パンデミック・パニック(3)

 明日だっ、もう明日だよ~、あー、どうしよー、ねえ、どうしたらいいの? どうしたらいいと思う?!
 と言う会話を何日か前からオットに仕掛けては後頭部をどつかれておりますしづです。

 お話の方もパニック状態ですけど、リアルはもっと重症です。 あー、薪さん……。





パンデミック・パニック(3)





 青木がモニタールームを出た後、薪は気絶した犯人の頬を叩いて意識を回復させた。5回目のビンタでやっと目を覚ました男が、「なんて乱暴な女だ」とふざけたことを言うから、もう一発殴ってやった。

「おまえの名前は? このIDカードは? 盗んだのか」
 腫れ上がった頬を横に向けたまま、男は答えない。大抵の人間は手錠を掛けられると抵抗する気力を失うものだが、なかなか性根の据わったやつらしい。
「法一で、何をするつもりだったんだ」
 誰が言うか、と嘯く犯人に、薪は冷笑を浴びせる。
「黙秘する犯人に無理やり唄わせるのが取り調べの醍醐味ってもんだ。せいぜい僕を楽しませろ」
 喉の奥で笑って、薪は床に転がったままだったメスを取り上げた。先刻、自分の喉元に突きつけられた凶器をお返しとばかりに男の頬に当て、悪魔でさえ逃げ出しそうな残酷な笑みを浮かべる。

「へっ、脅したって無駄だ。監視カメラがあるところじゃ、警官は何もできないはずだ」
 犯罪者には厄介な設備であるはずの監視カメラが、自分の身を助けてくれる。ここは日本、法治国家だ。政治警察のような無体な真似は許されないはず。
 が、メスを持った男は戸惑う様子も見せず、それどころか鼻で嗤うように、
「知ってるか? ここは法医第九研究室と言って、死んだ人間の記憶を見るんだ。あのでかいモニターでな。個人情報の流出を防ぐため、システムが起動している間は監視カメラは作動しないようになっている。つまり、僕がおまえに何をしようと、真実は誰にも分からない」

 亜麻色の瞳が限りなく冷酷な光を宿しているのを認めて、男の背中に冷たい汗が流れる。
 第九研究室の悪名は、彼の耳にも入っていた。一緒に犯行を計画した友人から聞いたのだ。死神の棲まう研究室とか言われているらしい。特にそこの室長は冷酷非道な男で、本物の死神よりも恐ろしいとかサタンの生まれ変わりだとか稀代のファムファタールだとか、最後の意味はよく分からないが、とにかく、係わり合いにならないほうがいいと自分で注意したくせに、どうして建物の場所を間違えて教えるかな……。

「お、おまえ、警官だろ?」
「警察官だって人間だ。毎日毎日人殺しの画ばっかり見てたら、自分でも試したくなるのが人情ってもんじゃないか?」
「つっ、罪は必ず露呈するぞ! 完全犯罪なんかありえないんだ!!」
 もう、どちらが警官だか分からない。
 犯罪者側に片足を突っ込んだ第九の室長は、銀色に光る刃物をピタピタと男の頬に押し付けながら、
「おまえには生憎だが、僕は警視長という高い階級に就いている。僕の言葉は、ここでは絶対だ。誰も僕を疑ったりしない」
「さっきのデカイ男が帰ってくる! 彼は自分の正義に基づいて、正しい証言をしてくれるはずだ!」
 なるほど、と言って室長は、リモコン操作で自動ドアをロックした。ドアの前に立っても扉は開かない。ニヤニヤと笑いながら、彼はこちらに歩いてきた。……この男、本気だ。

 細い指が男の頬に添えられ、恐ろしいくらいに整った美貌が近付いてくる。至近距離で瞬きされて、重なり合う睫毛の音が聞こえたような気がした。
 これが男?あり得ない。こんな人間、この世に居るわけがない。この男の顔立ちは、人間を超えてしまっている。悪魔とか妖魔とか魔物とか、そういった人外の造形に近い気がする。
 要は、普通じゃないということだ。
「ずっとやってみたかったんだ……人間の身体中の皮膚を剥がしたら、どれくらいで出血死するものなのか。なあ、教えてくれよ」
 つうっと爪の先で男の頬を撫で上げれば、それがチェックメイトのサイン。

「わ、わかったっ!! 白状するっ! 実はこの細菌を増やして」
「細菌?」
 彼は手錠の掛かった手で、白衣のポケットから名刺入れ程の大きさの黒い箱を取り出した。
「うちの研究室で開発したばかりの細菌だ。これを培養して増やし、外国のテロ組織に売りつけようと」
「そんな物騒なことを考えていたのか。やっぱりここで殺しておくべきだな」
「いやっ、もうそんな気は失せ……あ、あれ?」

 ざざあっと幻聴が聞こえるほど、白衣の男は一気に青くなった。頬にメスを当てられていたときよりずっと、それは決して逃れられない死の恐怖に怯える者の顔つきだった。
「ケースが……壊れて」
 見ると、黒い小箱からは白い煙のようなものが立ち上っている。何らかの衝撃を受けたことが原因で密閉容器が破損し、中身が外に漏れ出してしまったらしい。
 ……もしかしなくても、さっきの一本背負い?

「あんたが投げ飛ばしたりするから!」
「人のせいにするなっ! 自業自得だろうが!」
 自分で認めてはいても、それを他者に指摘されると腹が立つものだ。特に、元凶の人間には言われたくない。
「い、いやだ、死にたくないっ、助けてくれ!」
「勝手なことを言うやつだな。それがテログループに渡ったら、何千人も死ぬんじゃないのか」
 犯罪者特有の身勝手な命乞いを、薪は足蹴してやりたい思いで退けた。
 多くの命が失われることが確実な行動を取っておいて、自分は死にたくない? ふざけるな、おまえが一番先に死ね。
 警察官の良識が飲み込ませた悪態を舌打ちに変えて、薪はぶっきらぼうに言った。

「ワクチンを出せ。打ってやるから」
「おれは持ってない」
「ワクチンも持たずに毒性のある細菌を盗み出してきたのか? 侵入する建物を間違うあたり、ドジな男だとは思っていたが。そこまでアホか」
 なんて杜撰な犯罪計画だ。容器の破損による自己の感染なんて、充分に考えられる事態ではないか。それくらいのことも計算に入れなかったとは、呆れ果ててモノが言えない。こんなオツムでテロ組織と取引しようなんて、恐れ入ったドリーム精神だ。

「研究所の名前と住所を言え。警察から働きかけて大至急取り寄せてや、――――っ!!」
 突然、男の口から大量の血液が吹き出した。近くに寄せていた薪の顔に、彼の吐血が掛かる。
「おいっ、しっかりしろ!」
 ゴボゴボと、男の喉奥で血泡が沸き立つ音がした。口端から赤い泡を垂らして、男は動かなくなった。カッと眼を見開いたまま、苦悶に歪んだ表情だった。
「嘘だろ、こんな劇的に発症する細菌なのか?! 冗談じゃないぞ!!」

 慌てて男の肋骨を探り、心臓の位置を確かめると、両手を重ねて体重を掛ける。薪は警察官だ。失われる命を、そのままになんてしておけない。
「研究所の名前を言え! 細菌の名称は!」
 懸命に心臓マッサージを繰り返しながら、薪は男に呼びかける。男の胸の上、重ねた手に、拍動は戻ってこない。それでも必死に圧迫を繰り返し、薪は彼に声を掛け続けた。
 心臓マッサージは重労働だ。薪の額には汗が浮き、呼吸は激しくなり、使い慣れない二の腕の内側の筋肉が痛みを訴える。
「帰ってこい! 僕の前で死ぬなっ!」

 鼻先から、汗が滴り落ちる。男の白いワイシャツに落ちた薪の汗は、赤かった。顔に浴びた彼の血のせいだ。
「ちくしょ……」
 自分の手から零れ落ちる命が口惜しくて、薪は美しい顔を歪める。知らなかったとはいえ、この男の死因は自分にあるのだ。
 MRIシステムを無謀な団体から守るため、守衛室の手前にはセンサーがあって、大量の火薬や危険物に反応して警報を鳴らすようになっている。警報が鳴った様子はないから、爆発物は持っていないと判断した。だから投げ飛ばしたのだが、それが命取りになった。
 
