母の日ですね。
母親に日頃の感謝を表す日。 愛と慈しみに溢れた一日です。
そのよき日に、なんでしょう、この話。
まあ季節感の無さとKYはいつものことなので~、すみません、見逃してください。
破滅のロンド(23)「ありがとうございました。あなたのおかげです」
この世のものとも思えぬほどに美しい顔で、彼は西野に礼を言った。
すべてが明るみに出た今、自分の取るべき行動は定まった。西野はポケットに潜ませた手にぎゅっと力を入れて、奥歯を噛み締めた。
「罪状はとりあえず、病院の院長の自白が得られた診断書偽証教唆ですが。桐生や他の財界人の取調べが始まれば、腐るほど出てくると」
突然の破裂音に、薪は反射的に眼をつむった。至近距離で聞いた銃声は薪の鼓膜を激しく震わせ、薪は思わず携帯を取り落した。かろうじて銃は手放さなかったが、そのことにあまり意味はなかった。血にまみれた男の体がこちらに倒れ込んできたからだ。
「た、滝沢……」
滝沢の体に付いた血液が、薪の手を濡らす。今度は輸血用の血液ではない。
重みに耐えきれず、薪は滝沢と一緒にその場に倒れ込んだ。その情けない姿に向けて、西野はポケットから出した銃を構える。
「形成逆転だな」
「こんなことをしても無駄だぞ。羽生氏は逮捕され、っ!」
再びの銃声。薪の舌は上顎に張り付いて、悲鳴すら上げられなかった。
「羽生先生はおまえが言うような人間じゃない。死んで先生に詫びろ」
二発目は威嚇だったが、三発目の銃口はぴったりと薪の額に向けられていた。薪がぎゅ、と唇を噛んだその瞬間。
一発の銃声が轟き、西野の拳銃が弾き飛ばされた。飛来した弾丸は西野の右手の甲を撃ちぬき、西野は自分の手を押さえてその場にうずくまった。
芝生の上を滑って行く拳銃に駆け寄り、それを取り上げたのは薪のボディガードだった。彼は二つの銃を片手で持ち、薪の傍らに寄って滝沢の体を慎重に持ち上げた。薪が滝沢の背中に銃創を見つけ、そこにハンカチを押し当てる。圧力が加わって、滝沢がうっと呻いた。携帯で救急車の手配をした後、青木はすまなそうに、
「すみません、ポケットに手を入れたままで銃を撃つとは思わなくて」
「どうしておまえが此処にいるんだ。岡部の応援に回るよう命じたはず」
青木を見て、薪は言葉を飲み込んだ。青木は真っ青になって震えていた。
「すみません」
青木はもう一度謝り、薪に向かって深く頭を下げた。緊張の汗が彼の額を濡らし、数本落ちた前髪を貼りつかせていた。
「オレ、人に向けて銃を撃ったの、初めてだったんです。こんなに怖いものだと思わなかった」
「銃ってのは元々人を殺すための道具だ。怖くて当たり前だ」
薪は諭すように言い、青木の眼をじっと見つめた。青木は薪の瞳に何かを、薪自身にさえ見つけられない何かを見つけ出し、ふっと肩の力を抜いた。
「西野浩平を連行します」
青木は立ち上がり、西野の逮捕に向かった。西野は芝生の上に放心したように座っており、抵抗する気力もないようだった。青木が彼の腕を取り、歩くよう促すと、素直に彼に着き従い、その場を離れて行った。
薪はネクタイを解いて、止血用のハンカチの上に更に押し当てた。元々付いていたフェイクの血と混じって、どれくらいの深手なのか判断ができない。
「だから言っただろう。茶番はほどほどにしておけって」
「喋るな。けっこうな出血だぞ。まあ、おまえがこのくらいでくたばるとは思わんが」
言葉を発せるくらい滝沢の意識が確かであることに安堵して、薪はようやく憎まれ口を叩くことができた。
もう、誰の死も見たくはない。それが例え大切な仲間を殺した罪深き男であろうと。
「そんな顔しなくていい。おまえがおれを殺したいくらい憎んでることは知ってるさ。おまえと鈴木が創った第九を潰したのはおれだからな」
「おまえだって、僕を殺したかったんだろう。彼女が死んだ本当の理由を知るために、僕の脳を見たかったはずだ。なのに、どうして僕を庇った?」
滝沢は西野がポケットに銃を隠し持っていることも、躊躇なく引き金を引くことも知っていた。滝沢が足を踏み入れてしまった世界では、それが普通だからだ。薪に予測できなかったのも無理はない。それは薪には想像がつかない世界であり、知って欲しくない世界だった。
「おれはいいんだ。やっとゆかりが笑ってくれたから」
「そうか。よかったな」
ふ、と頬を緩める薪の甘さを、滝沢は嘲笑う。
そうだ。おまえは一生甘ちゃんやってろ。おまえが甘ちゃんのままで生きられるように、おれが蛇を退治しておいてやる。
瞬間、滝沢の大きな拳が素早く動き、薪の腹にのめり込んだ。
「……っ、た……」
鳩尾に入れた拳をさらに押し込むと、薪は身体を二つに折って意識を失った。気絶した薪を丁寧に芝生の上に押しのべて、滝沢は彼の腰の辺りを探り、ホルダーにしまわれた自分の銃を取り戻した。
当然のことだが、薪は滝沢のことを完全に信用したわけではなかった。だから銃も取り上げられた。これが手元にあれば、自分の身体を盾にするなんて鈍くさい真似をせずに済んだのに。
疲れて寝ころんだ子供の様に芝上に手足を投げ出す薪に、自分の上着を掛けてやる。滝沢の上着は血で汚れて見るも無残な有様だったが、無いよりはマシだろう。乱れた髪を整え、頬に付いた血を拭い、息が苦しくないようにワイシャツの一番上のボタンを外す。
「悪いな、薪。これはもともと、おれのヤマなんだ」
最後に、薪のスーツの襟裏についている発信機のスイッチをオンにして、滝沢は立ち上がった。
「自分の始末は自分でつける」
テーマ : 二次創作:小説
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