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ジンクス(16)

ジンクス(16)








 第九の室長室には、今日もまだ明かりが点っていた。
 部屋の中では、大きなスチール製の事務机の上で、室長が書類と格闘している。
 さすがというか馬鹿正直というか、第九の部下たちは室長の言ったことを素直に実行して、その結果大量の報告書を上げてきた。ちょっと調子に乗りすぎたか、と自分の発言を悔やんだ室長である。
 部下が作成した報告書に室長所見を添付して、所長に提出するのが薪の仕事だ。つまり、部下の尻を叩けば叩くほど自分の仕事が増えるのだ。

 この2日ばかりは仕事にならなかった。
 そのせいで溜め込んでしまっていた報告書の山が、昼間の鬼のような仕事ぶりでさらに大きくなってしまった。
 が、今日は大丈夫だ。仕事の妨げになるようなことは何もなかったし、岡部のマッサージのおかげで肩の調子もすこぶる良い。おかげで普段の倍も仕事がはかどった。
 明日また少し踏ん張れば、書類の山はすっかりきれいに片付きそうだ。
 今日はこのくらいにして帰ろうと、残りの書類を鍵付きのキャビネットにしまう。出来上がった報告書は田城のところへ所内メールで送るため、配送用のボックスに入れて鍵をかける。ボックスからはみ出しそうな報告書の量に、明日田城がこれを見たらどんな顔をするだろうと意地の悪いことを考えて、にやりとしてしまう。薪の意地悪は細胞レベルだ。

 革張りの椅子の上で、大きく伸びをする。両手の指を交差して両腕を耳につけ、思い切り上に伸ばす。一昨日はこの腕が肩より上に上がらないほど痛かった。岡部のマッサージはたいしたものだ。
 ついつい岡部には甘えてしまうが、あまり頻繁にやらせては悪いので、次のボーナスが出たらマッサージ機を買おうかと真面目に検討している。部屋が狭くなるので見送っていたのだが、最近どうにもならなくなってきた。今年で薪も36。四捨五入すれば40だ。肩こりと縁のなかった20代が懐かしい。

 時刻は九時を回った。
 たくさん仕事をしたからか、珍しく空腹を覚えている。今日はちゃんとしたものを夕食に食べたい気分だ。久しぶりに『瑞樹』に行って旬の秋刀魚で一杯飲むか、などと浮かれたことを考える。
 戸締りを確認しようと窓辺に寄った薪の目に、庭のベンチに腰掛けている2人の男女の姿が映った。
 青木と―――― あれは雪子だ。

 ふいに。

 薪は心臓をわしづかみにされたようなショックを覚えて、その場に立ち尽くした。
 今までの浮かれた気分が嘘のように醒めて、暗鬱な気持ちが戻ってくる。
 二人が何を話しているかは察しがついた。昨日の今日だ。青木は自分の悩みを彼女に打ち明けているのだろう。
 しかしなぜ、雪子なのか。
 一緒に仕事をしている第九の人間ではなく、大学の友人でも警察庁の同期でもなく、法一の監察医という謂わば部外者に過ぎないはずの雪子が、どうして青木の相談相手になっているのだろう。
 薪には話せない、と言った青木の『信じられるひと』が雪子なのか。

 そして、どうして自分はこんな気持ちになっているのだろう。
 いたたまれない焦燥感。胸を焦がすチリチリとした痛み。去年まではおなじみだったマイナスの感情だ。
 前にも二人で話しているところは見たことがあるし、あの二人がけっこう仲が良いことも知っている。お似合いだとさえ思っていたはずだ。
 でも、こんな気持ちになったことはない。この気持ちはまるで、鈴木と雪子を見ていたときの、あの身を切られるようなせつなさ……。

 これは―――― 嫉妬だ。

 青木はあまりにも似すぎている。何から何まで、鈴木の生まれ変わりとしか思えない。
 鈴木の脳を見ているから? 鈴木の霊が青木にのりうつって?
 馬鹿な。そんなことはありえない。
 あり得ないけれど、あの時のセリフまで一緒だった――――。

 あれは薪がまだ鈴木と関係を持つ前のことだ。
 自分が鈴木に恋をしていることは自覚していたが、さすがに言い出せなくて悶々としていた頃、サークルのコンパで薪は嫌な目にあった。
 普段はコンパなどに顔を出さないのだが、鈴木のことばかり考えてしまう自分に少しうんざりして、別の付き合いも広げてみればいくらかは気持ちも紛れるかと思って参加してみた。そのときはそんな目的もあったから、わざと鈴木の隣は避けて他の友人の隣に座った。

 酒が回ってゲームも盛り上がって、それなりに楽しかったのだが、酔っ払った友人の一人が薪に絡んできた。特別、仲が良いわけでも悪いわけでもない友達だったのだが、何故か薪に抱きついてきてキスをしようとしてきた。今なら投げ飛ばすところだが、その頃は柔道も空手も習っていなかったし、力もなかったから簡単に押さえつけられてしまった。
 あれは多分、ただ単にふざけていただけだと思うのだが、鈴木の前だということもあって薪は必死で抵抗してしまった。
 やめろ、よせ、と叫ぼうとしたときに、鈴木が助けてくれた。そのときのセリフが、
『オレの薪に手を出すな!』だった。

 普段は怒ったことなどない鈴木が、薪には見せたことのない怖い顔をして、その友人の首根っこを摑んで宙に持ち上げた。部屋中の人間が目を丸くしていた。みんな鈴木がこんなに怒ったのを見たのは初めてだと後で言っていた。
 そのときはまだ、ただの親友だったから『オレの親友の薪に手を出すな』の言い間違いに過ぎなかったのだろうが、既に鈴木への恋心を自覚していた薪にとっては、一気にその想いを募らせるきっかけになってしまった。

 あれで完全に持っていかれたんだよな、と薪はその当時のことを振り返る。
 そのセリフともろにかぶった、一昨日の青木のセリフ。
『オレの室長に手を出すな!』
 これも『うちの室長に』の間違いだ。言い間違いまで似ているなんて反則だ、と薪は思う。

 加えて昨夜のジンクス。

 薪は同性愛者ではないから、男に抱きしめられて喜ぶ趣味はない。ただ、鈴木だけは例外なのだ。
 警察庁に勤め始めて最初の大失敗をやらかしたとき、上司と喧嘩になったとき、どうしても証拠を挙げることができず確実にクロだと思っていた容疑者を送検できなかったとき―――― 落ち込むと鈴木のところに行って、あの『おまじない』をしてもらった。薪が涙を流せるのは、鈴木の前だけだった。
 鈴木は薪のすべてを知っている。弱いところも、脆いところも、性感帯まで知り尽くしているのだから、いまさら恥ずかしいことなど何もない。だから何でも言えた。思い切り泣けた。
 第九の室長を務めるようになると、鈴木にも言えない秘密が出来てしまったが、ジンクスは続いた。鈴木に抱きしめてもらってありったけの声で泣き喚くと、不思議とすっきりして元気になり、次の日の仕事は最高にうまくいくのだ。
 昨日は相手が青木だったから嗚咽に抑えたが、あれが鈴木だったら研究室中に響き渡るような大声で泣き喚いていた。さすがに部下の前でそれは出来ない。いや、鈴木以外の人間の前では、そんな自分を見せられない。薪は第九の室長なのだ。
 本来は青木の前で泣いてしまったことも削除したいのだが、あれは不意をつかれた。やってしまったことはどうしようもない。他人にぺらぺら喋ったりしないやつだからその辺は心配ないが、どうにも顔が合わせづらい。

 青木は、鈴木に似すぎている。
 だからこんなに胸が苦しくなるのだ。それ以外、理由が考え付かない。

 ブラインドを閉めて、室長室の明かりを消す。いつの間にか涙ぐんでいる自分に気がついて、思わずその場にしゃがみこんだ。
 嗚咽が込み上げてくる。これは鈴木への涙だ。

「鈴木……やっぱりおまえじゃなきゃ、効かないみたいだな」

 誰もおまえの代わりになんかなれない。
 はやくはやく迎えに来い。
 僕はここで待ってる。ずっと待ってる。
 いつまで待たせる? いつまで待てばいい?

「1年も頑張ったんだぞ。おまえのおまじないもなしで、おまえの顔も見られない世界で、1年も……もう、いいだろ。勘弁してくれよ……」

 だれもいない部屋。だれもいない世界。
 明かりの消えた室長室に、薪の嗚咽がひっそりと響く。

 秋の夜の冴えた月だけが、薪の涙を見ていた。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ジンクス(17)

ジンクス(17)







「で? なに。結局、ノロケ?」
 午前中の雨が幻だったかのように晴れたその日の夜、青木は研究所の庭のベンチで雪子と一緒にピザを食べていた。Lサイズのガーリックミートとダブルチーズのこってりしたピザは、雪子のリクエストだ。

「違いますよ、なに聞いてたんですか」
「あんたの顔見てると、悩んでるように見えないんだけど」
 赤く縁取られた大きな口がピザにかぶりつく。すでに3ピース目だ。薪もこれくらい食べてくれるといいのだが、と青木は思う。
「いや、本当に悩んでるんですよ。あの夢のせいで室長の顔をまともに見られないし、仕事でも大きなミスして、結局あのひとに迷惑掛けて。今回なんか人身御供に出されるところだったんですから、シャレにならないです」
「薪くんならではってカンジだけど。でも薪くんは強いわよ。見かけによらず」
「はい。見事な背負落しでした」
「そのはずよ。大学の頃からあたしが仕込んだんだから」
「そうだったんですか」
 雪子は柔道4段の腕前である。
 薪もあの小さな身体で黒帯だというから初めは驚いたが、組み合ってみて簡単に投げ飛ばされてしまったことがある。あまり力はないので寝技に持ち込んでしまえば勝機はあると雪子にはアドバイスを受けたが、寝技は別の意味でとてもできない。青木も警察大学で基本だけは習ったが、6ヶ月程度でものになるわけもなく、当然白帯のままだ。

「べつに悩むことなんてないじゃない。すこぶる正常よ。好きな人とはセックスしたくなって当然でしょ」
 ズバッと言って、4枚目のピースを口に運ぶ。女性と話しているとは思えない会話だ。
「でも、薪さんは男のひとで」
「男の身体のまま夢にでてきたって?」
「はい」
「で、最後までやっちゃったんだ」
「はい」
「じゃあ、あとは実践だけね」
「はい。……いいえっ!」
 なんでもない調子で恐ろしいことを言う。こういうところが少し、薪に似ている。

「何事も、イメージトレーニングは大事よ」
 ペットボトルのウーロン茶をごくごくと飲み干し、サイドメニューのフライドポテトに取り掛かる。その食べっぷりは見事としか言いようがない。
「前にも言ったでしょ。男か女かなんて、些細な事だって。薪くんもまんざらじゃないみたいだし、思い切って告ってみたら?」
「え!? 無理ですよ。それこそ投げ飛ばされます」
「薪くんが人前で泣くなんて、本来ならありえないわよ。大学の時に1回見たことあるけど、あたしが見たのはそれっきり。克洋くんが亡くなった時にも、人前では泣かなかった。さんざん泣いた目だったけどね」
 早い者勝ちとばかりに5ピース目のピザに手をつける。もしかしたら、1枚では足りなかったかもしれない。

「青木くんに心を許してる証拠よ」
「……ジンクスのおかげだと思います」
「え?」
 雪子の疑問に、青木は答えることができなかった。
 薪のあのジンクスは、多分―――― いや、間違いなく、雪子の元婚約者にしてもらっていたことだからだ。それを雪子に告げるのは酷というものだ。

「薪さんが泣いたところなんて初めて見たから、驚いちゃいました。でも、すごく可愛かったんですよ。子供みたいになっちゃって……ああ、守ってあげなきゃ、ってオレ……」
「やっぱノロケじゃん」
「違いますよ」
「あー、月がきれいね。今夜、十五夜なんですって」
「そうなんですか?」
 ふたりが座っているベンチからは、第九の建物が見える。室長室にはまだ明かりが点いているようだったが、薪は知っているだろうか。この月を見ただろうか。

「三好先生に聞いてもらえてすっきりしました。オレ、やっぱり薪さんのことが好きです。でも、それを伝えるのはもう少し先のほうがいいと思います。オレがもっと仕事ができるようになって、薪さんに信頼してもらえるようになって、そうしたら……」
「決めるのは自分だからね。悩んだらいつでも言いなさい。聞いてあげるから」
「ありがとうございます。って三好先生、どんだけ食うんですか? オレ、まだ1切れ目なんですけど」
「あら。もう一枚追加するなら手伝うけど?」
 きれいにマニキュアを塗った手で携帯電話を取り出す。近くのピザショップの番号は、既に入力済みである。
「もしもし。科警研の三好ですけど。ダブルミートピザのLサイズを一枚とイタリアンバジルのMサイズを。コーラとウーロン茶もお願いします。急いでね」
 呆気に取られる青木に、研究所の門のところでピザを受け取るように命じると、雪子は優雅に足を組んだ。

 青木がその場を離れた間に、雪子は薪のことを考える。
 薪が自分の婚約者を好きだったのは知っている。
 鈴木は自分と知り合う前から薪とは親友という間柄で、多分、身体の関係も含めた恋人同士だった。周囲から見れば、他人より抜きん出ている薪に鈴木がくっついているように見えたが、本当は逆だ。薪は彼に夢中だった。それを自分が奪ったのだ。
 正確には鈴木のほうから雪子に近づいてきたのだが、薪に最初に会ったときのあの目は忘れられない。視線で人が殺せるものなら殺してやりたい―――― そう言いたげな瞳だった。

 あれから15年。
 薪との付き合いも、そんなになるのだ。もはや他人とは思えない。手のかかる弟のようなものだ。

 15年経って、警察庁の歴史を塗り替えるような数々の輝かしい功績を立てて、第九の室長の役職も板について、薪はすっかり大人の顔をしている。それでも根っこの部分は変わらない。わがままで自分勝手で頑固で、そのくせ寂しがりやの子供―――― そのすべてを許して薪を安らがせてくれた鈴木は、もういない。誰も代わりにはなれない。鈴木のようなお人好しは二人といない。
 薪がこれからも警察でやっていこうと思うなら、誰か別の人を見つけるしかない。
 薪は見た目ほど強くない。強そうに見えて、本当はひどく脆い。支えてくれる人がいなかったら、室長の重責に、抱え込んだ秘密の大きさに、押しつぶされてしまうだろう。

「悠長なこと言ってたら、薪くんのほうが先にダメになっちゃうと思うけどな」
 雪子は本気で薪のことを心配している。
 我ながらおかしな関係だと思う。薪は自分の婚約者を殺した男なのだ。しかも彼の、元恋人でもある。絶対に仲良くはなれないはずなのに、自分は薪が嫌いではない。
 薪は自分にとても気を使うが、それは罪の意識がなせる業で、嫌われているわけではないと思う。昔はよく鈴木と3人で遊びに出かけたものだ。
 薪と2人で鈴木のために料理を作ったり、クリスマスのプレゼントを選んだりしたこともある。そんな時、薪は少しだけ辛そうにしていたけれど、決して雪子の誘いを断らなかった。鈴木を忘れる努力をしていたのだと思う。
 鈴木から聞いた話だが、雪子との結婚を決めたことを薪に告げたときも、割と平気な顔だったという。あの事件さえなければ、雪子が鈴木と結婚していたら、今頃は薪にも可愛い恋人ができていたかもしれない。―――― あまり想像はつかないが。

 あの事件があって、薪は鈴木(支え)を失った。
 あれから1年。
 その間にも薪の肩にかかる重荷はどんどん増えて、とっくに限界を過ぎている。薪には誰かが必要なのだ。

 青木には見所がある。
 薪が言うほど鈴木に似ているとは思えない。薪は、青木の中に鈴木を探しているからそっくりに見えるのだ。
 むしろ鈴木にはなかった無鉄砲さこそが、青木の魅力ではないかと思う。
 鈴木はやさしいひとだった。優しすぎて、結局なにも捨てることができなかった。
 貝沼の脳を見た他の捜査員が精神に異常をきたしていたことから、そのすべてを見たら狂うかもしれないことは、鈴木は充分に承知していたはずだ。それでも彼は薪のために、それを見続けた。
 雪子との人生を選ぶことも、薪のことを見捨てることも、どちらもできずに結局自分自身を捨てたのだ。
 青木はそういうタイプではない。
 薪のためなら何でもできるというが、自分を犠牲にするような真似は結局相手のためにならないことを知っている。鈴木がキレたのは見たことがないが、青木は結構、よくキレる。そして思い切った行動に出る。それこそが薪を悔恨の泥沼から救い出す原動力になると、雪子は確信している。

 ピザの箱を両手に抱えて駆けてくる第九の新人に、雪子は心の中でエールを送った。

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ジンクス(18)

ジンクス(18)








 薪は、ブラインドの隙間から月を見ている。
 ひどく寂しい月だ。見ていると泣けてくるような寒々とした気分になる。
 今日はなんだか、自分の部屋に帰りたくない。仕事も残っていることだし、いっそここに泊まろうか。
 一時の感傷が治まってそんなことを考える。と、突然、室長室のドアが開いた。

「あれ? 室長、帰っちゃいました?」
 青木だ。何しに来た。
「あ、いるじゃないですか。セキュリティーかけてないから変だと思いましたよ。なんで電気消してるんですか?」
「つけるな!」
 叫びは間に合わず、蛍光灯の白い明かりが窓の下にうずくまった薪の姿を照らし出した。青木が息を呑むのがわかる。こんなみっともない姿を部下には見せられない。薪は慌てて立ち上がり、青木に背を向けた。

「なにか用か」
「室長、夕飯まだですよね。ピザ食べませんか?」
 無神経を装って、こちらへ歩いてくる。手にはピザの箱を2つと、ドリンクのカップを2つ持っている。
「オレもまだ食ってないんです。一緒に食べませんか」
「だっておまえ、さっき」
 雪子と一緒に食べていただろう、と言おうとしたが、それでは自分がふたりをここから見ていたことが解ってしまう。薪は口を閉ざした。
 
「三好先生にもらったんですけど、ひとりじゃ食べきれなくて」
「いらない。食欲がない」
 そう言った途端に、薪の腹が盛大な音を立てた。
 あまりのタイミングのよさに、思わず青木が噴き出す。気恥ずかしさに薪の顔が赤くなる。
「室長にも腹の虫っていたんですね」
「おまえだって腹が減れば鳴るだろうが」
 涙と一緒に流れ落ちてしまった、と思っていた空腹感が戻ってくる。
 きっと腹ぺこには堪らないピザの匂いのせいだ、と薪は自分に言い聞かせる。別に青木がここへ来たから、へこんだ気分が直ったわけじゃない。

「仕方ないから手伝ってやる。でも、僕はピザはそんなに好きじゃな……」
 箱を開けてみると、薪の大好きなイタリアンバジルのクリスピータイプだ。思わず目が輝いてしまう。
 それを見た青木がまた笑い出そうとしたので、思い切り睨んでやる。青木は薪の険悪な視線に気付いて目を逸らしたが、必死に笑いを堪えているのがありありと分かって、いたくプライドを傷付けられた室長である。

「ドリンクはコーラとウーロン、どっちがいいですか?」
「コーヒーがいい」
 とりあえず、逆らってみる。
「……淹れてきます」
「ピザが冷めちゃうから、今日はインスタントでいい。僕が淹れてくる」
「オレがやりますよ」
「いい、自分でやる」
 給湯室へ向かおうとした青木を押し留めて、薪はさっさと歩き出した。室長室のドアのところで振り返りざま、笑われた仕返しに嫌味をひとこと。
「バリスタさまにインスタントコーヒーなんか淹れさせたら、バチがあたるからな」
「なんですか、それ」
「皮肉だ」

 給湯室で、インスタントコーヒーを紙コップに淹れる。
 コーヒーは好きだが、別にこだわりがあるわけではない。自宅でも夜中に飲みたくなったときは後片付けが楽なインスタントを選ぶ。この時間から青木に洗い物をさせるのは気の毒だ。―――― そう思うのだったらセットのドリンクで我慢すればいいのに、こういうところがいかにも薪らしい。
 薪が室長室へ戻ると、青木が何やらガタガタやっていた。カウチの向きを反対にして、窓の外が見えるように位置を調整しているようだ。
 
「今夜は十五夜なんですって。知ってました?」
「そうなのか?」
 ブラインドを上げて窓を開け、青木が月を見上げる。
 さっき見た時はずいぶん寂しい月だと思ったが、そう聞くときれいに見える。秋の澄んだ夜空にくっきりと浮かんだ月を、今宵は何人の人間が見上げているのだろうか。
「月見だったらピザとコーヒーじゃなくて、団子と日本酒でしたね。」
「団子と日本酒は合わないだろ。あれは中に甘酒が入ってるんだ」
「そうなんですか? いろんなことよく知ってますね」
「うそだ。バカ」
 膝の上に箱を置いて、カウチに腰掛けてピザを食べる。久しぶりに食べるピザはパリパリのアツアツで、とても美味しかった。
 
「薪さんの、一枚もらっていいですか?」
 頷いて箱を差し出す。どうせ半分くらいしか食べられない。
「ありがとうございます。こっちのも食べてみます?」
 黙って首を振る。ミートピザは苦手だし、Lサイズは1ピースが薪には大きすぎる。
 熱いコーヒーに口をつけるが、やっぱりピザには冷たい飲み物のほうが合う。しかし自分で言いだした手前、やっぱりそっちがいいなどと子供のようなことは言えない。
 心の中で失敗したなと思っていると、それを読んだかのように、青木が目の前に冷たいウーロン茶を差し出した。無言で受け取って口をつけると、青木はにこにこと笑う。
 
「気持ち悪いやつだな。何をにやにやしてるんだ?」
「いえ、別に」
「……何かいいことでもあったのか」
「はい」
 素直なやつだ。
 そうか、今まで雪子と一緒だったのだから機嫌が良くて当たり前か、と薪は思う。
 まあ、それもいいだろう。今はとにかくピザが美味い。

 コーヒーのほうは青木が引き取ってくれた。飲んでもいいですか、と聞くので頷いてやる。自分の分はもう食べ終わっているから、青木にとっては食後のコーヒーだ。それならいけるはずだ。
「あ、やっぱり薪さんが淹れれば、インスタントでも美味しいんだ」
 さっきの嫌味が10倍になって返って来た。
「めずらしいな。おまえが皮肉を言うなんて」
「え? 皮肉じゃないですよ」
 青木が慌てて首を振る。
「本当に、美味しいですよ。インスタントもいけますね」
 そう言われると飲んでみたくなる。我ながら大人気ないなと反省するが、飲んでみますか?とカップを差し出されたら、一応口をつけるのが礼儀というものだ。
 ピザとドリンクで両手が塞がっているので、首を伸ばしてカップに口をつける。青木がうまくカップを傾けてコーヒーを飲ませてくれる。が、所詮インスタントはインスタントだ。確かにそれほどまずくはないが、香りも味も深みも、まるで足りない。
「そうか?おまえ、味覚おかしいぞ」
 薪の正直な感想に青木が苦笑する。この味覚であんなに美味いコーヒーが淹れられるのだから、不思議なやつだ。

 結局6枚切のピザが2枚残って、それも青木が平らげる。青木が食べていたピザは薪のものより一回り大きかったが、初めから2ピースほど欠けていた。きっと雪子が食べたのだ。雪子はミート系のピザが好物だった。
 薪も今日はMサイズのピザを3ピースも食べたのだから頑張ったほうなのだが、こいつの前では自慢にならない。何故か薪の周りには大食らいが多いのだ。
 
「よく食うな、おまえ」
「オレは普通です。薪さんが小食なんですよ」
「おまえが普通だったら、とっくの昔に人類は死に絶えてるぞ。食糧不足で」
 あはは、と青木が声を立てて笑う。
 その横顔に、つい見とれている自分に気付く。
 今夜は少しおかしい。心の振れ幅が大きすぎる。浮かれたり落ち込んだり、泣いたり笑ったり、こんなに感情が大きく揺れ動くことは、あまりないのだが。十五夜だという月のせいか。
 また、なにを非科学的なことを。第九の室長ともあろうものが、月の魔力などというまじないじみたものに惑わされていいはずがない。薪は自分を戒めた。

「ああ、ほんとにきれいですよね」
 青木はカウチから立って窓辺に寄り、コーヒーを飲みながら月を見ている。薪は月を見る振りをしながら、その背中をぼんやり見ている。
「こっちのほうが良く見えますよ」
「……ここでいい」
 薪の素っ気ない返事に青木は微笑して、再び窓の外へ向き直った。

 ここのほうがいい。横に立ってしまうより、ここのほうが青木がよく見える。
 広い肩が、大きな背中が、長い手足が鈴木を思い出させる。
 でも、やっぱり違う。これは青木だ。
 鈴木は薪といるときに、背を向けたりしなかった。こういうときは自分が薪のほうへ来るか、薪をむりやり自分の横に連れて行くかで、決して自分だけでは行動しなかった。
 違う人間なのだから当たり前なのだが、そこに違和感を感じてしまう自分に、薪は驚いている。しかし、その違和感は不快なものではない。
 鈴木に似ていなくても、青木のことは嫌いではない。嫌いな人間とは一緒に仕事はしない。仕事のモチベーションを高くするひとつの方法だ。現実にはなかなかそうも行かないが。

 青木は月を見ている。
 薪は、その背中を見ている。

 長月の夜の冴えた月だけが、室長室のふたりを見ていた。


          

 ―了―




(2008.10)

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ジンクス あとがき代わりのお礼と言い訳

 ここまでお付き合いくださって、誠にありがとうございました。
 こんな長くてダラダラした話を読みきれる方は、薪さんの名前さえ出ていれば電話帳でも読める方だと思います。
 読んでくださった方々には、こころから敬服しております。
 書いた本人が推敲中に眠くなるくらい、長い長い。しかも固いわタルイわで。ガマン大会かっての。
 眠れない夜にぜひどうぞ。3分で睡魔が襲ってきますってなカンジです。

 長くなるのは文章力のない証拠。なんでもかんでも詰め込めばいいってもんじゃない、と叱られたこともありましたが……。
 正直なところ、岡部さんのマッサージとかカレー食べるところとか、最後のピザのところなんか、ないほうが話が締まるのは解ってるんですよ。
 でも、薪さんが絡むと、削りたくなくなっちゃうんです。どんなエピソードも大切に思えて。
 やっぱりわたしは薪さんのことが大好きなんです。……じゃあ、どうしてあんなに僕を泣かせちゃうんでしょう(笑)

 
 わたしの薪さんが言葉が悪かったり、ケンカが強かったりするのは、アニメの影響もあります。
 アニメでは結構「バカヤロー」とか言ってるし、柔道の心得もあるみたいでしたよね。その傾向が強まっていってしまった、というか。

 この調子で、これからもうちの薪さんは下品です。しかも、長い話ばっかりです。
 飛ばし読みで充分ですので、お付き合いいただけたらこれ以上の幸せはございません。


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室長の災難(1)

 このお話は、わたしが最初に書いたお話です。
 なので、かなり構成がめちゃくちゃになってますが、一応時系列的にこの辺に位置するものなので、載せておきます。
 UPにあたって文章もできるだけ直しましたが、やりようがないところはそのままにしてしまいました。ていうか、直しようが無かった……。
 
 テーマはずばり、薪さんの女装ネタです。アニメの室長を語る上で、女装は欠かせませんよね(笑)
 女装に抵抗のない方のみ、ご笑覧ください。






室長の災難(1)





「おとり捜査、ですか?」
 形の良い眉を困惑にひそめて、薪は問い返した。
「現場の捜査は、捜一の仕事でしょう。捜一からクレームがきますよ」
「その捜一からの依頼なんだ」
 田城の言葉にますます不可解な顔つきになって、薪は口を閉ざした。
 夏の名残の日差しが眩しい、九月の午後のことだった。



*****



「おとり捜査? 第九が? まさか」
 思わず大声が出てしまった。
 もともと素直な性格で、人も良いからすぐに騙される。またもや先輩の冗談にひっかかってしまったか、と青木は思った。
 しかし、今回は違ったらしい。
 情報を仕入れてきた小池に次いで、宇野が事情を説明してくれた。
「ほら、例の美女ばかり狙った連続殺人。あの容疑者が固まったらしいんだけど、証拠がどうしても掴めないそうだ」
「ああ。被害者はみんな頭部を潰されてて、脳が見られなかったんですよね」

 8月の上旬から起こった連続殺人は、既に5人もの被害者を出していた。
 被害者はいずれも20代の女性で、背後から鈍器で殴られて気絶させられ、犯されたうえに惨殺されている。捜一の捜査上に、被害者の共通点は未だ浮かんでこない。あるとすれば、みな非常に美しい女性ということだけだった。

「面食いの強姦魔ってことなんだろうけど」
「それでおとり捜査ですか。どうなんでしょうね、それって。いや、でもうちは関係ないでしょう。第一、おとりになるっていっても、うちに女の人なんていないじゃないですか」
「……いるだろ、ひとり。女性じゃないけど」
「そう。普通の女性よりはるかにきれいな顔した人が」
「え? それって……いや、ないですよ! それは絶対にないです!!」
 ここに到って、鈍い青木もようやく理解した。捜査一課のご指名が誰なのか。
 しかし、青木はその人物に以前「第九の人間が囮捜査や尾行をするようになったらおしまいだ」と言われたことがある。当の本人がそれを承諾するとは、到底思えなかった。

「薪さんがそんなこと承知するはずないです。きっと断ってますよ」
 自信たっぷりに言い切った青木だったが、正式な捜査協力をそう簡単に断れない事情もよく知っていた。
 昨年の夏に起きた警察組織の根幹を揺るがすような不祥事の舞台となった第九は、未だその汚名を返上しきれていない。それは事件の張本人の薪が室長の座に居座り続けていることも大きな要因になっているのだが、薪以外にこの職務をこなせるものが存在しない以上、仕方のないことだ。
 もし、薪が室長の座を追われるようなことになったら、おそらく第九は崩壊する。それを望んでいる輩も大勢いるのだが、第九の職員たちは一丸となって彼らに立ち向かうつもりでいる。
 しかし、現実に弱い立場であることには変わりない。
 警視庁の花形部署、捜査一課と比べるとその評価は雲泥の差だ。その捜一からの協力要請は、実質的な捜査命令だ。命令には逆らえないのが組織というもので、それは室長といえども例外ではない。

 青木が悶々と考え込んでいると、目の前にぬっと何かが突き出された。
「はい?」
 栗色のロングヘアと金髪のパーマヘア。もちろん女物のウイッグだ。
「おまえ、どっちにする?」
「はあ!?」
「薪さんひとりに危ない役目を押し付ける気じゃないだろ」
 つまりそれって……。

「ぜったい、ムリです!!」


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室長の災難(2)

室長の災難(2)







「気は確かなんですか? 捜一は。それとも、捜査が行き詰ってしまって自棄になってるんですか?」
「まあ、薪くん。少し冷静になって」
「田城さん、僕は男ですよ。レイプ事件の囮になんてなれませんよ。いくら暗がりでも犯人が間違えるわけないでしょう。一体だれが言い出したんですか、こんな馬鹿げたこと!」
 いつもの冷静な仮面をかなぐり捨てて、薪は上司の机を勢いよく叩いた。
 怒りに血が上っているのか、頬がいくらか紅潮している。本人の主張とは裏腹に、確かにこの美しさなら美女で通るのではないか、と田城は心の中で呟いた。
 亜麻色のさらさらとした髪。肌理の整った白い肌。瞬きするのに邪魔ではないかと心配になるほどに長い睫。鼻梁はあくまで細く、すっきりと通っている。雄弁だが小さい口唇は、まるで紅を差したかのようにつややかで肉感的である。きりりとした意志の強そうな眉がもう少し優しげなら、女性と言われても頷いてしまいそうだ。
 もちろん、口に出しては言わない。言葉にしたが最後、この青年の重戦車級の攻撃に遭ってしまうからだ。

「私ですよ、薪室長」
 隣の部屋に続くドアが開いて、背の高いすらっとした体つきの男が現れた。薪と同い年くらいで、俳優のような色男である。女性にはもてそうだ。
 竹内誠。
 階級は警視。捜一のリーダー的存在で、第九排斥組の先鋒である。
 その男を見る薪の目が、すっと細められる。敵を見る猛禽類のような険しい眼差し―――― が、それは一瞬のうちにかき消され、敵に前にしたときの無表情な顔になる。相手には聞こえないように舌打ちした唇が、皮肉な笑みを浮かべた。

「あなたでしたか。それなら納得です。さすがに捜一のエースは違いますね。感服しますよ。常識の欠片でもあれば考え付かないような作戦です」
「いやいや。私どもがいくら頭をひねっても、第九のエリート集団にはかないませんよ。なんたって室内に引きこもったまま、覗きのような真似をするだけで犯人を捕まえてしまうんですから。大したものです」
 竹内の第九批判に、薪の目が凶悪な光を宿す。
 引きこもりだの覗き野郎だのといった中傷を陰でされているのは知っているが、面と向かって言ってくるのはこいつくらいのものだ。

「その引きこもりに囮になれと?」
「もちろん、うちの方でも手は尽くしているんです。しかし、ご存知のとおり行き詰っていましてね。もうこれは、警察庁始まって以来の天才との噂も高い薪室長に助けていただくより他はないと」
 薪の皮肉が10倍になって返って来る。この男との会話は、いつもこの調子だ。
「べつに僕は天才なんかじゃありません」
「警視正の昇格試験を、過去最高得点でパスされたんでしょう?」
「女装してのおとり捜査に、試験の結果が関係あるんですか?」
「ありますとも。幅広い知識、とっさの判断力、卓抜した捜査能力。薪警視正をおいて他にこの大役が務まる人間がいるとは思えません」
 馬鹿丁寧な言葉の裏に隠されたこの男の本心を、薪は知っている。
 いやがらせだ。
 この男は薪を徹底的に嫌っている。薪のほうも虫唾が走るほどに嫌っているから、そこはお互い様なのだが。

「女子職員を使うことも考えたのですが、非常に危険な任務なので躊躇しましてね。尾行をつけると囮になりませんから、発信機を使います。しかし、強姦殺人ですから。駆けつけたときには犯人に孕まされてた、なんてことになったら大変でしょう。
 その点、あなたなら心配ないでしょう?」
「確かに、僕は何をされても妊娠はしませんけどね」
 大きくため息をついて肩をすくめ、言葉にするのも馬鹿馬鹿しいという口調で薪は吐き捨てた。
「強姦殺人ですよ。被害者は妙齢の女性ばかり。しかも、えらく面食いな犯人だそうじゃないですか」
「わかってますよ。だから薪室長にお願いしてるんじゃないですか。減るもんじゃなし、犯人を検挙するためです。スカートくらい穿いてくださいよ」
「スカート穿いたからって、僕が女に見えると思いますか!?」
「それは大丈夫」「大丈夫」
 ぴきっ、と何かが引きつる音が聞こえたような気がした。

「……田城さん。いま、セリフかぶってませんでした?」


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室長の災難(3)

室長の災難(3)







 いつもより三割増しの速さで、薪は第九への通路を歩いていた。
 所長室から退室する際に、竹内に言われた言葉が薪から冷静さを奪っている。

『官房長をたらしこんだ色香で、犯人も引っ掛けてくださいよ』
 所長の田城に聞こえないように薪に耳打ちされたそのセリフは、署内のあちこちで嘲笑とともに囁かれているらしい。その噂は、薪が27のときに官房長直々の特別承認を受けて警視正に昇任し、第九の室長に抜擢されたことに端を発しているようだが、もちろん事実無根だ。アホらしくて否定する気にもなれない。
 それにしても、田城まであんなことを言うなんて。まったくひとを馬鹿にしている。自分のどこが女に見えると言うのだ。確かに少し背は低いかもしれないが。
 163cmという身長が、薪の唯一のコンプレックスだった。
 こればかりはどうにもならない。その他は十分男らしいのに、とまあ自分のことは見えないものである。

 自動ドアが開き、見慣れた第九の風景が薪の目に映る。
 コンピューターだらけの部屋。壁一面の巨大なスクリーン。素人にはどう扱って良いか見当もつかないであろう、専門用語だらけの操作機器。
 ここがいちばん落ち着く。が、この日ばかりは違った。

「あ、室長がコケた」
「めずらしいですね」
「大丈夫ですか?」
「こっちの台詞だ!」
 薪にしては珍しい失態だった。
 腰砕けになって床に座ったまま、怒鳴り返した声はいつものアルトよりオクターブ高く、完全に裏返ってしまっている。
「おまえら、どう、どう……!!!」
 顔色もいつもの白さを通り越して、蒼い。
 無理もない。
 見慣れた部下たちが全員化粧をしてカツラを被り、女装していたのである。

「おまえらみんなして二丁目でバイトでもする気か! なんなんだ、その格好は!」
「いや、なんか、室長が囮になるって聞いたから」
 栗色のロングヘアの190cm近い大女。……青木だ。まだ着替えは済んでいないらしく、ネクタイをしたままだ。いや、青木の体に合う女物の服が無かったのか。
 小池は金髪のショートへアにピンクのワンピース。宇野と曽我は、黒髪のワンレングスにブラウスとスカートといういでたちで、準備万端である。

「だからって、なんでおまえらがそんな格好してるんだ」
「薪さんにだけ危険なことさせられませんよ」
 喜ぶべきことなのだろう。
 上司を思いやってくれる部下の気持ち。確かにありがたいことだ。
 しかし。
「おまえら、捜一の捜査を潰す気か!」
 どんなに好意的に解釈しても、受け入れられない現実というものはあるのだ。

「しかし薪さん」
「ひぇえ!」
 反射的に、薪の体が3mほど飛びのいた。
「ひええって」
「おっ、岡部!? お化けかと思った」
 確かに、こわい。
 岡部はもともと精悍な顔立ちで、ひげも濃く男くさい男なのだ。しかし、誰よりも薪のことを思い、その身を案じて心配しているのはこの男である。薪のために一肌脱ぐとあっては、男のプライドもなんのその。
 でも、こわい。

「オバケはひどいですよ」
「ひどいのはおまえの顔だ。とにかく、おとりは僕ひとりで十分だ」
「受けたんですか?」
 青木が驚きの声を上げる。少し非難めいているようにも聞こえる声音だった。
 それに対して薪は弁解がましいことは何も言わず、ただ頷いた。
「捜一に恩を売っておくのも悪くない。それに、無料奉仕(タダ)じゃない」
「タダじゃない?」
「今回のおとり捜査が功を奏して犯人を逮捕した暁には、正式発表は、捜一と第九の合同捜査であることを明言してもらう」

 ほっそりした指に挟まれた一枚の紙。
 誓約書、とある。竹内誠・田城良治の署名入りだ。
「捜一のバカ(竹内)は、どうせうまくいくはずがないと思ってサインしたんだろうが、約束は守ってもらうぞ。おまえら、早く着替えて仕事に戻れ」
 いつもの冷静さを取り戻して、薪は室長室に入っていく。ほっそりした背中に、冷たい怒りが燃えているようだった。

「相変わらず捜一とは仲悪いですよね」
「正反対の部署だからな。捜一にしてみりゃ、現場にも出ない聞き込みもしない、そんな捜査方法を認めるわけにはいかないんだろうよ。俺も昔そうだったしな」
「しかし、合同捜査であることを世間にアピールするって……室長、総監賞でも狙ってるんですかね?」
 小池が不思議がるのも無理はない。薪がこんなことを言い出したのは初めてだ。
 薪は出世には興味がない。興味があるのは事件のことだけだ。誰もがそう思っていた。それが世俗的な条件と引き換えに、今回の件を引き受けてきたと言う。

「俺たちのためだろ」
 薪の心を誰よりも知っている岡部が、即答する。
「薪さんは自分の出世には無関心だ。だが、部下である俺たちまでそうなることはないと思ってる。第九を守り、俺たちを守るためには、世間で叫ばれている第九への非難の声を少しでも抑えなくてはいけない。第九の有能さを世間にアピールすることは、必要なことなんだ」
 あまり表には出さないが、薪は確かに第九という職場を愛していた。自分についてきてくれる部下たちのことも。
 自分はいつも矢面に立って、一番いやな役はいつも自分で引き受けて。そんなことはおくびにも出さず、冷静な仮面をつけて仕事をこなす。
 やっぱり室長は、第九職員全員の憧れだった。


 

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室長の災難(4)

室長の災難(4)






 白衣を翻し、彼女は第九への通路を急いでいた。
 背筋をぴんと伸ばし、颯爽と歩く。気の強そうな顔には、何やらいたずらっ子のような表情が浮かんでいる。

「三好先生。解剖所見、わざわざ先生が持ってきてくれたんですか?」
 法医第一研究室の三好雪子女史だ。彼女と仲の良い青木が、席を立って書類を受け取りに行く。
「こっちはついで。見物に来たのよ。あとこれ、差し入れね」
 ハンバーガーの入った大きな紙袋を青木に預けて、にやーっと笑う。
「薪くん、女装するんですって?」
「やっぱり。あんまりからかわないで下さいよ。ただでさえピリピリしてるんですから」
「こんな面白いもの見逃せません、監察医として」
「監察医、関係ないでしょう」
 笑いながら室長室へ入っていく。そこでは薪が化粧の最中だった。

「薪くーん、陣中見舞いよー。って、キャ―――!!」
 悲鳴と同時に飛び上がる。その声は明らかな恐怖で満たされていた。
「なに? なんなの!? お化け屋敷のバイト!?」
「え……岡部と同レベル?」
 監察医という仕事柄、恐ろしいものを見慣れているはずの彼女をこれほどまでに驚愕させたのは、薪の変わり果てた姿だった。

「まあね、化粧の上手い男なんて、気持ち悪いけどね。」
 化粧品の数々―――― 男にとっては、未知の世界だ。どの順番で何を使って良いのか分からず、いい加減に塗っているうちに原型を留めなくなってしまったらしい。
「とにかく、それ落として。石鹸じゃ駄目よ、クレンジング使って。って、パック塗ってどうすんのよ。違う、それ除光液!」
 見るに見かねて、雪子はクレンジングとコットンを手に取った。

「女の人って、毎日こんなことしてるんですか? 朝の忙しい時間帯に?」
「そうよ。尊敬しなさい」
「はい」
 コットンに化粧が移っていくに従って、薪の美しい素顔が現れる。
 やわらかい肌、長い睫。睫毛の上にマッチ棒が3本乗るのが自慢の友人がいたけど、こちらはマッチが箱ごと乗りそうだわ、と心の中で舌打ちする。女性には少々、複雑な気持ちを起こさせる美貌である。
 幼な子のような透明感のある白い肌。しみひとつない。あまり外に出ない職業柄かもしれないが、それにしてもこれが男の肌とは。
「薪くん、洗顔料なに使ってるの?」
「メンズビ○レです」
 聞くだけ無駄だったようだ。雪子が使っている洗顔料の10分の1の値段で買える量販品で誰もがこの肌になれるのなら、エステは商売として成り立たない。

「初めに化粧水、乳液、下地クリーム。頬に赤みをのせたければオレンジの顔料、逆に白くしたければ緑色の顔料……聞いてる?薪くん」
「すいません。どれが化粧水で、どれがえっと、乳剤?」
「顔に塗ったら面白いでしょうね」
(乳剤=道路の舗装材の下に撒くどろどろの黒いタールのような液体)

 結局、基礎化粧からやってあげることになる。まあ、薪くんの化粧した顔を一番最初に見られるものね、とまんざらでもない雪子である。元来姉御肌で面倒見が良い彼女のこと、口で言うほど怒ってはいない。
 白い肌に、すうっと化粧水がなじむ。乳液も下地クリームも、びっくりするくらい良くのびる。本当に、子供のような肌をしている。化粧のノリはすこぶる良い。
 このまま肌の色に補正の必要はないと判断して、ファンデーションをのせる。ごく薄くしないと、せっかくの透明感が損なわれてしまいそうだ。

「アイシャドウは何色にする? 髪の色に合わせて、ブラウン系でまとめようか」
「お任せします」
「つけまつげは必要ないわね。マスカラだけでいけそう。チークはピンク系かオレンジ系か。ん~、薪くん、口紅塗るから動かないで……はい、できたわよ」
 さっきの失敗を思い出してか、薪はおそるおそる目を開けた。

 鏡の中には、自分によく似た女性が映っている。どこから見ても立派な女性だ。
「雪子さん会心の出来だわ。楽しいわね、人に化粧するのって」
 じっと見ても女にしか見えない。自分でもこんなになるとは思わなかった。どうしてこんなに線が細く……?
「っ、眉……雪子さん! 僕の眉毛!」
「あ、剃ったわよ。薪くん、眉毛だけはいくらか男らしいから」
「冗談じゃないですよ! これじゃまるっきり女の子……!」
「だって、女装しておとり捜査でしょ? 女の子に見えなきゃ困るんじゃないの?」
 いや、それは確かにそうだけれど、でもしかし、ここまで女性そのものにならなくても……!!

 往生際悪く、しばらく何か言い返そうと口をパクパクしていた薪だったが、やがてがっくりと肩を落とした。
「こうなったら、何が何でも捕まえてやる。眉毛の恨み、思い知らせてやる」
「あたし、なんかマズイことした?」
 凶悪犯罪に対する義憤や正義感。そこに逆恨みが加わって、薪のやる気は臨界点を超えそうだった。


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室長の災難(5)

室長の災難(5)







 室長室から聞こえていた喚き声が途切れて、静かにドアが開いた。
 雪子に続いて、室長室から美しい女性が出てくる。
 ワイシャツ姿に亜麻色の短髪。耳元のイヤリングと、白い首筋が眩しいくらいだ。
 形の良いやさしげな眉。長い睫に縁取られた大きな二重の眼。頬はほんのりと色づき、明るい雰囲気をかもし出している。あどけなさを残す唇は赤く縁取られ、グロスのおかげでより一層つややかに、むしろ妖艶でさえある。
 街を歩けば、十人のうち十人が振り返りそうな美女であった。

「ま、薪さん?」
「うわあ、見事に……」
 短髪の美女が、きつい目でこちらを睨む。睨まれたほうがクラクラしそうなほど美しい。
「それ以上、言うなよ。3日くらい徹夜で仕事させられるぞ」
 岡部が曽我にそっと呟く。賢明な第九の職員たちは、みな一斉に口を閉ざした。

 そこに、手提げ袋を持った青木が現れた。ぽかんと口を開いたまま動かない。
「見とれてるわね」
「分かりやすいですね」
 呆れたように雪子が言うと、曽我が相槌を打つ。ワイシャツ姿の美女は動かない青木に近づき、手提げ袋に手を掛けた。自失していた青木が我に返る。

「着替えはこれか」
 おとり捜査用の衣装を捜一から受け取ってくるよう命じられたことを思い出して、青木は慌てて手提げ袋を薪に差し出す。渡そうとして、急にかぶりを振る。
「やっぱり駄目です。室長、襲われちゃいますよ」
「襲われないと、おとりにならないだろう」
「駄目ですってば! 強姦魔ですよ!」
「平気だ。僕は男だ」
「平気じゃないですよ! 男だって安全ってわけじゃ」
「妊娠はしない」
「いや、その前の段階があるでしょう」
「うるさいな! ケツの穴のひとつやふたつ、ガタガタ言うな! 眉毛のほうが大問題だ!」
「ケッ……まゆ……? はあ?」
「よっぽど眉毛、大事だったのね……」

 きれいな顔にそぐわない会話で、呆然とした青木から手提げ袋を奪い取る。躊躇なく袋の中身を取り出した薪の顔が、しかし瞬時に青ざめた。
「まあ。かわいいキャミとミニスカ」と、雪子の声。
 絶句。
 きっと似合いますよ、なんて思っても言えない。言ったらブリザードが吹き荒れそうだ。

 固まった空気を破るように、薪は突然、室長室に駆け込んだ。
 どかん! と何かを蹴飛ばす音と、がしゃん! と何かを投げる音。続いて「くっそー! あのやろー!」と口汚く罵る声が聞こえる。
 モニタールームの空気がますます重くなった。
 ふと、静かになる。
 しばらくして、室長室のドアが開いた。

「雪子さん。これ、どうやって着るんですか?」
 薪はパットの入ったブラを持っている。雪子は上を向いて、大きなため息をついた。





*****



 「3体連続解剖より疲れたわ」
 第九の応接用テーブルに両肘をついて、雪子は頭を抱えた。第九の新人がコーヒーを淹れてきてくれる。その味と香りに、雪子は目を丸くした。
 「美味しい。喫茶店のコーヒーみたい」
 「ありがとうございます」

 コーヒー好きの薪のために、青木は日々精進を重ねている。
 この頃はブレンドの楽しさも覚えて、今日はモカをベースにマンデリンとブラジルを1割ほど。香りが良くてコクがあり、ボディが強くて後味が良い、薪の好みにぴったりのブレンドをただいま模索中だ。
 「助かりました、三好先生。女の子の服なんて、みんなよくわからないから」
 「詳しかったら怖いわよ」

 捜一が用意したのは、シースルーのキャミソールとタイトのミニスカートだった。
 派手ではあるが、趣味は悪くない。ただ、男に女装させるというシチュエーションでは、嫌がらせ以外の何ものでもなかった。
 嫌がる薪に、女物の下着をつけさせるのは骨が折れた。上はともかく、問題は下だ。
 あのスカートの短さでは、屈んだときに間違いなく下着が見えてしまう。だから見せるための下着が一緒に入っていたのだが、それをつけるのはかなりの屈辱だったようで、さんざん煩悶した挙句に室長室のキャビネットをぼこぼこにして、竹内への呪いの言葉を吐き散らしながら、薪はやっと着替えを終えたのだ。

 「薪くんは?」
 「捜一の竹内さんのところへ、打ち合わせに行きました」
 「そうなの?見に行かなくっちゃ」
 「先生、どんだけヒマなんですか」
 「だってあたしも竹内のヤロー、嫌いだもん。あの薪くんを見てどういう反応するか、あいつの間抜けたツラ、見たいじゃない?」




*****


 すみません、すみません、すみません・・・・・。
 うちの薪さんはホントに口が悪くて・・・・・育て方を間違えたみたいです(^^;





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室長の災難(6)

室長の災難(6)







 竹内誠は、目の前の美しい女性に見とれていた。
 肩にかかる亜麻色の髪を、鬱陶しそうにかきあげる。ちらりと見える白いうなじが、たまらなく艶かしい。
 形の良い耳たぶにプラチナのイヤリング。今時ピアスでないのは少し不自然だが、華やかさを演出するには充分だ。
 花のようなかんばせ―――― 一番先に目に付くのが、つややかな唇である。
 男の支配欲を直撃するような、その濡れ方。
 果実のような口唇は、思わずふるいつきたくなるような強力な引力をもって男を誘う。この女性と差し向かいでグラスを傾けたら、そのまま彼女を家に帰せる男が、果たしてこの世にいるだろうか。

「聞いてます? 竹内さん」
「はっ。え?」
「人員の配置はここに1名、それから向かいの角に1名ですね?」
「はい。いや、1名じゃ足りないでしょう。5名ずつに増やしましょう」
「はあ? それじゃ目立ちすぎでしょう。犯人どころか誰も寄ってきませんよ」
「え? あ、はあ、そうですね」
 なんとも間抜けな受け答えである。

 どうしてこんなことになったんだろう、と竹内はつい先刻までの自分を思い出す。
 先刻まで、確かついさっきまで、部下の大友と「あの憎たらしい第九の室長の泣きっ面を肴に、今夜は一杯飲もう」と笑い合っていたはずだ。
 どうせあの衣装を見て、ムリですと詫びを入れてくるか逆ギレしてくるか、万が一それを着てくれば思いっきり嘲笑ってやれる。いずれにしても、笑える展開になるはずだった。
 ところが。

 この美しい女性は何者だ?
 この女性が現れてから竹内はいつもの冷静さを欠き、しどろもどろに的外れなことしか言えなくなったのだ。
 こんな展開は、ない。こんな可能性は微塵も考えてなかった。
 いくら顔が女みたいだからといっても、体は男のはずだ。いくら華奢でもこんな女物の、しかもMサイズの衣装が着られるか、普通?

「よく着られましたね。それ」
「自分で用意しておいて、それはどういう……」
「いや、サイズの話です」
「少し大きかったです。肩紐は簡単に落ちるし、スカートは緩いです。ほら」
 言葉の通り、肩を傾けると肩紐が外れ胸元が覗く。パット入りの下着を着けているだけで実際に乳房があるわけではないと理性では分かっていても、つい眼を逸らしてしまう。肌の白さが眩しい。
 ウエストが緩いのも本当らしい。よく見なければ分からないが、タックを寄せて安全ピンで留めてある。どうやら第九にも、女性の協力者がいるようだ。化粧もやたらとうまいが、おそらくその協力者の仕事だろう。
「でも、大きいほうが動きやすいし、キツイよりは良いですから。女性の服でも、こんなに大きいサイズもあるんですね」
 標準サイズであることは黙っていよう、と竹内は思った。

 しかし、困った。
 ここまで美しい女性に化けてこられたら、おとり捜査を断念する理由がない。正式な捜査依頼をしたものの、絶対に断ってくると踏んでいた。そうしたら、第九の非協力的な態度を非難してやろうと思っていたのだ。
 第九との合同捜査など、とんでもない。手柄は捜一のものだ。現場は捜一の舞台なのだ。
 いや、何より、これでは本当に襲われてしまう。
 竹内は、薪にそこまで危険なことをさせるつもりはなかった。薪のことは大嫌いだが、別に怪我をさせてやろうとか、しばらく動けなくなってしまえばいいとまでは思っていない。ただほんの少し、その生意気な口を黙らせて悔しがらせてやればいい―――― その程度の意地悪だったのだ。

「じゃ、発信機は2基、イヤリングと髪飾りに仕込みます。作戦の開始は20(フタゼロ):00(マルマル)。吉祥寺の前坂交差点付近の例の店で。よろしくお願いします」
 慣れない長髪を後ろに払って、彼女は立ち上がった。小道具のバックを持って部屋を出て行こうとする。遠巻きに見守っていたギャラリーが、一斉に道を空けた。

 やはり、止めるべきだ。竹内は、彼女のすらりとしたきれいな足に視線を釘付けにしながら決心した。
 もし彼女の身に何かあったら、自分の責任問題だ。うん、ここは男らしく俺の方で折れてやろう。
「あっ、ちょ、ちょっと」
「なにか」
「やっぱり止めましょう。危険すぎます」
「なに言ってんですか、いまさら」
「いや、でも、危ないですって。本当に」
「正式な捜査協力依頼ですよね?」
「あれは取り消します。取り消しますから」
「はあ?」

 つかつかとヒールの音を響かせて、彼女は竹内のそばに戻ってきた。
 ジルコニアの花のネイルアートが施された華奢な手が、竹内のネクタイを掴もうとした。が、長い付け爪が邪魔をして、力が入らない。
 どうやら襟元をつかんで引っ張りあげる、というのをやりたかったらしいが、それはこの身長差では爪がなくても無理だろう、と竹内は思った。
 彼女の方もそれは諦めたようだ。チッと舌打ちして「邪魔だな」と爪を見て、それから竹内にぐっと顔を近づけてきた。
「取り消しなんか、利くわけないでしょう」

 きつい眼光。捜査会議のときに、時折見せる猛禽類のような鋭い眼差し。あの眼で睨まれると泣く子も黙ってしまう、と評判の氷のような眼。
 しかし、今は違う。
 扇情的というか、誘われてるというか……間近に見ても、女性にしか見えない。もとい、女性だ。これはあの憎たらしい第九の室長じゃない。自分たちの苦労の上前をはねて、結果を出したもの勝ちだと言いたげに現場の人間をせせら笑う、あの男とは別人だ。

「人にこんな格好までさせといて、冗談じゃ済みませんよ。おおかた公約のことが不安になったんでしょうが、約束は守ってもらいます。警察官が嘘ついたらお終いでしょう」
 あの蠱惑的な口唇が一個の生き物のように動いて、何か言っているが理解できない。こんなに至近距離に来られては、冷静になどなれない。
 沈黙を了解と取ったのか「それじゃ、よろしく」と言って踵を返し、今度こそ本当に彼女は部屋を出て行ってしまった。華奢な後姿は細いながらにしなやかで、モデルのような美しい足にはハイヒールが嫌というほど似合っている。

 呆然と見送る竹内に、部下の大友がこっそりささやいた。
「どうすんですか、竹内さん」
「どうしよう」
「やばいでしょ、あれ」
「そうだよな、ぜったい標的になるよな。どうしよう。彼女になにかあったら、俺」
「……あんたのほうがやばいよ」
 
 とりあえず、今日の飲み会は中止だ。
 居酒屋の予約を取り消すために、大友は携帯電話を取り出した。


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室長の災難(7)

