破滅のロンド(2)
ある日の我が社の会話。
オット 「変更設計書、キターーー!!」
しづ 「ジャスドゥーイット! ダンジョンセレクト 『DA・I・KU』!」
オット 「作戦モード 『ガンガン行こうぜ』!」
しづ 「オーケェイ、我が命に代えても!」
(↑↑↑ 仕事中、いつもこんなアホをやっているわけではありません)
今日の時点で、竣工検査が4月9日に決定しております。
ので、4月8日までブログはお休みします。
始まったばかりでぶった切ってすみません。
その前に書類が上がれば再開しますので~、どうかよしなにお願いします。
破滅のロンド(2)
「岡部。今、何時だ?」
「18時35分22秒です」
上司に時刻を尋ねられた岡部が秒単位で返してやると、薪はちょっと嫌な顔をした。が、文句は言わない。岡部の性質に似合わない嫌味な行為は、1枚の書類を精査し終えるごとに時刻を問うた自分に責任があると、頭では理解しているのだろう。なのに、次の書類を読み終えると同時に彼は、
「何時になった?」
「……お貸ししますから」
舌打ちしたいのを堪えて、岡部は自分の腕時計を外した。6時を回ってから10回以上も訊かれているのだ。気が散って仕事にならない。
岡部が差し出した時計を、しかし薪は受け取ろうとしなかった。亜麻色の瞳を困惑に曇らせ、書類で顔の鼻から下を隠すように覆う。報告書の活字に向かって彼は「悪い」と小さく呟き、見れば彼の細い手首にはオメガのビジネスウォッチが正確に時を刻んでいた。
「どうにも落ち着かなくて」
6時までに片付けたい書類があるから手伝ってくれ、と頼まれて、岡部が日曜の研究室にやって来たのは午後4時。朝から仕事をしていたと思しき上司は、岡部の顔を見るとホッとしたように微笑んだ。
よく来てくれた、コーヒーでも淹れるか、などと常にはあり得ない低姿勢で休日出勤の部下を労う彼の態度に岡部は多大な疑念を抱き、というのも薪は人生の最優先事項は仕事だと主張して憚らないワーカホリックタイプ上司の典型で、それを他人にも強制するという厄介な性癖を持っている。だから休日に仕事を言い付けたところで、部下にお愛想を言う訳がない。絶対に、何か裏がある。
手渡された書類を見て、岡部の疑惑は確信に変わった。月末に目を通しても業務には支障のないような会議の議事録。休日の午後に職場に呼び出された理由がこれですか、と岡部が恨みがましい視線を向けると、薪はようやく白状した。
一昨日、薪の恋人の姉が上京してきた。
彼女は夫と一人娘の3人で大阪に住んでいるのだが、OL時代の友人の結婚式に出席するため、東京に出てきた。せっかくだからゆっくり羽を伸ばしてきなさいと言ってくれた寛大な夫に3歳になる娘を託し、単身で東京にやって来た彼女は、最新観光スポットのガイド役を依頼すべく、弟に連絡をしてきた。
彼女の計画では、土曜日の昼に友人の式に出席し、その後は週末を利用して弟と東京見物などして過ごし、日曜の最終列車で大阪へ帰ることになっており、その話は岡部も彼女の弟から直接聞いて知っていた。薪の恋人というのは実は同じ研究室の捜査官で、岡部の部下でもあるからだ。基本的に研究室は週休二日制を採用しており、今のところ休日を返上しなければならないような事件もない。だから彼が姉孝行のために土日を当てることに、何ら問題はなかった。ところが。
日曜日の夜、ぜひ薪と3人で食事を、と彼の姉が言い出したから大変だ。
「居ても立ってもいられなくて。仕事してるのが一番落ち着くから」
そんな理由で日曜の朝から急ぎでもない書類の整理をしていた上司は、空調の効いた研究室が炎天下の路上でもあるかのように、パタパタと書類で顔を仰いだ。相手の顔も見ないうちから舞い上がっているらしい。
