身にも興味はないし、プライドもない。大切なのは、親友が遺した第九を守ることだ。

「すみません、遅くなりました」
 素直に頭を下げて、末席の自分の席に着こうとする薪を、途中で科警研所長の田城が呼び止めた。
「薪くん、その頭」
「はい?」
 慌てて理髪店を出てきたから、もしかしたらヘアクリップでも付きっぱなしになっていたか、と恥ずかしく思いながら、両手で髪を確認してみる。が、手に触るものは何もなく、いつもと変わらぬサラサラした感触があるだけだった。
「なにか、ヘンですか?」
「いや、よく似合ってるけど……完全に高校生にしか見えないねえ」
「はあ?」
 
 不思議に思いながらも、時間がそれ以上の質疑を許さず、薪は自分の席に腰を下ろした。レジュメと黒い折箱に入った弁当が置いてある。強制されているわけではないが、こういった用意の手伝いは一番若くて階級が低い自分の仕事だ。だから必ず定時の30分前には会議室へ入るようにしていた。開始時刻ちょうどに現れた薪が謝罪をしたのは、そういう理由からだ。
 会議の席次は、出席者全員の顔が見えるディスカッション式になっている。最後に到着した自分を、みんながジロジロ見ている。そんなに責めなくても良さそうなものだが、眠ってしまった自分が悪いのだ。居心地の悪さは仕方のないことだと諦めた。
 
 やがて会議が始まると、出席者の注視は進行担当の刑事部長と弁当に振り分けられたが、薪に注がれる視線は止むことが無かった。末広亭の松花堂弁当は薪の好物だが、絶えず重役たちに睨まれては、さすがの薪も味覚が鈍ろうというもの。何とか残さず食べたものの、味はよく分からなかった。
 会議の間中、いくつかの不穏当な視線は薪に向けられたままだったが、昼食会を兼ねた会議自体は滞りなく進行し、定時の14時にはお開きになった。
 
 議長が席を離れたのを確認して、薪は重役たちに一礼し、廊下に出た。入室は時間に余裕を持ってするが、退室は速やかに為すのが正しい処世術だ。何故なら、刑事部長を筆頭とする警察機構の実力者たちが、会議録に残してはいけないことを語るべく、その場に残るのが常だからだ。薪のような一介の室長ごときが係われる密事ではない。
 ドア口を出るまで、薪の背中には彼らの視線が突き刺さっていた。一番身分の低い自分が定刻ギリギリに滑り込んだのは失礼だったかもしれないが、会議の時間に遅れて皆に迷惑を掛けたわけでもないのに、あそこまで不快に思われるなんて。それはつまり、第九を快しとしない彼らの気持ちの顕れなのだろう。
 これからは気をつけなきゃ、といささか気落ちして科警研に帰って行く薪の後方、会議室の中で交わされた会話のありえなさ。

 口火を切ったのは刑事部長だった。

「いやー、驚きましたな! 今日の警視正、むちゃくちゃ可愛かったじゃないですか」
「前々から美人でしたけど、髪型一つでああも変わるとはね。見惚れてしまって、眼が離せませんでしたよ」
「いやまったく。何と言う髪形なのか、街ではよく見かけますが、彼がすると特別なもののように見えますな。奇跡的な美しさだ」

「わたしなんか、ほら。携帯のカメラで」
「総務部長! 隠し撮りは会員規則違反ですよ!」
「固いこと言わないで、この場に残った会員には全員に送信しますから」
「そういうことなら……あああ、なんて愛らしさだ」
「ちょ、画面にキスはないでしょう!」
「うるさい、あんたらだって陰じゃこんなこともあんなこともしてるでしょう!」
「してませんよ! 警視正は私にとっては女神です、劣情の絡む余地はありません」

「何を白々しいことを。刑事部長がシャワーシーンの写真を闇で購入したことは、我々公安部の調べで分かっていますよ」
「自分の部下に何を調べさせてんですか、公安部長! こっちだって知ってますよ、あなたが諜報部の連中を使って密かに彼に想いを寄せる男たちを潰していることくらい」
「いや、それは我々会員の公共の利に寄与することだ。警視正の純潔を守っているんだからな。責めを負うべきは、シャワーの写真を独り占めしたあなたの方ですよ、刑事部長。あれは会全体で保有すべき宝物だ」
「そういう警務部長だって、警視正がプールに置き忘れたタオルをオークションで競り落としてたじゃないですか。彼の肌についた水滴を含んだ、あの聖布を!」

「いやいや、あれは会の運営費を賄うためのオークションだったんですから、警務部長は間違ったことはしていませんよ。むしろ問題はあなたの方だ、総務部長。カフェテリアに手下を紛れ込ませて、警視正が使った割り箸を手に入れたと言う噂が」
「何ですか、自分のことを棚に上げて。地域部長こそ、彼の隣の席をいいことに、先月の会議のとき彼がコーヒー飲んだ紙コップ、捨てといてあげるとか上手いこと言って持って帰ってたじゃないですか」
「そこを責めますか。なんて恩知らずな。誰のおかげで今日、警視正の食事風景を見ることができたと思ってるんです。昼食会を兼ねた会議を提案したのは私ですよ?」

