破滅のロンド(8)

破滅のロンド(8)





「なんで勝手にタブを閉じたんだよ!」
 荒々しい声に岡部が振り返ると、冷静さが売りのシステムエンジニアが、仁王立ちになって怒っていた。珍しいこともあるものだ。
「切り替えの時には、必ず俺に声を掛けてくれって言っただろ?!」
「申し訳ない」
 宇野に怒声を浴びせられて滝沢は、それでも落ち着きを失わず、いつも通りの慇懃な態度で応えを返した。彼が第九に配属されて1週間。岡部はまだ、彼の焦った顔や困った顔を見たことがない。

「以前のシステムでは、タブが閉じる前に自動的に確認の画面が開いたものだから」
 滝沢が時々犯す旧システムとの相違による操作ミスは、ある程度仕方のないことと言えた。機械の操作法は、身体が習得しているものだ。頭で考える前に指が動いてしまうこともあるだろう。素早く処理をしようと思えば尚更のことだ。
 それは宇野も心得ている。問題は、滝沢のこの態度だ。申し訳ない、と言いながら、ちっとも悪びれる気配がない。口先だけで謝罪しているのが丸分かりだし、本人もそれを隠そうとしない。完璧に舐められている、と宇野が感じても仕方なかった。

「すまない。これからは気をつけよう」
「滝沢サン、あんたねっ!」
「宇野、落ち着け」
 宇野の激昂を嘲笑うような滝沢の横柄さを腹立たしく思いながらも、岡部は争いを収めようと二人の間に入った。四角いレンズを通した宇野の瞳が、常に無く凶悪な光を宿している。
「滝沢も、わざとやったわけじゃないんだから」
「それで済むなら警察要りませんよ! こっちは5日も掛かって入力したデータ、オシャカにされたんですよ?!」
「何の騒ぎだ」
 大声で怒鳴っていたものだから、薪の耳に入ってしまった。薪がこちらにやって来るのを見て、岡部はマズイと思った。岡部には薪がこの局面で、どんな態度を取るか分かっていた。それを受けた宇野がますます激怒するであろうことも。

 近付いて開口一番、薪は宇野に向かって、
「宇野。滝沢の指導員はおまえだが、滝沢はおまえより階級も年も上だ。頭ごなしに怒鳴ったりするものじゃない」
 岡部の予感は当たった。宇野の怒りは、2倍になったに違いない。普段はのっぺりとした彼の額に、幾本もの青筋が浮いたからだ。
 これまでの薪は完全な実力主義を貫いており、年齢や階級のことなど、一度も口にしたことがなかった。実績を上げたものが偉い。三つ子の魂百まで、初就任先の捜査一課で培われた彼の価値観は、研究室に於いても変わることはなかったのだ。そんな薪の方針を、第九の職員たちは恐れながらも支持してきた。それなのに。

「何があった。説明しろ」
 薪は宇野から事情を聞き、拳を握り締めて立っている宇野と、座ったままの滝沢を交互に見た。やおら腕を組み、軽くため息を吐く。くだらない、と口に出さんばかりだ。
「悪いのは宇野だ。このミスは、データ保存の手順を教えなかったおまえの責任だ」
「教えようとしましたよ! 切り替えの前に声を掛けてくれって、ちゃんと言いました! それを滝沢が勝手に」
「滝沢は悪くない。最初に手順を説明してから作業に入れば済んだ話だろう。おまえが説明を省いたのがそもそもの原因だ」
「そんなこと言われたって、画面を見ながらじゃないと説明できないし。目的の画面に進むまで、見てるわけにも行かないですよ。こっちにだって仕事があるんですから」
「指導と言うのはそういうものだろう。手を抜いたおまえが悪い」
「薪さん、なんでいっつもこいつのこと庇うんですか!?」
 一方的に叱責されて、宇野がキレた。この1週間、誰もが思って、でも言えずにいたことを、宇野は理性を失った人間特有の無遠慮さで叫んだ。

「別に、庇ってるわけじゃない。指導について僕の考えを述べただけだ」
 薪は本気でそう言ったのかもしれないが、逆上していた宇野には姑息な言い訳に聞こえただろう。宇野の形相は凄まじさを増し、それをさらに煽るように滝沢が口を挟む。
「薪。宇野警部の言うとおりだ。おれが悪かったんだ」
「なんでおまえは薪さんにタメ口なんだよっ! それが一番アタマに来るんだよ! 元同僚だか何だか知らないけど、職務中は敬語使えよ!!」
 正に決定打。それは岡部を始めとした部下たち全員の総意だった。
 鬼の室長として職員たちから遠巻きにされる薪に、滝沢は気の置けない友人のように話しかける。薪もそれを咎めることなく、終始和やかに応じる。それを目の当たりにすると、自分たちよりも滝沢、つまり旧第九の部下の方が薪と深い絆で結ばれているような気がして不愉快になるのだ。要は、ヤキモチだ。

「宇野さん、落ち着いてください。データの復旧作業、オレが手伝いますから」
 宇野を必死で宥めているのは、薪に関しては一番嫉妬深いはずの男だった。これまでに何度も彼は、薪の不公平な態度に憤る職員たちを慰めてきた。薪の立場を悪くすまいと、青木の努力は涙ぐましいほどだった。
 そんな彼の努力を蹴り飛ばすように、薪は滝沢の肩を軽く叩き、
「滝沢、気にするな。おまえの記憶力が良過ぎただけだ」
 などと世辞めいたことまで言った挙句、
「経験者とは言え、たった1週間で新しいシステムをここまで使えるようになったのは大したものだ。自信を持っていい」
 滅多に部下を褒めない薪の賞賛に、皆が目を剥いた。小池など「おまえが新人の時とはエライ違いだな」と青木の腹を肘で小突いた。それは皮肉屋の小池らしいリアクションで、しかし岡部には、滝沢に対する嫉妬心からの行動と思われた。
 滝沢には、心の病気だった過去がある。薪にしてみれば罪滅ぼしのつもりなのかもしれないが、あからさまな新人贔屓は他の職員の不満を煽る。これ以上は、第九全体のコミュニケ-ションに害を及ぼす。一言、注意を促しておくべきだ。

「薪さん。滝沢は完全に回復したと、医師が保証しています。薪さんが気を使われることはないと思いますが」
 室長室に戻った薪を追いかけて、岡部は進言した。話しかけられても薪は、岡部の顔を見ることもせずに室長席に座った。細い脚をスマートに組み、背もたれに寄りかかり肘掛に腕を置き、戯れにボールペンを回しながら薄く笑う。嫌な笑い方だと岡部は思った。
「昔なじみの贔屓は見苦しいと、正直に言ったらどうだ」
 岡部がせっかく包んだオブラートを無造作に剥がして、薪は嘯いた。
「分かってらっしゃるなら、どうして」
「僕は態度を改める気はない」
 突然厳しい口調になって、薪は言った。組んでいた脚を解いて、床にきちんとつける。背筋を伸ばして両手を机の上に置き、岡部の顔をしっかりと見据える。亜麻色の瞳は澄み切っており、彼の発言が確固たる意志の下に為されたものであることを証明していた。

「滝沢は優秀な捜査官だ。僕の目から見て、実力はおまえと五分。第九は実力主義だ。できる職員は優遇する」
 滝沢の実力は、岡部も認めていた。捜査資料を読み解くのも早いし、雑多な情報の中から重要なものを嗅ぎ分ける鋭い鼻を持っている。近年、科学警察に於いて非合理的なものは軽視される傾向にあるが、刑事の勘というやつは確かに存在する。それは豊かな現場経験から生まれるもので、一朝一夕に身に付くものではない。滝沢は、相当な場数を踏んでいるということだ。
「僕に眼を掛けて欲しけりゃ、腕を磨け。みんなにもそう言っとけ」
 話は終わりだ、と言う代わりに、薪は報告書のファイルを開いた。すかさず、岡部はその上にグローブのような手を滑り込ませる。A4判の中心に置かれたその手は書面の殆どを隠して、薪はうんざりしたように顔を上げた。