室長の災難(7)





 研究室に戻るや否や薪は現場の地図を広げ、部下たちを呼び集めた。
「作戦を説明しておく。被害者のうち2人が吉祥寺の『K』という店で、容疑者と話しているところを目撃されている」
 きらきらと光る花をあしらった長い爪が、一枚の写真を指し示す。写真の男は、年の頃25、6の、人気俳優の誰とかによく似た美男子だった。
「僕はこの店に午後8時に入る。8時半に小池、僕の携帯に電話を、っておまえら聞いてんのか!?」

 怒鳴りつけられて、部下たちは我に返った。
 しかし、この状態で仕事に集中しろと言うほうが無理な注文だ。
 もともと警察官には出会いが少ない。女性に対する免疫が少ないのだ。しかも、第九に妻帯者はいない。目の前の美しい女性に気をとられるなと言われても。エリートの彼らにも、男の本能はあるのだ。

「岡部」
 腹心の部下に、地図上の地点をいくつか示し、指示を与える。
「被害者の遺体が発見された場所だ。おそらく、この近辺で事件は起きている。被害者には激しく抵抗した痕跡が残っていることから、音の漏れない場所、逃げ回れるスペースがある場所、人の来ない場所―――― 倉庫か廃ビル等。今からでは間に合わないかも知れないが、あたってみてくれ。こういう捜査はおまえが一番早い」
「わかりました」
 手早く手帳に地図を書き取り、元捜一のエースは頷いた。できれば室長の護衛の方を担当したかったが、仕方ない。

「小池はここで連絡係だ。8時半に僕の携帯に連絡をくれ。それから携帯はずっと繋いでおく。なるべく犯人との会話の中に場所を指す言葉を入れるようにするから、岡部に連絡して捜査範囲を絞れるようにしてくれ。おまえが一番、会話を読むのが上手い」
 文系出身の小池は、捜査二課で詐欺事件を主に担当していた。何気ない会話の裏側を読むのは得意中の得意だ。
「曽我はここのコンビニで張り込みだ。私服に着替えて9時頃に来てくれ。この店から大通りに出るには、必ずここを通る。尾行はおまえの得意分野だろう?」
 曽我はやはり二課で窃盗事件を担当していた。特に電車内のスリの現行犯逮捕の実績はだれよりも高く、目立たない容姿が尾行に最適であることが大きな武器になったようだ。
「宇野は被害者の脳を見て、無事な部分から何とか情報が引き出せないか、やってみてくれ。新皮質が潰れてしまっていても、島皮質のほうに何か映っているかもしれない」
「外側溝ですか? 時間がかかりますよ」
「だからおまえに頼むんだ。機器操作の速さ、正確さでおまえの右に出るものはいない」
 宇野は情報処理の専門家で、MRIシステムに誰よりも精通している。もともとは所轄にいたのだが、宇野の経歴を見た薪が第九に引き抜いたのだ。

「捜一のバカどもはあてにならん。僕のサポートはおまえたちに任せる。みんな、頼んだぞ」
「はい!」
 部下たちが張り切って持ち場に散らばる。
 滅多に人を褒めない室長に少しでも褒めてもらえれば、俄然やる気も沸いてくる。人に頼らない性格の室長に頼られれば、死んでも守ろうと思えてくる。ここぞというときに部下のやる気を引き出す、薪は優れた上司だった。

「あの、室長。オレは?」
 一人だけ指示を与えられなかった青木が、不安そうに室長を見る。まさか、自分だけ外されたのか、と心配になったようだ。
「おまえは僕と一緒だ。ちょっと来い」
 薪は室長室に入り、自分の机から小さな電卓のようなものを取り出した。
「おまえにはこれを預ける」
 手のひらに収まる、小型のモニター。発信機の受信装置である。

「犯人側は拉致する前に発信機や盗聴器の確認をしてくるだろう。今は発信機を感知する機械が市販されているからな。でも、電波を発しない状態なら感知はされない。だから、拉致されてからこの発信機の電源を入れる。大丈夫、その場では殺されない。捜一が用意した発信機が取り上げられたら、おまえだけが僕の居場所を知ることになる」
 澄んだ双眸が、青木を映す。
「今日はこの服のせいで、防弾チョッキが着られない。だから」
 その眼に、迷いも恐れも、ない。
「僕の背中はおまえが守れ」
「はい!」
「発信機の電源が入るまでは岡部を手伝え。二手に分かれて捜査を進めろ」
「わかりました」

 強い人だ、と青木は思う。その名の通り、剛い。
 みんな女の子のような見かけに騙されるが、薪は実に男らしい。
 頭が良くて決断力があって、仕事ができて正義感が強い。浮いた噂がないのは世間の非難の的である第九の室長という立場と、キツイ性格のせいだ。

 モニタールームに戻ると、法一に帰ったはずの雪子が再び第九を訪れていた。
 5人目の被害者を解剖してきたところだという。そこで見つけた新たな情報を、薪にこっそり教えに来たのだ。
 今までも彼女は、こうして何かと情報を隠したがる捜一の目を盗んでは、有益な情報を第九にもたらしてきた。薪が彼女に頭が上がらない一因である。

「ドラック?」
「そ。ドラック。今回は、被害者の発見が早かったから体内に残ってた。このタイプは一日で体から抜ける。ドラックの効果は、一時的な手足の麻痺と性的な興奮状態の維持。早い話、これ飲んだら一時間後には効いてきて、4時間は天国に行きっぱなしってこと」
 まだ22、3の若さで、そんな目に遭って死んでいった彼女たちが不憫でならない。表情には出さないが、薪の心は義憤に猛っていた。

「それと、犯人は一人じゃないわよ」
「え!?」
「被害者の体内に残された精液は、何人かのものが混じってた。血液型だけで分けても3人。もしかするともっと多いかもしれない。DNA鑑定にはもう少しかかるわ」
「聞いてませんよ、そんな話。やっぱり危険すぎますよ」
 心配そうに眉を寄せる青木を横目に、薪は冷静な態度を崩さない。それどころか、静かな怒りがますます彼を美しくしているようだった。
「いまさら後に退けない」
「薪さん」
「退く気もない」
 言いよどむ青木の前に、雪子がぬっと手を出した。

「これ、飲んでみる? ドラックの作用を打ち消す薬。まだ試薬段階だけど」
「雪子さん」
「副作用は人によるけど、頭痛、眠気、倦怠感、吐き気。でも、本当の天国へ行くよりはましでしょ」
「ありがとうごさいます」
 素直に礼を言って、薪は微笑んだ。本当に彼女には助けられてばかりだ。
「あたしだって女よ。こいつらのこと、絶対に許せない。頑張ってね、薪くん」
「はい」
 複雑な表情で二人を見ていた青木は、やがて嘆息して岡部の応援に回ることにした。
 もう、それほど時間はない。作戦開始まであと2時間弱。

「あ、雪子さん。もうひとつ聞きたいことがあるんですけど」
「なに?」
「男の引っ掛け方っていうか、逆ナンの仕方っていうか」
「……それ、あたしにはムリだわ」
「やっぱり?」
 薪はもう一度、容疑者の写真を見る。この男にうまく近づかなくてはならない。しかし自慢にもならないが、30年以上生きてきて、自分から初対面の相手にそういう目的で声を掛けたことなど一度もない。

「捜査官に、ナンパの技術が必要だとは思いませんでした」
「監察医にも要らないわよ、普通」
 恋愛ゲームに疎い2人の男女は、一緒にため息をついた。



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室長の災難(8)

室長の災難(8)







 田崎良彦は、その女が店に入ってきたときから目を付けていた。
 ふんわりとウェーブがかかった亜麻色の長い髪。同じ色のやさしげな細い眉。二重の大きな双眸はやはり亜麻色で、純粋な日本人ではないようだ。
 形の良い小さい鼻。肌は透き通るように白い。赤いルージュをひいた唇をすぼめ、ストローを咥える。そんな当たり前の仕草が驚くほど艶っぽい。

 ちらちらと彼女の方を見ているのは、自分だけではないようだ。が、ラッキーなことに自分の席からは彼女がよく見える。
 さっきから彼女は、何度も時計を見ている。どうやら待ち合わせらしい。耳元のイヤリングや念入りな化粧から、相手は男だろうと推測する。
 しかし、相手は時間に遅れているようだ。こんないい女を待たせるなんて、不届きな奴もいたものだ。
 コーヒーのグラスが空になり、彼女は明らかに苛立ち始めた。時間の確認はもう6回目だ。
 今なら、ものにできるかもしれない。

「待ち合わせですか?」
 いきなり前の席に座った不躾な男に、彼女の視線は冷たかった。
「失礼ですが、ずいぶん待たされてますよね。彼が来るまでの間だけでも、僕とおしゃべりしません? あんまりきれいな人なんで、ずっと気になってたんですよ」
「あの」
 彼女が何か言おうとしたときに、携帯電話が鳴った。
「もしもし、小池くん? どうしたの……え、残業? またなの? はいはい、あなたのとこの上司が怖いのは知ってるわよ。でも、これで何回目だと思ってるのよ。3回に1回くらいは断れないの? 今月に入ってデートしたの、2回だけよね。
 ……わかった、もういいわ。立派なお仕事、頑張ってください。映画は一人で観に行きます。おっかない上司によろしく! ていうか、その上司と結婚すれば!? バイバイ!」
 目の前に他人がいるのを忘れていたのか、電話を切ってから気まずそうな顔になる。さっきの怒った顔は非常に魅力的だったが、困った顔は一変して可愛らしい。

「ごめん。なんか、タイミング悪かったみたいだね」
 彼女は黙ったままうつむいている。伏せられた睫毛が驚くほど長い。
「忙しいんだね、彼」
「いつもこうなの。すっごい、意地悪な上司なんだって」
「いっそのこと、浮気しちゃう?」
「え?」
 冗談だよ、とにっこり笑う。
 相手の反応は悪くない。恋人とケンカして、自棄になっている若い女。簡単だ。
「映画は一人じゃつまんないでしょ。オレで良かったら付き合うよ。ってか、付き合わせてください」
「ぷっ。素直なナンパね」
「男なら見逃せないでしょ、こんな美人。行こうか?」
 まだ少し迷っているようだったが、ここは押すべきだ。ネイルが映える華奢な手を掴んで、立ち上がらせる。

 自分の伝票と合わせて彼女の分も払い、連れ立って店を出る。店でちらちらと彼女を見ていた連中の歯噛みが聞こえるようで、いい気持ちだった。





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室長の災難(9)

室長の災難(9)







 誘い出すところまではうまくいった。
 途中のコンビニで、計画通り曽我が立ち読みをする振りをして待機している。後ろに一人、捜一の刑事が尾いている。今のところ計画に支障はない。
 田崎はだんだん、人気のない方へ歩いていく。
 馴れ馴れしく肩を抱いてくるのが気持ち悪いが、仕方ない。このまま騙された振りをして、仲間のところへ連れて行ってもらわなくては。

 いつの間にか寂しい通りに出ていた。通りには誰もいない。
 住居表示に「幸町3丁目」とある。目星を付けていた倉庫街の場所だ。
 突然、田崎は立ち止まった。慣れないハイヒールのせいで急には止まれず、体勢を崩した薪の体を、田崎は抱きしめた。
 反射的に蹴り上げようとした足をどうにか意思の力で抑えつけ、薪は身を固くした。田崎が唇を寄せてくる。もう、このまま適当に罪をでっち上げて捕まえてしまおうか、と思いながらも必死で逆らう。

「純情なんだ。今時、珍しいなあ。なんか、本気になっちゃいそうだ」
 鳥肌が立つ。女の子なら喜ぶのかもしれないが、自分は男だ。純粋に気持ち悪い。
「俺の部屋に来ない? 大丈夫。変なことしないから」
 きた。そこに仲間がいるのかもしれない。
「そこで何をしている?」
 唐突に厳しい声が響いて、現れたのはパトロール中の巡査であった。
「嫌がってるじゃないか。やめなさい!」
 ……まずい。
「いや、別にそんなんじゃないですよ」
「お嬢さん。この男とは前からの知り合いですか?この頃、この辺りで殺人事件があったんですよ。被害者はちょうど貴女くらいの年頃の方です」
 余計なことを。これでは、この男について行きづらい。
「このお嬢さんは私が送ります。家はどこですか」
 結局、田崎はその警官に追い払われてしまった。
 作戦失敗である。
 がっくりと肩を落として、薪はため息をついた。

「ご自宅はどちらですか?」
「大丈夫です。一人で帰れますから」
 この警官に罪はない。知らなかったのだ。若い女性が無理に迫られているのを見かけ、親切心で声を掛けた。それは警察官として正しい行動だ。しかし、計画を台無しにされたことに変わりはない。薪の口調が厳しくなるのも無理はなかった。
「いえ、送ります。あなたを一人にはさせられません」
「結構です」
 ハイヒールのせいで足も痛い。曽我が後ろにいるはずだから、車を呼んで第九に戻ろう。

 さっさと歩いて角を曲がる。ここにも人はいない。
「そうは行きませんよ、美人の刑事さん」
 背中にかかった言葉に、薪は驚愕した。 
 この警官、僕が警察関係者だと気づいている?

 驚いて振り返った。いや、振り返ったつもりだった。
 後ろから殴打され、薪はその場に崩折れた。
 警官が仲間――――!?
 
 角を曲がったばかりで、今ほんのわずかな間だけ、尾行の目は届かない。しかし、手馴れた猟師にはそのわずかな時間で充分であった。



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室長の災難(10)

室長の災難(10)




 
「見失った!?」
『すみません。角を曲がって1分も経ってなかったんですけど、どこにもいなくて』
「見失ったのはどの辺だ?」
『幸町の』
 尾行に付けた刑事から聞いた住所を調べ、竹内は地図に丸をつけた。
「一番近いのは、西山倉庫街か。おい、発信機の状況は?」
「西山倉庫の方へ動いています」
「よし、西山倉庫だ! 行くぞ!」
 捜一は俄かに慌しくなった。



*****



『岡部さん。薪さん、幸町で連絡途切れました!』
「なにい!?」
 小池からの連絡で薪の身に何かあったことを知った岡部は、激しい焦燥感に駆られた。
 いても立ってもいられない。どうにかしなくては。

「曽我が後を尾行ているはずだ。連絡を取って俺に報告してくれ。それから、宇野の解析はどうした?」
『少し、復旧できたみたいです。警官が映ってたって言ってました』
「警官?」
『パトロール中の巡査だそうです。ミニパトに乗ってます。攫われる直前に会ってるんですよ。皮肉なもんですね』
「……それ、どこの交番だ? ミニパトに名前、書いてあるだろ」
『えっと、あれ? 岬町? 幸町じゃなくて?』
 幸町に一番近いのは西山倉庫街である。しかし、岬町なら反対方向だ。該当する建物は、黒咲ビルか、丸ビルか。

 これまでの情報では、目撃証言はない。捜一が虱潰しにあたっているはずだから、今までの捜査範囲ではないということだ。
「黒咲ビルか」
 捜査一課の元エースは、携帯電話を切ると脱兎のごとく駆け出した。



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室長の災難(11)

室長の災難(11)





 口から零れた水が首筋を伝う感触に、薪は目を覚ました。
 後頭部が痛む。かなり強く殴られている。

「お目覚め? 刑事さん」
 やはり、田崎だった。
「よく警察関係者だと判ったな」
「2つも発信機付けてればね。おとりだってすぐにわかるよ」
「やっぱりばれてたのか」
「ま、コンビニに停まってた軽トラックの荷台に放り込んどいたけど」
 捜一はそっちに行くのだろうな、と薪は心の中で呟いた。
 後ろ手に手錠を掛けられていて、身動きができない。とりあえず付け爪に仕込んだ発信機のスイッチを入れたら、後は待つしかなかった。
 時間を稼がなくては。
 
「どうして囮だと分かっていて、のってきた?」
「俺が気が付いたわけじゃないよ。こんな美人が警察官だなんて、思わなかったもん。気づいたのは、こっち。こいつ、そういうのやたら詳しいから」
 警官の格好をした共犯者。薪を昏倒させた張本人である。
 にせ警官かと思ったが、制服は本物そっくりだ。バッジから襟章まで、偽物とは思えない。
 
「本物の警察官だよ、こいつ。あんたのご同業」
「なっ……!」
「警官にも色々いるんだよ」
「ふざけるな! いやしくも公僕の身でっ!」
 薪の中の正義感に火が点る。薪は自分にも厳しい分、他人にも厳しい。自分には厳しく他人には優しいのが美徳かもしれないが、薪はそういう性格ではなかった。

「なんか男みたいな喋り方だね。女刑事なんかやってると、そうなっちゃうの?」
 しまった、自分の今の格好を忘れていた。
 はっとして見直すと、スカートがめくれあがっていて、みっともない。自然に開いていた膝を閉じ、頭をめぐらせる。
 敵は2人。なんとかなる。

「警察官にこんなことしたら、ただじゃ済まないわよ」
「刑事だって、一皮剥けばただの女じゃん。楽しまない手はないでしょ」
「か弱い女に2人がかりね……わかったわ、降参するから手錠を外して」
「ずいぶん素直だね」
「刑事だって女よ。男2人にかなうわけないでしょ。余計な怪我はしたくないの」
「2人じゃ足りないでしょ。刑事さん、オトコ好きそうだから」
 心の中の罵詈雑言が表に出ないように、薪は唇を噛んだ。
「もうちょっと待ってよ。ああ、来た来た」

 入り口のドアから、いかにもまともな職業ではなさそうな連中がやってくる。
 5人、6人……全部で8人。さすがにこれは。
 
「いつもはさ、かわりばんこに3人くらいで犯ってたんだ。でも、今回とびっきりの上玉だからってみんな呼んじゃった。俺たちケーサツ大ッ嫌いだしね」
「おー、すげー。今迄で一番じゃね?」
「こんな刑事いるのかよ。俺が知ってる刑事なんて、ブスばっかだぜ」
「御託はいいから早く始めようぜ。誰から犯る?」
 これは、自分の性別がばれたら速攻で殺されるな……薪は天を仰いだ。



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室長の災難(12)

室長の災難(12)






 捜一の5名が発信機の信号に従って踏み込んだのは、郊外の農家であった。
 収穫したキャベツに埋もれて、薪の付けていた片方のイヤリングと髪飾りが発見された。まんまと敵に裏をかかれた竹内は、怒り、青ざめながらも田城に連絡を取った。

「それ投げ込んだの、あの人じゃないのかしら」
 小太りの農家の妻が、思い出したように言った。
「滅多なことを言うもんじゃないよ」
「だって、荷台にはちゃんとシートが掛かってたのよ。中に入れようとしたら、シートの隙間からこうやって入れないと。あの人、なんかやってたんだってば」
「どんな人でした? 顔を見ましたか? この男では?」
 竹内は慌てて田崎の写真を取り出した。しかし、違うと言う。

「顔は良く見えなかったけど、こんなにいい男じゃなかったわね」
「良く見えなかったって……ああ、夜ですもんね」
「コンビニの駐車場だから明るかったんだけど、帽子かぶってたから」
 そこに夫が割って入った。
「いや、刑事さん。こいつの話はいいです。その人がうちの車に何かしていたって、それは悪いことのはずがありません。わしも見ました。
 でも、おまわりさんなんですよ、それ。おまわりさんが悪いことするはずないでしょう」

 農家を辞して、車の中から竹内は大友に指示を出した。
「岬町のコンビニだ。店員から話を聞け。立ち寄りの当番になっている巡査の名前を聞き出すんだ。それから、その巡査の警備担当区域も!」
 間に合ってくれよ―――― 竹内は心の中で、薪の生意気な美貌を思い浮かべていた。



*****



「もう、ほんとやばいです。岡部さん、早く来てくださいよ!」
『いま向かってる!それまで何とかしろ、曽我!』
 捜一の尾行が撒かれた後、しかし曽我はきっちりと後を尾行(つけ)ていた。

 確かにあの角で、曽我も薪を見失った。捜一の2人が発信機の後を追うために早々にその場を離れたのち、しばらく曽我はその場にいたのだ。
 人間が急に消えるわけはない。しかも警官も一緒だったのだ。何者かに襲撃されたとしても警笛くらい鳴らすはずだ。警官ならそれくらいの訓練は受けている。
 近くに潜んでいるのではないか……そう思って周辺をうろうろしていたのである。
 曽我の読みは当たった。二人は確かにいた。しかし、潜んでいたのではなく堂々と民家の中から出てきたのだ。

 警官が犯人――。

「道端にこの人が倒れていたが、お宅の娘さんではないですか?」と、警察官が入ってきたので「違います」と答えると「少し休ませてあげてくれませんか」と言われたので、しばらく部屋を貸した――人の良さそうな老夫婦はそう教えてくれた。
 急いで後を追い、ミニパトの後を車で尾行てここまで来たのだ。
 岬町5-2-5、黒咲ビル。橋口三郎巡査の警備担当の廃ビルだ。一連の凶行は、ここで行われていたらしい。

「さっき、また2人入っていったんですよ。全部で8人ですよ! 捜一の応援はまだなんですか!? 薪さん、殺されちゃいますよ!」
『なんとかしろ!』
「なんとかったって」
 曽我も薪のことは怖いが、好きだ。怖いが、尊敬している。傷ついて欲しくはない。
「頭脳労働専門なのにな」
 ぼやきながらも周辺に人がいないことを確かめ、曽我はビルの中に入っていった。




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室長の災難(13)

室長の災難(13)







 35年間の人生の中で、間違いなく窮地ベスト3に入る状況だった。
 相手が2、3人なら、助けが来なくてもなんとかなる。そのはずだった。
「雪子さん、話が違います……」
 情報を流してくれた監察医を恨むのは筋違いだが、愚痴のひとつも言わずにはいられない。

 田崎が近づいてきて、薪の手錠を外した。
 もちろん逃がしてくれるわけではない。これから鬼ごっこが始まるのだ。1対8の。
「さあ、始めよっか。このビルは4階まである。階段しか使えないけど、どの階に逃げてもいいよ。10数えたら追いかけるからね、みんなで」
 外への道は塞がれている。この中で永遠に逃げ切れるわけがない。絶望の中で、それでも被害者たちは走ったのだろう。彼女たちの体中に残った擦過傷が、その恐怖を物語っていた。

 なんて残酷なことを。こいつら、全員逃がさない。

 しかし、今は自分の身が危ない。
 薪は走り出した。高いヒールのせいで、足がもつれる。何度も階段で転げそうになる。
 2階の部屋の入り口の陰で、薪は追跡者を待ち伏せることにした。
 どうせ逃げても逃げ切れない。4階まで走ったら、多分それだけでかなりの体力を削られる。正直なところ、もう足が痛くて走れない。
 ここなら1人ずつしか通れない。と言うことは、1人ずつ倒していける。
 
「刑事さーん、どこー?逮捕してー」
 下品に笑いながら8人の悪魔が階段を上がってくる。若い女の子が、どれだけの恐怖を味わっていたのだろう。やっぱり2、3発は殴らないと気が済まない。
 狩人たちは3つの班に分かれて、獲物を追いかけることに決めたようだ。
 2階に2人、3階に2人、4階に3人。
 やはり、なるべく遠くまで逃げる被害者が一番多かったのだろう。今までの経験からの人員配置ということか。1人はちゃんと外への出入り口に置いている辺り、バカではないらしい。

 入ってきたのは、比較的体の小さい男だった。
 みぞおちに、思い切り手刀を叩き込む。前のめりに倒れたところを、膝と肘で頭を挟むように殴る。うずくまった男の後ろから、もう一人の男が現れる。状況を見て取った男の表情が歪んだ。
「この女……!」
 飛び掛ってくる男の襟元を掴み、体を下に潜らせて投げ飛ばす。
 あまり力はない薪だが、相手の力を利用する投げ技は得意だ。柔道も空手も有段者である。
 失神した2人をその場に放置し、次の階に移動する。
 ハイヒールは脱ぎたいところだが、地面には割れたガラス片も散乱している。裸足では歩けそうにもない。
 3階の2人が、今度は部屋から出て来るところを狙う。
 1人をみぞおちに蹴りを入れて気絶させ、もう1人を手刀で仕留める。残るは4階の3人。1階の1人。

「やるねー、さっすが刑事。強い強い。おい、あいつら起こせ」
 階下の物音に気づいたのか、4階の3人が戻って来た。狭い踊り場で、囲まれる形になって、後ずさる。これは何とか1階の1人を殴り飛ばして逃げるしかない。

「おお、いてえ。よくもこの女」
「だらしねーな、おまえら」
 3階の2人が起き上がってきて、薪は5人の男に囲まれる羽目になった。
「強い女って、いいよね。憧れちゃうなあ。全然、泣かないし、悲鳴も上げない。でもさ、そんな女が犯されて泣くときって、たまんなくいい声で鳴くんだよね」
「……ゲス野郎」
「口が悪いなあ。でも、その顔とのギャップがいいんだよな、刑事さん」
「期待に添えなくて悪いな。僕は男だ」

 5人とも、きょとんとした顔になる。
「なに言ってんの。そんな顔した男がいるわけないじゃん」
「これはメイクだ」
「いや、メイクにも限界あるから」
 誰も信じない。
 えらく腹が立ったが、雪子のメイクはプロ並みだと思うことにして、男としてのプライドを保つ。

「カツラのせいだろう。ほら」
 長いウェーブヘアのカツラを取り、薪は素顔を晒した。いいかげん、蒸れて暑い。それに、髪は短いほうが戦いやすい。
「やっぱ女じゃん」
「女だよな」
 …………雪子さんのメイク技術はSFX級だ。そうなんだ。

 カツラを大きく振り回して、5人の輪に隙を作る。その間隙から飛び出して、薪は一直線に1階へと続く階段に向かった。
 が、足を取られる。前のめりに倒れそうになったところを、下から上がってきた男に抱きとめられた。
 振りほどいて走り出そうとする。が、足が動かない。……動けない。
 動けないどころか、薪はその場にぺたんと座り込んでしまった。
「……?」
 立ち上がろうとするが、体に力が入らない。いきなり手足が作り物になってしまったかのようだ。
「刑事さん、特異体質かと思ったよ。なかなかクスリ効かないんだもん」

 しまった、雪子が言っていたドラックだ。解毒剤はバックの中だ。
 しかし、いつ―――― そうだ、目を覚ましたとき、あれはただの水ではなかったのだ。どうして気づかなかったのか。せっかく雪子から情報をもらっていたのに。

「これでようやく、パーティが始められそうだね」





*****


 ここが書きたかったの~。
 アニメの室長がカツラを取った瞬間。あのシーンが好きなんです。
 カツラ被ってたときより、きれいになってるんだもん(笑)別の意味で襲われそうです(腐)


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室長の災難(14)

室長の災難(14)







 階下の3人が加わって、8人全員が揃った。
 男たちは薪の身体を4階まで運び、その目的の部屋に運び入れた。中央にちゃんとベッドが用意してある。
 薪は、男たちが滑稽でならなかった。
 こいつらはまだ、自分が女だと信じているのだ。

「さっきも言ったが、僕は男だ。こんなところに連れてきたって、なにもできないぞ」
「男だっていいよ。そんだけきれいなら。全然、大丈夫」
「俺も、どっちでもOK」
「オレも挑戦する。こんだけ色っぽけりゃ、イケそうな気がするし」
 ……最近の若いものの言うことは理解できない。というより、頭が理解することを拒否している。

 田崎が懐から小さなナイフを取り出し、キャミソールの真ん中を縦に切り裂いた。パット入りのブラをナイフではじく。伸縮性のある布地の下から現れたのは、平らな、しかし象牙のように美しい胸だった。
「ほんとだ、男だよ」
「うわ―、いるんだ、こういうひと」
「性別間違って生まれてきちゃったんだろうな」
 勝手なことを言っている。股間に蹴りを入れてやりたいところだが、クスリのせいで体が言うことをきかない。
「すっげー。肌、きれー。こないだの女よりきれいじゃね?」
「すっべすべー」
「ウエスト細いなあ。60センチくらい?」
 胸に首筋に太腿に、何人もの手が伸びてくる。嫌悪感に吐きそうだ。

「触るな、気色悪い! おまえら変態か!」
「もしかして、刑事さん、バックバージン?」
「えー? はじめてー? この顔でー?」
「どーゆー意味だ!」
「刑事さん、本当にクスリの効きが悪いね。体質かな」
 クスリなら嫌というほど効いている。そのせいで動けないのだ。でなければ、あと2、3人は殴り倒している。