 汗だくになりながら薪が心臓マッサージを続けていると、入り口のほうから、ドンと鈍い音が響いた。
『痛った……なんでドアが開かないんだ?』
「入るな!!」
 その声を聞いた瞬間、薪は男から離れて、ドアに駆け寄った。
 犯人を脅して自白させるための偽装だったが、ドアをロックしておいて良かった。こんな危険な場所に、青木を入れてなるものか。

「青木、直ぐにこの建物を閉鎖しろ。誰も中に入れないように、おまえも早くここから離れるんだ」
 炭疽菌等の粉末細菌は空気感染する。ホワイトハウス宛の封筒に封入された炭疽菌で、郵便局員が感染した例もある。
 ケースから発生した白い煙を吸って、男は吐血した。モニタールームの自動ドアには防音効率を高めるためにかなりの密閉性を施してあるはずだが、絶対に外に洩れないとは保証できない。

『命の危険があるなら尚更です。オレは薪さんの傍に』
 窮状を理解せず、感情に流されようとする青木の愚かさに、腹が立った。思わず怒鳴ってしまった。
 これでは駄目だ、青木はもう薪の怒声には慣れてしまっている。いくら脅しつけたって、自分の命令には従わないだろう。

 落ち着くために、深呼吸をした。心臓マッサージの疲れか、立っているのが辛く、薪は扉に背を向けて体重を預けた。自然と目に飛び込んでくる、もはや手の施しようのない男の死体。
 フラッシュバックする過去の記憶。血溜まりに転がっていた親友の姿。男の顔は鈴木の顔になり、次の瞬間、薪の恋人の顔になる。
 ひゅっ、と喉が張り付いたみたいに、息ができなくなった。

『ここを開けてください』
 苦しそうな青木の声をドア越しに聞いて、薪は思った。
 感情に流されているのは、本当に駄目なのは自分のほうだ。
 青木の身に感染の危険があるかもしれないと、そう思っただけで自分はいとも簡単に、この男の蘇生作業を放棄した。自分がしなければならなかったのは、彼の蘇生を続け、この細菌の正体を聞き出すことだったのに。そうしておけば万が一感染が広がったとしても、被害に遭った人々を助けることができたかもしれないのに。

 薪はドアを離れ、男の死体に近づいた。開いたままだった彼の両目を閉じてやり、モニター用の埃避けに使う白布を亡骸に掛ける。
 結局自分は、テロ組織に細菌を売ろうとしたこいつと一緒だ。
 人の命は等しく重い、そんな当たり前のことすら分かっていない、実践できない。僕には青木の命だけが大事なんだ。
 世界中の人が感染してこの男のように血を吐いて死んだとしても、彼だけは無事でいて欲しい。今の自分の行動は、そんな利己的な心の現われだ。
 激しい自己嫌悪に駆られながら、しかし薪には悠長に自分を掘り下げている時間はなかった。感染エリアから青木を遠ざけなければ。
 再びドアに寄り、薪は悲痛な声で言った。
「……青木。僕を助けてくれ」
 
 自分はここに留まらなくてはならない。細菌に侵されて心停止した男の吐血を、顔面に浴びた。粘膜感染の可能性は極めて高い。
 死ぬ前に、やっておかなければならないことがある。

 礼儀を重んじている余裕はなかった。青木を屋外に避難させた後、薪はいくつかの番号に電話を掛け、そのうちの何人かをベッドから引き剥がした。
 その時点で打てるだけの手を打ち、モニタールームの中に今宵の寝床を定める。もしかしたら自分の最後の居場所になるかもしれないその場所で、薪は親友の名前を小さく呟き、襲いくる疼痛に身を震わせていた。





テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Rさまへ

2/27にコメントくださったRさまへ

メロディ発売直前の不安定なときに、コメントありがとうございました。
ちょうど河川の検査と重なってしまって、すぐにお返事さしあげられなくてごめんなさい。 
わたし、薪さんのことを考えると日常生活に支障が出るんです。 その状態で検査を受けるのはさすがにヤバいと思ったので、今回は封印しました。 検査成績があんまりひどいと、工事やり直しさせられちゃうから。(^^;


4月号、Rさまも色々と想像されたのですね。
こちらに書いていただいたラスト、美しい! でも、とっても悲しいラストですね。(;;) 引用してもいいですか? (お嫌でしたら連絡ください)

