水面の蝶(4)

 青木さんと元カノの話は楽しくないのでサクサク進めます。
 過去話とはいえ、薪さん以外の人に恋をする青木さんなんて、あおまきすとには正視できませんっ。 ……誰が書いたんだろう、これ。(笑)

 





水面の蝶(4)





*****



「忘れてたんですよ、彼女。オレのことすっかり忘れてて……ショックだったなあ」
「僕もおまえが誰だったか、忘れたくなってきたぞ」
「ええ~……」
「要は、彼女はお金が必要だったら横領なんかしないで働くはずだって言いたいのか?」
「あ、違います違います。えっと、付き合い始めてからの彼女の生活とか、嗜好とか、どう考えても慎ましい方だったと思うんです。こんなこともありました」



*****



 再会してまもなく、ふたりは付き合うようになった。
 青木は3ヶ月前に同級生の彼女と別れたところで、新しい恋を探し始めていた時期だった。美月のほうの事情は分からなかったが、青木を拒むことはなかった。
 大学と銀行が休みの土日、彼らはデートを重ねた。青木が学生だということもあって、公園や博物館、美術館などのお金の掛からない場所で、でも充分に楽しかった。彼女はいつもお手製の弁当を持ってきてくれて、それは決して豪華なものではなかったが、実家を離れてひとり暮らしをしている青木には、最高のごちそうだった。

 5歳年上の美月は5年前に社会人になっていて、青木よりずっと大人だった。大人らしい包容力を持った彼女は、あたたかい笑顔で青木の話を聞き、やさしい言葉で青木の心を癒した。別れた彼女と比べるのは良くないと思ったが、青木は無意識のうちに心がそれを行うのを止められなかった。美月はあらゆる点において、同級生より好ましかった。青木はどんどん彼女に惹かれていった。

 季節が冬になる頃には、お互いのアパートに泊まる仲になっていた。
 その頃にはとっくに美月は夜のアルバイトを辞めていて、ふたりは心ゆくまで甘いときを楽しんだ。
 それなりに名の通った銀行に勤めているにも関わらず、美月のアパートは青木のそれと同程度のものだった。部屋の中は女性らしく明るい配色で飾られていたが、贅沢品といえるものは何もなく、アクセサリーや洋服も量販品ばかりだった。大学の女子たちの多くはブランドのバックやアクセサリーを身につけているのに、働いて糧を得ているはずの彼女の方が清貧な生活を送っているのを不思議に思った青木は、以前から少しだけ気になっていたことを、勇気を出して彼女に聞いてみた。

「気に障ったらごめんね。前に美月がお金が必要だって言ってた理由って、もしかして家族の誰かが病気とか?」
「ううん、家族はみんな元気よ」
 安っぽいガラステーブルの上に置いた二つのコーヒーカップを挟んで、彼女は可笑しそうに笑った。青木の的外れな想像が、ツボだったらしい。
「そうね、一行になら話してもいいかな。わたしの友だちが株に手を出して大損しちゃったの。その上、消費者金融でお金を借りちゃってね。違法業者から借りたわけじゃないから規定の金利なんだけど、でも女の子がひとりで返せる額じゃなくて。で、一緒にキャバクラでアルバイトをしてたってわけ」

「じゃあ、もうああいう店で働かなくてもいいんだね? よかったあ。オレ、美月がまたそういう店に行かなきゃいけなくなったらどうしようって」
「今のキャバクラって、そんなにいやらしくないわよ? ちょっとお尻触られたり、おっぱい揉まれたりするくらいで」
「やだよっ、そんなの! 美月の身体にオレ以外の男が触るなんて、絶対に嫌だ」
 それは子供っぽい独占欲。でも、だからこそ純粋な愛情。美月はそんな青木の想いを、心ごと身体ごと、やさしく受け止めてくれた。