 首筋を指で撫でられる。止めろ、と叫ぼうとしたが、声にならない。
 なんだか、おかしい。からだがヘンに熱い。クスリの作用って確か……。
 
「んっ……ふっ!」
 わき腹を撫で上げられて、勝手に背中が反り返る。
 自分の声にありえない響きを感じ取って、体の奥底から羞恥心が湧き上がった。
「ちょっ、やめ、ひゃっ!?」
「おっ、効いてきた? これから4時間は天国へ行けるよ、刑事さん。その後で本当の天国に送ってあげるけどね」
 殺されるのは仕方がないか、とも思う。どうせ自分はロクな死に方はできない。頭を潰してくれるらしいから、それはOKだ。しかし、この状況は。
 断固、NGだ。
 
「やめろ、はなせっ!」
 動かない手足を気力で動かす。目前に迫っていた男の顔面に、長い付け爪がヒットした。
「いて!」
「やっぱ、縛っとこうか」
「そうだな、押さえつけてないとできなそうだな。一回やっちゃえば平気だと思うんだけど。うーん、クスリが足りなかったのかな。追加するか」
 2人の男に右手と左手を封じ込められ、抵抗する術を奪われた。男の舌が首筋から胸元に這い下りて、小ぶりな乳首にしゃぶりついた。
 何とか声は殺すが、体の反応は止められない。びくびくっと震えた下半身から、背筋を伝って電流が遡ってくる。

「じゃ、連れてきたやつの特権てことで。オレが一番でいいかな」
 田崎がのしかかってくる。射殺さんばかりの眼で、薪は若い美男子を睨みつけた。
「大丈夫、やさしくするからさ」
 スカートの中に手が入ってくる。うち腿を撫で上げられて、理性が切れた。
「い、いやだああっっ!!」
 もう、なりふりかまっている余裕はなかった。女のような悲鳴でも何でも、叫ばずにはいられない。
「ん~、いい声。もっと鳴かせてあげるよ」
「や、やめっ……あっ、んっ、んふっ……っ!」
 嫌悪感でいっぱいの心を裏切る、自分の身体が信じられない。
 普段ならありえない色香を含んだ吐息は追い詰められたように性急で、合間に混じる声は途切れ途切れに愉悦をにじませる。

 舌噛んで死んだほうがましだ、と思った瞬間。
 ボン! と大きな音がして、もくもくと煙が上がった。視界がふいに真っ暗になる。
 上に載っていた男の重みがなくなり、誰かに抱き上げられた。突然のことで、なにがどうしたのか理解できない。
 そのまま部屋の外へ連れ出された。階段を下り、煙のないところまで運ばれて床に降ろされる。吸い込んでしまった煙のせいで激しく咳き込む。
 流れている涙は煙のせいなのか、その前からのものなのか、判断がつかない。

「大丈夫ですか? 薪さん」
 大きな手が、薪のむき出しの肩に置かれた。それはあの悪鬼のような連中とは違う、やさしいぬくもりを薪に伝えてきた。



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室長の災難(15)

室長の災難(15)







 警官隊の突入は、午後11時丁度であった。
 竹内誠警視率いる捜査一課は、先に潜入していた第九の曽我警部の手引きで、目的のビルを速やかに包囲した。秘密裏にことを進めるために拡声器による呼びかけはせず、ブレーカー操作による一時的な停電と発煙筒によるパニックで犯人グループを混乱させ、全員を逮捕することに成功した。

 犯人グループの中に現職の警察官がいたことに、竹内は驚きの色を隠せなかった。
 なるほど、いくら聞き込みをしてもこれでは出て来ない。パトカーが止まっているビルの中でそんなことが行われているなんて、誰も思わない。しかも、ビルの入り口にはよく見かける顔の巡査が立って警備にあたっていたのだから。

「竹内さん、犯人グループ8名全員確保しました! やりましたね!」
「ご苦労。こちらの被害状況は?」
「ありません。先に潜入していた第九の職員が、中の詳しい映像を送ってきてくれてましたから。おかげで細かい突入計画が立てられました。
 今回だけは第九のお手柄ですかね。あ、いや、その」
 竹内の第九嫌いを良く知っている大友は、慌てて口を閉ざした。苦笑いしながら、竹内は気配り名人の部下に言った。
「そうだな。今回だけはな。……おとりはどうした? 無事か?」
「さっき、下の階に第九の職員が連れて行きましたよ。あの背の高い、何ていいましたっけ。メガネ掛けたボーっとした奴」

 犯人グループの搬送を大友に任せ、竹内は1階の部屋へ急いだ。彼の無事な姿を、なんとしても自分の目で確認しておかなければ。
 そうだ、自分はこの作戦の発案者なのだ。おとりになってくれた協力者の無事を確認するのは当然の義務だ。
 まるで年頃の娘を心配する男親のような心境で、竹内は我知らず走っていた。
 なんだろう、この焦燥感は。
 彼の身に何かあったら、俺はどう責任を取ればいいんだろう。

 捜査員や鑑識でごった返している1階の部屋の隅に、竹内の探す人物はいた。
 正座に近い形でぺたんと床に腰を落としているのは、タイトスカートの制約のせいだ。破られて服の役目をしなくなった上着の前を合わせ、両の手で自分の肩をかき抱くようにしてその身を震わせながら、前にいる背の高い男に何事か訴えている。

「おそいっっ!!」
「すみません。でも、信号は無かったんです。ここには、小池さんからの連絡で駆けつけたんですよ」
「そんなはずは」
 不審に思って、付け爪に仕掛けた発信機を確認する。暴行の中でいくつかの偽爪は剥がれ落ちていたが、目的の爪は残っていた。
 が、飾り花の中に仕込んでおいたはずの超小型発信機はない。どうやら拉致された際に、仕掛けを抜かれていたらしい。あの変に盗聴器の類に詳しいと言っていた警官の仕業だろう。
 これでは青木の到着が遅れたのも無理はなかった。
 無理はなかったのだが。

「……おまえが悪い」
「いや、あの、ですから」
「おまえがわるいっ! おまえが早く僕のところへ来ないから、あんなやつらにあんなこと、あっ……――――っ、全部おまえがわるい!!」
 怒鳴り散らしながら、薪は大粒の涙をこぼしている。
 うつむいて歯を食いしばり、必死に嗚咽を抑えようとしてか、肩を抱いた両手の爪が白い肌に食い込んでいる。
「はい、すみません」
「……っ、うっ……」
「オレが悪かったです。怖い思いさせて、すみませんでした」
 青木が大きな手で、亜麻色の小さな頭を撫でる。その手には限りないやさしさと愛情が含まれている。

 薪の細い両手が、目の前のジャケットを掴んで引き寄せる。ジャケットで泣き顔を隠すようにしてしゃくりあげる薪の様子を、竹内は遠くから見ていた。
 やがて落ち着いたのか、薪は泣くのをやめて手を離した。青木のジャケットは落ちた化粧と涙の跡で、クリーニングが必要だった。
 差し出されたタオルで顔を拭き、次に眼を開けたときには、もういつもの取り澄ました表情だ。それを確認してから竹内は、華奢な後姿に声を掛けた。

「無事でなによりです、室長」
 挑むような美貌が振り返る。しかし、まだその眼は真っ赤で、涙の跡を隠しきれていない。それでも気丈に薪は言い放った。
「竹内警視。今回の犯人確保は、第九の協力があればこそです。ここのビルを見つけたのもうちの手柄です。あなたのところの尾行は撒かれたのに、曽我の尾行は成功した。これからは、第九は覗き趣味の引きこもりだなんて言わせませ……」
 薪の毒舌は、途中で止まった。
 竹内が自分のジャケットを脱いで、薪のむき出しの肩に掛けてくれたのだ。宿敵の意外な行動に思わず黙り込んだ薪に、竹内は敬礼した。
「薪室長。第九のみなさんの協力のおかげで、今回の事件は解決できました。ありがとうございました。詳しい報告は明日にして、今日は帰って休んでください」
 この車をお使いください、と自動車の鍵を渡し、竹内はその場を離れた。

 あの室長が、あんなに感情をむき出しにしてぶつかれる相手。自分ではあの中には入れない。第九の仲間の絆というやつか。ならば傷ついた彼を休ませるのは、自分の役目ではない。
 なんだか少し、悔しいような気がする。

 竹内はビルを出た。
 長月のきれいな月夜を、大量の赤ランプが台無しにしている。
 パトカーに犯人たちを押し込んでいた大友が、竹内を見つけて走りよってきた。
「竹内さん。事情聴取、どうします?」
「もちろんこれから徹夜でやっつける! 大事な身内をあんなに傷つけやがって。ギタギタにしてやるからな、あいつら」
「なんか、めちゃめちゃ気合入ってません?」
「拘留期間に休む暇があると思うな~、23日間、目いっぱい使ってやる。死んだほうがましだと思うまで責め立ててやる。取調室は密室だ! 治外法権だ!」
「いや、大使館じゃないですから。いいのかな、こういう発言」
 なにやら心境の変化があったらしい先輩の後に続いて、大友は警視庁へ向かった。



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室長の災難(16)

室長の災難(16)







 思いもかけない天敵の好意を今回だけはありがたく受けることにして、薪は一旦、自宅へ戻ることにした。
 早くシャワーを浴びて、あの連中の手の感触を洗い流してしまいたい。そうしたら着替えをして、取調べに立ち会わなくては。
「行きましょうか、薪さん」
 頷いて立ち上がろうとする。が、やっぱり腰が立たない。まだクスリが効いているらしい。解毒剤が必要だった。
 青木に事情を話して、バックを探させる。しかし、なかなか見つからない。拉致された場所に置いてきたか、いや、証拠を残すような真似はすまい。となると、ここに来る途中どこかに捨てられてしまったか。
 腰が立たないだけならまだ良かったのだが、別の効果も現れてきてしまったようで薪は焦った。何もしていないのに、身体が勝手に震え始める。残った理性をかき集め、爪を腕に食い込ませて痛みで劣情を抑えこむ。そうでもしていないと、誰彼かまわず押し倒してしまいそうだ。

「ありましたよ、薪さん。これですよね」
 助かった。もう少しでケダモノになるところだ。
「水、探してきますね」
「いらん」
 そんな余裕はない。
 青木の手から奪った錠剤を、薪は噛み砕いた。
 途端に口を押さえて背中を丸める。きれいな顔は苦痛にゆがんでいる。
「大丈夫ですか?」
「これっ、めちゃめちゃ苦っ……!」
「やっぱり水いりますね」

 ペットボトルの水を持って青木が帰ってきたときには、薪の様子はだいぶ落ち着いていた。周りに岡部と曽我がいて、事件の話をしている。薪に尾行の成功を褒められたらしく、曽我はうれしそうに坊主頭を掻いていた。
「岡部。先に捜一に顔を出しておいてくれ。僕も着替えたらすぐに行く」
「はい。でも、薪さんは今日はもう、休まれたほうが」
「大丈夫だ。曽我は帰れ。ああ、小池と宇野にも、帰るように伝えてくれ。報告書は明日でいい。ご苦労だった」
 さっきまでの乱れた様子は、もうない。さすが三好先生だと感心しながら、いつもの落ち着いた室長の姿に安堵する。

「水です、薪さん」
 ボトルを受け取ってすぐさま呷る。白いのどが動いて、コクコクと飲み込む音がした。よっぽど苦い薬だったらしい。
「青木、薪さんを家までお送りしてくれ」
「はい」
「薪さん、歩けないから運んでやってくれ」
「あれ? 解毒剤効かないんですか?」
「歩けないだろ、あの足じゃ」
 見ると、白い足は血まみれだった。
 慣れないハイヒールで格闘したせいだ。見るも無残な様子に、青木は顔をしかめた。

「うわあ。よくあれで歩いてましたね」
「我慢強いのも考えもんだな。ほどほどにしないと大きな怪我をする。俺は、あの人の強さが心配だよ」
 青木にだけ聞こえるように、岡部がこっそりと囁いた。
 岡部と薪の付き合いは、深い。青木の知らない薪を、この頼れる先輩はきっとたくさん知っていて、それゆえに心配も絶えないのだろう。
「頼んだぞ」
「はい、岡部さん」

 先輩を見送ってから、青木は車のキーを取り出した。今日はもう休んでくれるように室長を説得してみよう。岡部の言うとおり、室長には休息が必要だ。
「薪さん、失礼します」
 背中と膝に腕を回して抱き上げる。さっきも思ったが、男とは思えないくらい軽い。
「降ろせ、歩ける」
「無理ですよ。血だらけじゃないですか」
「平気だ、これくらい。みっともないから降ろせ」
「みっともなくないです。みんな、自分の仕事で手一杯です。こっちを見てる人なんていませんよ」
 青木が強く主張すると、薪は子供がむくれるようにくちびるを尖らせて黙り込んだ。
 痛くないはずがないのだ。それでも強がりを言うところが、薪の男としてのプライドの高さを証明している。薪は女のように扱われることが大嫌いなのだ。
 しかし、気持ちに体がついていかないのも薪の特徴である。疲れもピークに達していたのだろう。青木の腕の中で、ほどなく薪は眠ってしまった。緊張の糸が切れたのか、それとも解毒剤の副作用か。

 こわれものを扱うように、その華奢なからだを車の後部座席にそっと横たえる。
 室長の眠りを妨げないよう、青木は細心の注意を払って車をスタートさせた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

室長の災難(17)

室長の災難(17)







「着きましたよ、薪さん。起きてください」
 薪のマンションに帰り着き、青木は薪に声をかけた。せっかく良く眠っている薪を起こすのは忍びなかったが、仕方ない。
 薪の部屋は2階である。運ぶのはわけはないが、薪のマンションの鍵は瞳孔センサー方式だ。他人では、部屋の鍵を開けることができない。

 呼びかけると、薪はすぐに眼を覚ました。寝ぼけながらも暗証番号を押す。小さなカメラが現れて薪の瞳を確認し、ドアのロックが外れた。
 玄関の叩き口に薪を座らせる。濡れタオルで足を拭いてやり、汚れを落とす。血は止まったようだ。仕事熱心な上司が眠っているのを良いことに、途中の薬局で血止めのスプレーを買って塗っておいたのが功を奏したらしい。
もう一度スプレーを吹き付けて、抱えあげる。ソファに座らせて、青木は部屋の中を見回した。

「薪さん。今日はもう休んでください。パジャマ、どこですか?」
 寝ぼけているのか、薪の様子がおかしい。
 だいたい、されるがままになっているのがヘンだ。普段なら他人に足を拭かせたりしない。薪は世話を焼かれるのを嫌う性格なのだ。
「薪さん?大丈夫ですか?」
 顔を覗き込むと、薪は青木を見てうっとりと微笑んだ。

「うふっ」
 ……うふっ?

 いまだかつて、この厳しい上司がこんな風に微笑むのを見たことがない。それはまさに蕩けるような微笑だったが、青木には違和感のほうが大きかった。
 借り物の背広を脱ぎ、すでに服の役目をしていなかったキャミソールを脱ぎ捨てる。同性の裸体ではあるが、個人的な事情でとても直視できない。
 眼を逸らした青木の頬に、華奢な手が伸びてくる。そのまま頭を掴まれて、引き寄せられる。その力はやはり女のものではない。
 半開きになった唇が近づいてくる。いつも思わず目を奪われるつややかな唇は、今日に限っては妖艶な娼婦のようで、男の欲望を直撃する。
 
「ま、薪さん? どうしたんですか? ちょ、ちょっと」
 噛み付くような、キス。
「ん……っふ……」
 扇情的な喘ぎを織り交ぜながら、ねっとりと舌を絡めてくる。激しく性急で追い詰められているかのように、それはあまりにも甘い媚薬だった。
 しかし。

 悲しいかな、これはクスリのせいだということも青木には分かっていた。そして、この夢が覚めたら間違いなく薪の怒りを買うであろうことも。理不尽だが、それは確実だった。

 最大級の努力でもって薪の身体を引き離し、青木は携帯電話を取り出した。まだ起きていてくれるといいが。
『はい三好。青木くん? どうしたの』
「三好先生、助けてください――――! 薪さんがヘンなんです!」




*****





 雪子はまだ仕事中だった。昼間解剖した5人目の被害者の解剖所見を纏めていたのだ。
「ヘンて?」
 電話の向こうでは、青木がパニクった声を出している。何事かあったようだ。

『発情期の動物みたいなんですよ! これ、あのドラックのせいですよね? どうしたらいいですか?』
「解毒剤は?」
『現場で飲みました。でも、家に帰ってきてからまたおかしくなったんですよ。現場では落ち着いてたんですけど……ちょ、ちょっと薪さん、やめてください! そんなとこ触っちゃ駄目ですってば!』
「なんか楽しそうね」
 今から車で薪の家まで行って、見物したいくらいだ。
「そこは薪くんの家なの? 周りには誰もいない? じゃあベッドに縛り付けておけば大丈夫よ。そのドラックは副作用がないから。せいぜい残っても頭痛と倦怠感。一晩寝れば元に戻るわ」
『そんなことできませんよ! できる状況じゃないんです、わあっ!』
 おもしろい。テレビ電話じゃないのが残念だわ、と雪子は思った。

「でもヘンね。一旦は効いたんでしょ。まあ試薬段階だからね、いまいち効き目が不安定なのかしらね」
『そんな無責任な。なんとかしてくださいよ、お願いします。オレ、もう理性が蒸発しそうなんですよ!』
「いいじゃん。やっちゃえば?」
 そうなのだ。青木は、薪にぞっこん参っている。雪子は青木の気持ちを知っていて、薪とは古い友人であることからいろいろと相談にも乗ってやっていたのだ。
『嫌ですよ、こんな不自然な。だってクスリでラリってる相手をどうにかするなんて、それじゃあいつらと一緒じゃないですか』
「なに贅沢言ってんのよ。薪くんのほうからなんて、こんなチャンスあと十年待ったって来ないわよ。今やらなかったら、あんた一生できないわよ」
『そこまで望み無いんですか、オレ』

「やらないで後悔するより、やって開き直りなさい。じゃ、がんばって」
 言いたい放題言って、雪子は一方的に電話を切った。自然に顔がにやけてくる。
「明日が楽しみね」
 鼻歌交じりに、雪子は解剖所見の作成に戻った。


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室長の災難(18)

室長の災難(18)







「もしもしっ! 先生、三好先生!?」
 ツー、ツー、と無機質な音が耳に残る。
「切ったよ、あのひと……」

 雪子の無責任は今に始まったことではないが、いまそれを非難しているヒマはない。
 電話の間も俄か仕立てのインフォマニアはこまごまと仕事をしていて、青木が身に着けているものは既に下着だけだ。
「電話、終わった?」
 青木の腹の上にまたがり、無邪気な様子で尋ねる。舌ったらずの甘い声。めったに聞けるものではないけれど、ドラックのせいとあってはうれしくもない。

 すでに、薪はそのからだに何もつけていない。
 これまでも薪の裸は何度か目にしている青木だったが、そのときとは状況がまるで違う。こんな雰囲気でソファに横たわった自分の上になって……これで我慢しろと?
 それでもここは堪えなければ。でないと、確実に室長権限で異動させられる。薪の顔を見ることもできなくなってしまうかもしれない。それは困る。

 なんとか状況を打破しようと、青木は起き上がった。
「薪さん、ちょっと落ち着きましょう。ね?」
「ん~、ふっふっふ」
 抱きついてくる細いからだ。
 その肌はやはり女のものではない。沈み込むような、どこまでもやわらかい女の肌とは違うしっかりした筋肉の感触。しかし、明らかに自分のものとは異質のすべらかさ。
 雪子の指示どおり引き剥がしてベッドに縛り付ける、なんてことはとてもできない。抱きしめ返さないように自分を抑えるので精一杯なのだ。

「僕のこと、好き?」
 耳元で囁かれて、目の前が真っ赤になる。
「薪さん……」
「好き?」
 かわいらしい顔。無邪気で色っぽくて、凄まじい引力で自分を惹きつける。
 ……だめだ。逆らえない。

「はい。大好きです」
 にっこり笑って、もう一度激しいキス。
 歯茎の裏側から舌の下部まで、ベルベットのような舌がまさぐっていく。小さな手は忙しく動いて、胸元から腹、下腹部へと移動し下着の中に滑り込んだ。
「薪さん!」
 華奢な身体を抱きしめて、ソファの上に押し倒す。こうなったらもう止まらない。
「オレ、ずっとずっと好きでしたっ! いいんですよね?」

 目の前にさらけ出された美貌に、青木は眩暈すら覚える。
 信じられない。同性のからだが、こんなにも自分の欲望を掻き立てるなんて。

 たしかに自分と同じ身体なのだが、でもやっぱりまるで違う。細くて白くていい匂いがして、どこもかしこも透き通るようにきれいで。
 夢でいるうちはきれいだったものが、現実になったら幻滅してしまうかもしれないと密かに危惧していた青木だったが、それは杞憂に過ぎなかったようだ。夢より現実のほうが遥かにきれいだ。
 前から食べてみたかった耳たぶは、柔らかくて甘かった。白さが眩しい首筋に舌を這わせ、強く吸う。先のことなど考えられない。
 きれいな鎖骨。小ぶりな乳頭は混じりけのないピンク色で、経験の少なさを感じさせる。
 口に含み、舌先で転がすように愛撫する。クスリのせいで敏感になったからだは、甘い声を上げてよがり―――
―。
「薪さん、薪さんっ……あれ? 薪さん?」
 ……返事がない。
「え? あれ?」

 薪は目を閉じていた。
 長い睫が重なり合って眼下に濃い影を落とす。口唇はかすかに開き、その間からは「く――」という音が。
「えええええ―――!?」
 解毒剤の副作用は、頭痛に眠気。
 
「ちょっと、薪さん? ひどいですよ、ここで眠るって……ええ―――っ?」
 たしかにムゴイ。雪子が見ていたら腹を抱えて転げまわりそうだ。
「いくらオレがヘタレだって、さすがに止まりませんよ! もう意識がなくたって、やっちゃいますよ!? 誘ったの、そっちなんですからね!」
 誘ったわけではなくラリってただけなのだが、そこは目をつぶって欲しい。
 我慢に我慢を重ねて、その挙句に懲戒免職まで考えて、殺されるときにはきっと脳を潰されるんだろうな、とそこまで覚悟して押し倒したのだ。いまさら後に退けない。というか男の事情でそれは無理だ。すっかり戦闘態勢に入っているのだ。

 意識のない身体を自由にすることに後ろめたさを感じてはいたが、もうまともな思考ができる状態ではない。すんなり伸びた足を開かせて、太腿に手を這わせる。小さい尻を揉みしだき、目的の場所を探り当てる。
 痛い思いをさせるのは嫌だな、とわずかな理性の隅で考える。が、指の動きを止めることはできない。
 力を入れているはずはないのに、そこは狭く固い。
 とても行為に慣れたからだとは思えない。その証拠に、深い眠りの中にいる美貌が不機嫌そうに顔をしかめた。
 細く目を開けて、ぼんやりと青木を見る。自分の愛撫に目覚めてくれたのなら、それにこしたことはない。やはり眠っている相手をどうこうというのは、男として最低だ。

「薪さん、好きです。大好きです」
 青木がそう告げると、優しい微笑が返ってくる。青木の首に両腕をまわし、すべらかな頬をすりつけてくる。
「僕も、だいすきだ」
 耳元に甘い吐息がかかる。愛おしさが募る。堪らずに、渾身の力で抱きしめてしまう。
 やさしい声が、いとしい相手の名を呼ぶ。

「鈴木……だいすきだ……すずき……」


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室長の災難(19)

室長の災難(19)







 昨日から徹夜で取り調べ、もとい容疑者イジメに夢中になっていた竹内は、仮眠もとらないうちに一課の課長に呼び出された。
 いつも苦虫を潰したような顔をしている課長は、めでたく事件が解決したと言うのに、何故か今日はより一層機嫌が悪そうである。
 デスクの上に、自分が書き上げた報告書が置いてある。どうやらその内容に課長の不機嫌の原因があるようだ。

「竹内。なんだ、この報告書は」
「何か間違いがありましたか?」
「今回の事件は、うちの単独捜査だ。第九は関係ない」
 やっぱりそんなことか。
「今回の作戦の発案者はおまえだろう。第九はちょっと協力しただけだ。報告書にわざわざ載せるまでもない」
「しかし今度のヤマは、本当に第九の協力がなければ解決しなかったんです。
 薪室長がおとりになってくれなかったら、犯人グループを一斉に検挙することはできませんでした。室長だけじゃありません。曽我警部が尾行を完遂しなかったら、岡部警部が橋口巡査の線からあのビルを探り当てなかったら。たぶん薪室長は、今頃この世にいません。そしたら責任を取らされて、俺も課長もここにはいられないでしょう。それを考えたら、第九の功績を認めることくらい何でもないでしょう」
 凶悪犯もびびる強面の課長は、訝しげな眼で竹内を見上げた。反第九派の部下が、こんなことを言い出すなんて。
 不思議がられても仕方ない。昨日までは自分は、高らかに『打倒、第九』を訴えていたのだ。

「確かに尾行は撒かれたかもしれんが、発信機の線からこっちも橋口巡査の件には辿りついていた。第九のほうが現場への到着が早かっただけのことだ。時間の問題だ。第九なんかいなくても、うちだけで犯人を逮捕できたんだ。だいたい第九の連中だけじゃ、突入もできなかっただろう。あのいまいましい小僧を救ってやったのは、結局うちじゃないか」
「現場の詳しい情報をくれたのは第九の人間です。だから突入もあんなにうまく行ったんです。時間の問題とおっしゃいますが、突入がもう少しでも遅れていたら、薪室長は無傷では済んでいません」
 険悪な雰囲気を察して、一課の中が静まり返る。竹内が課長に反抗するなど、滅多にないことなのだ。
 
「失礼」
 涼やかな声が、重くるしい空気を破った。
「打ち合わせ中とは伺ったんですが、僕もけっこう忙しいもので」
 昨日の美女が、ダークグレイのスーツ姿で竹内の後ろに立っている。今の話を聞いていたのか、と課長の顔がますます苦くなる。
 自分より15も年下のクセに、肩書きは同じ警視正。課長は薪のことが大嫌いだった。
 異様に若く見える外見も女のような顔も、とにかく気に食わない。こんなのが刑事をやってていいのか、と疑問に思う。
「昨日お借りしたものを返しに来ました。ありがとうございました」
 それだけ言って竹内に紙袋を押し付けると、踵を返して去っていく。足を怪我しているのか、いくらかびっこを引いているようだ。昨日のことが原因かもしれない。いい気味だ。
 
「とにかく、書き直せよ、竹内」
 課長が薪の後姿から視線を元に戻したときには、捜一のエースは既にいなくなっていた。


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室長の災難(20)

室長の災難(20)







 警視庁の階段の踊り場で、竹内は薪を捕まえた。
「薪室長。待ってください」
 呼び止められて、迷惑そうに振り向く。亜麻色の短髪が、かえってその美貌を引き立たせる。やっぱり薪には短髪のほうが良く似合うな、と竹内は思った。
 薪が足を引きずっているのは、盛大な靴擦れのせいだ。竹内にはそれがわかっていた。
 本当は肩を貸してやりたいのだが、薪が嫌がるだろう。もっと本音を言えば抱きかかえて行きたいくらいなのだが、いやその。
 
「わざわざ、ありがとうございました」
「いえ。ちゃんとクリーニングかかってますから」
「え。そのままでよかったのに。こんな安物」
 そんな話をしたいわけではない。
 しかし、言い難いことだった。あの頑固な課長を説得できる自信は、竹内にはない。

「あの、今回のことなんですけど」
 言い淀む。薪の真っ直ぐな視線が痛い。
 自分にできるだけのことはする―――― そんな言い方で、今回の事件解決の功労者を誤魔化すのは嫌だった。
「課長のことは気にしないで下さい。オレは約束を果たします」
 とにかく、掛け合ってみよう。それでもダメなら記者会見でマイクをかっさらえばいい。課長のメンツなんか、知ったことか。
 
「公式発表の件なら、別にいいです。僕は初めから期待してません」
「え? だって、誓約書まで書かせて」
「あれはもう捨てました」
 薪の目的がわからなくなった。
 第九を世間に認めさせるのが、彼の目的ではなかったのか? このまま捜一の手柄になってしまったら、何のために体を張ってまで協力したのかわからない。

「何のため? 犯人を捕まえて、これ以上の犠牲者を出さない。僕たちの目的は決まってるじゃないですか」
 いつもの皮肉屋なポーズとは裏腹の、真っ直ぐな答え。
 当たり前のことを聞くな、と言いたげに少し尖らせた唇。化粧などせずともその魅力は変わらない。昨日と同じに―――― いや、それ以上に惹きつけられる。
「じゃあ、なんで誓約書なんか」
「僕はあなた方に知って欲しかったんです。僕の部下たちの有能さを。
 彼らは確かにあなた方みたいに、現場に出で捜査をすることはない。聞き込みで靴をすり減らすことも、犯人確保のために危険な目に遭ったり、現場で殉職したりすることもない。でも、彼らもあなた方と同じように、犯罪を無くそうと必死で頑張っているんです」

 捜査会議で己の優秀さを見せ付けるように話す室長を、竹内はこれまでに何度も見てきた。薪の論説は何処となく偉そうで上から目線で、どうしてこんなことが分からないのか、と他人を侮蔑するニュアンスまで含まれていて、自分はこの男を天地がひっくり返っても好きになれないと思っていた。でも。

「第九の職員は、靴は減らなくても神経は減ります。あなたも一度MRIの画像を見てみるといい。普通の神経では耐えられない。慣れないうちは、毎日何度も嘔吐します。食事なんかのどを通りません。ほとんどの者が1週間で不眠症になり、2週間で身体を壊します。でも、彼らはそれを乗り越えてきたんです。並大抵の努力じゃない。
 徹夜なんかしょっちゅうだし、忙しいときは3日も家に帰れないこともあります。事件が起これば盆も正月もないのはあなた方と一緒です。
 あなた方より、彼らの仕事が楽だとは思えない。彼らの努力も苦しみも何も知らないくせに、覗き趣味の引きこもりなどど、彼らを侮辱するのは許せません!」

 こんなに雄弁に喋れるのか、と竹内は思った。
 氷の警視正と異名を取り、冷静さを看板にしている薪が、大事なものを守るためにはこんなに猛々しくなれるのか。どれだけ部下たちを、第九を大切に思っているのか。

 竹内はようやく薪の室長たる所以を理解した。うちの室長は鬼より怖いと言いつつも、第九の職員が薪を助けようと必死になっていた理由も。

「わかりました。よく、わかりました」
 素直に頷いた竹内をひと睨みして、薪は踵を返した。とたん、体勢を崩して階段から転げ落ちそうになる。慌てて伸ばした竹内の両腕の中に、薪は倒れこんできた。
 華奢な肢体。ふわりと香る清冽な香り。香水とはまた違う、これは薪の体臭なのだろうか。亜麻色の髪からも、いい匂いがする。
 薪の体を後ろから抱きしめるような形になっていた竹内は、白いワイシャツの下の硬い感触に気付いた。
 これは―――― 防弾チョッキだ。
 事情を訊きたかったが、たぶん薪は教えてくれないだろう。
 普段からこれを着ていたのか。それで服のサイズを見誤ったのだな、とひとり納得する。

 薪は、振り払うようにして竹内の腕から離れると、危なっかしい足取りで去っていった。竹内の腕に、清廉な残り香を置き土産にして。



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室長の災難(21)

室長の災難(21)




 


「このっ、ヘタレ!」
 赤く彩られた唇が、厳しい意見を吐いた。

「あんたみたいなヘタレ、見たことないわ。
 なに? 結局やってないわけ? あんだけ大騒ぎしといてやってないって、どーゆーこと?」
「だって、ムリですよ」
 向かいに座った大男は、がっくりと肩を落として両手で額を押さえている。せっかくの体躯が台無しの情けないポーズだ。
「何がムリ? それでも男? そんなに薪くんが怖いの?」
「薪さんは怖いですけど、そういうわけじゃ」
「じゃ、なに」
 いい加減、イライラしてきた。こっちだってヒマじゃないのだ。
 どうしても話を聞いてほしいと青木が言うから、第一研究室の自分の部屋に呼んだのだ。てっきりノロケ話を聞かされると思いきや、地面に沈み込みそうなほどへこんでいる。どうやら昨日は雪子の予想とは違う展開になってしまったようだ。

「薪さん、めちゃめちゃラリっててすごく色っぽくて、自分からキスまでしてきたんですよ。それなのに……途中で眠っちゃったんです」
 解毒剤の副作用が出たらしい。でも、そんなことくらいで諦める男がおかしい。
「なんでそこでやめちゃうわけ? やってるうちに起きるわよ。やっちゃったもん勝ちなのよ、あのクスリ。4時間は天国にいきっぱなしだって言ったでしょ」
「続けようとしましたよ。でも」
 青木はそこで、机に突っ伏してしまった。顔を伏せたまま、情けない声で訴える。
「薪さんてば、鈴木さんの名前を呼んだんですよ……オレ、もう萎えちゃって……」

 なるほど。
 それはありうる。
 薪がそう簡単に鈴木のことを忘れられるとは思わなかった。自分が彼を忘れられないように、きっと薪も。

「なによ、そのくらいのことで情けない。あんたそれでも男?」
「ショックで目の前、真っ暗になっちゃいましたよ。だって、キスも笑顔もだいすきって言葉も、全部鈴木さんに向けられたものだったって分かったら……もう、何もできませんよ。ううう」
 とうとう泣き出してしまった。
 は――っ、と大きなため息をついて、雪子は大きな子供の背中をポンポンと叩いてやる。
 皮肉なことに、青木は鈴木に顔立ちや体つきが良く似ている。クスリのせいで正常な判断ができなかったであろう薪が、見間違えるのも無理はない。
「しょうがないでしょ。克洋くんはあんたの3倍はいい男だったんだから」
 青木のことは放っておくしかない。そのうち泣き止むだろう。

 それにしても、解せないことがある。
 解毒剤の効果の現れ方だ。いままで、こんな風にドラックの症状がぶり返した被験者はいなかった。個人差と言ってしまえばそれまでだが、実に不自然だ。
 現場から押収されたドラックのひとつを目の前にかざし、雪子は考え込んでいた。
 無色透明の液体。500mlのペットボトルに入っている。無味無臭で、ただの水となんら変わりない。しかしこれは悪魔の水だ。

「三好先生。それ、もらってもいいですか」
 水分補給しないと、と青木が手を出す。飲ませたら面白そうだが、これは今から分析に回さないといけない。被害者の血液から発見されたドラックと、照合を行うのである。
「飲んでもいいけど、これ例のドラックよ」
「え? 水じゃないんですか?」
「見た目は水にしか見えないし、味もないけどね」
「そのパッケージって、もしかして昨日の?」
「そう。現場から押収したものの1本。……どうしたの? なんか、顔青いわよ」
 顔を引き攣らせながら、新米の捜査官は懺悔した。
 
「……飲ませちゃいました、オレ。解毒剤がすごく苦くって、薪さんが水を欲しがってて 。てっきり水だと思って、それ」
「あんた、犯罪者じゃん」
 またひとつ、薪に言えない秘密ができてしまった雪子であった。


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室長の災難(22)

室長の災難(22)







 昨日の記憶はない。
 正確に言えば、青木に抱き上げられてからの記憶がない。
 あれから警視庁に顔を出すつもりだったから、着替えに帰るだけだったはずなのだが、どうやら朝まで眠ってしまったらしい。ドアロックを外したり寝巻に着替えたりしているのだが、全然覚えていない。これもクスリの影響か、と頭痛の残る頭で薪は考えた。

 鑑識から青木が帰ってくる。
 いつも薪の前ではおどおどしている青木だが、今日は特にひどいようだ。そういえば、昨日はこいつに送ってもらったはずだ。記憶にはないが、腹いせに2、3発殴ってしまったのかもしれない。
「青木、分析の結果は出たのか。よこせ」
「は、はい」
 書類を持ってこちらへやって来る。が、薪の顔を見ようとしない。A3サイズの茶封筒を置いて、逃げるように自分の机に戻っていく。これは、5、6発、殴ったのかもしれない。もしかすると、蹴りも入ったかも。

「青木。ちょっと来い」
 室長室へいざなう。一応、フォローしておくのが上司の役目だ。
 何を心配しているのか、いっそう青ざめた顔をしてギクシャクしながら歩いてくる。最近の若い者の考えていることはよくわからない。
「昨夜はなぜ起こさなかったんだ? 僕は、ここに戻ると言っていただろう」
 そう水を向けると、驚いた顔をして「覚えてないんですか?」と言う。
「なにをだ。僕は眠ってしまったのだろう? それとも、おまえに何かしたか?」
「いいえ! 薪さんはよく眠ってました!」
 明らかに、あやしい。
 じっと見つめると、汗をだらだらと流してさかんに目を泳がせている。ウソのつけない男なのだ。
 まあ、仕方がない。こっちは何も覚えていないのだから。青木の方から何か言ってこない限り、謝りようがない。
 別に謝る必要もない。自分はここに戻ると言っていたのに、起こさなかった青木も悪いのだ。
 
「この次からは、ちゃんと起こせ」
「……はい」
 なにやら憔悴しきって、青木は出て行った。

 入れ替わりに岡部が入ってくる。捜一の取調べの様子を見に行かせたのだ。
 岡部は1年前まで、捜一のエースだった。一課には親しい後輩もいる。遥か昔に捜一を離れた自分より、ずっと顔が利くのだ。
「あいつら、ヘラヘラ笑いながら供述してるらしいですよ」
 正義感の強い岡部は、義憤に駆られた顔をしている。
 それは昨日、薪も思っていた。
 とにかく、軽いのだ。
 あんな重大な犯罪を犯しているとは思えないような、普通のノリの良い若者たちだった。
 明るく笑いながら女を犯し、嬲り殺す。正気の沙汰とは思えない。その快活さが、薄ら寒い。

「まったく最近の若いもんは。善悪の区別がつかない連中が多すぎるんだ」
 苦渋に満ちた顔つきで、岡部が低く呟く。
「病んでいるのかもな。この時代は」
 いつになく感傷的な声音で、薪は呟いた。
 だから、自分たちのような特殊な捜査をするものたちが必要になる。被害者の声なき声を聞くために。

 デスクの上の電話が鳴る。
 田城からだ。つまり、新しい仕事だ。薪の目は、すぐさま有能な捜査官の眼になる。
「わかりました。すぐに行きます」
 立ち上がり、しっかりとした足取りで歩き出す。いつまでも靴擦れなどにかまっていられない。
 室長室のドアを勢いよく開ける。部下たちが一斉にこちらを見る。
「みんな、事件だ。モニター準備!」
 第九の日常が、再び始まった。                    



 ―了―




(2008.8)

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ごめんなさいごめんなさい・・。

 こんな世界の最果てまでお付き合いくださって、感謝にたえません。

 大変申し訳ありませんでした。
 UPしてる途中で、何度も降ろそうと思ったんですけど、なんか、途中まで拍手してくださった方がいらっしゃってて……は、早すぎる……。

 完成度の低い作品を出してしまって、すみませんでした。いや、他のも似たかよったかなんですけど。
 やっぱり最初に書いただけあって、ひでえもんです。読むのがツライ(^^;
 個人的には初のあおまき小説ということで、思い入れの深い作品なのですが、冷静に読み返してみるとアラが目立ちます。警察内部のこともロクに調べてなかったし。
 その時には、これ以上のものは書くつもりがなかったので、青木はもっと先のことまでやっちゃってたんですよね。もう、ほんとにここで止めるか、みたいな。
 今回は遥か先まで続くお話に変わったので、中途半端なところで萎えてもらいました。ご愁傷様です。


 このお話に出てくる竹内警視は完全なオリキャラですが、これからもちょくちょく出てきます。
 やっぱり、恋のライバルは現実にもいたほうが面白いので。(原作でも、薪さんに横恋慕するひとが出てきたら、青木さんの気持ちも傾くと思うんだけどなあ)

 ありがとうございました。
 これに懲りずに、またお付き合いくださいませ。


 と・こ・ろ・で。


 メロディの発売まで、あと1週間ですね。
 どんな展開が待ってるのかなあ……修羅場はイヤだなあ。みんなが幸せになる方法って、ないのかなあ。
 わたし的にいい展開だったら、先の話をひとつUPしようと思ってます。ふたりが恋人同士になってからのお話を。
 逆に、わたし的に青木さんが許せないお話だったら、鈴木さんネタをUPしようかな、と。
 どっちになるかは8月号の青木さん次第。

 がんばれよ、青木さん。薪さんを泣かせるな。


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ジャンル : 小説・文学

宴の始末(1)

 「室長の災難」の後日談です。
 よしなにお願い致します。




宴の始末(1)






 その日、第九の空気は妙に張りつめていた。

 それは朝礼のとき、室長が一言も喋らなかったせいかもしれない。
 いつもなら「今日も忙しくなるがみんな頑張ってくれ」などと、なにかしら励ましの言葉をかけてくれるのに、今日に限ってはむっつりと黙り込んだままだった。朝礼の後は、捜査の進み具合を確認するため部下たちと一緒にモニターを覗くのが習慣なのに、その日の室長は不機嫌な顔をしたまま、自分の部屋に戻ってしまった。

「なんか薪さん、今日めちゃめちゃ機嫌悪くない?」
「そうか? 機嫌がいいときなんて見たことないけどな」
「原因はあれだよ」
 シュレッダー行きの書類廃棄箱の中に、一束の手紙が捨ててある。
 およそ30通はあろうかと思われる量だが、封を切った様子もない。表書きはすべて室長宛のものだが、色柄物の封筒ばかりで公用のものとは思えない。これはもしかして。
 どうせ捨てられているのだから、と一通だけ内容を確認してみる。予想通りラブレターだった。
 
「さすが薪さん。読みもしないで捨てちゃうんだ」
「女の子からだったら、あんなに機嫌悪くないんだろうけどな」
 今井の言葉に驚いて、曽我が差出人を確認する。
「ほんとだ。これ全部、男からですよ。これじゃ薪さんが機嫌悪いのも無理ないなあ」
 薪はそういう冗談が大嫌いだ。
 たとえ相手の男が本気でも、嫌がらせとしか思わない。自分が他人からどういう風に見えているのか、まるで自覚がないのだ。

「今までも何通かは混じってたみたいだったけど、今日は男からのほうが多かったんだってさ。岡部さんに当り散らしてたよ」
「なんで今日に限って?」
「これのせいだろ」
「うわー、これってこないだの」

 パソコンの画面に、美しい女性の全身を写した写真が載っている。
 ゆるくパーマのかかった亜麻色の長い髪。ブラウンのアイシャドーに彩られた魅惑を湛えた亜麻色の瞳。つややかな赤いくちびる―――― 例のおとり捜査の時の女装姿だ。
 薄いキャミソールが包む上半身はあくまでも華奢で、男のものとは思えない。黒いミニスカートからは、形の良い足がすらりと伸びている。足首は驚くほどに細く、赤いハイヒールがこの上なく似合っている。
 写真は1枚だけではなく、様々なショットがあった。
 正面からのバストショット。魅力的な後姿。端正な横顔。竹内警視と顔を近づけているものまである。
 美しい女性と美形の竹内とはうっとりするほどお似合いで、今にも唇を触れ合わそうとしているかのようだ。後ろに映っている備品から察するに、どうやら捜一に出向いたとき、誰かに隠し撮りされたらしい。

「やばいよ、これ。室長が見たら」
「昨夜のうちに署内メールで配信されてるから、もう見てるんじゃ」
 こそこそと内緒話をしている職員たちの耳に、ガターン!と派手な音が響いた。室長室からだ。続いて薪のヒステリックな叫び声。
「うっ、宇野―――ッ!!!」
「え? 俺?」
 名指しで呼ばれたものの、何の心当たりも無い。
 報告書はすべて承認済みだし、未整理の案件も無い。室長に叱られなければいけないことなどまるで思い当たらなかったが、室長のご指名は自分である。
 慌てて宇野が室長室に入ると、薪は机の前に仁王立ちになっていた。後ろに室長席の重厚な椅子がひっくり返っている。さっきの派手な音は、これが原因らしい。

 薪は自分のノートパソコンを開いて、宇野のほうへ突き出した。例の画像が映っている。どうやら薪のパソコンにも配信があったらしい。
「今すぐこの画像を、署内のすべてのパソコンから削除しろ!」
 今朝の手紙の理由を探っていて、このメールに辿り着いたのだろう。これを知ったショックで椅子を倒したに違いない。
「無理ですよ。そんな」
「おまえ、こういうのは得意だろ!? やれ! 室長命令だ!!」
「署内中のパソコンて、何百台あると思ってるんですか? メール配信されてるんですよ。一台一台削除したって、また配られちゃいますよ」
 最もな言い分である。
 が、頭に血が上っている室長には通じない。自分の恥を署内中にばらまかれて、これではここから一歩も外に出られない。

「じゃあ、僕にどうしろと言うんだ!?」
「別にいいじゃないですか。これが薪さんだと分からない人だってたくさんいますよ。放っとけば、そのうち収まりますって」
 岡部が諭すように大人の意見を述べる。たしかに騒ぎ立てないほうが得策だろうと、宇野も思っていた。
 しかし、当人にとってはそんな悠長な問題ではない。
 いま現在、この画像を見て自分を嗤っている人間がいるかと思うと、はらわたが煮えくり返る薪である。室長のプライドの高さを、2人は失念しているのだ。
「冗談じゃない! これじゃ、廊下も歩けない、捜査会議にも出られないじゃないか!」
 誰がこんな、と言いかけて心当たりがあったらしい。
「竹内のヤロー、ぶちのめしてやる!」

 冤罪である。
 竹内は岡部の後輩だ。こんなセコイ真似はしない。
 やるなら正面から来るだろう。写真を持って当人の前に突き出して、反応を生で楽しむタイプだ。

 室長室に朝のコーヒーを運んできた青木が、パソコンの画面を見て首を傾げる。普段の捜査においても目の付け所が良いこの新人は、何事かに気づいたようだ。
「薪さん、素朴な疑問なんですけど。この写真、カツラ被る前ですよね。捜一でカツラ外しました?」
 青木が指しているのは、亜麻色の短髪の美女がこちらを向き、目を閉じて赤い口唇を小さく開いているなんとも蠱惑的な写真である。これだと髪型が素のままなので、見る人が見れば一発で薪だとわかってしまう。
 まるで恋人の接吻を待つような―――― こんな表情をしていた覚えは当の本人にも無いのだが、写真に残っている以上、どこかでこんな顔をしたのだろう。
 いったい今朝は何人の男がパソコンの画面にキスしたんだろう、とバカなことを考えていたのはきっと青木だけではないはずだ。

「いや。カツラはここで雪子さんにつけてもらって」
 そこで、この事件の犯人は解明した。
「雪子……さん?」
 そう。
 気づいてみれば、これは雪子に化粧をしてもらっていたときの写真だ。だから言われるがままに唇をすぼめて、こんな無防備な表情をしているのだ。

「~~~っ!」
 薪の口から、言葉にならない叫び声があがった。
 いろいろあって、薪は雪子にだけは頭が上がらない。これが雪子以外の人間だったら得意の投げ技を決めるところだが、あいにく雪子は薪より強い。薪の柔道の先生は、実は彼女なのだ。
 相手が雪子では、さすがの薪も泣き寝入りするしかない。
 岡部の進言通り大人しく引き下がるかと思われたが、そこはやはり室長である。粘り強さは優秀な捜査官の条件のひとつなのだ。
 
「宇野。グラフィックを破壊するウイルスを、警視庁と研究所のすべてのPCに送り込め」
「そんなことしたらこれだけじゃなく、すべての画像が壊れちゃいますよ!」
「いいからやれ! これは室長命令だ!」
『伝家の宝刀』というやつである。もともと薪は、言い出したらきかない。
「雪子さんのパソコンが元凶なんだな。ハッキングかけて破壊しろ」
「いいのかな~」

 宇野は大学時代から情報工学を専攻していて、パソコンや機械にはめっぽう強い。そこを見込んで、薪が所轄から第九に引き抜いたのだ。
 所轄ではたいした手柄も立てられなかった宇野だが、適材適所の言葉のままに、第九に来てからはその複雑なシステムを自分の手足のように操って、今では研究室に無くてはならない存在になっている。
 しかし、こんなことまでさせられるとは思っていなかった。これはれっきとした犯罪である。もしもバレたら、薪ともども懲戒免職だ。ウイルスの出処が発覚しないように、幾重にもガードをかけなくては。
 ぶつぶつ言いながらも、やはり薪には逆らえない宇野である。上司であり一番尊敬する捜査官でもある。少々性格に難はあるが、宇野は薪のことが好きだった。第九にいるものはみんな同じ気持ちだと思う。その気持ちがなければ、このひとの厳しさにはついていけない。

 署内の全職員のパソコンが一斉に落ちて初期状態に戻ったのは、それから2時間後のことであった。




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宴の始末(2)

宴の始末(2)







 問題のメールは、復旧したどのパソコンにも残っていなかった。時間指定のプログラムを組んだのだろう、昨夜のメールにポイントを絞って、破壊工作は最小限に、しかし完璧に遂行された。

 警察のシステムに外部から侵入されたこと自体は大問題である。が、データの被害が特定のメールに限られていたことから、業務にはほとんど支障をきたさなかったこと、送られてきたウイルスが海外のサーバーをいくつも経由しているため発信元を特定するのはかなり困難であることなどから、上層部はこの件に関してあまり躍起にならなかった。
 とはいえ、何らかの対策は講じなければならない。
 そこで優秀なシステムエンジニア集団でもある第九で、新しいハッキング防止のプログラムを組むことになった。いつもなら本来の職務以外に携わることを嫌う薪だが、この日ばかりは何か思うところがあったらしく、所長の田城からの依頼を素直に受け入れた。

「カンベンしてくださいよ、三好先生。これ以上、室長の神経逆撫でしないでください。被害を受けるのはこっちなんですから」
 青木は勧められた椅子に座りもせず、立ったまま上から雪子を睨みつけた。
「あら。なんのことかしら」
 しゃあしゃあと言ってのける。まったく困った先生だ。
「もうネタはあがってるんですよ」
 いつもはおとなしい青木が、今日ばかりは険のある目で雪子を見る。1枚の解剖所見取得依頼書を雪子の前に突きつけて、青木は言い募った。
 
「こんなのメールで済むのに、わざわざオレに頼むなんておかしいでしょ。薪さん、きっと自分では言えないからオレをここへ寄越したんですよ。
 あのプライドの高い人が、いくら捜査のためとはいえあんな格好させられて、しかもあんなひどい目に遭って。もう思い出したくないはずです。二度とこんなことしたら、今度はオレが許しませんよ」
 大切な人を傷つけられて、そのひとのために憤慨する。若さゆえのその真っ直ぐな怒りを、雪子は好ましく思う。
 いずれこの子は、薪に必要なひとになる―――― こういったことで雪子の勘は、今まで外れたことがなかった。

「ふーん。じゃあこれ、いらないんだ」
 白衣のポケットから小さな黒いカードを取り出して、青木の目の前でひらひらと振って見せる。デジカメ用のSDカードだ。
「え? それって」
「そんなに怒ってるんじゃ仕方ないわよね。消しちゃおうっと」
 ノートパソコンに差し込んで、マウスを右クリックする。削除の項目を選んで消去しようとした雪子の手首を、青木の大きな手が掴んだ。
「いや、ちょっとあの」

 青木の心の中で、天使と悪魔が戦っているらしい。
 しかしこういう場合、戦いが始まった時点で9割方悪魔の勝利が決まっているものだ。正しいことを選べるだけの分別が持てる状態なら、初めから人は葛藤などしない。
 
「天外天のランチで手を打つけど?」
「……はい」
 一回りも年の離れた新米捜査官の意見を翻させることなど朝飯前だ。しかも自分は、彼の一番の弱点を握っている。
「ごちそうさま」
 雪子は笑いながら、コピーの項目をクリックした。




*****





 宇野の知識と迅速な対応のおかげで、第九に平穏が戻っていた。
 薪はいつもの冷静な室長の貌を取り戻し、職員たちは新しい事件の捜査にかかっている。

 今度の案件は、既に被疑者が死亡しており他に被害が及ぶ怖れはない。
 こういう捜査では、薪は滅多に口を出さない。部下の実力を伸ばすためにも、一から十まで自分が指示を出す必要はない、と考えているらしい。
 もちろん進捗状況は見て、アドバイスもしてくれる。大事なところを見落としているときには厳しい叱責が飛ぶ。書類を投げつけられたり、ネクタイを掴まれて至近距離で怒鳴りつけられたり、それはもう、めちゃめちゃこわい。
 その代わり良い手がかりを見つけたら、必ず褒めてくれる。
 その褒め言葉が「よくやった」とたった一言でも、そこに室長の希少な微笑がついてくるとあれば、職員のモチベーションは上がる。ひとは褒めて伸ばせとはよく言ったものだ。

 今回の視覚者の脳には幾ばくかの欠損箇所があり、その修正にはいくらか時間がかかりそうだった。画像修正ができるまでの間、薪は室長室で他の事件の報告書に目を通すことにした。

 報告書にもそれぞれ、人となりが表れるものだ。
 宇野の報告書はエンジニアらしく、数字のデータを引き合いに出すことが多い。岡部のものは逆に、動機や心理状態を綿密に記載している。文章を書くことが得意な小池は、言葉の選び方が的確で、散文的な報告書の記述の中にもセンスが光る。

「へえ。うまくなったじゃないか」
 青木の報告書を見て、薪は少しびっくりする。
 まだ第九に来て1年目なのに、ベテランの職員と比べても遜色が無い。
 なにより読む人の立場に立った説明の組み立て方が良い。文章は小池のように流麗ではないが、平易で読みやすい。写真や略図の配置のセンスもいいし、専門家の意見の参照なども取り入れて、実のある内容になっている。

 そういえば、と薪は思い出す。
 この前の事件のときは、青木の前で随分と醜態を晒してしまった。
 人前で泣くことなんて滅多にないのに―――― 待てよ。その前もたしか給湯室で……。
 なんであいつの前では、涙を堪えることができなくなってしまうんだろう。先日の事件のときはドラックの作用もあっただろうが、それよりも。

 あいつが鈴木に似てるからか。

 思い当たる理由はそれしかない。青木には迷惑な話だろう。
 気をつけないと、と薪は自分に言い聞かせる。

 鈴木の代わりなんか、いない。
 鈴木より愛せる人など、どこにもいない。
 今までも、これからも……僕には彼しか見えない。
 それは当然のことだ。僕が彼を殺したのだから。彼のすべてを奪ったのだから。他の人を見て良い道理がない。

 追憶に埋もれそうになる思考を無理やり引き戻して、薪は首を振った。強い自制心が、薪を再び仕事へと向かわせる。

「室長、画像の修正できました。お願いします」
「わかった。いま行く」
 報告書の閲覧を切り上げて、薪はモニタールームへ向かう。
 その瞳に先刻の感傷は、影も形も無かった。


 ―了―




(2008.8)


テーマ : 二次創作(BL)
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宴の不始末

 ここまでお付き合いくださったみなさまに、心からお礼申し上げます。

 このお話はワードで書いてたんですけど、これまでのページ数のトータルが206ページ。
 一番長かったのはジンクスで、58Pもあったんです。いくらなんでも長すぎ。(自爆)
 読んでくださる方がいらっしゃるとは思わずにUPして参りました。にも関わらす、拍手もコメントもたくさんいただいて、身にあまる光栄です。

 こんな偏った薪さんを受け入れていただけるかどうか、とても不安だったのですが、やはり薪さんファンの方は人格者が揃っていらっしゃるようで。大人の目線で見てくださっているのですね。
 本人、かなりびびってました。
 オフタイムの「女なんかやっちゃえば」とか、室長の災難の「××の穴のひとつやふたつ」とか。
 みなさん、スルーしてくださったみたいで。青木の淫夢についても突っ込み入れられなかったし。(それはそれで寂しい……)
 ご承認いただいたものと勝手に解釈して、これからますますエスカレート、いえいえ、自主規制いたします。

 ここで、1部はおしまいです。
 これから2部に入ります。
 1部は割と明るめなんですけど、2部に入ると暗くてイタイ話もでてきます。
 でも、基本はギャグで、あおまきラブなので、そこだけは安心してください。
 薪さんのオヤジ化&お子ちゃま化は激しくなりますので、ご注意を。


 まだ先は長いですが、お付き合いいただけたら幸いです。



テーマ : ヒトリゴト
ジャンル : 小説・文学

告(1)

 青木くん、告ります。
 応援よろしくお願いします。





告(1)






 第九の仕事にも波はある。
 MRI捜査が必要な凶悪犯罪が立て続けに起こったときなどは、睡眠時間を削ってモニターを見続けるので、みな一様に目が血走って修羅場のような状態になる。冷たいおしぼりと目薬、それとアン○ルツはこの研究室では必需品だ。
 画像を停止したり拡大したりの作業はすべてマウスで行われるため、右の肩はガチガチに固くなる。長い時間MRIの操作をしていると首の後ろがちりちりしてきて、まるで車酔いでもしたかのような感覚になる。第九の職員のほとんどが、慢性の肩こりに悩まされている。
 一転、普通の事件しか起きず、捜一の活動だけで順調に犯人が検挙されていくときもある。
 そんなときは以前の事件の報告書を整理したり、システムのテストをしたりして、わりと普通の会社のようなルーティンワークになる。定刻に帰れるし、溜まった有給休暇を消費したりして人並みの生活ができるのだ。
 ただ、それはたいてい長く続かない。短い休暇というやつだ。

「はい。はい。じゃ、6時に」
 あの囮捜査の一件以来、急に第九に協力的になった竹内警視の計らいで、MRI捜査を必要とする適正な事件以外の雑用はあまり第九に来ないようになった。

 昨年の夏に起こった不幸な事件のせいで第九の立場は非常に悪いものとなり、これまでは他の部署から様々な雑用を押し付けられることが多々あった。普通の事件の資料作成や押収品の突合せ作業など、本来の仕事以外のことも手伝わされたりしていたのだ。
 その度に薪が食ってかかっていたのだが、相手が竹内あたりならともかく、所長の田城がそれを引き受けてしまうと立場上断るわけにもいかない。田城としては第九と警視庁の関係を少しでも改善しようとしてのことなのだろうが、薪の考え方とは正反対だ。
 第九の失地回復は実績で勝負する。薪はそう心に決めている。
 しかし、実際に預かってきてしまった仕事を返すこともできない。今度は所長の立場がまずくなるからだ。
 結局、引き受ける羽目になる。
 ぎりぎりと歯噛みをしながら、室長自ら雑務を片付けているのを、第九の職員たちは何度も見ている。
 手伝います、と声を掛けても「これはおまえたちの仕事じゃない」と言って抱え込んでしまう。そんなときは腹心の部下、岡部の出番だ。半ば奪うようにして、薪の手から資料を捥ぎ取ってくる。
 エリート集団の第九のこと、普通のPCで作れる資料など、取り掛かれば他の部署の半分の時間で作り上げる。もともと難しい仕事ではないのだ。
 しかし、そんな部下たちを見て、薪は少しだけしょげた顔になる。自分の不甲斐なさのせいで部下に余計な仕事をさせている―――― そんな風に思ってしまうらしい。そういう室長の自責の強さを、職員たちはみな心配している。

「いえ、そちらまでお迎えにあがります。よろしくお願いします」
 いまの第九は短い休暇中だ。
 急ぎの案件もなく、こうしてアフターの約束もできる。
 青木は携帯電話を切り、報告書の束をデスクの上できちんと揃えた。昼休みの時間を利用して今日の提出分の作業を進め、定時退室を確実なものにする作戦だ。
 他の職員たちものんびりしている。システムの自動バックアップの具合を見ながら、今日はどこかへ飲みに行こうか、などと話している。
 
「青木、おまえもいくか?」
「すいません。オレ、先約あるんで」
「女か?」
「ええ、まあ一応。でも、そういうんじゃ」
「三好先生か?」
 相手の名前を出されて、根が正直な青木はびっくりしてしまう。この先輩たちはいつの間にかいろいろな情報を仕入れていて、青木の行動はすべてお見通しのようだ。
 
「はあ。……あの、薪さんには内緒にしてください」
「なんで。内緒にしなきゃならないようなこと、するつもりなのか?」
「まあ、ことと次第によっては」
「おまえの趣味も変わってるよな」
「いや、ですからそんなんじゃ」
 誤解を受けているようだが、本当のことを話すわけにもいかない。曖昧に言葉を濁してその場を離れる。
 雪子に会う目的は、彼女自身にあるわけではない。それは彼女もよく分かっている。青木に下心があるようなら、彼女は誘いになどのってはこない。

 雪子は、青木の気持ちを知るたった一人の人物だった。
 まだ誰も知らない、秘められた想い。

 その人の姿を目で追うようになって、どのくらいたった頃だろう。雪子は女らしい鋭さで、青木の恋情を見抜いた。
『薪くんのことが好きなんでしょう』
 ずばりと言い当てられて狼狽えたものの、雪子は誰にもそれを喋らなかった。
 女とは思えない口の固さである。そればかりか薪の大学時代からの友人でありライバルでもある彼女は、青木にさまざまな助言をしてくれたのだ。

 最近起きた事件のせいで、青木は薪に自分の気持ちを知ってもらいたいと強く思うようになった。それは青木の脳裏に焼きついて離れない、一枚の写真に起因するものだ。
 あの写真を見つけたとき、薪の意中のひととはかつての親友ではないかと直感した青木だったが、その予想は的中した。先月のおとり捜査の際、ドラックで正気を失った薪がとった行動がそれを証明した。

 薪は、未だに死んだ鈴木のことを想っている。
 だが、死んだ人間相手にどれだけ愛を語ろうと、それは無駄というものだ。鈴木を忘れろとまでは言わないが、薪には現実に生きている人間に目を向けて欲しい。現実にも薪を愛しく思っている人間が存在していることを知ってほしい。
 薪に自分の気持ちを伝えたい。今日はそのための作戦会議なのだ。協力してくれる友人のために、食事くらい奢るのは当たり前だ。

 好きだ、と言ったら、あのひとはどんな顔をするだろう。

 困った顔をするか、からかうなと怒るか、本気だと分かってもらうにはどうしたらいいのか。
 告白のシチュエーションをいくつも思い描いて、青木は自然に微笑んでいた。


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告(2)

告(2)







 定刻、15分前。
 岡部が段ボール箱を抱えて、青木のデスクにやってくる。
「青木、これやっといてくれ」
 中を開けてみると、ぎっしりと書類やらCDやらが詰まっている。すべて過去の事件の捜査資料だ。
 実は第九のスパコンは、2年前にシステム移行している。その為それより前に起きた事件の資料は、こういう時間に余裕のあるときに新しいシステムに入力して、データベース化しておく必要があるのだ。
 「これ、今日じゃなきゃ駄目ですか?」
「べつにかまわんが」
 岡部が少し不思議そうに青木を見る。
「めずらしいな。なにか予定でもあるのか?」

 春ぐらいから、青木はいつも遅くまで残って、自主訓練をしているのが当たり前のようになっていた。
 自己研鑽の方法は限りなくあるが、MRI操作の練習をしたり専門書を読んだり過去の事件資料に目を通したりと、研究室にいなければできないことが多いため、居残りのような形になっている。
 早く一人前になりたいという気持ちが青木にその努力を続けさせている、と先輩たちは思っていたが、青木にはもっと大きな理由があった。
 例え急ぎの案件がなくても8時頃まではここにいる仕事熱心な誰かと、ふたりきりになれるチャンスだからだ。
 ふたりきりと言っても、青木はモニタールームで、薪は室長室。間には薄いが、堅固な壁がある。
 しかしそこにはドアというものがあって、薪のところへ顔を出すことも時には可能だ。美味いコーヒーを飲みたくなった薪が、青木のほうに来ることもある。そんなときには青木の学習の進み具合を見てくれたりもする。青木としてはこのささやかな幸せを心の支えにして、難解なMRIシステムの専門書に取り組んでいるのだ。

「ええ、ちょっと」
「青木の奴、三好先生とデートなんですよ」
 曽我が、人懐こい笑顔でさらりと暴露する。
 たしかに、室長には内緒にしてくれと言ったが岡部にまで喋るなとは言ってない。
 だが。
 岡部の目が青木を見た。むっつりと黙り込む。
「今日中にやっとけ」
 ……ひどいです、岡部さん。

 作戦会議の日時変更を雪子に伝えるため、青木は携帯電話を取り出した。


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告(3)

告(3)






『青木の奴、三好先生とデートなんですよ』
 モニタールームから、曽我の声が聞こえた。
 薪の手が、一瞬こわばる。あやうく書類を取り落としそうになった。

 なぜか、不意に報告書の内容が理解できなくなる。
 胸がざわついて、息苦しい。

 前々から気付いてはいたのだ。
 なんだかんだと理由をつけて、青木はしょっちゅう雪子の所に行きたがる。解剖所見を取りにいくのも、いつも青木の役目だ。
 青木は鈴木の脳を見ている。鈴木の脳内に残っていたであろう雪子を見ているのだ。惹かれるのも無理はない。雪子にしてみても、少し年は離れているが、鈴木の面影を残す青木のことを憎からず思っているに違いない。近頃のふたりの様子を見ていれば、だれにでも察しがつくことだ。
 だいたい、自分は雪子を託す男として、青木のことを候補に入れていたはずだ。
 忙しさに取り紛れて忘れていたのか、それとも鈴木に似ている青木を雪子に取られるのが嫌になって、わざと忘れた振りをしていたのか。後者だとしたら……また雪子に頭が上がらなくなってしまう。

 椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見上げる。なんだか書類が見たくない。
 机の一番下の引き出しから、眠るときの必需品である本を取り出す。中を開けると、一枚の写真が出てくる。

 親友の笑顔。
 自分が殺した―――― 自分が雪子から永遠に奪った、その笑顔。

 雪子には幸せになって欲しい。きっと鈴木もそれを望んでいる。

「よかったな、鈴木。雪子さんに恋人ができたぞ」
 頬杖をついて背中を丸め、写真に話しかける。ちいさな声。
「青木はまだ若くて頼りないがいい奴だ。きっと雪子さんを幸せにしてくれる」
 写真の笑顔はほっとしたようにも見えるし、いくらか寂しそうにも見える。
「これで安心だろ。後は僕がそっちに行くまでもう少し待ってろ。そっちに行ったら……何回でもおまえに殺されてやるから」
 そう呟いて自虐的に微笑むと、薪は写真を元通りにしまいこみ、仕事に戻った。散逸しようとする意識を必死に掻き集めて。



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告(4)

告(4)







 岡部が持ってきた大量の書類は、いくら処理をしても減らないように思えた。
 書類の内容をそのまま打ち込むだけだから、難しい仕事ではない。ただ、量が半端ではなかった。オペレーターに任せられればいいのだが、内容の秘密保持に特別な配慮を要する第九の資料である。部外者には見せられないのが現実だ。やはりこれは、一番下っ端の青木の仕事である。
 あれから2時間あまり。時刻は8時を回っている。
 そろそろ夜食の買出しに行くか、と青木が思っていると、室長室から薪が出てきた。
 青木の顔を見て、ひどく驚いた表情をしている。モニタールームに人がいるとは思わなかったようだ。

「おまえ、なんで残ってるんだ?」
 こちらへ歩いてくる。鞄を持っているところを見ると、自宅へ帰るらしい。
「岡部さんに頼まれました」
 青木の後ろに回って、パソコンの画面を覗き込む。内容を見て取ると、ますます不思議そうな顔になった。
 本人は自覚していないようだが、不意を衝かれた時や驚いたとき、薪はとても幼い貌になる。
 目が大きく開いて、唇は少しすぼまる。とっさのことに冷徹な仮面が外れて素顔がのぞく感じだ。
 いつもは一直線に吊り上がった眉が、大きな目にあわせてやさしいカーブを描く。たったそれだけで、こんなにもかわいらしい印象に変わる。青木の大好きな表情のひとつだ。

「岡部には僕が言っておくから、早く帰れ。これは急ぎの仕事じゃない」
「でも」
「だれか、待たせてるんじゃないのか」
 いつの間にかばれていたらしい。この上司には何事も隠せないようだ。
「大丈夫です。相手には連絡を入れましたから」
 青木は正直に言った。
「それに、昔の捜査資料を読むことはいい勉強になります。岡部さんに言われたから、嫌々やってるわけじゃありません」
 仕事の進捗度は2時間かかってやっと3分の1。終了予定時刻は、午前1時といったところか。先刻の薪の可愛い顔をエネルギー源にして、今夜は頑張るしかない。
 が、薪は意外なことを言い出した。
「貸せ。僕が手伝ってやる」

 薪は床に鞄を降ろすと、机の上の書類の束を手に取った。
 隣のデスクに着き、机上のパソコンを立ち上げる。IDを打ち込んでシステムにアクセスする。
「そんな、けっこうです。それこそ岡部さんに怒られます」
「いいから貸せ」
 薪は強引に手を伸ばすと、積み上げられた書類の約半分を自分の机に運んだ。オペレーション用の原稿立てにセットすると、ものすごい速さで打ち込み始める。
「はや……」
 青木もパソコン歴は長いから、タイピングの腕にはそこそこ自信があるが、薪の速さは神がかり的だ。自分の3倍は速い。
 青木の度肝を抜かれた様子をちらりと見て、薪はいつもの少し意地悪な微笑を浮かべた。
「身長以外で、おまえが僕に勝てることがあるとでも思うか?僕がおまえの何倍生きてると思ってるんだ」
 ……倍は生きてません。
 しかし、社会人になってからの年数なら確かに10倍以上だ。自分はまだ薪にとってはヒヨコに過ぎない。少しでも薪の負担を和らげたいといつも願っているのに、実際は逆に助けてもらうことばかりだ。それがくやしい。

「薪さん、おなか空きません? 夜食買ってきましょうか」
「ああ」
「何がいいですか?」
「なんでも」
 そう言われると迷ってしまう。
 しかし、近くのコンビニで買えるものなどたかが知れている。薪の好みそうなシンプルなサンドイッチ。自分用にはおかかとシャケのおむすび。青木の予想に反して、薪が選んだのはおかかのおむすびだった。
 薪のリクエストを受けて、コーヒーを淹れる。
 今日はモカのストレート。ミルクも砂糖も入れない。コーヒーだけは薪の好みを覚えた。それを夜なので、少し薄めに淹れて差し出す。

 青木がコンビニに走っているうちに、薪は自分の机に運んだ分の仕事をあらかた終えていた。給湯室でコーヒーを淹れている間に、今度は青木の机の書類に手を伸ばす。信じられない速さだ。
 目はパソコンの画面を見たまま、片手はキーボードを叩きながら、薪は器用におむすびを食べてコーヒーを飲む。食べる間くらい休めばいいのに、と思うがいつも室長はこの調子である。ゆっくり食事を摂っている姿など、あまり見たことがない。
 薪のおかげで終了時刻は大幅に早まった。10時前にはすべての打ち込みを終えて、システムの電源は落とされた。
 
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
 青木が礼を言うと、薪は腕時計に目を落とし、少しためらってから顔を上げた。
「食事はムリでも、酒には誘える時間だ」
「え? いいんですか?」
 思いもかけない薪からの誘いに、青木は満面の笑顔になる。書類のお礼に奢ります、と言うと何故か怒られた。
「僕を誘ってどうするんだ。雪子さんだ。彼女は夜型だから、きっとまだ起きてる」
「え……いや、べつに三好先生はどうでもいいです」
「どうでもいいって、おまえ」
「三好先生とは、明日の昼に会うことになってますから。それより室長、本当に何かお礼をさせてください」
 青木が何軒かの店の名前を挙げると、にべもなく断られた。
「僕は騒がしいところは嫌いだ」
「じゃ、静かなバーかどこか」
「帰って寝ろ」
 冷たく言い捨てて、薪は鞄を取り上げた。セキュリティーのボタンを押して、研究室を後にする。

 2人で廊下を歩く。薪は一言も喋らない。
 普段からそれほど口数の多いほうではない。捜査会議のときはとても流暢に喋るが、無駄口は叩かないのが薪の仕事のスタイルだ。

「僕への礼なら、仕事で返せ。早く一人前になるんだな」
 玄関口で別れるときに、そう言われた。家まで送らせてもくれない。
 相手にされてない―――― きっぱりとした拒絶を湛える細い背中を見送って、青木は大きなため息をついた。


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「うーん。難攻不落ってカンジね、それ」
 作戦会議は、次の日のランチタイムに行われた。場所は研究所の近くのハンバーガーショップである。
 協力してもらうのだから、もう少し値の張るものでも良かったのだが、この店を選んだのは雪子だ。ここのオリジナルソースがおいしいのよ、と彼女は気さくな笑みを見せた。まだ社会人1年生の青木の懐具合を考慮して、わざとそうしてくれたのだろう。さりげない気遣いができるところは、さすがに大人の女性だ。

「そうなんですよ。相手にされてないって言うか」
 声のトーンを落として、雪子は青木にだけ聞こえるように喋る。話の内容が内容だからだ。
「ま、そうでしょうね。薪くんて別に、ゲイじゃないから」
「だってこの前の事件のとき、クスリのせいとはいえあんな。とても経験がないとは思えませんでしたよ。それにその……」
 鈴木との過去にそういうことがあったらしい、と教えてくれたのは雪子本人である。
 雪子と鈴木が付き合い始める前のことだというから、10年以上も昔の話だ。しかし、薪は鈴木への思いをずいぶん長いこと引きずっていたようだった、と雪子は語った。
 
「克洋くんは特別。ていうか、克洋くん以外の人間は、男も女も眼中にないって感じ?」
 それは薪自身が、とびきり優秀な人間であるからだろうか。
 東大の法学部を首席で卒業。警察庁に入り、6ヶ月間の警察大学を経て捜査一課に配属されると、それまで迷宮入りとされてきた難事件を次々と解決して、エリート街道を驀進。27才のとき異例の早さで警視正に昇任。2年後に発足した第九の室長に任命されて現在に至る。
 観察眼の鋭さと洞察力、総合的な推理能力は天才とまで称される。
 見た目は華奢だが、鍛錬はしている。空手と柔道はともに2段の腕前。相手が3人くらいなら余裕で倒せる。そのうえあの容姿。普通の人間に魅力を感じないのも、仕方ないかもしれない。
 その薪が一番信頼し、恋までしていた相手が、雪子のかつての婚約者だった。

「鈴木さんて、すごいひとだったんですね」
「どうかなあ。わりと普通だったと思うけど。薪くんが人並み外れてたから、そばにいる克洋くんが普通に見えたのかもしれない。でも、とにかくあったかい人だったの。一緒にいると、すごく安らげるの。薪くんもきっとそういうところに惹かれてたんじゃないのかしら。
 ま、克洋くんはあたしにゾッコンだったけどね」
「薪剛に勝った女、ですか」
「他のことは何ひとつ敵わなかったけどね。薪くん、きれい好きだし料理もうまいし。克洋くんがよく冗談で『雪子じゃなくて薪を嫁にもらう』って言ってたけど、マジでシャレにならないわよ」
 本当に「できないことなどない」のだ。これでは自分が相手にされないのも無理はない。
 
「オレ、自信ないです。大学は一応薪さんの後輩ですけど、そんなに成績良くなかったし。仕事もまだまだ半人前で、あの人の足引っ張ってばかりだし。やっぱりオレには『高嶺の花』ですよねえ」
「そう思って告れない人、多いと思うわよ。でも薪くんが望んでるのって、仕事ができるとか頭がいいとか、そういうことじゃないわよ、きっと。
 ほら、人って自分にないものを求めるじゃない? 薪くんに無くてあなたにあるものって、なんだと思う?」
 薪にはできないが、自分にはできるもの――― そんなものがあるのだろうか。

 ひとつだけ確実に勝てるとすれば。
「身長?」

 やっぱりダメかも―――― 青木の答えに、雪子は思い切り脱力して大きく嘆息した。


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告(7)

告(7)







 昼休みの間に、薪は街に出ていた。
 右手に、電気店の買い物袋をぶら下げている。中には仕事で使うCDが500枚ほど入っている。
 もちろん、買出しなどは室長の仕事ではない。が、ここのところずっとデスクワークばかりだったので、少し外の空気に当たりたいと言って出て来たのだ。買い物は、そのついでである。
 いつの間にか、秋もすっかり深まったようだ。
 銀杏並木も鮮やかな黄色に色づいて、薪の目を楽しませる。秋風が冷たいが、普段室内にこもってばかりいる身には快い刺激だ。道行く人々のように身を縮込めたりせず、ゆっくり歩いて職場へ戻る。

 あと100mほどで研究所の敷地に入るというところで、薪は足を止めた。

 ガラス張りの店の中で、顔見知りの男女がハンバーガーを食べている。顔を近くに寄せ合って、いかにも親密そうだ。
 赤く縁取られた唇が動いて、何事か男に耳打ちした。男はびっくりしたような顔をするが、すぐに笑顔になる。なにやらしきりに納得して頷いている様子だ。
 別に珍しい光景ではない。ただ男女で話をしているだけだ。キスをしているわけでも、抱き合っているわけでもない。
 しかし、何故か足が動かない。
 冷たい風の中で、立ち竦むことしかできない。
 時刻はもうすぐ1時を回る。午後の仕事が始まる時間だ。このCDがなくては困るだろう。
 ――― でも、動けない。

 携帯電話の呼び出し音で、薪は我に返った。
 着信画面を見る。岡部からだ。薪の帰りが遅いのを心配してかけてきたのだろう。
「薪だ。あと3分で着く」
 いいタイミングだ。おかげでわけの分からない呪縛が解けた。

 電話の向こうで、岡部がアイスを買いに行くが食べますか、と聞いてくる。
「え? アイスクリーム?……パシリか、僕は」
 わざと聞き違えた振りをして、絡んでみる。岡部の慌てる様子がおもしろい。
「はは。いい、出たついでだ。僕が買ってくる」
 ご注文は? とおどけると、室長にそんなことさせられません、と真面目な答えが返ってくる。
「じゃ、適当に買って帰るぞ」
 相手の返事を待たずに電話を切る。今頃青くなっているだろう。
 生真面目な部下の姿を想像して、薪はくすりと笑い、もう一度店の中を見た。

 相変わらず楽しそうに話す2人。
 だが、今度は大丈夫だ。さっきのおかしな感覚は襲ってこない。

「女性を誘うのに、ハンバーガーはないだろう、青木」
 後で女性の口説き方を教えてやらなくては、と余計な老婆心を携えて、薪は向かいのアイスクリームショップに入っていった。


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告(8)

告(8)






「とりあえずは、デートに誘ってみたら?」
 雪子のアドバイスは続いている。
 何のかんのと言って面倒見のよい彼女は、この若い捜査官を放っておけない。彼が少し、鈴木に似ているせいかもしれない。が、本心は『おもしろそうだから』だ。

「昨日手伝ってもらったお礼に、何かご馳走したいとは思ってるんですけど」
「薪くんの好みは知ってる?」
「フランス料理に赤ワイン、てカンジですよね」
 ブブー、と雪子は胸の前に指でバツマークを作って見せた。
「薪くんの好みは日本食よ。パンよりごはん、パスタより蕎麦。ワインより日本酒よ」
 似合わない。が、雪子が言うのだから本当なのだろう。そういえば昨日は、おかかのおむすびを食べていた。

「克洋くんがよく言ってたわ。薪くんは見た目と中身のギャップが大きいって。自分がどういう風に人から見えるのか、分かってないからだって」
「じゃ、寿司屋ですかね。騒がしいところは嫌いだって言ってましたから、居酒屋とかは避けたほうがいいですよね。三好先生たちとは、どんなお店に行ってたんですか?」
「ん~、たいていは薪くんの家で飲んでたわね、あの頃は。薪くんが料理を作って、あたしと克洋くんは食べるの専門。美味しかったなあ、薪くんの手料理」
 本当に何でもできるひとだ。
 青木も自炊はしているが、人に食べさせるほどの腕はない。それに、まだひとりで自宅を訪ねるほど、親しくなっていない。

「薪くんの好物は、お刺身かな。白身の淡白な魚。平目とか、鯛とか」
「それから?」
「お酒は冷酒ね。吟醸酒みたいなやつ。口当たりのいいのをガンガン飲ませると、面白いことになるわよ」
「酒癖が悪いんですか?」
「やってみればわかるわよ。でも、2人きりのときにしなさいね。周りに迷惑だから」
 なんだか詳細を訊くのが怖いような気がする。

「あ、それと。これはとっておきのネタ」
 そういって、雪子は青木の耳元に唇を寄せる。小さな囁き声。
「薪くんの性感帯。ここ攻めれば一発だから」
 それはぜひ聞きたい。

 今までも雪子は、薪に関する様々な情報を青木に提供してくれた。
 背が低いことを気にしていること。女みたいな顔をからかわれるのが大嫌いなこと。(自分では充分男らしいと信じている) 色の好み、服の好み、好きな作家―――― 他愛もないことだが、薪のことなら何でも知りたい。

 薪に憧れて、第九に入ってきたのだ。
 憧れはすぐに尊敬に変わった。傍で仕事をすればするほど、薪の凄さが分かる。畏怖と憧憬―――― 気がつけば、彼の後ばかり追うようになっていた。
 真摯な態度で事件に取り組む凛々しい姿に心を奪われる。決して妥協しない、真実を探る瞳。どんな画像にも顔色ひとつ変えない、見かけによらない豪胆さ。
 氷の室長などと噂されているが、実際はそうでもない。ときおり垣間見せる激情家の片鱗は、強い正義感に裏打ちされている。平和な社会を創るため、第九を、自分についてきてくれる部下たちを守るため、自分のすべてを捧げる―――― その潔さが好きだ。

 雪子には、感謝している。
 出会ってすぐに青木の気持ちを見抜いた彼女は、なにかと相談に乗ってくれる。頼りになる姉のような存在だ。

「じゃ、がんばるのよ」
 昼休みが終わりに近づいて、雪子は先に席を立つ。ごちそうさまと手を振って、さっそうと歩いていく。聡明で美しい女性。
 薪と出会っていなかったら、好きになっていたかもしれない。
 しかし、自分の心の中はすでにあのひとのことで一杯だ。他のものが入る余地はない。
「はい。がんばります」
 雪子の後姿に返事を返して、青木はすっかり冷めてしまったハンバーガーを口に放り込んだ。



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告(9)

告(9)






 第九には『お宝画像』と称されるライブラリがある。
 そこには、今までのMRI捜査の中でも群を抜いて難解な画像が保存されている。
『お宝画像』の画は凄まじい。
 戦慄、震撼、畏懼―――― どの言葉も、その画を見たものが受ける衝撃を表現しうるものではない。が、惨い画から目を背けずに隅々まで確認を行わなければ、事件を解決できる手がかりが現れない場合もある。残酷な画に慣れることは、第九の職員には不可欠な鍛錬なのだ。
 青木はもともとスプラッタやホラー映画は苦手である。ここに配属される前は、まさかこんな画ばかりを毎日毎日見続ける羽目になるとは思っていなかった。それでも青木が第九を辞めなかったのは、やはり薪の存在が大きい。

「しっかりしろ、青木! このくらいで吐くな!」
 胃の中身が逆流してきて、青木は慌てて口を押さえた。
 モニターから目を背け、込み上げてくる空えずきが治まるのを待つ。
 イライラした口調で、薪が怒鳴っている。自分の怯儒のために室長を怒らせてしまうのは不本意だが、生理的な現象には逆らえない。

 ……なんでこんなことになったんだろう。

 定刻の10分前に、青木は勇気を振り絞って室長室に出向いた。「昨日のお礼に」と、食事に誘うつもりだった。
 本人を目の前にしてなかなか言い出せずにいると、意外なことに薪のほうから「予定がなければ自分に付き合え」と言われた。
 例えどんな予定があったとしても、薪の誘いを断れるわけがない。どこへでもお供します――― そう答えた。
 そして……この有様である。

「ったく、少しは慣れろ。もうすぐ1年だろう」
 薪のほっそりした手が背中を擦ってくれる。言葉はきついが、本当はとてもやさしい。
「すこし休め」
 モニターの画像を草原の風景写真に切り替え、薪は席を外した。
 青木が吐き気を覚える画にも、薪はまるで平静だ。
 こんなにグロい画を眉ひとつ動かさずに見ることができるなど、薪の繊細な外見からは想像もつかない。しかし、それは鍛錬によるもので、薪の冷酷さの表れではないことを第九の部下たちはみな知っている。
 最初のころは室長もこうだったのかな、と思いながら深呼吸をする。背中にべったりと冷や汗をかいている。息をつめていたせいか、顔が火照る。
 
「大丈夫か。ほら」
 目の前に缶ジュースが差し出される。どうやら外の自販機まで買いに行ってくれたらしい。
 吐き気がするときに冷たい飲み物はうれしいが、申し訳ない。
「すみません、室長。……オレンジジュースですか?」
「コーヒーは嘔吐感を増大させる。こういうときは、ジュースのほうがいいんだ」
 実経験に基づく助言。やはり薪さんも昔は吐いてたんだな、と失礼なあて推量をする。
「言っとくが、僕はお前みたいに吐かなかったぞ」
 見抜かれた。
「僕じゃなくて鈴木が」
 隣の席について、頬杖をつく。くすりと含み笑い。
「よく介抱してやったっけ」
 青木には見せたことのないやさしい瞳。親友のことを思い出すときだけ、薪はこんなやさしい顔になる。
 鈴木さんが羨ましいです――― そんなセリフが、口をついて出そうになる。が、言ったら最後、薪の微笑は消し飛んでしまうだろう。
 だから青木は何も言わない。ただ薪の顔を見つめている。

「落ち着いたか?じゃ、次だ」
 ……まだやるんですか。

 次の映像はスプラッタではなかった。ホラー映画の方である。
 幽霊やわけのわからない妖怪が、ばんばん出てくる。視覚者は幻覚に取り付かれていたらしい。
 現実のような幻覚に、青木はごくりと生唾を飲み込んだ。さっきかいた冷や汗のせいか、背中がひどく寒い。
 部屋の隅の暗がりが、もぞりと動いたような気がする。
 マウスを操る手がこわばって、うまく動かせない。暗闇にはなにか禍々しいものが隠れていて、ちょっとでも油断したら襲い掛かってきそうだ。
「いいか。この幻覚だらけの画のポイントは、そのルーツを探ることだ。日常、眼にするものから幻覚は生み出される。つまり視覚者はこのとき、幻覚の元になる何かを見ていたということだ。そこにこの事件の鍵がある。想像力を働かせろ。たとえばこの目玉の塊は……」
 せっかく室長自ら講義をしてくれているのに、話の半分も頭に入ってこない。視覚者の恐ろしい気持ちが伝染してきて、呼吸が苦しくなる。

 青木の様子を見て取って、薪が軽く舌打ちする。
 期待に応えたい。駄目な奴だと思われたくない。いつもそう願っているのに、現実は厳しい。

「仕方ないな」
 ため息混じりの薪の声。うなだれる青木の左肩に、す、と細いあごがのせられた。
 間近に、薪のきれいな横顔。
 すっきり通った鼻筋と、意志の強そうなきりりとした眉。長い睫に縁取られた大きな眼は、真っ直ぐにモニターに向けられている。
 華奢な両腕が前に回され、背後から抱きしめられる。薪の体温が伝わってきて、寒さが薄らいでいく。

「ほら、怖くなくなっただろう?」
 マウスに置かれた青木の右手の上に、小さなやさしい手が重ねられる。涼しげな室長のイメージとは違って、意外なほどに温かい。
「僕がついてる。おまえのことは、僕が守ってやる。だから、頑張れ」
「……はい」
 本来なら、自分のほうが守護者でありたい。いかにも冷徹な上司の顔をして、意外に脆いところのあるこのひとを守ってあげたい。
 だが、薪は自分よりはるかに大人だ。

 しかし、こう密着されては別の意味で集中できない……。
 青木の複雑な胸中を露ほども知らず、薪の講義は深夜まで続いた。




*****

 なかなか告らなくってすみません、イライラさせてすみません。
 もうちょっとだけ、お付き合いください。

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告(10)

告(10)






「薪さんに特訓受けてるんだって?」
 揶揄するような口調で、小池が話しかけてきた。まったく、ここの先輩たちは本当に情報が早い。
「ほんと、おまえは薪さんに気に入られてるよな」
「そういうんじゃないです。オレがあんまり出来が悪いから」
 訓練の間は怒られてばかりで、とてもそんなふうには思えない。室長と自分の実力の差をはっきりと思い知らされて、落ち込む日々が続いている。相手が薪でなかったら、とっくに逃げ出しているところだ。
 
「そんなことないだろ。おまえは着眼点がいいし、粘り強さもある。薪さんはおまえに期待してるんだよ。そりゃ、おまえは少し不器用で機械操作はいまいちだけど、経験をつめばもっとうまくなるさ。それより」
 一旦言葉を切って、小池はためらいがちに言う。
「薪さんが心配してるのは、おまえが視覚者や被害者に感情移入しすぎるってことだろ。MRIってのは、視覚者の主観に沿った画像なんだ。事実とは違うこともある。偏った状況証拠みたいなもんだ。そこから真実を見極めるのが大切なんだよ」
 少々皮肉屋ではあるが、小池は良き先輩だった。青木の良いところ足りないところをきちんと把握した上で、的確なアドバイスをくれる。
「室長の目は特別だ。どんな小さな情報も見逃さない。たった5分のMRIで、犯人を突き止めてしまったこともある」
 そんな凄い人がつきっきりで教えてくれるんだから、感謝しろよ―――― そう言った小池の口調には、明らかな羨望が現れていた。
 普段はわりと薪に対して辛辣な陰口を叩いている小池だが、本当のところは薪に憧れている。そうでなければ、唯我独尊を地で行く室長の部下ではいられない。

 時間外の訓練も今日で4日目。
 さすがに疲れを隠せない青木だったが、小池の励ましのおかげで元気が出てきた。とにかく単純な男である。
 今日こそ頑張って画像を解き明かし、室長に褒めてもらいたい。
 その一心で青木は、マウスを操る。大好きなひとのため、役に立つ人間になりたい。その思いがあるから青木は努力を続けられる。
 割り当てられた報告書をいち早くまとめ上げ、室長室に持参する。他に仕事がなければ、少し早いが訓練に入らせてもらえるよう薪に頼んでみよう。

 最近の第九の仕事柄、室長の机にはうずたかく報告書の山が築かれている。左端に置かれた飲みかけのコーヒーはすっかり冷めてしまっているようで、淹れ直しが必要だった。
 書類を読みふける室長の顔は、いつも通りに冷涼で平然としているが、いくらか目が赤い。連日青木に付き合ってくれているのだから、疲れも溜まっているだろう。

「室長。今日の夜食、何がいいですか? うなぎでも買ってきましょうか」
 華奢な指で報告書をめくりながら、薪は首を振る。亜麻色の髪が左右に揺れて、卵形の輪郭を彩った。
「今日は休みだ。おまえも疲れているだろう」
「いや、大丈夫ですよ。まだ若いですから」
 薪さんと違って、と言ったら殴られるかな、と心の中で舌を出す。青木の心を読んだように、薪の眉がぎりっと吊り上がった。
 睨まれる。
 沈黙。
「……すみません」
 このひとは自分の心が読めるのかもしれない。謝るのが勝ちだ。

「週末は、おまえにも予定があるだろう」
 そういえば、今日は金曜日だ。今夜なら薪を食事に誘えるかもしれない。
 雪子からの情報で、薪のお気に入りの店を何軒かチェックしてある。定刻で帰れるなら時間に余裕があるから、料亭で懐石料理もいいかもしれない。部屋を取って2人きりで、酒はもちろん薪の好きな吟醸酒を用意して――― そこで気持ちを伝えよう。

 誰よりもあなたを愛しています。何よりもあなたが大切です。
 あなたのすべてが好きで好きで愛しくて。

「あの、薪さん」
「今日は全員、定時退室だ。電話していいぞ」
 再び書類に目を落とす。青木の顔を見ずに、薪は言葉を継いだ。
「雪子さんを誘ってやれ」
 ……どうしてここで、雪子の名前が出てくるのだろう。どうして自分に彼女とのアフターを勧めるのだろう。自分は薪と一緒にいたいのに。

「ハンバーガーはやめとけよ」
 前言撤回だ。このひとは、自分の気持ちなど全然わかっていない。
「だいたい女性を食事に誘うのに、ハンバーガーはないだろう。今日はちゃんとしたレストランにしろよ。そうだ、雪子さんの好みは中華だぞ」
 薪の耳に入らないように細心の注意を払ったつもりなのに、いつの間にか誤解を受けている。他の者たちにはどう思われようと構わないが、彼だけは別だ。何とか誤解を解かなくては。
「どうして三好先生なんですか? こないだから薪さん、何か誤解してませんか?」
 つい口調が激しくなるのを、青木は止められなかった。普段ならそれほど怒りっぽい方ではないが、いい加減連日の疲れも溜まっている。

 薪は答えない。黙って書類をめくっている。
 腹が立った。
 いつもなら高潔な印象を与える薪の冷静な態度も、今は意地悪としか思えない。自分の主張をわざと聞かない振りで、この場をやり過ごそうとしている。

「オレと三好先生は、そんなんじゃありません」
 冷静な無表情。
 薪は黙って書類をめくる。
 青木の中で激しい感情が渦を巻いて、堰を切ったように溢れ出した。

「オレが好きなのは、あなたです」


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告(11)

告(11)







 思わず、口から出てしまった。
 本当はもっと洒落た言葉で、それなりの雰囲気も作って告白するつもりだった。
 それが第九の室長室で、報告書の束を両手に持って、捜査報告のように告げてしまった。これではまるで、ことのついでのようだ。

 薪は驚いてもくれなかった。ただ形の良い眉を、いくらか顰めただけである。本気にしていないのは明らかだった。
「わかった、報告書は月曜まで待ってやる。早く雪子さんにそのセリフを言ってやれ」
 ……何がわかったんですか?
 平気な顔で、再び書類に目を落とす。冷静な上司の貌はちらりとも崩れない。
「雪子さんはあれでもう、結構な年だからな。なるべく早くプロポーズしろよ。高齢出産は負担が大きい」
 誤解にもほどがある。
 薪に好かれたい一心でこんなに努力してきたのに、これでは自分があまりにも可哀想だ。

 青木は大股に室長の机に近寄ると、薪が見ている書類の束を取り上げ、デスクに叩きつけた。
 突然の無礼な振舞いに、薪がすぐさまキツイ目で睨み返してくる。ぞくりとするような冷たい美貌。いつもなら謝罪とともに引き下がる青木だが、今回ばかりはさすがにキレていた。

「あなたが好きなんですよ。薪さん、あなたです。三好先生じゃありません」
 またもや、なんのひねりもない。
 あれほどいくつもの甘い言葉を考えていたのに、今はそのすべてが吹き飛んでしまった。
「なに言ってるんだ? おまえ」
 しかし、どうやら気持ちを伝えることには成功したらしい。
 薪の貌が、あの不意を衝かれたときに見せるきょとんとした表情になっている。自分の心を惹き付けてやまない、その愛らしさ。青木の胸がとくりと高鳴る。
 が、次の瞬間、無防備な愛らしさは消えて、研ぎ澄まされた刃物のような凄惨な怒りがその相貌に現れた。

「僕はそういうジョークは嫌いだ」
 ……ヒドすぎる。

 書類に戻ろうとする薪の目を、青木は是が非でも自分のほうに向けたかった。このまま後には退けない。この真剣な気持ちをジョークにされてたまるか。言葉が駄目なら実力行使だ。
 普段おとなしい人間ほど、キレると何をやらかすかわからない。次に青木のとった行動は、その説を裏付けるものだった。

 亜麻色の小さな頭をつかんで、細いあごに手をかける。とっさのことに対応しきれない相手の隙をついて、くちびるを奪う。
 子供のままごとではない大人のキス。やわらかい口唇とぬめついた舌の感触に、我を失う。相手の舌を絡めとり、ねぶり、吸い上げ――――。

 バゴッ、と後頭部で星がはじけて、がしゃん! と瀬戸物の割れる音が響いた。
 冷たい液体が青木の頭から滴る。薪の机にあったコーヒーの匂いだ。
 すかさず頬に平手打ちの音。続けざまに右の頬にもう1発。とどめに腹に強烈な手刀。くらくらしたところを蹴り飛ばされて、室長室のドアにぶつかる。
 すばやくドアが開き、モニタールームに叩き出された。

「頭を冷やせ! バカ青木!」
 出来上がったばかりの報告書の束が、青木めがけて投げつけられる。
「全部、書き直せ! 今日中にだ!」
 壊れそうな勢いで室長室のドアが閉まる。激しい音の余韻に静まり返る研究室。
 あっけにとられた第九の面々が、心配そうな顔で青木のそばにやって来る。
「大丈夫か? 青木」
「何やらかしたんだ、おまえ」
 とても言えない。
 床に座り込んだまま、青木はしばらく立ち上がれなかった。
 唇に残る感触―――― コーヒー味の苦いキス。

 なんてことをしてしまったんだろう……。

「シャワー浴びて、着替えて来い。報告書は俺が手伝ってやるから」
 岡部が青木のそばに屈んで、「元気出せよ」と言った。先輩のやさしい気遣いが後ろめたい。悪いのは自分なのだ。
「あんな薪さん、初めて見たよ」
「こえ~」
 今井と曽我が、こっそり呟く。
 ちがいます。薪さんは悪くありません―――― そう言いたかったが、声にならなかった。
「でも」
 いつもは薪に対して少し辛辣な物言いをする小池が、ためらいつつ言った。
「薪さん、泣いてなかったか?」


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告(12)

告(12)








 すべての報告書を書き終えたときには、午後9時を回っていた。
 コーヒーで汚れた部分を打ち直すだけだから、と岡部の心遣いを断り、青木は自分1人でその仕事を仕上げた。これは自分が招いた失態だ。先輩の手を煩わすわけにはいかない。

 室長室の明かりはとっくに消えている。室長はめずらしく、今日は定時になるとさっさと帰ってしまった。
 青木のほうを見もしなかった。
 怒っている。それは確実だ。
 でも、薪も悪い。自分の必死の気持ちを―――― 半年も前から募らせてきた想いを、本気にしてくれないばかりか、ジョークで済まそうとした。あんまりだ。
 だが、それは多分。
 今後のことを考えてくれたのかもしれない、と青木が思い至ったのは、シャワーを浴びているときだった。
 振られたからといって、仕事を辞めるわけにはいかない。しかし、気まずくなるのは避けられない。それは相手も同じだ。仕事にも差し支えるだろう。
 それを防ぐには、なかったことにしてしまうのが一番いい。冗談で済ませて、その場を流してしまうのが大人のやり方だ。室長である薪は、そこまで考えてその方法を取ったに過ぎない。べつに青木の気持ちを踏みにじったわけでも、バカにしたわけでもない。

 ただ、受け入れてもらえなかっただけのことだ。

 そう分かってしまうと、薪があんなに怒ったのも理解できる。お互いが一番傷つかない方法を選択してくれていたのに、オレは自分のことだけでいっぱいいっぱいで。
 薪に比べると、自分はひどく子供なのだ。
 仕事のことだけでなく、精神的な強さも相手を思いやる気持ちも、まだまだ未熟だ。自分の気持ちだけを押し付けて、相手の迷惑など考えなかった。
 こんなんじゃ、相手にされなくて当たり前だ。

 もう少し大人にならなくては、と思う。あのひとにふさわしい人間に。あのひとを安らがせてあげられるような、鈴木さんのような人間に。

 もっと自分を磨いてリベンジだ、と青木は決心する。
 どんな状況になっても諦めないのは、美点なのか欠点なのか。捜査も粘り強いが、薪のこととなるともっと粘り強い。というか、いっそしつこい。
 でも、自分にもどうしようもない。こんなに誰かを好きになったのは初めてだ。全身全霊を奪われるほどに――――。
 そのひとのことしか、考えられない。薪しか目に入らない。薪の声しか聞こえない。薪に会えない日は何もする気がおきないし、叱られれば食欲もなくなるし、夜もよく眠れない。日常生活に差し障るほどだ。

 いつからこんなに好きになっていたのか。
 初めは確かに、ただの憧れだった。もともと青木はノーマルな男なのだ。以前はちゃんと彼女もいた。振られたが。
 薪に初めて会ったとき、きれいな顔をしているな、とは思った。童顔で、高校生くらいにしか見えない。そのときはその程度だった。
 それが一緒に仕事をするうちに、薪の高潔な人柄に惹かれ、事件に向かう強さに惹かれ―――― 彼の奥深くにしまわれた傷口がいまなお血を流し続けていることを知り、その脆さとあやうさを知り、守ってあげたい、支えになりたいと―――― その自分が。
 
「オレが薪さんを傷つけて、どうするんだよ……」
 小池が見たのは見間違いではなかった。驚きのせいか怒りのためか、薪の目には涙が浮かんでいた。

 泣かせてしまった。

 とにかく、明日謝らなくては。
 でも、冗談で済ますのはいやだな、とまだ大人気ないことを考えている。

 研究室の電源を落とし、セキュリティをかける。エントランスへ続く長い廊下を、今日はひとりで歩く。
 ここ数日は薪と2人で歩いていた。もしかすると特訓も打ち切りかもしれない。よく考えると幸せだったのだ。MRIの凄惨な画像が背景とはいえ、ずっとふたりきりでいられたのだから。
 こんなことになるのなら、もっとあの時間を大切にすればよかった。もっとも、吐き気と寒気でそれどころではなかったのだが。
 いつだって気付いた時はもう遅い。逆に、失わないとその価値は分からないのかもしれない。
 今度のことだって、たとえ冗談で済ませたとしても、何もなかった頃には戻れないのだ。あの屈託のない笑顔は、二度と見られないかも……いや、そもそも薪の全開の笑顔なんて見たことがない。たぶん、第九の誰も実際に見たことはないんじゃないか。

 青木は、薪のその笑顔を知っている。
 薪の家のリビングに飾ってあった写真の中の薪の笑顔。鈴木の脳に残っていた、薪の幸せそうな笑顔。親友と一緒にいるときだけ、薪は最高の笑顔で笑うのだ。

 つらつらとどうにもならないことを考えながら玄関を出た青木は、正門のところで門柱に寄りかかり、腕を組んで立っている細いシルエットに気付いた。

 淡い月明かりの下、青く澄んだ水面のように静謐な室長の姿だった。



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告(13)

告(13)





「報告書は書き終えたのか」
 いつもと変わらぬ口調で、事務的に話しかけてくる。
「はい。室長の机に置いておきました」
 青木の報告に軽く頷いて、薪は地面に置いてあった鞄を小脇に抱えた。じっと青木の目を見るが、なにも言わない。

 重い沈黙。
 我慢しきれなくなったのは、やはり青木のほうだった。

「あの、室長。先ほどは、その」
「火傷はしなかったか」
 すみませんでした、と言うつもりだったが、薪の言葉に遮られる。一瞬意味が分からなかったが、すぐにさっきのコーヒーのことだと思い当たった。
「大丈夫です。もう、冷めてましたから」
「そうか」
 踵を返して、歩き出す。その背中に拒絶は感じられなかったが、先刻のことを思うと着いていくのもためらわれる。
 青木がその場に立ち尽くしていると、薪が肩越しに「帰るぞ」と声を掛けてくれた。慌てて後を追いかける。駅まで送らせてくれるらしい。

 霞ヶ関駅までの短い道のりを、薪はわざとゆっくり歩いているようだった。何も言わないが、怒ってはいない。仕事の時には見せない穏やかな横顔がその証だ。
 夜になると妙にあでやかな唇が、小さく動いて何か言おうとした。
「さっきの」
 言いかけて、やめる。
 黙り込む。
 捜査会議ではあれほど淀みなく話すのに、仕事以外のこととなると室長の口は重い。無口の部類に入るかもしれない。
 そのまま黙って歩く。駅はもうすぐだ。

 青木は迷っていた。
 先刻のことをジョークにするつもりなら、今しかない。薪もきっとそうしたいのだ。だが、青木が本気だということも、今はわかってくれている。だから言葉にならない。
 薪の立場を思えば、青木のほうから「あれは冗談です」と言うべきだ。そうすれば薪はほっとしたような顔をして、「上司をからかうな、バカ」などといつもの叱責をくれて、また明日から何事もなかったように仕事ができるのだ。
 そうだ。そうするべきだ。

「さっきのことですけど」
 薪が足を止めて、青木の目を見る。亜麻色の瞳が、月の光を写し取ったかのように魅惑的にきらめいた。
「オレ、本気ですから」
 ……間違えた。
「なにを言われても諦めませんから」
 しかも、追い討ちをかけてしまった。
 
 だって嘘など吐けない。この清廉な瞳を前にして。もとより、警察官が嘘を吐いてはいけない。
 
 今度は殴られなかった。その代わり、薪は悲しそうに目を伏せた。
 ――――― 殴られたほうがマシだった。

「じゃあ、僕も真面目に答えないといけないな」
 小さく呟くと、駅とは違う方向に歩き出す。
「外で話すことでもないだろう。少し付き合え」
 たしかこの辺りに薪の好きな割烹料理屋があったはず。雪子に聞いた店の名前を通り沿いに見つけて、頭に道筋をインプットする。青木は少々方向オンチのきらいがあって、道に迷うことが多いのだが、薪と一緒ならどんなに複雑な道順でも一発で覚えられそうだった。
「腹は空いてるか?」
「はい」
 頷いて暖簾をくぐる。あまり広くはないが落ち着いた店で、先客たちもみな静かに料理を味わい、酒を楽しんでいる。金曜の夜らしく店はほぼ満席状態で、2人はカウンターに並んで腰を下ろした。
 店主の勧めに従って、青木は天ぷらの定食を、薪は刺身と日本酒を冷で頼んだ。

 青木が食べている間、薪は何も言わなかった。ただ、ぐい呑みの酒を傾けている。合間に平目の刺身をつまんで、静かに待っている。
 食事が終わったのを見て取ると、青木のほうに徳利を差し出す。青木は日本酒よりもビール党だが、ここは薪に合わせるべきだろう。
 青木の猪口に酒を注ごうとして、薪はふと気がついたように手を止めた。
「おまえ、ビールだっけ」
 なぜ知ってるんだろう。室長と一緒に酒を飲むのはこれが初めてなのに。
「曽我が言ってた」
 また心を読まれる。
 こんなに敏感なひとなのに、どうして雪子との仲を誤解をしたんだろう。

 冷たい生ビールが運ばれてくる。青木がジョッキに口をつけるのを待って、ぽつりと薪が言った。
「雪子さんは、おまえが好きなんだ」
 唐突な会話。薪はこういうことには、とことん不器用らしい。
「誤解ですよ」
「雪子さんとの付き合いは、おまえより僕のほうが長いんだぞ。彼女の目を見れば分かる。鈴木を見てたときと、同じ眼をしてる」
「でも、オレは」
「雪子さんは、大事なひとなんだ」
 青木の言葉を遮って、薪は言葉を継いだ。手酌で徳利を傾けると、空になっている。青木が追加のオーダーを入れた。
 
「彼女が鈴木の婚約者だったのは知ってるな? おまえは鈴木の脳を見ているから、彼女のことも知っていたはずだ」
 はい、と頷いて空いたぐい呑みに酒を注ぐ。つややかな口唇にはワイングラスのほうが似合うと思ったが、美濃部焼のぐい呑みも、また別の色気がある。
「昨年の夏、あの事件が起きて。僕は彼女の幸せのすべてを奪った。彼女の人生をぶち壊しにした。あんなことさえなければ、彼女は今頃鈴木と結婚して、幸せな生活を送っているはずだったんだ」
「でも、それは薪さんが悪いんじゃありません。オレがちゃんと鈴木さんの本心を見せてあげたじゃないですか。第一、正当防衛だったわけだし」
「同じことだ。事故死だろうが正当防衛だろうが、そんなことは関係ない。遺族にしてみれば、僕はただの人殺しだ」
 薪は今もなお、こうして慙愧の念に苦しんでいる。
 その自分を追い詰める厳しさが、薪の強さであり脆さでもある。そして、その心の深淵を覗いてしまったら、手をさし延べずにはいられない。
 このひとの重荷を軽くしてあげたい。
 切実に、想う。

「それは逆恨みです。薪さんは悪くない」
「じゃあおまえ、自分の母親を殺されて『正当防衛です』と言われて納得できるのか? 相手のことを許せるのか?」
 それは……難しいかもしれない。
 軽々しく答えられるものでもない。青木はひとまず口を閉ざした。

「僕にはできない。でも、雪子さんは僕を……僕のせいじゃないと言ってくれた。あの時モニタールームに入ったのが僕じゃなかったら、きっと別の人が。いっそ、僕で良かったとさえ。
 すごい女性なんだ。とても敵わない。鈴木が惹かれたわけだ」
 2本目の徳利を殆ど空にして、そのせいか薪はいくらか饒舌になっている。顔色は普段のままだから、さほど酔ってはいない。かなり酒には強いらしい。
「雪子さんは、鈴木が愛した大切な女性なんだ。だから幸せになって欲しい。おまえだって、彼女は魅力的な女性だと思うだろう?」
「それはまあ、そうですけど」

 薪の言いたいことは分かった。
 去年の事件で不幸のどん底に突き落としてしまった可哀想な女性を、救ってやって欲しい。自分ではそれは無理だから、青木に頼みたい。そういうことだ。
 
「雪子さんは今はまだ、おまえに鈴木を重ねてるのかもしれない。でもそれはきっと、時が解決してくれる。だから」
「薪さんは何もわかってません。三好先生はオレのことをそんなふうには思ってないし、オレは自分の気持ちを曲げることはできません」
 青木がきっぱりと薪の提案を拒絶すると、薪はむっと眉をひそめた。
「付き合うだけでも付き合ってみたらどうなんだ。だいたい親が泣くだろう。ちゃんと結婚して家庭を持たないと」
 下手に出ても駄目だとわかったらしく、薪は室長の口調で諭すように持ち掛けた。

「薪さんに言われたくないです」
「なに?」
 3本目の徳利が半分ほどに減っている。酒豪らしくペースも早い。
「何を言われても諦めないって、オレさっき言いましたよね。もう忘れたんですか」
 年のせいですかね、とつい口が滑ってしまった。2杯目の生ビールのせいだ。怒られると思ったが、別に気にしてないらしい。
「どうやら平行線だな」
「そうですね」
 こうなれば、開き直るしかない。
 好きな相手まで、上司に決められては堪らない。たとえ室長命令でも、それだけは譲れない。自分の心ではあるが、もう自分でも止められないのだ。
 薪だって、自分の身に置き換えてみれば解るはずだ。鈴木さんのことが忘れられないくせに、他人には「ちゃんと結婚しろ」なんて。

「帰りましょう。終電、無くなっちゃいますよ」
 青木の言葉に、薪は時計を確認する。もうそんな時間だ。
 ため息とともにぐい呑みの酒を飲み干し、薪は立ち上がった。




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告(14)

告(14)








 薪が酒に強いと思ったのは、青木の勘違いだったらしい。
 店を出ると、何やら足取りがおぼつかない。「大丈夫ですか」と声をかけたら、「空きっ腹に飲んだから」と返してきた。
 夕飯を食べなかった理由を尋ねると、おまえのせいだろう、と怒られた。
 空腹にあれだけの酒を飲めば、たいがい潰れる。店にいるときは他人の目があるからか割としっかりしているものだが、外に出ると一気に酔いが回る。すでにひとりでは歩けない状態だ。

「しっかりしてくださいよ、薪さん」
 こうなれば抱きかかえていったほうが早いのだが、プライドの高い上司の顔を立てて、肩を貸すに留める。薪との身長差は30センチ近くあるので、だいぶ腰を屈めないと肩の高さが合わない。やはり抱えていったほうが楽である。

「もう終電、無いですよ。タクシー拾いますから」
「いい。第九に泊まる」
「セキュリティかけてきちゃいましたよ。解除するの面倒でしょ」
「そんなもん……」
「眠らないでくださいよ! 薪さん、薪さんてば!」
 どうやら沈没してしまった。
 結局は、抱き上げて運ぶことになる。
 軽いのでたいした労力ではないのだが、金曜の夜で人通りも多い中、道行く人がみんな振り返っていくのが困る。

 通りかかった公園で酔いを醒ますことに決めて、青木はベンチに薪を寝かせた。ここならだれもいない。
 薪の頭を鞄の上にのせる。呼吸が楽なようにネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外す。
 手に触れた髪の、さらさらした感触。自分の髪とは異質のしなやかさだ。

 どうやら薪は、酔いが顔に出ない性質らしい。今もその口元からアルコールの匂いがしなければ、普通の寝顔と変わらない。
 いや、口が開いているせいか、いつもの寝顔より可愛らしい。
 普段は彼の眠りを妨げることなど考えもつかないが、今の薪は子供が眠っているようで、そのやわらかそうな頬を突ついてみたくなる。
 近くの水道でハンカチを濡らし、薪の額にあてがう。
 表面に現れなくても、やはり火照っている。頬も熱い。
「んん……」
 煩そうに眉をしかめる。素直な反応がますますかわいい。
 頬に触れて見ると、見た目よりやわらかくはない。
 子供のものでも女のものでもない。しかし男のものでもないな、と青木は自分の頬を触ってみる。生物学的にはこのひとは何に分類されるんだろう、と程よく酔いの回った頭でバカなことを考える。