「でも、時間が迫ってきたら文字が頭に入ってこなくて。誰かいれば平常心を保てるかと思って」
それで岡部が呼び出されたわけだ。まったく、はた迷惑なひとだ。
「6時ごろに、連絡をくれる約束だったんだ。もう30分も過ぎてる」
鳴らない携帯電話を見つめ、薪はそっと息を吐き出した。青木は姉の希望に沿って観光スポットを巡っているのだろうし、業務連絡ではないのだ。30分くらいは誤差の範囲だと思うが。
「薪さんの方から、青木に連絡すればいいじゃないですか」
「電話なんかできるわけ無いだろ。お姉さんが一緒なんだぞ」
「別におかしくないでしょう。だって、これから三人で食事するんでしょう?」
「そうだけど……う」
呻いて薪は、口元を左手で覆う。前かがみになって小さな肩を竦め、
「緊張のしすぎで胃にきた」
上司の小心に、岡部は呆れる。緊張などと言う人並みの感覚が、この男にあったのか。警察大学の大講堂で何百人もの聴講生相手にMRIの講義をしたときも、警察庁の重鎮たちに第九の合法性を主張する説明会を開いたときも、平然とした顔でさらりとこなしていたのに。
「どうしてそんなに緊張するんです?」
「僕が彼女だったら、夕食に毒を盛る」
物騒なことを言い出した上司に、岡部はたじろぎながらも尋ねる。
「毒を盛られるような覚えが?」
「だっておかしいだろ。どうして姉弟水入らずの席に僕を呼ぶんだ。青木のやつが何かヘマして、秘密がバレたに決まってる」
薪は顎の下に右手をあてがい、肘を机について背中を丸めると、憂鬱そうに呟いた。彼らの関係は一般的に見ればマイノリティだ。薪の懸念は理解できなくもないが、卑屈な態度は相手に悪印象を与えてしまうだろう。要は気の持ちようだ。ダメだダメだと思っていると、本当にダメになってしまうこともあるではないか。
「薪さんのほうが、悲観的過ぎるんじゃないですか」
もっとリラックスした方がいいですよ、と岡部がアドバイスをすると、薪はそれを跳ね返すように片手を突き出し、険しく目蓋を閉じて、
「僕には1時間後の未来が見える。席に着いた途端、コップの水をかけられて女狐とか罵られて、人の大事な弟に何てことを、ってめちゃめちゃに殴られて」
「どこの韓流ドラマですか」
薪は映画やドラマに影響を受けやすいから、アクが強い韓流ドラマと任侠映画は見るなと言っておいたのに。岡部の忠告を守らなかったらしい。
「だったら行かなきゃいいじゃないですか。仕事じゃないんだし、強制される筋合いはないでしょう」
青木の姉とて、薪の忙しさは弟を通じて聞いているはずだ。だから時間的余裕があったはずの金曜の夜ではなく、自分が帰らなければならない日曜の夜を指定してきたのだろう。全国的公休日なら薪の予定も空いている確率が高いと踏んだのだ。ならば、彼女の思慮深さに甘えさせてもらって、後は青木のフォローに期待してもよいのではないか。
「青木の身内に不愉快な思いはさせたくないんだ」
断頭台に向かう罪人のような薪の表情から、一も二もなく飛びついてくるかと思ったが、彼は岡部の案には乗らなかった。盛大にしかめた眉を普段の凛々しい形に戻し、散らばった書類を机の上で揃えながら、
「どうしても譲れないことがあるから。だから、その他のことは何でも彼女の気が済むようにしてやりたい」
カチリとホッチキスを握り、書類と一緒に自分の心も整理したかのように、薪は静かに言った。
相手の身内に対する引け目や罪悪感。相手も合意の上なのだから、というか、青木の方から好意を寄せてきたのだから、そんなものを感じる謂われはないはずなのに。恋愛に関して、どちらか一方が悪いなどと言うことはあり得ないのに、年上の自分に責任があると独り決めしている。とにかく、薪は考え方が古いのだ。もはや化石だ。
