クッキング2 (7)

クッキング2 (7)





「うっ」
 低く呻いて青木は洗面所に走った。口の中に広がった信じがたい臭気と食感を一刻も早く洗い流せと本能が喚く。作り手に対する気遣いなんかしていたら、人生が終わる。ガラガラと音を立てて、遠慮なくうがいをする。それを三回繰り返して、やっと人心地ついた。

「ごめんね、青木くん。大丈夫?」
 雪子が申し訳なさそうに謝罪する。青木は懸命に笑顔を作った。口内を漱いでもなお、青木が悪心に駆られている原因は彼女の手料理にあるが、味見を強制しているのは彼女ではない。青木の上司の命によるものだ。よって、辞職願は彼に提出すべきだ。
 あと二回くらいこれを食べたら本気で死ぬと思う、だから青木は眼に涙まで浮かべて「もう限界です」と薪にメッセージを送ったのに、薪はそれを無視したばかりか、パンと軽く手を叩き、
「雪子さん、腕を上げましたね。青木のうがいの回数が三回に減りました。美味しくなってきてる証拠ですよ」

 ……勘弁してください……。

 息も絶え絶えでうがいするのも辛いんです、と正直に言えないのが青木の優しさ、もとい命取り。薪の非情がエスカレートする要因にもなっている。
「さ、雪子さん。もう一度チャレンジしてみましょう。牛肉を炒めるところから」
 雪子に注ぐ優しさの千分の一も青木には与えてくれない、薄情な恋人の、自分には決して向けられない慈愛に満ちた微笑みを見て、青木は喉元を押さえる。まったく、薪は雪子にはとことん甘い。

『料理の助手だったら、充分こなせると思いますよ』
 メスを扱う要領で包丁を使ってみれば、びっくりするくらいスムーズに食材が刻めることを発見した雪子に、薪が太鼓判を押したのは一昨日。が、今日になって雪子は、「煮物が作れるようになりたい」などと、無謀なことを言い出したらしい。
 板前修業になぞらえれば、煮物を担当する煮方は、板前、脇板に次ぐ要職だ。薪が板前だとすれば、雪子はやっと洗い方と言ったところ。揚げ場、焼き方をすっ飛ばして煮方なんて、それも三日で何とかしようなんて、無理に決まってる。
 が、雪子の願いなら三千世界の鵺も捕まえてくる薪のこと、一品に限定するなら不可能ではないと、条件付ながらも引き受けた。お題は「肉じゃが」。竹内の好物らしい。

「そうそう、焦がさないように手早くかき混ぜて……どうして生のじゃが芋が木べらで簡単に潰れちゃうんでしょうね……えっ、人参が茶色に? こんな部分的な焦げ方って、あ、玉ねぎの皮は剥かないと……鍋に頑張ってもらいましょう。
 だし汁を張って、はい、最初に砂糖、あ、それは片栗粉ですね……うん、とにかく先に進みましょう。次に味醂、あっ、塩じゃなくて醤油、えっと、じゃあ塩肉じゃがってことで、いやあの、それに醤油入れちゃうと塩辛くなり過ぎ、だから瓶から直接注ぎ込むのはよくないってさっきも……いや、カレー粉じゃ中和されないと思……」
 薪はクッキングヒーターの加熱を止めて、小皿に闇色の物体を盛り付けた。ゆっくり青木を振り向くと、この上なくきれいに微笑んで、
「青木、ほら。味見」
 それは味見じゃなくて、毒見ですよね?