> 薪さんと青木の二人とも死ぬというのは、私も想像できないです。私は、薪さんの望みとおり青木に撃たれて死ぬ。死ぬ前に青木に「青木、愛してる」と声にならね声を、唇の動きで薪さんの気持ちを知った青木は、初めて自分の気持ちに気付く。青木は薪さんの亡骸を抱いて号泣、薪さんの後を追おうとするも駆けつけた岡部さんに阻止され、しづさまが以前書かれたお話にあるように、薪さんの後を継いで鬼の室長に。愛する薪さんを殺したという事実を秘密として抱えながら生きる。ラストは薪さんの青木と呼び掛ける満面の笑顔。


ええ、清水先生ならこのくらい、平気で描かれる気がします。 でもって、薪さんの儚い美貌にすごくよく似合ってます。

わたしも、青木さんが死ぬと言う選択肢だけはありませんでした。
このお話自体が青木さんの成長物語になってますからね。 と、同時に、薪さんの成長物語でもあると思います。


> ああ、秘密終わらないでほしい。アニメでよくあるパターンですが、最終回の次から新・秘密が始まるとかないかな。清水先生はないでしょうね。

番外編は描かれるような話が出ていましたよ。(^^
事件中心の過去編とか、食指が動いているようだったと、メディア芸術祭の読書会に参加された方から聞きました。


> 青木、良い働きをして薪さんを助けてね。雪子さんが絶対に薪さんを助けてくれるはず。ここの雪子さんなら、絶対に薪さんを死なせない、死なせてなるものかと手を尽くしてくれますよ。
>
> 薪さん、救いの手を待っていてね。

あ、うちの話ですね。
これ、そんなに真面目に心配しなくて大丈夫ですから。 この話、実はギャグなんで、安心して読んでください。(^^) (でなきゃ拍手のお礼にならない~)
そうそう、雪子さんが今回、カッコいいですよ♪ 
他の人もみんな、一生懸命に薪さんを助けようとします。 その手を払わないで、って薪さんに言いたくて、この話を書きました。

最後までお付き合い下さると嬉しいです。(^^

Aさまへ

Aさま、こんにちは。


> 薪さん、「お前が一番先に死ね」なんて思うから(^^;)
> 月の子のアートのように、地球よりも青木が大事なんですよね。

天罰テキメンですね☆

地球よりも青木が大事。
アートは考えた末に自分を刺しましたが、うちの薪さんは咄嗟のことで。 無意識のうちにそれを思わせる行動を取ってしまった、どれだけ青木さんのことが大事なのかの顕れ、なのかな?


> ああ、原作の青木もそれくらい、薪さんのことを想っていたらなあ・・(;;)

思ってますよね!
4月号を読んだ今では、あの状況で薪さんに向かって行けるなんて、
もうどんだけ想ってるんだ! としか見れません♪


> あのう、犯人の脳をMRI にかけたら死の大天使のような薪さんが見れちゃうのでは・・(笑)

あははは!
そうですね、見られたらヤバいですね。(笑)
まあ、これは猟奇事件ではないのでMRIに掛けられることはありませんが。 第九のみんなに見せたかった気もしますが、彼らはこういう薪さん (部下に脅しをかける) を恒常的に見ているので、ああ、薪さん、またやってんな、って思うだけだと思います☆☆☆

Rさまへ

Rさま、こんにちは。


> 我慢できずに購入し読んでしまいました。

周りの方々に不審がられませんでしたか?(^^;
わたしも、読んだ後は平静を保てないので、「なに気味の悪い顔してるの」ってオットに言われたことあります。 にやけてたんですね、きっと。


> 「岡部さんも、小池さんも~みんなあなたが好きなんです」って、青木の言った好きですは、やっぱりこっちの好きなの?


これは!
わたしはちょっと解釈が違ってまして、
あおまきさんは完全成就した、と思ってます。
ええ、恋愛関係含めて成立だと思ってます。 「好き」はあくまで「Love」の意味で。 「みんなあなたが~」とも言いましたけど、それは単に、「他の人もみんな薪さんのことを好きなんです」と言っただけで、彼らと自分の気持ちが同じだと言った訳ではないと思います。 

まさか原作でここまで行くとは思ってなかったので、逆に驚きました。
見方の違いかもしれませんが、あれは絶対だと思うな~。


プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
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