言えない理由 sideB(6)

言えない理由 sideB(6)





 どうにかしなければいけないという気持ちと、相手を離したくないと思う気持ちとが、鈴木の中で鬩ぎ合う。そんな毎日だった。
 鈴木は何度も何度も、薪にその話をしようとした。しかし、薪はそのたびに鈴木の言葉を遮った。新しく開店したカフェの話題や、丹精込めてこしらえた食事や、最終的には自分の身体を武器にして。
 そこまでして、聞きたくない言葉だったのだ。
『もう少し、距離を置こう』
 その時は理解できなかった。薪にとってその言葉が、どれほど残酷な一言なのか。
 
 だから、どうしてこんなにこいつは人の話を聞かないのだろうと、少々苛立ちもした。そんなときには、小さな諍いを起こしてしまうこともあった。軽い口ゲンカ程度だったが、友人だった頃には薪と口論になったことなど一度もなかった。薪はいつも自分勝手で我が儘だったが、引き際はわきまえていた。
 恋人になってからは、それがまったく逆になった。普段は素直でかわいいのに、口論の時には絶対に自分を譲らなかった。特に鈴木が女友達を交えて飲み会に参加したときには、異常なまでの猜疑心で鈴木を責めた。
 ならば一緒に行こうと誘っても、薪は絶対についてこなかった。他人を交えての飲み会となれば、ふたりきりの時のようには振舞えない。お互いの目の前で、他の男女と楽しく過ごさなければいけない。それは薪にとって耐え難いことらしく、しかし鈴木にまでそれを強要することはさすがにできないと見えて、鈴木の付き合いを封じることはしなかったが、翌日、彼のご機嫌は確実にナナメだった。

 そんなことの繰り返しが、彼らから思いやりと笑顔を奪っていった。
 思いは通じ合っているはずなのに、諍いばかりが増えていく。どうしようもなくすれ違う心と、言葉を重ねるほどに深まっていく誤解。薪は鈴木への独占欲から疑心暗鬼に囚われて、次第に心の均衡を崩していった。
 まるで子供に返っていくようだ、と鈴木は思った。
 恋人という関係になってから、薪の人間性は劣化した。友人としての彼は、もっと冷静で思慮深く、社交性も高かった。
 学業の面において、葛西教授の言うとおり、薪は堕落した。それが人間性にも起きているとしたら。

 考えてみて、鈴木は地面が抜けるような崩落感を覚えた。自分とこういう関係になって、薪のためにプラスになったことが、何かひとつでもあっただろうか。
 薪の笑顔が見たいから、鈴木にはそれはとても重要なことだったから、だって誰よりも大切に想っていたから。だから何だかこうなるのが当たり前だったような気もして、深く考えもせずに彼を受け入れてしまったけれど。本当に彼のことを考えるなら、その人生に幸あれと願うなら、自分は彼を拒否するべきだったのではないか。
 
 その疑惑は、冬の休日に確証を得た。
 真冬、とても寒い日だった。その日が恋人としての最後の日になった。

「行かせない」
 雪子と一緒に映画に出かけるという鈴木を、薪は必死に引き止めた。
 人間が人間として生きていくためには、大勢の他人と関わりを持つ必要があるのだと説く鈴木に、薪は夢中で言い返してきた。
「僕は鈴木がいれば他の人は要らない。なのに、なんで鈴木はそうじゃないんだよ! どうして僕だけじゃいけないんだよ!」

 彼の狂おしいまでのひたむきさがどこから生み出されるのか、鈴木はこのとき、やっと理解した。
 距離を置こうと、他の友人たちとも付き合うようにしようと、それが自分たちが長く付き合うためだと、そんな理屈は薪には通らない。薪にとっては鈴木がすべてで、今この瞬間、鈴木の隣にいて同じ空気を呼吸している、ただそのことが重要であって、他のことはどうでもよいこと。
 百億の人間のうち、鈴木だけが意味を持つ彼の世界。
 そこまで狭められた世界に生きる彼には、恋愛と社会性のバランスを保つという、人間なら誰もが普通にしていることが為せない。天才的な頭脳も驚異的な記憶力も、何の役にも立たない。

 何がいけなかったのだろう。彼をそんな社会不適格者に貶めてしまったのは、どこの不届き者だろう。

 オレの大事な薪を、と鈴木は滅多と感じない怒りを覚える。
 オレがこの世で一番大切にしていたあの涼やかな瞳を、万物を映してきらめく万華鏡のような瞳を、彼に恋という魔法をかけることで、たったひとりの人間しか映し出せない呪われた鏡のようにしてしまった悪魔。言葉巧みに誘惑し、堕落させ、彼の前に限りなく広がっていたはずの賞賛と栄光に満ちた世界を、こんなにも狭搾したものに変えてしまった悪魔。
 その悪魔が誰なのか、鈴木は知っていた。
 一刻も早く薪の人生から悪魔の存在が消えることを望み、それを為せるのは自分だけだと鈴木は思う。が、この局面において潔くなれるほど、鈴木も大人ではなかった。鈴木は何とか彼を説得しようと、最後の希望に懸けた。

「警察官が男とこういう関係持ってたら、世間的にもまずいだろ?だからもっと広い交友関係を築いて」
 彼の子供の頃からの夢。そのために法学部に席を置き、犯罪心理学の教授に教えを請い、大学に入ってからの時間の多くをそのために費やしてきた。その夢だけは、まだ彼の心の中に息づいているはずだと信じたかった。なのに。
「それなら警官になんか、ならなくたっていい」

 耐え難い衝撃が鈴木を襲った。
 微塵の迷いも見せず、スッパリと薪は自分の夢を切って捨てた。それは、自分を捨てるも同じこと。
 鈴木に残された道は、ひとつしかなかった。

「もうお終いにしよう、薪。オレたち、別れたほうがいい」
 残酷な言葉を紡ぎながら、鈴木は葛西教授の悲しそうな顔を思い出していた。
 自分を簡単に捨てられる人生なんて、そんな無価値な未来を薪に選択させるわけには行かない。
「今のおまえは、オレが惚れた薪じゃない」
 戻って欲しかった。昔の薪に戻って、彼の本来の生と世界を取り戻して欲しかった。
 そのためには、自分がいては駄目なのだ。

 視界の隅に映り込んだ薪の泣き顔に疼く心を抱えて、鈴木は真冬の街に出た。
 絶望というものを生まれて初めて体験しながら、これほどまでに猛り狂う気持ちが自分の中に存在したのかと驚きを覚えながら、鈴木は薪の最後の言葉を噛み締める。
『僕は鈴木さえいればいいんだよ! 鈴木を失うくらいなら、何にもいらないよ!』
 頭の中に響き渡る悲痛な声音を遮りたくて、鈴木は大きくかぶりを振った。

 そんなつまらないものに左右されるほど、薪の人生は安くない。薪の、オレの薪の人生が、そんなんで終わっていいはずがない。
 これから自分たちは社会に出る。薪は薪に相応しい舞台で、その才覚と能力を余すところなく発揮して、天才の名に相応しい偉業をやり遂げる男になる。その過程で、人生の伴侶も見つけることになるだろう。
 それはオレじゃなくていい、オレの役割はそこじゃない。おまえの未来を奪うくらいなら、オレはいっそ、おまえの前からいなくなることを選ぶ。

 だけど、と鈴木は心の中で慟哭する。
 だけど、薪。
 好きだよ、自分でも信じられないくらい、おまえが好きだよ。おまえの幸福のためなら世界が無くなってもいいと思えるくらいに、この世のいかなることも引き合いに出せないほどに、おまえのことが大事だよ。
 だから、オレのこの胸の痛みなんか、ちっぽけなことなんだ。おまえのこれからの輝かしい人生の前には、瑣末なことなんだ。

 胸のうちで叫んだはずなのに、何故か喉が痛くなって、それを不思議に思いながらも歩くスピードは緩めずに、鈴木は雪子との約束の場所を目指した。向こうから歩いてくる中年の女性に、すれ違いざまに同情の篭もった目で見られたような気がして、ふと足を止める。
 嫌な予感に動かされ、左手のショーウインドウに映る自分を確認して、鈴木は我が目を疑った。
「自分から振っといて、泣いてりゃ世話ねえ」

 薪は。
 薪はまだ、泣いているだろうか。

 鈴木はマフラーの裾で涙を拭き、振り向きざまに走り出した。
 あいつは感受性が強くて、けっこうな泣き虫だ。映画を見ても本を読んでも、面白いくらいに泣くやつだ。
 そんな薪に、あんな言い方をしてしまって。あんな、傷つける方法でしかふたりの未来が探れないなんて、そんな手段しか取れないなんて。もっとちゃんと話し合って、お互いが納得のいく形でこれからのことを決めるべきじゃないのか。
 そんな理由が、後からついてきた。本当は、薪の泣き顔を思い浮かべたら、足が自然に動いてしまっただけだ。

 息せききって走りこんだ薪のアパートに、主はいなかった。
 部屋の鍵は開いたまま、暖房もつきっぱなしだった。ハンガーに掛けられたコートやマフラーはそのままで、薪のスニーカーだけがなくなっていた。
「薪……?」
 最後に自分に取り縋った薪の様子を思い出して、鈴木はいたたまれぬ焦燥に身を焼かれる。薪は、自分を追いかけて部屋を出たのかもしれない。コートを羽織る余裕もなく。
 ぞっと、背筋に氷を当てられたように、鈴木は身を震わせた。

『鈴木がいない世界なんて、意味ないもん』

 昔、寝物語に薪が語った物騒な約束を思い出す。あの時は枕上の睦言としか思わなかったが、薪の本当の気持ちを知るに、あれは真実であったと、薪にとっては現実なのだと、解って鈴木は身体の震えが止まらなくなる。

 そのとき、携帯電話の着信音が響いた。
 一瞬、薪からかと思ったが違った。薪の携帯は、部屋の充電器につながれたままだった。
『ちょっと鈴木くん。どこにいるのよ、映画始まっちゃうわよ』
「今、薪のアパート」
『あっそ。じゃ、あたし一人で観てくるから。あとでお金はちゃんと回収するからね』
「薪がいないんだ。どこにいるか、知らないか」
『……何であたしが知ってると思うわけ?』
「早く探さないと、大変なことになるかもしれない。オレ、あいつにひどいこと……頼む、薪を探してくれ!」

 ただならぬ気配を感じたのか、雪子はすぐに薪のアパートへ駆けつけてくれた。何処を探したらよいのか見当もつかず、焦るばかりで行動が伴わない鈴木の背中をバシンと叩いて、「しっかりしなさい!」と怒鳴りつけた。
「親友でしょ? 薪くんの行き先ぐらい、わからないの?」
 わからなかった。
 本当に、何も思いつかなかった。
 誰よりも彼に近しい存在であったはずなのに、オレは今まで薪の何を見てきたんだろうと思った。

「仕方ないわね。こうなりゃ人海戦術よ」
 呆然と佇む鈴木に同情とも軽蔑ともつかぬ視線をくれると、雪子は力強く言い切り、ポケットから携帯電話を取り出した。
「あ、もしもし、麻子? 法学部の薪くん、知ってる? うん、彼を探してるの。見かけたら連絡くれる? そう、大至急」
 雪子は、次々と自分の友人に電話を掛け始めた。女性男性入り混じり、医学部だけでなく文学部や理系、果ては講師に至るまで、雪子の交友関係の幅広さに鈴木は圧倒された。

「こういうとき、ターゲットが有名人だと助かる……何やってんの! あんたもさっさと電話しなさいよっ!!」
 叱り飛ばされて、鈴木は我に返る。
 薪の無事を確認したい、それは山々だけれど、友人たちにその手助けを頼むのは躊躇われた。雪子の友人たちとは違って、彼らは薪の友人でもある。鈴木からそんな頼みごとをしたら、詳しい事情を知りたがるだろう。
「あんまり騒ぎ立てないほうがいいかも。その」
 薪がどうして真冬の街に防寒具も無しに出かけたのか、彼を発見した誰かがその理由を聞いたら。自暴自棄になった薪は、その誰かにすべてを話してしまうかもしれない。鈴木の中の良識が、その危険性を示唆した。

「鈴木くん、今自分がどんな顔してるか分かってる?」
 言われて鈴木は、雪子の顔を見た。気の強そうな黒い瞳が、燃えるように輝いていた。
「お気楽なあんたがそんな顔になるほど、やばい状況なんでしょ。違うの?」
 自分がどんな表情をして雪子の前にへたり込んでいるのか、鈴木には自覚がなかった。先刻、通りすがりの女性に同情されたときのように、泣いているのかもしれなかった。
「薪くんを早く見つけないと、あんたのほうが死んじゃいそうよ」

 死、という言葉が鼓膜を震わせた瞬間、鈴木の脳裏に最悪の光景が浮かんだ。
 青ざめた薪の顔が見えた。血の気を失った頬と艶を失くしたくちびるが、彼の美貌を凄絶に彩って、鈴木を戦慄させた。それは生まれて初めて味わう真の恐怖だった。

「中島? 薪がいなくなったんだ。探してくれ」
 気がつくと鈴木は、携帯電話に向かって夢中で叫んでいた。



*****



 薪を見つけたとき、鈴木は神さまに感謝した。
 雪子から連絡を受け、言われた場所に全速力で走り、冬の最中に汗だくになって彼のもとへ辿り着いた。
 一軒の建物から、薪は雪子に引き摺られるようにして出てきた。
「薪!」
 大声で呼びかけて、有無を言わさず抱きしめた。街の中、派手なラブホテルの門前、何事かとこちらを見ている通行人たち。自分たちが他人からどう見えるか、そんなことを気にする余裕はなかった。

 腕の中にしまった彼のぬくもりを感じる。鈴木の顎の下にすっぽりと納まってしまう彼の、頼りない、でも温かい身体。
 生きてる。怪我もない。自分の胸で子供みたいに泣いている、彼はとても元気だ。
 感謝します、と鈴木は心の中で繰り返し思った。何が一番大切なのか、やっと分かった気がした。

 泣き続ける薪を抱きしめる鈴木の耳に、女友だちの勇ましい声が聞こえてきた。
「なに見てんのよっ! ぶっとばすわよ!」
 彼女に噛み付かれた通りすがりの若い男が、慌てて逃げていく。鈴木は苦笑しつつ、薪を抱く腕にぎゅっと力を込めた。




*****


 ということで、薪さんは振られてしまいました。
 さー、みなさん、しづと一緒に、にに子さんのブログへダッシュ! 



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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