パンデミック・パニック(15)

パンデミック・パニック(15)






「どうやって?」

 好戦的に、山岡は薪の眼を見返した。普段の髪型に戻っても未だ男だとは思えない彼に、自分が犯人ではない証拠を叩きつける。
「副室長に聞きましたよ。谷島は、アルカロイド系毒物による中毒死だったそうじゃないですか。アルカロイドは即効性の毒物。その場にいなかった僕が、彼に毒を盛れるはずがない。あれが殺人だとしたら、一番怪しいのは彼が死んだとき同じ部屋にいた室長、あなたじゃないですか」
 薬品の相乗効果で人を殺せるなんて、その研究を極めたものでなければ想像もつくまい。第一、証拠は何処にもないのだ。
 絶対の自信を持って胸を張る山岡に、しかし薪は怯む様子も見せなかった。

「おまえ、彼と最後に一緒だった人物に罪を着せる心算で彼を第九に案内したのか? だとしたら、他の部署を選ぶべきだったな」
 薪はくるりと踵を返し、ふわりとトランクに座りなおした。細い足を組み、上になった右側の爪先を揺らしながら、滔々と語り始める。

「ケースから噴出した気体を吸って、彼は死んだ。それは間違いない。でも、僕もその場にいたんだ。どうして僕は死ななかったのか。彼と僕の違いは何か。
 現場の空気からも毒物は検出されなかった。あの気体は毒物ではなかった。しかし彼は死んだ。つまり、彼にとっては、あれが毒になったんだ」
 竹内が、地面に落ちた上着を拾い上げて埃を払い、それをもう一度薪の膝に被せてやった。しかし薪は、彼の姿が眼に映らないかのようにそれを無視した。否、本当に見えていないのだ。彼の琥珀の瞳は、非道な殺人者を追い詰める、そのことだけに集中していた。

「事前に薬物を摂取させておき、それを意図的に毒に変える。有名どころでは、蜂毒によるアナフィラキシーショックがあるな。君はそれと同じ状況を、たった二種類の薬物で作り出した」
 押されつつ、山岡は奇妙な胸の高鳴りを覚える。
 獲物を追う彼の、なんて美しさだ。きらきらと輝くのは瞳だけではない。身体全体から迸る波動のようなもの、眼には見えないそれが彼に鱗粉のようなフィルターをかける。
 ピンク色に塗られた愛くるしいくちびるが、その色と形状に相応しくない言葉を連ねる様子に、山岡は見蕩れていた。そしてとうとう、彼の口から出た二つの薬品名。

「CメピジウムとAラセプリルの複合摂取による中毒死」
 山岡の顔色が変わる。正確な薬品名だ。いったい何処からその情報を?

「どうして」
「言っただろ? うちには器用なパソコンマニアがいるって」
「まさか、僕のパソコンにハッキング……そ、それは違法捜査じゃないのか!」
「だからおまえは他の部署を選ぶべきだったんだ」
 美しい肘を反らして、薪は前髪を手櫛で上げた。

 ああ、本当に彼はきれいだ。
 真っ白な額、なんて造形の見事さだ。その奥に隠された頭脳にふさわしい、それとも逆か。収められたものの秀逸が彼の美を作ったのか。

「第九以外の研究室に捜査権は無い。捜査は捜一に委ねるしかない。そして捜一には出来ないことも、第九には出来るんだ。
 うちの職員が捜査のために為したこと、そのすべての責任は、僕が負うからだ」
 頭脳だけではない、と山岡は思った。
 その潔さも男らしさも、上司としての度量の広さも、全部彼の美しさに結びついているのだ。先刻の、ちょっとズレた癇癪さえ、彼の美にある種のスパイスを付け加えていると言っていい。