 促されて、青木は黒くてどろりとした物体を口に運ぶ。塩分濃度が高すぎて口が痛いけど仕方ない。今日、自分はこの為に呼ばれたのだ。
 昨日は水曜日で、青木は昨夜も此処に来ていた。だから薪から電話があった時、連日でデートに誘ってくれるなんておかしいとは思ったのだ。「美味しい煮物を作ってるから食べに来い」と言われた時点で、煮物を作っているのは彼ではないと気付くべきだった。薪は自分の料理に“美味しい”なんて形容詞は付けない。

「どう? 青木くん」
 このダークマターにどんな評価を下せと?
 生存本能に負けて口中の異物を吐き出したくなるのを、青木はぐっと堪えた。薪が怖い眼で睨んでいる。雪子さんを傷つけるようなことを言ったら承知しない、という明確な意思、いっそ脅迫と言ってもいい。青木は言葉を選んだ。
「ちょっと塩辛いです」
「そう。薪くん、砂糖、足してみる?」
 足すって言わないですよね。これに入ってるの、砂糖じゃなくて片栗粉ですからね。
「それも一手だとは思いますけど、最初から作り直した方がより美味しくなるかと」
「だけど、食材を無駄にするのも勿体ないし」
 手遅れです。
「えっと、砂糖の分子は塩よりも大きいので、後からでは食材に染み込み難いんです。かなり多量に入れないと」
 この塩味を打ち消そうと思ったら、袋ごと投入しても足りないと思います。
「そうなの。じゃあ、砂糖の無駄遣いね」
 てか、オレの味覚が無駄遣いされてますよね、今カクジツに。

 二人の会話にいちいちツッコミを入れながらも青木がこの場から逃げ出そうとしないのは、自分がいなくなったら薪が味見をすることになるという危惧からだ。超絶美味の自作料理に慣れている薪がこんなものを食べたら、ショックで本当に死んでしまうかもしれない。

「どうしてまともな味にならないのかしら。ちゃんと計量スプーンを使ってるのに」
 基本的に、雪子の計量スプーンの使い方は間違っている。例えば醤油。瓶を傾けて中身を鍋に注ぐ、計量器具はその中間地点に据えられているが、完全に表面張力を振り切っている。あれは計っているのではない。醤油が鍋にダイレクトに落ちる衝撃を緩和しているに過ぎない。
「そうですね、おかしいですね……ほんのちょっと溢れてるだけなんですけどね……そうだ、今度は瓶じゃなく、食卓の醤油差しを使ってみたら」
「あの、薪さん」
 堪りかねて、青木は口を挟んだ。
「一度、お手本を見せてあげたらどうでしょう?」
「料理番組をいくら見てもプロにはなれない。料理は習うより慣れろだ」
 無理です、慣れる前にオレの味覚が壊れます。
「頭よりも体で覚えるんだ。何度も繰り返し作っているうちに自然に上手くなる」
「お願い、薪くん。やってみせて」
「はい、雪子さん」
 青木の懇願には耳を貸さなくとも、雪子の一言で薪は豹変する。いつも思うが、この二人の関係は不可思議だ。

 事故とはいえ、薪は雪子の婚約者を殺している。だから彼女に気を使っているのだと、他人は考えるだろう。だが、それだけではない。薪は本当に雪子のことが好きなのだ。男と女でありながら決して恋愛には発展しないけれど、もっと大切な想いがこの二人の間には絶対的に存在している。彼らを見ていると、青木はいつもそれを感じて、雪子のことがひどく羨ましくなる。二人の仲は一生ものだと思えるからだ。付き合いの長さや共有してきた思い出の数も関係しているのだろうが、何よりも彼らは、鈴木と言う人物で繋がっている。鈴木が薪の心中の永遠の住人である以上、雪子との縁も切れることはない。
 手際よく肉じゃがを作る薪の後ろで、盛り付け用の中鉢を用意しながら、青木は軽い疎外感を味わっていた。
 彼らは鈴木の思い出を共有している。鈴木が亡くなる前、3人で過ごした日々は薪にとって一番の宝物なのだろう。そこに自分はいない。それが少しだけ、悔しい。

「んー、美味しい!」
 やがて見事に出来上がった肉じゃがに、雪子は舌鼓を打つ。青木もご相伴に預かる、と、今宵初めての人間らしい食べ物に嬉し涙が込み上げてきた。料理って素晴らしい。
「本当は1時間くらい冷まして、味を染み込ませるといいんですけど」
「充分美味しいです。新じゃがだから、これくらいの味付けの方が風味があっていいかも」
「そうか? うん、芋の味がよく分かる。雪子さんの選び方が良かったんですね」
 何でも雪子の手柄か。奥ゆかしいんだか卑屈なんだかよく分からない、否、ただ単に雪子のことが好きなのか。
「旬の食材を使うって、大事なことですよね。さすが先生」
 薪に合わせて、青木は雪子をヨイショする。失敗の連続に一番凹んでいるのは彼女なのだから励ましてやろうと、そんな気持ちが起きるのも薪の名作のおかげだ。美味しい料理は世界を平和にする。

「それもあるけど、竹内、肉じゃが好きなのよね。だからこれだけはマスターしたくて」
 ぽそっと呟く雪子は、ちゃんと女の顔をしている。幸せなのだと分かった。

「先生、意外と健気ですね」
 こっそり薪に囁くと、薪は不機嫌に眉を吊り上げ、
「なんだ、今頃分かったのか? 雪子さんは昔から健気だぞ。鈴木にも手料理を食べさせようと頑張ってたし、プレゼント選びも時間かけてた。やさしくて一途で、強気に見えるけれど引き際は弁えている。最高の女性だ。雪子さんに愛される男は幸せ者……ちくしょー、竹内のやつ……絶対に許せない……」
 意地っ張りで天邪鬼でへそ曲がりだけど、薪は自分の味方だと認識している相手にはどこまでも寛容だ。逆に、敵対者には果てしなく厳しい。それは派閥争いの激しい警察機構で生き抜いていく中で自然に身に付けざるを得なかった性質だったと思われるが、薪の場合は少し問題があって、肝心の敵味方の判別が必ずしも正しくないどころか間違っている時の方が多いのだ。ぶっちゃけ薪は、「男らしい」と自分を褒めてくれる人間は無条件に味方だと信じてしまう。そうやって信じた相手に何回襲われかけたことか。危なっかしくて目が離せない。しかも何度同じ目に遭っても学習しないあたり、彼の危険センサーの性能は甚だ残念だと言わざるを得ない。
 この反対の事例が雪子の婚約者、竹内だ。彼は薪のことを尊敬しているし、好意すら抱いていると思われるのに、自分に女装を強要したと言う理由から敵と見做されている。もう何年も前のことなのに、薪は執念深い。

「ありがとう薪くん。勉強になったわ。次は、油とお醤油の量を減らしてみる」
「そうですね。がんばりましょう」
 士気を高める二人を横目に、青木は冷蔵庫を開けた。中から牛乳のパックを取り出し、開け口から直飲みする。雪子が作り出すバイオハザードに牛乳のバリア効果がどれくらい対抗できるか、それは神のみぞ知る。






テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんにちはー。


> あ~やっぱりね(^^;)

とーぜんです。(笑)


> 雪子は鈴木さんの思い出を共有する只一人の友人。原作でもそんな特別な感情は変わらないのでしょう。

だと思ってたんですけどね、
結婚の報告も届いてなかったでしょう? 最終回の「つよし君 あなたも?」で、本当に切れちゃったのかなって。 エピローグで雪子さん、文字しか出てこないし。
岡部さんにでも訊けば、調べてくれたと思うんですよね。 同じ科警研にいるわけだし。 怖くて訊けなかったのかな?


> 竹内さん、気の毒だけどあの女装のせいで薪さん、酷い目にあったしなあ・・(^^;)

竹内はいいんです。 一生このまま、薪さんに嫌われたまんまで。(ヒドイ)
元々竹内は、雪子さんを幸せにしてくれる男の人がいないと、薪さんは青木さんの胸に飛び込めない、と思って作ったキャラなので。 だから彼は、雪子さんと結婚して末永く幸せに暮らします。 けっこう幸せな男です。(^^

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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