それでも。
相手に対して誠実であろうと自分を奮い立たせる薪の姿に、岡部は心強さを覚える。「どうしても譲れない」と彼は言った。こちらの方面には限りなく後ろ向きだと思っていたが、それなりに成長しているようだ。
「ご機嫌伺いに、でっかい花束でも贈りますか」
「ラフレシアとか、スマトラオオコンニャクとか?」
岡部の懐柔策はもちろん冗談だが、薪はくるっと眼を輝かせて、その話に乗ってきた。緊張の緩和には馬鹿馬鹿しいジョークが有効で、それは室長と副室長と言う役職をこなす二人の間でしばしば行われてきた試みだった。とかくストレスの多い管理職、冗談でも言わないとやってられないときもあるのだ。
「僕も考えたんだけど。今日、大阪に帰るなら荷物になるかなって」
「それもそうですね。じゃあ、かさばらなくて軽いもので、娘さんの洋服とか」
「僕が3歳の女の子の洋服を選ぶのか? カンベンしてくれよ」
苦笑しつつ、薪は立ち上がった。書類に2穴パンチで穴を開け、ファイルに閉じるべく壁際の書類棚に向かって歩き出す。
そのとき、室長室の扉がノックと共に開かれた。
「薪くん。いてくれてよかった」
「田城さん。なにか」
言葉を飲み込むようにして、薪は口元を手で覆った。きれいな顔が、見る見る青ざめていく。取り落とした書類が床に散らばるのをそのままに、薪は強張った顔でドア口を見つめた。
入ってきたのは田城所長ともう一人。ふくよかだが背は高くない所長の後ろから、大柄な男がドアを潜ってきた。
すうっと、部屋の空気が変わった気がした。
舞い降りる漆黒の羽ばたきを、確かに聞いたと岡部は思った。彼の放つ死臭を嗅いだと思った。長年、現場で鍛え上げた岡部の第六巻が告げていた。この男は危険だ。
「久しぶりだな、薪」
オット 「変更設計書、キターーー!!」
しづ 「ジャスドゥーイット! ダンジョンセレクト 『DA・I・KU』!」
オット 「作戦モード 『ガンガン行こうぜ』!」
しづ 「オーケェイ、我が命に代えても!」
(↑↑↑ 仕事中、いつもこんなアホをやっているわけではありません)
今日の時点で、竣工検査が4月9日に決定しております。
ので、4月8日までブログはお休みします。
始まったばかりでぶった切ってすみません。
その前に書類が上がれば再開しますので~、どうかよしなにお願いします。
破滅のロンド(2)
「岡部。今、何時だ?」
「18時35分22秒です」
上司に時刻を尋ねられた岡部が秒単位で返してやると、薪はちょっと嫌な顔をした。が、文句は言わない。岡部の性質に似合わない嫌味な行為は、1枚の書類を精査し終えるごとに時刻を問うた自分に責任があると、頭では理解しているのだろう。なのに、次の書類を読み終えると同時に彼は、
「何時になった?」
「……お貸ししますから」
舌打ちしたいのを堪えて、岡部は自分の腕時計を外した。6時を回ってから10回以上も訊かれているのだ。気が散って仕事にならない。
岡部が差し出した時計を、しかし薪は受け取ろうとしなかった。亜麻色の瞳を困惑に曇らせ、書類で顔の鼻から下を隠すように覆う。報告書の活字に向かって彼は「悪い」と小さく呟き、見れば彼の細い手首にはオメガのビジネスウォッチが正確に時を刻んでいた。
「どうにも落ち着かなくて」
6時までに片付けたい書類があるから手伝ってくれ、と頼まれて、岡部が日曜の研究室にやって来たのは午後4時。朝から仕事をしていたと思しき上司は、岡部の顔を見るとホッとしたように微笑んだ。
