クッキング2 (6)

クッキング2 (6)






 翌日、青木は雪子と一緒に薪のマンションを訪れた。

「当日の予定だけど。昼間は竹内がお義母さんを観光に連れて行ってくれるから、夕方の6時までにおもてなしの準備を整えたいの」
 昼間の内に、自宅の掃除は済ませておく。それには青木が手を貸すと約束した。
「それから、お義母さんが得意料理を伝授してくださるって話だけど。味付けはお義母さんにやってもらうとして、野菜を洗ったり切ったりするくらいは手伝わなきゃいけないと思うの」
 その練習をしたいのだ、と雪子はエコバックいっぱいの野菜を持ってきた。薪くんたちの夕食もこれで作ればいいと、まあ気前の良いことだ。

「どうやったら野菜を潰さずに一口大に切れるのかしら?」
「どうやったらミキサーも使わずにカボチャをペースト状にできるのかお尋きしたいです」
 婚約者のいる女性が男性の部屋を一人で訪れるわけにはいかないから、と声を掛けられ、雪子の特訓に協力することになった青木は、まな板の上に無残な姿を晒している緑黄色野菜に同情するように呟いた。あり得ない。生のカボチャって、人の手で磨り潰せるのか。

「大丈夫ですよ、雪子さん。それはカボチャのスープに、あ、いや、せっかくですから雪子さんの好きなパンプキンパイにしましょう」
 雪子が単独で訪ねてきたものだから、薪はえらくご機嫌だ。もともと薪は料理が好きで、青木と一緒にキッチンに立つときも鼻歌交じりだが、今日はまた飛び切り楽しそうだ。冷蔵庫に向かうのもフィギュアスケーターみたいな足取りで、その途中で一回転したのは何か意味があるんですか?
 三好先生のこと、どんだけ好きなんですか、と皮肉の一つも言いたくなる。浮かれちゃって、まるで新婚さん、それも薪の方が新妻みたいだ。

「野菜を洗うときは丁寧に。流水で、雪子さんならそうっと指で撫でるだけで汚れは落ちますから」
 青木の複雑な気持ちなど完全スルーで、薪の料理教室は続いている。青木はずい分前から料理の手伝いはしているが、薪にあんなにやさしく教えてもらったことなど一度もない。
「そうなの? 二度洗いとか、しなくていいの?」
「はい、クレンザーは使わなくて大丈夫です」
「もしかして、漂白剤もいらない?」
 なんだ、この会話! 今までどうやって野菜洗ってたんだ、このひと!
「水だけで大丈夫なんですよ」
「へえ、そうなんだ」
 二度とキッチンに立たないで欲しい、と竹内に言われるはずだ。口には出さなかったが、竹内は生死の境をさまよったに違いない。

「やったわ、薪くん。人参を折らずに洗えたわ」
「お見事です、雪子さん。じゃあ、次は包丁を」
 言いかけて絶句する。雪子の包丁の持ち方は明らかにおかしい。
「ちょ、三好先生。剣道の構えじゃないんですから、どうして包丁を頭の上まで持ち上げ……あ、危ないですっ、てか、まな板割れる!!」
 ドガッ、ドゴッ、って、それが包丁の音!?
「おかしいわ、上手く切れない」
 いや、人参は切れている、というか折れている、むしろ潰れている。その惨たらしさは、人参嫌いの青木が哀れに思うほどだ。
「気合が足りないのかしら? 精神を集中して…… せいっ! やあっ!」
「ゆ、雪子さん、落ち着いて」
 素早く壁際まで後退した薪が、盾のように鍋の蓋を構えている。青木よりも避難が早いのは、彼女のクラッシャー能力をより高く評価しているのだろう。

「そんなに叩かなくても人参は切れっ、ひいぃっ!」
 ガンッ、と派手な音がしたかと思うと、銀色の刃が回転しながら宙に舞った。見事な円運動を披露したその物体は重力の法則に従って下方に落下し、青木の足から30センチほど離れた床に突き刺さった。
「オレを殺す気ですか!?」
「まさか。今のはたまたま包丁の柄が折れちゃって」
「どうして人参切って包丁が壊れるんですか!? 怪力にもほどが」
「青木、うるさい。雪子さん、包丁はもう1本ありますから。こちらを使いましょう」
 全く薪は雪子には甘い、てか、オレいま死にかけたんですけど!!

