破滅のロンド(11)

破滅のロンド(11)







 固く冷たい床に、薪は跪いていた。
 強張って自分の意志では解けない両手の間に、黒く重い金属の塊が不規則に振動している。いや、動いているのは自分の腕だ。腕だけではない、身体中が振動している。息もまともにできない。声も出せない。筋肉も内臓も自律神経すらも、自分の役割を忘れて勝手気ままに振る舞い出したかのようだ。
 目蓋は限界まで開かれて、乾いた薪の瞳は痛みを覚える。眼を閉じればこの悪夢は消えるかもしれない、そう思うのに薪はどうしても瞬くことができない。目の前の惨劇から、一瞬たりとて眼を離すことができないのだ。

「大丈夫ですか、室長」
 浅く短い呼吸を繰り返す薪の肩に、誰かの手が置かれた。この声は聞き覚えがある。あの夏、第九で命を絶った部下のひとりだ。
 振り返って確かめようとするのに、薪の首は動かない。壊れたからくり人形のように震える薪の横に、男の顔が回りこんでくる。と同時に、薪の視界に見覚えのある西陣織のネクタイが下りてきた。やはり彼だ。顔を見なくても分かる、彼の首に食い込んで彼の気管を押し潰したネクタイは、薪の私物だ。親友と一緒に買い求めて、とても大切にしていた。

「大丈夫ですか?」
 豊村は心配そうに尋ねた。彼は薪の体に触れることなく、前に顔を回してきた。身体のバランスがおかしいと薪は思った。こいつ、こんなにリーチがあったか。
 そうだ、豊村は首を吊ったのだった。だから首が長いのか。
 首吊り遺体の首は20センチから30センチくらい伸びる。さほどの身長差のなかった豊村でも、それだけ首が伸びればこの体勢は不可能では――。

「―― っ!!」
 舌が上顎にぴたりと張り付いて、呻き声も出なかった。薪の背後にいた男はオールバックの黒髪にスクエアな眼鏡。それは豊村ではなかった。
 どうして、と薪は叫んだ。声にはならなかったが、叫んだつもりだった。
 あり得ない、こんな光景はあり得ない。彼は死んでない。死んだのは豊村だ、この映像は間違っている。

「こんな物騒なもの、いつまでも持ってちゃだめですよ」
 別の声に呼ばれて下を見ると、薪の両手をこじ開けるようにして、男の手が拳銃を取り去った。彼の手は血にまみれていた。手から上を辿ると、胸にナイフが突き刺さっていた。
 その彼も、やはり上野ではなかった。第九の資料室で発見された時と同じように、上野が気に入っていたブランドのネクタイを締め、胸を血で真っ赤に染めていたが、顔は薪の恋人の顔だった。
 薪は絶望して、自分が撃ち殺した親友の亡骸を見た。彼はゆっくりと起き上がって、こちらに歩いてくるところだった。3人の死者は、まったく同じ顔をしていた。

 胸にナイフを刺した男が、彼にピストルを渡した。ピストルを渡された男は、薪に銃口を向けた。背後にいた男が、首に絡んだネクタイを外した。それを薪の首に巻き付けた。最後に胸を真っ赤に染めた男が、自分の胸からナイフを引き抜いた。その切っ先を薪の胸にあてた。
「大丈夫ですか?」
 3人の青木は、にっこりと微笑んだ。




*****




 ハッとして薪は眼を覚ました。恐々と周囲に眼を走らせると、室長室の自分の席だった。うたた寝して、悪い夢を見たらしい。
 首に触れると、じっとりと汗をかいていた。寒気がして身体が震えた。汗を流して着替えないと風邪を引く、シャワーを浴びようと考えた。今、悠長に寝込んでいる暇はない。
 バスルームへ行くため室長室を出ると、モニタールームにはまだ明かりが点いていた。時刻を確認すると、9時を回っている。急ぎの事件もないのに誰が残っていたのだったか、と頭の中で職員たちのシフト表をめくるまでもない。そもそも、彼が残るから自分も残ったのではないか。

「滝沢。まだ頑張ってるのか」
「ああ、もう少し。どうもこの新型のマウスは感度が良すぎて」
「感応レベルを下げることはできるが、それだと折角の解析速度を落としてしまうからな。できるだけ慣れる方向でやってみてくれ」
 仕事熱心な新人に労いの言葉をかけ、薪はバスルームへ向かった。驚いたことに、湯船には湯が張ってある。多分、これは青木の仕事だ。帰り際に「まだお帰りにならないんですか」と訊かれたから「滝沢の練習に付き合う」と答えた。泊まりになるかもしれないと考えて、用意して行ってくれたのだろう。

 お湯は清潔で温かで、それはそのまま彼の温もりのようだった。
 落ち込んでいると岡部から聞いた。訳も分からず遠ざけられて、普通の男ならとっくに逆ギレのするか他の女性に目先を向けるかするだろうに、青木ときたら。薪の言い付けをきちんと守って、仕事以外では近付いてこない。でもこうして、彼はいつも自分のことを考えてくれる。きっと今も。

 湯船に浸かり、しばし頭を空にする。滝沢が来て2週間、緊張続きだ。あの男の相手は本当に疲れる。でも仕方ない。見張っていないと、滝沢は何をするか分からない。まだ確証は掴んでいないが、6年前あの男は――――。

 滝沢のことを考えると、自然と部下たちの死に顔が浮かぶ。滝沢と再会して記憶が刺激されたのか、最近、彼らの夢をよく見るようになった。だが、今日のような夢は初めてだ。
 夢の内容を思い出すと、吐き気がした。
 薪は思わず自分の肩を抱き、湯船の中で身体を縮こめた。眼を閉じてくちびるをぎゅっと噛み、しっかりしろ、と自分を叱咤する。

 一番恐れていることを夢に見る、だから悪夢と言うのだろうが、そんなものは自分に自信が無い人間が見るものだ。この期に及んで、そんなことでどうする。第九と部下たちには傷一つ付けない、そう大言してこの計画を発動させたのは自分だ。後戻りはできない。だったら最後までやり抜くしかない。

 身体が温まると、気力も湧いてくる気がした。よし、と誰にも聞こえない決意表明をして、風呂から上がる。以前、薪の平均入浴時間は1時間だったが、滝沢のことが気になって長風呂を楽しめなくなってしまった。これが最大のストレスだな、と失笑交じりにドアを開けると、脱衣所にストレスの原因が待ち構えていた。

「何か質問でも?」





テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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