「あくまで否認するなら、第九にしかできない捜査に踏み切るぞ。僕の権限で、谷島の脳をMRI捜査に掛ける」
 完敗だった。MRI捜査の宣告をされる前に、山岡は自分の負けを悟っていた。
 項垂れる山岡に畳み掛けるように、薪の声は容赦なく響く。
「谷島の細菌培養も、おまえの薬物実験も、本来なら医療に貢献するためのものだろう。病気の人々を一人でも多く助けるため、そのための研究室だ。その成果を殺人に使うなんて、研究者が一番やってはいけないことだ。おまえに法一職員の資格はない」
 山岡だって、昔はそのつもりで実験を重ねていた。山岡の両親は揃って心臓が弱く、そんな彼らに一日でも長生きして欲しくて、薬物研究者の道を選んだのだ。それが、どこで道を違えたのか。

 いや、違う。自分は今でも薬物研究に勤しんでいる。谷島がドジを踏まなければ、借金を返して、元の研究に打ち込む日々に戻れる予定だったのだ。
「あの谷島のバカが。一人で死ねばよかったのに。あんたを脅したりするから」
 やり切れない口調で呟いた山岡の声を、薪の高性能の耳が拾い上げた。薄笑いさえ浮かべて山岡を追い詰めていた彼の表情が、にわかに氷の冷たさを宿す。

「おまえ、谷島とは仲間だったんじゃないのか」
「仲間?」
 薪の誤解に、山岡は笑い出したくなる。天才と称される彼の頭脳でも、こんなミスをするのか。
「よしてくださいよ。僕とあの単細胞とじゃ、釣り合いが取れないでしょう。谷島の研究だってね、アイディアは彼だけど、途中僕がずっと指示をしてたんですよ。その細菌は僕の作品なんです。だから報酬も、僕が手に入れて当たり前なんだ」
 すうっと瞳を細くして、薪は腕を組んだ。
 先刻まで彼を彩っていた犯人逮捕の高揚は消えて、無表情な、本物の人形のような冷えた硬質感が彼を包む。

「谷島は、おまえのことを最後まで喋らなかったぞ」
 抑揚のない無機質な声で、ビスクドールは語った。
「僕がどれだけ脅しても言わなかった。細菌のことや、それをテログループに売るつもりだったことはペラペラ喋ったのに、おまえのことは言わなかった。
 第九と法一の建物を間違えた件についても『そんなはずはない』。ワクチンについても『おれは持っていない』。
 この場所は相棒が教えてくれたのだから、間違っているはずはない。ワクチンは相棒が持っているのだから、自分が持たなくても大丈夫。彼はそう思ってたんじゃないのか」
 暗闇を氷で穿つような声音に、山岡は身を竦ませる。冷徹極まりない表情の彼は、最初に声を荒げていたときより数段恐ろしかった。

「谷島は確かに思慮が足りなくて粗忽者だったかもしれないが、彼はおまえを信頼していた。毒を飲まされたと知るその瞬間まで、いや、もしかすると訳も分からずに死んでいったのかもしれない」
 暖かさを微塵も感じさせない彼の顔の中で、亜麻色の瞳だけが強く輝いていた。長い睫毛に縁取られた美しいその輝きは、山岡の中に鮮烈な恐怖として刻み込まれた。
「殺人は許されない。それと同じくらい、友人の信頼を裏切ることは許されない大罪だ。おまえは一生かけて、その罪を償え」
 下された宣告の荘厳な響きに、山岡は一言も言い返せなかった。心中では谷島を仲間と認めることも、ましてや友人などと思うこともできなかったが、薪の言葉には逆らえなかった。強い敗北感が、彼を支配していた。

 山岡が完全に抵抗する気力を失ったのを見て取ると、責任者の竹内が、彼を連行するよう部下に指示を出した。「お先に」と彼が薪に挨拶をすると、返事の代わりに貸した上着を投げつけられた。相変わらずの手厳しさだ。
 捜一の刑事たちが山岡を連れて行ったのと入れ違いに、凶悪な面をした熊のような大男が現れて、トランクに腰かけたままの少女に近付いてきた。傍から見たら即座に110番されそうな光景だが、少女は男に微笑みかけ、戯れに自分が被っていたカツラを彼に放り投げた。
 代わりに男が着ていた上着を渡されて、少女はそれを素直に羽織る。礼のつもりか微笑みまで添えて、先刻、ひざ掛け代わりに上着を貸してくれた男への態度とは雲泥の差だ。

「悪いな、岡部。休みの日に」
「ご命令とあらば、いつでも馳せ参じますよ。休日でも夜中でも」
「おまえも皮肉を言うようになったか」
 岡部の言葉を素直に聞けないのは、薪の曲がった性格と、先日の失態による引け目のせいだ。自分の身体に何の変化もなかったら、とりあえずは第五の衛生班だけを手配して、検査結果が出るまで第九で待機、調査は翌日から行えば済んだ話だったのに。間が悪かったのだ。

「さてと。これ、中園さんに返さなきゃ」
「官房室の見せ金ですか?」
「そうだ。誘拐犯に掴ませて泳がせるための見せ金」
 ひょいと立ち上がり、当然のように重いトランクを岡部に持たせて、軽い足取りで前を行く。
「これで全部解決だな。あー、スッキリした」
「もうひとつ、残ってるんじゃありませんか? デカいのが」
 薪が上機嫌で閉幕を告げると、後ろを歩く大男がそれを引き留める。明らかに窘める口調に、薪は足を止めた。

「…………めんどくさ」
「薪さん」
 ますます責め気を強める男の口調に、薪は辟易する。
 岡部が指摘する残務は、薪にとっては山岡を罠に嵌めることより遥かに困難だ。自信もない。相手も、どう動くか分からない。そもそも、どうしてあの男があんなに怒ったのか、それもまだ、薪には解っていない。

「雪子さんには、僕が青木に嘘を吐かせたんだって言われたけど。岡部もそう思うか?」
「さあ。俺ならやりませんね」
「だよな。あいつの虚言癖まで僕のせいにされたんじゃ、たまったもんじゃない。やっぱりここは説教だよな」
 青木に正座させるのに、コンクリートの上と砂利の上、どちらが効果的だろうと薪は思案を巡らせる。幾らなんでも生死に係わることで嘘を吐くなんて、非常識すぎる。それを解らせるためにも、相応の痛苦は与えるべきだ。

「それはあなたの自由ですけど。どうして青木があんな嘘を吐いたのか、それくらいは考えてあげたらどうですか?」
「岡部、分かるのか?」
 薪はびっくりして振り返った。
 恋人の自分が分からない彼の嘘の理由を、知っているような口振りではないか。
「まあ、俺は薪さんだから仕方ないかとも思いましたけど。あいつには許せなかったんじゃないんですかね」
「……それ、雪子さんにも言われた」

 雪子も何か含むところがあるようだったし、分かっていないのは自分だけなのかもしれない。そう思ってしみじみ考えて、でもやっぱり分からない。あの場合、誰だってああしたはずだ。
 恋人の命が危ないと思ったら、どんな手を使ってでもその場から遠ざけるだろう? それのどこが間違ってるんだ?

 事件の裏側は、あんなに明確に分かるのに。物言わずに死んだ人間の気持ちまで、大凡の察しは付くのに。
 薪にとって恋人の気持ちは事件より遥かに難しく、早くも迷宮入りの様相を呈していた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんばんは。


> 人形のように冷たい表情になった薪さんに2009の千堂大臣にDNA鑑定を見せてる時の薪さんを思い出しました。

そうなんですよ、薪さんは相手によってはものすごく残酷になれるんですよね。 そしてAさまのご指摘の通り、怒れば怒るほど無表情。(^^;
千堂大臣のことは過去のことも相まって、どうしても許せなかったんでしょうね。 


竹内は、
これでいいんです。(・∀・)
ここが彼のベストポジションなんです。 一生嫌われたまんま、でも仕事では時々いいコンビ、みたいな感じです。


あおまきさんの仲直りは~、はい、次の最終章でします。 
ちょっとアッサリさせすぎちゃったかも~、物足りなかったらゴメンナサイ。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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