「滝沢が優秀な捜査官であることと、あなたのプライベートから青木を閉め出すことは、どう関係してくるんですか? 何故、同時なんです?」
「必要だったからしたまでだ」
「あなたに迷いがないと言うことは、仕事がらみですね?」
 これがプライベート、限定してしまえば恋愛問題なら、薪はもっと情緒不安定になる。以前、私的な懸念から青木を遠ざけようとしたときは、こちらが見ていられないくらい凹んでいた。その浮き沈みが今回は見られない。つまり、仕事だ。
 形の良い眉を思い切りしかめられて、岡部は安心する。ちっ、と行儀悪く打たれた舌打ちは肯定の証。薪が何かを隠し、決意し、一人で密事を為そうとしていることなど、岡部にはとうにお見通しだ。

「芝居なら芝居だと、青木に説明してやらないと。地球のコアまで落ちてましたよ。自分の姉に引き合わせようなんて、薪さんにプレッシャー掛けたから振られたのかもって」
「心配することはない。そのまま行けば、そのうち反対側に抜けるだろ」
「薪さん」
 岡部が非難がましい口調で名を呼ぶと、薪は肩を竦めた。少し苛々したときの癖で、人差し指で肘掛をトントンと叩きながら、
「別れようなんて言ってない。距離を置こうって言っただけだ」
「ほとんどイコールだと思いますけど」
「ぜんぜん違うだろ。プライベートでは会わない、職場でも仕事のこと以外は話さない、ってだけのことだぞ」
「……それ、事実上別れてますよね」
「えっ、そうなのか?」
 ズレているというか薪らしいというか。一般的な恋愛のニュアンスと薪のそれは、時に開いた口が塞がらないほど相違していて、しばしば相手に虚脱を感じさせる。

「説明してあげてください。他の連中は俺が何とか抑えますけど、青木のやつだけは薪さん本人の口からじゃないと聞きゃあしませんから」
「できない」
 自分の思い違いを認めてなお、薪は即答した。どうして、と訊こうとした岡部を遮って、薪の冷徹な声が響く。
「どんなことをしても、青木を巻き込むわけにはいかないんだ。これで青木が僕から離れるなら、そこまでの縁だったということだ」
 言葉面だけを追えば潔く切り捨てたように聞こえるが、薪に悲哀はない。青木が自分から離れることはない、と信じ切っているのか。岡部は薪の自信を頼もしく思ったが、残念ながらそれは違った。

「いつの間にそんなに自信家になったんです」
「自信なんかない」
 ニヤつきながら尋ねた岡部に照れ臭がる様子もなく、薪は硬い声で答えたのだ。
「共に過ごすより、もっと重要なことがあるだけだ」

 一番下の引き出しの奥から取り出した黒いファイルを抱え、薪はすっくと立ち上がった。殺人事件の捜査に挑むときと同じ声の響きに、岡部は表情を改める。薪は何かを考えている。そしてそれは、不退転の覚悟で挑まなければならないような厳しいものなのだと悟った。
「薪さん」
「警察庁へ行ってくる」
 一歩歩き出すと、小脇に抱えた黒いファイルから、挟み損ねたのか一枚の紙片が机上に落ちた。薪の細い手が素早くそれをさらう、その一瞬を岡部の眼は見逃さない。

 警察庁内に配布される広報誌の一部。『××年度 国家公安委員会』の文字がある事から半年ほど前のものと思われた。一瞬だったが、現在の国家公安委員長である大久保国務大臣、その下の欄に5人の委員たちの顔写真が名前入りで並んでいるのが見えた。
 どうしてそんなものを報告書に? 岡部が口を開きかけた時、薪の口から思いもよらない言葉が漏れた。

「岡部、滝沢を頼む」 
 下された命令に、岡部は顔をしかめた。室長が不在の折、第九を預かるのは副室長の岡部の役目だから薪は当然のことを言ったに過ぎないが、「研究室を」と言うところを個人名と言い間違えるなんて。どれだけ彼のことを気に掛けているのかと、咄嗟に反感を持ってしまったのだ。
「滝沢を、ですか?」
 やや皮肉な心持ちで岡部が間違いを指摘すると、薪は意外にもしっかりと頷き、
「ああ、そうだ。今日はどうしても滝沢を連れて行くことができないからな」
 言い間違えを恥じるどころか、開き直られてしまった。それから薪はモニターを睨むような眼で岡部を見上げ、顔を近付けて声を潜めた。

「絶対にやつから眼を離すな」



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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60Pを超えました(笑)
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7/20 推敲の結果、70Pになりました。←バカじゃないの。
2回目の推敲に入りました。
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