 加えて、美月はとても家庭的な女性だった。
 よくふたりで近所のスーパーに買い物に行った。倹約家の彼女は、安くて新鮮な食材を選び、それを調理の仕方で美味しい料理に変えて見せた。
 ある日、買い物を終えたふたりが購入した商品をバックに詰め、作業台から離れようとしたとき、目の前で箱に詰めたばかりの商品を床に落としてしまった老婦人がいた。こういうときには自然に身体が動くタイプの青木は、すぐに床に屈んで商品を拾おうとした。しかし美月は青木よりも素早く床に落ちた品物を拾い集め、きちんと箱に詰めて老婦人に返してあげた。割れたタマゴで汚してしまった床を自分のハンカチできれいにし、なおかつ、自分の買い物バックの中からタマゴのパックを取り出し、
「半分、お持ちになります? 2人でゆで卵10個はきついわ」
 結局、スーパーの店員が出てきて老婦人のタマゴは新しいものと取り替えてくれたのだが、老婦人の感謝は当然、店員よりも美月に向かった。青木はそれをとても嬉しく、誇らしく感じた。

 彼女の親切が押し付けにならないのは、美月がそれを親切だと意識していないからだ。彼女は呼吸をするように、自然に他人にやさしくできる。青木を助けてくれたときもそうだった。
 彼女以上の女性はこの世にいない、と青木は信じて疑わなかった。



*****



「本当に、やさしくていい人だったんです」
「……だんだん、ただの思い出話になってきてないか?」
「いやあ。なんか懐かしくなっちゃって」
「呑気なことを言ってる場合か。でもまあ、話を聞く限りでは、彼女は慎ましく生活していたらしいな」
「でしょう? そんな彼女が1億円もの横領をすることも信じがたいし、ましてや人を殺めるなんて。ムシを殺すどころか、花も手折れないくらいやさしい人だったんですよ」
「そんなにいい女性と、どうして別れちゃったんだ?」
「薪さんのせいですよ。薪さんが無茶苦茶なシフト組むから長いこと彼女に会えなくなって、だから」
「僕のせいにするな! おまえが子供だから飽きられたんだ、絶対にそうだ!」
「痛っ、蹴らないでくださいよ! どうしてこんな性格悪いひと好きになっちゃったんだろう。しかも乱暴だし」
「うるさい、なんか腹立ってきたぞ。おまえのノロケ話を聞かされてるみたいだ」
「薪さんが話せって、ちょっ、タワーはまずいですっ、ハードディスクが、うぎゃあ!!」



*****



『あなたはわたしを見ていない』

 それは美月が青木に残した最後の言葉だった。
 そんなつもりはなかった。だた、第九に入ったばかりで精神的に一番苦しい時期で、その苦しみさえ感じる間もないほどの忙しさに埋もれて、彼女への連絡を怠ってしまっただけだ。

 たった1ヶ月じゃないか、とそのとき青木は反論した。
 ほんの一月会わなかっただけで、メールの返事を何回か返さなかっただけで、別れようなんて感情的になり過ぎだ。
 美月みたいにやさしくて寛大な女性が、どうしてそんなことを言うの? もしかしてオレの他に、だれか好きなやつでもできた?

 美月は青木の問いに答えなかった。
 疑われてもかまわない、弁明する気はない、青木の意見を聞く気も無い。常にやさしさを湛えていた彼女の鳶色の瞳は、信じられないくらい冷たかった。そして、とても哀しそうだった。

 青木は自分の怠慢が、彼女を深く傷つけていたことを知った。しかし、現実的に考えて、状況を改善することは難しかった。メールの返信くらいは何とかなるかもしれないが、以前のように頻繁にふたりの時間を持つことは事実上不可能だった。
 1ヶ月に1回くらいなら自由になる日もあるから、と彼女を説得しようとして、青木は彼女から何度も届き、嬉しく思ったものの結果的には読み捨てる形になったメールのことを思い出した。
 内容自体は思い出すのが難しいくらい、他愛もないことだった。今日はいいお天気だったからシーツを洗濯したとか、公園に散歩に行ったら池に氷が張っていたとか、そんな日常の些事ばかりで、返信を要する事柄は何ひとつなかった。
 でもそこにはいつも、青木を気遣う言葉が添えられていた。