 冷たいハンカチのおかげか、しばらくして薪は目を覚ました。
 周りを見て不思議そうな顔になる。が、すぐに現状を把握したらしく、青木の名前を呼んだ。
「のど、かわいた」
「はい」
 公園の自販機で買っておいたミネラルウォーターを渡す。白いのどが仰け反って、闇に映える。水銀灯よりこちらに虫が集まってきそうだ。
「ん~、空が回ってる」
「飲みすぎですよ」
 大きくため息をついて、またベンチに横たわる。青木のハンカチを目蓋の上において、額に手を当て前髪をかきあげる。
 こんなきれいな額は見たことがない。優雅で完璧なフォルム。鼻梁はすっきりと通っているが、日本人らしく小さくまとまっている。その下に、誰もが必ず眼を奪われてしまう、つややかでふっくらとしたくちびる。水銀灯の光に照らされて、婀娜花のようなその口唇が甘い吐息を咲かせる。

「考え直さないか?青木」
 青木もしつこいが、薪も相当くどい。まだ諦めてはいないようだ。
「駄目です。ていうか、無理です」
 何度も返した言葉をまた繰り返す。不毛な会話だ。
「ひとを好きになるってそんなもんでしょ。自分でも収拾つかないっていうか、コントロールが利かないっていうか」
 薪もまた、同じ言葉で拒絶する。
「僕はだめだぞ。おまえの気持ちには応えられない」
「はい。分かってます。今のオレじゃ、あなたに釣合わないですよね。でも、オレもっと大きな男になりますから」
「それ以上育ってどうする気だ」
 ……そういう意味じゃありません。

「僕には心に決めた人がいる。だから、おまえの気持ちには永遠に応えられない」
 永遠に、と言われてしまった。
「だれですか?」
「だれでもいいだろう」
 その相手が誰なのか、青木は知っている。だから諦められないのだ。
「いいえ、答えてください。その人はこの世の人物なんですか?」
 青木の不躾な質問に、薪は跳ね起きた。濡れたハンカチを青木の方に投げつける。
 奥歯がぎりっと噛み締められ、冷たい眼がぎらりと光って青木を睨み据えた。凄まじいまでの圧迫感。
 
「そんなことまで、おまえに答える義理はない!」
 怒ると本当にこわい。
 しかし、ここで退いてはならない。
 なにより、薪のためだ。
 薪を救いたい。
 過去の亡霊から開放してやりたいのだ。

「薪さんが誰を忘れられないのか、オレにはわかってます。でも、いつまでも過去に縛られたままじゃいけないと思います。鈴木さんが自分の命と引き換えに守ってくれた人生なんですよ? 鈴木さんのためにも、薪さんが幸せにならないと―――― 痛っ!」
 突然、何かが青木の顔面に飛んできて、ばん!と派手な音を立てた。
 薪の鞄だ。これは痛い。
「すぐに物を投げるの、やめてくださいよ」
 青木の抗議を聞こうともせずに、薪はその場を立ち去ろうとした。が、まだまっすぐ歩けない。ふらついて倒れそうになったのを支えてあげたら、また怒られた。
 
「僕にさわるな」
「立てもしないくせに、なに言ってるんですか」
「うるさい!」
「すぐに逆ギレするのもやめてください」
 間髪いれずに飛んできた平手打ちを左手で受け止めて、華奢な手を捕まえる。もう一方の手も右手で捕らえて、暴君を押さえ込んだ。
「そうそう何回もくらいませんよ」
 酔いのせいで平手打ちの速度が遅かったから防げただけなのだが、このさい釘を刺しておこう。すぐに暴力に訴えようとするのは、薪の欠点のひとつだ。
 両手の自由を奪われて、薪はうつむいた。前髪が覆いかぶさって、きれいな双眸を隠している。その表情は、わからない。
 が、察しはつく。
 
「おまえに、何が分かる」
 怒りを含んだ低い声。当然のように、薪は怒っている。

「おまえに何が分かる!? 何も知らないくせにっ!」
「オレは鈴木さんの脳を見てるんですよ。だから」
 薪は顔を上げて反撃に出た。憤りをはらんだ瞳が、刃物のように青木を射る。
「MRIの限界は5年だ。5年前までしか遡れないMRIの画を見ただけで、それだけでおまえは鈴木のすべてを理解したとでも言うつもりか!」
 たしかに、5年前までの画像しか見られなかった。それも鈴木の視覚を一日も欠かさずに見たわけではない。もともと鈴木が薪を殺そうとした理由を知りたくて、鈴木の脳を見たのだ。鈴木自身のことを知りたかったわけではない。
「たったそれだけのことで、おまえが鈴木を語るな!」
 青木には、返す言葉もなかった。

「すみません。でも」
「おまえと鈴木は何の関係もない」
「でも」
「関係のない人間が、僕と鈴木の間に入ってくるな!」
 気づけば、薪の頬を涙が濡らしていた。
 青木の目を真っ向から睨みつけて、悔し涙を流している。こんな薪は初めて見る。二度と見たいとは思わないが。

 薪もまた、自分を制御できない。

 忘れられないのではなく、忘れたくない。
 わかっていてもどうしようもない。彼の人を求めて求めて、しかしそれは、自らの手でこの世から消し去ったもので――――。
 血に濡れた自身の手を、愛する人の死体を、薪はそのときどんな思いで見ていたのだろう。何度、夢に見たのだろう。
 その過去の上に今の薪がいる。薪の過去は、今の彼を支える土台でもある。しかし、それはなんと哀しい立ち位置だろう。

 青木の手が緩んだ隙に、薪はさっと手を払った。
 地面に落ちた鞄を拾い上げ、今度こそその場を去っていく。足元はまだおぼつかないが、もう追いかけることはできなかった。

 ふらつきながら小さくなっていく背中を見つめて、青木は自分の無力を噛み締めていた。
 自分がもう少し早く生まれていたら。薪と同い年くらいだったら。
 せめて昨年の事件よりも前に、一緒に仕事をしていたら。
 もっと薪を支えてあげられた。忘れさせるのは無理でも、彼の嘆きを聞いてあげることはできた。一緒に泣いてあげることも。
 でも、自分にはそれはできない。
 薪の言うとおり、何の関係もないのだ。

 薪が横たわっていたベンチに腰掛けて、青木は月を仰いだ。


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告(15)

告(15)







 土曜日の法医第一研究所は、静まり返っていた。
 今日は休日。出勤しているのは、三度の飯より解剖が好きだと噂される三好雪子くらいのものだ。
 雪子のもとに第九の新人が訪ねて来たのは、検死報告書をまとめ終わって、家路に着く前に一息いれようと紅茶を飲んでいるときだった。
 青木の来訪は予測していた。しかしその報告は、雪子には意外なものだった。
「玉砕しちゃいました」
「え? うそ」

 先日、雪子はこの青年の恋の相談に乗ってやったばかりである。雪子の見立てでは相手にも十分その気はあり、聞くとしたらノロケ話だろうと予測していたのだ。
「へんね。絶対に脈があると思ったんだけど」
「頭を冷やせって、蹴りだされちゃいましたよ。まあ、それはいいんですけど」
「なにがいいのよ」
 青木の落ち込みようは、傍目で見ていても泣けてくるような憔悴ぶりだったが、振られたことだけが原因ではないらしい。
 言い難そうに、しかし誰かに聞いて欲しいのだろう。三好先生に言うことじゃないんですけど、と前置きして、青木は昨日の薪とのことを語りだした。

 雪子は鈴木のかつての婚約者である。
 しかし、薪が鈴木のことを好きだったことも、まだ鈴木のことを忘れられず苦しんでいることも知っている。知ってはいるが、薪から彼を奪った張本人としては何もできない。するべきではない。それをちゃんと解って薪に接している。聡明な女性なのだ。
 だから、この新米捜査官が第九に入ってきて3ヶ月も経たないうちに薪の虜になったのを見抜いたときから、彼の働きに期待していたのだ。
 どこかしら鈴木に似ていて、薪の心を惹くには最適だと思った。彼を通して薪の苦悩が少しでも和らいでくれることを願って、青木には色々と助言してきたつもりである。

「おかしいなあ。薪くん、克洋くんを見るのと同じ瞳であなたのこと見てると思ったんだけど」
「それ、薪さんも同じこと」
「え?」
「……なんでもないです」
 少し気になるが、相手が言いたくないことを無理には聞かないのが雪子のポリシーである。さらりと流して話の穂を継ぐのが大人の女性というものだ。

「で? どうしたいの、青木くんとしては」
「オレは諦めませんよ。
 そりゃ、薪さんの相手が現実の人間で、結婚するとかすれば諦めもつきますけど。相手が鈴木さんじゃ、辛いだけです。何とかして忘れさせてあげたいんですけど……どうしたらいいですかね?」
 それは無理だろう、と雪子は思う。
 忘れることなどできない。自分が彼を忘れられないように、薪も一生、鈴木のことを忘れはしないだろう。
 それは断言できる。薪の気持ちに一番近いところにいるのは、たぶん自分なのだ。
 しかし、青木には青木の愛し方がある。情報提供は惜しまないが、その方法にまでとやかく口を出すべきではない。
 
「ん~、難しいわね」
「三好先生は、どうやって乗り越えたんですか?」
 乗り越えてなどいない。
 雪子の中に開いた大穴は、今もそのままだ。
 恋人を失った悲しみは、計り知れないほどの衝撃で当時の雪子を打ちのめした。秘密にしているが、リストカットの経験もある。
 時間の経過と共に、傷口の血は止まった。穴がすっかり塞がるまでにはまだ時間がかかりそうだが、それでもだいぶ小さくなってきている。

 だが薪の場合は、まったく次元が違う。
 あれから1年の月日が過ぎて、雪子は微かな痛みと哀悼で鈴木に思いを馳せるようになった。
 しかし薪は、自分自身を切り裂きたくなるような自責の念と、狂おしいまでの愛情で彼を思うのだ。
 この1年の間に自分の傷を抉り続けて、深く深く掘り下げてしまった。すでに魂に刻まれているであろう慙愧の念は、自虐的とも言える彼の仕事ぶりに如実に現れている。
 その滅私的な薪の生き方に、青木は惹かれたのだ。
 薪の過去にあの事件がなかったら、この恋は育たなかったかもしれない。皮肉なものだ。

「そうね。あたしの場合は友達のおかげかな。よく外に連れ出してくれたり、合コン設定してくれたりとかね。ま、克洋くんよりいい男なんていなかったけど」
「薪さん、友達いなさそうですもんね」
「あの性格じゃね。唯一の友人が克洋くんだったわけだし。薪くん、ご両親も早くに亡くしてるから、ほんと相談相手がいないのよね」
「オレが相談に乗ってあげられたらいいんですけど」
 語尾を濁して、青木は口を閉ざした。
「いいじゃない。聞いてあげたら」
「関係ない奴が割り込むなって、怒られちゃいましたから」
「あら。そのくらいで諦めるの? 意外と根性ないのね」
「だって薪さん、泣きながら怒鳴るんですよ。よっぽど嫌なんですよ。オレにそのことに触れられるの」

 その涙の理由を、雪子は察した。
 本当に関わって欲しくない相手なら、薪は冷たく切り捨てる。怒鳴ったり泣いたりはしない。感情のすべてを消し去った得意の鉄面皮で、見事に心中を隠した巧みな話術で、相手を煙に巻くだろう。
 それをしなかったということは、まだ可能性はある。やはり自分の見立ては正しい。

「じゃ、搦め手でいきますか。薪くんのお気に入りのカフェ、教えてあげる」
「いまさらそんな」
「諦めないんでしょ。まずはお友だちから、でいいんじゃない? 克洋くんとも初めはそうだったわけだし」
「……そうですね! お友だちからってのが基本ですよね!」
 とりあえず、単純な男でよかった。
 青木の取柄は素直さと粘り強さだ。
 その単細胞ゆえの分かり易さが、薪を癒してくれるに違いない。

 方向音痴の青木のために紙に地図を描きながら、雪子は二人の行く末を祈っていた。


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告(16)

告(16)








 月曜日。
 第九の短い休暇は終わりを告げた。
 新しい事件の捜査依頼がきて、研究室はたちまち慌しくなった。報告書の山を一時保留にして、室長が事件の概要を説明する。
 室長のいつも通りの冷静な姿に、第九の面々は密かに胸を撫で下ろしている。
 週末に見せた激昂は、影も形もない。青木とも普通に話している。どうやらぎこちない職場にはならずに済みそうである。

 出勤時間の2時間前から、青木は薪のことを待ち伏せていた。
 いつも職場には一番乗りの薪だが、その日はことのほか早く、7時過ぎには正門をくぐっていた。誰もいないはずの研究室に入ると、既にスパコンが起動しており、MRIの画がモニターに映し出されていた。
 例の『お宝画像』である。
 こちらに背を向けて一心不乱にモニターを見ている姿に、思わず立ち竦む。
 ひろい肩。大きな背中。長い手足。少し猫背の姿勢まで―――― 彼に、よく似ている。

「室長。おはようございます」
 こちらに気がついて、挨拶をしてくる。おはよう、と素っ気無く返して、週末のフォローをすべきかどうか迷う。
「ずいぶん早いな」
「自習です。いつまでも室長の手を煩わすわけに行かないですから」
 モニターには、かなり気味の悪い画像が映っている。先週はこの画で吐いていた青木だが、今日は話もできる。だいぶ慣れてきたらしい。

「薪さん。こないだのことですけど」
 青木の言葉に身構える。きりりと眉を上げ、先日のような醜態をさらさないように無表情の仮面を着ける。
「一旦、保留してください」
「……保留でいいのか?」
 肩透かしを食らって、つい聞き返してしまった。わかった、と言えば済んだのにもう遅い。しかし、青木は薪の言葉尻を捉えるような姑息なことはしなかった。
 
「はい。薪さんの都合がいいときに処理してください」
 それは永遠に来ないと言ったはずだ―――― そう言おうとしたが、なぜか言葉にならない。口ごもっているうちに、青木に会話の主導権を握られてしまう。
「オレ、少し焦りすぎてました。薪さんの気持ちも考えずに、自分の気持ちだけ押し付けて。すみませんでした。だから今回は保留です」
 にっこり笑ってとどめの一言。
「でも、諦めませんから」

 邪気の無い笑顔に、薪の心臓がトクンと跳ねあがる。視線が青木に吸い寄せられる。無意識に見とれてしまう、その笑顔。探してしまう―――― かのひとの影。

 似ているから、拒絶しきれないのか。
 似ているから、なおさら受け入れられないのか。

 薪には自分の気持ちがわからなくなる。
 青木は待つと言ってくれた。自分の心の整理がつくまで。
 だが、それはいったい何時のことなのか、薪自身にも分からない。
 そんな先の見えない話でいいのか。そもそもどうして同性の自分なのか。青木にはちゃんと彼女もいたはずだ。
 問い質したいことはたくさんある。
 でも、訊けない。
 訊いてしまったら、今の歩み寄りが無駄になってしまいそうで。せっかく元に戻れそうなこの雰囲気が、壊れてしまいそうで。これ以上は喋れない。

「わかった」
 結局、薪はそれだけしか言わなかった。

 そのまま室長室に入る。
 机の上には週末に上がってきた書類の山が、高く積まれている。今日はこのために早く来たのだった、と思い至る。
 青木に作らせた室長会議用の資料が、一番上に積んである。
 青木らしい文章。難解な言葉は避けて、あえて平易な言葉を選んでいる。誤字脱字は殆ど無い。写真や略図を使って、実にわかりやすくまとめてある。読むひとの立場に立って作成しているのだろう。写真配置のセンスもいい。
 鈴木はこういう作業が下手だった。室長会議の資料作成も何度か手伝ってもらっていたのだが、センスが悪いというか読みづらいというか、とても室長会に出せる代物ではなかった。
「書類のセンスだけなら、鈴木より上だな」
 しかし、これは絶対に本人には内緒だ。つけあがられては堪らない。

 書類に目を通しながら、薪は自然と微笑んでいた。が、すぐに驚異的な集中力で書類の内容に埋没していく。
室長の仕事は、今日も山のようにあるのだ。



 ―了―





(2008.9)

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告~あとがき~

 青木くんのちんたらした告白劇にお付き合いくださって、ありがとうございました。
 途中、何度も檄を飛ばしてくださったみなさまに、青木くんも感謝しております。
 みなさまの期待通りに玉砕したわけですが(笑)、本人は『これからが勝負だ』と覚悟を決めております。ガンガン攻め込むつもりでいますので、これに懲りずに応援してあげてください。
 といってもご指摘に上がったとおり、先が長いんですよね……きっと彼らしく、ちんたら進むんでしょうね。(笑)

 実は、青木くんをあんなヘタレた男にしてしまって、怒られないかな、とヒヤヒヤしてたんですけど。本当に、みなさまのお心の広さには感服します。
 許容範囲を超えないように、気をつけます。(←とっくに振り切ってないか?)


 告白シーンについて。
 わたしとしては、もっとロマンチックに告白シーンを書きたかったんです。
 第九の室長室で報告書片手に、なんて、あまりにもムードなさすぎ。BL小説の風上にも置けません。
 せっかく青木が航空機免許をもっているのだから、ヘリに乗って都会の夜景を見ながら、なんてことも考えたんですけど。
『薪さん。あなたはこの夜景より美しい』
 と始まった途端、うちの薪さんがパラシュートで飛び降りました。
 彼は、こういうのは苦手みたいです。



 さて、次のお話は、メロディ発売の後にUPします。
 前言のとおり、内容によって掲載記事を決めたいと思っています。
 わたしは作品のレビューは致しません。てか、頭悪いんで、考察とか苦手なんです。なので、みなさまのレビューを拝見させていただき、その後にあおまきさんにするか、すずまきさんにするか、決めたいと思います。

 あおまき派のわたしは、もちろん青木くんの活躍を期待してます。
 5巻の修羅場が再現されたとしても、あのときとは違うリアクションを取ってほしい。薪さんの傷ついた顔を見ながらも、一直線に三好先生のところに行くなんて、二度と見たくないです。(本音ではスルーかな、と思ってますけど)

 がんばれよ、青木さん。
 薪さんの涙を止めてやれるのは、あなただけなのよ(切実)




 ……すみません。メロディの発売が目前にせまって、平常心を失ってます。
 あとがきなんだから、これだけ言えばいいんですよね。



 みなさま。
 読んでくださって、本当にありがとうござました。 たくさん励ましてくださって、ありがとうございました。
 次のお話もがんばります。


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若いってこわい(1)

 メロディ8月号、読みました。

 …………すずまき小説、UPします。



 このお話は、「聖夜」に出てくる14年前の話です。
 薪さんが20歳の頃の忘れられない思い出です。





若いってこわい(1)






 今朝の夢見は最悪だった。

 3日と空けずに悪夢で飛び起きる薪だが、そんなことはもう慣れっこになってしまって、今更こんなに落ち込んだりはしない。もちろん、起きてから二度寝ができるほど平気なわけではないが、今朝のものとは種類が違う。

 今日の夢は、大学時代の夢だった。
 しかも、鈴木との蜜月だった1年余りの出来事を夢に見てしまった。
  あの頃のことを思い出すと、地面に穴を掘って一生そこで暮らしたいと思うくらい、へこむ。その時だけは、引きこもりの気持ちがよくわかる。

 ……落ち込みそうだ。

 顔に手を当てると、やはり涙で濡れている。ティッシュで拭いて屑籠に放り投げる。
 時刻は午前4時。
 いつもならシャワーを浴びてジョギングに出かけるところだが、今日はそんな気分にならない。

 鈴木との思い出は、よろこびと切なさと、涙の色に彩られている。
 たしかに、薪にとっては今までで一番幸せな日々だった。が、あの頃の自分を省みると、激しい自己嫌悪に取りつかれてしまう。
 彼のことが好きで好きで、周りが何も見えなくなっていた。
 終いには相手の気持ちまで分かろうとしなくなって、さんざんに鈴木を傷つけて、結局ふられた。そのあと彼とまた親友に戻れたのは、実は雪子のおかげだった。あの頃から、薪は雪子に頭が上がらないのだ。

「鈴木。あのときはごめんな」
 枕もとの写真立てを手に取って、親友に話しかける。
 ガラスフィルムの中から、永遠に時を止めたかつての親友が、薪に笑いかけていた。






******



 いや、そんなに怒ってるわけじゃないんです。

 ただね。

 お姑さんに頼まれた買い物のついでに本屋に回って、購入したが最後クソ暑い車の中で夢中で読みふけって。顔中汗だか涙だかわかんないような状況になって。
 現実と夢幻の狭間で危なっかしい運転で(何回か信号見ないで交差点突っ切った)自宅付近まで帰ってきて。
 お姑さんのお使いを思い出して(イスの脚につけるカバーを100円ショップで買ってきて、と言われてた)お店の駐車場に車を止めて。深呼吸をしてタオルで顔を拭いて、現実世界に戻ってきて。
 赤い眼はサングラスで隠して、キャップを深く被って、不審者みたいに俯いてお店に入って。
 目的のものを買って、3つあるレジの中央に進んだら。

 レジの店員の名前が青木!!!

 車に戻って、再び号泣。

 ……かみさま。
 そんなにわたしがお嫌い……?


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若いってこわい(2)

若いってこわい(2)







 鈴木と出会ったのは、大学2年の春。薪が19のときだった。
 特別な出会いをしたわけではない。大学のサークルで、たまたま一緒になっただけだ。

 薪は入学当初から、犯罪心理学のサークルに入っていた。目的は他の学生のようにコンパではなく、サークルの費用で高い専門書を購入して読みふける事だった。
 鈴木が入ってきたのは、2年になってからだ。弁護士を目指している、とその当時は言っていた。
 よく一緒に、犯罪者の心理について討論をした。
 いつも薪が検察側で、鈴木は弁護側だった。薪は犯罪者はすべて糾弾するべきだと思っていたが、鈴木の持論はまるで反対だった。どんな猟奇犯罪にもそれを起こさなければならなかった理由がある、と言うのが鈴木の主張だった。
 持論は正反対だったが、彼との議論は面白かった。
 鈴木は薪ほどの優秀な頭脳は持ち合わせていなかったが、薪にはない優れた人間性を持っていた。
 やさしさである。

 彼ほどやさしいひとはいなかった。言い換えれば、優柔不断でどっちつかずということなのかもしれないが――― 雪子は鈴木をそう評していたが―――― 薪にはたまらない魅力に思えた。
 何より、薪にとっては初めてできた親友だった。
 薪は昔から友達が少なかった。
 それはその抜きん出た容姿のせいか、捻じ曲がった性格のせいか、あるいは小さい頃に両親を事故で亡くしたせいか。
 別にイジメに遭うようなことはなかったが、輪に溶け込むこともできなかった。クラスメイトとは普通に話すが、それは表面上のことだけで、心を許せる友人はできなかった。
 大学に入ってからは、友人も増えた。みんな大人の付き合い方を覚えていたし、学力がある程度そろうとつまらない妬みは薄くなるものだ。
 薪の容姿と頭脳はますます磨きがかかって、それがいくらか他の学生との間を邪魔していたが、サークル活動もそれなりに楽しくて、薪は充実した大学生活を送っていたのだ。
 鈴木に会ったのは、そんなときだ。
 
「へえ。君が有名な薪くんか。よろしく」
 そう言って握手を求めてきた。大きな身体に合った、大きな手だった。
「有名って、なに」
 少し険のある言い方で返した薪に、鈴木は屈託なく笑いかけてきた。
「いっつも学内の掲示板に張り出されてるだろ。学内トップの薪剛くん。論文や研究発表でも、よく名前見るよ。
一度会ってみたいと思ってたんだけど、しっかし」
 そこで、上から下まで薪のことを見た。
 薪の姿を正面からジロジロ見るものは少ない。男でも女でも、平静ではいられなくなるからだ。
 
「名前に合わないよなあ、その顔」
「余計なお世話だ!」
 自分でも気にしているのだ。初対面の相手に言われる筋合いはない。失礼なやつだ。
「なんだ。聞いてたほどクールじゃないんだ」
 自分の不用意な発言で相手を怒らせた人間にはあるまじき無邪気さで、鈴木は楽しそうに笑った。自分ばかりがムキになっている、この状況が不愉快で薪は押し黙る。

「オレ、鈴木克洋。今日からこのサークルに入ったから。よろしく、薪くん」
 薪の倍はあろうかという大きな手が華奢な手を握って、それが2人の出会いだった。


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ジャンル : 小説・文学

若いってこわい(3)

若いってこわい(3)







 鈴木の明るく素直な性格が功を奏して、二人はすぐに打ち解けた。鈴木の裏表のない笑顔は、薪の心に安らぎを与えてくれた。
 こんなに安心できる相手は初めてだった。
 大きくて、あたたかくて、限りなくやさしくて。
 薪のどんなわがままもきいてくれる。諸般の事情から、子供の頃から一切の我儘を言えなかった薪だったが、鈴木にだけは思ったままを素直に言うことができた。

「しょうがないなあ、薪は」
 そう笑って、なんでもしてくれた。
 どこへでも付き合ってくれた。毎日が楽しくて仕方なかった。鈴木といると、世界中が自分に微笑みかけているようだった。

 自分の気持ちに気付いたのは、大学2年の秋だった。

 鈴木が他の学生と話しているのを見ると、なんとなく面白くなかった。さすがに間に割って入るような真似はしなかったが、敵意のある眼でじっと見てしまっている自分がいた。
 たいていは鈴木のほうから気が付いて、すぐに薪のところへ来てくれたが、たまに気付かないときもあった。そんなときは鈴木の友人のほうが先に気付いて『奥さん来てるぞ』などと揶揄されることもあったが、それは別に嫌な気分ではなかった。
 それどころか、鈴木にとって自分が特別な存在であることが公認されているようで、嬉しかった。

 鈴木は薪ほどではなかったが、女の子にもよくもてた。男友達のほうが断然多かったが、それなりに女の子とも付き合っていた。
 しかし、それは薪にとっては一番の苛立ちの種だった。
「あの女って、鈴木のこと好きなのかな。やめときなよ。つまんないよ、あんな女」
「おまえ、女嫌いなの?」
「べつにそんなんじゃないけど」
 子供のようにむくれて、つややかな唇を尖らせる。小学生かおまえは、と鈴木が笑う。
「オレに彼女ができるの、そんなに嫌なわけ?」
「いやだ」
 即答。
 素直すぎる。
 もう、笑うしかない。
「かなわないなあ、おまえには」
 わかったわかった、と薪の頭を撫でてくれる。他の人間だったら絶対に許さない行為だが、鈴木は特別だ。鈴木の大きな手はとても気持ちがいい。

 季節が冬になる頃には、これは恋だと自覚していた。

 薪には初めての恋だった。相手が同性だということは、薪の気持ちに幾ばくかのブレーキを掛けたが、たいして役には立たなかった。
 相手が鈴木だから―――― 男だろうと女だろうと、そんなことはどうでも良かった。
 とはいえ、さすがに告白する気にはなれなかった。いくらやさしい鈴木でも、気持ち悪がられるだろう。鈴木に嫌われたら……その後、普通に生きていける自信がなかった。

 すこし他に眼を向けてみようか、と思った。
 鈴木ばかりを見ているから、他のものが目に入らなくなって、よけいに夢中になってしまうのかもしれない。鈴木のように女の子と付き合ってみれば、いくらか紛れるかもしれない。幸い、相手には不自由しない。
 試してみたが、結果は散々だった。
 当然のことだが、女の子たちは男の役割を薪に求めてくる。甘い言葉を掛けて、ベッドに誘ってリードして―― 同性の友達とさえまともに付き合えなかった薪に、それは無理だ。
 結局、素人の女の子は諦めてプロに頼ることにした。プロのテクニックはなるほど素晴らしかったが、薪には射精の快感以外のものは得られなかった。

 こんなものか、と思った。
 幸福感も充足感も、鈴木といるときの半分も満たされない。
 あれなら、自分でした方がずっといい。自分でするときには鈴木のことを考えて、鈴木の名を呼んでイクことができるから。そのほうがずっと気持ちいい。
 もう、抑えることができなくなりそうだった。
 自分の中で鈴木への気持ちが大きくなりすぎて、息苦しいくらいだった。でも、鈴木に嫌われるのが怖くて何もできなかった。

 なんでこんなに好きになっちゃったんだろう―――― 鈴木を思いながら自慰行為を繰り返して、薪は泣いた。


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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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