よく来てくれた、コーヒーでも淹れるか、などと常にはあり得ない低姿勢で休日出勤の部下を労う彼の態度に岡部は多大な疑念を抱き、というのも薪は人生の最優先事項は仕事だと主張して憚らないワーカホリックタイプ上司の典型で、それを他人にも強制するという厄介な性癖を持っている。だから休日に仕事を言い付けたところで、部下にお愛想を言う訳がない。絶対に、何か裏がある。
手渡された書類を見て、岡部の疑惑は確信に変わった。月末に目を通しても業務には支障のないような会議の議事録。休日の午後に職場に呼び出された理由がこれですか、と岡部が恨みがましい視線を向けると、薪はようやく白状した。
一昨日、薪の恋人の姉が上京してきた。
彼女は夫と一人娘の3人で大阪に住んでいるのだが、OL時代の友人の結婚式に出席するため、東京に出てきた。せっかくだからゆっくり羽を伸ばしてきなさいと言ってくれた寛大な夫に3歳になる娘を託し、単身で東京にやって来た彼女は、最新観光スポットのガイド役を依頼すべく、弟に連絡をしてきた。
彼女の計画では、土曜日の昼に友人の式に出席し、その後は週末を利用して弟と東京見物などして過ごし、日曜の最終列車で大阪へ帰ることになっており、その話は岡部も彼女の弟から直接聞いて知っていた。薪の恋人というのは実は同じ研究室の捜査官で、岡部の部下でもあるからだ。基本的に研究室は週休二日制を採用しており、今のところ休日を返上しなければならないような事件もない。だから彼が姉孝行のために土日を当てることに、何ら問題はなかった。ところが。
日曜日の夜、ぜひ薪と3人で食事を、と彼の姉が言い出したから大変だ。
「居ても立ってもいられなくて。仕事してるのが一番落ち着くから」
そんな理由で日曜の朝から急ぎでもない書類の整理をしていた上司は、空調の効いた研究室が炎天下の路上でもあるかのように、パタパタと書類で顔を仰いだ。相手の顔も見ないうちから舞い上がっているらしい。
「でも、時間が迫ってきたら文字が頭に入ってこなくて。誰かいれば平常心を保てるかと思って」
それで岡部が呼び出されたわけだ。まったく、はた迷惑なひとだ。
「6時ごろに、連絡をくれる約束だったんだ。もう30分も過ぎてる」
鳴らない携帯電話を見つめ、薪はそっと息を吐き出した。青木は姉の希望に沿って観光スポットを巡っているのだろうし、業務連絡ではないのだ。30分くらいは誤差の範囲だと思うが。
「薪さんの方から、青木に連絡すればいいじゃないですか」
「電話なんかできるわけ無いだろ。お姉さんが一緒なんだぞ」
「別におかしくないでしょう。だって、これから三人で食事するんでしょう?」
「そうだけど……う」
呻いて薪は、口元を左手で覆う。前かがみになって小さな肩を竦め、
「緊張のしすぎで胃にきた」
上司の小心に、岡部は呆れる。緊張などと言う人並みの感覚が、この男にあったのか。警察大学の大講堂で何百人もの聴講生相手にMRIの講義をしたときも、警察庁の重鎮たちに第九の合法性を主張する説明会を開いたときも、平然とした顔でさらりとこなしていたのに。
「どうしてそんなに緊張するんです?」
「僕が彼女だったら、夕食に毒を盛る」
物騒なことを言い出した上司に、岡部はたじろぎながらも尋ねる。
「毒を盛られるような覚えが?」
「だっておかしいだろ。どうして姉弟水入らずの席に僕を呼ぶんだ。青木のやつが何かヘマして、秘密がバレたに決まってる」
薪は顎の下に右手をあてがい、肘を机について背中を丸めると、憂鬱そうに呟いた。彼らの関係は一般的に見ればマイノリティだ。薪の懸念は理解できなくもないが、卑屈な態度は相手に悪印象を与えてしまうだろう。要は気の持ちようだ。ダメだダメだと思っていると、本当にダメになってしまうこともあるではないか。
「薪さんのほうが、悲観的過ぎるんじゃないですか」
もっとリラックスした方がいいですよ、と岡部がアドバイスをすると、薪はそれを跳ね返すように片手を突き出し、険しく目蓋を閉じて、
「僕には1時間後の未来が見える。席に着いた途端、コップの水をかけられて女狐とか罵られて、人の大事な弟に何てことを、ってめちゃめちゃに殴られて」
「どこの韓流ドラマですか」
薪は映画やドラマに影響を受けやすいから、アクが強い韓流ドラマと任侠映画は見るなと言っておいたのに。岡部の忠告を守らなかったらしい。
「だったら行かなきゃいいじゃないですか。仕事じゃないんだし、強制される筋合いはないでしょう」
青木の姉とて、薪の忙しさは弟を通じて聞いているはずだ。だから時間的余裕があったはずの金曜の夜ではなく、自分が帰らなければならない日曜の夜を指定してきたのだろう。全国的公休日なら薪の予定も空いている確率が高いと踏んだのだ。ならば、彼女の思慮深さに甘えさせてもらって、後は青木のフォローに期待してもよいのではないか。
「青木の身内に不愉快な思いはさせたくないんだ」
断頭台に向かう罪人のような薪の表情から、一も二もなく飛びついてくるかと思ったが、彼は岡部の案には乗らなかった。盛大にしかめた眉を普段の凛々しい形に戻し、散らばった書類を机の上で揃えながら、
「どうしても譲れないことがあるから。だから、その他のことは何でも彼女の気が済むようにしてやりたい」
カチリとホッチキスを握り、書類と一緒に自分の心も整理したかのように、薪は静かに言った。
相手の身内に対する引け目や罪悪感。相手も合意の上なのだから、というか、青木の方から好意を寄せてきたのだから、そんなものを感じる謂われはないはずなのに。恋愛に関して、どちらか一方が悪いなどと言うことはあり得ないのに、年上の自分に責任があると独り決めしている。とにかく、薪は考え方が古いのだ。もはや化石だ。
それでも。
相手に対して誠実であろうと自分を奮い立たせる薪の姿に、岡部は心強さを覚える。「どうしても譲れない」と彼は言った。こちらの方面には限りなく後ろ向きだと思っていたが、それなりに成長しているようだ。
「ご機嫌伺いに、でっかい花束でも贈りますか」
「ラフレシアとか、スマトラオオコンニャクとか?」
岡部の懐柔策はもちろん冗談だが、薪はくるっと眼を輝かせて、その話に乗ってきた。緊張の緩和には馬鹿馬鹿しいジョークが有効で、それは室長と副室長と言う役職をこなす二人の間でしばしば行われてきた試みだった。とかくストレスの多い管理職、冗談でも言わないとやってられないときもあるのだ。
「僕も考えたんだけど。今日、大阪に帰るなら荷物になるかなって」
「それもそうですね。じゃあ、かさばらなくて軽いもので、娘さんの洋服とか」
「僕が3歳の女の子の洋服を選ぶのか? カンベンしてくれよ」
苦笑しつつ、薪は立ち上がった。書類に2穴パンチで穴を開け、ファイルに閉じるべく壁際の書類棚に向かって歩き出す。
そのとき、室長室の扉がノックと共に開かれた。
「薪くん。いてくれてよかった」
「田城さん。なにか」
言葉を飲み込むようにして、薪は口元を手で覆った。きれいな顔が、見る見る青ざめていく。取り落とした書類が床に散らばるのをそのままに、薪は強張った顔でドア口を見つめた。
入ってきたのは田城所長ともう一人。ふくよかだが背は高くない所長の後ろから、大柄な男がドアを潜ってきた。
すうっと、部屋の空気が変わった気がした。
舞い降りる漆黒の羽ばたきを、確かに聞いたと岡部は思った。彼の放つ死臭を嗅いだと思った。長年、現場で鍛え上げた岡部の第六巻が告げていた。この男は危険だ。
「久しぶりだな、薪」