 忙しいのですね、一行の身体が心配です。寒いから風邪など引かないでね。夜はちゃんと眠ってね。食事はきちんと摂ってね。返事はいいから、少しでもゆっくり休んでね。

 彼女は青木の仕事もその繁忙さも理解していた。彼女が自分と別れたがった原因は他にあったのだ、と青木は遅ればせながら気づいた。
 それが何なのか、彼女ときちんと話し合おうとして、青木はそれを為せなかった。仕事に忙殺される日々は、青木から確実に余裕とやさしさを奪っていた。結局、そのときの青木は彼女を諦めてしまった。
 忘れてしまいたい気持ちも手伝って、青木は職務に没頭し、その凄惨さに憔悴する日々の中で、次第に彼女のことを思い出さなくなった。そのうち薪のことが気になりだして、彼女のことは完全に記憶の中に残るだけの存在になった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんにちは。

青木さんは振られるタイプ、そうかもしれません。 
自分から心変わりするタイプには見えないので、そうじゃないと困りますね。 薪さんの出番、なくなっちゃう(^^;

鈴木さんは~、
モテモテだったと思うんですけど。 「爽やかイケメン君」だし。
でも、

> 結局、薪さんが一番だから(^^)

ですね。 この一言に尽きます♪


> 元カノを褒めるというのはタブーですよね(´`) やっぱり、アホや!

ねえっ!
オトメゴコロが分かってないんだから!(笑)
当然、次章で薪さんの逆襲行きますので。 お楽しみにっ。

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Sさまへ

Sさま、こんばんは。

リアルの困難を解消するために、前向きに行動されているのですね……!
不安を抱えながらも歩みを止めない、Sさまは輝いていると思います。 絶対に報われるときが来ますよ! ポジティブな行動は運を引き寄せるって言いますものね(^^


> それで今回のお話なんですが、(3)がupされた日

あはははー!
ピンク系の話じゃなくても、人前で読むのには注意がいる法十でございます☆
満員電車の中で読んでて向かいのおじさんにヘンな顔されたとか、会社で読んでて麦茶を吹いたとか、まあ、みなさん色々苦労されてるみたいですね。←だれのせいだよ。


> でも、なんとなく薪さん妬いてませんか?徐々にイラっと来てますよね?

分かります?
実はうちの薪さん、ものすごいヤキモチ妬きなんです。
今回の話も、その辺で一波乱、と目論んで書き始めたんですけど、まったく違う話になりました。 いつものことですが(^^;


> あの「だっこ」はね、やられました。あ、きっとこういう時“萌えました”が正しい使い方ですね?

わたしはギャグのつもりで書いたんですけど~、萌えていただけたら嬉しいです♪
し、しかしSさん、息子さんにこんなこと言われちゃうなんて……!(>m<) しかも、「香ってる」って!(すみません、爆笑しました)
いやでも、息子さんとこんな会話ができるなんて、すごいですよ! 親子と言うよりは友だちみたいです。 娘さんたちとも同じものを観て盛り上がれるって、Sさんの感性がお若いんですね。 ステキなご家族だと思います(^^




過去記事、再読してくださってるんですか?
わー、ありがとうございます~。
5月末頃から過去記事に拍手をたくさんいただいてるの、もしかしてSさんでしたか? 重ねてお礼申し上げます。 励まされてます。
Sさんには以前も、再読してますってコメをいただいたと思うのですけど、きゃー、なんかすみません、ヘンなもの何回も読ませてしまって~、
多分、わたしよりも回数読んでらっしゃるんじゃ……(^^;


> 『上半期勝手にランキング』

まあ、決めてくださったんですか?
うれしいですー!!!
いえ、大そうなことですよ! だって、この膨大なテキストを読破するだけでも大変なのに! その上、ランキングなんて、すみません、わたしには通読の段階でギブです。

わー、どの話が1番になるんだろう。 なんかドキドキするー!
ありがとうございます。 楽しみに待ってます♪♪♪


メロディ発売まで、あと半月ですね。
もう本当にこれで最後かと思うと、一日一日が貴重です。
Sさんの仰る通り、時間がゆっくり過ぎて欲しいです。




プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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