「そうですよ、地域部長には感謝すべきですよ。彼と一緒に食事をしたい、という我々の望みを叶える方法を思いついた英雄なんですから」
「ええ、夢のような二時間でした。彼と一緒に、彼と同じものを食べて。他の会員たちが悔しがるでしょうな」
「いや、可哀想なのは我々の方です。一般職の会員たちはカフェテリアで彼の食事風景を見ることもできるでしょうが、我々の階級になると職員食堂の利用は憚られますから、こんな策でも取らない限り彼と一緒に食事なんてできませんからね。不自由なものです」

「それだけに、貴重な体験をさせていただきました。彼の優雅で上品な箸使い、小鳥のような唇の動き……眼に焼き付いておりますよ」
「ええ、とても可愛らしくて。彼、里芋を挟もうとしてね、箸の先がつるっと滑ったんですよ。そうしたら、あ、って小さく声を洩らして。まあ、隣の席にいた私にしか聞こえなかったと思いますけど」
「わたしも見ましたよ、向かいの席ですから。ちょっと焦った顔をして、実に可愛かった」

「少し狡いんじゃないですか、お二人とも。そんなプラチナショットを独り占めしていいと思ってるんですか? 警視正はみんなのもの、携帯のカメラに収めて全員に配信すべきでしょう」
「総務部長のおっしゃる通りですよ。この際、はっきり言わせて貰いますけど地域部長と生活安全部長。あなた方が毎回警視正の隣と真正面の席に座れるってのも不公平だと思うんですよ。あの席は、いわば特別席。もっと平等にすべきです」
「「いや、それは階級順ですから」」
「しかし、この会議は忌憚無く意見を交わす場のはず。階級に拘るのはおかしいでしょう。その姿勢を表明するためにも、これから警視正の隣の席と向かいの席は、くじ引きで決めることにしませんか」

「「「「「「賛成!!」」」」」」
「「反対!!」」
「6対2でくじ引き案は可決されました」

 翌月に開かれた部長会議で、薪の隣に刑事部長が座ったのにはこんな理由があったのだが、その時、いつもと違う席順に不思議そうに小首を傾げる警視正の様子が、彼らを喜ばせたのは言うまでもない。





*****


 こんな警察機構だったら、本部内手配されても安心なのに。(笑)






テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんにちは。


本当に、五分刈りじゃなくてよかったですね。 やりかねませんからね、しづ。(笑)
はい、こちらの薪さんは、ちょっとウェービーな感じを想像してみました。 
前髪は下げた方が薪さんには似合う気がしますが、せっかくの美しい瞳が隠れてしまうのはもったいないので、あまり長くない方がいいかな。


> ぶはは(>▽<) 会員てファンクラブ!?
> 間宮予備軍がこんなに・・いやー!!
> でも、こんな人達だったら薪さんは安泰ですよね(^▽^)

これはアレですね、「薪さんの女装を愛でる会」の初期メンバーですね。(爆) 
間宮予備軍て。(^^;) 
大丈夫、このおじさんたちは見ているだけで満足なので、手を出したりはしません。 ご安心を。

こんな人たちが上層部を占めていたら、薪さんの身は安泰だと思いますが、警察機構は崩壊すると思います★
でも、警察が崩壊してもいいから、薪さんの命が保証されていた方がいいですよねっ!
…………もう薪さんを心配し過ぎて、ものの価値が分からなくなってきました。


Rさまへ

Rさま、こんにちは。


> 薪さん、かわいすぎます。しかし、会議の目的が・・・。愛でる会はここから始まっていたのでしょうか。

ありがとうございます♪ 
会議の目的は、ちょっ、ちがっっ、薪さんを愛でるために会議を開いているわけではないと、あ~、でも、その可能性が否定しきれない~~~。 大丈夫なのか、この警察。

この人たちは、そうです、愛でる会の発祥です。(笑)


> 当時青木がいたら第9に帰ってきた薪さんを見た時点で鼻血を出してノックアウト、薪さんが意味がわからず回し蹴りかな。

そうなんですよ、青木さんが見たら大変なことになるのでね、今回は都合よく出張中ということで。
し、しかし、意味が分からなくて回し蹴りって!!(笑)
とりあえず蹴っとけ、って感じですか? ありそうで怖いです★☆★


Aさまへ

Aさま、コメントありがとうございます~。

吹き出してくださってありがとうございます! 
ギャグには一番力入れてますので。 笑っていただけるのが何よりも嬉しいです♪
ただ、Aさまが会社の同僚の方にヘンな目で見られなかったか、ちょっと心配です。(^^;


Aさまも「薪さんをこっそり愛でる会」に入会ご希望で。
わたしも希望しますっ! 相手には気付かれないように、こっそり見るのがいいんですよね!! 食事風景とか仕事してる様子とか。 これぞ愛でる会の極意。
そして、オークションで薪さんが使った紙コップを競り落とすの。 うっとり。 ←世間一般のドリーマーと夢見るものが違ってすみません……。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
10万拍手ありがとうございます!
いつの間にか9歳になってました。( ゚Д゚)
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