「狡いですよ、薪さん。オレが鯛の骨切って刃こぼれさせたときには、夢中で怒ったクセに」
「当たり前だろ。関節の部分を切ればいいのに、おまえったら堅い部分を無理矢理切ろうとして」
 人参切るのに包丁壊した先生は悪くないんですか!?
「反動で指でも切ったらどうするんだ。危ないじゃないか」
 どっちが危ないんですか! 指切ったくらいじゃ人間死にませんけど、天井から落ちてきた包丁が頚動脈に刺さったらカクジツに死にますよ?!

 反論しようとして青木は、尖らせた小さなくちびるに滲む焦燥に気付く。あの時、薪はめちゃめちゃ怒ったけど、それは使い物にならなくなった包丁のせいじゃなくて。

「本当に不器用なんだから。見てるこっちは気が気じゃ」
「心配してくれたんですか? オレのこと」
「ゔ」
 愛らしさとは無縁の呻き声を発して、固まった薪はとても可愛い。薪のやさしさはちょっと分かり難くて、だからこんな風に後で気付くことの方が多い。けど、時間を置いた分だけ感動も熟成されるみたいで、やさしくされたこともそれに気付けたことも嬉しくて嬉しくて、青木は彼のことをもっと好きになる。

「薪さん」
「ど、ドレイがいなくなると不便だし! 掃除とか、電球の交換、も……」
 下手くそな言い訳をする間にも桜色に染まっていく頬とか、不自然に下方へと逸らされる視線とか、困ったように垂れ下がる眉とか微かに震える長い睫毛とか、もう表現のしようがないくらい可愛くて。でも。

「ちょっと。メモり合うのは後にして。この鯵、どうしたらいいか教えてよ」
 雪子の前で見つめ合ってしまったことに気付いて、薪は軽いパニックに襲われる。薪は自分の気持ちを誰かに悟られることに恐怖にも近い感情を抱いていて、つまり今の状況は耐え難い。結果、薪は風呂の用意をすると言ってキッチンを出て行ってしまった。顔の火照りが取れるまで帰ってこないだろう。
 雪子がいなかったら抱きしめてたのに。そんな思いから青木は、今日約束も無しに薪の家に来ることができたのは雪子のおかげだということも忘れて、彼女を恨めしく思う。
 だいたい、どうしてこんな普通のことが出来ないのだ。遺体を切らせたら誰よりも速く綺麗に解剖するくせに、野菜や魚は切れないなんて。人間の死体も動物の死体も同じじゃないのか。

「あの、素朴な疑問なんですけど」
「なに?」
「先生、洗ったり切ったりするだけで食材をペースト化できるスペックをお持ちのようですが」
「青木くん、皮肉上手になったわね。上司の影響かしらね」
 ありがとうございます、と軽く応じて、青木は核心に切り込む。
「それでどうして解剖ができるんですか? 取り出した臓器とか、持っただけで潰れちゃうんじゃ?」
 青木の疑問を、雪子は笑い飛ばした。これだからシロウトは、と言いたげな目つきで、
「臓器と食材じゃ、全然違うわ」
「だったら、臓器だと思えばいいんじゃないですか?」
「えっ?」
「ヒトか動物か植物かの違いはあっても、すべての命は尊く、すなわちこれらはご遺体です。その気構えで扱ってみたらどうですか?」
「で、でも、包丁とメスとじゃ持ち方から違うし」
「いっそメスで切れば?」
「メスで野菜や魚を? 何をバカなことを言って」
「あはは、冗談ですよ。で、どこから出したんですか、そのメス」
 監察医はいつ何時でもポケットにメスを忍ばせておくもの、これは監察医の心得第一条だ、と雪子は言うが、本当だろうか。てか職務目的以外の帯刀は銃刀法違反じゃないのかな。


 10分後。
 窓際で風にでも当たってきたのか少し髪を乱した薪が、亜麻色の瞳をキラキラと輝かせて歓声を上げた。
「すごい! 雪子さん、たった一日でものすごい上達ぶりじゃないですか。この三枚卸し、プロみたいですよ」
「……ありがと」






テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
文字サイズをお選びください
最新記事
最新コメント
拍手のお返事
いつもありがとうございます!

最新拍手コメのお返事はこちらです。

過去の拍手レスの確認は、該当記事の拍手欄を押してください。
鍵拍手コメのレスは、記事のコメント欄にお返しします。
月別アーカイブ
カテゴリ
詩 (1)
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
こんにちは(^^
現在の閲覧者数: