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カエルの王子さま(15)

 こんにちは。

「オールバックと泣き虫ガンマン」のちえまるさんに相互リンクしていただきましたー。
 皆さんもうご存じと思いますが、一応ご紹介を。

 イラストありSSありレビューありの、バラエティに富んだブログさんです。ちえまるさん、マルチな才能をお持ちで羨ましいです。わたし、文字しか書けないんで(しかもフィクション限定)、尊敬しますです。
 未読の方、あまりいらっしゃらないとは思うのですけど、もしもいらしたらリンクから飛べますので、ぜひどうぞ。


 お話の方は解決編です。
 あちこち綻びてるかもですが、見逃してやってください。




カエルの王子さま(15)





 桂木省吾の取り調べは難航した。
 彼は徹底して黙秘を貫いていた。どんな脅しにも恫喝にも屈しなかった。元より、彼にはもう何もない。自分がどうなろうと、知ったことではなかったのだ。

 自供が取れなければ物証を挙げる他はないが、行方不明になった女性が桂木邸にいたと言う証拠は多数見つかったものの、肝心の遺体は地中深くに埋まってしまい、掘り出すのには相当の時間が掛かるものと思われた。家の中でなければ建設機械による掘削が可能だが、屋内とあってはスペースの制約と作業場の確保が難しく、作業は人力による他はなかった。当然、拘留期限には間に合わない。
 桂木邸から証拠品として押収したCDと音響機器は、専門家の調べで、人間の記憶を完全に失わせる効力はないと判断された。一時的に記憶の混乱を起こすことは可能で、被害に遭った女性たちは施術と暴行を繰り返し受けていたと考えられる。過大なストレスに晒されればコルチゾールが分泌されるのは必然で、それが施術による記憶障害を助長したのだろう、と言うのが専門家の最終的な見解であった。予想の部分が多く含まれるため、いずれも証拠としては弱い。

 加えて、省吾を調べるうちに、とんでもないことが分かった。
 まず、省吾には戸籍がなかった。正確には5歳のとき、鬼籍に入っていたのだ。だからあの家には、小学校から入学の案内が届くこともなかった。市の民生委員が訪ねてくることもなかった。省吾は存在しない子供として、あの家で育ったのだ。
 次に彼の脳を調べた結果、脳の一部分に損壊が見つかった。これも専門家の調べで、彼自身、過去に施術を施されていたことが分かった。脳の損壊はその時のものだと推測された。あの音響機器は強烈な磁力を発するよう改造されている。未発達な子供の脳であったこと、調整された磁力が強すぎたことなどが原因であると考えられた。

 これを行ったのは父親であると思われた。他にあの機器を扱える者がいるとは考えにくい。しかし、何故彼の父親が自分の息子にこんな真似をしたのか。捜査員たちの考えはこうだ。
 冷凍保存されていた母親の死因は後頭部の脳挫傷。転倒事故でも起こりうる死因だが、遺体が隠匿されていたことから他殺である可能性が高い。他殺となれば実行犯は父親だろう。その様子を目撃した息子に施術を施し、記憶が混乱した彼に母親が男と逃げたと信じ込ませようとしたのではないか。

 かように、省吾の生い立ちには情状酌量に値すべき点が多々あった。とは言え、世間の同情を集めるには、彼の起こした犯罪は凶悪過ぎた。
 しかし、ここに問題が立ちふさがった。刑法第39条である。
 幼い頃、父親の施術によって脳に損傷を受けた省吾が、そのせいで凶悪犯罪を引き起こしたと言うのはあり得る話だ。省吾の自白が得られない以上、弁護側は徹底して第39条、精神薄弱者の犯罪免責の適用を要求するに違いない。
 父親のこともある。戸籍ひとつをとっても想像がつくが、省吾の父親は普通ではなかった。義務教育すら受けていない省吾の学力は意外に高く、それは父親の教育によるものと思われたが、彼が息子に人間として一番大事なこと、つまり道徳や常識を教えたとはとても思えなかった。
 その証拠と言ってはあまりにも無残な事実があった。省吾は死んだ父親の遺体を荼毘に伏すこともなく、裏庭に無造作に埋めていた。捜査員が数人掛かりで掘り上げた父親の遺体は、すでに白骨化していた。目立った外傷は見つけられなかったことから病死又は自然死と判断されたが、猫の死体を埋めるように自分の親の遺体を庭に埋めるなど、普通だったら考えられないことだ。

 幼い頃から善悪の区別を誰にも教えられずに育った子供。学校にも行かせてもらえず、他人との交流を完全に断たれて成長した子供。果たして、そんな人間に責任能力を問えるのか。

 そのような被疑者の家から、女性の髪の毛や衣類が発見されたという状況証拠しか書類に起こせない状態で、送検は難しかった。
 合意の上でのプレイ中の死となれば、これは傷害致死。殺人罪は成立しない。桂木邸に潜入して犯行の証拠を目撃した刑事の証言によると、女たちの死体はホルマリン漬けにされていたらしいが、これは保存と、臭気を防ぐ目的もあったと思われる。死体には切り裂いた跡があったそうだが、その遺体も崩れてきた瓦礫に分断され、元の形状はなくなってしまった。殺人罪どころか死体損壊罪も危うい状況である。
 捜査員たちが頭を抱える中、犯人逮捕に多大な協力をした薪警視長が捜査一課を訪れた。

「桂木省吾を第九へ連れてきてくれませんか」
「何故です。桂木の脳はもう調べましたよ」
 面喰った一課長が薪室長の真意を尋ねると、薪はにこりと微笑んで、
「ご存じでしょう。第九で扱うのは死者の脳です」
 薪は、それ以上は言わなかった。この薪という男が秘密主義であることは一課でも有名な話だったから、課長もそれ以上は聞かなかった。口が堅いことでも有名な男なのだ。

 省吾はその日のうちに第九へと送られた。一課の刑事が2人付き添ってきたが、岡部が彼を引き取りに出向くと、連絡をいただければ迎えに来ますと言って去って行った。取調べ中の被疑者を別の部署に渡すのだ、立会いを求められれば第九は拒めない立場にある。が、そこは岡部の実力だ。岡部が捜査一課にいたのは10年近くも前の話だが、未だに伝説の刑事として一課の刑事たちに尊敬されているのだ。
 岡部の後についてモニタールームに入ってきた省吾は、感心したように周囲を見回した。初めて見る第九の最先端技術に感動を覚えているようだった。

 やがて奥の部屋から出て来た薪に、省吾は自分から話しかけた。
「元気そうだね、聡」
「僕の名前は聡じゃない。薪だ」
 どっちでもいいよ、と省吾は鼻先で笑い、「相変わらずキレイだね」と小馬鹿にしたように言った。薪がムッと眉をひそめる。
「思ったよりもやつれていないな。おまえの泣き顔が見られるかと楽しみにしていたのに」
「一課の刑事さんは優しい人ばかりで。どっかの誰かさんみたいに人を投げ飛ばしたり、いきなり腹を蹴ったりしないんだよ」
 ガタン、と椅子を蹴って立ち上がった岡部を、隣にいた青木が留めた。せっかく名前を出さないでやったのに、人の気配りが分からない男だ。

「それにしても、ここはすごいな。モニターがいっぱいだ」
「興味があるみたいだな」
「父は優れたエンジニアでもあったからね」
 父が作った太陽光発電と自家発電システムは、20年以上も壊れなかった。おかげで省吾は森の奥深くに住みながら、街の人々となんら変わりの無い生活ができたのだ。

「ところで、いまさら僕に何の用?」
「君に見せたいものがある。小池、頼む」
 小池と呼ばれた眼の細い男が、操作盤に付いた幾つかのボタンを押し、ダイヤルのようなものを回した。すると前面の大きなモニターに、省吾が知っている風景が映った。省吾の家だった。
「これは」
「そうだ。きみのお母さんの脳に残った映像だ」
「脳?」
 世間から隔絶されて育った省吾は、第九のMRIシステムのことを知らなかった。薪がそこの室長でもあることも、捜査の天才と呼ばれていることも、知らずに彼を助けたのだ。もしも知っていたなら見殺しにしていたはずだ。少なくとも、女たちの死体が置いてある家に連れて来たりはしなかった。

 巨大なスクリーンには、2歳くらいの愛らしい子供が映っていた。省吾の知らない子だ。子供はよく動き、よく転び、よく笑った。天真爛漫と言う言葉がぴったりの、元気の良い子供だった。
「だれ?」
「きみだ」
 隣に座った薪が、前を向いたまま言った。冗談を言っているようには見えなかったが、本当のことを言っているとはもっと思えなかった。
「ちがうよ。これは僕じゃない。僕の顔は」
「あれはきみだ。鏡に映ったお母さんが見えるだろう」
 鏡の中で、母は子供を抱いていた。子供が鏡を指さし、次いで母親を指差した。鏡の中の母が何か喋ったが、内容は省吾には分からなかった。この映像には音声がないのだ。

「『省吾の耳はお父さんそっくりね。なんてかわいい』」
 機械を操作していた男が、突然そんなことを言った。びっくりして振り返った省吾に、薪が「読唇術だ」と補足説明をした。
「小池の読唇術は第九で一番だ。なにしろ20年も冷凍保存されていた脳だからな。画像が荒くて、普通の人間には唇が読めない」
 だから小池に頼んだんだ、映像を再生するのも第九総出で三日も掛かったんだぞ、と省吾が頼んでもいないことで恩を着せようとした。性格の悪い男だと思った。
「なんのつもりだ。こんな合成画像までこしらえて」
「合成じゃない。見れば分かるだろう。きみは父親の英才教育を受けたはずだ」
 悔しいことにそれは事実だった。父が遺してくれた知識と技術が、その映像が本物であることを省吾に告げていた。

 画面に醜い男の姿が映った。蛙を連想させる容姿。省吾の父親だ。
 しかし何故か、その姿は見るものに悪心を起こさせない。父親の写真を見る度に省吾を襲った絶望は、この映像からは感じとれなかった。代わりに伝わってきたのは、何とも言えない暖かな感覚。それを何と呼ぶのか、悲しいことに省吾は知らなかった。
「お世辞にもハンサムとは言えないが。愛嬌のある顔だ」
 ヒキガエルと友人に罵られた父親の容姿を薪はそんな言葉で表し、MRIシステムの原理を知らない省吾に、MRI画像を読み解く上での大事なポイントを教えた。

「これはお母さんの脳の映像だ。お母さんの主観が、つまりは気持ちが入っている。お母さんにはお父さんが、こんな風に見えていたんだ」
 一般の女性たちに嘲笑された父の容姿が、母にとってはそうではなかった。そうとでも言いたいのか。
「見た目なんか関係ない。愛してたんだよ、お父さんを。だからきみが生まれたんだ」
 うそだ、と省吾は心の中で叫んだ。こんなものは信じない。信じられない。
「そしてお父さんも、お母さんを愛していた。その証拠がそこにいる二人だ」
 薪が頭をめぐらした方向には、あの深い森から薪を探し当てた青木と、省吾を蹴り飛ばした岡部がいた。彼らは爆発に巻き込まれたが、母の棺代わりの冷凍庫に入って難を逃れたのだ。

「お母さんの棺は穴の中に落ちなかったんだよ。だから彼らは助かったんだ」
 冷凍庫が爆発の衝撃に耐えたとしても、他の死体たちと共に地中深くに埋まってしまえばそこから抜け出すことは、自力では不可能だっただろう。彼らがオーディオルームにやって来れたからくりに、もっと早く気付くべきだった。
「お父さんはお母さんの遺体を大事にしていた。あの棺だけは地中に埋没することのないよう、計算の上で爆弾をセットしていたんだ。お父さんがお母さんの遺体を冷凍保存したのは、お母さんに呪い言を聞かせるためじゃない。死んでも離れたくなかったんだ」
 モニターの中では相変わらず、カエル似の男が愛嬌を振りまいていた。その特異な顔を自分の手でさらに歪めると、子供はたいそう面白がって笑った。どこにでもある、親子の光景。
「きみの戸籍を抹消し、きみを外界と隔ててしまったのもおそらくはそのせいだ。外とのつながりを持てば、だれかにその秘密を暴かれないとも限らない。お父さんはお母さんを失いたくなかったんだ」

 愛していたと言うなら、どうして父は母を殺した。どうして母は父から逃げようとした。なぜ。

「その一方で、お父さんはきみのことをとても愛した。自分の手元に置いておくためには手段を選ばなかった。それできみが自分から外の世界に行かないよう屋敷中の鏡を撤去し、きみの外見について間違った認識を植え付けた。歪んだ愛情だ」
 おまえは醜い、私と同じでとても醜い。母親さえもおまえを捨てて男と逃げた。おまえを愛してやれるのは、同じ容貌の私だけだ。私がいなければ、おまえは一生誰にも愛されない。
 繰り返し繰り返し、耳元で囁かれた呪文が蘇る。リピート数は文字では表せないほど。

「世界で唯一自分を愛してくれた女性を、自分が殺めてしまったとき。お父さんの中では何かが壊れてしまったんだろう。――よく分かるよ」


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(16)

 おはようございますっ。
 今日は朝一で代理人会議があって、下請けさんと一緒に役所に行きます。
 早く電柱移設してくれないかなー。頼みますよ東電さん、工事ができないよー。
 
 さて、お話の方は解決編の続きでございます。
 ヘンなとこいっぱいありますけど、気にしないように。細かいこと気にしてると大きくなれないよっ。(逆ギレ?)




カエルの王子さま(16)





「――よく分かるよ」
 今や食い入るようにモニターを見つめる省吾の隣で、薪は言った。冷静だけど、どこか悲しそうな声だった。

 母の記憶映像を見せられ、薪に解説を受けても、省吾はまだそれを信じることができなかった。幼少期に刷り込まれた父親の教えは、彼の中に深く根を下ろしていた。
「うそだ。母は僕と父を捨てて男と逃げたんだ。父を愛してなんかいなかった」
「その話が真実であると言う証拠は?」
「それは……父がそう言ってたから」
 証拠と言われれば、省吾は黙るしかなかった。その事件は今となっては父と自分の記憶の中だけに存在することで、記録も写真も残っていない。

「男と逃げたと言うが、きみはその男の顔を覚えているのか」
 勿論、覚えていなかった。省吾はまだ幼児だったのだ。母親の顔も写真で覚えたようなものなのに、その浮気相手の顔など知るはずもなかった。
「きみは僕に、お母さんに最後に言われた言葉が忘れられないと言った。お母さんの遺体を司法解剖した結果、亡くなったのは20年以上前であることが分かった。その時、きみはせいぜいが2歳かそれくらいだ。そんな子供の頃の記憶が正確に残っているのは却って不自然じゃないか」
 それだけショックだったんだ、と省吾は言おうとした。母の口調も嫌悪に歪んだ表情も、はっきりと覚えているのだ。父もそう言って――。

 ふと、省吾は不安になった。父から繰り返し聞かされた母の話に、母の最後の言葉もあった。省吾を悪しざまに罵った母の姿は、省吾自身の記憶なのか、父の話から想像した妄想なのか。
「父親が嘘を吐いているとは考えなかった?」
 その可能性はゼロではなかった。当時、省吾は子供だったのだ。が、それは結局は物事の枝葉でしかない。母が父に殺された、この事実を前にしては。
「僕はこの目で見たんだ。父が暖炉の火かき棒で母を殴り殺すところを」

 薪はついと省吾から眼を逸らすと、操作盤の前にいる小池に合図を送った。画像が一旦消え、再び映し出されたスクリーンの中には父親の背中が映っていた。省吾は直感した。これから惨劇が始まるのだ。
 しかしそれは、省吾の記憶とは少し違っていた。場所は暖炉の前ではなく、階段の踊り場だった。踊り場にいた父の背中がどんどん大きくなる、つまりそれは母親が階段を駆け上がっているのだ。
 父の背中がアップになったところで映像を止め、小池がこの状況に到った経緯を説明した。これより前の画像は荒く、訓練を積んだ職員でないと判別は難しいので、と前置きした後、
「この少し前、二人はちょっとした言い争いをしています。会話は解析できませんでしたが、おそらくは子供のことです。
 他のことでは諍いらしい諍いも見られず、非常に仲の良い夫婦でしたが、一つだけ、子供の教育については意見が対立していました。母親は、子供を保育園に通わせて友だちを作らせてあげたいと言い、父親はそれに強く反対していました。多分この時も、その件で言い争いになったのだと思われます」

 父の背中に迫った母が、父の肩を掴んだ。父は母の手を振り払った。そのはずみに母はバランスを崩して踊り場に尻もちを衝きそうになった。慌てて下を見た、その視界に突如として現れた影。
 母親を追ってきたのか、階段を這い上がってくる子供の姿。あどけない笑みで自分の上に倒れこんでくる母親を見ている。このまま倒れたら。
 母親の視界が大きく回転した。単に後ろに倒れたにしては不自然な動きだった。
 思わず省吾は画像から顔を背けた。あれが自分だとしたら、母が死んだのは。

「しっかり見ろ! これが現実だ!」
 髪の毛を掴まれて乱暴に前を向かされた。薪の怒号は、取調室の刑事よりも怖かった。
 母の映像はもう、はっきりと焦点を結ぶことができなくなっていた。急速に霞む視界に、蛙のような風体の男が青い顔をして走り寄って来た。それもすぐに見えなくなり、モニターは真っ暗になった。母が死んだのだ。

「ちがう……母を殺したのは父だ、父がそう言ったんだ」
「いつまでも自分の都合のいい幻想に浸ってるんじゃない!」
 その映像が真実であるとは、到底認められない。必死に首を振る省吾に、薪の厳しい一喝が飛んだ。
「いいか。お父さんがお母さんを殺したと言う筋書きは、きみが自分で作ったんだ。事故の様子をお父さんは正確には説明しなかった。自分のせいだ、とだけ言った父親の言葉からきみは勝手なストーリーを作り上げた」
 そんなことがあるはずがない。あれが妄想だとでも言うのか。まざまざと思い出せる、鬼のような父の形相も、鉄の棒で打ち据えられてぐしゃりと潰れた母の後頭部も。あんな生々しい妄想があるものか。
「きみの記憶にやたらと鮮明な映像が残っているのは、きみが行っていた例の施術のせいだ。ヘッドフォンを付けなければ音は聞こえない。でも、機器が発する強大な磁力は人間の脳に作用し、幻覚を見せる。
 きみはその幻覚の断片から話を捏ね上げた。それを自分の記憶だと思い込んだんだ」
 それは、記憶を奪われ、人生を奪われた女たちの復讐であったかもしれない。彼女たちに向けた省吾の毒は、自分にも返ってきていたのだ。

「きみはお母さんからもお父さんからも愛されていた。それが真実だ。復讐なんて、する必要はなかったんだ」
「うそだ、そんなはずはない、僕が愛されるわけはない。こんなに醜いのに」
「姿形じゃない。そんなものに左右されるほど、母親の愛情はヤワなものじゃない。そもそも、おまえは醜くない」
 省吾は自分の顔を手でこすった。何度も何度もこすった。

 僕は醜い。誰にも愛されない。
 だから。

 だからきっとお父さんはお母さんを殺さなきゃいけなくなったんだ、だって本当は男の人なんかいなかったもの、お母さんがあの家から出ようとしたのは、僕の醜さに嫌気が差したからだ。
 ぼくのせいなんだ、ぼくのせいなんだ、お父さんがお母さんを殺したのはぼくのせい。ぼくがみにくいからお母さんに愛してもらえなかった、みんなぼくのせい。
 そんなぼくがそれでも生きて行かなきゃいけないなら。
 ぼくは、悪魔になるしかないじゃないか。

「じゃあ、きみは僕にキスができる? こんな醜い男に」
 冷たい美貌が省吾を見下ろしていた。すい、と指先で顎を掬われる。ほんの数センチ上向かされた瞬間に、薪のくちびるが省吾のくちびるに重なった。
 遠くでガタガタと何客もの椅子が倒れる音がしたが、省吾の耳にはうっすらと響いただけだった。やわらかなくちびるの感触が、他の感覚を鈍化させていた。
 とても長い時間が過ぎたように思ったが、実際はほんの僅かな時間だったらしい。目を開けるとそこには薪のきれいな顔があって、省吾の眼をじっと見つめていた。

「お母さんはきみを愛した。お父さんもきみを愛した。お母さんに生き写しのきみを」
「なにを」
 差し出されたのは鏡だった。省吾があれほど避けてきた鏡。恐怖にも似た心地でそれを覗き込めば、そこにいたのは色白で線の細い青年だった。
 母と同じ薄茶色の髪に鳶色の瞳。ほっそりとなめらかな頬も慎ましい鼻梁も、ピンク色のくちびるも。在りし日の母にそっくりだった。
「どんな魔法を使ったんだい」
「きみが本当のお母さんを思い出した。それだけのことだ」
 ふい、と薪は横を向いた。きれいな横顔が、真っ直ぐにモニターを見ている。そこには、鏡の中の我が子に向かって微笑む母の姿があった。

「きみもお母さんを愛していたんだろう。桂木聡美。きみの母親の名前だ」
 ――字は大事だよ。聡明の聡と俊敏の敏ではイメージが違うだろ。

「お」
 身体の奥底から、なにかが突き上がってきた。防ぐべくもなく、口から迸った激しい嗚咽。手近にあった布を掴み、それを顔に押し付ける。
「お母さんっ……お母さ、あ、あ」
 自分の胸に顔を埋めて泣きじゃくる省吾を、薪は咎めなかった。部屋にいた職員たちも、引き離そうとはしなかった。ただじっと、彼の慟哭が治まるのを待っていた。
 ひたすらに待っていた。





テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(17)

 最終章ですー。
 お付き合いくださってありがとうございました。






カエルの王子さま(17)





 湯船の中で、薪は両手を前方に伸ばした。それから手を組み合わせて肘を開き、頭の後ろに持ってくる。その動作は、入浴時のストレッチは肩こりの緩和に有効だと雪子に教えてもらってからの薪のクセみたいなものだが、我ながらオヤジくさいと思っている。でもキモチイイ。年には勝てない。

「自供調書、取れたみたいですね。竹内さんから連絡がありました」
 向かいに座った青木が取り調べの進展について報告するのに、薪は、
「なんとか終わったな」と気のない返事をした。
 どうして室長の自分よりも先に青木が、しかも竹内は今回の事件の担当じゃないのに、まったく、捜査一課の礼儀知らずにも困ったものだ。ちょっと犯人の自供に協力したくらいで、第九が自分たちの手柄を掻っ攫うとでも思っているのか。て言うか、そもそも犯人を捕まえたのは岡部と青木だ。手柄を横取りしたのは捜一の方じゃないか、と思いついて止めた。そんなことはどうでもいい。事件は解決したのだ。
 第九の存続に必死だった昔は、薪も手柄に拘ったりもした。しかし、今はその必要はなくなった。第九の捜査機関としての地位は確立され、薪が自ら捜査に乗り出すことも減った。代わりに増えた官房室の法令制定関連の仕事より捜査の方が百倍楽しい薪としては複雑だが、後進に経験を積ませることも大事だと上司に言われて捜査への口出しを控えている。人間、年を取ると仕事の内容がつまらなくなる。今回青木と出張に行ったのだって、気晴らしみたいなものだ。

「おまえと二人で出張に行くと、ロクなことがないな」
 身に覚えのある青木が、バツが悪そうに俯く。前のときは、犯人の罠で青木が所轄に逮捕され、濡れ衣を晴らすべく奔走した薪が大変な目に遭ったのだ。
 今回もお疲れさまでした、と青木が言うので、身体を回して彼に背中を向けた。後ろから抱きついてくる腕をピシリと叩くと、薪の意向を理解したらしく、黙って肩を揉み始めた。

「やさしいですね、薪さんは。あんな酷いことをされたのに。省吾さんが母親に愛されていたことを教えてあげようなんて」
「馬鹿を言え。殺人鬼だぞ、あいつは」
 何年経ってもお人好しの青木にイライラする。そんなことで刑事が務まるか、といくら叱っても懲りない。薪が見るに確信犯的なところもあったりするから、3歩歩けば忘れてしまうニワトリよりタチは悪い。
「生い立ちなんか関係ない。どんな理由があろうと犯罪は犯罪だ」
 犯人に情けを掛け過ぎる傾向のある青木を諌めるため、薪はことさら冷酷に言い放った。
「あんな人間に、僕が同情するとでも思うか。被害者たちの遺体が地中深くに埋まってしまって書類に起こせない、自供が取れなかったら送検できない状態だった。だから奴に揺さぶりを掛けたまでだ」
 反論してくるかと思ったが、青木は何も言わなかった。代わりに、肩を揉む力を少しだけ強くした。肩甲骨と背骨の間のツボを揉みこまれて思わず呻く。ある程度コリが解れるまでは痛いけれど、これがめちゃめちゃ気持ちよくなるのだ。人間の身体って不思議だ。

「父親は、省吾さんに暗示を掛けたんですね。自分の元に縛り付けるために」
 犯罪者をさん付けするなって何度言ったら分かるんだ。注意しようと思ったが、ツボを押されて機を逸した。息を詰めて痛みに耐える。薪の口元から漏れる吐息が、密閉された浴室で湿った華を咲かせた。
「人間の感覚って不思議ですね。『あばたもえくぼ』て言葉がありますけど、思い込むと、そういう風に見えちゃうもんなんですかね。女の子がほいほい引っ掛かる時点で、自分が美形だって気が付いてもよさそうなもんですけど」
「省吾の場合は、脳に欠損があったことも関係してるんだろう。父親が幼い彼に施術を施したのは、母親の死体を見られた時だろうな。妻と離れたくなかった彼は、息子の記憶を消す必要があったんだ。ひどい父親だ」
「では省吾さんは、施術と暗示を幼い頃から繰り返し受けて」
「多分な。やつのコンプレックスはすごかったぞ。二言目には自分は醜いって、んっ」

 ああ、そこ。
 ここですか?
 うん、そこだ。あー、気持ちよくなってきたー。

 時折マッサージの指示を挟みながら、二人の会話は続く。一緒に風呂に入って肩を揉みながら仕事の話なんて、同じ職場の上司と部下ならではの恋人関係だと思う。
「可哀想なひとですよね、省吾さん」
「バカを言え。自分がされたからって、それを他人にやっていいわけないだろ。他人の記憶を奪うことは、人生を奪うことと同じだぞ。あの地下室の死体は首を吊ったものが殆どだったけれど、彼女たちを自殺に追い込んだのはやつだ。断じて許せん」
「省吾さんは寂しかっただけなのかもしれませんよ。誰かに、ずっと自分の傍にいて欲しくて。彼女たちの遺体をホルマリン漬けにしたのだって、省吾さんなりの愛だったのかも」
「彼女たちの遺体を見ただろう。無残に切り刻まれて、あれが愛だって言うのか」
「サディストの愛情って、相手を痛めつけることなんでしょう?」
「おまえたちが助けに来るのがあと何時間か遅かったら、僕も彼女たちと同じになってたわけだけど」
「……許せないですっ、終身刑が適当だと思います!」
 なんだ、その変わり身の早さは。
 犯人の気持ちを理解しようとする、それは刑事にとって重要なことだけれど、同調してはいけない。絶対にいけない。お人好しだけならまだしも、なるほどと頷いてしまっては駄目なのだ。

 やがて肩の凝りはスッキリと解消されて、薪は青木の胸に自分の背中を預ける。青木の体温が心地よい。薪のバスタイムはとても長いので、湯の温度は体温に近い38度。この季節だと、夜は少し寒いのだ。
「それにしてもおまえ、よくあそこが分かったな。地元の捜索隊でも見つけられなかったって聞いたぞ」
「薪さんを見つけるのは得意ですから」
「それなんだけど。いつもどんな手を使ってるんだ?」
 薪はふらっといなくなるのが得意だ。わざとやっているわけではなくて、推理に没頭していると、いつの間にか、自分でも思いもよらない場所を歩いていたりするのだ。そういう意味では薪は、年中記憶喪失になっている。
 そんな薪を見つけるのは青木の役目で、青木の特技は必要に駆られて開発されたスキルとも言える。これまでの統計、薪の性格及びその日の気分など、誰よりも薪を理解しようと努めてきた青木だからこそできる技だ。が、それはあくまで捜索範囲が決まっている職場の場合。今回のように、まったくの新規かつ情報の無い場所で対象を探し出すなど、普通ではあり得ない。薪が秘密を聞きたがるのも無理はなかった。

「決まった方法なんかないですよ」
「隠すな。少々変わった方法でもいい。それを救助隊の訓練に組み込めば、能力アップにつながるだろ。どうやってるんだ?」
「どうって言われても。なんとなくとしか言いようが」
「それじゃ訓練のしようがないじゃないか。役に立たない能力だな」
 仕事を絡めても白状しないとは、どうやら明確な手順は存在しないらしい。そんな曖昧なことで、よくもあれだけ高確率で薪を見つけられるものだ。半ば呆れて、薪は後ろを振り仰いだ。
「ちなみにそれ、だれでも探せるのか」
「いいえ。薪さんのことだけです」
 後ろに反らした細い顎が、一瞬固まる。上から見下ろしてくる漆黒の瞳と、それを見上げる亜麻色の瞳が絡み合った。
「本当に役に立たずだな、おまえ」
 ニヤッと笑って痛烈な一言。いつだって青木には容赦ない薪は、だけど、軽くなった肩が楽しそうに上がる。細い背中から伝わってくる、抑えきれない躍動。
 それを青木は後ろから抱き締める。薪の手は、今度は青木の腕を叩かなかった。

「記憶が戻ってよかったです。あのまま忘れられちゃったらどうしようかと思いました」
 薪が自分のことを知らない人だと、そう言った時の絶望がありありと蘇る。当然のように薪を抱き上げて連れ去った省吾が憎らしくて、本気で家に火を付けてやろうかと思った。薪には絶対に内緒だが。

 本当はあの時。薪は記憶を取り戻していたのだ。
 青木に抱き締められたとき、自分の中から何かがふわりと浮かび上がってきた。濡れた草木と泥の匂いの中に青木の匂いを嗅いだ時、それは暖かく薪を満たした。
 眼を開けたら青木がいて、もうその場で裸で抱き合いたいくらい嬉しかったのに。犯罪捜査を優先させたのは、さすが薪と言うかどこまでも薪と言うか。

「もう、忘れないでくださいね」
「それは約束できない。なんたって、記憶を消す施術を施されたんだから」
「え。じゃあ、何かの拍子にまた忘れられちゃうんですか、オレ」
 不安を感じて薪を抱く腕の力を強くする、青木の素直さに薪は毎回ほだされる。こいつ、なんて可愛いんだ。
「心配するな。おまえのことは必ず思い出すから」
「すみません。食堂のおばちゃんより後に思い出された身としては素直に信じられません」
「根に持つなー、おまえ」
 あの時も、本当は一番最初に思い出していたのだ。
 最初に薪の身体を検めたのは青木だ。青木の手に触れられたとき、この手を知っている、と薪は夢の中で思った。だれだっけ、と考えたらすぐに青木の顔が浮かんだ。抱きつきたかったけれど、身体が動かなかった。

「本当だ。何度でも思い出す」
「オレもです。何度でもあなたを見つけます」
 それはとても簡単で、しかも当たり前のことのような気がした。

 何度でも。青木は薪を見つける。
 薪は何度でも青木を思い出す。
 例え何億個の脳細胞が消滅しても、それは記憶とは関係のない本能行動。彼らが互いに互いを刻んだ記念碑は、脳細胞よりもっと深い場所にある。それを人は愛とか呼ぶのかもしれないけれど、彼らにとってはそんな大仰なものじゃない。それが普通だと思うことができる、簡単だと思えることのなんて強さ。

「ところで、薪さんの浮気の件ですけど。慰謝料、身体で払ってもらっていいですか」
「なんの話だ」
 突然会話が不穏な方向に流れて、薪はぎょっと身を硬くする。身に覚えのないことだが、記憶を失っていたのは事実だ。記憶を取り戻すと記憶を失くしていた間のことは忘れてしまう事例もあることだし、覚えていないだけで本当はなにかあったのかも。
 自分の非を認めそうになって、薪は思い直す。記憶が無かった時の記憶も、ちゃんと残っている。怪我をして動けなかったから、省吾に手伝ってもらって風呂に入った。青木以外の男に裸を見せたわけだけれど、あれは仕方がなかった。オーディオルームで襲われそうになったときには意識がなかったのだから、あれも薪に責任はないはずだ。どちらも浮気ではない。

「9回、いや、こないだのキスも入れて10回分かな」
 10回分、何をする気なのか。分かってるけど知りたくない。
「こないだのは仕事だろ? ああでもしないと自供を引き出せないと」
「じゃあ最初の9回で我慢します」
 いや、9回でも充分死ねると思うけど。
「どこから出て来たんだ、その数字」
「薪さんの身体に付いてたキスマークの数です」
「不可抗力だろ!」
「どんな理由があろうと浮気は浮気です」
 いみじくも、薪の犯罪に対する姿勢と青木の浮気に対する姿勢は同じらしい。薪はザバッと湯の中で身体をねじった。
「いや、ちょ、待て、待ってくれ! 明日は早朝会議が、うぎゃー!」


*****


 翌月、開かれた裁判で、検察側は情状酌量の余地なしとして桂木省吾被告に死刑を求刑。裁判官は検察の主張を全面的に支持し、死刑を宣告。被告人による控訴は行われず、刑が確定した。


*****


 東京に初雪が降った日、薪に一通の手紙が届いた。東京拘置所から検閲を経て送られてきたその手紙には、短い文がしたためられていた。

『お姫さまのキスで、僕は人間に戻れた。ありがとう。

みにくいカエルの王子様より』



―了―


(2014.5)


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ジャンル : 小説・文学

青木警視の殺人(1)

 ご無沙汰です。
 本格的に現場が動き始めたので、なかなかブログに来れませんで。1週間経っちゃいましたね~。

 さて。
 今日からの公開作は、「青木さんガンバレSS」第3弾でございます。
 青木さんが薪さん似の女性と不倫して殺して逃げる話です。(←何を頑張らせようとしているのか)

 巷で「生ぬるい覚悟」とやらが話題になってますけど、過去作ちらっと読み返しましたら、うちの青木さんの覚悟が半端なくてドン引きしました。我ながら無茶苦茶やらせたもんだ(^^;
 ああいうこと言っちゃうあたり、薪さんも若いねえ。
 なんでもね、行きすぎると人間、大事なものを失っちゃうからね。ほどほどがいいと思うよ、おばちゃんは。






青木警視の殺人(1)





 午後のコーヒーを挟んで、薪が言った。
「別居しよう」
 カラッと晴れた夏の昼下がり。しかし、その言葉を聞いた青木の視界には夜空を切り裂く稲妻が見えるようだった。

「――と言うわけだ。分かったか」
 雷の直撃を受けた青木に意識があろうはずもなく。続く薪の説明を、青木はまったく聞いていなかった。薪が喋っていた1分間、青木の時間は止まっていたのだ。
 澄ました顔で青木が淹れたコーヒーを飲む薪に、その伏せられた睫毛に心を奪われながらも、青木はやっとの思いで尋ねた。
「なんでですか」
「いま説明しただろうが。聞いてなかったのか?」
 聞いてなかった、そんな余裕はなかった。薪に見限られることは神さまに見捨てられるより悲惨だ。青木はクリスチャンではないから神さまに見向きもされないと感じても生きて行ける、でも薪に愛想を尽かされたと思ったら生きて行けない。いろいろ間違ってる気もするけど、事実なんだから仕方ない。

「もう一度言うぞ、あのな」
 それを聞いたら薪さんと別れなきゃいけないんですか?
 そんな恐怖が薪の声をシャットアウトする。説明なんか無意味だ。どんな理由を付けられたって青木は納得できない。薪の婚約者に子供ができたと聞かされても別れられなかったのだ。結婚した後も、彼女に隠れて会ってくれと薪に頼んだ。最愛の人を最低の人間に堕としめる行為をねだるような見下げ果てた男に、どんな説法も効くものか。
「だからおまえとは距離を」
「どうしてですか」
 質問を重ねる青木に薪が眉を寄せる。薪は聞き分けの悪い人間は嫌いだ。飲み込みの悪いバカはもっと嫌いだ。それは知っているけれど食い下がるしかない。青木にとって、これは死活問題なのだ。

「オレがごはん食べすぎるからですか」
「いや。生ゴミが減って助かってるけど」
「プライバシーの問題ですか。薪さんの部屋、掃除しないほうがよかったですか」
「いや。部屋がキレイになるのはうれしいけど」
「じゃあ夜ですか。最近、マンネリになってましたか」
「……何の話だ」
「わかりました! オレ、もっと研究して新しい技を」
「おまえはこれ以上僕の身体でなにを試す気だ!」
 まるで青木が薪の身体を弄んだような言い方だが、むろん青木にそんな美味しい記憶はない。保守的と言うか冒険心がないと言うか、薪はベッドの中ではしごく慎ましやかで、それはそれで可愛いのだけれど、若い青木には物足りないことがある。たまにはBC(市販の催淫剤)でもキメて、薪と二人、めくるめくような快感に浸りたい。でも、そんなものをこっそり使ったことが後でバレたらどんな目に遭わされるか。そんなわけで、薪と一緒に使いたくて買ったラブグッズは日の目を見ないまま、押入れの奥で埃を被っている。
「HEローション、使用期限過ぎちゃったよなあ……高かったのに」
「青木、いい加減にしろ。さっきから訳の分からんことを」
「訳が分からないのは薪さんの方ですよ。不満がないのに別れようなんて」
「別れるなんて言ってない。別居しようって言ったんだ」
 すみません。オレには両者の違いが分かりません。

「もう一度だけ説明してやるから」
「聞きたくないです!」
「なんで」
「それ聞いたら薪さんと別れなきゃいけないんでしょう」
「……ガキか、おまえは」
 首の後ろを掴まれて、ぐいと抱き寄せられた。柔らかいくちびるが重なり、すぐに薪の舌が入ってきた。ねっとりと絡められ、恍惚となる。気が付いたら夢中で吸い返していた。

「来週、幹部候補生の監査が入ることになった」
 息継ぎの合間にさらりと言われて、青木は薪の罠に掛かったことを知る。「薪さん、ズルイ」と膨れるが、薪が自分から仕掛けてくるときは何か裏があるのだと、何度引っ掛かっても学習しない青木も青木だ。
「この監査に合格すれば警視正への昇任もあり得る。大事な監査だ。だから」
「え。オレ、警視正になれるんですか」
 驚きのあまり、薪の話を遮ってしまった。最後の言葉の形に口を開いたまま、薪は少し意外そうに、
「おまえ、出世したいのか」
「はい。薪さんのお手伝いができるようになりたいです」
 薪が警視正の頃は、些少なりとも第九職員として彼の役に立つことができた。しかし薪の階級が警視長に上がり、官房室の職務の割合が増えてくると、青木のできることはなくなった。運転手兼ボディガードという立場にはいるが、もっと現実的な手助けがしたい。具体的には薪が家に持ち帰ってくる大量の仕事を手伝いたい。そのためには自分が出世するしかないのだ。

 薪は、つい、と青木から眼を逸らした。そのきれいな横顔には困惑とも悲しみともつかぬ憂いが浮かんで、それが青木には納得いかない。薪は毎年青木に警視正の昇格試験を受けさせる、だから自分に出世して欲しいのだと思っていた。その目標が近づいてきたのに、どうして悲しみを見据えたような瞳をするのだろう。
「いや、駄目だ。昇格試験に受かるまでは僕が認めん」
「ええ~」
 この人のこれは冗談ではない。直属の上司である薪の推薦がなければ、青木の昇進はない。やはり、地道に試験勉強をするしかなさそうだ。
「推薦と監査で昇進しようなんて、前世紀の悪習を踏襲する気か。あんな制度があるから、警察は上に行くほど堕落するんだ」
 薪は、つい先刻まで困惑に翳っていた瞳を強気な上司の色に染め替え、
「いいか、人間死ぬまで勉強だ。警察も法医学も法律も進化してる。僕たちは、学び続けなければいけないんだ」
 階級が上がっても、努力する姿勢を失わない。薪のこういうところが青木はたまらなく好きだ。十年後の自分もこうありたいと思う。

「とにかく、監査期間中は別居しよう。僕はホテルに泊まる」
「何故ですか。オレが薪さんのボディガードとして此処に住んでいることは正式に届が出てます。監査課も承知のことだと」
「おまえは特別監査の恐ろしさを知らないんだ」
 青木の甘さを叱るように、薪はぴしゃりと言った。
「前にも言っただろ。セックスで何回腰振ったかまで調べられるんだぞ。盗聴も盗撮もやりたい放題なんだ、あいつらは」
「まさか。いくらなんでも家の中までは」
「経験者の僕が言うんだ、間違いない。警視正の特別承認の時、小野田さんに写真付きの報告書が上がってて。後にも先にも、あんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだ」
 その程度の恥なら日常的にかいている気もするが。女装の隠し撮り写真は言うに及ばず、シャワーシーンやら昼寝中の寝顔やら、共有スペースに薪のプライバシーはないと思って間違いない。本人が知らないだけだ。

 昔の羞恥プレイを思い出したのか頬を赤くした薪に、青木はぽんと自分の胸を叩いて、
「安心してください。監査の間は部下に徹します。薪さんには指一本触れません」
「1ヶ月だぞ。我慢できるのか」
「すみません。できないこと言いました」
「なんだ、その無駄な謙虚さは」
 何だと言われても。青木は自分を分かっているだけだ。
「誤解するなよ。僕はおまえとの関係を隠したいわけじゃない。でも」
 これはおまえのためなんだ、とは薪は言わなかった。そのココロは隠したい気持ちがゼロじゃない。自分の狡さを恥じるように、薪はくちびるを噛んで言葉を飲み込んだ。
 そんな薪を見ると青木は、彼が可哀想になってしまう。人間の気持ちに100%なんかあり得ない。人の心はそんなに単純じゃない。なのに、どうして薪は自分を恥じたりするのだろう。他人には厳しく、自分にはもっと厳しく。薪の許容範囲はダーツのトリプルリングよりも狭い。

「1ヶ月ですね。職場では会えるんですよね」
「そうだ。研究室からホテルまでの送り迎えもおまえの仕事だ」
「じゃあ楽勝です。幹部候補生試験の時よりずっと短いし、薪さんがフランス警察へ出向してた時より一緒にいられる時間は長いですから」
 口ではそう言ったが、それほど余裕ではないことは予想が付いた。顔を見ることができても、恋人としての時間を持てないことは辛い。一方通行に恋をしていた頃なら顔を見られるだけでも幸せだと思えたが、今は同じ家に住んで、休日になれば24時間共に過ごすのが普通だ。気持ちが通じ合っているのに手も握れないなんて、今からストレスで胃に穴が空きそうだ。
 予備の胃薬を買っておこうと心に決めて、にっこりと笑った。薪を困らせるくらいなら、青木は胃痛を選ぶ。

「いつからですか?」
「来週の水曜からだ。僕は明日からホテルに移る」
「そうですか。それじゃ」
「ちょっと待て。いきなり何の真似だ」
 ダイニングの椅子から青木の腕の中に、急に抱き取られて薪は抗議する。まだコーヒーの香気も消えていないのに、第一、日が高いうちから触れ合うことは薪の趣味ではない。それは重々承知の上、でも青木は引かなかった。この方面に於いて薪を困らせることを躊躇していたら、胃に穴が空くどころか精神が崩壊する。

 抱え上げて寝室へ運び込む。エアコンを掛けてベッドに座り、膝に載せた小さな身体を抱き締めた。
「1ヶ月分前倒しでお願いします」
「……それは後払いと言うことで」
「却下です。薪さんには踏み倒しの前科がありますから」
 激しく舌打ちしたところを見ると、今回も倒す気マンマンだったらしい。あからさまにそういう態度を取られたら、青木だって少しムッとくる。暴力に結びつきはしないけれど、アプローチに表れる。相手の準備を待たない性急さだとかいつもよりも激しい愛撫だとか、ダメと言われる場所をしつこく責め続けるとか。
 青木を受け入れるどころかまだ服も脱ぎ切らない状態で最初の精を絞られて、薪はとうとう悲鳴を上げた。

「せ、せめて分割払いで!」
「仕方ないですね。今日は前金ということで。残りは後日回収させていただきます」
「う。わ、わかった」
「大分未納が溜まってますから、それも一緒に」
「記けるか、普通」
 この機会に現状を把握してもらおうと、必需品を入れてあるヘッドボードの引き出しから青木が取出したのは、ハンディサイズのダイアリーノート。カレンダー枠の中に予定が書き込めるようになっているものだ。30個の予定欄の過半数にはハートマークとバツ印、稀にマルの印が記入されていた。
「僕、こんなに断ってたか?」
 先月だけでもバツ印は二桁。1ヶ月に20日超という青木のモーションは多過ぎる気もするが、断られるからお願いの回数が増えるのだ。その証拠に、丸印の後は4日ほど空白になっている。

「ごめん。おまえとこうするの、いやなわけじゃないんだけど」
 薪はノートを青木に返し、裸の腰にそっとシーツを被せた。昼間の情事を好まない彼の性質を思い出して青木は、続きは夜に持ち越そうかと考える。
 分かっている。薪だって本当は、青木と愛し合いたいのだ。このバツ印は仕事の都合で仕方なく――。
「疲れるから」
「……やっぱり一括返済してもらっていいですか」
「なんで?!」
 逃げ腰の薪を押さえつけ、青木が行為を続行したのは言うまでもない。



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青木警視の殺人(2)

 あ、また1週間……本当に早いですねえ(^^;

 昨夜、歯医者に行ってきたんですよ。左の下の歯が痛くって痛くって。でも虫歯じゃないんですって。
 初顔合わせの下請さんと慣れない道路工事で緊張したのかなあ。昼間は現場、夜は書類で無理が祟ったのかなあ。
 とにかく、噛むとめちゃくちゃ痛いんですよ。右で噛んでても、だんだん痛みが増してくるんです。だからごはんがいつもの半分くらいしか食べられなくて。
 ダイエットしてると思えばいいのか。よし、2キロ痩せよう。



青木警視の殺人(2)






 人事部警務課から薪に連絡があったのは、薪がマンションを出る4日前。7月の終わりの日だった。

「特別監査? 青木にですか」
 監査課長室で通知書を受け取り、その内容に思わず唸る。彼の声は眉間に刻んだ皺の深さに相応しい低さで、かつ、不信と不満に尖っていた。
「何故です。私が再三推薦状を提出している岡部靖文警視や、或いはキャリア組最古参の今井警視ではなく、なぜ年も若く経験も浅い青木が」
「恐れ入りますが、薪室長。職員の監査、昇任人事に関する一切の決定権は我々人事部にあります。部下の階級を決めるのはあなたではない」
「それは私の人事考課が適正ではないという監査課長のご指導ですか。部下の能力も満足に測れないならさっさと室長なんか辞めちまえという人事部全体のご意見と受け取ってよろしいのですね」
「薪くん、薪くん、その辺で。葉山課長もそんなに怯えなくていいから。取って食われたりしないから」
 お目付役にと着いてきた田城が、薪の暴走にやんわりとブレーキをかける。課長の言い分が正しいことは薪も分かっていた。しかし納得できない。年功序列には拘らないが、第九には青木より仕事のできる者が大勢いる。警視正昇任の特別監査なら、彼らの方が先ではないか。

 薪の氷の視線に恐れを為したのか、それとも薪のバックに控えている人物への懸念か、葉山と言う名の監査課長は青い顔でカクカクと肩を揺らしながら、
「じ、実は、今回の監査は人事部の決定ではなく、長官の指示で」
「長官? 村山長官ですか」
「そうです、村山警察庁長官のご指示です。監査官も長官自ら選任されて」
 どういうことです、と拳を固めて詰め寄る薪に、葉山はいっそう鼻白み、
「わ、私はただこの通知書を薪室長に渡すようにと、それだけを託った次第で」
 震え上がる課長に軽く舌打ちして、薪は拳を開いた。机の上に置かれた通知書を細い指が取り上げ、ファイルに挟みこむ。

「青木一行警視の特別監査、よろしくお願い致します。それと」
 すっと頭を下げ、すぐに背筋を正す。上から目線の傲慢な態度で、薪は言った。
「長官が口止めしたかどうかは知りませんけど。僕なら、あなたのように口の軽い部下は重用しませんね」
 脅しといてそれ?!

 さっと踵を返して薪が課長室を出て行く後ろで、葉山課長と田城は思わず顔を見合わせる。後のフォローは田城に任せることにして、薪は真っ直ぐに官房室へ向かった。
 長官が一介の警視の特別監査を命じるなんて、あり得ない。この監査、絶対に裏がある。薪の知っている裏工作が得意な人間の中で、長官に影響を与えることができるのは官房室の策謀家だけだ。
 薪はそう予想して、しかしそれは的外れだった。持参した通知書を見せると中園は不思議そうに首を捻り、
「なんで青木くんなの? 岡部くんや今井くんじゃなくて?」
「それを聞きたくて来たんですけど」
 中園さんじゃないんですか、との問いに首を振る。本当に知らないようだった。
「村山長官の指示だって言うから、てっきり小野田さんが頼んだのかと」
「まさか。岡部くんの監査ならともかく、青木くんの出世のために長官に頭を下げるなんて。あの小野田がするわけない」
 それもそうだ。小野田はしごく個人的な理由で青木が嫌いなのだ。

「岡部の特別監査は、やはり難しいのでしょうか」
 名前が出たついでにと薪が訊けば、中園は渋い顔をして鼻から息を吹いた。人事部は警察庁の中で唯一、中園の支配が及ばない部署だからだ。
 以前、次長の娘婿である間宮隆二が警務部長を務めていたことからも分かるように、人事部は次長派の領地だ。役職者はすべて次長寄りの職員で構成されている。
 旧第九職員滝沢幹夫の帰国を機に巻き起こった3年前の事件で、次長派の勢力は大幅に削がれた。その後、派閥の分裂と寝返りは進み、次長派にとっては人事部が最後の砦と言ってもいい。そこを残しておくのは小野田の仏心、ではなく。その方が都合がいいからだ。
 ここで完全に次長派の息の根を止めたとしよう。すると、現次長に替わる新興勢力を、政敵の警視総監辺りが必ず押し出してくる。現在の三竦み状態は解消され、行き着くところは警視総監と次長のタッグチームとの全面戦争だ。今の時点でそれは避けたい。警視総監と雌雄を決するのは、小野田が警察庁の最高権力を握ったとき。警視総監と同等の力を持っていなければ、潰されるだけだ。
 小野田が次長職に就くには、あと一つ、決定打が必要だ。それまでは無力なナンバー2をお飾りに据えておく。それが官房室首席参謀の計画であった。
 警察内の勢力争いはさておき、問題は青木の監査だ。

「村山長官が青木くんをねえ。長官には別件でお願いしたことがあるけど、それとは関係ないだろうし」
「別件てなんですか?」
「きみは知らなくていいの」
「僕は次席参事官ですよ。官房室に関することなら知る権利が」
「だったら早く第九辞めて。官房室の人間になりなさい」
 バッサリと急所を責められて薪は口ごもる。第九と官房室の兼任なんて、我儘もいいところだと自分でも思う。その勤務体制のまま薪は次席参事官になった。小野田の娘との婚約が決まったからこその内部人事だったが、婚約解消の後も役職はそのままだ。小野田に特別扱いされていると陰口を叩かれても仕方ない。薪は殊勝に考えたが、官房長の愛人ならそれもアリだと思われている現実を知れば、陰口も立派な犯罪だと怒り狂うに違いない。

「岡部が……室長に就任するまでは」
 それが薪が官房室入りする条件であった。その時、それはさして遠くない日のことに思われた。当時の警務部長は岡部の能力を高く評価していたからだ。しかし、人事部は3年前の事件で総入れ替えされ、岡部の室長就任は難しくなった。法曹界の黒幕を炙り出した薪の尽力が、結果的に岡部の出世を潰した。皮肉な話だ。
「いっそのこと、第九は今井くんに託したら。今井くんならキャリアだし。推薦状も受理されると思うよ」
「でも、第九のことを一番よく分かっているのは岡部です。今井より経験もあるし、能力的にも」
 それだけではない。もっと大事なことがある。
「誰よりも皆に頼りにされてるし、誰よりも皆のことを思っている。室長を任せられるのは岡部しかいません」
 仕事の実績や能力、それら推薦状に書けることより、書けないことの方がより重要なのだ。室長として、第九をまとめていくためには。

「きみの気持ちも分かるけどさ。やっぱり無理があるんだよ。ノンキャリアが科警研の室長になるのは」
 ノンキャリアとキャリア組の格差は、未だ警察内にそびえ立つ大きな壁だ。そのことに薪は強い憤りを感じる。国民を犯罪から守るために必要なのは試験勉強ではなく、実地経験と鍛錬だ。それを何でも試験試験と、だから上層部は形骸化するのだ。
「その理屈はおかしいです。僕の経験から言うと、キャリア組の多くは部下の能力を引き出せていない。現場を経験していないからです。逆に、現場経験の豊かなノンキャリアの方が指導力、統率力ともに優れている。警察は学校じゃない、実戦部隊なんです。もっと実力主義を徹底すべきだと」
「改革案を推進する実力もないくせに、勝手なことを言うんじゃないよ。人事改革がしたいなら、まずは完全に官房室の人間になることだ。一人前の口を利くのはそれからだ」
 中園の叱責はもっともだった。今の宙ぶらりんな状態では、チームを立ち上げて企画を推進することもできない。大きな事件が起きれば、薪は第九に戻るしかないのだ。

「中園。あんまり薪くんを苛めるんじゃないよ」
 うつむいた薪に、助け船が出された。官房長の小野田だった。ちょうどドアを開けたところに、中園の声が聞こえたらしい。
「心外ですな、官房長殿。身に覚えのないことで疑われ、管轄外の人事を責められ。苛められていたのは私の方ですよ」
 薪の頬が羞恥の色に染まる。おどけた口調だったが、中園の言うことは本当だった。濡れ衣は事実だったし、人事の矛盾については訴えるべき相手を間違えていた。
「すみませんでした」
「謝らなくていいんだよ、薪くん。こっちだって、今きみを完全に官房室へ引き抜くわけにはいかないんだから。そうだろ中園」
 まあね、と肩を竦めた首席参事官に薪は首を傾げる。上官たちは、早く薪に第九を卒業して欲しいのではなかったのか。
「葉山監査課長が言ったことは本当だ。人事の決定権は人事部にある。当然、きみの後釜を決める権利も。次長の息のかかった警務部長に、次長派の警視長でも送り込まれてごらんよ。第九の機密情報が次長派に流れ放題だ」
「まあ、そういうこと」と小野田は腹心の部下の言葉を肯定し、ソファに腰を下ろした。上司に着いて、中園は応接ソファに移動する。下座に座って薪に手招きした。首席参事官室の応接セットは官房室のものより大分小さく設えられているが、3人の密談には十分だった。

「部下の話を立ち聞きとは。高潔な官房長殿がなさるとも思えぬ下衆な行いで」
「おまえと一緒にしないで欲しいね。田城くんから連絡をもらったんだよ」
 中園の隣に姿勢よく座った薪に、小野田はにっこりと微笑んで、
「薪くんのことだから。ぼくのところに来なけりゃ、此処だと思ったんだ」
 さすが官房長。薪の行動パターンなんかお見通しだ。
「一応お訊きしますけど。小野田さん、青木の警視正昇任を長官に進言なさったりは」
「まさか。彼を交番勤務に推薦するなら分かるけど、警視正になんて。ぼくの人を見る目が疑われてしまう」
 何もそこまで言わなくても。
 小野田の手酷い答えに、薪は胸を痛める。小野田が青木を疎んじるのは自分のせいだ。彼の娘よりも青木を選んだ。そのことで、恩人である彼をひどく傷つけた自覚はある。だから青木に関係することは小野田には言い難い。それで中園のところへ来たのだ。

「冗談はともかく、ぼくにも心当たりはない。様子を見るしかないだろうね」
「特別監査はけっこう厳しいぞ。身辺の整理をしておくよう、青木くんにはよく指導した方がいい」
「ご安心を。監査期間中は、僕はホテルに泊まりますので」
「いや、別にきみが家を出なくても」
「中園さんともあろう方が、なにを呑気なことを!」
 突然スイッチが入った人形のように薪はパッと身を翻し、中園に向かって一息に捲し立てた。
「特別監査ですよ。家の中のプライバシーなんかあるわけないじゃないですか。何時に風呂に入って足何回の裏洗って何時に寝て何回寝返り打って何回イビキかいたかまで全部調べられるんですよ?!」
 薪の剣幕に押され、中園は上半身を仰け反らせた。悲痛に叫んだ薪は、何を思い出したのか眼の縁に涙を浮かべていた。
「なに。薪くん、特別監査に嫌な思い出でもあるの」
「おまえが言うのかい、それ」
 やった方は忘れてもやられた方は忘れない。典型的な人間関係にため息を漏らしつつ、小野田は話題を切り替えた。

「それより薪くん。例の法案はどうなってる?」
「順調ですよ。再来週の水曜には閣僚会議で3回目の打ち合わせです」
 現在薪は、MRI捜査に関係する新しい法律案の制定準備を任されている。この法律が成立すればMRI捜査は物証と同等と見做され、第九の地位は揺るぎないものになる。薪としては、必ずや通したい法案であった。
「それはよかった。反対派も多いから、身の周りには気をつけるんだよ。外へ出るときには必ずSPを付けて」
「大袈裟ですよ。SPなんて」
「法案のトラブルは準備期間中が一番危ないんだ。油断は禁物だよ」
「大丈夫ですよ。僕には優秀なボディガードが付いてますから」
 薪の返答に少しだけ嫌な顔をする上司に微苦笑で敬礼し、薪は官房室を後にした。小野田は青木との仲を認めてはいるが、諸手を挙げて賛成してくれたわけじゃない。それが態度の端々に表れている。けれど、薪は今の状況に何の不満もない。そこまで望むのは贅沢というものだ。それよりも気になるのは、村山長官の意図だ。

 岡部や今井ではなく、未熟な青木をターゲットにした。悪意か、それとも。

 警察庁8階の長い廊下を歩きながら、薪は、青木の監査対策について思案を巡らせていた。


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青木警視の殺人(3)

 あら、今度は10日……この季節は本当に時間の流れが早いわー。
 他のブログさんからもすっかり足が遠のいてしまって、取り残され感が半端ないんですけど、来年の6月になったら戻ってきますので、またかまってやってください。(長すぎ。そしておそらく10月にはまた現場に出る)

 歯痛は、神経抜きました。生まれて初めて。痛かったー。
 神経の使い過ぎで歯が痛くなったのかと思ってたら、固いものの食べ過ぎで歯にひびが入って神経に触っていたらしく……結局、ただの食いしん坊だったという(^^;
 ご心配かけました。今は何でも美味しく食べてます。たがね揚げ、旨~。(←懲りない)

 さて、続きです。



青木警視の殺人(3)



「……くん、薪くん」
 はっと我に返り、目を通していたはずの書類の内容がまるで頭に入っていないことに愕然とする。昨日の疲れが残っていたらしい。プライベートの疲労を公務に引きずるなんて最低だ。たるんでるぞ、と薪は自分を戒めた。

 ちょうどそこへ、小野田の秘書が3人分のコーヒーを運んできた。いつもなら遠慮するところだが、今朝は二人で寝過してしまって、青木のコーヒーを飲んでない。ありがたく頂くことにした。
「大丈夫かい? 疲れてるみたいだけど」
「はい、大丈夫です」
「昨夜、お楽しみだったの?」
「はい、だっ、ごぉっほ、ごほっ!」
 むせたはずみにコーヒーをこぼしてしまった。3人の位置関係はいつも通り、薪の左隣が中園、向かいが小野田。ローテーブルの向こうにいた官房長は浸水を免れたが、隣の首席参事官の被害状況は甚大だった。
「このスーツ、高かったのに」
 自業自得ですとも言えず、狙いましたとはもっと言えず。上司のセクハラ発言に対する反感を口中のコーヒーと一緒に飲み込んで、薪は「すみません」と頭を下げた。

「謝らなくていいよ。そんなことを聞く中園が悪いんだ」
 瞳の色と同じ薄灰色のスーツのシミをハンカチで叩きながら、中園は、上役の言葉に眼を細くして、
「仕事に集中してない薪くんが悪い」
 はい、仰せの通りです。ごめんなさい。
「どうせ寝ないで別れを惜しんでたんだろ。『明日からは同じ部屋で寝られないんですから』なんて青木くんにねだられてさ」
 さすが官房室の諸葛亮。見透かされてる。
「そうなの? 薪くん、昨夜は徹夜?」
「いいえ。10時には寝ましたけど」
 嘘は言ってない。眠った、もとい記憶が飛んだのはそのくらいの時間だ。ベッドに入ったのが夕方の4時頃だったから、5時間くらいぶっ続けで抱き合ってた計算になるが、それは言わぬが花というもの。

「聞いただろう、中園。薪くんはおまえとは違うんだよ」
「どうして信じるかなあ。一緒に住み始めてまだ4ヶ月、それで1ヶ月間の別居生活だぞ。前夜に寝てる余裕なんかあるわけないだろ」
「薪くんはぼくに嘘を吐いたりしないよ」
「あのね、そうやっておまえが甘やかすから」
「おまえはあからさま過ぎなんだよ。いくら直属の部下だからって、薪くんにもプライバシーってものが」
「ある程度の干渉は必要だろ。プライバシーの尊重と言えば聞こえはいいけど、知らないで済ますのは無責任だ」
 子供の躾について話し合ってる夫婦みたいな会話になってきた。しかしその題目を考えると、この場を逃げ出したくなってくる。何故ならこの先の展開は予想がついて、つまり、
「大丈夫なんだよ。薪くんの下半身はとっても残念なんだから」
 そうくると思いました。
「ああ、思い出した。20年前の監査報告。可哀想で涙が出たよ」
 すみません、二人して僕の古傷抉らないでもらえますか。
「でもさ、青木くんは若いわけだから」
「? 青木くん一人じゃできないだろ?」
「それがそうでもないんだな。おまえは知らないだろうけど、女性の場合と違って」
 ちょっと中園さん。小野田さんに無駄な知識を吹き込まないでください。
「え、そういうものなの? それってどうなの、その、受ける側としては」
「僕もそこまでは。受けたことがある人間じゃないと」
「「薪くん。実際どうなの?」」
 ごめんなさい、何でもしますからもう許してください。

 話が進むほどに頭を垂れて、とうとうソファの陰にうずくまってしまった薪に、中園のシニカルな声が掛かる。
「反省したみたいだから、これくらいにしておいてあげる」
 はい、と目の前に下ろされた書類を受け取って、薪は眼を瞠った。書類に記載された名前を見て、思わず声を上げる。
「女性の監査官ですか」
「そ。僕もちょっと驚いた」
 第九業務に割り当てられている月曜の朝に薪がここを訪れたのは、青木の担当監査官について知識を得るためだった。選別の理由に疑問は残るが、どうせ受けるなら合格した方が良いに決まっている。そのためには事前に対応策を練ることが必要だ。
 もちろんこれは非公式な書類で、薪が中園に頼んだのだ。それなのに薪がぼーっとしているから、カンに障って先刻のようなセクハラトークになったのだろう。

 女性の監査官は珍しくはないが、その受け持ちは殆どが女性職員だ。監査官と監査対象者は、聞き取り調査のため密室に二人きりになることが多い。その手のトラブルを防ぐためにも監査の厳正化のためにも、異性の組み合わせはしないのが普通だ。いくら長官直々の監査命令でも、その慣習まで無視するとは意外だ。
「あるいはそれが狙いかも」
「トラブルを起こそうとしている、ということですか? 長官に恨まれる憶えでも?」
「いや。長官は元々こちらの味方だ。次長派は警視総監派と繋がってるからね。とはいえ、あの人もタヌキだからねえ」
 今日の味方が明日は敵。朝にこやかに挨拶を交わした彼が、夜になれば敵と酒を酌み交わす。警察機構では、真の味方を作ることは上に行くほど難しい。

 うすら寒い人間関係に辟易しながら、薪は改めて書類を見直した。
 北川舞、32歳。キャリア組の警視正。人事部監査課所属。昨年までは警察庁警備部に在籍。春の人事で監査室に異動、主任監査官を拝命。女性ながらかなりの出世コースだ。
 舞という名に、薪は親しみを覚える。青木の姪と同じ名前だ。きっといい娘だ。
「年は若いし、監査官としてのキャリアも浅い。心配することはなさそうですけど」
「相変わらず危機管理が甘いな、薪くんは」
「別に女性だから点を甘くつけてもらえるとは思ってませんよ。ただ、青木とは同期生だし、監査期間中に大きなミスさえなければ」
「これでも?」
 写真を見せられて息を飲む。そこには薪そっくりの女性が、婦人警官の制服を着て写っていた。

「驚いた。鏡を見てるみたいです」
 薪よりもややふっくらとした頬だとかカーブの緩い眉だとか、微細な相違点はあるものの瓜二つと言って差し支えない。それでいて一目で女性と分かるのは、丸い肩や胸のふくらみのせいではなく、彼女が醸し出す雰囲気だ。薪が女装しても、この柔らかさは出ない。
「察庁に、こんなに僕に似てる女性がいたなんて。ちっとも知りませんでした」
「呑気だなあ、きみは。そんな顔がゴロゴロしてるわけないだろ」
 写真の顔をピンと指ではじき、中園は声を落とした。
「整形だよ。病院に、君の写真を持っていったんだと思うよ」
 え、と見上げた中園の顔は嵐の気配を感じ取る旅人の表情。薪もおかしいと思った。理想の芸能人の写真を持って美容整形を訪れる女性はいるかもしれないが、男性の写真を持って行くなんて。その医者も、よく引き受けたものだ。
「彼女はどうしてそんなことを?」
 さあ、と中園は肩を竦めた。
「前にも言ったように、岡部くんや今井くんじゃなくて青木くんに昇進話が来ること自体が不自然だ。君が上げてくる人事考課表では、先の二人の方がずっと高評価だからね。どうも裏がありそうなんだけど、人事部の決定には口を出せない。非公式とは言え、長官が絡んでいるとなれば尚更だ」
 その状況下で敵対派閥の人事部からこれだけの情報を得るのに、中園はかなり苦労したはずだ。それなのにぼうっとしたりして、本当に申し訳ないことをした。

「大丈夫です。公務上は何の問題もないはずです」
 青木は真面目を絵に描いたような男だ。勤務態度は非の打ちどころがない。実績もある、人望もある。不安があるとすればプライベートだが、そのために別居するのだ。心配はいらないと思えた。
 薪が自信たっぷりに言い切ると、小野田が向かいでわざとらしく溜め息を吐いた。視線を巡らせれば、薪には滅多に見せない不機嫌丸出しの顔。
「青木くんなら警視正なんか楽勝だって言いたいの?」
「僕はそう思ってます」
 小野田は青木のことになると途端に点が辛くなる。この時も彼は、やれやれと言った態でソファに寄り掛かり、
「きみは監査官には向かないね。評点が甘すぎる」と薪の意見にダメ出しをくれた。
「おまえが厳しすぎるんじゃないの。僕はとっくに青木くんを警視正にするべきだと思ってたよ。何度も進言しただろう」
「中園さん」
 人事考課が厳しいことで有名な首席参事官が青木を買ってくれたことがうれしく、薪は頬を緩めた。だが小野田は、温かみのある灰色の瞳を今回ばかりは険しく細めて、
「じゃあ聞くけど。青木くんに第九の室長が務まると思う?」

 どきっとした。
 あの青木に、あんな仕事を?

「第九だけじゃない。警視正になればどの部署へ行っても室長か課長だ。今みたいに正しいだけじゃいられなくなる。それに彼が耐えられるかどうか、薪くんなら想像がつくんじゃないの」
 その言葉で薪は知る。小野田の青木に対する不信は彼の能力不足に起因するものではなく、青木という人間の性質そのものであったこと。
 どこの部署でも課長職は汚れ役だ。表沙汰にできないことが起これば、それを無かったことにするのが仕事だ。薪もそうしてきた。公にできない事件の、たくさんの秘密を飲み込んできた。あの純朴な青木に、それができるだろうか。
 上に立つ者は清白ではいられない。階級が上がれば、誰もが警察機構の闇に少しずつ侵されていく。警察ではそれが出世するということなのだ。
「慣れてもらうしかないだろ。駄目なら駄目で、さっさと切るべきだ」
 やっぱり中園は怖い。自分を含めた全警察官を歯車と言い切るだけあって、情を挟む余地がない。それに引き替え、青木の性格を考慮して昇進を留めようとした小野田はやさしい。――でも。

「中園さんの言う通りだと思います。やらせてみて駄目なら、それは仕方がないです」
 言いきった薪を、意外そうに二人の上司が見つめる。それでいいのかい、と二人の眼が訊いてくる。
「いつかはぶつかる壁だと思っていました」
 一生を捧げる職場に第九を選んだ、青木の選択はいずれ彼の前に立ち塞がる大きな障壁となることを、薪はずっと以前から予感していた。青木が第九に転属になったその日から、彼はこの仕事にそぐわないと感じていた。

「青木くんが警察を辞めちゃってもいいの?」
 現実を知った青木が第九を、警察機構そのものから離れたいと望んだら。自分がどうするか、薪の中で答えは出ていた。
「かまいません。もし彼が警察を辞めても、僕との関係が変わるわけじゃありませんから」
「いや、そこも切ろうよ」
「いいんじゃない。マスコミにスクープされたとき、相手が自分の部下よりも一般市民の方が、こちらとしては都合がいい」
「そういう問題じゃないだろ。中園、おまえは目先のことに捕らわれ過ぎだよ」
「おまえは薪くん可愛さに囚われ過ぎだよね」
 再び父母の会話に戻る二人から意識を離して、薪は中園が調べてくれた監査官の情報を頭に叩き込んだ。整形前の顔写真が欲しいところだが、残念ながらそれはなかった。宇野に頼んで人事部の過去データを探ってもらおうかと考えたが、彼を巻き込むのは止めた方が良いと判断した。長官が関与しているのだ。万が一にも発覚したら、始末書では済まなくなる。

「貴重な情報をありがとうございました。それと、MRI法案でご指南いただいた箇所は修正して今日中にお持ちします」
「今日は第九の日だろ。メールでいいよ」
 中園の気遣いにニコリと微笑み、薪は官房室を後にした。彼がいなくなった部屋で、上官二人はふうむと腕を組む。
「あー、メンドクサイことになった。おまえが長官に余計なことを頼むから」
「頼んだわけじゃないよ。酒の席でちょっと零したら、村山さんが彼らに指令を出しちゃったんだ。止める暇なんかなかったよ」
「付け込まれる隙を与えるなって言っただろ。長官は官房室に恩を売りたいんだよ」
 次長派が衰退した今、長官の権力を警視総監から守ってくれるのは官房長の小野田だ。間違っても牙をむくような真似はしないはず。だから青木の特別監査についても心配はしていなかった。が、彼らが動くとなると少し面倒だ。必要以上に大事になる可能性がある。
「整形とは彼ららしいやり方だが。なにを考えてるんだろうねえ、長官殿は」
「依頼したのは長官だろうけど、具体的な指示を与えるわけじゃないからね。長官にも細かいことは分かってないんだろう」
 無責任だなあと愚痴る中園に、小野田が憂鬱な顔で相槌を打つ。命令を下した本人は今日から査察でフランスだ。2週間の査察業務の後、1週間の夏季休暇を同地で過ごす予定だとか。羨ましいご身分だ。

「ところで、青木くんが警視正になったらどうする気? 青木くんを室長にする?」
「そんなことはぼくが認めない」
「だってさ、警視の岡部くんの下で警視正の青木くんを働かせるわけにいかないだろ」
「ぼくの眼が黒いうちは岡部くんより青木くんが上に行くようなことはないって言ってるんだよ」
 青木が監査に通ったとしても推薦状に判を押す気はない。小野田はそのつもりでいるらしいが、そこには懸念がひとつ。
「大丈夫なのか。長官の親切を無視するような真似をして」
「それこそ頼んでないよ」
 吐き捨てる口調で返されて、中園は口を噤んだ。言っても無駄だ。
 小野田の意向に副って、なおかつ長官の面子を潰さないで済む方法を考えながら、中園は、薪が置いて行った資料をシュレッダーに掛けた。



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青木警視の殺人(4)

 午前中、雨に降られて現場から帰ってきました~。
 
 先日の記事に「取り残され感がハンパない」とかネガティブなこと書いちゃってごめんなさい(^^;) お気遣いのコメントありがとうございました。
 更新ゆっくりでも待っててくれる方がいる、本当にありがたいこと、うれしいことです。わたしは幸せなブロガーです(〃▽〃) 
 更新、がんばりますねっ。

 幸いなことに、今年の下請さんは大当たりで、安心して仕事を任せられる分、去年よりストレスが少なくて済んでます。この道40年というベテラン職長が指揮を執ってくれてるので、とても心強いです。
 実は、今年の現場は車がバンバン走ってる県道を作り直す工事なので、すごく大変なんです。安全管理と交通渋滞緩和対策だけでも頭イタイのに設計屋がトンチキで工期開始から4ヶ月経った今でも横断図が上がってこないと言う……設計図無しにどうやって工事をしろと?
 下請さんに相談したら、
「キャンバーの位置だけ役所にOKもらえれば、後はこちらで現場合わせで施工します」
 ……かあっこいいっ!
 もう設計施工の状態ですよ! 右勾配と左勾配がキャンバー(道路の中央が高く、左右が低くなっている形状のことです)を境に逆転する難しい捻じれ道路なのに、それを施工班で測り出しから全部やるって言うんだもの、大したものよ! 監督員さん、評価点上げてよねっ!

 下請さんがしっかりしてると代理人の苦労は格段に違いますのでね。その分、ブログに向ける気持ちの余裕も生まれてきます。更新できるのも優秀な下請さんのおかげ。
 今日の午後はあったかいコーヒーを差し入れてあげようっと。




青木警視の殺人(4)





 水曜日の第九は、ちょっとしたパニックに襲われた。

 朝礼で、副室長の岡部から紹介された彼女の姿に職員たちは息を飲み、次いで互いに顔を見合わせた。青木に個人監査が入ることは告知があったが、監査官が女性だとは思いもしなかった。しかも、この顔は。
「薪さんが二人」
「よく見ろ。スカート穿いてるぞ」
「薪さんだって穿くだろ、っとお!」
 曽我の右耳を切り落とさんばかりのスピードで疾走したプラスチック製のバインダーを、後方にいた今井がパシリと受け止める。黙って隣の宇野に差し出すと宇野はそれをに青木に手渡し、青木はまたそれを岡部に送り、最終的にバインダーは岡部から持ち主の手に戻った。

 その様子を見て、美しき監査官は口元を押さえる。奥歯で笑いを噛み殺し、丁寧にお辞儀をした。
「北川舞と申します。本日からひと月に渡り、青木警視の監査を担当させていただきます。お忙しい中を恐れ入りますが、課内聴取にご協力をお願いします」
 やわらかな物腰の挨拶に職員たちは好感を持った。例え自分がその対象でなくとも、監査官を前にすれば誰もが緊張する。それを上手に解され、みながホッと肩を開く中、小池と曽我のコンビが、
「やっぱり女の人だなあ。同じ顔で同じこと言っても、薪さんの場合は、なあ」
「ああ。しかもあの人の場合、丁寧になればなるほど脅されてる気が、すわっ!」
 再びバインダーが飛ぶ。学習しない連中だ。

 繰り返される騒動に、北川はクスッと笑いを漏らした。手持ちのファイルで顔を隠すまでの数秒、職員たちの眼に映った彼女はすこぶる美人であった。薪の笑いから皮肉を取ったらこんなに愛らしくなるのか。それは意外な発見であるとともに、普段から薪がどれだけ損をしているのかを彼らに慮らせる。薪がこんな風に笑う人間だったら、氷の室長なんて渾名を付けられずに済んだだろう。
「聞いての通りだ。青木の監査期間は一ヶ月を予定しているが、皆の協力によってスムーズに監査が進めば短縮が望める。仕事の効率を図るためにもできるだけ監査を優先させて欲しい。僕からは以上だ」
 再度岡部に渡されたバインダーを開いて室長の言葉を述べる薪は、完璧なポーカーフェイス。魅惑的な口元に笑いを残した隣の女性とのギャップに眩暈がしそうだ。顔の造りが一緒でも、表情と雰囲気でこんなにも差が出るものか。笑顔って本当に大事だ。

 朝礼が終わり、北川は早速最初の聴取に入るため、室長の薪と一緒にモニタールームを出て行こうとした。そこに、男の控えめな声が掛かる。
「あの」
 彼女を引き留めたのは宇野であった。彼は、お気に入りのネクタイのバラの色に負けないくらい頬を紅潮させ、眼鏡の奥の瞳を少年のように輝かせていた。
「何かあったら遠慮なく言ってください。俺で役に立てることなら何でもしますから」
「ありがとう」
 にっこりと微笑まれて、ますます宇野の顔が赤くなる。バラ色を通り越してユデダコ状態だ。そのままぼうっと彼女を見送る宇野の異変に、気付いた曽我が首を傾げる。
「なんだ、宇野のやつ」
 隣で小池と今井がニヤニヤと笑っている。曽我と違ってこの二人はカンが良い。

「宇野はもともと薪さんタイプが好みなんだよ。女装した薪さんクラスじゃないと食指が動かないって言ってたくらいだから」
「薪さんと同じ顔で女性だからな。一発で参っちゃったんだろうな」
「これだから、女に免疫ないやつは」
「おまえだってないだろ」
「ヒドイですよ、今井さん。彼女持ちがそれ言ったらシャレにならないです」
「そうか。すまん」
「謝らないでくださいよ。よけい惨めになるじゃないですか」
「どうしろって言うんだよ?」
「「交通課の彼女に頼んで合コン設定お願いします!」」
 合コンと聞けば飛んでくるはずの宇野は、今回ばかりは見向きもしなかった。頭数が足りなくては合コンは開けないと今井に渋られ必死で周りを見回せば、見るからに座を白けさせそうな既婚者の山本と、見た目はいいけど女の子が同席する飲み会には絶対に顔を出さない室長命の青木。岡部は論外だ。岡部の顔を見たら女の子がみんな逃げてしまう。諦めるしかなさそうだった。

 美人監査官の来訪に浮足立つ第九で、当の青木は黙々と仕事に取り掛かる。見れば、いくらか元気がないようだ。朝っぱらから小さくため息など吐いて、ほんの少しだが眼も充血している。監査に対する緊張で、昨夜はよく眠れなかったのかもしれない。
「おまえもツイてないよなあ、青木」
「ええ、まあ」
 気配り上手な後輩は、小池の声に一瞬で憂鬱を消し去り、いつもの素直で明るい笑みを浮かべた。その笑顔に癒される。だからかな、と小池は思う。
 今回の監査が青木の警視正昇任に係るものであろうことは察しが付いている。青木は小池たちと同じ警視で、でも後輩だ。先輩より先に昇進話が来たら、普通はやっかまれてハブにされる。特に岡部と今井は複雑だろう。次の室長は二人のどちらかだと、皆が思っていたのだから。
 ただ、こんなことは警察では珍しくない。むしろ一般的だ。第九は完全な実力主義を採っているから目立ってしまうが、現場に出たこともないキャリアがどんどん出世して、仕事ができるノンキャリアが安い給料で膨大な量の仕事をこなす。そんな現実がまかり通っているのだ。
 皆はそんな理不尽を知っているし、室長の薪は絶対に公私混同はしない。それを承知していても出世競争における男の嫉妬は凄まじいものがある。が、そこはやはり青木の人柄だ。誰も彼を妬ましく思う者がいない。皮肉屋の小池ですら青木をリラックスさせ、彼が監査にベストの状態で臨めるようにと声を掛けたのだ。

「監査ってイヤですよね。緊張しちゃいます」
「そうじゃなくてさ、やりにくいだろ。薪さんそっくりの監査官なんて」
 青木が薪に首ったけなのは第九公認の事実。その薪と同じ顔をした監査官の前で、平常心を保てるだろうか。大切な監査なのに――小池は青木の憂鬱をそんな風に察したが、当の青木は不思議そうに眼を瞬いて、
「薪さんと北川さん、似てますか?」
「似てますかって……おまえ、眼鏡の度、合ってないだろ」
 そんなことないですよ、と返す後輩に小池はややムキになって、
「何処から見ても瓜二つだろ。双子と言ってもいいくらい」
「言われてみれば髪型と背格好は少し。でも、他は全然ちがいますよ。薪さんの髪は絹糸みたいだし、薪さんの方が眼は大きいし睫毛は長いし、鼻はかわいいし頬は瑞々しいし、くちびるは朝露に濡れたバラの花びらみたいで」
 しまった。青木に室長の話を振ったら延々聞かされる。髪の毛から始まって足の爪の甘皮まで語り倒される。
 ボディガードとして薪の家に住むようになってから、もとい、薪との仲が皆に露見してから、青木はあからさまに薪を称えるようになった。関係を秘密にしていた頃、薪がどんなに素晴らしいか口にできなかったストレスの反動らしい。そんな色ボケ男の戯言を聞いているほど小池も暇ではない。早々に逃げ出して、コンビを組んでいる曽我の元へ戻った。

「おれにはあいつの見えてる世界が分からん」
 ぼやく小池に曽我は人懐こく笑って、
「きっと、青木の目には薪さんが神さまみたいに映ってるんだよ」
「だよなあ。そうでもなけりゃ、あの人と一緒になんて住めないよなあ」
 納得して小池は、先刻の青木のため息は、監査官の手前、必要以上に薪に近付けなくなるこれからの1ヶ月を憂いてのことかもしれないと、少々乙女チックなことを考えた。



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青木警視の殺人(5)

 あけましておめでとうございます。
 今年こそは心を入れ替えて頑張ろうと思ってますので、どうかよろしくお願いします。(←毎年言ってる)


 コメントのお返事も暮れのご挨拶もできませんで、誠に失礼しました。
 でも言い訳させて、つよし君。
 年末年始はみんな忙しいのが当たり前なので、それが理由にならないのは重々承知ですが。今年は本当に忙しかったんですよ(><)

 12月23日  叔母が亡くなりました。葬儀世話役をやることになりました。
 12月25日  従業員が交通事故に遭いました。役所および保険関係の対応をすることになりました。
 12月27日  実家の祖母が入院しました。
 12月29日  叔母の葬儀。世話役なので朝8時から夕方4時まで、最中、事故関連の電話がバンバン掛かってきました。
 12月30日  祖母の見舞いとお正月用品の買い出しに行きました。
 12月31日  葬儀および事故対応に追われて、できなかった仕事をしました。気が付いたら年が明けてました。

 幸い、従業員の怪我は軽く、打撲程度でした。祖母も命に関わるような怪我ではないので、安心しました。叔母はもう何年もがんと闘い続けていたので……楽になったと思います。ご冥福をお祈りします。


 年末+葬儀+事故+入院、と見事に重なったもんです。こんなことってあるんですねえ。
 ストレスなんでしょうね、口唇炎が5個もできちゃいましたよ。あんな狭いスペースに5つも吹き出物ができたら、何をどこからどうやって食べても痛いっての(--;
 そんなこんなでメロディ読めたの、今日の午後ですよ。感想はまた後ほど。コメントのお返事も、もうちょっと待ってくださいね。明日から旅行なんで……うう、家でゆっくり寝てたいよお。


 2015年、最初の記事なのに、言い訳だらけの後ろ向きなご挨拶になってしまってすみません(^^;
 今年は何事もなく、平穏無事に過ごせますように。
 特に事故は勘弁して欲しいです。






青木警視の殺人(5)



 聴取室にと定めたミーティングルームで、薪は北川と向き合った。MRI捜査は故人の脳を見る捜査だ。プライバシー厳守の為、いかなる理由があろうともモニタールームには部外者の立ち入りは禁止だ。よって今回の監査は、書類と、対象者及び関係者聴取のみによって行われることになっていた。

「青木警視がこれまでに担当した事件と、その貢献内容をまとめたものがこちらです。このように、彼は非常に着眼点が良い。彼のアイディアが解決の糸口になった事件が多数あります。現場の経験こそ少ないですが、その不足を補って余りある才覚です。勤務態度は真面目で実直。人望もある。問題があるとすれば、同情心の強い性格ゆえに事件関係者の境遇に感情移入しすぎることでしょうか」
 青木警視に対する室長の評価は、との質問に答え、薪は相手の反応を待った。シンプルな会議用デスクの向こう側で彼女は、最初そこに座った時と同じように、薪の顔をじっと見つめていた。
 彼女の写真を見た時は鏡を見ているようだと感じたが、こうして実際に会ってみれば全くの別人だ。いくら顔を似せても、男と女の骨格の差は大きい。セルフイメージの自分と現実の彼女を比べて薪はそのことに優越を抱いたが、他人から見たらそれはほんの数ミリの違いで、その現実を世間では気の迷いと呼ぶことを彼は知らない。

「他に、僕に訊きたいことがありますか? 無ければこれで」
 薪が口を噤むことによって二人の間に下りた沈黙は、いささか長かった。焦れて薪は次の質問を促したが、応えはなかった。
 ふざけるなと思った。
 彼女には、監査と言う重要な職務に就いている者の自覚が感じられない。答えが返ってこないのはこれが最初ではなかったし、今の薪の話を聞いていたのかどうかも怪しい。彼女の手元のノートは白いまま、少なくとも薪と向き合ってからは、彼女は一度もペンを動かしていない。こんな監査官がいるだろうか。

「よろしいですか、北川監査官!」
 厳しい声で呼びかける。ぱちっと大きな目が瞬かれ、はい、と返事をするが、何に対してのイエスなのか分かっていないに違いない。腹に据えかねたが、監査官相手に説教をするわけにもいかない。薪は努めて冷静に、二度目になる資料提示を行った。
「こちらの資料を読んでいただければ、彼が警視正に相応しい実績と能力の持ち主であることはご理解いただけるかと」
「ええ、もちろんですわ。薪室長の仰る通り、素晴らしい経歴です。青木警視は幹部候補生選抜も次席で合格しておりますし。警視正昇進は遅すぎたくらいですわ」
「それは仕方ないですよ。彼は昇格試験に落ちたんですから」
 どうして同じ試験に何度も落ちるのか、薪にはさっぱり分からない。毎年似たような問題が出るのだから、一度失敗すれば十分だと思うのだが。

 試験に受からなくとも、キャリア組には推薦と監査による昇任制度がある。警視正になるには警視長以上の階級にある上司3名の推薦が必要で、なおかつ、監査に合格しなければならない。監査は警視長3人分の人事考課と同等なのだ。その重要な監査で不合格になれば、それは青木の将来に渡って尾を引く失点となる。そうでなければ、薪はとっくに彼女にこの質問をぶつけていた。
『何故その顔に?』
 明確かつ必要性を満たした答えがあるなら教えて欲しかった。なぜ長官自らが青木の監査を人事部に命じたのか、その理由も知りたかった。しかしそれらの情報は本来なら薪が知り得ないことで、口にした時点で彼女を秘密裏に調べたことが分かってしまう。それは監査における重大な違反行為だ。本人に非がなくとも、青木は失格になる。黙するしかなかった。

「聴取にご協力いただき、ありがとうございました。次に、職員の聴取に移りたいと思います。対象者の青木警視を最後に、他の職員の順番を相談したいのですが」
「それは副室長の岡部と話し合って決めてください。現在、実質的に第九を回しているのは岡部ですから」
 内線で岡部を呼ぼうと、薪は手元の受話器を取り上げた。そこに北川の声が掛かる。
「その前に少しよろしいですか」
 まだ何か、と眼で尋ねる薪に、彼女は声のトーンを落として言った。
「実は、薪室長にお話しておきたいことが」
「なんです」
「わたくしの顔のことです」
 コールを待たずに、薪は電話を切った。不意を衝かれた薪の瞳が、小さく引き絞られる。まさか相手から切り出されるとは思わなかった。

「お察しのこととは思いますけど、この顔は整形です。上司に命じられてやったことですが、最終的に決断したのは自分です」
 彼女の告白は信じ難いことだった。上司が部下に整形を強要するなんてあり得ないことだと、彼女の言葉を否定しかけて薪は気付く。警察内にたった一つ、それが普通に行われている部署があるではないか。
「あなたはもしかして」
 薪が一つの可能性を示そうとすると彼女は首を振り、しかしその正しさを認めるかのように、にっこりと微笑んだ。
「僕と同じ顔にしたのは何故ですか」
「それは職務上の秘密ですからお話しできません。でも薪室長、わたくしはあなたに」
「薪さん、お呼びですか」
 コールは鳴らさなかったはずなのに、副室長がドアをノックした。内線のランプがたった一度点滅したのを見逃さない、岡部の目敏さが今回ばかりは邪魔になった。

「この事は内密に」
 小さく言って、北川は席を立った。ドアに近付いていく背中を、薪は慌てて呼び止める。
「待ってください。青木の監査は」
「監査はちゃんとやりますよ。ご安心ください」
 それから彼女はドアノブに掛けた手を止め、口元に運んでクスリと笑った。
「薪室長は本当に、青木警視が大切なのですね」
 嘲笑うように言われてカッとなった。拳を握りしめる。
 薪の想像が当たっていれば、彼女には特殊な人事データを閲覧する権利がある。もしかしたらそこには、薪と青木の秘密の関係も記されているのかもしれない。
「部下はみんな大事です」
「ええ。そうでしょうとも」
 勝ち誇ったように笑う、彼女の鼻っ柱にファイルをぶつけてやりたかったが我慢した。いやな女だと思った。
 以前にもどこかで、こんな感じの女にこの手の屈辱を味わわされたような気がする。咄嗟には思い出せないが、たしか何処かで。

「岡部副室長。みなさんの聴取ですが、順番はそちらで決めていただけますか? お仕事の都合もおありでしょうから、1日に2人ずつ、ひとり30分くらいで結構です」
「恐れ入ります。助かります」
 ドアを開いて顔を合わせた岡部にローテーションを託すと、彼女は「ちょっとお手洗いに」とその場を離れた。純情な岡部は赤くなって道を空けたが、薪は彼女の嘘を見破っていた。現在は男しかいない第九の女子トイレは、彼女を第九に送り込んだ上司へ電話をするのに絶好の場所だ。

「いやあ、彼女、気が利きますねえ。青木はいい監査官に当たってよかっ……なにか気に障りましたか」
 能天気な岡部の言葉に腹が立つ。睨まれて青くなる部下を一瞥し、薪は憤然と腕を組んだ。
「あの女、気に食わん」
「どこが気に食わないんです?」
「顔」
「薪さんと同じ顔で、あ痛てっ!」
 ファイルで思いっきり顔面を叩かれた、岡部が眼を白黒させる。痛めた額と鼻を武骨な手で押さえ、岡部はふごふごと言った。

「そろそろ時間じゃないですか。今日は議員会館に行くんでしょう」
「分かってる」
 官房室の仕事の一つに、犯罪対策閣僚会議に於ける企画案の提出がある。犯罪閣僚会議というのは政府内に設置された犯罪対策委員会のようなものだが、メンバーの閣僚たちは犯罪に関しては素人の集まりだ。そこに専門家の警察庁職員が出向いて、管轄行政区における具体的な犯罪抑止策を提示する。彼らはそれを自分たちの企画案として行政区に提出する。警察官房の名前はどこにも出ない。ボランティアのようなものだ。
 しかし、転んでもタダでは起きないのが警察官僚。企画案の見返りとして、警察側に有利な新しい法令の立案や改正を閣僚に持ちかける。薪が今閣僚たちと煮詰めているのは、MRI画像を状況証拠ではなく、物証として認める法案だ。
 MRI画像には視覚者の主観が入ることから、その証拠能力は不当に低く評価されてきた。被害者の画像に少しでも幻覚めいたものが映っている場合、MRI画像を裏付ける物証若しくは被疑者の自白が無いと、裁判では勝てなかった。この法案が通れば、MRI画像は物証と同等に扱われる。これまでのように、科警研に決定打を委ねることがなくなるのだ。

 薪は室長室に戻り、鍵の掛かったロッカーから会議用の資料と、それの何倍も厚いMRI法案のファイルを取り出した。当たり前のように岡部が着いてきて、ポールハンガーに掛かっていた上着を薪に差し出す。
「ハンカチ持ちましたか? にわか雨があるそうですから、傘も鞄に入れておきますね」
 仕事のことで頭がいっぱいの薪は、仕事に直接関係のないものをよく忘れてしまう。そこまでは誰にでも経験のあることだが、薪の困ったところは、それに気付いても面倒がって取りに戻らないことだ。例えば真冬にコートを忘れたとしても、絶対に戻らない。結局、後から気が付いた誰かが彼を追いかける羽目になる。何度言い聞かせても改善されないから、こうして出掛ける前に身支度を確認するようになった。
「おまえはいつまで僕のお母さんでいる気なんだ?」
「薪さんがご自分でご自分を労わってあげられるようになるまでです」
 熱中症予防にと、薪の口に塩飴を含ませようとする岡部から逃げるように横を向き、薪は苦笑いした。

「岡部」
 耳打ちするしぐさに、察しの良い副室長は背中を丸める。相手の唇の高さに自分の耳を持っていくと、薪は声を潜めて指示を出した。
「北川監査官はあくまで部外者だ。絶対にモニタールームに入れるな。それから、過去の事件調書の開示には応じるな。第九の秘匿権を行使しろ」
「――北川監査官にスパイの可能性があると?」
 これだけの言葉から薪の疑惑を言い当てる、岡部のひらめきは見事としか言いようがない。さすがは薪の女房役だ。
「確信はない。みなには言うな」
「分かりました。聴取の際、事件に関与することは喋らないよう注意しておきます」
「頼んだぞ」

 疑ってはみたものの、その可能性は低いと思っていた。もし彼女が第九の内部調査のために送り込まれた公安部のスパイなら、薪に正体を明かすような真似はしないだろう。或いは滝沢のように、第九で取り扱った過去事案に目的があるのかもしれない。それならば身分を明らかにした理由も分かる。公安部の任務は、そのすべてが秘密任務だ。公式に情報開示を求めるわけにはいかないのだろう。
 そう考えてみても、彼女が薪そっくりに顔を変えた理由には説明が付かない。上司に命じられてのことならば、これは任務の一環なのだろう。では、その任務とは何なのか。それに長官はどう関係しているのか。
 会議の時間が迫っていたこともあって、薪は彼女の問題を後回しにした。MRI法令は、是が非でも通さなければならない。
 監査は1ヵ月あるのだ。そのうち聞き出してやる。

 その決意が甘かったことを知ったのは、それから2週間後。青木警視が北川監査官を痴情のもつれから殺害したとの報告が、官房室にもたらされた後のことだった。


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青木警視の殺人(6)

 こんにちは~。

 言い訳だらけの前記事に、やさしいコメントありがとうございました。秘密クラスタさんは本当にやさしい人がいっぱい。わたし自身は口唇炎のせいでマスクをしないと人前に出られない状態になってますが、他は至って健康でございます。特に事故が円満解決したおかげで、よく眠れるようになりました。唇も1週間もすれば治ると思います。そしたらお雑煮食べるぞ~♪
 

 ところで、年末には大ニュースがありましたね! 遅ればせながら、
 清水先生、『秘密』実写映画化おめでとうございます!
 原作者の承諾が無かったらプロジェクトは発動しないわけだから、先生は反対してないんですよね? でしたら、おめでとうございます。一ファンとして、わたしも一緒に喜びたいと思います。

 本音言うと不安が無いわけじゃないんですけど~(薪さんのビジュアルとかビジュアルとかビジュアルとか)、プラスの希望もあるんですよ。だってね、
 映画で盛り上がったら原画展とかあるかもよ? アニメで原画展が開かれたなら、(何のかんの言ってもあのアニメで認知度が上がったことは事実ですよね) 映画では画集が発売されちゃうかもよ? もしもそうなったら映画化バンザイじゃん!
 何より、
 映画化されることで秘密の連載が延びる!! かもしれない(〃▽〃)←これが一番うれしい。

 ポイントが微妙にズレてる気もしますが、見逃してください☆




青木警視の殺人(6)




 その日、日中の業務すべてを終了した第九研究室の職員たちが研究室正門を潜り抜けたのは、夕方の6時であった。
 夏至から一月あまり、まだまだ夏の日は長く、辺りは十分に明るい。気温も相当なもので、暑い暑いと連発して亀のように首を伸ばす曽我の横で小池が「おい、あれ」と出てきたばかりの門を指差した。少し離れた場所にいた宇野も、曽我と一緒に振り返る。
 門に向って、二人の男女が歩いてくる。北川監査官と青木だ。
 真面目な顔を崩さない青木に対して、北川は自然な笑顔で青木に笑いかけていた。これから二人で夜を共にする恋人同士のように、その身体は青木に接近していく。とても監査官と監査対象者とは思えない。
「北川さんてさ、青木のこと好きなんじゃないのか」
「マズイだろ、それ」
「だよな。監査官と監査対象者だもんな」
「いや、そうじゃなくて」
 薪さんが、とこっそり囁き合う。誰にも聞かれちゃいけない内緒の話。

「妙な邪推はよせよ。北川さんは誰に対してもフランクなんだよ」
 ほら見ろ、と宇野が指差す先では、北川が守衛に向かって「お疲れ様です」とにこやかに声を掛けていた。声はさほど大きくなくても、唇の動きで話の内容はほぼ分かる。彼女は守衛と世間話をしていた。
「宮下さんて仰るの。まあ、夜もずっとこちらに? それは大変なお仕事ね」
「いえ、みなさんの安全を守るのが自分の仕事ですから」
「お勤めご苦労さまです。そうだわ、これ、よかったら」
「え。いいんですか」
 守衛に手渡した袋の中身はおそらく手作りマフィン。今日の第九のおやつの残りだ。
 お菓子作りが趣味だと言う北川は、差し入れと称して何度か手作りの菓子を持ってきていた。それは見事な出来栄えで、こんな監査ならいつでも歓迎だと職員たちには大好評であった。

 恐縮した守衛が守衛室から出てきて北川に頭を下げる様子に、宇野は微笑む。
「な。分かっただろ」
 言いながら、宇野は彼女が見える位置に足をずらした。背の高い青木と、青木には負けるが180は軽く越している長身の守衛に挟まれると、北川は簡単に見えなくなってしまう。ちょうど青木と岡部に挟まれた時の薪みたいだ。
「っと。あの守衛、あんなにデカかったっけ」
「ちげーよ。いつもの守衛は夏季休暇中。奥さんとオーストラリア旅行だってよ」
 守衛が動くたびに隠れてしまう北川の姿を見ようと左右に身体を揺らす宇野に、小池が鋭く突っ込みを入れた。宇野が北川にホの字なのは今や第九全員の知るところだったが、小池は少しだけ面白くない。北川のことは、小池もちょっといいなと思っていたのだ。でも宇野に先を越されて、いまさら言えないって感じだ。
「スマホの画面ばっか見て歩いてるから。守衛の顔も覚えないんだよ」
 とは言ったものの、実は小池も守衛の顔はうろ覚えだ。警備員と言うのはいつも帽子を被っているから顔が見えづらい。警備の制服が顔みたいなものだ。さらに、守衛や立ち番の警官は、職員にとっては風景の一部と言う傾向が強い。宇野が守衛の顔を覚えていないのも不思議ではないのだ。

「悪かったな。おれのことはともかく、彼女は誰にでもやさしいんだよ」
 守衛相手にも彼女は親切だと言いたいのだろう。宇野がますます彼女に夢中になっていくのが手に取るように分かった。
「明るくて親切で無邪気で……ルーナみたいだ」
「ルーナって誰」
「知らん。どうせまた二次元人だろ」
 その話をし始めた宇野とは眼を合わせるな、が第九の鉄則になっている。ちょっとでも興味を持った素振りを見せると、一晩中キャラの魅力について語られてしまう。宇野の二次元ドリームは、室長の説教、青木の室長賛歌に並んで第九の聞きたくない話ベスト3に入っている。

 それから二人は連れ立って門を潜り、小池たちとは反対の方向へ歩いて行った。駅とは逆だ。
「どこ行くんだろ」
「あっちはレストラン街だぜ。やっぱりおかしいよ」
「だから邪推するなって。あれは聴取だよ」
 訳知り顔の宇野に、二人が揃って首を傾げる。北川に心を奪われた宇野のこと、二人のアフターについては小池たちよりずっと以前から気になっていたのだ。

 毎日のように北川と一緒に帰って行く青木を見るに見かねて、宇野は彼らの後を尾けた。そして二人がイタリアンレストランに入る現場を押さえた。注文を終えた北川が席を立ち、青木が一人になったところに出て行って、宇野は問い質した。万が一、監査官とそのような関係に陥ったら。青木だけじゃない、室長の責任問題にもなるんだぞ、とハッキリ青木に言った。そこに手洗いに行っていた北川が戻ってきて、事情を説明してくれたのだ。
 同僚に対する聴取と比べて、本人に行われる聴取は聞き取り項目も時間も桁違いに長い。宇野は知らなかったが、時間も30時間以上という規定があるそうだ。そんな長い時間を密室で過ごすのは苦痛だし、異性ゆえの別の危険も生まれてくる。そこでこういった飲食店を利用して聴取を行うのだそうだ。
 時間外に行うのは公務に支障をきたさないため。宇野たちのように半時間ほどの聴取では、仕事に差し支えない代わりに監査を期日前に切り上げることは不可能だ。できるだけ早く監査を終えて欲しいと言う室長の要望もあり、そのために自分もプライベートを割いて職務を遂行している、と彼女は、宇野の的外れなお節介に苦笑いした。
『もし第九の中でそんな誤解をなさる方がいらしたら、宇野さんから説明してくださいね』
 宇野は彼女に、そう頼まれたのだ。小池たちを納得させるのは自分の役目だと思った。

「そういうことだから。ヘンな噂、流すなよ」
 分かった、と頷いた小池と曽我だが、別れ道で宇野がいなくなると、どちらからともなく顔を見合わせた。互いの顔には同じ疑問符が浮いている。どちらも宇野の説明に納得していない様子だ。
「やっぱりヘンだよな?」
「うん、おかしい。監査課に同期のやつがいるけど、そんな慣例聞いたことないよ」
 帰り道を辿りながら、二人は同じ形に眉根を寄せる。写し鏡みたいな相手の表情に不安を煽られながら、小池は重苦しく呟いた。
「青木のやつ。厄介なことに巻き込まれなきゃいいけど」



*****

 巻き込まれなきゃ面白くないじゃない(笑)


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青木警視の殺人(7)

 怒涛の年末ですっかり間延び更新になってしまいましたが、みなさん、やさしいコメントをどうもありがとうございました(;▽;)
 続きを待っていてくれる人がいるの、本当にありがたいです。


 心を入れ替えて頑張ります1日目。



青木警視の殺人(7)
 
 

「青木さん。今日はこちらのお店にしましょう」
 はあ、と曖昧な返事をして青木は北川の後に続いた。古びた木製のドアを開けると、年季の入ったカウベルがカランと乾いた音を立てた。ひんやりとした室内の空気が心地よい。

 監査10日目。彼女に連れられてレストランに入るのは、これで何軒目だろう。
 聴取は街中の飲食店で行う、と聞いた時には耳を疑ったが、監査官と監査対象者の性別が異なる場合は、長時間の密室状態を避けるため、一般の店を使うのは普通のことだと説明を受けた。監査官が言うのだから間違いはないのだろうが、毎日のように2人で夕食を摂っていたら余計に誤解されるのではないか。何より、このことを薪が知ってあらぬ疑いを掛けられたりしたら。監査の結果よりも、青木にはそちらの方が心配だった。
 まだ薪の耳には届いていないようだが、第九の中では既に噂になっていた。北川の青木に対する接近は、監査の域を超えているのではないかと。

「あれっ」
 店の中を見回して驚いた。カウンターにスツール椅子。ボックス席のテーブルには氷とグラスに入った琥珀色の液体。そこはレストランではなく、バールであった。
「北川監査官、ここは」
「外では監査官は止めてくださいって、昨日も申し上げました」
「北川さん。ここはお酒を飲む店ではないですか」
「たまにはよろしいでしょう」
 アルコールを摂取しながら監査聴取を行うなんて、聞いたことがない。監査官の言うことには逆らうな、と薪に言い含められていなかったら、青木はそこに彼女を残して店を出ただろう。
 それでなくとも彼女の仕事には疑問がある。脱線ばかりしていて、聴取らしい聴取をしてこないのだ。青木は特別監査を受けるのは初めてだが、こんなものなのだろうか。幹部候補生選抜試験の面接の方がずっと厳しかった。

「青木さんはビールがお好きだって、宇野さんから聞きましたわ。このお店、地ビールが自慢なんですよ。ぜひお試しになって」
「いいえ。職務中ですから」
「おかしいわ。定時を過ぎてから職場を出たのに」
 対象者に酒を勧めるなんて、変だ。これも薪に言わせると「誘惑に打ち勝てるかどうか試している」ということになるのだろうが、青木は常識人だ。薪のような飛躍思考は持ち合わせていない。
「自分にとって監査は職務ですから」
 固く固辞して、ミネラルウォーターとサンドイッチを注文する。もっとボリュームのあるものが欲しかったが、あいにくこの店にはフードメニューが3品しかない。その中で一番食べでがありそうなものを選んだつもりだったが、運ばれてきた皿を見て青木はがっかりした。三角形の薄いパンが3つしか載ってないのだ。あれでこの値段とは、ぼったくりもいいところだ。

「青木さん。少しお疲れのようですね。気疲れかしら」
「いえ、そんなことは」
 ある。実はものすごく疲れている。理由は明白だ。この10日あまり、薪の手料理を食べていないのだ。それが青木のパワーをダウンさせる大きな要因になっている。加えて、プライベートの可愛い薪が見られない。声が聞けない。触れない、キスができない。禁断症状だ。
「明日は監査はお休みにしましょうか」
「本当ですか」
「ええ。日曜日までゆっくり休めば、青木さんの気疲れも取れるでしょう」
 トマトのブルスケッタとブルーチーズ、それと赤ワインという青木から見れば食事とは思えないプレートに手を伸ばしながら、北川は3日間の休暇を提案した。青木の表情がパッと明るくなる。3日あれば、1日くらいは薪と会えるかもしれない。

「お休みだと言って油断させて、こっそり家の中に監視カメラを仕掛けたりは」
「ぷっ。青木さんて、面白いこと仰るのね」
 ワイングラスの脚を支えた細い指が、かくんと揺れる。ワインが波打ち、透明なグラスの内側に薄赤い痕を残した。
「そんなことは致しません。監査のために犯罪を犯したら、監査そのものが無効になってしまいますわ。わたくしも降格です」
 騙されるな青木、と喚く薪の声が頭の中に響いて、青木は思わず笑いを洩らした。まったく、薪の思い込みには振り回されっぱなしだ。あんなに頭がいいのに、だけどそういう所がたまらなくかわいい。

「なにか?」
「あ、いえ。すみません」
 何でもないです、と平静を装ったものの、青木の頭にはすでに薪との楽しい休日が描かれている。自然に頬が緩んでしまう。青木はポーカーフェイスが苦手なのだ。
「青木さんが何を考えてらっしゃるのか、当ててみましょうか」
 恋人のことね、と言われたら、そうです、と直球で返してやろうと思った。相手の氏名を訊かれたとして、そこまで答える義務はない。
「薪室長のことでしょう」
「そうで、っ、や、違います、てかなんで?!」

 パニクる青木を見て、彼女はコロコロと笑った。ワインのアルコールも手伝ってか、彼女はとても楽しそうだった。
「詳しいことは喋れませんけど、わたくしたちの情報網はとても優秀ですの。よーく知ってましてよ。あなたのことも、薪室長のことも」
 そのとき青木に迫られたのは、彼女が薪の敵であるかどうかの判断であった。自分は薪のボディガード。彼女が薪の個人データを収集し、それを悪用しようとしているならば阻止しなくてはならない。
 青木の目つきが変わったことに気付いたのか、北川はやんわりと手を振り、
「安心してください。わたくしたちはあなた方の敵ではありません。こうして薪室長そっくりに顔を変えたのも、あなたの監査に付いたのも、任務の一環であるとだけ申しておきましょう」
「任務?」
 青木は心底驚いた。妙齢の女性が任務のために顔を変えるなど、そこまでの自己犠牲が要求される部署が警察にあることを、その時まで青木は知らなかった。

「そんな任務に、どうして女性のあなたが」
「女性だからですわ。薪室長の容姿を真似るには、男性職員ではいくら骨を削っても無理だと整形外科の先生が」
「その病院、薪さんには教えないでくださいね。ネットで名前晒して手術ミス100件でっち上げて廃業に追い込むくらいやりかねませんから」
「青木さんて、本当に面白い方」
 冗談を言ったつもりはなかったが、彼女は可笑しそうに笑った。その笑顔に作り物の不自然さはなかったが、整形と聞いた今ではついその証拠を探してしまう。他人の青木が気になるくらいだ、本人はもっと気になるだろう。ましてや北川は女性。相当の覚悟が要ったに違いない。

「断ることはできなかったんですか」
「それは勿論。警察は軍隊ではありませんもの」
 青木の質問に、北川は首を振った。断ることが可能だったなら、何故。
「この任務を受けることを選んだのは、わたくし自身ですのよ」
「どうして」
「青木さんには恩がありますから」
「恩?」
 鸚鵡返しに聞いたのは、青木にはまったく覚えがなかったからだ。北川の元の顔が分かれば心当たりもあったかもしれないが、この顔には助けられた記憶しかない。
「それから、薪室長にも少し」
 彼女の言い方ではメインが青木で、薪の方がオマケのような感じだ。警察内部のことで、青木が薪よりも誰かの役に立つなんてことがあるとは思えないが。

「いったい何の話で」
「青木さんは知らなくていいことです」
 青木に恩があるからこの任務を受けたのだと、そう言っておきながら青木は知らなくていいと言う。女性と言うのは矛盾だらけの理屈が得意で、それを強引に通してしまう特技を持っている。
 複雑な顔で黙り込んだ青木を見て彼女は、その美しい顔に満面の笑みを浮かべ、グラスに入った赤ワインを軽快に飲み干した。

 それが青木が見た、彼女の最後の姿だった。
 2日後の土曜日、早朝。北川舞は、この店の裏の路地で死体で発見された。


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青木警視の殺人(8)

 心を入れ替えて頑張ります2日目。
 




青木警視の殺人(8)







「青木が殺人犯だあ?」
 早朝の室長室で、岡部は頓狂な声を上げた。そこに含まれる驚きは2割程度、残りの8割は呆れ声であった。
「日曜の朝っぱらから人を呼び出しておいて。何の冗談だ」
 応接ソファの向かいで岡部の非難がましい視線をぶつけられているのは、捜一時代の後輩の竹内誠。この春に昇進し、現在は警視正だ。昇進と同時に警察庁の警備部に転属した彼が現場に出られなくなって2ヶ月、ストレスがとうとう脳に回って幻想に囚われるようになったらしい。
「冗談じゃありません。ついでに言っておきますけど、幻想でもありません」
 岡部の失礼な想像を言い当てて釘を刺す。竹内といい薪といい、エリートというのはこちらの考えを読むから困る。

「おれだって信じたくないですよ。だからこいつを持ってきたんです」
「まっ、薪さ……! いや、北川さんか」
「ええ。被害者は彼女です」
 真剣な面持ちで竹内が取り出したのは、数枚の写真であった。
 北川の遺体は、薄汚れた路地裏に仰向けに転がっていた。美しい女性が息を引き取るには、そこは切な過ぎる場所だった。

「青木が犯人にされたのは、こいつのせいなんです」
 2枚目からは、青木と北川の密会の写真だった。レストランやカフェが多かったが、中には情交中の写真もある。裸で抱き合う男女の上半身を斜め上方から捕えたもので、下半身はシーツに隠れているが、顔が同じだけに、薪と青木の濡れ場のようだ。朝から見るもんじゃない。
「監査官の意向で、青木はこういった店で聴取を受けていたんだ。この写真はそのとき撮られたんだろう。でも、最後のこれは合成じゃないのか。鑑識の判断は?」
「それが、今回の捜査本部は刑事局の特別編成なんです。捜一を捜査に加えないばかりか、鑑識まで自分たちが選定して連れてくるという徹底ぶりです。この写真も彼らの目を盗んで、知り合いにコピーしてもらったんですよ」
 同じ警察庁の仕切りならと、竹内は捜査本部のドアを叩いた。しかし、竹内が青木と親交があることを彼らは知っており、関係者に情報は渡せないと断られてしまった。仕方なくお茶汲みの女子職員をたぶらかし、もとい説得して、写真のコピーを手に入れたというわけだ。

「戒厳令が敷かれてるだろうに。その知り合いもよく協力してくれたな」
「どうやったのかは聞かないでくださいね。先生にバレたらもう1件、殺人事件が起きちゃいますから」
 声を潜めて竹内が懇願するのを受け流し、岡部は写真を見直した。被害者の、ブラウスの胸の真ん中に、赤黒い血が熟したバラのように咲いている。他に外傷は見られない。血が邪魔をして刺殺か銃殺はかは不明だが、いずれにせよ一撃だ。苦悶にのたうちまわった跡がない。
 もう1種類の写真は、間違いなく青木と彼女だ。仲睦まじく食事をする様子や、裸で抱き合う様が写されている。これが薪の目に入ったらえらいことになるが、しかし。
「偽造に決まってる。青木がこんなことするかよ」
 女と浮気なんて、薪にバレたら殺人事件がさらに1件増えるぞ、と岡部は心の中で呟いた。悪い冗談だ。

「おれもそう思いたいんですが。この写真、おれには合成の証拠を見つけられなかったんです。そこで宇野さんに鑑定をお願いできないかと」
 写真が偽造であるとの鑑定結果を宇野の名前で捜査本部に提出し、青木の容疑を晴らす。それが竹内の目論見であった。宇野のIT技術は署内でも有名で、サイバー犯罪対策課の部長が直々にスカウトに来るほどだ。特別捜査本部と言えど、その彼の鑑定を無視はできまい。……だが。
「いや、宇野にはこれはちょっと」
 刺激が強すぎるんじゃないか、と岡部は難色を示した。
「そんな、宇野さんだって子供じゃないんですから。MRIを見てればこんなシーン、いくらでも出てくるでしょう」
 竹内は知らないが、宇野は北川に一目惚れ状態だった。監査官と監査対象者の同僚という形ではあったが、毎日顔を合わせるうち、宇野が彼女に夢中になっていくのが見て取れた。その彼女が殺されたと聞けば、平常心を保つことはまず不可能だろう。そんな状態で彼女と自分の後輩が男女の関係にあったことを証明する写真を見たら、幾重にも重なったショックでパニックになるのではないか。
 他人の恋愛事情を暴露するわけにもいかず、岡部は苦手な言い訳に心を砕く。
「竹内、おまえはMRIを誤解してるよ。事件に関連した画だけで十分な証拠が上がれば日常生活までは検証しない。こういう写真は一課の連中の方がよっぽど慣れてるよ」
「それは失礼しました。でも、これには青木の殺人容疑が」

 岡部がテーブルに投げ出した写真を、爪を短く切った神経質そうな手が取り上げた。薪が出勤してきたのかと焦ったが、違った。それは今、話題に上っていた第九の優秀なIT技師だった。
 MRIシステムの母親代わりの宇野は、システム調整のため捜査のない日曜日に出勤してくることが多い。この日もその目的で出てきたのだろう、ノーネクタイにノーワックスの髪の毛で、システムチェックに使うタブレットを抱えていた。
「俺の名前が聞こえたので」
 第九は税金で建てられた施設。室長室のドアは薄い。ドアに張り付いて聞き耳を立てれば、中の会話は丸聞こえだ。内々の話だと竹内が言うから室長室に籠ったのだが、あまり意味がなかったようだ。

 宇野はそれを持ってさっさと自分の机に戻り、スキャンシステムを作動させて画像の読み取りを始めた。程なく彼のモニターに問題の画像が映し出される。その後ろで竹内が厳しい顔つきで腕を組み、岡部がはらはらと汗を流しながら部下の様子を見ていた。
「う、宇野。大丈夫か」
「大丈夫ですよ。子供じゃないんですから」
「だっておまえその……無理すんなよ」
「無理って、なにをですか」
 言葉に詰まりながら気遣う岡部に対して、宇野はあくまでもクールに、そしてハッキリと言った。
「間違いありませんね。この写真は本物です」



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青木警視の殺人(9)

 心を入れ替えて頑張ります3日目。
 
 今日からまた現場なので、次の更新は週末になります。やっぱり3日が限度だねえ(^^;



青木警視の殺人(9)



 ――宇野さんから見て、青木警視はどんな人ですか?

 薄茶色の瞳が宇野を真っ直ぐに見つめていた。琥珀色の紅茶のように、潤った瞳だった。
「青木はいいやつです。真面目で仕事熱心で、性格もいい。やさしくて親切で、おれたちには可愛い後輩です」
 ――欠点はありませんか?
「欠点て言うか弱点て言うか。青木は室長命で、薪さんが絡むと人が変わります」
 ――まあ。みんな同じことを言うのね。
 クスクスと、彼女は口元に手を当てて可笑しそうに笑った。彼女が笑うと、殺風景なミーティングルームがぱあっと光り輝くようだった。宇野は息苦しさを覚え、無意識にネクタイを緩めた。それを彼女の視線が捉える。完璧な美貌に笑みを浮かべたまま、彼女は言った。

 ――宇野さんのネクタイ、いい趣味ね。
 センスが良いと褒められたのは生まれて初めてで、それがとても嬉しかった。弾かれたように顔を上げると、彼女の姿は消えていた。立ち上がって辺りを見回すと、キャスター付きのホワイトボードの陰で、彼女と青木が抱き合ってキスをしていた。慌てて目を逸らしたが、二人の姿は宇野の網膜にしっかりと焼きついてしまった。

 ――宇野さん。お先に失礼します。
 部屋を出ていくとき、青木は後輩らしくきちんと挨拶をした。生返事をしてちらりと彼を見ると、彼女は青木の腕の中で絶命していた。青木に抱き上げられた彼女の顔色は真っ白で、細い首は奇妙な形に折れ曲がっていた。血の気を失った美しい顔の、バラ色のリップを塗った唇から真っ赤な血が左頬を伝い落ち、リノリウムの床に血溜りを作っていた。

「――っ!」
 声にならない叫びを上げて、宇野は浅い眠りから目覚めた。荒く息を吐いて心を落ち着ける。パソコンデスクのうたたねで見る夢なんて、ロクなもんじゃない。
 宇野は2日ほどまともに寝ていなかった。
 北川が殺害され、青木が行方を晦ましたのが2日前。宇野の睡眠不足はそれからだ。
 死体が発見されたのは新宿の『Zen』というバーの裏口付近で、明らかな他殺体であった。直ちに青木が重要参考人として手配されたのは、彼が北川と最後に接触を持った人間であることと、匿名で捜査本部に送られてきた写真が原因だった。
 そこには、生まれたままの姿で愛し合う男女が写し出されていた。PCオタクの宇野の眼から見ても、写真は合成ではなかった。青木が薪を裏切るとは信じ難かったが、これは紛れもない事実だ。

 合成を疑った元捜査一課の竹内が、その真偽を判定してほしいと持ってきた写真を初めて見た時の衝撃を、宇野はまざまざと思いだす。途端に、どす黒い感情が胸に重く広がって行く。こんな気持ちになったのは生まれて初めてで、どう対処したら楽になれるのか分からなかった。
 自分は青木に嫉妬している。それは自覚した。だが宇野はこれまで、嫉妬と言う感情を甘く見ていた。彼女は死んだのだ。それ以上に辛い現実などあろうはずもないのに、それでも心が疼くのを止められない。ここまで業の深い感情を、宇野は他に知らなかった。
 彼女を抱いている後輩が羨ましいとか憎らしいとか、そんな単純なものではない。現実に胸が痛くて息が苦しくて、二人が睦み合っている写真を見ようものなら叫びだしたくなる。岡部たちの前で平静を装うために、宇野は研究室の机に飾ってあったヴィーナスのフィギュアを自分で壊した。ショックでショックを相殺したのだ。
 自分がこの有様なのだから、薪のショックはもっと酷いはずだ。恋人として部下として、二重に裏切られたのだ。彼が憔悴しきっているであろうことは想像がついた。
 それでも、青木と彼女が愛し合っているのなら。小池たちと酒でも飲んで、どうせすぐに別れるさとか、彼女は顔が室長そっくりなんだから性格も悪いに違いないとか、恨み言で一夜を明かして、翌日には「よかったな」と言ってやれた。傷心の室長を慰めるために、彼の大好きな女優のイケナイ写真を合成してやることもできたと思う。

 でも、青木は彼女を殺して逃げた。

 何かの間違いだと思いたい。宇野は青木とは長い付き合いだ。職場仲間の域を出ないが、知り合って九年になる。彼の人となりは理解しているつもりだ。何があっても人を殺して逃げるような男ではない。しかし。
 2日前の早朝、捜査員がマンションを急襲したが、すでに青木は行方を晦ました後だった。今回の捜査本部は特別編成で、事件そのものにも緘口令が敷かれているから情報はせき止められている。が、そこは蛇の道ならぬ邪の道。竹内の「知り合い」からの情報が、岡部のところへ流れてきていた。

 重要な証拠は2点。目撃証言と物証だ。
 死体が発見されたすぐ側のバーで聞き込みをしたところ、彼女と背の高いメガネ男が言い争っていたという店員の証言が取れた。青木の特徴にぴったりと合致する。店内から青木と彼女の指紋も採取されたし、この証言は本物だと思っていいだろう。
 そして現場には、指紋と髪の毛が残されていた。指紋は彼女の鞄に、髪の毛は傷口の血にへばりついていた。DNA鑑定の結果が合致したら、それで本部内手配の号令が下るとのことだった。
 全国指名手配ではなく本部内手配が選択されたのは、これが警察官同士の殺人事件だからだ。痴情のもつれによるものかどうかは未だ不明だが、監査官と監査対象者が肉体関係を結んだ上に殺人事件まで起こしたとなると、どれだけマスコミに叩かれるか分からない。迂闊に公式発表はできない。発表されるとしたら青木に手錠が掛かってから、否、青木が懲戒免職になってからだ。

「くそっ」
 数えきれないくらい掛け、でも一度もつながらなかった電話を、宇野は再びコールする。すぐに抑揚のない機械音声が、相手の電話の電源が切られていると宇野に教える。毒づいて、宇野は携帯電話を床に投げつけた。
「何やってんだよ、青木……」
 宇野は青木を罵ったが、人のことを言えた義理ではなかった。宇野はズル休み3日目。問題の写真を預かってから、頭痛で自宅に引きこもっている。捜査本部の情報は電話で得たものだ。

 パソコンマニアの宇野の部屋は、5台のモニターと5台のデスクトップPCが我が物顔にのさばっている。その専有面積はベッドより広い。5台のパソコンは、すべて使用用途に応じて宇野がカスタマイズしたものだ。グラフィックに特化したパソコンで写真を解析し、メモリーを増設しまくったパソコンで重いプログラムを動かす。そして、LINUXをインストールしたパソコンの目的は一つだ。
 椅子のキャスターを滑らせてそのパソコンの前に移動する。宇野が昨日から挑んでいる宝箱は鍵が7個もあって、寝る間も惜しんでクラックして壊せたのはやっと3個。これだけ厳重に守られている場所に侵入したことがバレたら査問会に掛けられるかもしれないが、他は全部こじ開けて検索したのだ。もうここしか残っていない。
 この中に、本物の彼女はいる。宇野は確信していた。

「よおし。今度こそ」
 2回ほど大きく肩を回すと、宇野は恐ろしい速度でキィを打ち始めた。


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青木警視の殺人(10)

 心を入れ替えて頑張ったけど3日しか持たなかった再開4日目。←くどい。





青木警視の殺人(10)




 警察庁人事部警務部長宛てに問題の写真が届いたのは、青木の監査二週目の金曜日、北川舞が死体となって発見される前日のことだった。

 それを入手してきたのは、人事部に紛れ込ませた中園の手駒だ。親展と書かれた封筒の中身が写真らしいことに気付いた彼は、こっそりと中を確認し、中園に指示を仰いだ。写真の内容を重く見た中園は、警務部長とその愛人が腕を組んで街を歩いている様子を捕えた写真を彼に渡し、封筒の中身をそれとすり替えさせた。これで警務部長はどこの誰とも知れぬ脅迫者のことで頭がいっぱい、封を切るときに感じた些少の違和感など忘れ去ったに違いなかった。
 内田警務部長の写真は中園の手持ちのカードの中でもAクラスだったが、彼が入手してきた写真にはそれだけの価値があった。第九研究室で監査を実施している監査官と、その対象者である警視が男女の関係に陥っているという数枚の証拠写真――こんなものが警務部長の目に触れたら、青木は昇進どころか厳罰だ。

 警察官房の自室に戻り、中園は頭を抱えた。まさか、こんな写真が警務部に送られるなんて。
「なんでこうなったかなあ……」
 写真の角をつまんで持ち上げ、さまざまな角度から見上げて頬杖をつく。重要なカードを切ってまで手に入れてはみたものの、中園はその写真が偽造ではないかと疑っていた。中園には未だに理解できないが、青木は薪にメロメロだ。いくら顔が似ているからと言って、こんな軽はずみな真似をするだろうか。

「いいもの持ってるじゃない」
 考えに沈む中園の手から写真を取り上げたのは、彼の上司だった。写真を見て、ふっ、と小野田は笑った。でも眼が笑ってない。嫌な予感がした。
「おまえ、それどうする気?」
 中園の問いに答える前に、小野田は内線で薪を呼び出していた。薪は今日は第九にいるはずだが、よほど混み入った事件を抱えていない限り小野田の呼び出しには応じる。ほどなく此処に姿を現すだろう。
「まさか薪くんに見せるつもりじゃ」
「可哀想だとは思うけどさ。裏切られてるのを知らないのはもっと可哀想じゃない?」
「ちょっと待てよ。裏を取ってからの方がいい。まだ、この写真が本物かどうかも」
「こんな浮気男なんかより、うちの裕子の方がずっと薪くんには相応しい。中園もそう思うだろ」
 裕子と言うのは小野田の二番目の娘だ。まだ諦めてなかったのか。
「……おまえの差し金じゃないだろうね」
「おまえじゃあるまいし」
 そんなわけで、薪がその写真を見たのは第九に写真が持ち込まれる二日前。宇野の心配はすでに遅かったことになる。

 捜査が佳境に入っていたのか、呼び出された薪は不機嫌そうだった。口にこそしないが、玩具を取り上げられた子供のような顔をしている。しかし、この写真を見せれば事件どころではなくなるだろう。彼の弱点はメンタル、それも恋愛方面限定なのだ。
 ところが。
「この写真は僕じゃありません」
 女の身体じゃないですか、と被写体の裸の胸を指差し、
「つまらないことで呼び出さないで下さいよ。せっかく面白い画が、あ、いえ、興味深い画が出てきたところなのに」
「つまらないって。青木くんはきみの」
 部下と言うべきか恋人と言うべきか、中園は一瞬迷った。その僅かな時間に、薪がせっかちに言葉を重ねる。一刻も早く第九へ帰りたいらしい。

「知りませんよ。青木が彼女と寝たかどうかなんて、どうでもいいですよ」
「え、いいの。まあ、薪くんがそう言うならそれで」
「いや、よくないだろ。監査官と監査対象者だぞ。監査の成績目的で関係を結んだとしたら厳罰確定だ。査問会の結果次第では懲戒だぞ」
「青木はそんなことしませんよ」
 揺るがない口調で否定されて、中園は納得する。薪が取り乱さないのは、青木を信じているからか。今年の春に青木と一緒に暮らし始めてから、薪は強くなったというか開き直ったというか、こちらの方面で揺さぶりを掛けても、以前のように過剰な反応を見せなくなった。構い甲斐がなくなって、中園としては少しつまらない。
「青木は監査に合格すれば昇進できるってことを知らないんです。こんなリスクを背負ってまで、監査官におもねる意味がない」
「いくら青木くんが呑気でも、監査の結果が出世に響くことくらいは知ってるだろ」
「昇格試験に受からない限り警視正昇任は僕が認めないって言ってありますから」
 薪の言い分を聞いて、中園は青木に同情する。推薦状に判を押すべき上司が二人して不承認とは。青木の警視正昇任は遠そうだ。

「それじゃ、この写真はどう説明するんだい」
「問題は写真の真偽よりも、写真の処分と送り主への対応ではないですか。下手したら第九や官房室の責任問題ですよ」
「そうだねえ。間宮が警務部長なら、きみへのセクハラで済んだと思うけど。今の警務部長の手に渡ったら、少し厄介なことになってたね」
「警務部長? これ、人事部宛てに送られてきたんですか」
「ぼくも聞いてないよ、中園。そんな大事なこと、なんで黙ってたんだい」
「あの展開の何処に説明を挟む余地があったのか教えてほしいものですな、官房長殿」

 小野田と中園の押し問答の横で、薪は考え込んだ。官房室ではなく警務部に送られてきたのなら、それは官房室の敵の仕業だと考えるのが妥当だからだ。
 官房室の政敵と言えば真っ先に思い浮かぶのが警察庁次長の派閥だが、3年前の大捕物で、次長側の勢力は大幅に削がれた。次長の右腕だった参事官は海外に飛ばされ、彼の娘婿で警務部長を務めていた間宮隆二は長野県警に出向させられた。
 間宮は優れた情報収集能力と分析能力の持ち主で、精緻を極めた人事データを作り上げており、それを基に下される人事評価は的確かつ公正、交付される辞令は誰もが納得するものであった。人事部長としては適切な人物であったが、彼には多情という欠点があり、飛び抜けた容姿を持つ薪は集中的にその被害に遭っていたのだ。

「間宮はあれで、けっこう利用価値があったんですけどね」
 セクハラはともかく、間宮の人事データは信用できた。雪子にプロポーズしてきた法一の医者や小池を引き抜こうとした二課の課長など、職員たちの人となりを調べるためにデータを横流ししてもらったこともあった。薪を自分の愛人の一人にしたがっていた彼は、薪が頼めば大抵のデータは用意してくれた。データと引き換えに尻を撫でられたりしたけれど、別に減るもんじゃなし。それ以上仕掛けてくるようなら蹴り飛ばせばよかった。今思うと実に便利な男だった。
 間宮に代わって警務部長の役職に就いたのは、内田と言う警視長だ。身内でこそなくなったものの、やはり次長の息のかかった男には違いなかった。

「この写真が真実にせよ偽造にせよ、北川監査官は我々の敵だと思って間違いないと思いますよ。どの写真も二人の顔がはっきりと写っている。こんな都合の良いアングル、どちらか一人でも撮影側の意図を知ってないと撮れませんよ」
「じゃあ、彼女自身が首謀者の一人だと」
「僕はそう思います。それと、この情交写真。この男は青木じゃありません」
 さらりと薪は断定した。二人の上官が目を見開く。
 なるほど、街中のカフェで撮影されたらしい写真は明るい店内で顔がよく写っているが、情交写真だけはホテルの一室で明かりを落としてある。顔はそっくりに造ってあるし、その前に何枚も本物の青木の写真を見せられた後では、これだけが偽者だとは気付きにくい。上手いやり方だ。
「本当に?」
「よく似せてますけど別人です。筋肉の付き方が違う。青木はもっと」
 青木の身体をよく知る薪ならではの分析に、小野田があからさまに顔を歪める。それを横目で見て、薪は苦笑した。
「だから言いたくなかったんですよ」

 最初から薪は、情交の写真だけは青木が偽者であると見抜いていた。それで平気でいられたのだ。しかし、これが官房室ではなく警備部に送られた物だと知って、真実を明らかにしなくてはならない状況に追い込まれた。写真の送り主が青木や官房室に敵意を持っていることが分かったからだ。官房室なら本人への勧告で済むが、警務部では厳罰の対象になる。第九や官房室の責任問題にも発展するだろう。送り主の目的は、おそらくそこにある。

「誰かが何か大きな事件を起こそうとしている。これはその前座だと思います」
 その時、薪はそう予言した。その予言が現実に姿を変えるのに要した期間は、わずか3日。北川舞が監査官として第九にやってきてから、12日目のことであった。

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青木警視の殺人(11)

 こんにちは。
 ハラハラドキドキは法十の売りですけど、それ以上にうすら寒いギャグとか脱力感とか肩すかしとかも重要な目玉商品なので~。そこんとこよろしく!




青木警視の殺人(11)




 日曜日の朝のこと。青木は都内のとあるホテルに向かっていた。
 その姿を友人が見ても、彼だとは分からないだろう。金髪のウィッグを被り、顔には大きなサングラス。そのせいで眼鏡が掛けられないから足元がおぼつかないのだが、素顔では道を歩けないのだから仕方ない。

 2時間ほど前、青木は携帯電話のコール音で叩き起こされた。時計は4時55分を指していた。知らない番号からだったが、電話に出てみると相手は薪だった。てっきりデートの誘いだと思って跳ね起きたのに、薪の言葉は冷たく、そして意外なものだった。
『おまえだとバレないように変装して、すぐに家を出ろ』
「変装? どうしてですか」
『おまえは殺人犯だ。早く逃げろ』
 なんだろう。新しい遊びだろうか。
「あ、わかりました。オレが犯人役で薪さんが刑事役で、逮捕しちゃうぞラブラブビームみたいな」
『……13階段に画鋲敷きつめて裸足で昇らせてやろうか』
 冗談ではなかったらしい。めいっぱい本気の口調で脅されて、青木はベッドの上に正座した。

『迎えをやったから彼女の指示に従え。当たり前だけど、携帯の電源は切っておけよ』
「もう少し詳しく説明してもらえますか。状況がよく」
『そんな暇はない。もうすぐそこに』
 薪の声を掻き消すように、激しくドアを叩く音が聞こえた。日曜日の朝5時に、これは只事ではない。
『青木一行! 中にいるのは分かっている、ここを開けなさい!』
 闇金融の取り立てだって8時からだ。警察はヤクザより厳しい。

「薪さん、どうしましょう。ドアの外に」
『お隣の石塚さんちを通らせてもらって表から出ろ』
「石塚さんちはハワイ旅行に行っててお留守ですけど」
『知ってる。だから窓ガラスを割らせていただいて中に入らせていただきなさい』
 お言葉は丁寧ですけど、やれって言ってることは犯罪ですよね?
 反論しようと開きかけた青木の口を、ドアを叩く音が止めた。仕方なく、急いで身なりを整えカツラを被り、布団を干すときの手摺りを利用して隣の家に侵入した。破片が飛び散らないようにあらかじめガラスにガムテープを貼るとか音が響かないようにハンマーをタオルで包むなど、犯罪者の手口を青木は、薪と付き合っているうちに自然に覚えてしまった。ワーカホリック全国大会優勝候補の薪との会話は九割が仕事の話だ。イヤでも犯罪に詳しくなってしまう。

「ごめんなさい、石塚さん」
 小さな声で謝りながら、ハンマーを窓ガラスに振り下ろす。当然のことだが、その謝罪はハワイの彼らには届かなかった。
 実はこのとき、長期の留守だからと石塚宅にはセキュリティが掛けられていた。セキュリティシステムが働いて管理人室のモニターに赤ランプが点滅したのだが、管理人は目的の部屋を解錠させようとした刑事たちに叩き起こされている最中で、それに気付く余裕がなかった。もし彼らが、管理人が起床する7時以降にマンションを襲撃したならば、そこで被疑者を捕まえることができただろう。寝込みを襲ったつもりが裏目に出たのだ。

 留守宅に侵入し、青木はそこで待つことにした。いくら変装していても、朝の5時に部屋を出て行ったら怪しまれるだろう。小一時間もすれば、休日を利用して遠出する人々にに紛れてマンションを出られる。それまでの辛抱だ。
 素早く警報装置を切り、しばらく息を殺していると、隣の部屋つまり自宅の鍵が開いて、複数の人間が中に入ってくる足音がした。「靴は脱いでくださいよ!」と注意する管理人の声も聞こえる。このマンションは完全防音が売りだが、青木は自分が窓から逃げたと思わせるために窓を開けたままにしておいた。そこから潜伏している部屋の割れた窓ガラスを通して、隣の音が聞こえてきたのだ。
 このマンションには防犯のため、ベランダがない。青木が移動に利用した布団用の手摺りは、その都度取り付けて使う。隣家に侵入した後は取り外しておいた。ついでに火災時用の梯子も下ろしておいた。青木がいた部屋は二階。この状況なら、窓から逃げたと考えるのが自然だ。
『逃げたぞ。あの窓だ』
 偽装工作が上手く機能したことに、青木は安堵する。と同時に、自分が一端の犯罪者になった気がした。

『早く追いかけないと』
『待て。逃げたように見せかけて、部屋の中に隠れてるかもしれない』
 どきりとした。家探しをされても青木はいないが、見られては困るものはある。薪とお揃いのカップとかパジャマとか、デートの時に撮った写真とか。他人の目に触れたら、たちどころに薪との関係がばれてしまう。
 5分も経たないうちに青木の予感は的中し、隣の部屋は騒然とした空気に満たされた。寝室に飾っておいた写真が発見されたのだろう。来客があっても寝室には入ってこないのが普通だからと、写真立てを並べたのがまずかった。
 青木は観念したが、隣室からの声は青木の思惑を大きく外れていた。

『見ろ。被害者と青木の写真だ』
『へええ。本当に彼女、薪警視長にそっくりだな』
 いや、それ薪さんですけど。
 なんてボケをかましている場合ではない。薪のそっくりさんと言えば、北川監査官に決まっている。青木から見れば両者の間には明白な違いがあるが、他の人間にはその違いが分からないと言うから不思議だ。
『全くだ。これが笑顔の写真でなかったら見分けがつかん』
『そうだな。鬼の警視長がこんなに可愛いはずがないからな』
 いや、可愛いんですよ、薪さんは。特にデートのときの少年ルックなんてボーイッシュな女の子にしか見えなくて、一人にしようもんならナンパの嵐で……、だから今はそれどころじゃないって。

『やっぱりデキてたんだな、あの二人。犯人は青木で決まりだな』
 あり得ない誤解だ。北川と自分が恋人関係にあるなんてデマが、薪の耳に入ったら大変だ。何かの犯人にされてるみたいだけど、どっちかって言うと浮気疑惑の方が問題――、
『こんな美人を殺しちまうなんて。もったいないことをしやがる』
 前言撤回。こっちも大問題だ。

 北川が殺された? 

 彼女を最後に見たのは、木曜の夜だった。翌日の金曜から日曜まで、監査は休みにすると彼女は言った。翌日の金曜日、宣言通り彼女は第九に姿を現さなかった。密かに青木を観察していた可能性もあるが、誰も彼女の姿を見た者はいなかった。
 もしかしたらこの週末、彼女は恋人と会っているのかも。何となく青木がそう思ったのは、木曜の夜の彼女がいつもよりはしゃいでいたのと、耳元で揺れていた小さな耳飾りのせいだったかもしれない。
 その彼女が死んだなんて。とても信じられない。

 それにしても、どうして自分に容疑が掛かったのだろう? 『やっぱりデキていた』と刑事は言ったが、「やっぱり」という言葉は前提に噂や目撃証言があって、それが証明されたときに初めて使われる言葉だ。彼女と出会ったのは2週間前。そんな短期間に、恋人どころか友人にすらなった記憶はない。
 しかしながらそれは青木の意識であって、第三者の目から見たら違ったのかもしれない。聴取が目的ではあったものの、何度も二人で食事をしていたのは事実だ。レストランやカフェの店員が、そう証言したのかも。
 だからと言って濡れ衣は困る。潔白なら自分から出頭するべきだ。逃げたりしたら余計に疑われる。警官の青木にはそのことは嫌というほど分かって、でも薪は逃げろと言った。薪は死んでも容疑者に逃亡を勧めたりしない。なにかあるのだ。

 やがて捜査員たちは家の何処にも青木がいないことを確認し、青木は窓から逃げたという結論に達した。その間に青木は石塚家から出た。折りしも世間は夏休み。日曜日ともなれば、海水浴やバカンスに出かける家族連れが早朝から通りを賑わす。楽しそうに歩く彼らが自分を隠してくれると踏んだのだ。
 廊下に捜査員はいなかったが、ロビーに一人、見張りがいた。変装してきてよかった。
 以前、第九の宴会用にと購入したパンク系のカツラが役に立った。服装もそれに合わせて派手目のものを選んだ。オールバックにスーツが定番の青木とは正反対。これならバレないだろうと思っていたが、しかし。
「ちょっと、そこのあなた!」
 急ぎ足でロビーを抜けようとした青木の背中に、捜査員の鋭い声が飛んだ。ぎくりとして足を止める。
「あなた、青木警視じゃ」
 どうして分かったんだろう。青木は焦るが、190センチの長身はそう簡単にはごまかせない。相手もプロだ。髪型や服装ではなく、体格で人を見る癖が付いているのだ。
 緊張で身を固くする青木に若い捜査員は素早く寄ってきて、しかし次の瞬間、彼はその場に凍り付いた。
「やぁン、遅いじゃない、ユッコったらあ」
 青木も凍りついた。いつぞやの地球外生命体が隣に立っている。

 長い金髪をポニーテールに結わえているのは、トレードマークのどでかいピンクリボン。真っ白におしろいを塗りたくった顔と青黒い髭剃り痕のコンボは相変わらずの破壊力で、気の弱い人間ならそれだけで失神させることが可能だ。釣り上ったキツネ目に太い眉、割れた顎に大きく張ったエラ。5分刈りにねじり鉢巻きがしっくりくる顔つきに夜の女の化粧を施せば、拳銃よりも恐ろしい生物兵器の出来上がり。それがパッションピンクのドレスを着て歩いている。地獄だ。
 薪とは真逆の意味でこの世のものとは思えない彼、いや彼女は、雪子の友人で名前を本間竜太郎、源氏名を彩華という。彼女は第三の性の持ち主、要はニューハーフだ。彼は、違った彼女は、ああもうメンドクサイ、てか妖怪の性別なんかどうでもいい。とにかくその物体は、「ユッコも一旦お店に顔出すでしょ」とか訳の分からないことを言って青木の腕に自分のごつい腕を絡ませ、
「昨夜のお客、すごかったわねぇ。アタシとアンタ、二人相手に何回も。アタシ、3回もマジ逝きしちゃったわン。アンタは? 何回イッた?」
 あなたの存在しない世界に行きたいです。

 青木に職質を掛けようとした捜査官が、ずざざっと後退りする。青木も彼と一緒にその場を逃げ出したかった。しかし、彩華の腕は万力のような力で青木の右腕を拘束していた。
 そのまま引きずられるようにマンションを出た。通りに出るや否や彩華はものすごい力で青木を引っ張り、人の群れに紛れた。大通りに出る一本手前の路地に連れ込まれる。彩華は素早く周りを見回し、人目がないのを確認すると、やにわに服を脱ぎ始めた。
「ほら一行ちゃんも。早く脱いで」
 派手な英文字が踊るシャツを脱がされ、ズボンのベルトを外された。青木のスラックスが地面に落ちる。青空の下、こんなところで二人して裸になって、彼女が青木に何をする気なのか、想像するだけで気絶しそうだ。
 ――逃げなくては。
 青木の本能の警鐘は割れんばかりに轟いたが、パッションピンクのワンピースの下から現れたボディビルダーのような腕と胸毛の生えた胸元が、青木の意識を遠のかせた。とても逃げられない。人生終った、と青木は思った。

「一行ちゃん。急いでこれに着替えて」
「え」
「カツラ替えて。それと顔も」
「え? え?」
「雪子に頼まれたのよ。自分が行きたいけど、自分は一行ちゃんと友人だってことが敵にばれてるから、警察関係者じゃないアタシにって」
「てき?」
「詳しいことは教えてくれなかったわ。知るとアタシにまで危険が及ぶからって」
 雪子も水臭いわよね、と笑って、彩華は青木の唇にルージュを引いた。
 服を取り替えてみると、彩華と青木の体格にそれほど違いはなかった。身長だけは青木の方が10センチ以上高かったが、ヒールとカツラの盛り具合で何とでもなる。後ろ姿なら身代りが務まるレベルだ。
「此処でマキちゃんが待ってるって」
 最後にホテルの名前と住所が書かれたメモを青木に渡して、彩華は表の通りに戻って行った。建物の陰からそっと見送ると、彼女はゆっくりと歩いて人混みに紛れ、どこにいるか分からなくなった。





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青木警視の殺人(12)

 こんにちは。
 今年は、現場がお休みの日は更新しようと決めました。(今日は雨で休工になりました)

 一昨年は精神的に疲弊してて、休みの日はぐったりしちゃってましたけど、今年の下請さんは任せて安心だし。だってね、工事始まって2ヶ月経つのに、苦情ゼロなんですよ。
 一昨年の現場は1ヶ月で4回くらい苦情来たからね。初日から8時までかかって、課長に大目玉食らったからね。毎日毎日、開放期限の5時を超えちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしっぱなしで。ホント疲れた。
 今年は道路規制していない日でさえ、5時前にはピタッと終わるし。写真の取り忘れはないし、頼んだ書類はきっちり上げてくるし。
 今年の下請さんは本当に当たりです♪




青木警視の殺人(12)




 そんなわけで、青木はいま指定されたホテルの部屋の前に立っている。青木がチャイムを押すと、中では廊下の様子を伺っていたのだろう。すぐにドアが開いて薪が出迎えてくれた。
「青木、よく無事で」
 言い掛けた薪の言葉が止まる。開いた口唇をそのままに、ドアを閉めることも忘れて青木を見上げた。久しぶりにこの眼で見る薪のキョト顔は青木の記憶の何倍も可愛くて、思わず抱き締めて胸に仕舞いたくなる。手を伸ばしかけた青木の耳に、爆発するような男の笑い声が聞こえた。
「ぶはははは! なんだい青木くん、そのカッコ! てか、顔!!」
 部屋にいたのは薪一人ではなかった。そこには薪の直属の上司である中園と、官房室の長が顔を並べていた。
 我に返った薪が、慌てて青木を中に引っ張り込む。廊下に誰もいないことを確認してからドアを閉め、鍵とチェーンロックを掛けた。

 入口の姿見に自分を映してみて、青木は初めて自分が彩華と同じ化粧をされていたことを知った。目の上は真っ青、唇は真っ赤に分厚く、頬はまあるくピンク色。この顔で街中を歩いてきたとは、サングラスが無かったら別の容疑で警察に捕まっていたかもしれない。
「服のセンスといい化粧の仕方といい、青木くん、きみ、芸人になったらどうだい」
「中園。笑いすぎだよ」
 笑い転げる中園を窘めつつ、小野田は口元を押さえて青木の頓狂な姿を見ていたが、どうにかポーカーフェイスを保って、
「さすがは薪くん。機転が利くねえ」
「いえ。僕は変装してこいとは言いましたけど、女装してこいなんて一言も――ふっ」
 鼻で笑った後、さすが彩華さんだな、と小さく呟いた薪の声を青木は聞き逃さない。雪子に頼まれたと彩華は言ったが、雪子に指示をしたのは薪だろう。この逼迫した状況で、よくあの人物を思い出せたものだ。

「とりあえず化粧を落とせ。それからシャワーと着替え。おまえ、香水臭い」
 小野田は軽蔑の眼差しで青木を見やり、中園は笑いこけ、薪は苦笑いする。青木は好んでこの姿になったのではないことを説明しようとしたが、「いいからその顔を何とかしてこい」と薪に言われ、急いでシャワーを使った。着替えは薪が用意しておいてくれた。潜伏することを考慮してか黒いジャージの上下だった。上官の前に出るにはラフすぎる服装だが、ピンクのワンピースよりはマシだろう。
 ソファに陣取った3人のところへ戻り、青木は敬礼した。座るように指示をされたが、席は小野田の隣しか空いていなかった。まさか官房長と同じソファに座るわけにもいかず、青木は文机の前から椅子を持ってきてそれに腰を下ろした。

「青木、状況を説明するからよく聞け。いま、おまえには殺人容疑が掛かっている。被害者は北川舞さんだ」
 薪の衝撃的な言葉に、青木はしっかりと頷く。そこまでは捜査員たちの会話から察しがついていた。だが、何故自分に容疑が掛かったのかは謎であった。そんな青木に、薪はひとつの解答を示した。
「捜査本部の見立てはこうだ。おまえが自分の監査官である北川さんと男女の関係を結び、そこで起きた何らかのトラブルで彼女を殺害するに至った、と」
 恐ろしい誤解だった。青木は夢中で薪の手を握り、自分の無実を訴えた。
「薪さん、信じてください。オレ、浮気なんかしてません!」
「「「弁明、そっち?!」」」
 3人同時に突っ込まれた。青木には一番大事なことだった、だから最初に言ったのに。
「呑気だな、おまえは。殺人容疑だぞ」
「それは調べれば分かることです。でも、彼女が死んでしまったら浮気は証拠不十分で」
「なるほど。死人に口なしとは上手いことやるね、青木くん」
「やってません!!」
 中園に茶化されて、青木は思わず立ち上がった。そういうことは冗談でも言わないで欲しい。

「そうは言ってもねえ。こういうものが出回ってるんだよ」
 中園に見せられた写真は、青木にとって実に不愉快な代物だった。裸で睦み合う男女――青木に覚えはないが、それは青木と北川だった。当人に記憶が無いのだから偽造写真に決まっている。紙面に顔を近付けて修正の痕を探すが、肉眼では見つけられなかった。
 しかし、これで刑事たちの疑いの根拠が分かった。これを捜査本部に送り付けた人間が真犯人だろう。
「よくできてますね」
「あれ。意外と落ち着いてるね」
「身に覚えがありませんから」
 青木は以前、やむを得ない事情でラブホテルに小型カメラを仕掛けたことがあるが、その時の写真に比べるとこの写真は出来過ぎだ。アングルの変化が多すぎる。偽造の証拠だ。

「その写真は合成じゃない。本物だ」
 意外なことに、青木の見解を薪は否定した。青木でも気付くような矛盾に薪が気付かないのはおかしいと思ったが、彼の断定には理由があった。
「岡部から連絡があった。竹内が持ち込んで、宇野が鑑定したそうだ」
「そんな馬鹿な」
 信じられない思いで青木は写真を見つめた。この写真が本物なら、自分は記憶喪失か夢遊病者か。
「宇野さんの鑑定の素晴らしさは知ってますけど。オレには本当に覚えがないんです」
「分かってる」
 写真を本物だと言ったり青木の言い分を信じてみたり。薪の言葉は矛盾しているように聞こえるが、彼の導き出した答えを知ればそれが正解だと分かる。つまり。
「これはおまえじゃない」
 写真が偽物なんじゃない。写っている青木一行が偽者なのだ。

「おまえそっくりに顔を変えた誰かだ。このアングルを見ろ。顔はしっかり写っているのに、全身を写したものは一枚もない。顔は変えられても身長は伸ばせないから、アングルでごまかすしかなかったんだ」
 言われて見直せば、顔はよく撮れているけれど身体のどこかしらはシーツに覆われていて、ベッドや調度品との比較による身長の算出ができないようになっていた。偶然とは思いがたい。鑑識の手法をよく知る何者かが、この写真を撮ったのだ。

「その説明は前も聞いたけど。本当に青木くんじゃないの?」
 小野田の質問に薪の眉が微かに吊り上がる。表面に出さないようにしているけれど、薪はものすごくイラついている。薪の微細なシグナルを読む術に長けた青木にはそれがよく分かって、でもどうしようもなかった。上官同士の会話には入れないし、この場では薪の部下でいるしかない。恋人の顔で彼を癒すなんて真似はできなかった。
「混ぜっ返すなよ、小野田。おまえだって、青木くんが犯人だなんて思ってないだろ」
「それは調べてみないと分からない。ちなみにきみ、金曜日の夜、何処で何してた?」
「自宅で一人で寝てました」
「はい、アリバイ無しと」
「待ってください、小野田さん。その日は青木から電話がありました。基地局を調べれば裏は取れます」
 土日が休みになったのだから一日だけでも会えないものかと、期待を掛けて薪に電話をしたのだった。結果は惨敗だったが、「この電話は盗聴されてるから迂闊なことを話すな」と本気で心配している薪はとても可愛かった。

「悪いけどね、薪くん。被疑者と昵懇な人間の証言は使えないよ」
 身に覚えのないこととは言え青木がこんな騒ぎを起こして、小野田はおかんむりらしい。その様子に薪はすうっと眼を細めて、テーブルに置いてあった写真の一枚を指差した。
「アリバイはともかく、この写真は青木じゃありません。証拠があります。この、手の形」
 女の細い背中を強く抱く、男の手。青木の手はもっと大きい、そう反論するのかと思いきや、薪は自分の5本の指を猫のように丸めて、
「青木はセックスのとき、こんな風に指を曲げる癖があるんです。興奮すればするほど」
 と、とんでもないことをのたまった。
 小野田が思わずソファに仰け反り、中園が面白そうに眼をくるめかせる。薪の逆襲は小野田にはそれなりのダメージを与えたようだったが、中園には完全に楽しまれていた。

「そうなの、青木くん」
「いや、そんな覚えは……自分ではよく分からないだけかな。あ、でも、シーツを握っちゃうのはどっちかって言うと薪さんの方だと、ぐほぉっ!!」
 腹にめり込んだ革靴に押され、青木が椅子ごと引っくり返る。床に転がった青木を蹴り続ける薪は、赤い顔をして汗をだらだらかいていた。背伸びして嘘を吐くからだ。
「自分で振っておいて。メンドクサイ子だねえ」
「薪くん、殺さない程度にね。死体の処理とか面倒だから。――あ、もしもし、捜査本部? 逃亡中の青木警視がここに」
「だからおまえのはシャレにならないって!」
 慌てて携帯電話を小野田の手から奪い取る。通話中になっていた電話を壊さんばかりの勢いで、中園は電話を切った。
「頼むから3人掛かりでボケないでくれ! 僕のツッコミが間に合わない!」
 岡部くんがいれば僕もそっちに回るのに、と中園の本音は小さく呟かれ、当然それは誰の耳にも届かなかった。




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青木警視の殺人(13)

青木警視の殺人(13)



 ウォッホン、と中園が咳払いをすると、薪はようよう青木を蹴るのを止めてソファに座り直した。澄ました顔で「青木、早く席に着け」と命令する薪の性格はあり得ないと思ったが、それに素直に従う青木はもっとあり得ない。どんな調教をしたらこんなドMが出来上がるのか、参考に聞いてみたいものだ。

「あの。本当に、北川さんは亡くなったんですか」
 青木の質問に答える代りに中園は、封筒からもう一枚の写真を取り出した。そこには彼女の死体があった。薄いブラウスの胸を真っ赤に染めて、薄汚れた路地に仰向けに転がっていた。
 青木はその写真を見て初めて、彼女が死んだことを実感した。何かの間違いではないのか、最悪、人違いではないのかと、心の隅で呟き続けた声が沈黙する。その写真にはそれだけの力があった。
「どうして彼女がこんな目に」
「きみが殺したことになってるけど」
「だから混ぜっ返すなって」
 キッと眦を吊り上げた薪を牽制するように手を振り、中園は不穏当な空気を発する二人の間に割って入った。
 小野田が余計な茶々を入れるのは、いっそこのまま青木が殺人犯として逮捕されてしまえばいいと思ってのことかもしれない。そんなことを思われずに済むよう、もっと頑張らなければと青木は思った。
 小野田は薪の親代わりのようなもの。自分がその彼に認めてもらえるような人間にならないと、間に挟まった薪が苦労する。青木が知らないだけで、薪はこの手の苦労をずっとしてきたのかもしれない。

 ショックに負けている場合ではない。青木はもう一度、北川の遺体写真を見直した。
 最後に会ったときの服装とは違う服だ。耳のイヤリングもなくなっている。あの後、すぐに殺されたわけではない。しかし、この路地の店の並びには覚えがある。
「この店、『Zen』じゃないですか?」
「え。えっと……ああ、うん。なんで知ってるの」
 薪がタブレットの画面に出した地図を捜査資料と突合する。そこは木曜日、青木が北川と訪れた店の裏の路地であった。
「裏口の上に防犯カメラがありました。それは確認したんですか」
「なんでカメラの位置まで。まさか青木くん、本当に」
「違いますよ。この店、トイレが裏口の近くにあるんですけど、ちょうどオレがトイレから出てきたとき、バイトの女の子がビールケース二つも重ねて外へ出て行こうとしてて」
 転んだら怪我をすると心配になって、青木が運んでやった。その時に裏口の風景と、通りに向けた防犯カメラを見たのだ。

「へえ。青木くんは優しいねえ」
「いえそんな」
「色んな女の子にコナ掛けてるねえ」
「はいはい、青木くんが何してもおまえが気に入らないのは分かったから。薪くんもいちいち目くじら立てない」
 腹の虫が治まらないらしい薪は、何か言おうとして途中でやめた。彼の上司に対する無礼を防いだのは、彼の上着のポケットで震える携帯電話だった。細い指に取り出された電話は薪の持ち物ではなかった。おそらく、会話を傍受されない為のプリペイト携帯だ。
「雪子さん、ありがとうございました。青木は無事です」
 電話の相手は雪子だった。薪に頼まれて彩華に連絡を取ったものの、首尾よく行ったかどうか、気になって電話を掛けてきたのだろう。
「解剖結果、もう出たんですか? あ、ちょっと待ってください。――どうぞ」

 スピーカー機能をオンにして、雪子の声が全員に聞こえるようにすると、薪は携帯電話をテーブルに置いた。映像が映るわけではないが、全員の視線が自然とそこに集中する。薄いカード型の機械は、潜めた声で語り始めた。
『死因は出血性ショックによる急性循環不全。刺されたのは一箇所で、心臓の真上。いま、傷口から凶器を特定してる。科警研の分析は今夜には出るけど、捜査本部には二日掛かるって言わせておいたから。分かり次第、この携帯に連絡入れるわ』
 さすが雪子だ。捜査レースでは情報が勝負を決めることを知っている。彼女が科警研の職員に偽りの日数を申告させた方法については、聞かない方がいいだろう。
「ありがとうございます。助かります」
『それと、あの遺体。ちょっと気になるのよね』
「遺体に何か特徴が?」
『そうじゃなくて、なんか既視感があるっていうか……』
 北川の顔は薪にそっくりだ。まるで薪の身体を切っているような、そんな錯覚を覚えたのだろう。雪子がいくら豪胆な女性でも、精神を乱されるのは当然のことだと思えた。

『詳細なデータはUNOボックスに入れておいたから』
 UNOボックスは、宇野が作った極秘の共有フォルダだ。他部署からの捜査依頼で、なのに故意的に隠されたり改竄されたりした解剖所見があるとき、雪子に頼んで原本をこのフォルダに入れてもらう。自分たちがお手上げだからと第九に事件を回し、その情報を隠匿する。彼らの矛盾は青木には全く理解できない。
 その他の機能としては、便利なアプリケーションがいくつか。容量は10TBまで増やしてあるから解剖所見に限らず、大抵のデータは受け入れ可能だ。

「帰ったら確認します。雪子さん、本当に何から何まで協力していただいて」
『青木くんが殺人犯なんて、ありえないもの』
 捜査本部が断定した青木の犯罪をまったく信じようとしない、雪子の揺るぎない信頼がうれしかった。じん、と胸の奥が熱くなる。
『間違ってやっちゃったとしても逃げたりしないでしょ。『薪さん、オレ、どうしたらいいですかぁ』って泣きながら電話してくるわよ。一人じゃ何もできないんだから、あの男』
 ……熱くなりすぎて涙出てきた。

『おい、長すぎるぞ! 中で何をしている』
 雪子の声に、電話から聞こえてきた男の声が被った。どうやら雪子にも監視が付いているらしい。青木の逃亡に手を貸す恐れありと思われているのだ。雪子は多分、監視者と距離を取れるところ、女子トイレの個室などからこの電話を掛けてきているのだろう。
 青木の想像は当たり、男に言い返す雪子の声が、
『うるさいわね! 生理中よ、タンポン替えてんの!』
 さすが先生。それを言われて引かない男はまずいません。
 女の武器を最大限に利用した雪子の言葉よりも、それを聞いて瞬時に真っ赤になった薪の愛らしさの方が青木には衝撃だった。なんなら使用済みのタンポン見せてあげましょうか、と息巻く雪子の声が聞こえ、薪は慌ててスピーカーを遮断した。

 再び電話で雪子と喋り始めた薪を置いて、青木は部屋の隅に置いてあったパソコンを起動させた。インターネットのブラウザを開き、UNOボックスにアクセスする。パスワードは暗記している。CUREMAID――宇野御用達の秋葉原のカフェの名称だ。
「どうして女ってのは結婚すると恥じらいが無くなるのかねえ」
「いや、雪子先生は結婚前と変わってないです。あの人に慎みとか期待する方が間違い、と、出ました」
 青木と一緒に画面を見ていた中園にフォローにならないフォローをしながら、ログを拾って一番新しいファイルを開くと、画面には雪子が送ってくれた検死報告書が表示された。
 検案書があると知った小野田は席を立ち、青木の右側から画面を覗き込んだ。右に小野田、左に中園。高官二人に挟まれ、緊張で肩が強張る。が、今は悠長に上がっている場合ではない。青木は画面に意識を集中し、捜査に必要だと思われる部分を素早くピックアップした。画像を切り取り、それに対する説明を添付する。薪が電話を終えるまでに書類の形を作っておかないと、また「役立たず」と怒鳴られる。

「遺体に致命傷以外の外傷はありません。心臓を一突きですから、即死に近い状態だったでしょう」
 感傷に流されそうになる自分を抑え、青木は事務的な口調を心掛ける。薪に口酸っぱく言われている、捜査には情を挟むな。被害者が欲しがっているのはおまえの同情じゃない。突然に断たれた生命の無念を、その真実を明らかにすることだ。その言葉を身体の中心に据えて、青木は検案書の要点を手早くまとめ上げた。
 百戦錬磨の中園は眉ひとつ動かさず、検案書に添付された写真を見て言った。
「女の化粧ってのは怖いね。落としたら別人だ。薪くんにまるで似てない」
「もともと北川さんと薪さんは似てないですよ」
「きみ、メガネ取り替えなさい」
 小池にも同じことを言われたが、青木には彼らの目の方がおかしいとしか思えない。薪の方が段違いにかわいい、無敵に可愛い。

「正確に心臓を刺した後、刃を捻ってますね。プロの仕事みたいだ」
 傷口に空気を入れるのは、確実に人を殺すときのやり方だ。これは殺しに慣れた人間の仕業ではないだろうか。
 青木がそれを指摘すると、二人の間に微妙な空気が漂った。緊迫したような空々しいような――青木は、自分の発言がえらく的外れだったような気分になる。
「すみません。確証もないのに、憶測でものを言って」
「いや。ぼくもそう思うよ」
 思いがけないことに、青木の解答に丸を付けてくれたのは小野田だった。青木と同様、中園も意外そうに彼を見る。二人の視線を受けて、小野田はこの場の最高階級者としての号令を下した。

「ぼくたちはそろそろ警察庁に戻らなきゃいけない。捜査本部の暴走を止めなくちゃね。その間、青木くんは此処に隠れてて。逮捕された後ではさすがに手が出し難い」
「はい」
「坂崎に連絡しておいたから。必要なものは彼に頼むといい」
 いつの間に、と思ったが、さっき中園に取り上げられた電話がそうだったのだろう。ちなみに坂崎は小野田の運転手兼ボディガードだ。彼が青木に付く間、小野田の身辺警護はSPに頼むことにすると中園が言い、小野田はうんざりした顔で横を向いた。薪と同じでSPが鬱陶しいのだろう。

 電話を終えた薪がこちらにやってきた。その深刻そうな顔つきで分かる、雪子からもたらされた情報が青木にとって不利であったこと。
「現場で発見された髪の毛のDNAが、青木のものと一致したそうです。本部内手配の許可が出ました」
 北川の胸を染めた血にへばりつくように、彼女のものではない髪の毛が発見されたと検案書に書いてあった。その髪の毛が青木のものと断定されたのだ。本部内手配の決定は法一には回ってこないから、これは彼女の夫からの情報だろう。
「拙いな。これでは写真の男が青木くんではないと証明しても、何の役にも立たない」
 写真や証言はあくまで状況証拠。物証の前には意味を為さない。そんなものを覆したところで青木の容疑は晴れない。髪の毛に負けない物証を手に入れるか、真犯人を捕まえなければ。
「青木、大丈夫だ。おまえの無実は必ず証明してやる。僕を信じて待ってろ」
 帰り際、薪に言われて頷いた。青木は身動きが取れないのだから、薪の言う通り、信じて待つしかないのだ。

 3人の上司を見送って部屋に一人になると、青木は強い疲労を覚えた。ふらふらと歩いてベッドに転がり込む。色々なことがいっぺんに起きて、青木の頭の中は飽和状態だった。
 北川舞は何者かに殺された。自分がその犯人にされ、警察に追われている。それを小野田達が助けてくれた。新たな証拠が出て捜査本部の方針が修正されるまで、青木はここに缶詰だ。
 ホテルのやわらかいベッドは気持ちよかった。青木はそのまま、深い眠りに落ちた。

*****


 と言うわけであやさん。
>案外、薪さんの指示で逃げてるとか。
 大当たりです!!

 今回のシーン、書いてて楽しかったです。
 娘婿をいびる父親に娘が「もう、お父さんたら!」的なあれですね。なんて幸せな日常の光景……! (若干、世間一般と幸せの定義がズレててすみません)

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

青木警視の殺人(14)

「暗殺教室」がアニメになりましたね。
 松井先生はネウロの頃からのファンなのですけど、今回の話もいいですね。ギャグも鋭いけど、人間の暗部のえぐり方も鋭いんですよね。このギャップがたまりません。
 ギャップ萌えと言えば薪さんですよねっ。最近使い始めた若者言葉、たまりませんww



青木警視の殺人(14)





 第九に戻った薪を待ち受けていたのは、捜査本部から回ってきた青木の本部内手配書と、彼の身を案じる仲間たちだった。

「室長。青木は大丈夫なんですか」
 心配のあまり薪を取り囲んだ職員たちは、口々に青木の安否を尋ねた。彼らの気持ちは分かるが、本当のことを告げるわけにはいかない。本部内手配された職員を匿うと言う重大な違反行為をしているのだ。それを知りながら黙することは、やはり違反になる。彼らを巻き込むわけにはいかなかった。
「青木のことは僕が責任を持って対処する。おまえたちは仕事に戻れ」

 眉根を寄せる職員たちを残し、岡部と二人で室長室に籠って、薪は手配書を前に頬杖を付いた。向かいには、岡部の苦虫をつぶしたような顔。
「どこをどう間違えたらこんなもんが出回るんですか」
「敢えて答えるならこの辺りだろうな」
 空いた手で掴んだ指し棒代わりのボールペンの先が、とんとんと紙面の下方を叩く。薪が指摘したのは捜査本部長の名前だった。そこには次長付首席参事官の氏名が記されていた。
「本部長だけじゃない。首席管理官の緑川を始め他4名の管理官、すべて次長派閥で占められている。竹内が中に入れてもらえなかったはずだ」
「てことはなんですか。青木は派閥争いに巻き込まれたってことですか」
「おそらくな」
 くだらないことに青木を巻き込みやがって、と毒づく薪に、岡部は複雑な気持ちになる。薪が出世すればするほど、こういうことは増えていく。薪の気性を心得ている岡部には、それがどんなに彼の心を削ることか察しが付く。ましてや今回のように、大事な人がその犠牲になったりしたら。
 薪にとって警察機構の階段を昇ることは、針の山を進むようなことなのかもしれない。

「薪さん、青木と会ったんでしょう? なにか突破口はないんですか」
「現場近くの店の裏口に、防犯カメラが付いていたことを青木が覚えてた。そのカメラに犯人が映っているかもしれない」
「だったらそれを早く捜査本部に」
「中園さんが動いてくれてる。こういうのは階級がモノを言うからな」
 実質的に捜査本部を動かしているのは首席管理官の緑川卓という警視長で、薪とは同じ階級だ。敵対派閥だし、それでなくともキャリアは階級にはうるさいから、警視監の中園から話を入れないと耳を貸さないだろう。
「それに、僕はじっとしてろと釘を刺された。あまり派手に動くと、前の時みたいに捜査員たちにその」
 2年前、青木と二人で地方に出張した際ある殺人事件に出くわせ、青木は誤認逮捕された。彼の濡れ衣を晴らすため薪は奔走したが、その過程で、二人が恋人関係にあると言う決定的な証拠を捜査員たちに握られてしまった。それを力づくで中園が黙らせたのだ。
 あれは地方の所轄だったから緘黙させることができたが、今回の帳場は警察庁だ。噂の流布を抑えることなど、できようはずもない。上官たちの命令は当然のことであった。

「ところで、宇野はどうした」
「あー、今日は頭痛がするそうです」
 写真の解析について本人から話を聞きたかったのに、と薪はくちびるを尖らせ、でもすぐに納得したように肩を竦めた。
「無理もないか。宇野は彼女にお熱だったからな」
「薪さんもご存知で」
「分かるさ。僕はもともと恋愛の機微には鋭いんだ」
 初耳だ。顔がいいだけの朴念仁とか陰で言われてるの、知らないんだろうか。
「まあ宇野の場合はな。あんなにあからさまに態度に出てれば、僕じゃなくたって分かるだろうけど」
「青木もあからさまでしたけどねえ」
「ん? なんか言ったか?」
 青木が恋情を募らせていた頃、薪は彼の気持ちにまったく気付かず、青木はよく薪の無意識の誘惑に振り回されていた。今思い返すに、見事な悪女っぷりだったと思う。

『ちょっと、勝手に入らないでくださ、わっ!』
 突然、モニタールームが騒がしくなった。何事かとドアに近付いた岡部の鼻先で、室長室の扉が開く。岡部は咄嗟に身構えた。此処にノックもなしに入ってくるなんて命知らずは、第九にはいない。
 ドア口に立った男と眼が合った。
 大柄な男だった。岡部に負けないくらい筋肉質で、岡部に負けないくらい目つきが悪い。半袖のワイシャツから伸びた太い腕が岡部の襟元を掴もうとする、その手首を岡部の手が締め上げた。二人の男の眼から発せられた眼光がぶつかってスパークする、そんな光景が室長室のドア口で繰り広げられ、乱暴な来訪者によって床に転がされたと思われる第九の職員たちが立ち上がるのも忘れて床の上を後ずさる。今にも切れそうな、引き絞られた絃のような緊張はしかし、冷静な二人の男の声によって遮られた。

「やめろ、岡部」
「やめなさい、田上」
 田上と呼ばれた男の後ろから姿を現したのは、気障ったらしい銀縁眼鏡にライトグレーのスーツを着た、いかにもキャリア然とした男だった。髪をきれいに撫でつけて、右のこめかみあたりを触るのがクセらしい。決めポーズのつもりだろうか。
「初めまして、薪室長。本部で首席管理官を務めております、警視長の緑川と申します」
「なにか」
「本部を代表して事情聴取に参りました。警視正への聴取なら他の管理官に任せるところですが、あなたは警視長なのでね」
「事件解決に役立つなら巡査の聴取にも応じますよ。質問をどうぞ」
「あなたの部下のことですよ。人払いされなくてよろしいのですか」
 結構ですと薪が答えると、緑川は室長席の前まで歩いて、背中に手を組んだ。上から見下すような眼で薪をじっとりと見る。蛇のように嫌な目つきで、岡部はそこに悪意以外のものを感じ取れなかった。

「手配書はすでにご覧いただけたことと思いますが、青木一行警視に殺人容疑が掛かっています。我々が本人に事情を聞くために、彼の自宅を訪れた時にはすでにもぬけの殻でした。いち早く情報を得た誰かが彼を逃がしたのではないかと、我々は考えております」
「それで」
「その人物は彼を匿い、手配書が回った今となっても彼の居場所を本部に隠し続けると言う反逆行為を行いながら何食わぬ顔で過ごしているのではないかと、そう予想しています」
「その人物が僕だと? では第九へは、青木を探しに?」
 自分に向かって折り曲げた手首の、その先の細い指に自分の顎を載せて、薪はふっと笑った。
「どうぞ家探しをと言いたいところですが、第九のキャビネットは機密情報でいっぱいです。部外者に見せるわけにはいきません。お引き取り下さい」
「警視長の私にもですか」
「階級は関係ありません。閲覧を制限する権限は室長の僕にあります。あなたには見せられません」
 緑川の出入りをきっぱりと拒絶し、薪は彼を見上げた。薪は座ったまま、立っている緑川を見上げているのに、見られている緑川は見下されていると感じる。尊大な雰囲気とかふてぶてしい態度とか、人を見下すことにかけては薪の方が一日の長がある。

「強大な後ろ盾を持っていれば、階級など気にならないと言うわけですか」
「否定しませんよ。第九には官房室と言う後ろ盾がある。しかしそれは機密を守るための手段であって、権力でもって人を支配するためではない」
 薪は、緑川が階級を笠に着て捜査を間違った方向に導いていることを痛烈に皮肉ったあと、更に追い打ちをかけるように、
「後ろ盾があるのはあなたも同じでしょう。そちらにご相談されてはいかがですか」
 強気な態度に、岡部はハラハラする。相手は捜査本部の代表、つまりは本部長の代弁者だ。次長の指揮下にある捜査本部と表立って対立するような真似をして、薪の立場は大丈夫なのだろうか。
 しかし相手もキャリア。皮肉合戦には慣れている。ふん、と鼻先で嫌な笑い方をすると、緑川は右のこめかみに手のひらを当てた。

「上に言い付けるようなさもしい真似は致しません。私は千川次官から全権を託されております。あなたのように、仕事以外の能力で上官に取り入ったわけじゃない」
「それはどういう意味です」
「ご自分が一番よくお分かりでは? それとも薪室長は、朝になったら昨夜のことは全部忘れておしまいになる性質ですか」
 言葉尻に被せるように、ガタンと椅子が跳ねる音がした。立ち上がった薪が前に身を乗り出す、それより早く岡部が緑川と薪の間に割って入っていた。岡部の太い腕に阻まれて、薪の身体は緑川に届かない。尖った亜麻色の瞳と岡部の三白眼がぶつかり、結局は薪の舌打ちで二人の距離は元に戻った。

「現場に防犯カメラがあったはずですが。確認はされましたか」
「どうしてそのことをご存知で? まさか我々の捜査に不満で、ご自分でお調べになったとか?」
「……通勤途中、見掛けたもので」
「はて。薪室長のお住まいは吉祥寺では? 新宿の、それもあんな路地裏をどうして通られたのですか」
 ブツッと何かが切れた音がした。岡部はその音を聞き、すぐさま薪の傍を離れた。長年のカンが告げている。ここは避難だ。止めた方が薪のためだと思ったけどやっぱ無理。だって部屋の温度が下がったもん。

「余計なことはしないでいただきたい。捜査は我々捜査本部に任せ、っ」
 半袖のワイシャツから伸びた百合の若茎みたいな腕が、その先端を飾る百合のつぼみのごとき手と連動し、優雅な舞を舞うように動いた。腕の白さに緑川が眼を奪われる、その隙を衝いて彼の顎を二本の指が捕える。上向いた手のひらから突き出された二本の指、その柔らかな指先に顎先をくすぐられ、緑川は引き攣った笑いを浮かべた。
「前の夜に小野田さんと使ったホテルが近所だったんですよ。いけませんか」
 至近距離で顔を覗き込んで、キワドイ台詞で相手の度肝を抜く。もちろん薪の笑顔は氷点下。その様子を見て、部下たちはこそこそと囁き合った。
「あーあ。薪さん、キレちゃったよ」
「捜査本部全員胃潰瘍になるまで引っ掻き回すな、あれは。可哀想に」
「そっとしておけば大人しくしてたかもしれないのに」
「墓穴でしたねえ、あの緑川って人」
 薪がああいう切り返しをするときは、とっくに理性が振り切れているときと相場が決まっている。理性の無くなった彼ほど容赦のない生き物を、第九職員たちは他に知らない。
 身が竦んで動けない緑川を、どう料理してやろうかと薪の瞳が残酷に煌めく。相手を甚振る方法が悪辣になればなるほど、彼の瞳の輝きはいや増す。本当に、どうしてこんな性格の悪い男と同居する気になれるのか、薪の性格の悪さを見せつけられる度、第九メンズは青木を尊敬する。ドMもあそこまで行けば立派なものだ。

「防犯カメラは確認済みです。あのカメラには何も映っていませんでした」
 すっかり委縮してしまった緑川に代わって答えたのは、彼のお付きの田上と呼ばれた男だった。彼は絶対零度の空気をものともせず、室長席に歩み寄ると、眼に見えない呪縛に囚われていた緑川の肩を掴んでこちら側へと引き戻した。
 薪の脅しに怯みもしないなど、この田上という男は大したものだ。寡黙で無駄な動きもない。返しも的確だ。喚くしか能がない上司より、管理官の役職に相応しいのではないかとすら思えた。

「本当に?」
「なにをお疑いですか」
 金縛りから解けた緑川は、格下の田上に庇われたことにプライドを傷つけられたのか、彼の手を乱暴に払いのけて言った。
「来客に椅子も勧めず、口の利き方も知らない。薪室長は聞きしに勝る礼儀知らずですな」
「礼儀を知らないのはそちらでしょう。第九は極秘部門です。そこにアポもなしで入ってくるとは、礼儀を知らないと言うよりは常識がない……ああ失礼、あなたには『関係者以外立ち入り禁止』の文字が読めませんでしたか」
「なっ」
「守衛にも止められたはずですがね。なるほど、声は聞こえても言葉の意味が分からなかったと。では僕が噛み砕いて説明して差し上げましょう」
 薪は机の横を回り、緑川に接近した。一歩進むごとに部屋の気温は下がり、気の弱い山本などは震えだす始末。再び足をすくませる緑川を、田上は今度は助けなかった。

「ここはおまえが来るところじゃない。帰れ」
 ぐい、とネクタイを掴んで相手を引き寄せる。美人が怒るとブスの百倍怖いとか言うけれど、薪の場合はそんなレベルじゃない。背筋が凍る、心臓が止まるかと思う。この恐怖から逃げられるなら大抵のものは差しだそうと言う気持ちになる。死よりも恐ろしい何かがこの男の後ろには控えているのだと、思わせるものが薪にはある。
「僕に話を聞きたかったら本部長を連れてこい」
 吐き捨てるように言って、薪は緑川を解放した。
 巡査でもいいんじゃなかったのか、と揚げ足を取る勇気もなく、解放された緑川は我先にと室長室を出た。

「後で吠え面かくなよ」
 薪に聞こえないように、緑川はドア口で小さく呟いた。
 ヤクザ映画でさえ聞かなくなったレトロな脅し文句を聞いて、岡部はひどい疲労を覚える。今どき、こんな捨て台詞を使うとは。そんな時代錯誤の人間が上層部の一員だなんて、警察機構の明日は暗いと――、
「行くぞ、岡部」
 いつの間にか戸口まで来ていた上司の声で、岡部は思考を破られた。肩に上着を掛け、ポケットには塩飴。薪はすっかり外出の準備を整えていた。
「行くってどこに」
「現場に決まってるだろ。店にカメラのことを確認するんだ」
「しかし、薪さんは動かないようにと」
「言われただけだ。従うとは言ってない」
「ええ~……」
 今どきそんな屁理屈、子供だって言わない。
「あんなイヤミ言われて黙ってられるか。あの男、いっぺん泣かさんと気がすまん」
 ずかずかとモニタールームを横切る薪に、職員たちがぱっと左右に飛びのく。モニタールームの出口で、薪は宣戦布告するように叫んだ。
「今に吠え面かかせてやるっ!」
 あ、ここにもいた。

 警察機構の明日は真っ暗だと心の中で嘆く岡部に、二人を見送る職員たちが小さく手を振った。

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ジャンル : 小説・文学

青木警視の殺人(15)

 ご無沙汰です。

 コメントのお返事と更新、滞っててすみません。
 お義母さんが腰を痛めてしまいまして。現場とお世話のダブルパンチで、忙しい忙しい(^^;

 わたしが現場に出てたから、お義母さん頑張っちゃったんだろうなあ。それで疲れが出ちゃったんですよね、きっと。
 ゆっくり休んで、早く良くなって。5月になったら一緒に温泉行こうね。 






青木警視の殺人(15)





 勢い込んで出て行った薪だが、捜査の結果は思わしくなかった。
「Zen」の裏口には青木の証言通り防犯カメラが仕掛けられていたが、田上の言うように、そこには何も映っていなかった。店にはモニターがなかったため薪が持っていたタブレットを使用したのだが、延々と夜の路地の風景が続いており、犯行時刻の前後2時間に道を通ったのは猫が一匹だけであった。
 2度目の聴取にも関わらず、店主は協力的だった。だが、彼から得られた情報は青木にとって不利なものばかり。犯行があった時刻、不審な物音を聞かなかったかとの質問に対しては首を振り、代わりに厄介な証言をくれた。金曜日の夜、この店で青木と彼女が言い争っていたと言うのだ。

「あれだけの美人ですからね。彼女の方は見間違いようがありません。男の方は、あ、この男ですね。黒髪のオールバックでメガネを掛けてて、背が高かったです」
「それは金曜日ではなく、木曜日のことではないですか」
 青木の話では、木曜の夜この店で食事をしたのが彼女と過ごした最後だったはずだ。店主が曜日を間違えている可能性はある。しかし店主はその質問にも首を振り、
「その時間、ちょうど松瀬七海の曲が流れててね。わたし、彼女のファンなんですよ。で、聞いてたら喧嘩の声が曲に被って、せっかくのハスキーボイスが台無しに。だからよーく憶えてるんですよ」
 店主の証言は裏が取れていた。そのシャンソン歌手の歌声が有線から流れたのは22時05分。雪子が算出した死亡推定時刻は22時から24時の間。この時間、彼女と争っていた男に容疑が掛かるのは自然な成り行きだった。

「もう一度、しっかり写真を見てください。この男に間違いないですか。よく似た別の男ではなかったですか」
「おかしな聞き方をしますね。そりゃこの男に双子の兄弟でもいれば、わたしには見分けがつかないかもしれませんけど」
 怪訝な顔をされて薪は口ごもる。確かに、これは自分の聞き方が悪い。
「すみません。少し焦りました」
「いや、無理もないですよ。殺されたんでしょ、お姉さん」
「は?」
「あなたのお姉さんでしょ。そっくりじゃないですか。もしかして双子ですか?」
「だれがふた、ふごっ」
 大きく開きかけた薪の口を、岡部が慌てて押さえる。ここで薪の一喝が轟いたら、恫喝で証言させたことになりかねない。

「え、ちがう? 他人の空似ってやつですか。へええ」
 どこが似てるんだ、僕はもっと男らしい、てかお姉さんてなんだよ! 僕の方が10も年上だぞ!!
 岡部は手のひらに伝わる振動からそれらのセリフを推察し、もう一方の手で薪の肩を引いて自分の後ろに隠した。この怒りようでは咄嗟に手が、いや、足が出るかもしれない。証言に協力してくれた一般人を蹴ったりしたら間違いなく査問会だ。
「何だか自信が無くなってきました。お店の中は夜は暗いしね。あなたと彼女くらい似ていれば、見分けがつかないかもしれませんねえ」
 似てる似てると繰り返され、ジタバタと暴れる薪を引っ張って岡部は店を出た。裏口を開けるとそこは事件現場で、捜査員たちの姿はなかったが、黄色いテープにKeep Outの赤い文字が幾重にも空中を走っていた。

「あの店主の証言は当てにならないな。彼、眼が悪いんだ。僕と彼女が姉弟だなんて」
「姉妹って言われなかっただけよかったじゃないですか。……すいません」
 ドンッ、と壁に薪の手が衝かれ、岡部は壁と薪の間に封じ込められた。岡部より20センチほど小さい薪の手のひらは岡部の脇の下付近の壁を押さえており、いわゆる世間一般の壁ドンとは構図が異なっているが、その拘束力は大きい。自分の半分くらいしかない身体なのに、振り払える気がしないから不思議だ。

 下からギロッと睨み上げられる、薪の視線に微妙な誤差を感じる。気付いて上を見れば、そこには問題の防犯カメラが取り付けられていた。
「やっぱりおかしい。あの位置にあの角度でカメラがあって、犯行現場が映らないはずがない」
「どこか他の場所で殺されて、此処に運ばれたってことですか」
「それなら死体を運ぶ画があるはずだ」
「てことは」
 ここの防犯システムはカメラのみで、モニターは付いていない。泥棒避けの目的で安価に済ませようとすれば、そう言った仕組みになる。万が一の時にはカメラのメモリーを警察に提出すれば、警察の方で再生して犯人を捕まえてくれる。
 今回の場合、映像データは誰の眼にも触れず捜査本部に渡り、後に店主の元に返された。つまり。
「間違いないですね。やつらが証拠を消したんだ」

 到達した結論に、岡部は背筋を寒くする。
 警察が正義を捨てたなら、一人の人間を葬ることなど実に簡単だ。だからこそ、こんなことは行われてはいけない、絶対にいけない。
 彼らの暴挙を許すわけにはいかない。

「薪さん。北川舞にはスパイの可能性があると言ってましたよね」
 黄色地に赤文字のテープで切り取られた非日常空間を砂を噛むような思いで見つめながら、岡部は言った。
「同期のやつに聞いたんですけどね。公安部には、秘伝の特殊メイクがあるそうですよ。潜入捜査で誰かに化けるときに使うとか。そのメイクを施した男と北川が、この店で言い争いをしていたとは考えられませんか」
「おそらくそんなところだ」
 隣で、岡部と同じ場所を厳しい眼で見ながら、薪が頷く。それから薪は身軽な動作でテープの中に入り、地面に残った血の染みの傍に立った。
 量から判断して、殺害現場はここで間違いない。ならば必ず写っていたはずだ。彼女を殺した男の姿が。

「画が消されていることを証明したら、青木の無実につながりませんか」
「無理だな」
「でも、消したのはやつらです。逆説的に言って、そこに映っていたのが青木じゃなかったから消したってことになりませんか」
 それはこちら側の理屈であって、相手側にはもちろん、第三者にも通用しない言い分だ。証拠で大切なのは理屈ではない。一目瞭然であること、誰が見てもそれが明らかであること。分かりやすさの方がずっと大事なのだ。
「被害者の血に付着した髪の毛という物証が上がってるんだ。それに対抗するには、状況証拠では駄目だ」
「物証って言ったって、捏造でしょうが。そんなもの」
「捏造を証明できなければ事実と同じ――やば」

 さっと身を翻して走り出そうとする、その細い身体を鋭い声が地面に縫い止める。「薪警視長!」と階級で呼ばれて薪は、相手が怒り心頭に発していることを悟った。諦めて振り返り、自分から彼の元に歩いて行く。
 路地裏にはまったく相応しくない黒塗りの公用車で現場に乗り付けた中園は、夏の日差しの下でもピシッと決まったスーツ姿で、部下が自分に近付いてくるのを腕組みして待っていた。立ち止まって敬礼した部下に、厳しく言い放つ。
「本部長の千川次官から、官房長宛にクレームが来たよ」
「言い付けたりしないって言ったくせに。あのキザ眼鏡」
 口の中でぼそりと呟いたのは責任転嫁の証拠。言いつけを破った自分が悪いのではなく、密告った緑川が悪いと薪は思っている。
「動くなって言っただろ。相手が警戒して、僕の仕事がやりにくくなる」
 敵対派閥仕切りの捜査本部を懐柔するのは、中園の裏の力を持ってしても難しい。5人の管理官がすべて次長派で占められているのだ。方針を変えることはもとより、本部会議に意見を通すことすらできない。裏の人間を何人か捜査本部に紛れ込ませるのがやっと、という状況だった。

「お忙しい中園さんが、わざわざ僕を迎えに?」
 もちろん薪の言葉は気遣いではなく、こんなところに来る暇があったら青木の手配を解いてくれと皮肉を言っているのだが、しかし。
「小野田がね。部下を使いに出したらきみは殴り倒してでも逃げるからって」
 さすが官房長。目的のためには手段を選ばない薪の性格を見抜いている。
 薪は面白くなさそうに横を向いた。不貞腐れたように言い返す。
「心外ですね。僕はそんな乱暴な真似は」
「謝罪の言葉が聞こえてこないんだけど! 僕の耳がおかしいのかな?!」
「……すみませんでした」
 心の籠らない謝罪に、中園は大きくため息を吐く。連日の暑さでその頬は、多少やつれて見えた。
「いい加減にしてくれよ、薪くん。きみのせいで僕の白髪がどれだけ増えたか知ってるのかい? だいたいきみはね、自分の立場ってものを」
 懇々と諭されている薪の神妙な顔つき、しかし岡部は見ていた。中園の小言をじっと聞いてはいたが、薪は一度も頷かず、返事もしなかった。
 岡部が見て分かるくらいだ。真正面から見ている中園には、薪の不満はもっとダイレクトに伝わったに違いない。中園は頭痛を押さえるときのように額に手をやり、仕方なさそうに譲歩した。

「金曜日まで待てないかい」
「金曜日?」
「正直言って、捜査本部の暴走を止めるのは不可能だ。だから捜査本部を解体することにした。予定は今週の金曜日。小野田がその手はずを整えている」
 俯く振りで地面の蟻の行列を眺めていた薪が、ハッとして顔を上げる。小野田の名前が出たからだ。
「きみが下手に動くと、小野田の計画が台無しになる。あいつの立場も」
 参事官の中園ではなく官房長の小野田が動くと言うことは、官房室の公式な活動として記録に残ると言うことだ。その過程で問題が起きたら、すべて小野田の責任になる。
 今後、薪が緑川らと諍いを起こしたら。それは官房室が捜査本部に刃向ったことにされてしまうのだ。

「僕はこの事件、次長派の陰謀だと思っている」
 北川舞を殺してその罪を青木に被せ、第九と官房室を一挙に葬る。それが次長派の計画ではないかと予想する中園に、薪は表情を曇らせ、
「そこまでやりますか」
「やるよ。次長はもう後が無いんだ。権力にしがみつくためなら、人なんか簡単に殺す」
 中園の言葉を聞いて、岡部は顔をしかめた。キャリア同士の派閥抗争で殺人なんて舞台裏、ノンキャリアの岡部が知って得する事なんか何もない。
「岡部くん、悪いね。ちょっと待っててくれるかい」
 岡部の複雑な心境を慮ってか、中園は薪を車の後部座席に引っ張り込んだ。後部座席は黒いスモークガラスになっていて、中は見えない。そこでどんな会話が交わされたのか岡部には知る由もなかったが、再び車から出てきた薪の顔つきから察するに、金曜日まで大人しく待つことを約束させられたようだ。

「じゃあね、岡部くん。薪くんを頼んだよ」
 はい、と答えて敬礼する岡部の横で、薪が思いついたように身を屈め、車の窓に手を掛けた。
「中園さん。例のアレ、貸してもらえますか?」
「薪くん。余計なことはしないって今」
「分かってますよ。でも、相手が相手ですから。やりあったばかりだし、向こうから仕掛けて来られた時、丸腰ってのは心細いです」
「あくまでも護身に使うんなら貸してあげるけど」
「助かります。では後ほど」

 そんな会話を最後に、中園の車は狭い路地を走り抜けて行った。アレって何ですか、と聞いていいものかどうか岡部が迷ううち、薪がこちらを振り向いて言った。
「さて、そろそろ昼だな。岡部、蕎麦でも食って帰ろう」
 薪が食事に気を回すということは、薪の中で推理は終わっているということだ。大通りに向かってさっさと歩きだす薪を、岡部は夢中で追いかけた。
「待ってください、薪さん。中園さんの言う通り、この事件は次長派の陰謀なんですか」
「いや、僕はそうは思わない。むしろ、犯人が次長と公安を結びつけたんじゃないかな」
「それはどういう」
「岡部。知らない方がいいことも世の中にはたくさんあるぞ。特に、警察の暗部に関しては知らない方が仕事が楽しくできる」

 言いたくない素振りの薪から無理にでも聞き出すべきかどうか、岡部が再び迷う間に、薪は大通りに出ていた。追い付いた時には――、見知らぬ男にナンパされていた。
 青木と一緒に暮らすようになってから、薪はますますそういったフェロモンを撒き散らすようになって、小池たちの陰口を引用すると人妻の色気ってやつらしいがとにかく、スーツを着ていても頻繁に男に声を掛けられるようになった。本人は道を聞かれているものと信じて疑わないが、他人から見たらあからさまにナンパだからそれ。一番近いコンビニ何処ですかって真向かいにあるからね、信号渡って3歩だからね。
「じゃあ、僕が案内して」
「コンビニならおれが案内します。どうぞ、こちらです」
 岡部が案内役を買って出ると男は急に方向音痴を返上し、ひきつり笑いで去って行った。
「一人で大丈夫かな」と相手を心配する素振りの、妙なところでお人好しの上司に、岡部は夏の必須アイテムを差し出す。
「サングラスは面倒だ」
「紫外線は眼によくないんですよ。煩わしくても、外に出るときは掛けなきゃダメです」
 ナンパ避けに。

 岡部に諭されてしぶしぶ黒メガネを掛け、「これでいいか」と聞いてくる上司の顔を見て岡部は絶句する。
 眼が隠れたら異様に若く見える。鼻と口が小さくてほっぺたが丸いもんだから、まるで十代の性別不詳モデルみたいになっちゃったよ。
 ランチタイムで賑わう大通り、限られた休み時間を有意義に使いたいはずのOLやサラリーマンが、飲食店へ向かう足を止めて薪を見る。そのことに本人はまったく気付かず、蕎麦屋を探してきょろきょろと頭を動かしているのがヘンに愛らしくて、あ、あそこの顔赤くしてるやつ、要注意。あっちのカバン落としたやつはストーカー予備軍。
 ウィークディのスーツ姿でこの調子だ。休日の青木の苦労が忍ばれる。

「すいません、中園さん。もうおれでは面倒見切れません」
 青木が解放される金曜日まで、一日が一時間になればいいのにと、叶うはずのない願いを抱く岡部であった。

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青木警視の殺人(16)

 雨で午後から休工になりました。
 更新しますー。


 現場は大変ですけど、面白いことも多いです。
 もちろん仕事は真剣にやってるんですよ。重機が動きますからね。ふざけてて、事故でもあったら大変ですので。
 ただ、男の人ばかりなのでノリがいいと言うか冗談がきついと言うか。女性の代理人は珍しいから、構われるんですかね(^^;

 年末、役所の安全パトロールがあったんですよ。でね、
「2×日は役所のパトロールがあるので、安全管理をしっかりお願いします」と言いましたら、
「その日は休むかー」「みんなして腹痛くなって」「誰も電話に出ないで」
 ひーどーいー!!
 てな調子で毎日遊ばれてます。楽しいけどねっ。





青木警視の殺人(16)





 それから3日間、青木はホテルに閉じ込められた。すぐに容疑は晴れるものと思っていたが、事態は青木の予想よりもずっと深刻であるらしかった。
 青木の耳には、現在の状況が全くと言っていいほど入ってこなかった。雪子に付いていた監視は、当然薪にも付いただろう。薪が小野田を頼ることは捜査本部も察しているだろうから、官房室の人間にも。それで連絡をしてくることができないのかもしれない。

 小野田が寄越した坂崎と言うボディガードは、青木の身辺警護と同時に監視役も担っていた。外出どころかロビーにも出してもらえなかった。身を隠しているのだからと、外部へ連絡することも封じられ、携帯電話も取り上げられた。一日中同じ部屋にいて、青木が席を立てば後ろから着いてきて、窓に近付こうものなら強引に引き戻された。夜は寝室にこそ入ってこなかったが、リビングのソファで仮眠を摂りつつ見張りをしていた。
 どうして薪や小野田がSPを嫌がるのか、青木はやっとわかった。職務に忠実な彼らには悪いが、ウザ過ぎる。
 せめてもの慰みに、青木は寝室にパソコンを持ち込むことにした。幸い、インターネット回線は寝室にも引かれていた。検索しても事件の情報は得られなかったが、朝から晩まで部屋に籠り切りなのだ。何かすることがなかったら過ごせるものではない。

 最初の日、青木は朗報がもたらされることを信じて、じっと待った。2日目は、部屋の中をうろつくことで過ごした。座っていることが苦痛に感じられたのだ。
 3日目には、貧乏ゆすりが止まらなくなった。終始イライラして、食事も喉を通らなくなった。最初食べたときには感動を覚えるくらい美味しかったホテルのルームサービスは、いまやレトルトのカレーよりも味気なかった。
 軟禁は、神経に堪えた。
 自分が動くことは、青木の濡れ衣を晴らすべく奔走している小野田たちの足を引っ張る行為だと、分かっていても辛かった。知り合いの女性が死んだのだ。監査官と監査対象者という関係ではあったが、二人で食事に行ったりもした。色々な話をした。監査の聴取だったのに、なぜか仕事以外の話が多かった。その分、彼女に対して親しみも湧いた。薪に誤解されたくないと身構えてはいたが、彼女と過ごす時間は決して不快なものではなかったのだ。
 その彼女が殺された。なのに、自分は何もできない。警察官として、これ以上の苦痛はなかった。

 悶々とした時間を過ごして3日目の深夜。ポーンポーンと繰り返す電子音に、青木は眠りを破られた。
 軟禁生活のせいで眠りが浅くなっていたこともあって、青木は眼を覚ますと同時にそれがメールの着信音であることに気付いた。暗い部屋の中、画面に点滅する手紙のマークをクリックする。メーラーが起動され、青木宛のメールが表示された。
「宇野さん?」
 それは、第九の先輩である宇野からのものだった。どうして宇野がこのパソコンにメールを送ってくることができたのか、青木には見当もつかなかった。外部との接触を禁止されている青木は、メーラーを起動させるのも初めてだ。アドレスも登録されていないパソコンに、どうやって?

 不思議だったが、その疑問は後回しだ。宇野から事件の情報を聞けるかもしれない。
 手紙の文面は実にシンプル、なんてものじゃなかった。タイトルもなし、前置きもなし。2行目に行き先不明のURLが張り付けてあるだけだった。
「差出人が『マーキュリー宇野』じゃなかったら、絶対に怪しいメールだと思われますよ」
 差出人が誰だって十分に怪しいメールだ。URLをクリックした途端、請求書が届く類だ。宇野からのものだと分からなかったらクリックはしない。ちなみに、マーキュリーは宇野のハンドルネームだ。何度説明されても覚えられないのだが、何とか言うアニメのキャラクターらしい。

 青木はマウスをクリックし、宇野が用意した電脳世界の部屋に入った。反応はすぐに表れた。緑色の文字が画面に表示されたのだ。
『入室者は次の質問に答えよ。室長のホクロはどこにある?』
「宇野さん……」
 セクハラネタに眩暈を感じながらも『右のお尻の下』と打ち込む。第九職員であるか否かを判断するにはナイスな質問だが、薪に知られたら二人とも回し蹴りの刑だ。
『青木か?』
 一旦画面が暗くなり、再び緑色の文字が現れる。「そうです」と打ち込むと、『無事か?』と応えが返ってくる。どうやらチャットルームのようだ。
「無事です」
『今、何処にいる?』
「あるホテルに缶詰めになってます」
 いくら宇野が相手でも、この会話を誰かに傍受されたら困る。用心するに越したことはない。
「どうやってこのパソコンにメールを?」
『UNOボックスにアクセスしたログが残ってた』
 ログから辿ってパソコンを特定したのか。そのパソコンにハッキングしてシステムを乗っ取り、メーラーを動かした。まったく、宇野は職業を間違えた。表向きシステムエンジニア、裏の顔ハッカーとして大企業に就職すれば、年俸ウン千万の生活だったろうに。

「外部との接触を断たれて事件の情報が得られません。状況を教えてください」
『俺も岡部さんから聞いた話なんだけど。捜査本部は完全におまえを犯人扱いしてるらしい。遺留品とか指紋とか、物証が作られてるって』
 一瞬、『作られている』と言う言葉の意味が分からなかった。理解したときには、ゾッと背筋が寒くなった。
 捜査本部内で証拠が捏造されている。このままでは本当に自分が犯人にされてしまう。「オレ、本当に北川さんを殺したりしてません。あの写真も偽物です。レストランで食事してるのはオレですけど、ベッドは違います。オレの偽者が彼女と」
『分かってる。薪さんから聞いたよ』
 第九のメンバーはみんな青木の無実を知っている。そう聞かされて、青木はいくらか落ち着いた。信じてくれる人がいる。それだけで、人はしっかりと立つことができる。

『安心しろ。おれが証拠を掴んだ。これを捜査一課に持ち込めば』
「もしかして、MRIですか」
 第九が青木の無実を証明してくれるなら、真っ先に浮かぶのがMRI捜査だ。青木はそう考えたが、宇野はそれを否定した。
『彼女の脳はMRIには掛けられない』
「何故です? 頭部外傷はなかったはずでしょう」
『無理だ。彼女は』
 会話はそこで途切れ、青木はしばらく待たされた。焦れて、「彼女は、なんですか?」と質問を入れてみたが答えがない。

「深夜アニメの時間だとか言わないでくださいよね」
 宇野ならあり得るが、勘弁してくれと思った。同じ質問を繰り返そうとマウスを握った青木の視界が、不意に真っ赤になった。
「えっ?」
 パソコンの画面が深紅に染まっている。そこに白抜きの文字が目まぐるしい速度で流れていく。マウスは青木が握っている、それなのに、画面は勝手にスクロールされ、エンターキーが押下される。コマンドプロンプトが表示され、文字が魔法のように打ち出されていく。セレクト、クエスチョン、承認、承認、承認。

 始まりと同じように、それは唐突に終わった。画面が真っ暗になり、ひとりでに電源が切れた。再起動させて画面を確認すると、さっきまではなかったフォルダがデスクトップに追加されていた。クリックすると、解除キーの挿入を求められた。特定のキーアイテムがないと、このフォルダは開かないのだ。
 流れ去った文字列は、青木が追い切れる速度ではなかった。が、電源が落ちる直前に画面に現れた映像は、青木の網膜に焼き付いていた。

 長い黒髪を真ん中分けにした女性。それが誰かは分からない、でも何処かで見た覚えがある。

 青木は1分だけ自分の記憶を探ったが、彼女を思い出すことはできなかった。潔く切り替えて、インターネットのブラウザを開く。UNOボックスにアクセスし、青木はその中から一つのアプリケーションを選んでインストールした。

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青木警視の殺人(17)

青木警視の殺人(17)






 その夜、深夜の眠りを破られたのは青木だけではなかった。中野の一等地に家族と一緒に住んでいる小野田官房長官も、携帯電話のベルで起こされた被害者であった。

「はい……坂崎か。青木くんに何かあった?」
 隣で眠っている妻を起こさないように寝室を出る。蒸し暑い廊下を歩く小野田の耳に、ボディガードの不思議そうな声が聞こえた。
『私をお呼びになったのは官房長では』
「ぼくが?」
『30分ほど前に電話をいただきました。急な用事ができたから、すぐに家に来てくれと』
 30分前なら、小野田は娘と薪の結婚式に出席していた。夢の中で。
 チャペルの陰で青木がびーびー泣いてた。それに気付いた薪が、彼のところへ行こうとした。引き止めたが、「ごめんなさい、小野田さん」と申し訳なさそうな顔で一本背負いを掛けられた。まったく、夢の中でも邪魔な男だ。

『確かに官房長のお声でした。夜中に申し訳ないと私を気遣ってくださるお言葉も、間違いなく官房長の』
「坂崎。急いでホテルに戻って。青木くんが部屋にいるかどうか確認して」
『は?』
「大至急だ!」
『は、はい!』
 書斎に入った小野田は、クローゼットから部屋着を取り出した。坂崎の連絡を待つ間に着替えを済ませる。小野田の予想が当たっていれば、今夜はもう眠っている暇はない。

 40分が経過した頃、坂崎から連絡が入った。果たして、青木は部屋にいなかった。
「やってくれるね」
 具体的な方法は分からないが、青木は偽電話で坂崎をホテルから遠ざけ、その隙に逃げた。本物の逃亡者になったわけだ。

 付近を探すようにと坂崎に命じて、小野田は電話を切った。少し考えて、切ったばかりの携帯電話を操作する。画面に表示されている時刻は夜中の3時半。しかしその手は迷いなく電話帳の中からある人物を選び、相手を呼び出した。
 相手は2コールで電話に出た。この男は昔から、小野田よりも眠りが浅い。
『なにか事件でも?』
「青木くんが逃げた。坂崎を偽電話で騙して」
『ひゅう。やるね』
 まったく同じ感想を抱いた小野田だが、中園に言われるととてつもなく腹が立った。
「感心してる場合じゃないだろ。一刻も早く保護しないと。青木くんまで殺されたらどうするんだい」
『あれ。馬に蹴られて死んで欲しかったんじゃなかったの』
 揚げ足取りが得意な部下の、呑気な言い草が神経に障る。強制された寝不足の苛立ちも手伝って、小野田は刺々しく言い返した。
「馬に蹴られて死ぬのはいいけど、警察内の人間に殺されるのは駄目だ」
『了解。馬を調達するよ』
 冗談を最後に電話は切れた。ふざけた男だが、彼に任せておけば間違いはない。

 書斎の机に向って、小野田はこれからのことを考える。青木の脱走は想定外だった。まさか彼に、そんな気概と技量があるとは思ってもみなかった。
「たった5日が、どうして待てないかなあ」
 小野田の計画では、金曜日には青木の濡れ衣は晴れるはずだった。もっと言えば、捜査本部自体を強制的に解散させる手筈を整えていたのだ。なのに青木は逃亡した。
 問題は、その期日を知っているのは小野田陣営だけではないということだ。彼らにも、いや、彼らにこそタイムリミットは切られている。その前に手を打たなければいけないと、焦っているのは彼らの方なのだ。そこに青木が出て行けば、飛んで火にいる夏の虫ならぬ殺人警官。抵抗による射殺なんて筋書きは、彼らなら5分で書き上げる。
 こんなことになるのなら、初めから本当のことを話しておけばよかった。この計画を薪が知ったら絶対に首を縦に振らないと思った、だから隠した。それが仇になった。
「あの薪くんでさえ5日間の忍耐を受け入れたって言うのに。どこの誰だよ、青木くんが忠実な飼い犬だなんて言ったのは。立派な野犬じゃないか」
 かくなる上は、金曜日のタイムリミットを早めるしかない。あの人に事情を話し、帰国を早めてもらうのだ。時差を計算に入れると、今は会食の真っ最中だろう。機嫌を損ねるのは拙い。彼の身体が空くまで待った方が賢明だ。
 小野田はそう考え、夜が明けるのをじっと待った。

 机に置いた携帯電話が再び鳴ったのは、気の早い夏の太陽が東の空に昇る頃だった。中園か坂崎からの連絡だと思ったが、どちらでもなかった。それは、小野田をさらに疲弊させる悲報であった。
『こんな時間にすみません、小野田さん』
 電話の相手は薪だった。彼は怒りのあまり震える声で、小野田に訴えた。
『宇野が襲われました。捜査本部の連中にです』
「宇野くんが? どうして」
『ハッキングで彼らの正体を探っていたんです。それが彼らに知れて』
 宇野がそんなことをするとは、これも想定外だった。彼らとて、無暗に人を襲ったりしない。宇野は大分深いところまで侵入してしまったに違いない。
『小野田さん。僕はもう我慢できません』
「ちょっと待って、薪くん。落ち着きなさい」
『小野田さんが動けない事情は分かります、これは僕が勝手にやることです。処分は後で受けます』
「ま……!」
 たった2文字の名前さえ、最後まで呼ばせてもらえなかった。自分の言いたいことだけ言って電話を切る、いつもなら苦笑で許す部下の無礼を今日の小野田は流せなかった。

「ああもう、みんな勝手なことばかりして! 少しはぼくの苦労も」
 一方的に切られて、思わず床に投げつけようとした電話が再度リリリンと鳴る。振り上げた右手の親指を画面に滑らせて、小野田は噛みつくように電話に出た。
「なんだよっ!」
『す、すみません、勝手なことして。でもあの、犯人を捕まえたのでご報告を』
「青木くん? 無事でよかっ、いや待て、なんだって?」
『北川さんを殺害した犯人を捕まえて、捜査一課に引き渡しました』
「どういうこと?」
『宇野さんがオレに犯人を教えてくれて。知ってる人だったからここに』
「ここって、きみ、どこにいるの?」
『第九です』
「えっ?!」
 犯人を捕まえに第九に来た? それでは、実行犯は第九の人間だったのか?

『すみません、小野田さん。詳しい報告は明日、あ、もう今日ですね、させていただきますので今はこれで。オレ、ちょっと調べなきゃいけないことがあるので。失礼します』
「待ちなさい、青、っ、先に切るなよ、もうっ」
 部下は上司の背中を追うというか恋人同士は似てくるというか、まったくあの二人は。

 小野田は、青木を探しているであろう二人の部下に急いで電話を入れた。坂崎は青木の保護のために第九へ向かわせ、中園は薪の暴走を止めさせるために捜査本部へ行くように命じた。青木が犯人を捕まえたことを知れば薪の暴走は止まったかもしれないが、彼は携帯電話の電源を切っていた。
「そんなわけで、坂崎くん。至急、第九へ行って欲しいんだ」
『かしこまりました。お任せください』
「というわけなんだよ、中園。なんとかしてよ」
『分かった。すぐに行くよ』
 状況を正確に把握している彼らは、コロコロと変わる小野田の命令に不平一つ零さず、深夜の職務に全力を尽くす。同じ部下でも、あの二人とはえらい違いだ。

 その問題児たちの方が先に犯人を捕らえてしまう。これは能力差ではなく行動力の差、もっと言えば状況判断の未熟から起きる先走りだ。小野田たちにも、犯人を挙げることはできた。それこそ北川の脳をMRI捜査に掛ければいい。彼女の脳には制約があるが、それは小野田の立場なら外せる縛りだ。
 だが、それでは駄目だ。事件の背後にいる人物に逃げられてしまう。肝心なのは、実行犯を捕まえることではないのだ。
 それがあの二人には分かっていない。特に薪には困ったものだ。仲間を傷つけられて我を失い、暴走する。目先のことに囚われ過ぎだ。事後処理が終わったらきつくお灸を据えてやらねば。

 予定していた電話を掛ける前に、小野田はコーヒーを飲んだ。急転する展開に、気持ちが高ぶっている。少し落ち着いてからでないと無礼を働いてしまいそうだ。
 ギラギラと容赦なく照りつける太陽がアスファルトを焼き、夏の朝の貴重な爽やかさを追い払う頃、小野田はコーヒーカップを置いて携帯電話を取り上げた。10回近くコールしてやっと電話に出た相手に、小野田は丁重に話しかけた。
「お休みのところ恐れ入ります、小野田です。例の作戦ですが、残念ながら頓挫してしまいました。――ええ、はい。それで、至急お戻りいただけないかと」
 簡単に事情を説明し、お願いしますと頭を下げて電話を切る。時刻を確かめると、ちょうど6時だった。

「みんな大概元気だよねえ……ああ、二度寝したい」
 寝不足が堪える年になったとぼやきつつも、二度寝する余裕などあろうはずもなく。小野田は出勤のため、警視庁SPにその朝最後の電話を掛けた。

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青木警視の殺人(18)

 昨日はお休みだったのに、更新しないでしまいました。なんかぐーたらしちゃって(^^;

 続きです。



青木警視の殺人(18)





 深夜の電話は薪にも掛かってきた。小野田が青木からの電話を受け取る一時間ほど前のことである。

「青木?」
 手厚く匿われているはずの部下の声に薪は、普段の低血圧を潔く返上し、ベッドの上に飛び起きた。青木は坂崎によって外部との接触を断たれているはず。その彼がこうして電話をしてくるのはおかしい。嫌な予感は、果たして的中した。
『薪さん。宇野さんが怪我を』
「宇野が?」
 宇野は頭痛で休暇を取っていると聞いたが、多分ズル休みだと噂されていた。北川に好意を抱いていた宇野は、彼女が亡くなったショックで仕事が手に付かなくなったのだろうと、それが仲間たちの予想だった。第九の職員たちも、10日程ではあったが毎日顔を合わせていた女性が突然命を奪われたことに衝撃を受けていた。それでも、宇野ほど傷ついた者はいなかったはずだ。

『ああ、ひどい……こんな、どうして。宇野さん、宇野さん、しっかりしてください』
「落ち着け。しっかりしなきゃいけないのはおまえだ」
 首を傾けて肩と耳の間に電話を挟み、青木を励ましながら、薪は急いで身支度を整えた。
「状況を説明しろ。宇野の怪我はどうなんだ」
『頭を殴られたみたいです。血がたくさん出てます。止血はしてますが、止まりません』
「救急車は呼んだのか」
『はい。あ、でもどうしよう。オレが付き添うわけにはいかないし』
 青木は本部内手配されている。警察病院にも人相書きが出回っているだろう。この時間帯なら警察関係者は夜勤警邏しかいないから通報される可能性は低いが、警察病院は捜査本部のお膝元。長居は危険だ。
「僕が行く。病院で交代しよう」

 部屋を出て廊下を走り、階段を駆け下りる。マンションの駐車場は地下だ。
 車のエンジンを掛けて携帯電話のハンズフリーをセットする。警察病院は中野区にある。薪が住んでいる吉祥寺からだと車で40分、この時間帯なら30分で着く。
「おまえはどうしてそこにいるんだ?」
『宇野さんからホテルのパソコンにメールが来たんです。チャットで話をしたんですけど、宇野さん、事件の証拠を掴んだって言ってました。その話の途中でいきなりチャットが切れて、データフォルダが送られてきて……不安になったから宇野さんの家に来てみたら、宇野さんが倒れてて、部屋が滅茶苦茶になってました』
 ちらっとナビの画面を見ると、宇野の名前が表示されていた。青木は宇野の携帯を使って薪に連絡をしてきたのだ。
「よく坂崎さんが外出を許してくれたな」
『あー、えっと、すみません。小野田さんの声で坂崎さんの携帯に電話を。UNOボックスに音声合成ソフトが入ってたから』
 詐欺師紛いの真似をしたと聞いて薪は驚く。青木はいつの間にそんな小賢しい男になったのだろう。
 薪が絶句している間に救急車が到着したらしい。周りが騒がしくなり、青木は「また連絡します」と言って電話を切った。

 警察病院の敷地に入った時、青木から再度電話が入った。病院に到着した旨を伝えると、宇野の手当てが無事に済んだこと、見た目よりも怪我は軽く命に別状はないこと、それから宇野の部屋番号を教えられて最後に「宇野さんをお願いします」と言われた。
「一人でホテルに戻れるか? 坂崎さんを呼ぼうか?」
『あ、いえ。オレ、ちょっと行きたいところが』
「なに言ってんだ。おまえは隠れてなきゃダメだ」
 病院敷地内携帯電話禁止という張り紙が眼に入り、薪は足を止めた。ここから先へは電話を切らないと進めない。
「僕が坂崎さんに電話を」
『用事が済んだら自分で電話します。薪さん、宇野さんの傍に付いていてあげてください』
 ぷつりと電話が切れる。折り返したが無視された。青木は素直で大人しい、でも強情な男だ。その発想は突拍子もなく、薪ですら予測のつかないことをしでかしてくれる。
「仕方ないな……岡部、こんな時間にすまん」
 薪は、電話で岡部を呼び出した。宇野が怪我をして病院に搬送されたこと、青木が宇野の携帯電話を持っていること、居場所を特定して保護して欲しい旨を伝え、自分はこれから宇野に付き添うことを話した。
 青木を岡部に託し、薪は宇野の病室へと急いだ。命に別状はないと聞いても、やはり心配だった。

 飾り気のない病院のベッドで、宇野は眠っていた。
 頭に包帯を巻かれ、さらにネットのようなものを被せられていた。そっと布団をめくると、腕や足にも絆創膏や湿布薬が貼られていた。
 いつも家の中でパソコンを弄っている宇野の手足は白くて、細い割には柔らかくて。頭はいいけど腕っぷしは強くない。所轄にいた時も、それでお荷物扱いされていた。薪が見つけて第九にスカウトして、それからどれだけこの男に助けられてきたか。IT関係のことなら無敵の宇野は、MRIシステムと言う高度な技術を基盤にした第九の要で、薪の自慢だった。

 絶対に、許せないと思った。
 大事な部下を傷つけられたこと、青木に濡れ衣を着せられたこと。実行犯も黒幕も、その罪を暴いて償わせる。それが刑事の仕事だ。派閥の勢力調整なんか知ったことか。

「薪さん、どうしたんですか。そんな怖い顔して」
 名を呼ばれて我に返った。いつの間にか、宇野が眼を覚ましていた。
「おまえこそ。なんだ、その情けない姿は」
「すいません、しくじりました。最後のトラップ外すのに手間取っちゃって」
「まったく。危ない橋を渡りやがって」
 宇野が何処のシステムに潜入したのか、この報復を見れば察しがつく。おそらく北川舞の本当の所属部署――公安部だ。
「北川舞のためか」
 殺人犯の濡れ衣を着せられた青木を救うため、でも宇野の心の底にあったのは。
「初めてだったんです、あんな気持ちになったの。だから」

 事件の裏側を探るべく、宇野は北川舞の正体を調べた。被害者を知ればその交友関係も浮き上がる。だが、人事部に彼女のデータはなかった。それどころか、警察庁の職員名簿にすら載っていなかった。念のため他の部署も調べたが、どこにも彼女の名前を見つけることはできなかった。見つけられなかったことで、宇野は逆に彼女の正体に気付いた。
 職員名簿に載らない警察官。その所属部署は一つしかない。
 北川舞は公安部の職員、それも特殊班――ゼロ課の人間だ。特殊班は職務内容に違法性が強い仕事が含まれるため、名簿に名前を載せないのだ。今回の監査も、すべて公安部の仕込みだったに違いない。公安部の仕事絡みで北川舞は殺されたのだ。もちろん青木は関係ない。
 そのことを宇野は探り当てた。青木を犯人に仕立て上げるべく、捜査本部がゼロ課の人間で構成されたこと、さまざまな証拠を捏造、或いは隠匿したこと。罪はないが警察にとって不都合な人間を闇に葬るための手順に従って、彼らは素早く偽の事件調書を作り上げた。結果、ベッドで拾った青木の毛髪は彼女の傷口の血に絡み、ドアノブから採取した指紋は彼女が持っていたバックから発見されることになった。
 勿論これは極秘事項。公安部側にしてみれば、決して他部署の職員に知られてはならないものだ。そこで彼らは宇野に制裁を与えたのだ。

「同じ公安でも、南雲たちの部署とゼロ課は別物だからな」
 以前、宇野は公安部のシステムをハッキングしたことがある。そのときも侵入には気付かれてしまったのだが、薪が南雲課長に嫌味を言われるくらいで済んだ。宇野は今回も同様に考えていたが、それが間違いの元であった。
 俗に、ゼロ課と呼ばれる特殊班は警察庁長官の直属部隊だ。一課から四課まである公安部の指揮決定権は官房長の小野田が握っているが、ゼロ課の指揮権は長官が持っている。ゼロ課職員は、長官の意向に副って動き、その身を任務に奉じる。噂によれば、仕事で大きなミスを犯した者や身内が犯罪を起こした者など、命令に逆らえない立場の者を選んでメンバーに加えているとか。
 決して表舞台に立つことはない。が、警察の威信が守られるために誰かの口が永遠に閉ざされる、そのようなことが起こるときには必ず彼らがそこにいる。
 警察機構の闇部隊のひとつ。それがゼロ課である。

「これだから筋肉バカは困るんですよね。あいつら手加減手ものを、痛てて」
「宇野。この仇は僕が」
「危ないことはしないでください。また岡部さんに叱られますよ」
 宇野に心配を掛けたくなくて、薪は「分かった」と素直に頷く。無論、腹の底では大人しく引き下がる気など毛頭なかった。
 薪の言葉を聞いて安心したのか、宇野は妙にサバサバした口調で、
「あー、くそ。あいつら、おれのパソコンめちゃめちゃに壊しやがって。あいつらのアタマ、10個集めたってセーラーシスターズの一人にも敵わないくせに」
「セーラーシスターズ?」
「パソコンの名前です。ルーナ、マーキュリー、ジュピター、マーズ、ヴィーナス。5台合わせてセーラーシスターズです」
「宇野……僕がぜったいに仇を取ってやるからなっ!」
「や、打ちどころが悪くて退行現象起こしたとかそういうんじゃないですから」
 二次元と三次元の中間地点で生きている宇野に生身の恋を教えた北川舞の功績は大きい、と薪は微笑ましく思ったが、宇野の恋心の大半が薪にそっくりな彼女の顔にあったことを彼は知らない。

「薪さん。北川さんを殺した犯人の画、青木のホテルのパソコンに送っておきました」
「そんなもの、どうやって」
「メモリーに上書きされた映像なんて、復元するのは簡単です」
 デジタル映像なら復元できる。ITの申し子、宇野の手にかかれば朝飯前だ。
「おまえ、いつの間にあの店に行ったんだ?」
「コンピューターさえ使われてれば、おれは世界の何処へでも行けます。ま、今回はサッチョウ(警察庁)でしたけど」
 捜査本部のパソコンで書き換えが行われたのなら、偽造前のデータを読み込んだパソコンがどこかにあるはず。宇野は十八番のハッキングでそのパソコンを探り当て、消去された映像を取り出したのだ。こんな無茶をすると分かっていれば、宇野には事件の情報を入れるなと岡部に口止めしておくのだった。
「カメラにばっちり映ってましたよ。捜査本部の誰かが消したんです」
 監視カメラには何も写っていなかったが、それは捜査本部の捏造であった。メモリーカードを徴収し、データを改竄してから店に返した。後から出向いた薪たちが何も発見できなかったわけだ。

「他人に見られないように、フォルダに鍵を掛けておきました。おれの携帯のストラップが解除キーになってますんで、解除したらデータを捜一に送ってください」
「分かった、すぐに僕が」
 立ち上がりかけて気付いた。宇野の携帯電話は青木が持っている。
「何処に行ったんだか、あのバカ」
「え。青木、ホテルで缶詰めじゃなかったんですか」
「それが勝手に抜け出して、うん? 僕、青木の名前出したか?」
「いいえ。でも薪さんがバカって言ったら青木のことでしょ」
 部下の間で「バカ=青木」の公式が成り立っていることを知って、薪は少しだけ申し訳ない気持ちになったが、即座にその殊勝さを打ち消した。だって本当にバカなんだもん、あいつ。

「携帯の電源さえ入っていればGPSで探せる。岡部に連絡して探すように頼んでおいた」
「おれを助けてくれたの、青木だったんだ。直前まで青木とチャットしてたから、青木が薪さんに連絡してくれたんだとばかり」
「そうか、チャット……」
 薪は無意識に立ち上がった。
「じゃあ、僕は帰るから。大人しく寝てろよ」
「動きたくても、これじゃ動けませんよ」
 苦笑する宇野に微笑みを返し、薪は病室を出て行った。



 薪が病院を去って、20分後。東京都警察病院のナースステーションではちょっとした騒ぎが起こった。入院患者の一人がパソコンを使わせて欲しいと頼んできたのだ。
「何を無茶なことを。あなた、今夜入院したばかりでしょう」
 この患者は救急搬送されてきた。骨折は肋骨が4箇所、打ち身と捻挫が2桁。明らかに暴行による怪我で、だから常に警官が巡回しているこの病院に来たのだろう。勤続7年になる看護師の眼から見ても重傷で、特に今夜は痛み止めが効かないレベルの苦痛であろうと察せられたから、夜中に痛くて眠れないというナースコールを覚悟していた。それが壁を伝って歩いてくるとは。それだけでも驚いたのに、パソコンを貸してくれとは何事か。

「早く病室に戻りましょう。お仕事が気になるのは分かりますけど、まずは身体を治してから」
「そんな暇ありませんよ! これでも遅いくらいなんだ!」
 乱暴に怒鳴られて、彼女は怯んだ。深夜の病院で大声なんてとんでもない、といつもなら我儘な患者には反射的に出てくる叱責が、なぜか喉に張り付いた。彼の気迫に押されたのだ。
「バカはおれだ。なんですぐ気が付かなかったんだろう、あの人の性格分かってたのに……いいからパソコン貸してくださいよ! それと電話も、早く!!」



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ジャンル : 小説・文学

青木警視の殺人(19)

 昨日は、たくさんの拍手をありがとうございました~。
 どうもありがとうございます、うれしいです(^^)
 最初の記事からだから、ご新規さんかな? それとも再読の方かしら。
 励ましてくださってありがとうございます。がんばります♪



青木警視の殺人(19)







 宇野が看護師を脅して病院の機密情報満載のパソコンを奪い取り、キィを夢中で叩いていた頃。薪は青木が隠れていたホテルにいた。
 宇野が襲われた時、彼は青木とチャットをしていた。IPアドレスを辿れば、宇野がどこのパソコンと話をしていたのか解る。敵側が此処を襲撃する可能性は十分にある。
 上手いことに、青木はホテルを留守にしている。岡部にも保護を頼んであるし、青木には危険はないはずだ。
 応援を呼ぼうとは考えなかった。ゼロ課との直接対決に、巻き込みたいと思えるような部下は薪には一人もいなかった。だれも危険な目に遭わせたくない。誰ひとりとしてこれ以上、傷ついて欲しくない。
 小野田にだけは電話をしておいた。自分がゼロ課とやりあえば、小野田と長官の間に溝ができるだろう。小野田には、またも恩を仇で返すことになる。それでも。

「夜分に恐れ入ります。捜査にご協力を」
 フロントで身分証を提示し、カードキーを借り受けた。
「僕の前に、このキーを借りに来た人はいませんか?」
 薪の質問に、フロントマンはいないと答えた。自前の工作員で電子ロックを外す気なのだろう。自分たちの痕跡を残すことを嫌うゼロ課らしいやり方だ。

 目的の部屋へ行き、キーを差し込んでドアを開ける。具合の悪いことに自動照明だ。外から見張られていたら、今帰宅しましたと大声で叫んでいるようなものだ。
 いつでもドアから逃げられるように手をドアノブに掛けたまま、薪はさっと室内を見回した。動体視力に優れた亜麻色の瞳は羽虫の動きすら捉える事ができたが、その眼をもってしても侵入者の存在は確認できなかった。
 どうやら取り越し苦労だったらしい。ほっと息をついてリビングを通り過ぎる。ここには坂崎がいたはず、彼の前でチャットはできないはずだから、パソコンは寝室にあるのだろう。そう見当をつけて寝室の扉を開いた。

 中は真っ暗で、パソコンの明かりだけが点いていた。それを視認した瞬間、薪はホルダーから拳銃を取り出し、腕を伸ばした。暗闇に向かって威嚇する。
「そこにいる者、出てこい」
 青木がホテルを出たのは2時間も前だ。パソコンの電源を切り忘れたとしても、オートオフ機能が働いていないのは不自然だ。直前まで誰かが、このパソコンを操作していたのだ。
 明るいリビングを通ってきた薪の目に、寝室の人影は見ることができない。明るさに眼が慣れてしまっていたせいだ。中にいる人物を見つけ出そうと、薪は意識を集中した。自然と背後の警戒は薄くなる。そこを衝かれた。
「薪警視長。銃を捨ててください」
 ゴツン、とこめかみに当てられた金属の冷たさ。撃鉄を起こす音で銃だと分かる。敵が単独行動を取らないことは分かっていたのに、油断した。
 両手を上げて手のひらを開いた。薪の右手から拳銃が落ちる。ベッドの陰から姿を現したもう一人の男が、それを余裕で拾い上げた。
「捜査本部の」
 そこにいたのは管理官の緑川警視長だった。わざわざ第九まで薪たちを牽制しにきた、あの嫌味男だ。薪に銃を突きつけているのは声と身長から判断して、緑川に着いてきた田上巡査部長だろう。

「余計なことはしないでくださいと、あれほどお願いしたのに。あなたほどの重要人物を葬るのは、こちらとしても大変な作業なのですよ。察して欲しいものだ」
「僕の部下に手を出したおまえらが悪い」
「ハッキングなどという卑劣な手段でうちの情報を盗みに来たのはそちらの方でしょう。我々はそれに対する報復をしたまでだ」
 答えたのは田上だった。
 やはりそうか。緑川は次長派の人間、田上はゼロ課の人間だ。

「青木を殺人犯に仕立てようとしたくせに」
「あれは、そちらの緑川管理官の命令で仕方なく。長官不在の折は次長がその指揮を執る。ゼロ課の規則ですから、我々としても逆らえなかったんです」
「よく言うよ。おまえらにしても、青木が犯人である方が都合がよかったんだろ。訓練を積んだゼロ課の人間が一般人に殺されるのは不自然だからな。僕のSP代わりの青木が犯人なら、長官も不思議に思わない」
 捜査本部の管理官が次長派の職員だと知って、中園は北川の殺人そのものを次長派の謀略と疑ったが、薪の考えは違っていた。ゼロ課を動かせる、次長派にそんな力が残っていたならもっと早くに何か仕掛けてきたはず。そもそも殺人はリスクが大きすぎる。北川を殺したのは次長派ではない。
「彼女を殺したのは同じゼロ課の人間だ。おまえらはそれを長官に隠したかった。だから次長の言うことに従ったんだ」

 薪が事件の真相を言い当てると、田上の顔色が変わった。
「図星か。そんな正直者で、よくゼロ課の仕事が務まるな」
 せせら笑うと、銃口でこめかみの上部を殴られた。軽い殴打でも鉄の塊だ。皮が破れて血が流れた。
「やわな肌をしているな。本当に男なのか」
 カッとなって振り向きざまに相手の襟を掴むも、薪の銃を拾った緑川が薪の背中に銃を押し当てる。薪は悔しそうにくちびるを噛んで、田上から手を離した。

「第九は腰抜けぞろいだな。さっきの男も、呆れるくらい弱かったぞ」
「あいにくだが、第九は頭脳労働だ。僕の部下におまえらみたいな筋肉バカは必要ない」
「岡部警視が聞いたら悲しむんじゃないのか」
「いや。ああ見えて岡部は意外と神経細くって。慎重派だし心配性だし、お母さんだし」
「お母さん?」
「夜はちゃんと寝なさいとか、夏の外出にはサングラスを掛けなさいとか」
「見かけによらんな」
「本当だぞ。外出先までサングラス持って追いかけてくるくらいだ。――なあ、岡部」
 ひょいと上がった細い顎が示す先、まさかと思って振り返る。そこに田上は信じられないものを見た。

「岡、ぐっ!」
 突進してくる岡部の体当たりよりも、薪の拳の方が速かった。田上の鳩尾に見事に決まった正拳突きの強さと正確さは、彼の細い腕から繰り出されたとは信じ難い威力で、その痛みに田上は思わず身体を二つに折り曲げた。緩んだ右手を狙って薪の手刀が振り下ろされる。が、さすがに田上はゼロ課の人間だ。さっと身をかわし、空振りになった薪の腕を捕えて下方に引き倒す。体勢を崩して床に膝をついた薪の背中に肘を打ち下ろす寸前、岡部の強烈な蹴りが田上の背中を捕えた。床に丸まった薪の身体に蹴躓づく。
 床に転がった田上の身体を二人掛かりで押さえたその時、寝室から鋭い声が響いた。

「そこまでだ!」
 田上の後ろ首を上から押さえつけながら横目で見れば、緑川が銃を構えていた。銃口はぴたりと薪の頭に向けられている。
「おまえの銃は私が持っているんだぞ! 大人しく手を上げろ!」
 緑川の脅しに怯む様子も見せず、二人は田上の確保を続行した。銃を持った右手を、岡部の頑強な手が捻り上げる。ぎりぎりと手首を締め上げると、ぽろりと銃が床に落ちた。銃を相手に拾われたらお終いだ――焦った緑川が声を張り上げる。
「私が撃てないとでも思っているのか、バカにしやがって。地獄で後悔しろ!」
 恐怖に駆られた緑川が引き金を引いた。その指に伝わったのは、カチリと言う軽い音。

「……え?」
 銃口から飛び出したのは弾丸ではなく、小さな火であった。つまり、これはライターだ。
「それはモデルガンだ。よく出来てるだろ」
 俄かには信じ難い。つい先刻薪は、この銃を構えてここに乗り込んできたのだ。モデルガンであそこまで強気に出るか、普通。
 緑川が滑稽なピエロを演じている間に、田上は岡部によって完全にその動きを封じられていた。圧倒的な力の差であった。
「無法地帯のゼロ課じゃあるまいし。この時間に拳銃なんか持ち出せるか、バーカ」
 警察では、捜査員に拳銃の携帯を許していない。銃は厳重に保管され、凶悪事件が起きた時など特別な場合にのみ所持することを許される。それにはきちんとした手続きが必要だ。必要になったからと言って、さっと持ってこれるものではない。

 バスローブの紐や電気ポットのコードなどで手足を縛られ、芋虫のように床に転がされた田上の頭に足を乗せ、薪は楽しそうに笑った。こんな性格の悪い男、見たことない。
 心を読んだわけでもあるまいが、薪が緑川をぎろりと睨む。その気迫の禍々しさ。緑川の身体が勝手に震え始める。
「岡部。捕まえろ」
「はい」
 バキボキと必要以上に指を鳴らして近付くあたり、岡部も緑川の暴言には相当キていたらしい。
「わ、私は警視長だぞ! 警視の君が私に逆らえるのか!」
「同じ警視長の命令ですから」

「僕の後ろには官房長も付いてるぞ。なんたって、お気に入りだからな」
 以前、緑川に当てこすられた不愉快な噂を逆手にとって、薪はうそぶいた。パソコンデスクにもなっているサイドボードの引き出しを開け、何かを探しながら、
「おまえの腕の一本や二本折ったところで、僕がベッドの中で官房長にお願いすれば、無かったことになるんだよ」
「薪さん。楽しいのは分かりますが、そういう発言はご自分の首を絞めますよ」
「こいつが言い触らすかもしれないって? 大丈夫だ。この場でこいつの舌を切り落とすから」
 シャキン、と軽やかな音を立てて開かれたのは、どこにでもある事務ハサミ。

「な、やっ、やめ、あだだだっ!」
 岡部の太い指が緑川の細い顎を挟み上げ、無理やりに口を開かせた。口中に縮こまる舌を、薪の細い指が強引に引っ張りだす。根元に近い部分にハの字に広げた刃をあてがい、薪は無邪気な声で尋ねた。
「なあ、岡部。人間の舌って、切ったらどれくらい血が出るのかな」
「さあ。おれも切ったことありませんから」
「僕も初めてだ。ワクワクするなっ」
 子供のように眼を輝かせるとか、こわい、ものすごく怖い。こういうのがシリアルキラーになるんだ、絶対にそうだ。

 かくん、と緑川の膝が崩れた。岡部が手を離すと、糸が切れた操り人形みたいにおかしな動きで床に倒れた。
「気絶しちゃいましたよ」
「なんだ。冗談の通じないやつだな」
 冗談で通るか、あんなもの!
 こいつらの容赦の無さはゼロ課の上をいく。戒められた手足を不自由に曲げながら、田上はぐったりと床の上に横たわった。

「ところで岡部。よくここが分かったな」
「宇野から連絡をもらいました。薪さんが青木が隠れてたホテルにいるはずだからって」
「青木の隠れ場所は、おまえも宇野も知らないはずだが」
「病院でパソコン借りて、チャットのログを辿ったらしいですよ」
 あの怪我で、と薪が眉を潜める。宇野の無茶は上司譲りだと思ったが、賢明な岡部はそれを口には出さなかった。
「ここのパソコンに映像を伝送したから押収してくれって言われましたけど、ああ」
 パソコンを見て岡部は呻いた。一足遅く、それは破壊されていた。データが保存されているはずの本体が、ぐしゃぐしゃに潰されている。緑川たちは元々これが目的で来たのだ。部屋に入って一番に仕事を済ませ、青木を待ち伏せしていたのだろう。

「宇野のパソコンも壊されちまったし。これで証拠は無しか」
「いや、大丈夫だ」
 落胆する岡部とは対照的に、薪は余裕の表情だった。パソコンに詳しくない岡部には分からないが、ボディをここまで破壊されたパソコンからデータを引き出す方法があるのだろうか。

「青木は?」
「それがですね。青木のやつ、携帯の電源を切ってるみたいで」
 居場所が分からないようにと思ったんですかね、と岡部が理由を推測すると、薪は困惑に首を振って、
「青木が持っているのは宇野の携帯だ。あいつもそこまでバカじゃない。切る必要なんか」
 言い掛けて考え込んだ。右手を口元にやる、いつもの癖。
「もしかして」
 呟いて、薪は踵を返した。
「岡部、後を頼む。僕は青木のところへ行く」
 わざとらしく田上の肩を踏ん付けて、一直線に駆けて行く、薪の背中に岡部の声が掛かる。
「青木の居場所、分かるんですか?」
「相手の居場所を当てるのは、青木の専売特許じゃない」
 足を止めて肩越しに言い返した薪の声は、自信に満ちていた。

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青木警視の殺人(20)

 こんにちは~。
 雨で休工になりました。更新します。


 連日、たくさんの拍手をありがとうございます(〃▽〃) 
 過去作、読んでくださってる方、あんまり夜更かししないで休んでくださいね。インフルエンザも流行ってることですし。

 インフルエンザって言えば、楽しい現場その2。
 現場の側にある家の子供が平日なのにウロチョロしてるから訊いたら、インフルエンザで幼稚園が学級閉鎖になったとか。で、下請さんの職長さんに、
「職長さんは(インフルエンザに)なったことないでしょw」て言ったんですよ。『バカは風邪引かない』のニュアンスを感じ取ったんですかね、その返しが、
「来週から1週間、インフルエンザで休みます」
 予告?!
 焦ったわたしが、お身体強そうですものね、とフォローを入れる間もなく、隣の人が、
「社内感染で」
「次の週はおれ行きます」
「じゃあ次の週はオレが」
「待て待て、2人休めば現場動かなくなるから。2人ずつペアで」
 ……すみません、わたしが悪かったです、勘弁してください。




青木警視の殺人(20)






 夜中の街道を飛ばして薪が駆け付けた先は、自身の職場であった。

 受付にはなぜか守衛がおらず、代わりに立っていた制服警官に職質を受けた。提示された身分証に恐縮する警官に警護を交代した理由を尋ねると、「青木警視の指示であります」と答えた。ごく限られた本部内手配だったから末端の警官にまで手配書は届いていない、しかしそのことを青木は知らなかったはずだ。ほとほと犯罪者に向かない男だ。警戒心が無さ過ぎる。

 青木は研究室の自分の席に座って、モニターを見ていた。
 彼が携帯電話の電源を切っていると聞いた時、多分ここだろうと思った。薪は、捜査中は携帯電話の電源を切るよう部下に徹底している。クセで切ってしまったのだろう。
「今頃まで残業か」
 薪の呼びかけにぎくりと肩を緊張させる。マウスに手を置いたまま、青木は恐々と振り返った。その顔に掛けられたメガネのフレームは歪み、滑らかな額には血が滲んでいた。室内が暗いから見え難いが、黒いジャージのズボンは土で汚れている。誰かと激しく争ったらしい。
「どうしたんだ、その怪我」
「宮下さん、意外と強くて。あ、宮下さんて、守衛さんです。脇坂さんの代わりに入ってた臨時の……北川さんを殺した犯人、宮下さんでした」

 薪は黙って上着のポケットからハンカチを取り出し、青木の額に押し当てた。触ると痛いらしく、青木は顔をしかめた。
「そうか、守衛か。それで緑川たちが第九に入って来れたのか」
 緑川と言う人物を青木は知らなかったが、薪は説明してくれる気もないようだった。ひとり頷くと、すっと人差し指を伸ばし、
「その中に映像が入ってたんだな」
 薪が指差したのは、MRIシステムの端末にUSBケーブルで繋がれたハードディスクだった。さっき、田上たちの手によって壊されたばかりのパソコンの中身だ。
 宇野の家に向かう前、青木はこれを取り外して持ち出した。不自然なチャットの切れ方から、宇野が襲撃されたことを察したからだ。宇野のパソコンを調べれば、このパソコンにデータを送信したことはすぐに分かる。このままにしておくわけにはいかないと思った。

「なぜ僕の言いつけを破った」
「……すみませんでした」
 青木があのままホテルにいたら、このデータは守れなかったかもしれない。しかし結果がどうあれ、命令違反は処罰の対象である。それが警察だ。青木は素直に謝った。
「僕は理由を聞いている。宇野との会話が途絶えた時点で報告、上の指示を仰ぐべきだった。そのために坂崎さんをおまえに付けてもらったんだ。なのに、ペテンみたいな真似をして」
「北川さんが言ったんです。オレには恩があるって。だからこの任務を引き受けたんだって、そう言ってました」
 立ったままで青木を見下ろす無表情な亜麻色の瞳に、でも恐怖は感じなかった。青木は薪に話せずにいたことを、思い切って告白した。
「ずっと不安だったんです。北川さんが任務上のトラブルで死んだなら、その責任はオレにあるのかもしれない。そうしたら、事件を調べてた宇野さんまで被害に遭って。オレ、じっとしていられなくて」
 青木は薪に殴られるのを覚悟したが、その一撃は見送られた。代わりに、ポンと頭に手を載せられた。やさしい手だった。

 それから薪は青木の隣に腰を下ろした。背もたれに寄りかかって腕を組む。
「見せてみろ」
 はい、と青木は頷いて、ハードディスクから取り出した映像をモニターに流した。
 画面のほぼ中央に映った男に、右奥から北川が駆け寄ってきた。彼女は男の手を掴み、激しい怒りを顕わにする。映像を一旦止めて、青木が説明を挟んだ。
 映像から読み取れる会話で二人の諍いの理由は判明した、と青木は言った。
「宮下さんの背格好と顔立ちは、オレに少し似てます。例の写真は彼と北川さんが協力して拵えたものでしょう。だけど北川さんは、それを警務部に送るつもりなんかなかった。宮下さんが勝手にしたことで、だから北川さんはこんなに怒ったんです。
 言い争いになり、宮下さんは彼女を殺してしまった」
 画面には、男が北川を刺し殺す瞬間がしっかりと映っていた。特殊メイクをしていても、青木の体つきは真似られるものではない。明らかに別人であった。
「動機については、この諍いの他にもいろいろあったんだと思います。こんな写真が撮れるくらいです、もともと特別な関係だったんでしょうし」
 写真を警務部に送ったことから察せられるように、宮下は次長派の人間だったのだろう。事件を起こした後、彼は次長に助けを求めた。だから捜査本部が次長派の仕切りになったのだ。
「宮下は?」
「今は捜一の大友さんのところです」
 格闘の末、逮捕して捜一に引き渡した。青木の額の怪我は、その勲章と言うわけだ。

「ここで何を探していた?」
 事件は解決し、青木の本部内手配は取り消された。しかし、謎はまだ残っている。北川舞という大きな謎が。
「ハードディスクの映像を見るためだけに、第九に来たんじゃないんだろう」
 持ち出したデータを確認するだけなら、パソコンさえあれば可能だったはずだ。それこそ病院のパソコンを借りてもいいし、24時間営業のネットカフェもある。でも青木はここに来た。彼女の謎は第九にあるのだ。
「まだ完全には分からなくて。それで報告ができないんですけど」
「かまわん。話せ」
 躊躇いがちに青木が選んだのは、画面のアンダーバーに最小化されていた一枚の写真であった。クリックすると同時に画面に映し出された女性の顔を見て、薪は呟いた。
「西園冴子」

「薪さんて、どうしてそんなに人の顔覚えてるんですか」
 この人物は青木が担当した特捜の死刑囚で、青木は彼女の顔を写真でしか見ていない。しかも彼女は整形を繰り返していて、資料にあった逮捕時の顔とこの写真とでは別人と言っても通るほど印象が異なる。資料の中には整形前の顔もあったが、特捜にそれは必要なかった。思い出せなかったのも無理はないと納得していたのに、さっと資料に眼を通しただけの薪にこんなにあっさり言い当てられると、自分がものすごくバカに思えてくる。
 今に始まったことじゃないけど、といささか落ち込みながら青木は言った。
「でも実はこれ、西園さんじゃないんです。北川さんの整形前の顔です」

 驚くのは薪の番だった。
 宇野のやつ、ゼロ課の職員情報まで引き出していたのか。あれは警察のスパイリストみたいなものだ。連中が口封じに動くわけだ。それはともかく。
「彼女は西園冴子の身内だったのか。それでゼロ課に」
 警察官の身内が重大犯罪を起こした場合、普通なら依願退職を打診される。職場に残りたければ、ある程度警察側の意向を飲まなければいけない。北川舞はこの件を理由に、ゼロ課への異動を余儀なくされたのだ。
 雪子が「ひっかかる」と言ったときに気付くべきだった。化粧を落とした北川は、薪にそれほど似てはいなかった。やはり彼女もゼロ課の変装術を使っていたのだ。ならば、雪子の既視感はどこからきたのか。
 その答えは西園冴子だ。雪子は特捜のため、彼女の脳を取り出していたのだ。

「宇野さんから送られてきたデータの中に、この写真がありました。北川さんは西園さんの妹、正確には異父妹です」
 西園冴子の母親は、冴子が幼いときに彼女を捨てて男と逃げた。その男との間に生まれた子供が北川舞だった。
「北川さん、オレに恩があるって言ったんです。彼女とオレの接点は、この特捜しかありません。でも、感謝されるようなことはオレはなにも」
「なるほどな」
「え。薪さん、分かるんですか?」
 青木はびっくりして振り返った。当の自分がいくら考えても分からなかったのに、書類に判を押しただけの薪がどうして、ああ、オレって本当に馬鹿なのかもしれないと青木は広い肩をやるせなく落とす。眉をハの字に下げた情けない顔で、決して追い付けない上司に頭を下げた。
「教えてください。お願いします」
「駄目だ。自分で考えろ」
 返ってきた薪の回答はとても冷たくて、青木はますますがっくりと肩を落とす。その様子を微笑ましく思いながら、だけど表情はあくまでも冷静に、薪は北川舞の心を読み解く。

 推測でしかないが、この姉妹は周りの大人たちに隠れて交流を持っていたのではないだろうか。冴子の実家と北川の生家は隣町。子供の足でも会えない距離ではない。顔立ちもよく似ていた彼女たちには共通することも多く、気が合ったと考えられる。再婚しても母親の奔放な性質は変わらなかったようだし、お互い、そのことを相談できる相手は他にいなかったに違いない。
 後に、姉の冴子が殺人を犯し「稀代の魔女」などと日本中に非難されたとき。北川舞は悲嘆に暮れたはずだ。その姉の特捜を、青木が担当した。
 その報告書には、こう書かれてあったと薪は記憶している。
『母親に置き去りにされた幼少期の傷と、彼女を育てた祖母の教育がトラウマとなった。繰り返し聞かされた母親への呪詛と自分がしたことが重なってしまったとき、彼女の心の均衡は崩れ、あのような凄惨な事件を起こすことになってしまった。
 西園冴子は魔女などではなく、悲しい女性であった』
 あのとき薪は、同情心に溢れた青木の報告書を問答無用で書き直させたが、思うところあって、最初の報告書に自分の認印を押して提出した。北川はそれを見たのだろう。
 世間から後ろ指を刺されまくった人間は、少しでも庇ってもらえると嬉しいものだ。青木の純粋な尊敬が、あの頃の薪を救ってくれたように。ゼロ課に異動して辛酸を舐めていた彼女もまた。被害者にも加害者にも平等な、青木の公平さに救われたのだ。

 北川舞は、姉の気持ちに寄り添おうとしてくれた青木に感謝した。そしておそらく青木のために、あの写真を捏造した。
 ゼロ課の情報網により薪と青木の秘密の関係を知った北川は、その発覚を恐れた。だから青木と自分が恋仲であると言う証拠写真を撮った。二人の秘密が悪意を持って暴かれた時の免罪符として。
 万が一、二人の決定的瞬間をスクープされたとしよう。それが三流週刊誌の紙面を騒がせた際には、これは北川舞と言う女性であると言い張ればよい。そのために、薪そっくりに整形した顔を利用したのだ。

 薪はそんな風に彼女の行動を推理し、それは概ね当たっていた。しかし一つだけ、薪が読み切れなかったことがある。
 北川舞は最初、本気で青木を射止めるつもりだった。と言っても、青木と恋仲になろうとしたわけではない。ゼロ課に所属している自分が青木の恋人になれるはずがない。ただ、薪とは別れさせた方が青木のためだと思い、それを実行しようとしたのだ。
 しかし第九で監査聴取をするうち、二人が強い絆で結ばれていることを知った。同僚の話ではどうも青木の方が薪に夢中らしいし、薪も薪で、青木が可愛くて仕方ない様子だ。これは下手に手を出したらバカを見ると考え、作戦を切り替えることにした。秘密が発覚した時の保険としてあの写真を作り、青木に渡してやろうと思ったのだ。



 第九の職員たちに自分たちがそのように語られていたことなど露ほども知らない薪は、ゼロ課の情報収集能力に脅威を抱いていた。あれだけ巧妙に隠していた(と薪は思っている)二人の関係が、北川舞には筒抜け状態だった。実際、極秘扱いの特捜の報告書まで見られるくらいだ。他の第九の機密情報も洩れている可能性がある。宇野に言って、セキュリティを強化しなければ。

「薪さん、後生ですから教えてください。お願いします」
 珍しいことに、青木がお願いを繰り返した。青木は薪の言葉にはいつだって従順で、逆らうことは滅多とない。ベッドの中では時々やんちゃになるけれど、仕事のことで薪の命令に従わなかったことは一度もなかった。
「彼女、整形も任務のためだったって。オレのせいで整形までしたのに、そのオレが彼女が何を考えていたのか分かってやれないなんて」
 彼女が可哀想です、と零れ落ちた言葉は、青木と言う人間の性質を如実に表している。やさしくて、同情心が豊かで、責任感が強い。

 いま薪が考えたことを説明してやれば、彼の心の重荷は取り除けるかもしれない。でも同時に、青木には分からないとも思った。
 世間から袋叩きにされたことがある人間でないと、あの気持ちは分からない。ましてや、見ず知らずの他人のほんの少しのやさしさで生きる希望が湧いてくる、そんな奇跡のような心境など、施す側の人間には想像もつかないだろう。
 そして、そんな青木だからこそ。やさしさが偽善にも押しつけにもならず、素直に人の心に入っていくのだ。
 そういった自分の特性を、彼はまるで理解していない。天性の救済者。

「彼女が整形したのはおまえのためじゃない。僕のためだ」
「えっ?」
 歪んだ眼鏡の奥の、黒い瞳がまん丸になる。その素直さを好ましく思う。自分はもう、彼のように感じたままを表現する術を忘れてしまった。いつもなにかを隠して、誰かに嘘を吐いて。紡ぎ続けた長い虚構の彼方、そこには確かに彼のように素直な自分がいたはずなのに。
 それでも、戻りたいとは思わない。この世界で生きるには幾つもの仮面が必要だ。彼が此処に留まりたいと願うなら、僕は全力で彼を守る。必要ならば、閻魔が腰を抜かすほどの嘘でも吐きまくってやる。

「おまえは何も気に病むことはない。僕が保証する」
 青木は少しだけ眉を寄せたが、やがてこっくりと頷いた。
「薪さんを信じます」
 そのとき薪に向けられた憧憬の眼差しはあの日のまま。出会った日の感激のままに、今もその気持ちは青木の心にあるのだと。その子犬のように煌めく瞳を見ればそれは明確に分かって、だから薪の心は錐で穿ったようにキリキリと痛む。

 叶うことならこれから先。どうか誰も彼を汚さないで。

 自分に微笑みかける青木に、願うことしかできなかった。警察機構に身を置く限りそれは無理な相談だと、身をもって知る薪には。



*****

 2015.2.23 追記
 コメントいただいて気付いたんですけど、ごめんなさい、注釈入れるの忘れてた~。「西園冴子」って誰だか分からない方、もしかしなくてもたくさんいますよね(^^;
 男爵カテゴリの一番下にあります、「ハプニング」と言うお話に出てくる死刑囚でございます。青木さんが特捜で脳を見たんですね。で、実は薪さんは、夢で素顔の彼女と会って話をしてるんですよ。だから彼女の顔が一発で分かったの。
 もっとも薪さんなら、その夢が無くても覚えてたでしょうね(〃▽〃)


 

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青木警視の殺人(21)

 日曜日は近所にお葬式ができちゃいまして、更新する時間が取れませんでした。現場も現道の部分に入って、やたら忙しい……でも、今週末は薪さんに会える! がんばらなきゃ!
 てなわけで更新します。このお話も次で最終章です。今回は、メロディ発売前に終れそうです(^^)/ ←2ヶ月前の予定が延びただけなのであんまりエラくない。

 そうだ、前回の章、コメントいただいて思い出したんですけど、「西園冴子」について注釈を入れ忘れてました☆
 彼女は「ハプニング」(男爵カテゴリの一番下にあります)というお話に出てくる死刑囚です。彼女を知らなくても話は通じると思うんですけど、興味がありましたらそちらもどうぞ。男爵カテゴリなので話は無茶苦茶ですけどw





青木警視の殺人(21)






 青木が守った映像データが決定的な証拠となり、宮下昌男は逮捕された。捜査本部は解散、残りの捜査は宮下を逮捕した捜査一課が引き継ぐことになった。
 当初、警察庁刑事局の鼻を明かしたと、刑事部長の鼻息は竜の如しであったが、宮下に手錠を掛けて捜査一課に引き渡したのが第九職員であることが人伝てに知れ渡ると、警察庁に対する態度を改めざるを得なくなった。結果、警察庁と警視庁の均衡は保たれている。

 宮下の自供によって、次長派の策略も明るみに出た。薪の予想通り、宮下は次長派閥の人間であった。諍いによって北川を殺してしまった宮下は、かつての上司に助けを求めた。ゼロ課の上司に報告すれば制裁が待っているだけだと分かっていたからだ。
 次長はゼロ課と交渉し、自分たちが捜査本部を立ち上げることを提案した。青木を使って警察官房をスキャンダルの渦中に突き落し、と同時に自分の権力を盛り返す絶好の機会だと踏んだのだ。
 だが、蓋を開けてみれば。
 罠に掛けたつもりの青木にすべての謀を覆され、その策略のすべてを白日の元に晒す羽目になった。政敵を貶めるどころか自分が止めを刺されてしまった。ロクな現場経験もない若造と、青木を見くびったのが敗因であった。

「青木くん、役に立ったじゃない。ねえ小野田」
 危機を乗り越えたことと犯人逮捕に満足した中園は、すこぶる機嫌が良かった。中園はどちらかと言えば結果オーライ主義。青木の命令違反には大して腹も立てていなかった。
 中園に同意を求められ、小野田は不承不承に頷いた。殺人犯を逮捕したのもゼロ課から証拠を守ったのも、青木の功績だ。坂崎を出し抜いた失点を補って余りある釣果だった。

「そうだね。道端の石ころってのは訂正するよ」
 自分が石ころ扱いされていた事実を初めて知って、青木は何とも情けない気持ちになる。評価されていないのは知っていたが、無機物扱いとは。薪の「バカ」は、人間扱いしてくれる分だけマシだったのだ。
「昔ぼくがそう言ったら、薪くんが怒ったっけ」
「おまえ、そんなヒドイこと言ったの」
 毒舌家で知られる中園にまでドン引かれた小野田の酷評に、それでもお人好しの青木は考える。自分は薪のように特別な才覚を持たない末端の一職員だ。官房長ともなれば、それが普通の感覚なのかもしれない。
 それより、そのとき薪がどんな反応を示したのかが気になった。昔の話らしいし、軽い気持ちで聞いてみた。
「薪さんはなんて」
「『石ころじゃない。青木は岩みたいな男です』って」
「……それ、大きさが変わっただけで組成は変わってませんよね」
「そうだねえ。薪くんらしいねえ」
 小野田のとぼけた答えに、青木の向かいで、中園がふっと笑うのが聞こえた。いつものシニカルな笑いではなく、微笑ましさが滲んだ笑い声だった。珍しいと思ったが、彼の深層を読み解く時間はなかった。薪が扉を開けて入ってきたからだ。

「青木? おまえまた何か」
 業務終了後に官房室に呼び出された青木を見て、薪は不機嫌そうに眉を寄せる。一見、部下の失態を迷惑がっているようだが、これは彼の癖みたいなもので。本当は青木の身を案じてくれているのだと、青木には分かっている。
 自分が此処に呼ばれた理由を、上官二人を差し置いて説明していいものかどうか青木が悩んでいると、中園が「はいこれ」と薪に一通の封書を手渡した。表書きには青木一行殿とある。それを躊躇いなく開けるあたり、薪が抱いている青木のイメージは小野田のそれと限りなく近いのではないかと、不安に駆られる青木の耳に薪の意外そうな声が届いた。
「合格?」
 それは青木の監査合格証だった。通常であれば人事部から発行され、薪の手元に届くはずの合格証だ。しかし今回、監査の号令を下したのは警察庁長官。そちらのルートを通って小野田の元に届いたのだろう。
 さまざまな思惑が絡みあって仕組まれたものだったが、監査は監査。合格証が発行されるのは不自然ではない。だが、薪は堅物だ。「あの監査は本物ではなかったのだから、この合格証は無効でしょう」とそれを中園に突き返してしまった。

「確かに、あの監査はゼロ課の作戦の一部だったわけだけど。この合格証は本物だよ。ちゃんと警務部長の押印がある」
「偽の監査で本物の合格証が出るなんて。おかしな話だと思いませんか」
「薪くんは相変わらず石頭だなあ」
 きみって本当にメンドクサイ子だよね、と匙を投げられてムッと膨れる、薪が可愛いと思った。青木には仕事場での薪は完璧に思えるけれど、小野田や中園の眼から見れば、薪にもまだ至らないところがあるのかもしれない。
「青木くんは? きみの出世の話だよ」
「室長の言う通りだと思います」
 中園に振られて、青木は迷いなく答えた。
 自分の名前が入った合格証を一目くらい見たかったが、青木は薪には絶対服従だ。薪が未だ青木は警視正には早いと判断するなら、それはきっと正しいのだ。

「本人がそう言うなら仕方ない。これは僕が預かるよ」
 そんなやり取りがあって、合格証は中園のバインダーに戻された。青木の用事はこれで終わりだ。
「それで? 薪くんの用事はなに」
 ここから先は官房室の職務に関する話だろうから、青木は邪魔になる。敬礼で退室しようとした青木を、止めたのは小野田だった。
「残りなさい」
「え。でも」
「いいから。座って」
 青木が席に戻ったことで、薪は開きかけていた口を閉じてしまった。やはり青木には聞かせたくない話なのだ。
 二名の上官の命令が異なるとき、的確に状況を判断した上でより階級の高い上官の命令に従う。それがセオリーだが、青木はどうにも尻の座りが悪かった。

「薪くん、ぼくに話があるんだろう。言いなさい」
 小野田に促され、薪はあからさまに青木に邪険な視線を送った。それでも小野田が青木に退室を命じないのを知り、彼は青木に背を向けた。
「ゼロ課が解体されないのは何故ですか」
 当然だが、薪は腹を立てている。内部の揉め事で殺人事件まで起こし、その濡れ衣を自分の部下に着せられ。ハッキングの報いとは言え、掛け替えのない部下を傷つけられて。なのにゼロ課になんの罰も下されないなど、到底納得できない。
「残念ながら、ゼロ課には手が出せない。長官の管轄だからね」
 小野田の代わりに答えた中園に、薪のナイフのような視線が突き刺さる。バインダーを盾にしてその攻撃を防ぎながら、中園は苦く笑った。
「今回は我慢してよ。小野田が長官になったら、ゼロ課は解体するから」
「本当に?」
「本当だよ」
「……約束ですよ」と引き下がるが、薪の背中は固く強張ったままだった。まだ何か言いたいことがあるに違いない。
 薪がすうっと息を吸い込む、細い肩が上がってそれを青木に教える。腹を括らないと言えないことなのだと察した。

「北川舞が殺されたのは僕のせいですか」
 思わず青木は腰を浮かした。薪の言葉はそれほど意外なものだった。
 緊迫する室内で、しかし驚いたのは青木だけだった。中園の冷静な声が、薪の質問に答える。
「彼女が死んだのはゼロ課の内輪揉めが原因だ。きみは関係ない」
「では聞き方を変えます。北川舞が顔を変えたのは、僕の影武者になるためですか」
 中園は口を噤み、小野田とさっと眼を合わせた。彼らのアイコンタクトを待たず、薪は畳みかける。
「僕の代わりにMRI法案反対派の眼を引く。それが目的だったんじゃないんですか」

 瞠目したのは青木だけではなかった。ここまで見抜かれているとは、上官たちにも計算外であったらしい。
「驚いた。村山長官と話したの?」
「中園」
「仕方ないだろ、バレちゃってるんだから」
 北川が薪の身代りに? 薪がMRI法案を通すために閣僚と話を煮詰めているのは知っていたが、反対派に狙われるなんて。薪はそんな危険な仕事をしていたのか。
 ボディガードの自分がその事実を知らされていなかったことに、青木は腹立ちを覚える。職務中の薪の外出にはSPを付けることになっているが、それにしたって。話くらいはあってもよさそうなものだ。

「小野田が頼んだわけじゃないよ。青木くんを軽んじたわけでもない。ちゃんと調査したけど、そこまで危ない集団じゃなかった。嫌味くらいは言われたかもしれないが、暴力沙汰にはならなかったはずだ。長官が先走って、ゼロ課を動かしちゃったんだよ」
 ゼロ課が長官の直属部隊であることを青木は知らなかったが、北川が特殊な課に属していることは察しがついていた。以前青木はなぜ任務を拒否しなかったのかと北川に尋ねたが、長官命令では青木だって断れなかったかもしれない。
「長官が細かい指示をしたわけじゃない。作戦は彼らの発案だ。きみの護衛と万が一の時の囮。もし反対派の襲撃を受けたら薪くんを安全な場所に保護して、北川くんが彼らをおびき出す。そこを一網打尽。ゼロ課のいつもの手だ」
 ゼロ課が関わることになった経緯と彼らの計画を説明する中園に、薪は噛みつくように言った。
「どうしてもっと早く話してくれなかったんですか。彼女が第九に来る前にそれが分かっていれば、彼女は死ななくて済んだ」

 中園は顔をしかめただけで、何も言わなかった。代わりに発言したのは小野田だった。
「もしも本当のことを言ったら、薪くんはこの作戦に乗ったかい」
「そんなわけないじゃないですか」
 整形なんか止めさせた。身代りになんかしなかった。彼女は写真を捏造することもできなかった代わりに、死ぬこともなかった。
「だから黙ってたんだよ。きみだって3年前、同じことをぼくにしただろう」
 小野田に話したら絶対に止められる。そう予想して薪は、小野田が海外出張の時期を狙って、3年前の計画を中園に持ち掛けた。
 自分がしたことが痛烈に返ってきて、薪を打ちのめす。薪はぎりっと奥歯を噛みしめた。

「僕は、誰にも死んでほしくないんです」
 何よりも切実なその願い。薪の中には自分のせいで失われた命がたくさんあって、それは本当は彼の咎ではないのに、でもどうしても薪にはそうとしか考えられず、彼らの死に囚われてきた。そんな薪だからこそ耐えられない。誰かが自分の身代わりに命を落とすなど。
「僕のために、いや、誰かのために犠牲になる命なんて。あってはならない」
「きみがそれを言うかい」
 突然、小野田は立ち上がった。マホガニーの事務机に両手を着き、正面に立った薪の方へと身を乗り出す。

「きみがもっと自分を守ることに積極的だったら、隠し事なんかしなかった」
 その口調があまりに激しかったから、青木はその場を動けなくなる。薪と付き合い始めた頃、その秘密が小野田にばれて此処に呼び出された。警察庁ナンバー3の恐ろしさを、そのとき青木は初めて知ったのだ。
 あの時と同じくらい。小野田は怖かった。

「この際だからハッキリ言わせてもらう。彼女の死は犠牲なんかじゃない。きみの危険を顧みない姿勢が彼女を殺したんだ。
 これまでだってそうだ。きみのせいでどれだけ岡部くんや青木くんが危ない目に遭ってきたか。きみが現場から遠ざかり、自分の身を安全な場所に置くよう心掛けていれば、彼らを危険に晒すようなことはなかったはずだ。
 ああ、頼むから『頼んでない』とか子供みたいな言い訳はしないでくれよ。これ以上イラついたら脳の血管が切れそうだ」
 相手に台詞を盗られて、薪の口が開いたまま止まる。反論する隙を一ミリも与えず、小野田は薪を糾弾した。
「3年前の事件だってそうだ。きみは第九や青木くんを守りたかった、そのために自分の命さえ懸けた。ふざけるんじゃないよ!」
 怒りに任せて叩いた机の音が、薪の肩を強張らせる。そのとき薪の舌を上あごに張り付かせていたのは、恐れよりも驚きだった。
 小野田にこんな風に叱られたことは過去になかった。心の準備ができていない彼は驚愕を全身に露呈させ、だけどそれは薪が小野田に心の底で甘えていた証拠でもあった。命令違反をしたばかりの彼が上司の部屋を訪れたのだ。叱責を覚悟していない方がおかしい。その自覚が薪にあるかどうかは微妙なところだが。

「青木くんもそうだけど、きみたちは自分を簡単に投げ出し過ぎる。このままじゃいずれ破滅するぞ」
 脅しつけるように言って、小野田は官房長の椅子に腰を下ろした。第九の室長席よりも一回り大きく、高級な皮で作られた椅子は小野田を大きく見せる。青木の方が身体は大きいが、椅子に負けそうだと思った。
「相手のために自分を犠牲にすることが、必ずしも相手のためにならないこと。それを一番よく分かっているのは薪くん、きみだと思っていたけどね」
 薪はもう、顔を上げることができなかった。小野田の言わんとすることはよく分かったし、何度も何度も自分の部下に言われたことだった。

「――鈴木くんも浮かばれない」
 最後の一言を、小野田は少しの間を挟んで言い落した。
 その間隙に、青木は小野田のやさしさを見る。小野田は本当に薪が大事なのだ。だからあの時も。

「ま、そういうことだから。薪くんも次からは気を付けてね。戻っていいよ。青木くんも」
 重苦しく下りた沈黙の帳を、中園の軽妙な声が払う。小野田とは対照的に軽い口調で、まるで父親が子供を叱ったあと母親が敢えて明るく「ご飯にしましょう」と声を張り上げるように。互いに難しい顔をして眼を合わせないようにしている小野田と薪の間を、皮肉屋の中園が修復しようとしているのが分かって、青木はそれでやっと動けるようになる。直属の上司がその上の上司に叱責されている場面なんて、部下には針の筵だ。
 明らかに納得していない様子で、薪がぞんざいに敬礼をする。薪はいつも丁寧に、とてもきれいにお辞儀をするのに、その時ばかりは水飲み鳥のおもちゃみたいに機械的な仕草で、だから青木は慌てて彼の後を追う。薪の心のケアは自分の役目だ。

 二人の部下がいなくなった部屋で、官房室のおしどり夫婦は殆ど同時に息を吐く。これだけ長いこと相棒をやってると、呼吸のテンポまで似通ってくる。
「小野田。鈴木くんのことまで持ち出すなんて、ちょっと厳しすぎない?」
「おまえこそ、いつの間にそんな甘ちゃんになったんだい。ゼロ課を糾弾できない理由を『長官の管轄だ』なんて誤魔化して」
 仲間内の殺人を理由に処分を提起すれば、9年前、同じ状況でありながら降格処分を受けなかった警視正のことが蒸し返される。だから攻めきれなかった。薪はそれを分かっていない。

 怒り冷めやらずの上司に肩を竦めて、中園はバインダーを開く。そこから二、三の書類を抜き出して、小野田の机に置いた。
「薪くんの性格は、そんなに簡単に直らないと思うけど」
 背負ってる過去が過去だからね、と薪の心境を慮る様子の中園に、小野田はあくまでも厳しく、
「薪くんは、あと3年もしたらこの椅子に座ることになる。今までのような一室長でも一参事官でもなくなるんだ。立場を弁えてもらわないと」
「おまえと五十歩百歩って気もするけど」
 いま正に紙面に接しようとしていた判が止まる。睨み上げられて中園は後悔した。しまった、認め印を押してもらってから言えばよかった。
「首席参事官秘書室の備品、新型パソコン5台。今のやつ、まだ使えるだろ」
「でも、3年も経つとスペックが全然」
「却下。贅沢だよ、こんなの」
 突き返された書類の中央にべったりと押された不可の赤判を見ながら中園は、小野田と薪はやっぱり良く似ていると思った。




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青木警視の殺人(22)

 発売日ですね!
 仕事があるので会えるのは夜になりますが、待っててね、薪さん♡


 最終章でございます。
 お付き合いいただき、ありがとうございました。





青木警視の殺人(22)




 警察庁の長い廊下を軍人のように薪は歩く。姿勢を正して速足で、脇目も振らず。後ろから青木が自分を追ってくるのには気付いていたが、和む気にはなれなかった。
「薪さん、歩くの速いです」
 これだけの身長差があるのだから、脚の長さは青木の方がずっと長い。それでも薪の速度に合わせると、青木は急ぎ足になる。

「一人でどんどん行かないでください。ボディガードのオレが困ります」
「自分の身くらい自分で守れる」
 前を向いたまま、薪は言った。
「安全な場所に隠れていたら何もできない。刑事にとって大事なのは保身じゃない。事件を解決することだ」
 横に並んだ部下の顔も見ず言い分も聞かず、薪は官房室で言えなかったことを無人の廊下に向かって捲し立てる。青木に言っても仕方ないことなのに、だって彼は薪の気持ちを理解してくれている。あまり無茶をしないでくださいね、と控え目に零しながらも、薪の行動を妨げたりしない。青木もまた、同じ理念の基に奉職しているからだ。

「僕に官房室の守番になれって言うのか。冗談じゃない」
 階級が上がれば上がるほど、仕事がつまらなくなる。正直、捜査一課で現場に出ていた頃が一番面白かった。
 派閥や利権やしがらみ、そういったものに囚われて徐々に身動きが取れなくなる。それが上層部入りの条件だと言うなら、出世なんかくそくらえだ。
 小野田には感謝している。自分がここまで来れたのもみんな彼のおかげだし、第九の危機を救ってくれた恩人でもある。だけど、これは捜査官としての在り方の問題で、そこを譲ってしまったら薪は警官である意味がなくなってしまう。
 警察官は、市民の安全ために存在すると薪は考える。守るべき市民よりも自分の保身を優先させるなんて、本末転倒ではないか。

 眉を吊り上げて肩を怒らせて、他人を拒否するオーラを全身にみなぎらせる。すれ違った職員が、次々と道を開ける。それも薪が3人並んで通れるほど。まるで小さな戦車だ。
 引き止めるどころか誰も声を掛けられない。氷の警視長全開の薪に、青木はにっこりと笑いかけた。
「よかったですね、薪さん」

 不意に戦車が止まった。ものすごい眼で睨まれる。青木の後ろにいた男子職員が、手に持ったファイルを取り落とす音が聞こえた。
「大丈夫ですか? はい、どうぞ」
 さっとその場に屈み、書類を拾い集めて彼に渡すと脱兎のごとく走り去っていく。青木はもう慣れてしまったが、薪の殺人光線は免疫のない人間には恐怖だろう。

「なにがよかったって?」
 薪は指を2本揃えてピストルの形にし、その場に屈んだままの青木の頬をぴたぴたと叩いた。先刻の男子職員がこれをされたら刃物を押し当てられたように感じたかもしれないが、青木にとっては愛しい人のかわいい手指だ。
 青木は薪の手に自分の手を重ね、改めて薪に微笑みかける。逆三角形だった亜麻色の瞳が、微妙に丸くなった。
「オレは嬉しかったです。小野田さんたちが薪さんのこと、あんなに大事に思ってくれるの」
 薪は一瞬、困惑の表情を浮かべた。それから青木の手をパシッと払う。それは明確な拒絶の仕草だったが、今更これくらいのことに怯む青木ではなかった。
「オレ、ずっと心配だったんです」
 廊下に片膝を着いたままで、青木は言った。
「第九で何か困ったことが起きると、みんな薪さんに相談するでしょう? でも、薪さんが困ったときは何もおっしゃらないから。薪さんの『困った。どうしよう』は誰が聞いてくれるんだろうって」

 みんながあなたを心配してるんです。あなたが大事だから。あなたの役に立ちたいと、みんな思っているんです。
 だから一人で何でも片付けようとしないで。もっと周りを頼ってください。そのために、オレたちはあなたの傍にいるんです。

「小野田さんも中園さんも。薪さんの『困った。どうしよう』をいつでも聞いてくれるって、そう仰ってるんですよね」
「おまえって」
 バカだとか能天気だとか、そういう系統の罵り言葉を青木は予期して、だけどそれはとうとう訪れず。薪はぷいと横を向いて、さっと身を翻した。青木を置き去りにして、すたすたと廊下を歩く。でもその歩みは、先刻よりずっと遅かった。

 青木が苦も無く隣に並ぶと、薪は小さな声で、
「小野田さんにあんなに怒られたの、初めてだ」
 ちょっとやりすぎたかな、とくちびるを尖らす、その様子がまるで親に悪戯を叱られた子供みたいで。青木はほっこりと胸が温かくなる。薪だって、ちゃんとわかっているのだ。自分が彼らに愛されていること。
「大丈夫ですよ、後でちゃんと謝れば。そうだ。小野田さんの好物の茶巾寿司、久しぶりに作ってあげたらどうですか?」
「宇野が五目稲荷食いたいって言ってたな。中身は同じだし、両方作って明日差し入れに行くか」
 切り替えの早い薪らしい。今はすっきりと開かれた眉のカーブの緩やかさと、澄み切った亜麻色の瞳。その柔らかさが青木に勇気をくれる。ずっと薪に言いたかったこと、今なら言える。

「薪さん」
 なんだ、と横目で聞いてくるセルフィッシュな恋人に、青木は真剣な表情で、
「お仕事のことは仕方ないですけど、それ以外のことはオレにも相談してくださいね。オレ、いつまでも子供じゃないです」
 こうして隣に並んでいても、青木と薪の立場には大きな格差がある。まだまだ薪には追いつけない、それどころか離されていく気さえする。

 それでもどうか。何でもいいからオレを頼って。あなたに頼りにされたいんです。

 薪は青木から眼を逸らし、黙って前を向いて歩いていたが、やがてぽつりと言った。
「『困った。どうしよう』」
「はい?」
「職場にいるのに。おまえにキスしたくてたまらない」
 青木はさっと辺りを見回した。廊下の曲がり角近くに女子職員の背中、奥のエレベーターは地下2階、反対側の角に人はいない。あの娘が角を曲がったら。

「そこ、座って。眼、つむれ」
 ブラボー、オフィスラブ!
 素早く床に正座して眼を閉じる。恋に落ちたばかりの少年のように、心臓がドキドキする。こんな場所でキスなんて初めてだ。恋人関係も7年、慎重な薪がスリルを求めるようになっても不思議ではない年月だ。
 青木はじっと薪のくちびるを待った。せっかくの薪のアプローチに余計な手出しをしたら、台無しになってしまう。ここは薪のリードに任せて、あれ、でも随分タメが長いな、焦らしてるのかな、その方が気分は高まるけどあんまり長いと誰か来ちゃうんじゃ。

 青木の嫌な予想は当たり、やがて聞こえてきたのは中園の声だった。
「何してるの、青木くん。お地蔵様ごっこ?」
 眼を開ければ首席参事官の怪訝な顔。慌てて周りを見れば、廊下の突き当たりのエレベーターの中で薪がニヤニヤと笑っていた。
『バーカ』
 エレベーターのドアが閉まる寸前、読み取った薪のくちびるはいつも通りの憎まれ口だったけれど。きっと、薪は警察庁の出口で自分を待っていてくれると青木は思った。


―了―


(2014.8)


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モンスター(1)

 こんにちは。

 6万拍手ありがとうございました!
 ご新規さんも常連のみなさんも、どうもありがとうございます。特にご新規さんは、過去作から読んで行こうと思うと記事数が多いから大変でしたよね。お疲れさまでした。

 感謝を込めまして、こちら、お礼のドSSS、です。
 なんか白い目で見られてるような、何回恩を仇で返せば気が済むんだとか思われてる気がしますけど、ごめんなさい、自分が面白いと思うものしかわたしには書けません~(それがドS話って人としてどうよ?)
 てか、自分が書いてて面白いと思えないものは人が読んでも面白くないと思う、きっとそうだと思う!(だからそれがドS話って以下略)

 どうか広いお心で、よろしくお願いします!
 ほんのちょっとでもお楽しみいただければ幸甚でございますっ。
 
 

 


モンスター(1)





 母が、ごぼりと血を吐いた。咄嗟に押さえた右手の骨ばった指の間から、母の生命が零れ落ちていた。
 ナースコールのボタンを押そうとして止められた。いいの、と血塗れの手でシャツの裾を掴まれた。
 私のお気入りのシャツが黒ずんだ血で汚れた。母の中は病魔に荒らされて、真っ黒に腐ってしまったのだと私は思った。だからこんなに血が黒いのだ。赤いはずの血が黒い。
 だけどそれは私の思い違いだった。

「母さんはもう長くない。だからあなたが」
 母は患者衣の袂から一枚の写真(それは雑誌の切り抜きであった)を取出し、いつものように私に見せた。
「あなたが、きっと仇を討って。この男を和也と同じ目に遭わせて」

 悪いのは病ではない。病は人に苦しみを与えるが、悪ではない。
 母の中身を腐らせたのはこの男。夜ごと母が恨み言を向けていた写真の男だ。

 私は母から写真を受け取った。力強く頷いて見せる。
 母は、それでやっと落ち着いたようだった。ベッドに横たわり眼を閉じる。やせ細って顔色は青白く、口の周りを吐血で赤黒く染めた母は、まるで北欧の霧の夜を彷徨うモンスターのようだった。

 私はナースコールを押し、駆け付けた医師たちに母を任せた。母の治療をするのは私の仕事ではない。私の仕事は別にある。
 私は廊下に出て、病棟の端まで歩いた。周りに誰もいないのを確かめて、母に託された写真を見る。
 繰り返し母に突き付けられたその画像は、もはや見るまでもなく私の脳裏に焼き付いていた。亜麻色の短髪に亜麻色の瞳の美しい青年。仕立ての良いダークグレイのスーツに臙脂のネクタイ、やや襟の立った真っ白いワイシャツ。インタビュアーに向けて微笑みを浮かべる、その白い頬に母の吐血が、彼女の怨念そのままにべったりと付着していた。

 この男を、兄の和也と同じ目に遭わせる。殺人鬼の手に落ちて、弄ばれ慰み者にされ、二目と見られない姿になって死んだ兄と。そっくり同じことをこの男に。
 それが怪物の子供である私の仕事だ。



*****



 静かな熱意に満たされた執務室に、派手な衝突音が響いた。思わず全員が振り返る。自動ドアの傍に転がった資料箱、その隙間から覗いた29.5センチの靴。どうやら捜査一課から資料を運んできた青木が、書類棚にカートごと突っ込んだらしい。

「大丈夫か、青木」
「すみません、お騒がせして。大丈夫です」
 書類の下からマッコウクジラが海面に上がるみたいに、やや乱れたオールバックが顔を出す。散らばった書類を拾う彼に手を貸しながら、でも言葉は辛辣に小池は笑った。
「おまえじゃなくて書類だよ。転んだはずみに一枚でも破損してみろ。ブリザードが吹き荒れるぞ」
「安心しろよ、青木。薪さんなら外出中だから」
「あ、バカ」
 小池の横で彼と同じように書類を集めながら青木にフォローを入れた曽我の、30才を超えたあたりから筋肉と脂肪の割合が逆転してきている脇腹を、こちらは一向に太る気配の無い小池の尖った肘が軽く突く。それから小池は、曽我にしか聞こえないように声を潜めて、
「あの新人に薪さん取られて、青木が落ち込んでるの知ってるだろ」
 ぴくりと青木のこめかみが震える。だがそれはメガネのフレームに隠されて、小池たちの目には映らなかった。青木が何も言わないのをいいことに、二人の会話は非情に続く。

「今だって、そいつをお供に連れての外出中じゃないか」
「そんなの考えすぎだよ。薪さんはただ仕事に支障が出ないように、まだ新人で、単独で事件を持たせられない職員を同伴してるだけで」
「他の事ならともかく、薪さんのことだぞ。青木に理屈なんか通るかよ」
 青木は第九の捜査官だ。声のトーンを落としても口元を隠さなければ、内緒話は意味がない。てか小池さん、だんだん声大きくなってませんか?

「目の前で他の男が薪さんの横にべったりくっついてんだ。青木が冷静でいられるわけがない」
「俺も小池が正しいと思う。青木、このごろ元気ないし」
 あの、今井さん。書類拾ってくれるのは嬉しいですけど会話には加わらなくていいですから。て言うか放っておいてください。
「わたしも同感です。見落としようもない目前の書類棚にカートごと突っ込んだのは、その証明とも言えます」
 山本さん。証明いらないです。
「昨日なんか青木、昼メシ弁当1個だったんだぜ。午前中、薪さんが新人に付きっきりでMRIシステムのレクチャーしてたから」
「おやつのドーナツも1個しか食べてませんでしたよ。よっぽど思い詰めてるんですねえ」
 小池さん、山本さん。オレの精神状態、食欲だけで測るのやめてくれませんか。
「青木が人に自慢できることって言ったら身長と食欲だけなのにな」
『第九で一番温厚なのは今井さん説』を否定するつもりはありませんけど、時々ぐっさり刺しますよね。
「もう少し取り柄があればな。岡部さんみたいにSP顔負けの強さとか、小池みたいに語学に堪能とか、山本みたいに法律に強いとか、宇野みたいにハッキングが得意とか」
 曽我さん、最後のは犯罪です。
「「「「青木ってなんか、全部中途半端なんだよな」」」」
 余計なお世話です、てか誰も声抑えてないし!

 微妙な問題に土足で踏み込んでくるような同僚たちの態度は、しかし彼らの気遣いだと青木には分かっている。プライベートの悩みを表には出さないつもりでいたが、みんなに心配を掛けていたのだと知った。
「すみません、みなさん。本当に大丈夫ですから」
 青木が健気に笑顔を取り繕う、その努力を吹き飛ばすように若者の明るい声が響いた。

「荒木翔平、ただいま戻りましたー!」
 カラッと晴れた青空のような声が執務室に爽風を運んでくる。9月に配属になった第九の新しい顔は、24歳のキャリア組。現場慣れしていないキャリアの新人はあまり採りたがらない薪が二つ返事で受け入れを承諾した、希少なケースだ。面談時に聞いた彼の配属希望動機が『薪室長に憧れて』と言う聞き覚えのある事由だったことも、気難しい室長の首を縦に振らせる要因になったのかもしれない。

「あ、青木さん、すみません! 捜一から資料取って来てくれたんですね。ありがとうございます。後、おれがやります」
 素早く床に屈み、箱に戻し切れていない書類をサササッと集める、荒木はまるでコマネズミのようだ。くるくると実によく動く。
 身のこなしもさることながら、外見も良く似ている。小動物、それも動きが素早いハムスターとかウサギとかのイメージだ。小柄で細身の体躯がその印象を助長し、黒目がちのくりくりした眼に八重歯がかわいいと、庶務課の女子職員の間でも評判である。
 その仕事ぶりは見ていても気持ちがいいくらい溌剌としている。今、荒木が行っているのは捜査資料の用意であって、特段面白いものではない。それでも彼は意欲的に、楽しそうに仕事をする。そんな彼は徐々に、第九の新しいムードメーカーになりつつあった。

 薪から聞いた話だが、「新人にとって一番重要な仕事はなんだと思う?」と言う薪の問いに荒木は、「先輩方の補佐です」と迷わず答えたそうだ。その時点で薪は彼の採用を決めていたらしいが、わざと意地悪な質問をしてみたと言う。
「えらく消極的だな。手柄を立てる気はないのか」
「ありますけど。それが一番の近道だと思いますので」
「それはなぜ」
「教えてもらうより盗んだ方が、高いスキルが身に付くからです。受け身ではなく、能動的に探して盗む。おれはずっとそうしてきました。それには補佐の立場が最適なんです」
 その言葉に偽りはなく、荒木が第九に来てから青木の仕事は半分になった。買い出しや資料作りなど、今までこなしていた雑用の殆どを、彼がしてくれるようになったからだ。同じ後輩でも青木より年上の山本と違って、雰囲気が軽くてノリもいいから仕事が頼みやすい。手早で、何をやらせても器用にこなす。今まで研究室の中で名前を呼ばれる回数は青木がダントツで多かったのだが、今は荒木が取って代わっている。

「荒木。後でいいから、僕の部屋にコーヒー持ってきてくれ」
「はい室長! すぐにお持ちします!」
「あ、いいよ、荒木。続けて」
 スキャナーのトレイに資料を差し込む手を止めて給湯室へ向かおうとする荒木を、青木は引き止めた。荒木の仕事は急ぎだ。この資料をハードディスクに転送しないと捜査が始まらない。だから薪も「後でいい」と付け加えたのだ。
「室長のコーヒーならオレが」
「青木」
 呼びかけられた、薪の声にどきりとする。あまり好意的な声ではない。
「周りのことも考えろ。警視のおまえにいつまでも雑用をやらせておけるほど、第九は暇な部署なのか」
 厳しい言葉だけを残して去って行く薪に、青木は素直に返事をすることができなかった。薪の言うことは正論だが、最近の薪はあまりにも。

「薪さん、あの!」
 室長不在の間の報告を岡部から受ける薪の背中に、青木は走り寄る。室長と副室長の会話を遮るなど、よほどの大事でなければしない青木だが、そのときは何故だか言いようのない不安に襲われていた。
 なんだか薪が、自分から離れていくような気がして。

「今日のお帰りは何時になりますか」
 振り向かせたものの、緊急の用事があるわけではなかった。結局青木は半日も先の予定を確認すると言う行動に出て、それは自分でも不自然だと思ったが、薪は事務的に答えただけだった。
「送迎はいい」
「お仕事ですか?」
「いや。今日は荒木の家に行く」
「えっ」
 青木は思わず、岡部と薪の間に割って入った。自分の身体で薪を岡部から隠すようにしてコソコソと話す。こうしないといくら声を潜めても、岡部に唇を読まれてしまう。
「ど、どうしてですか」
「どうしてって……じゃあ、荒木を家に入れてもいいのか?」
「それはダメです!」
「だったらこっちが出向くしかないだろ」
 行かないと言う選択肢はないのか。

「室長。コーヒー入りましたけど」
 青木さんもどうぞ、と声を掛けられて気付く。トレイに8つのコーヒーを載せた荒木が、後ろに立っていた。仕事の早い新人は、ついでにと全員分を淹れたらしい。
 後でいい、と室長は言ったのに。コーヒーを持ってきたのが青木だったら「人の話はちゃんと聞け」とお小言を食らうところだが、
「室長のは大盛りにしておきましたね!」
 これが荒木のキャラクターだ。
 白いボーンチャイナには、縁切りいっぱいにコーヒーが注がれている。よくこぼさずにここまで持ってこれたものだ。

 薪は苦笑して自分のマグカップを取り、その場で一口飲んで量を減らすと、岡部を伴って室長室へ入って行った。その後ろ姿を眼で追いながら、荒木が呟く。
「まだまだだなあ、おれ」
 青木の肩の下で、荒木の薄茶色の頭が軽く振られる。荒木の身長は薪と同じくらい。見下ろせば、くりっとして愛嬌のある眼が、尊敬を湛えて青木を見上げていた。
「やっぱり違うんですよねえ。青木さんのコーヒー飲んでるときと全然」
 荒木は本当にいい後輩だと思う。仕事は一生懸命だけど、決してでしゃばることはない。さっきだって薪が口を挟まなかったら、素直に青木の言葉に従っていただろう。みんなにも可愛がられているし、薪だって。

「青木さん。今度また、コーヒーの淹れ方教えてくださいね」
「ああ」
 無邪気な笑顔に微笑みを返しながら、青木は自己嫌悪に胸を焼かれる。自分は荒木に嫉妬しているのだ。みんなに眼を掛けてもらえる第九の新人、かつて自分がいたその場所で、たくさんの愛情を受けて成長していく彼に。



*****
 
 不吉な書き出し、薪さんは若い新人と浮気中。これをどうやって楽しめと……どうもすみません……。

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モンスター(2)

 こんにちはー!
 仕事にかまけてブログほったらかしてすみません。下水の書類と道路の現場、思いっきりブッキングしちゃいましたー(@@;)
 まだ書類終わってないんですけど、とりあえず、続きをどうぞ! (コメントのお返事はもう少し待ってくださいね(^^;)


 最初に説明するの、いっつも忘れちゃうんですけど、
 この話の時期は2068年の10月です。「青木警視の殺人」の後ですね。よって宇野さんは入院中です。彼がいればもっと違う展開になってたはずなんですけどね、そこはそれ、ご都合主義ってやつでww


 それと、
 連日、たくさんの拍手をありがとうございます。過去作を読んでくださってる方、どうもありがとう。10日連続で3ケタとか多分初めて、あ、1日に300超えの拍手も初めてです。ありがとうございます。
 拍手していただいた話、どんなんだっけ、と開いてみるたびにヘンな汗いっぱいかいてます、いろいろな意味ですみませんです、でもうれしいです。これからもよろしくお願いします。




モンスター(2)





 来週のシフトについて薪と話しながら、岡部は部長会議の資料を整理していた。普通の会議資料なら荒木に任せるのだが、部長会議ともなると機密もAランクだ。新人には見せられない部分も出てくる。
「じゃあ、来週のメンテナンス当番は予定通り荒木と今井で」
 MRIのメンテは概ね宇野が受け持っていたのだが、彼は8月の事件で重傷を負い、入院中である。これをスキルアップするチャンスだと考えた室長の独断で、その間のメンテは全員でローテーションすることになった。

「それにしても、荒木は掘り出しものでしたね」
「そうだな。警大卒業したばかりの新人はこりごりだと思ってたけど、あいつは使える方だな」
 薪の言葉に頷いた拍子に、びり、と音がして手元の紙が斜めにずれた。広げて見れば綴じ穴が破れて、仕方なく岡部は補強シートを取出すが、これが小さくて薄くて、剥がすのにもコツがいる。イライラが顔に出て、何処から見ても凶悪犯の顔つきになっている岡部を見かねたらしい、薪が岡部の手からシートを取り上げた。
「岡部は日曜大工は得意なのにな」
 岡部の太い指先で二つ穴ファイルに書類を綴じるのは、結構な苦行だ。紙類は簡単に破れすぎる。引き替え、荒木はこういう作業がとても上手い。

 科警研内の通達類の回覧及び回答書の取りまとめ、庶務課に上げる伝票の作成等は、もうすっかり荒木の仕事になっている。それでいて、定時には机の上はきれいに片付いているから驚きだ。新人の仕事と言うのはとにかく時間を喰うものだ。昔の青木などはその典型だった。だから青木はいつも最後まで職場に残っていた。まあ彼の場合は、別の目的もあったのかもしれないが。
 荒木の仕事は時間が短い分、青木に比べるとやや荒いが、新人に任される仕事にそれほどの精度を求められるものはない。作業内容に相応しい時間配分と言えた。

 やがて岡部の前に差し出されたファイルは、シート補強が為され、きれいに綴じ直されていた。荒木より素早く、青木より丁寧な仕事。薪のオールマイティには脱帽だ。
「すいません」
「謝らなくていいから、うちのクローゼット直してくれ。青木がぶつかって、折れ戸のレールを曲げちゃったんだ」
「レールを曲げたって。家の中でなにやってんですか」
「だってあいつが悪いんだ。姿見があるからってクローゼットの中で――、ななな何でもないなんでも、あ」
 びりりっ、と派手な音がして薪の持っていた報告書が破れた。慌ててセロファンテープを貼るが、ワタワタしながら貼っ付けるもんだからあちこち重なっちゃって、3枚くらい完全にくっついちゃってますけど報告書の役割果たしてますか、それ。
 薪は失言に頬を赤くして、しわくちゃになった報告書に青くなって、頭を抱えてぐしゃりと髪の毛を掴み、靴先で机の脚をガンと蹴り飛ばして、
「くそ! 青木のやつ!!」
 最終的にはそれですか。

 少々懸念していたこともあったのだが、この様子なら問題ないと岡部は判断した。心配なのは青木の方だ。他人のプライベートに口出しするのは岡部の主義ではないが、この二人は特別だ。特に薪の方は、時々とんでもないことを考えていたりするから油断がならないのだ。
「薪さん。ちゃんと青木をフォローしてますか」
「青木がどうかしたか?」
「……なんでそう」
 心底不思議そうな薪の顔に、岡部はまるで頭痛に苦しむ人のように額を押さえる。わざとらしく溜息を吐くと、薪はますます怪訝な顔になった。
「ご自分のことになるといきなり鈍くなっちゃうんですよね。分かってましたけどね」
 事件のことなら一を聞いて十どころか百を知る薪だが、こういうことはハッキリ言わないと通じない。恋愛センサーが鈍感、と言うより欠落しているのではないかと、岡部は密かに疑っている。

「荒木に薪さんを盗られて青木が凹んでる、て噂になってますよ」
「なんだそれ」
 途端に険しく眉を顰めた薪に、岡部は焦る。みんなが二人の関係を知っていることは、薪には秘密なのだ。
「まあそれは言葉のあやですけど。今まで青木に向けられていたみんなの関心が、より手の掛かる荒木に移って、青木が精神的に不安定になってるってことですよ。要はあれです、弟ができた兄貴の心境」
「バカバカしい。いつまでも新人でいられるわけがないだろう」
 岡部だって、これが職場だけの事なら切り捨ててしまえる。男がケチな考えを持つんじゃないと、青木を叱責するだろう。しかし青木の心を乱しているのは今まで彼を可愛がっていた先輩たちではなく、たった一人の人物だ。
 そのたった一人の人物だけが実情を理解していないと言う、青木にとっては誠に残念な状況になっている。世界中の人間が青木より荒木を好ましいと思っても、薪さえ自分を選んでくれれば青木は幸せなのだ。反対に、世界中の人間が青木を好きだと言っても、薪の好意が他の人間に向けられたら青木は生ける屍になる。それなのに。

「大丈夫だ。青木はそんなに子供じゃない」
 分かってない。全然、わかってない。
 ここはきつく言っておかないと、こじれて泣きを見るのは薪だ。そうなれば自分にもとばっちりが来る。何度かそんな目に遭ってきて、先の展開が見えるようになった。

「いいですか、薪さん。思ったことは言葉にしないと、相手に伝わらないんですよ」
 薪が目を落としていた報告書に自分の右手を被せ、薪の視線を強引にこちらに向けさせる。仕事の邪魔をされるのが嫌いな薪が不機嫌に寄せた眉の下、険を含んだ亜麻色の瞳に向けて、岡部は精一杯の真心で訴えた。
「苦手なのは分かります。でも伝えることは大事です。そのために人間は言葉を持っているんです」
「よく言った、岡部」
 称賛と同時に、岡部の右手が薪の両手に包み込まれた。三白眼をぱちくりと瞬かせて見れば、宝石のようにキラキラと輝く亜麻色の瞳。

「雛子さんに気持ちを打ち明ける気になったんだな。心から応援するぞ。僕は何をすればいい?」
 そっちに飛ぶか、この男爵は。
「夜景のきれいなレストランを予約してやろうか。それともホテル? いっそ、部屋取っちゃうか?」
 母親相手にホテルの部屋で何をしろと。
「そうだな、普通に告白したんじゃ笑われてお終いだよな。じゃ、こういうのどうだ。岡部が事故に遭って死にそうだって僕が彼女に電話して、駆けつけてきた彼女はそこでやっと自分にとって誰が一番大切か気付いて」
 青木ー。だからこの人に昼ドラと韓流ドラマは見せるなって言っただろー。

「どうだ岡部、僕の計画は完璧だろう。善は急げだ。さっそく電話を」
「頼みますから何もせんでください!」
 叫んで椅子から立ち上がり、岡部は脱兎のごとく部屋を出る。唐突に開いたドアにぶつかって山本が吹っ飛んだらしく、モニタールームはちょっとした騒ぎになった。
 扉のこちら側では薪が、頬杖にくだけた表情で、
「照れちゃって。岡部は奥手だな」などと見当違いのことを呟いていた。



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モンスター(3)

 映画の追加キャストが発表されましたね。
 鈴木さん。期待を裏切らない爽やかイケメンくんですね。薪さんの初恋の人として魅力十分です。生田さんと並ぶと攻守が逆転しそうですけど、そこはご愛嬌。
 奈々子ちゃん。ご出演、おめでとうございます。好きなキャラなので嬉しいです。天然ぶりが楽しみです(^^)
 岡部さん。出演なさると信じてました。ワイルドさがめっちゃ素敵です。遠慮なく主役食っちゃってください♪
 今井さん。ご愁傷様です。<おい。
 いや、最初貝沼役かと思っ、……なんでもないです、すみません。大倉さんファンの方にもごめんなさい。






モンスター(3)





 参考書のページをめくる指が中途で止まり、指先の力がふっと抜けた。ページが自然に下に落ちるのに指は空に取り残されたまま。青木の頭の中には暗記の最中だった刑事訴訟法第81条とは何の関係もない、上司と後輩が楽しそうに話す光景が浮かんでいる。
 ハッと我に返って参考書に眼を落とすが、何処を読んでいたのかも思い出せない始末。机の上の時計は11時を回っている。独りの夕食を終えて直ぐに始めた学習時間は3時間にもなるのに、進んだのはたったの1章だ。捗らないにも程がある。
 学習効率の悪さに嫌気が差したか、青木は参考書を投げ出し、椅子の上で伸びをした。
「あー。きっと今年もダメだあ」
 青木が取り組んでいるのは、警視正昇任試験のための参考書だ。キャリア用に作られた、それもふるい落としが目的の試験だからひどく難解で、意地の悪い問題ばかりが出題されている。はっきり言って、警視の昇任試験とは比べ物にならない難しさだ。

 警視の試験の時には薪がノートを作ってくれた。でも今回は何もしてくれない。簡単なアドバイスすらも。
 それは怠慢ではない。薪曰く、
「他人に試験の手伝いをしてもらうようでは警視正の仕事は務まらない」
 例え試験に通っても役目が果たせなくては意味がない。実力を身に付けなければ後々苦しむのは当人だと、それは正論だと思うが、ぶっちゃけ青木は寂しい。
 なにもしてくれなくていいから、がんばれよ、と一言励まして欲しい。試験は来月に迫っているのに、家で青木が参考書を開いていても薪は横目で通り過ぎるだけだ。

 以前の薪はもっと、青木の出世に積極的だったように思う。「早く警視正の試験に受かれ」と事あるごとに言われていたのに、最近は聞かなくなった。何故だろう。
 薪の変化に理由を求めて、青木は恐ろしい可能性に行き当たる。
 薪は自分に見切りを付けようとしているのではないか。だから何も言わなくなった。こいつには期待しても無駄だ、と。
「……やばい」
 新人にヤキモチを妬いている場合ではない。頑張らなければ。薪に置いて行かれるどころか捨てられる。

 気持ちを切り替えようと、青木はキッチンでコーヒーを淹れることにした。ドリッパーを出そうしたが、時刻を考えたら面倒になった。自分用だし、インスタントで充分だ。
 滅多にないことだが、薪にインスタントを飲ませるときはまず少量の水で粉を溶いてからお湯を注ぐ。こうすると滑らかで丸みのある味が出る。知識はあったが自分のためとなるとそれも億劫で、湯を注いだ後にかき混ぜる作業すら放棄して、するとカップの内側に溶け残った粉が付着したままの何とも不格好なコーヒーが出来上がった。第九のバリスタが聞いて呆れる。

 シンク左手の調理台の前で無様なコーヒーを飲みながら、青木は効率的な学習計画を頭の中で組み立てる。……つもりだったけれど。
 どうしても考えてしまう。今も一緒にいるであろう二人のこと。

 今日は定時退庁の水曜日。研究室は6時に閉めたのだから、もう5時間にもなる。食事をしてから一杯飲んだとしても少々長すぎやしまいか。そもそも平日の門限は夜の10時だ。別々に住んでいた頃、翌日の仕事に差し支えるからと、青木は何度マンションを追い出されたことか。それが11時を回っても帰ってこない。
 薪が荒木を気に入っているのは分かっている。小器用で仕事の飲み込みが良く、応用が利いて、一つ教えれば十をこなすタイプ。青木はそうではなかった。不器用で、仕事を覚えるのも遅かった。鈴木に顔が似ていると、ただそれだけで薪に眼を掛けてもらえたのだ。最初から自分の実力で薪の眼鏡に適った荒木とは違う。
 薪は本当は荒木のような部下をこそ望んでいたのではないかと、そう思うと、7才も年下の後輩に対する羨望が沸き上がってきて、それが青木の心を乱れさせる。自分でも情けないと思う、でも止められない。薪が絡んだ時の青木の嫉妬深さは折り紙つきだ。長いこと、死んだ人間にまで嫉妬していたくらいなのだ。

 あと30分待って、帰ってこなかったら薪に電話をしてみようかと、思いかけた時に玄関のロックが外れる音がした。薪が帰ってきたのだ。
 走って行きそうになる脚を根性で止める。少し落ち着かなければ。こんな気持ちで薪の顔を見たら責め立ててしまいそうだ。しかし。
「いい匂いだな。一口飲ませろ」
 こんな場面では必ずと言っていいくらい、薪は青木の努力を裏切ってくれる。薪自身、こちらの方面に於いてはトラブルメーカーの資質があるのだ。
 そのときも薪は鞄だけをリビングの床に置き、上着も脱がずにキッチンにやって来た。調理台に向かう形で立っていた青木の横に、それとは逆のダイニングの方を向いて、青木の手からカップを奪い、飲みかけのコーヒーを口に含んだ。
 肩越しに見える、薪の小さな頭と長い睫毛。亜麻色の髪から立ち上るコーヒーと微かな百合の香。飲酒はしていない。風呂にも入っていない。そこまでは考えないつもりでいたけれど、ささくれていた心が一瞬で凪いだのは、心のどこかで疑っていた証拠かもしれない。

「……マズイ」
 しまった。あのいい加減に淹れたコーヒーを薪に飲ませてしまった。青木は慌てて薪からマグカップを取り上げ、赤点の答案用紙を親の眼から隠す子供のように彼の眼に届かない場所に置いた。
「座っててください。ちゃんとしたの淹れますから」
「いや、いい。今日はもう休む」
 時刻は11時20分。確かに、コーヒーを飲むには不適切な時間だ。
 だが、それはあまりにも素っ気ない口調だった。こんな時間に家に帰ってきて、一緒に暮らしている恋人の顔を見て、遅くなったことを謝るでもなく独りにした恋人の機嫌を取るでもなく、いつもとなんら変わりない横柄な態度。一言でもフォローを入れてくれたら、青木だってそんなことを聞かなかった。
 軽やかな足取りでリビングに戻る薪の背中に、青木はその質問を投げつけた。

「荒木の用事はなんだったんですか」
 キッチンの入り口で足を止め、肩越しに薪が振り返る。形の良い耳と右の頬がやっと見える角度。このアングルだと薪の睫毛はことさら長く見える。
「荒木は一人暮らしでな。食事がレトルトと外食ばかりだと言うから、簡単な料理を教えてやったんだ」
「そんなことですか?」
「そんなことって、大事なことだぞ。食生活は健康管理の」
「オレが行きますよ!」
 訪問の目的に驚いた青木が薪の言葉を遮ると、薪は心外そうにこちらを向いた。眉間に縦皺が寄っている。不快の証だ。でも青木はもっと不愉快だった。
「そんなの、忙しい薪さんがわざわざ家に行ってまで教えることじゃないでしょう? 警視のオレが雑用するのはおかしくて、警視長の薪さんが料理を教えに行くのはおかしくないんですか」
 絶対に自分が正しいと思った。職場での薪の世話を荒木に任せた、そのことで青木がどれだけのストレスを抱えているか、少しは察して欲しい。仕事だから仕方がないと自分に言い聞かせているのに、プライベートまで新人に奪われたら青木の理性なんか簡単にぶち切れる。

「もう二度とこんなことは」
「おまえが新人の頃」
 今度は薪が青木の台詞を奪う。やられたことはやり返す主義の薪は、青木の無礼にきっちりと報復を、意見には隙のない反論を返してきた。
「僕はおまえを家に招いて、料理を基礎から教えてやった。それと同じことをしているだけだ。おまえに責められる筋合いはないと思うが」
 言われてみればその通りだ。図々しく薪の家に押しかけて、それはもう数えきれないくらい夕飯を食べさせてもらった。それに比べたら家に訪ねて来ないだけ、荒木は遠慮深いのだ。
「でも、こんな時間まで」
「おまえ、よく僕の家に泊まって行ったじゃないか」
 それも薪の言う通り、でもでもでも。
「あなたが好きだったからですよ! 少しでも長く一緒にいたくて!」
 青木が怒鳴ると、薪はぽかんと口を開けた。
 鈍い人だと思った。いま初めて薪は気付いたのだ。青木が怒っていることに、そしてその理由に。

「悪かった。少し話し込んでしまってな。荒木の家族の事とか」
 薪は青木に歩み寄り、遅くなった理由を説明した。荒木の家は確か荻窪。職場からは30分、ここからは地下鉄で2駅。移動時間が1時間に満たないのに、「少し話し込んだ」だけで5時間は長すぎる。
「本当に、食事をしただけなんですよね?」
 その質問が薪を激昂させたのは分かった。周りの空気がズンと重くなったからだ。それでも取り消す気にはなれなかった。荒木が第九に来て1月余り、溜めに溜めたストレスだった。

「何を考えている。荒木はおまえの後輩だぞ。山本と同じだ」
 違います、と青木は心の中で激しくかぶりを振る。
 立場は一緒でも、山本と荒木では全然違う。山本は青木の気持ちを知っている。薪との関係も。荒木以外の職員はみな知っているのだ。ただ薪にはそれは言ってない。薪の性格を考えると、知らせることはマイナスにしかならないからだ。
 薪も誰も気付いていないけれど自分には分かる。荒木は薪が好きなのだ。同じ人に恋をしている者同士、言われずとも分かる。ずっと昔の話だが、竹内のこともすぐに分かった。
 その眼はいつも薪を追っている。その耳はいつも薪の声を拾おうとしている。薪に呼ばれれば喜び勇んで馳せ参じ、仕事を頼まれれば何よりも優先してそれをこなす。新人の頃の青木と同じだ。
 だから心配で堪らなくなるのだ。荒木はまだ24才。その若さで好きな人と二人きりで5時間もいて、何のアクションも起こさないでいられるか?

「そんなのは青木らしくない」
 らしくない? じゃあ「らしい」ってなんだ。
 薪が考えているより、自分はずっと低俗な人間だ。薪の関心が自分以外の人間に向けられるのが面白くない、他の人間が薪に触れるのが許せない。いつもいつもそんなにキリキリしているわけじゃないけれど、でも今夜は天使になれそうもない。
 ――だめだ、こんなんじゃ。仕事で神経擦り減らして帰ってきた薪を癒せない。

 俯いてしまった青木が、あまりにも打ちひしがれているように見えたのだろうか。薪は後ろ頭に手をやって髪を掻き上げると、青木のシャツの裾を軽く引っ張った。
「風呂に入るけど。おまえ、どうする?」
「……オレは後で入ります」
 それは薪にしてみれば精一杯の譲歩だったのだろうけど、青木にはそれを受け取る余裕がなかった。
 薪の誘いに乗って一緒に風呂に入ったら、露呈してしまうと思った。いくら抑えても、目が勝手に探してしまう。薪の身体に情事の痕跡を。青木以外の男と触れ合った徴を。
 そんなものは探しても見つからないと、薪の態度が物語っている。身の潔白を証明するためにも風呂に誘ったのだと思う。だが青木は、自分がこれ以上最低の恋人に成り下がるのが耐えられなかった。

「そうか」と薪はあっさりと青木のシャツを放し、キッチンを出て行った。
 やがてシャワーの音が聞こえてくる。青木はそれでようやく忘我から解放され、すっかり冷たくなったコーヒーをシンクに捨てた。




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モンスター(4)

 こんにちは。
 めっきり寒くなりましたね。現場の風が冷たいです。

 映画化の影響なのか、新しい秘密ファンの方、増えてるみたいですね。或いは、映画化がきっかけで再燃された方とか。
 うちにも何人か来ていただいてるみたいで、ここ1ヶ月くらい、拍手の数が半端ないです。1ヶ月で4000超えとか、ありがとうございます。そろそろ次のお礼SSのネタ、仕込んでおかないと、あ、でも、今やってる道路工事が来年の5月までだから……来年の夏でもいい?(^^;

 こういうの書きたいなあって言うのはあるんですけど、みなさん、「プライド革命」という神曲をご存知ですか?
「銀魂」のOPになってたんですけど、これがすごくいい歌なんですよ。鈴木さん亡き後、必死に第九を守る薪さんにぴったりなの。
 一部、歌詞を抜粋しますと、
「弱くたって 立ち向かうんだ 理由なら きみ(鈴木さん)にもらった」←自動変換機能ON
「声にならない 叫び声が 胸の中 震えてるんだ」
「今は 一人じゃない 胸が熱いよ 勇気(ちから)なら きみ(青木さん)にもらった」←自動…
「守り抜くために 闘うよ」
 てな具合で、これで1本書きたいな~、て。

 はい、ご想像通り、色気のない話になりそうです(笑)




モンスター(4)





 湯船に浸かって腕を上に伸ばし、薪は大きな欠伸をした。肩を回して凝りをほぐす。肩凝りは薪の、何年も前からの深刻な悩みだ。

 言えば青木が岡部直伝のマッサージをしてくれる。しかし彼は試験勉強の最中だ。邪魔してはいけないと、ここ1ヶ月ばかりは接触を控えている。と言うのも青木のマッサージは途中からいつも別のことになってしまって、なのに結果的には肩凝りが軽くなるから薪は不思議でたまらないのだが、問題はそのあと二人して寝入ってしまうことだ。ただでさえ仕事と勉強の両立は大変なのに、そんなことに体力を使わせては青木が可哀想だ。
 それでも、週末くらいは彼と触れ合う機会を持とうと薪は考えている。試験勉強でストレスが溜まっているみたいだし、どこかに連れ出せば気分転換にもなるだろう。

 それにしても、と薪は笑いを洩らす。
「青木のやつ、拗ねちゃって。かわいかったな」
 甘い表情からも分かるように、薪は先刻の諍いを針の先ほども気にしていない。小さなすれ違いが起きただけ。あのくらいで壊れるような脆い関係じゃない。
 一生一緒にいようと、心に決めて暮らし始めたのだ。これくらいのことでいちいち騒ぎ立てていたら先が思いやられる――。

 ふ、と薪は嬉しそうに微笑んだ。
 好きな人と過ごす未来を思い浮かべることができる、なんて幸せなことだろう。青木と会ったばかりの頃は想像もつかなかった。自分にこんなにも平穏な日々が訪れるなんて。
 鈴木のことは忘れていない。彼に会いたい気持ちもある。でも、死にたいなんて今は欠片も思わない。
 青木と生きていきたい。命が続く限り、ずっとずっと、彼と一緒に。
 だからこそ。
 薪は今日、荒木の家に行ったのだ。



*****




「すいません。ボロい部屋で」
 近所のスーパーと青果市場隣接の直売所で買ってきた食材を冷蔵庫に収納しながら、荒木は照れ臭そうに笑った。確かに今薪が住んでいるマンションに比べたら貧相な住居だが、どっこい、実は薪は貧乏には慣れている。
「いや。僕の学生の頃のアパートより、かなり上等だ」
「え、うそ。室長って昔ビンボーだったんですか?」
「ああ。小さい頃に両親亡くしてな。親戚に育ててもらったんだ」
 苦労したんですね、と相槌を打ちながらも荒木の手は忙しく動いて、エコバック二つ分の食糧は5分足らずであるべきところに収まった。これが青木なら倍は時間が掛かる。話をするときには必ず相手の顔を見るから手が止まってしまい、冷凍物が融ける、と薪に怒られるのだ。

 ドアを開ければそれで全てが見通せてしまう荒木の住まいを見て、薪は感心したように言った。
「一人暮らしの割にはきれいにしてるな」
 部屋はダイニングを入れて二つしかないから青木のアパートよりも狭い。それでも部屋の中は青木の家より片付いていた。余計なものがないのだ。
「すっきりして気持ちがいい」
「物が買えないだけっすよ。金、なくて」
 荒木は自嘲したが薪には居心地がよかった。薪の部屋も、ずっとこんな風だったからだ。

 オーディオコンポだの観葉植物だの絵画だの、そう言った余計な物を置く気がしなかった。あれば生活が潤うのかもしれないが、欠かせないものではない。だったら必要がないと考えていた。掃除の邪魔になるし、部屋の広さは限られているのだからスペースの無駄遣いだとも思った。
 青木と暮らし始めてから、薪の部屋には雑多なものが増えた。
 ガラスや金属でできたアートオブジェにサンスベリアの鉢植え。ソファの上には色違いのクッションが二つ、床には夏用のラグと雑誌やリモコンを突っ込んでおくマガジンラック。ベタベタのシャガールを飾ろうとしていたからそれだけはやめさせて、無難な風景画にしてもらった。
 この部屋もきっと、荒木に生活を共にする人ができれば相手の色に変わって行くのだろう。そんなことを考えながら、薪は買ってきたものの中から早めに使った方がいいと思われる食材を選んで、簡単な夕食を作った。ごはんにみそ汁、サンマの塩焼きにほうれん草のお浸し。煮物は初心者は敬遠しがちだけれど、煮汁の配合を覚えてしまえばバリエーションが豊富で重宝する。今夜は里芋にした。

 書斎机兼食卓のローテーブルに夕食の膳が並ぶと、荒木はぱちぱちと手を叩き、バースディケーキを前にした子供のようにはしゃいで、
「すげー。室長、魔法使いみたいっす!」
 大げさなリアクションに、つい笑ってしまった。
「そんなに難しい料理は作っていない。茹でただけ、塩を振って焼いただけ。簡単だろ」
「そこまではなんとか。でも、煮物はおれのキャパ振り切ってます」
「だし汁に味醂と醤油を1:1。微調整は必要だけど基本はそれで行けるから。何度も作るうちに上手くなる」
「そうなんすか、てかウマ! これ、超ウマいっす!」
 直球過ぎる感想に苦笑する。手料理を絶賛されるのは青木で慣れているが、青木は薪に対してこんなに馴れ馴れしい口の利き方はしたことがない。
 青木が新人で入って来た時も荒木と同じくらいの年だったと思うが、青木は育った環境のせいか目上の者に対する態度がしっかりしていて、こういう砕けた言葉は薪に対しては使わなかった。第九の中でも礼儀にうるさい山本などは荒木の喋り方に眉を顰めているようだが、薪はそれほど嫌ではない。知り合いに、生意気な口を利く少女がいるせいかもしれない。

 荒木は、食事の最中も賑やかな男だった。
 薪も青木も食べ物が口の中に入っているときは喋らないから、食事中に会話が途切れることがしばしばある。たが荒木はそれがない。口を動かしながら何かしら喋っている。話をしながら友人からだろうか、スマホでラインにも答えている。器用な男だ。
 などと感心している場合ではない。荒木のペースに乗せられて、本来の目的が果たせなくなりそうだ。荒木が汁椀に口を付け、会話が途切れたほんの僅かな隙を狙って、薪は本題に入った。
「荒木。仕事には慣れたか」
「はい。おかげさまで」
「対人問題は? 大丈夫か」
「最高っす。先輩はみんないい人ばっかで、あ、山本さんとはちょっとだけソリが合わないっつーかアレですけど、でもケンカとかはないっす」
 山本は慇懃無礼を絵に描いたような男だ。ら抜き言葉が基本で砕け過ぎる傾向のある荒木とは噛み合わないだろう。もっとも、山本と話が弾むのは誰にでも合わせられる青木くらいのものだが。

「一番仲いいのはやっぱ青木さんっすね。すげーよく面倒見てくれるし、教え方も丁寧で。自分の仕事後回しにして教えてくれるもんだから、こないだなんか小池さんに『余裕だな』なんてイヤミ言われちゃって。気の毒になっちゃいました」
 青木、安心しろ。僕が百倍にして返しといてやる。
「偉ぶらないけど仕事できるし、頼りになる兄貴って感じで――なんでそこで笑うんすか」
「いや。……荒木は、兄弟は?」
「一人っ子です」
「ご両親は」
「元気っすよ、親父もおふくろも。や、親父は人間ドックで肝機能高いって医者に注意されたって」
 大きめのサトイモをぱくりと口に入れ、リスのように頬を膨らませる。小動物を思わせる動作が荒木のチャームポイントだと誰かが言っていたが、確かに。

「そうだ、おふくろで思い出した。すいません、ちょっとおふくろに電話してもいいですか。連絡寄越せって言われてたの忘れてて」
 薪が返事をする前に、荒木のスマホは既に母親の番号を発信している。こういうところが秩序を重んじる山本のカンに障るのだろう。
「もしもし、ママ? おれ、翔平。うん、安心してよ、ちゃんと食べてるよ。今日なんか薪室長に料理教えてもらって、そう、おれが作ったんだよ。へへっ、ウソウソ、ホントは室長が作ってくれたんだ」
 母親に甘える素直な子供の笑顔で、荒木は電話に向かって笑い声を上げた。いい親子関係だ。

「室長。おふくろが室長に挨拶したいって」
 ハイと電話を差し出されて驚くが、父兄の対応は室長の重要な責務だ。大事な子供を預かっている、その責任を重々承知していると相手に伝わるよう、誠実に向き合わねばならない。
「室長の薪です」
『まあ、室長さんですか? 翔平がいつもお世話になってます』
 定番の挨拶を交わし、あなたの息子は元気で職務に励んでいる、職場での評判もいいし自分も将来に期待している、と話し、機密性も高いし精神的負担の大きい仕事だから、ご家族の理解と心のケアをよろしくお願いします、と結んだ。
 それから荒木に電話を返すと、荒木は左の肩と耳で器用にスマートフォンを挟み、
「じゃあママ、またね。あ、父さんに飲み過ぎるなって言っておいて」

 電話を切った後は自然に、荒木の家族の話になった。母親がガーデニングに凝っていてマンションのベランダがジャングルのようになっていること、父親の趣味は釣りで、休みの日は朝早くから海釣りに出かけることなど、どこにでもありそうな普通の家庭の日常を面白可笑しく薪に話して聞かせた。
 話し上手な荒木といると、時間は瞬く間に過ぎた。気が付いたら平日の門限を大幅に超えていて、慌てて帰り支度を整えた。思ったよりもずっと遅い時間になってしまった。タクシーを使うことも考えたが、荒木の住む荻窪から吉祥寺まではたったの2駅だし、青木が専属運転手に付くようになってからは数えるほどしか電車に乗っていないことを思い出して、そうしたらこの機会を逃すのが惜しくなった。
 駅まで送ると申し出た荒木に、明日の仕事に備えて早く休めと室長の威厳を持って命令し、薪は家の外に出た。心の中では、きっと青木がヤキモキしているだろうと底意地の悪いことを考えつつ、せめてアパートの門まで、と着いてきた荒木に「また明日な」と別れの挨拶をする。
「室長、今日はありがとうございました。夕メシ、すっげ美味かったっす。また暇なとき、他の料理も教えてください」
「ああ。またな」

 秋の夜、どこかで鈴虫が鳴いている。
 曲がり角でふと後ろを見ると、荒木はまだ門前に立ったまま、薪を見送っていた。それに気付いた薪が軽く手を振ったが、月もない夜のことで薪の仕草が見えなかったのか、荒木のシルエットは微動だにしなかった。



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モンスター(5)

 雨で現場中止になりました。
 更新しますー。




モンスター(5)




 薪が密かに計画していた週末の予定はお流れになった。土曜日の朝早く、所長の田城から薪と岡部に、捜査依頼の電話が掛かって来たのだ。

 週半ばに起きたその殺人事件は、プロファインリングから劇場型の犯人像が浮かび上がったため再犯の可能性が強いと判断され、火急の対応が望まれた。事件が起きれば捜査官に休日はない。すぐさま連絡網によって第九職員全員が研究室に呼び出された。
 熟練した捜査官たちの的を射た捜査により容疑者は特定され、その日の夕方には捜査一課に事件を引き継ぐことができた。犯人を探して捕まえるのは一課の仕事で、第九の仕事はここで終わりだ。

 その日は3連休の初日で、それぞれに計画していたこともあったはずだが、一つの事件を解決に導いた高揚感は、取り消されたプライベートの予定を補って余りある報酬であった。そんな浮かれ気分の中、帰って休むにはまだ早いし、事件解決の祝杯を挙げよう、と曽我が言い出した。
 飲み会とイタズラはすぐにまとまるのが第九の特徴だ。段取りも仕事以上に手際がいい。5分も経たない間に曽我が店の予約を入れ、次は予算の確保だが。
「室長もぜひご臨席を」
「悪いが野暮用でな」
 誘いを断りながらも薪が差し出した、封筒の中身は休日手当を遥かに上回る。
「「「「ありがとうございまーす!」」」」
「あんまり飲み過ぎるなよ」
 薪の気前の良さの前には、お小言すら耳に心地よい。室長を除く全員が、ホクホク顔で週末の飲み屋街に繰り出した。

 みんな揃っての飲み会は久しぶりで、それと言うのも宇野が入院中だから自然と集まる回数が減っていた。遠慮ではなく、単なるメンツの問題だ。宇野の怪我は災難だとは思うが、自業自得の要素も大きい。オタクが二次元以外の人に恋をすると、色々な弊害が生まれてくるのだ。
「まったく、宇野のやつ。いつになったら退院するんだか」
「ホント迷惑な話だよ。おかげでメンテが当番制になるとか、マジ勘弁して欲しい」
「もともと体力無いからな、宇野は。家の中でコンピューターばっかりいじってるから」
「宇野さんはもう少し身体を鍛える必要がありますねえ」
「「「「おまえもな、山本」」」」

 そうやって宇野を非難しながらも、曽我が選んだ店はいつもの『どんてん』であった。店には少々失礼だが、薪からもらった軍資金が余ってしまいそうな庶民的な店だ。
 そこに青木は曽我の宇野に対する気遣いを見つけ、さらには他の職員が誰一人として軍資金と店舗の格差を指摘しないことに、みんなも曽我と同じ気持ちなのだと知る。
 そしてこれは青木の穿ち過ぎかもしれないが、皆が声高に宇野の自業自得を主張するのは、青木への心配りかもしれない。宇野が怪我をした夏の事件は、青木が殺人容疑で本部内手配された事件なのだ。宇野の情報収集は非合法且つやり過ぎであったが、青木を救うためだったことに違いはない。だから彼らの宇野への非難は、当然青木が感じるであろう宇野の怪我に対する罪悪感への不器用なエールなのかもしれない。

 席に着いて冷たいビールで乾杯した後、初めに口を開いたのは荒木だった。
「室長、今日もすごかったっすね!」
 第九に来て日の浅い荒木は、薪の人間離れした推理能力に絶賛感動中だ。先刻の捜査でもその天才性を垣間見たのだろう、興奮冷めやらぬ様子だった。
「ああ。今日も鬼だったな」
「あの人見てると本当の地獄はこの世にあるんだって納得できるよな」
「いやあの、確かに怖かったですけど」
 先輩たちのシビアな反応に苦笑いしながらも、荒木は室長を称賛する姿勢を変えない。

「室長の噂は警大でも聞いてましたけど、評判以上です。あんなすごい人、初めてですよ。憧れちゃうなあ」
「「「「荒木、もしかしてドM?」」」」
 違いますよ、と笑って荒木はおでんに箸を付けた。好物なのか、自分の皿にはんぺんばかり3枚も取り置きしている。こういう時、いつも最後に手を出す青木とは対照的だ。
 薪への賛辞もそうだ。青木が新人の頃は先輩に気兼ねして本心を口に出せなかったが、荒木は違う。堂々と薪を褒め称え、それが決して点取り虫の厭らしさに繋がらない。青木は開けっぴろげに室長を礼賛できる荒木のキャラクターを羨ましく思ったが、寡黙ながらも薪のイヌに徹してきた青木の姿勢の雄弁さには誰も敵わないと先輩たちに思われていることは知らない。

「室長が怖いのって仕事中だけですよね。こないだなんかおれの家に、むぐっ?」
 薪のトップシークレットが暴露されそうになり、焦った青木は荒木の口に揚げだし豆腐を突っ込む。「それ言っちゃダメ」と小声で注意をすると、荒木は少しだけ不思議そうな顔をしたが、何も聞かずにこくんと頷いた。
 これが荒木の特徴だ。理由が分からなくても先輩の言うことには素直に従う。主体性が無いのではなく、彼は自分を弁えているのだ。基本的に、先輩の判断は自分よりも正しいと彼は思っている。だから言われたことはとりあえずやってみて、そこから自分で答えを見つける。後輩としてはとても扱いやすい。一つ一つ説明してやって、それを自分自身が納得しなければ先に進もうとしない山本とは真逆だ。その代わり、山本は青木が舌を巻くような完璧な仕事をする。

「もちろん、すごいのは室長だけじゃないっすよ。先輩方もみんなすごいっす。あの室長に付いていくだけでも、並みの能力じゃ無理ですよね」
「あの皮肉に耐えるのは並の神経じゃ無理だな」
「青木くらいドMじゃないとな」
「だから違いますって」
 薪のイヌが進化して住み込みのボディガードに行き着いた青木を、酔った勢いで小池が揶揄する。薪と一緒に住み始めてから、小池には割とチクチク刺されるようになった。

「最高の部署ですよね。第九って」
 歓談するメンバーを見渡して、荒木は満足げに嘆息した。事件解決の達成感からかアルコールの影響か、今日の荒木は殊更に楽しそうだ。
「室長はカッコよくてやさしいし」
「「「「どこの室長の話?」」」」
「先輩たちはみんないい人たちばっかだし」
「「「「それほどでもあるな」」」」
 合図など何一つなくても声が揃ってしまう、先輩たちの無駄なチームワークの良さに、荒木はクスクスと身体を揺らしながら、
「おれ、第九に来てよかったあ」
 酔って赤く染まった顔で幸せそうに笑い、こてんとテーブルに突っ伏した。沈没したらしい。

「3時間か。新人にしちゃ持った方じゃねえの」
「山本は開始30分で寝たからな」
「あの時は少し緊張しておりまして」
 下戸を否定しつつも、山本の今日のオーダーはウーロン茶。後輩にみっともないところを見せたくないという先輩の気概だろうか。
「青木は強かったよな、始めから」
「そういやそうだな。6時間飲み放題コース、ケロッとした顔で付いてきたよな」
 曖昧に笑ってごまかしたが、青木の飲酒歴は中学生からだ。就職した頃には一端の酒飲みになっていた。
「「「「よかったな青木。荒木に自慢できることがあって」」」」
 あまり自慢にならないと思う。

 眠ってしまった荒木を壁際のスペースに寝かせ、青木は彼に自分の上着を掛けてやる。飲んでいるときは暑くても、眠ると急激に体温が下がる。10月ともなれば夜は冷える。そのまま寝せておいたら風邪を引かせてしまう。荒木は身体が小さいから、青木の上着なら充分掛け布団の代わりになる。
 夢でも見ているのか、眠りながらも微笑む様子の荒木の肩の辺りを、青木は子供を寝かしつける母親のようにぽんぽんと軽く叩くと、仲間たちのテーブルに戻って行った。



*****




 今日、母が死んだ。

 母の死に顔を見ても、悲哀や喪失感は感じなかった。母はやっと楽になれたのだ。その重荷を命と共にすべて下ろして。
 駆けつけてきた幾人かの親戚が、病気の時は寄りつきもしなかったくせに今になって涙を流すのを横目で見ながら、私の中には一つの計画が生まれていた。その計画が完成形となって私の前に姿を現したとき、私は母から、彼女の人生の大部分を占めていた最も重要なものを受け継いだのだと知った。

 私は怪物の子供から、真の怪物になったのだ。



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ジャンル : 小説・文学

モンスター(6)

 先週、誕生日だったんですよ。
 その日の夜7時ごろ、現場事務所で下請けさんと打ち合わせしてたらオットが様子を見に来まして。下請けさんがオットに、
「しづさん、今日誕生日ですよね。お家でパーティとかしてあげるんですか」と訊くのに、
「あれ、そうだっけ。忘れてた」
 この時期は忙しいので、忘れられるのは慣れてるので、別に何とも思わなかったんですけど、家に帰ってみたら、
 机の上に白百合の花束が置いてありました。
 オットとは一緒に帰って来たのでね、家に着いてから買いに行く暇はなかったはずなんですけどね。
 ……男の人って(笑)


 さて、事件の方はここから本番です。
 ドSさんにはお待ちかね、大多数の方にはすみません。
 どちらさまも広いお心でお願いします。




モンスター(6)




 それが第九に届いたのは、暑がりの岡部がやっとワイシャツの腕まくりをやめるようになった10月下旬の月曜日だった。
 茶色いクラフト紙に包まれた小さな小包で、表書きに「法医第九研究室様」とだけあり、差出人は鈴木一郎。いかにも偽名くさい氏名が銘打たれた15センチほどの箱を開けてみると、中には鋭い刃物で切断された茶トラ猫の首が入っていた。

 研究室宛の荷物を検めるのは新人の仕事で、しかし彼は第九に入ってまだ2ヶ月。こういった嫌がらせに慣れていない。彼は驚きのあまり椅子から転げ落ち、悲鳴のような声を上げてしまった。
「し、室長!」
「荒木! しっ」
 真っ先に気付いた青木が自分の身体で荷物を隠したが、時すでに遅し。耳ざとい室長は荒木の乱れた声音に異変を感じ取り、急ぎ足でこちらに来るところだった。

「青木。そこを退け」
「大丈夫です、対処はオレがします。室長の手を煩わすようなことではありません」
「いいから退け。邪魔だ」
 緊迫した面持ちで職員たちが見守る中、薪との押し問答の後、いつものように青木が引いた。皆の視界を遮っていた大きな身体が机の前からいなくなると、悪意の塊のような宅配物が全員の目に晒された。
 職員たちがぎょっとして身を引くのに、薪だけは眉一つ動かさず、
「猫の首とはいえ切り落とすのは大変だったろうに。ご苦労なことだな」
 ふ、と薄笑いさえ浮かべて嘯くが、その眼はもちろん笑っていない。

 引きちぎられたかのように鉤裂きになった猫の耳に、小さな短冊形のメッセージカードが無造作に突っ込んであった。薪がピンセットでそれをつまみ上げる。
『親愛なる薪室長へ  モンスターより愛を込めて』
 黒い厚紙に白抜き文字で、そう印字されていた。

「岡部」
「はい。おい、荒木。鑑識に言ってこの荷物を調べさせろ」
 岡部は薪の女房役を務めて10年になる。名前を呼ばれただけで彼の命令を理解する、そんな離れ業も普通にやってのける。
「さあ、仕事仕事。渋谷の放火事件の報告書は今日が期限だったはずだぞ」
 副室長の号令で職員たちが自分の机に戻った後、荒木は岡部の命令に従うべく、問題の荷物と包装紙を手近な空き箱に入れた。手袋を嵌めた両手でそおっと持ち上げ、鑑識へ赴くためにモニタールームを出る。そこを青木に呼びとめられた。
「荒木、ちょっと」
 いつもの青木らしくない、厳しい表情だった。

「ああいうの、室長には見せちゃダメだ」
「え、でも。カードに室長の名前が」
「例え室長の名前が書かれていても、室長には知らせるな。ああいうのが送られてきたら岡部さんに報告して、処分はオレたちがやる。いいな」
 青木の気迫に飲まれたように、荒木が緊張した顔つきになる。次に荒木が返してきた言葉には、微かな怒りが含まれていた。
「おれが来る前は、青木さんが手紙や荷物を開けてたんですよね。ずっとそうしてきたんですか」
「そうだ」
「……そうだったんですか」
 普段はやさしい青木に強く叱られたのが堪えたのか、荒木はじっと俯き、しばらくそこを動かなかった。少し言い過ぎたかとフォローの必要性を感じた青木が、自分よりだいぶ背の低い後輩の顔を覗き込むと、荒木は青木が見たこともないような暗い表情で、ガムテープで仮止めした箱の蓋を睨んでいた。

「荒木。そんなに気にしなくていい。次から気を付けて」
「室長は大丈夫なんですか? 名指しで送ってくるってことは、室長を恨んでる人間がいるってことでしょう。だったら本人に知らせた方が」
 荒木の深刻な表情は、薪を心配してのことだったか。彼の気持ちを、青木は嬉しく思った。青木の後輩の中には薪を嫌って第九を去った者もいる。それに比べたら。
「大丈夫だ。そのためにボディガードのオレが」
「青木!」
 しまった、と青木は焦る。勘の良い薪のこと、あの騒ぎの直後に青木が執務室から姿を消せばピンとくる。荒木への注意は後にすればよかった。

「荒木の行動は間違っていない。これは室長の僕に報告すべき案件だ」
 薪は怒りに眼を吊り上げ、遠慮なく青木を叱責した。後輩の前で先輩を叱る、そのことに対する気遣いはこの人にはない。
「隠蔽は警察官にとって最低の行為だ。それを後輩に指導するとは何事だ」
「もちろん郵便物の中に不審物があったことは報告します。しかし、室長の検閲を受ける必要はないと考えます」
「思い上がるな。それはおまえが判断することじゃない」
 それは昔、岡部と相談して決めたことだったが、青木はその事実には触れず、黙って頭を下げた。
「すみませんでした」

「荒木、青木の言ったことは気にするな。これからもこういうことがあれば僕に報告しろ」
 謝罪する青木には目もくれず、薪はすぐに荒木のフォローに入った。青木とは真逆の指導を行う薪に、荒木の瞳が困惑に曇る。
「室長は、平気なんですか」
「大丈夫だ。こんなものは慣れている」
 薪は一瞬だけ亜麻色の瞳を好戦的に輝かせたが、すぐにその光を消し去り、自嘲気味に前髪を掻き上げた。
「第九の室長なんかやってるとな、人の恨みは星の数ほど買うんだ。いちいち取り合っていてはキリがない」
 青木に対しては吊り上げた眦をやさしく緩め、微笑みさえ浮かべて薪は言った。
「荒木。心配してくれてありがとう」
 対応の差に、荒木は青木に申し訳なさそうな視線を送ってきたが、その気遣いは却って青木を傷つける。いたたまれなくなって青木は、早々に執務室へ戻った。

 月曜日の昼までに提出するようにと薪に命じられた捜査資料を作成しながら、でもやっぱり納得できなかった。「僕に報告しろ」と薪は言ったが、報告にも段階があって然るべきだ。荒木は新人なのだからまずは指導員の自分、それを超えたとしても岡部までが限度だ。室長に直接なんて、青木が新人の頃には許されなかった。
 そうやって幾重にもガードを固めても、第三者の迫害から薪を完全に守ることはできない。室長の名が明記された書簡までは、部下の青木が開けるわけにはいかないからだ。いかにも偽名であったり筆跡をごまかしていると判断された物は、間違った振りをして開封し、中身を確認していたが、そこまでしても通ってしまう悪意はある。それすら歯痒く思っていたのに。
 薪の意思に逆らうことになるが、やっぱり荒木にはこのやり方を踏襲してもらおう。荒木を説得する前にまずは岡部に相談して、なんなら岡部にも同席してもらって、などと策を巡らせていた青木の隣の席に、鑑識から帰ってきた荒木がすとんと腰を下ろした。

「青木さん。さっきはすいませんでした。新人の分際で先輩に口答えなんかして」
 荒木を説得する文言をあれこれ考えていたが、それは不要になった。薪の言う通り、荒木のしたことは間違いではないのだ。それでもこうして素直に頭を下げられる、きちんと人に謝ることができる。荒木は本当にいい若者だった。
「いや、オレの言い方も少し厳しすぎたよ。ごめんな」
「そんなことないです。おれ、青木さんのしたことは間違ってないと思いますよ。だってボディガードなんでしょ、室長の。だったらああいうのは対象に見せずに処分するのが当然です」
 他人の立場も気持ちも思いやれる。若いのに、心根は円熟している。薪が荒木を気に入るわけだ。
「さっきはびっくりして慌てちゃって。思わず室長を呼んじゃいましたけど、これからは気を付けます。あ、これ室長には内緒で」
 どうやら岡部に相談するまでもなかったようだ。荒木が物分かりの良い男で助かった、と思うと同時に、青木は自分の立場に不安を覚える。
 まるで荒木の方が年上みたいだ。薪のことになるとついムキになってしまう、この癖を直さないと男として荒木に負けるかも。

「青木さん。実はおれ、あの荷物の送り主に心当たりがあるんです」
 不安に飲み込まれそうになった青木の心の乱れは、しかし荒木のこの言葉でピタリと治まった。次に荒木が何を言うのか、青木の瞳はMRI画像を見るときの真剣さで荒木の口唇に吸い寄せられる。
「室長には誰にも言うなって言われてて、今まで黙ってたんですけど……先月の終わりごろに」
 眼を瞠る青木に、驚愕の事実が語られた。聞き終えて席を立つ。
「荒木。そのことは誰にも言うな」
 我知らず、青木は先刻と同じ厳しい表情で荒木に命令した。はい、と神妙に返事をする荒木に小さく頷くと、青木は仕上がった捜査資料を片手に席を立った。



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モンスター(7)

 こんばんは。
 前記事に、お気遣いのコメント、たくさんありがとうございました。
 みなさんの助言を活かして、自分だけで背負い込まないように、考え過ぎないように、ゆっくりやって行きます。 
 長期戦だものね。そうしないと、途中で息切れしちゃうよね。

 ということで、早速メロディ買ってきたー!
 事件の裏側が明らかになっていくのを、ふんふん、と頷きながら読んでたんですけど、
 P293の2コマ目で頭の中真っ白になりました。そこしか頭に残ってません。わたし、死んだ方がいいのかしら……。

 感想はまた後ほど、
 とりあえず、お話の続きをどうぞっ。





モンスター(7)






 特捜専用のため防音完備の第4捜査室で、青木は岡部と向かい合っていた。昼の休憩時間のことである。

「服役囚と面会? 薪さんが?」
「はい。荒木の話では、先月の末だそうです」
 荒木が語った薪の秘密は、岡部には無論、青木にも寝耳に水のことであった。
 その日、荒木は会議に出席していた薪を五反田まで車で迎えに行った。帰り道、途中のパーキングに車を停めるよう命じられ、そこで1時間ほど待機するように言われたらしい。しかし、荒木は青木に密命を受けている。薪は単独行動が得意だが、それは暴走の危険を多分に孕んでいる。決して一人にしてはいけない。もしも薪が部下を遠ざけるような行動に出たら必ず後を尾けるように、と。
 敏捷性に富んだ小柄な体躯を活かし、荒木は薪を上手く尾行した。そして突き止めた。
 薪の行先は、東京拘置所であった。

「薪さんは受刑者に会って何らかの話をした。その受刑者の指示で誰かが、あのくそったれな荷物を送りつけてきたんじゃないかと、荒木はそう言うんだな。相手は誰なんだ?」
「そこまでは。面会者帳簿は確認したそうですが、薪さんの名前は無かったそうです」
 証拠を残さないために警視長の特権を発動したか。調べるには拘置所の職員に聞き込みを掛けるしかないが、すると薪に尾行がばれる。それで荒木もそれ以上は踏み込めなかったのだ。
 岡部は三白眼を上空に向け、過去の事件から心当たりを探った。現在、拘置所にいる人物で薪を恨んでいそうな人物と言えば。
「あいつじゃないのか。あの変態」
「……どの変態ですか?」
 哀しいことに、薪に逮捕された変態は数が多過ぎて一人に絞れない。

「ほら、春の青髭事件。控訴しなかったから刑が確定して、今は小菅だろ」
 5月に薪が身体を張って解決した連続婦女暴行殺人事件には、『青髭事件』というセンセーショナルな呼び名が付いた。犯人の桂木省吾は3ヶ月後の裁判で死刑を求刑され、それを受け入れた。死刑囚となった彼は、現在、東京拘置所に拘留されている。東京拘置所は葛飾区小菅にあり、警察関係者が「小菅」と言えば東京拘置所を指す。
「省吾さんがこんなことをするとは思えません。あの人は薪さんに真実を教えてもらって、父親の呪縛から解き放たれたんです。なのに恨むなんて」
「わからんぞ、サイコ野郎の心理なんか。てか、青木。死刑囚をさん付けで呼ぶのやめろ」
「オレは東条さんの方が可能性あると思うんです。あの人って、薪さんが自分を愛してると思い込んでたんでしょう?」
「だからさん付けするなって」

 2年前の『I公園男女殺人事件』の犯人、東条学は15年の禁固刑に処せられている。彼は元精神科医、マインドコントロールはお手の物だし、刑務所内外に協力者も作れるのではないか。青木はそう考えたが、岡部は首を振り、
「東条には無理だ。中園さんの息の掛かった刑務官が、しっかり監視してる。余計なことを喋らないようにな」
 中園の非情さには、時々ぞっとさせられる。政治犯でもない東条が禁固刑になったのは、彼に多少なりとも精神の異常が認められたせいだと薪は言ったが、事実は違う。薪の秘密を守るため、中園が検察に手を回して禁固刑を求刑させたのだ。禁固刑は懲役の義務がないから、他人と話す機会を完全に掌握できる。禁固刑の受刑者は希望すれば刑務作業に参加できることになっているが、おそらくその申し出は黙殺されている。
 他には、ゴスロリ好きの細菌学者とか、吸血鬼と呼ばれたレズビアンとか、しかしどの犯人も友だちがいない代表みたいな人物で、あんな手の込んだことをしてくれそうな友人がいるとは思えない。逆に彼らとて、自分のためにそこまでしてくれる誰かがいれば、あんな事件を起こさなかったかもしれない。

「薪さんのことだからな。案外、受刑者の話を聞きに行っただけかもしれんぞ。官房室で犯罪防止条例の草案を作るだろ。その資料集めとかで」
「まさか」
「あの人は仕事のためなら平気でそれくらいやるぞ」
 自分が関わった事件ではなく、薪が適当に選んだ受刑者に面会を求めたとなるとお手上げである。できれば騒ぎにしたくないから、拘置所に出向いて調べるのは避けたい。薪本人に問いただすことはもっと避けたい。

 2人は頭を抱えたが、ふとある人物に思い当たって、ほぼ同時に顔を上げた。互いの眼の中に互いの解答を見つけ、彼らは同じ形に口を開いた。
「滝沢……」
 2065年の秋。日本中を混沌の渦に巻き込む大事件が起きた。
 元最高裁判所首席裁判官、現国家公安委員副理事長、法曹界の陰の首領、羽生善三郎翁の逮捕劇である。その事件に密接に関わり、裁判で検察側の証人として法廷に立った人物が、元第九職員にして同僚2名を殺害した滝沢幹生元警視だ。
「決まりだな。間違いない」
 滝沢が薪に恨みを持っているかどうかはともかく、「モンスター」とか「愛をこめて」とか、そういう薪が嫌がりそうなことは喜んでする男だ。
「小菅には馴染みもいる。青木、一緒に行くか」
「はい」

 執務室に戻り、個人予定表の自分たちの欄に外回りの文字を書いていると、今井と山本が昼休憩から戻って来た。後ろに荒木もいる。山本と荒木は相性が悪いと言っていたのに、珍しい組み合わせだ。
「今井。これから留守を頼めるか? 青木を連れて行きたいんだが」
 大丈夫です、と今井が快く返事をする。どちらに、と山本に訊かれて、岡部は曖昧に語尾を濁した。仲間内の嘘は岡部が最も苦手とするものだが、本当のことは言えない。
「ちょっとヤボ用でな。じゃ、頼むわ」
「荒木。後をよろしくな」
「はい、青木さん。行ってらっしゃい」

 不審顔の山本と笑顔で手を振る荒木に見送られて、二人は研究室を出た。小菅までは車で約40分。拘置所に到着して腕時計を見ると、1時半を回っていた。
 岡部の旧い友人である副看守長の導きで、二人は所定の手順を踏まずに拘置所の面会室に通された。岡部は彼に薪の訪問について尋ねたが、彼はその様な報告は受けていないと言う。東京拘置所の収容人数は約3000名。滝沢はそのうちの一人にすぎない。知らずとも無理はなかった。

「これはまた珍しい客だな」
 3年ぶりに顔を合わせた滝沢は、あの頃と全く変わっていなかった。尊大な態度もそのままに、彼はどっかりと面接用のパイプ椅子に腰を下ろした。
「滝沢さん。お元気そうですね」
 透明なアクリルボードの向こう側で不遜な笑みを浮かべている彼は、刑務所での生活に疲れた様子もなく、むしろ若返っているようですらある。そのことに青木が驚くと、滝沢はにやりと笑い、
「ここの生活はなかなかに快適だ」
 青木は知らないが、滝沢は旧第九を壊滅させた後、外国の傭兵部隊にいたのだ。そこに比べたら日本の刑務所などぬるま湯に浸かっているようなものだ。

「滝沢」
 岡部が低い声で名前を呼ぶと、滝沢は胡乱そうにそちらを見た。
「単刀直入に聞く。薪さんと何を話した」
「なんでおれに聞くんだ。薪に聞いたらいいだろう」
 岡部の質問を拒絶する返事は、しかし岡部に解答を与える。薪が確かに、滝沢に会いに来たという事実を。
「引っ掛けたな」
 青木の表情の変化からそのことに気付き、滝沢は苦笑いした。しかし直ぐに深刻な表情になり、ちっと舌打ちして、
「あのバカ。まだ過去の亡霊に囚われているのか」
 バカと言うのは多分、薪のことだ。では『過去の亡霊』と言うのは、薪に猫の首を送ってきた人物のことだろうか。
 やはり、滝沢は何かを知っている。

「まあいいか。それほど切羽詰まった話じゃなかったしな」
「それはこっちが判断することだ。何を話したか、正直に言え」
「知りたきゃ薪に直接聞け」
 頑迷に首を振った後、滝沢は声を出さずに口だけを動かし、
『今日は言えない』
 なるほど、と二人は思った。
 拘置所の面会は刑務官の立会いのもとに行われる。刑務官は受刑者と面会人が話した内容を細かく書き留める。つまり、この情報は刑務官に筒抜けになるのだ。
 薪と面会をしたときにはあらかじめ、刑務官に話を通しておいた。要は、滝沢が懐柔した刑務官が面会当番のときを狙って薪を呼びだしたのだ。しかし今日の訪問は飛び込みだ。段取りを組む時間がなかったのだろう。

「滝沢さん、お願いします。薪さんは訊いても教えてくれないんです」
「薪が喋らないことをおれに言えってのはおかしいだろう」
 青木と滝沢が刑務官に聞かせるための会話をする裏側で、岡部と滝沢は、共犯者のように無声でやり取りをする。
『いつならいい?』
『金曜の午後ならOKだ』
 遠すぎる。今日はまだ月曜日だ。
『もう少し早くならないか』
『無理だ』
 いくら滝沢でも、刑務官を何人も抱き込めるほど甘くはない。岡部はそっと青木に目配せした。引き上げの合図だ。

「上意下達が警察の基本だ。一応は元警察官だからな。道理に外れることはしたくない」
「そう言われては、引き下がるしかないな」
 岡部はふんと鼻から息を吹き出し、毛深くて太い腕を組んだ。
「こんなところに長居は無用だ。帰るぞ」
「青木」
 岡部に促されて立ち上がった青木を、滝沢が呼びとめた。口唇を読ませるつもりかと眼を瞠るが、滝沢はいつもと変わらぬ尊大な口調で、
「おまえは薪のボディガードだろう。だったらあいつを守ってやれ」
 はい、と青木は頷いた。隣で岡部が苦い顔をしたが、滝沢は岡部と同い年で、一度は同僚だった男だ。反射的に敬語になってしまうのだ。

「どんな敵からも、だぞ」
「はい」
「相変わらず分かってないな、おまえは」
 滝沢は左の頬だけを吊り上げ、苦笑とも失笑ともつかぬ笑いを浮かべた。それから彼は、子供の手伝いをまどろっこしく思う親のような眼になって、
「あいつの最大の敵はあいつ自身だ。それを倒さなきゃどうにもならん」
 と謎かけのようなことを言った。青木がきょとんとした顔で首を傾げると、滝沢は両手を左右に広げてから肩を竦めた。そのわざとらしい仕草が、なんだか妙に懐かしかった。

「要するに、薪が自分からおまえに話すようにならなきゃ始まらないってことだ。それができないなら力づくでも聞き出すんだな。大事なのは薪が自分の口で喋ることだ」
 態度は横柄で言葉はぞんざいだけど、薪を心配しているのがその眼で分かった。きっと滝沢は、薪の身になんらかの危険が迫っていることを知っていたのだ。それを教えようと、薪をここに呼び出した。
 警告を受けたなら、それを青木に話して警備を強化するのが筋だ。薪が自ら自分を守るための行動をとること、それが大事なのだと滝沢は言いたいのだ。
 そして薪にそれができないのなら。聞き出すのは青木の役目だ。

「わかりました。滝沢さん」
「だから敬語使うなって。殺人犯だぞ、こいつは」
「やってみます。ありがとうございます」
「礼も言うな!」
 岡部に叱責されつつも、青木は滝沢と透明ボード越しに眼を合わせた。そこに青木は自分と同じ種類の光を見つけ出し、にっこりと笑った。




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ジャンル : 小説・文学

モンスター(8)

 こんにちは。
 花屋の社長が物置を動かしてくれなくて現場が止まってしまいそうなしづです。燃やしたろか。

 こないだお正月が来たと思ったら、小正月も過ぎまして。いやー、早いねー。
 わたしがちんたらやってる間に、6万5千拍手ありがとうございました!(もう6万7千だね) 
 いつも気遣っていただいて、励ましていただいて、ありがとうございます。元気もらってます。
 お礼SSは春になったら書きます、書こうと思います、書けるといいなあ。(←ダメ人間3段活用)

 間が空いちゃってごめんなさい、お話の続きです。どうぞ~。



 

モンスター(8)





 途中で昼飯を食って帰ろう、と岡部が言い出し、二人は街道沿いの蕎麦屋に寄った。岡部は天ざる蕎麦とカツ丼、青木はシンプルにざる蕎麦を頼んだ。この頃めっきり食が落ちて、油っこいものを食べる気がしなくなった。

「そんなに心配しなくても、薪さんは大丈夫だ」
「でも。郵便物の件もあるし」
「ああいうのを送ってくる奴はな、相手の反応が見たいんだ。相手が怖がっていることを想像して楽しむんだよ。その時間の長さは人によるが、今日の今日で犯行に及ぶことはまずない」
 食が進まない様子の青木の器に、岡部が自分の天ぷらを乗せてくれる。滝沢も言っていた、「それほど切羽詰まった話ではない」のだ。
 薪とは今夜にでも話をするつもりでいたが、それではぐらかされてしまったとしても、金曜日になれば滝沢から直接その話を聞くことができる。『モンスター』と称する人物のことは気になるが、今までにもこんな脅しは数えきれないほどあった。それでも大事に至ったことは一度もないし、今は青木がボディガードについている。「おまえさえしっかりしていれば薪さんは安全だ」と岡部にハッパを掛けられ、やっとのことで青木は伸びかけた蕎麦を手繰り終えた。

 予定表に書いた帰着時刻を30分ほどオーバーして2人が研究室に戻ると、執務室にはどことなくのんびりとした空気が流れていた。
「室長は外出か」
 予定表を確認するまでもない。職員たちがモニターの前で雑談をしているのを見れば、一目瞭然だ。
 青木は自分と岡部の名前の欄に書かれた「外回り 3時戻り」の予定を消すのと同時に、荒木が外出していることを確かめた。薪の運転手を務めているのだろう。今朝のこともあるからあまり出歩いて欲しくないのだが、薪はあの程度のことは歯牙にもかけない。その分、荒木が注意してくれることを祈るばかりだ。

「あ、いけない」
 自分の机に戻り、青木は思わず声を上げる。そこには午前中に仕上げた書類がA4封筒に入ったまま放置されていた。
「しまった。これ、室長に午後一でって言われたんだっけ」
 昼休みに岡部に相談を持ちかけ、その足で滝沢に会いに行ったものだから、すっかり忘れていた。
「ラッキーだったな、青木。薪さんが出掛けてて」
「時間に遅れたことは黙っててやるから、コーヒー淹れてくれよ」
「青木さん。私のはアメリカンでお願いします」
 はいはいと苦笑いしながら、青木は給湯室へ向かった。
 青木が自分の城として磨いてきた第九の給湯室だが、最近、ここはすっかり荒木の縄張りになってしまった。青木ほど几帳面でない荒木の管理は少し杜撰で、コーヒーの在庫も尽きかけていたし、掃除も行き届いていなかった。それを苦く思う自分に気付き、青木は赤面する。これじゃまるで嫁のアラ探しをする姑みたいだ。
 時間もあることだし、荒木がいないうちに水回りの掃除をしておいてやろう。コーヒーとペーパーフィルターの補充も。

「ああ~、この香り」
「やっぱり青木のコーヒーは美味いな」
 小池と曽我が満足のため息と共に素直な称賛の言葉を漏らし、今井と岡部が小気味よく親指を立てる。久々の第九のバリスタの活躍に、職員たちの顔が一斉に輝いた。
「青木さん、いつ警察をクビになっても安心ですねえ」
 山本の褒め方は少しズレている。
 みんなの褒め言葉が嬉しくて、青木は自然と笑顔になった。最近の青木は、荒木にすっかり自分のポジションを奪われてしまったような気がしていたが、それは自分の思い込みで、みんなはちゃんと青木の存在を認めてくれていたのだ。

 向かいの席にいた曽我が、青木の笑みに釣られたかのように、その恵比須顔を満開にほころばせて青木に笑いかける。
「おまえのそういう顔、久しぶりに見た」
「え。そうですか?」
「先輩の威厳も大事だけどさ、笑ってた方がいいよ。その方が青木らしいよ」
 面子に拘って意識的に笑顔を消していたわけではないが、曽我のせっかくのミスリードに乗ることにした。小池の前では否定していたけれど、曽我だってきっと気付いていた、青木の中に生まれていた醜い嫉妬心に。それに言及することなく、そのままのおまえを皆は好いている、だから肩の力を抜けと励ましてくれている。

「わかりました。もう背伸びはやめます」
「ああ、それがいいですねえ、青木さん。あなたはそれ以上、背を高く見せる必要はありませんよ」
 山本特有のズレた相槌に皆が笑った。だけど青木には、いや多分みんなにもわかっていた。山本は青木と同様、曽我のミスリードに便乗したのだ。そして彼なりのスタイルで、青木を元気づけてくれた。
「そんなことしてみろ。薪さんからの風当たりがますます強くなるぞ」
「青木が薪さんより身長低かったら、もっとやさしくしてもらえるのにな」
「違いない。薪さんが山本と荒木に甘いのって、それが理由だろ」
 失礼な、と冗談の効かない山本が不満顔をする。その小さな背中を小突きながら、小池と曽我が笑い合う。山本も第九に来て3年、すっかり構われキャラになっている。

「それは冗談にしてもさ、青木の気持ちも分かるよ。おれもそういう経験あるから」
「みんなそうだよ。分かってないの、薪さんくらいのもんじゃないのか」
「あの人って、本当にそういうの鈍いよな」
「てかさ、知らないんじゃないか? 先輩になることのプレッシャーなんて」
「優秀すぎる故の欠落ということですか」
 山本が導き出した結論に、頷きつつも小池は首を傾げる。
「それもあるけど、あのひとお姫さまタイプだろ。先輩後輩関係なしに、みんなに世話焼かれてさ」
「いくつになっても危なっかしいし」
「仕事に夢中になるとぶっ倒れるまで休まないし」
「なんのかんの言って、一番手が掛かるよな」

「そんなことないですよ。薪さんは人の気持ちには敏感で、下っ端のオレにも気を使ってくださるし」
 最終的に薪に非難が集まって、青木は慌てて静観者の立場を翻す。薪と特別な関係になってからはあまりあからさまに彼を弁護しないように気を付けていたのだが、自分がきっかけとなって彼の悪口に繋がったのでは庇わないわけにもいかない。
 宇野とフランスに行くことを決めたときだって、薪はそのことを青木に話すためにホテルデートのプランを用意してくれた。あの時は二人の気持ちが噛み合わなくてケンカになってしまったが、あとでそうと知って、青木はとてもうれしかった。
 薪の気遣いは不器用で分かり難いけど暖かい。放ったらかしにされているように感じるときでも、青木のことはいつも見守ってくれていて――。

 そこで青木はやっと気付いた。どうしてこんなに自分が焦っていたのか。
 薪の視線が感じられなかったのだ。
 いつもは逆だ。会話はせずとも薪の視線は感じる。例えその瞳に青木が映っていなくても、彼の気持ちが自分に向いているのが分かる。それがまったく感じられなくなった。
 ――荒木が第九に来てから。

「青木。ちょっと来い」
 深刻な顔で考え込んでしまっていたのだろう、岡部に別室に呼び出された。気持ちがすぐに顔に出る、この癖も直さなければと青木は自省したが、岡部は青木に注意をするために彼を呼んだわけではなかった。第九の中で第4捜査室以外に内側から鍵の掛かる場所、つまり室長室に青木を誘い、内鍵を閉めてなお用心深く、岡部は声を潜めた。
「やっぱりおかしい」と岡部は言った。
「薪さん、おまえの変化に全然気づいてなかった。おまえが拗ねてるって、おれに言われて初めて知ったって顔してた」
「でしょうね」
 薪が荒木の家を訪れた夜、青木と軽い諍いを起こした。あのときも、薪はまったく青木の気持ちに気付いていなかった。でも薪が鈍いのはいつものことで、だから青木はまたかと思っただけだったが。

「確かにあの人はそっちのことは鈍い。でもな青木、薪さんはおまえの一番の理解者であろうと、いつも努力してる。その薪さんが、おれたち皆が気付いてたおまえの変化に気付かないなんてことがあると思うか?」
 岡部の疑問は、青木の恐ろしい疑惑を裏付ける。
 薪が青木を見ていない、だから青木の変化に気付けない。つまりそれは。

 思わず叫びだそうとする声帯を、必死に押さえつける。青木は瘧に罹った人のように身体を震わせながら、抑え過ぎて掠れがちになった声音で聞き返した。
「薪さんが本気でオレから荒木に乗り替えるつもりだって言いたいんですか」
「そうじゃねえよ、バカ。あるわけねえだろ、そんなこと」
 岡部はきっぱりと言い切り、青木の頭を軽く小突いた。オールバックの前髪が乱れて額に落ちかかり、眼鏡が斜めになる。岡部の軽くは常人の力いっぱいと同じくらいだ。

「ただ、こういうあの人は昔見たことがあるんだ」
 薪との付き合いは、青木よりも岡部の方が長い。何より、岡部は鈴木を亡くした直後の薪を見ているのだ。青木の知らない薪の姿を。
「過去の亡霊が何とかって、滝沢が言ってたな」
 青木もそれは気になっていた。刑務官の前だから曖昧な表現に留めたのか、滝沢独特の勿体をつけた言い回しなのか、その辺りは不明だが、薪が過去に関わった事件が絡んでいることは間違いない。
 そして、『亡霊』と言う言葉から連想される事件と言えば。

「岡部さん。まさか」
「ああ、青木。この件はもしかすると」
 不吉な予想を偲ばせる表情で青木と岡部が顔を見合わせた時、隣のモニタールームに騒ぎが起こった。がやがやと声高に話す声が聞こえ、すぐさま室長室のドアが叩かれる。ノックと言うにはあまりにも暴力的な勢いで、更にそれは滅多なことでは慌てない今井の喚き声と組み合わさって、嫌が応にも二人の不安に火を点けた。
「なにごとだ」
 内鍵を捻ってドアを開けた岡部に、白皙の顔を歪めた今井が空恐ろしい現実を突き付ける。

「薪さんが行方不明に」



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ジャンル : 小説・文学

モンスター(9)

 こんにちは。

 明日は例の花屋の社長に物置を動かしてくれるよう交渉に行くのですよ。やっとアポが取れたんで。
 上手く行くよう、祈っててくださいね。



モンスター(9)






「薪さんが行方不明に」

 岡部と青木の顔色が変わる。二人が室長室に籠っている間に帰って来たらしい新人が、泣きそうな表情で職員たちの後ろに立っていた。
「どういうことだ、荒木」
「すいませんっ!」
 現在捜査中の連続放火事件で捜査担当者に直接確認したいことがあるからと、日本橋の中央警察署に出向いた帰り道、荒木は薪に、これまでに何度かあったようにパーキングで待機するよう命じられた。
「いつものように後を尾けたんですけど、今日はまかれてしまって」
 仕方なく車で待つことにしたが、1時間の約束が2時間経っても帰ってこない。心配になって携帯に電話をしたが、繋がらなかった。朝の一件もあることだし、早急に報告すべきだと考え、急いで戻って来たのだと荒木は言う。

「まだ行方不明と決まったわけじゃないだろ。薪さんは推理に夢中になると、よくふらっといなくなっちゃうし」
「そうそう。捜査が佳境に入ると電話にも出ないし」
「なに呑気なこと言ってんだ! 猫の首が送られてきたばかりだぞ。その状況で部下を出し抜くようにいなくなって電話にも出ない、そんなことをしたらおれたちがどれだけ心配するか。それを察せない人じゃないだろ」
 今井の言う通りだと誰もが思った。薪は自分勝手で我儘で、捜査に夢中になると部下の人権を蔑ろにする最悪の上司だけれど。そんな常識を弁えないことはしない。今井が懸念するように、薪の身に災難が降りかかったと考えるのが妥当だ。

「そうだ。救難信号は」
「点いてません」
 小池が思いついた可能性を、青木がすぐに否定する。一番狼狽えるだろうと思われた青木は意外と冷静で、それは彼がこれまで薪を救うために潜って来た修羅場の数を職員たちに慮らせた。

 小池と青木の短いやり取りの後、荒木が控え目に尋ねた。
「あの、救難信号って?」
「そうか。荒木にはまだ教えてなかったな」
 青木は執務室の隅にある受信機の前に荒木を連れて行き、右上のランプを指差して、
「薪さんは官房長命令で、常に発信機を付けてるんだ」
「ええっ、発信機!?」
 薪の特別待遇に、荒木はひどく驚いたようだった。第九の職員たちはもう慣れてしまったが、官房長と言えば警察庁のナンバー3。その大物が、たった一人の警察官の安全をそこまで考慮すると言うのは普通ならあり得ないことだ。

「じゃあ、官房長に訊けばいつでも室長の居所が分かるってことですか」
「いや、それはさすがに。プライバシーの問題があるし」
 そこまで締め付けられれば薪のことだ、プライベート時には発信機をわざと家に忘れていくに違いない。縛られることを嫌う薪の性格を、小野田は心得ている。
「スイッチを押すと救難信号が出て、このランプが点灯する。これが赤くなったら薪さんが助けを求めてるってことだ」
 ランプが点くと同時に警備部にも連絡が行き、都内の場合は警備部が、地方の場合は連絡を受けた県警が、組織をもって速やかに薪を救出する。また、これと同じ機械は官房室にも設置されており、そちらでも有事に備える体制ができあがっている。
 それらのことを簡単に説明すると、荒木は目を丸くして、感心したように息を吐いた。
「室長って本当に特別なんですね」
「室長の頭には、明るみに出たら世界地図が描き替わるような秘密が幾つもしまわれている。だから室長は、いつもだれかに狙われていて」

 ああそうだ、と青木は沈痛に目を閉じる。
 今まで、なんて甘い気持ちで薪の傍にいたのだろう。滝沢が言ったことは冷やかしでもなんでもない、厳然たる事実だ。いつ誰がどこから襲ってきてもおかしくない、薪はそういう境遇に立たされた人間なのだ。
 なのに自分は、彼に恋するあまり彼のボディガードと言う重責を、24時間彼の側にいられる大義名分を手に入れたと、それくらいにしか思っていなかった。任命書を拝するとき、中園には、あくまで二人の関係を秘匿するためのカモフラージュだと説明を受けたし、視界に入らずとも薪の身を守る人間は他にもいるからそんなに気負わなくていい、とも言われた。だからと言って、それを鵜呑みにして警戒を怠っていいわけがない。
 甘かった。もっともっと、自分は必死に薪を守らなければいけなかったのだ。

「そうですか。では、緊急配備をお願い致します」
「山本。おまえ、だれと」
 皆が深刻な顔で薪の身を案じている傍らで、山本は誰かとしばらくの間電話で話し、先のセリフを最後に電話を切った。不思議がった小池が電話の相手を尋ねると、山本は平然とした顔で、
「中園主席参事官に報告をいたしました。首席参事官から薪室長に電話をしてもらいましたが、返事はありませんでした。室長が参事官の電話を無視することはあり得ないと判断し、参事官に緊急配備をしていただくよう要請しました」
「おまえそれ、早とちりだったらどうす」
「クビにでも何でもしてください! 室長の命の方が大事です!」
 そのあまりの剣幕に小池は息を呑む。冷静さではマイペースの分だけ今井の上を行く山本の、おそらくは初めての恫喝であった。

「そう申し上げました」
 山本は一瞬で激昂を胸に収め、いつもの慇懃無礼な口調で、
「言っておきますけど、第九全員のクビを掛けましたので。懲戒免職の辞令が出た時はみなさんもご一緒ということで」
「はあ?!」
「なにしてくれてんの、おまえ!」
「仕方ないでしょう。『君一人のクビなんかじゃどうにもならない』と参事官が仰ったのですから。あとはもう頭数で補うしか」
 多分中園は警視監である自分のクビくらい懸けなきゃ政敵の警視総監を動かせない、そう言いたかったのだろう。それは何となくみんなにも察しがついて、そうしたら俄かに希望が見えてきた。官房室のブレインと呼ばれる首席参事官がそれほどの覚悟を持って薪の捜索に当たってくれるのだ。きっとすぐに保護してもらえる、そう思ったら自然と口も軽くなった。

「困りますよ、山本さん。オレ、まだ車のローンが」
「飲み屋のツケが!」
「大阪食い倒れツアーの予定が!」
「彼女との結婚資金が!」
「「「今井さん、それ、どうでもいいです」」」
「なんでおれだけ?!」
 ばっさり切り落とされて今井が嘆く。やはり青木が小池、曽我のコンビに加わると第九は賑やかになる。さすが元祖三バカトリオだ。
 などと、冗談にかまけている場合ではなかった。

「救難信号がないってことは、薪さんの意識がないってことだ。誰かに襲われて昏倒してるとしたら……やばいな」
 青木が確認したばかりの受信機を自分の目で確かめ、岡部は険しく眉を寄せる。何よりも、薪の身体が心配だった。
「今朝の郵便物と、同じ人間の仕業でしょうか」
「いや。さっき青木にも言ったんだが、ああいうものを送りつけてくるタイプの犯罪者ってやつは――待てよ」
 岡部は何かに弾かれたように顔を上げると、室長室へ駆け込んで行った。断りもなく上司の机を漁り、目的のものを見つけ出す。それは最下段の引き出しの奥、鍵の掛かった黒いシークレットボックスの中に、亡くなった親友の写真と共に入っていた。

「くそ。やっぱりか」
 10枚を超す封書の束。「死」や「殺」など、物騒な文字が踊る便箋の末尾には判で押したように『モンスター』のサインがあった。後を追ってきた青木が、それを見て悲痛な呻きを洩らす。
「初めてじゃない。あの猫は最終通告だったんだ」
 怒りに証拠物件の保全も忘れ、握りしめた拳の中でくしゃくしゃになった手紙ごと、岡部は渾身の力で室長の机を殴った。
「まったく、あのひとは!」
 わらわらと寄って来た職員たちが、大急ぎで手紙を集め、鑑識の手配を整える。そんな中、今井は古巣の警備部に、山本は検事局に、それぞれのコネクションを利用して室長の身柄を保護しようと連絡を始めた。
 その熱気に押されたのか、現場経験のない新人は皆から一歩退き、今にも倒れそうな青い顔をして室長室の入口に立ち尽くしていた。



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ジャンル : 小説・文学

モンスター(10)

 今日は親友の誕生日なのですよ。
 薪さんと同じ、みずがめ座のAB。羨ましいやつ。
 わたしの誕生日は12月4日で、青木さんと同じ射手座です。血液型はB型なので(今やっぱりって思った?)、青薪さんと同じではありませんが、近いなあって思うことが学生の頃から2,3ありました。
 選択科目が一緒。
 ギャグが被る。
 申し合わせたわけじゃないのに、同じ文房具を買っている。
 大した意味はないけれど、青薪さんにもそういう偶然があるんだろうな、って思うと萌えます(〃▽〃)
 




モンスター(10)






 岡部はその足で官房室へ向かった。中園と小野田に薪の失踪を報告するためだ。

 来訪者を予期した中園に命じられていたのだろう、受付に顔を出した岡部を、秘書は取次の電話をせずに首席参事官室へ通した。居室で中園は渋い顔をして、何処かに電話をしている最中だった。手振りで「座って」と示されたソファに腰を下ろし、岡部は亀のように竦めた首を回して部屋の中を眺めた。
 いかにも官給品の設えの第九とは違う、スタイリッシュな調度品でまとめられた居室。キャビネット1つとっても、岡部が普段使っている面白味のないスチール製の物とは段違いだ。ソファも当然のように革張り。スプリングも弱っていない。座り心地はよかったが、居心地は非常に悪かった。
 第九に籍を置いていた頃からしょっちゅう小野田のところへ顔を出していた薪と違って、岡部はあまり官房室に馴染みがない。ここにいる者はエリートばかり、全員がキャリアで岡部より上階級だ。それだけでも肩が凝る。

「では、捜査本部の設置と現場の指揮は一課にお任せします。いえ、そんなつもりは毛頭。そもそも、こないだのことは貸しだなどとは思っておりません」
 ではよろしくお願いします、と結んで電話を切った後、「あのタヌキおやじ」と吐き捨てる。中園の電話の相手は、どうやら警視総監らしい。
「青木くんが捕まえた犯人を引き渡して、せっかく作った貸しがパーだ」
 独り言のように愚痴るが、岡部にも大凡の察しは付く。夏の事件で、青木は自ら自分の冤罪を晴らし、犯人を捜査一課に付き出した。警察庁内部のいざこざが絡む事件だったから本当のことを公にするわけにもいかず、表面上は捜一の手柄になった。それは警視総監への貸しになっていたわけだが、今回薪の捜索を頼んだことで、その貸しがチャラになったのだ。
「ま、次長派にトドメを刺しただけで良しとするしかないね」
 中園はさっと気持ちを切り替え、自分の机から岡部の向かいのソファに移動した。

「さて岡部くん。詳しい報告を頼むよ」
 促されて岡部は、薪に送られてきていた数十通に及ぶ脅迫状のことを話した。加えて今朝は猫の首が送られてきたこと、日本橋にある中央警察署の帰り道、新人を銀座のパーキングに待たせたまま薪が失踪したこと。誰にも内緒で薪が滝沢と面会をしていたことを話すと、中園は苦虫を潰したような顔になった。
「僕の方からも調べてみるけど。滝沢くんは脅迫状とは関係ないと思うよ」
 そう言いながらも中園があからさまに舌打ちするのは、薪の無鉄砲さに腹を立てているからだ。拘置所は決して安全な場所ではない。犯罪者こそ檻の中だが、囚人の身内や関係者が常時面会に来ているのだ。その中には当然、血の気の多い連中もいる。そんな場所をSPも伴わずに訪れるとは何事か。

「脅迫状に猫の首か……薪くんのことだ。モンスターと名乗る人物との直接対決に赴き、相手の罠に掛かって拉致された、なんてことじゃないのかい」
 その可能性は充分にある。と言うか岡部も内心、そんなところだろうと推測している。
「いつかこんなことが起きるんじゃないかと思ってたよ。あの子は自分の危険に鈍感すぎる」
 小野田や自分がいくら言い聞かせてもダメなのだ、と中園は頭を抱えた。
 薪は我儘だが、周りの人間に気を使う。心配を掛けたくない、厄介事に巻き込みたくない。そんな気遣いから、不安を顔に出さない。その守りを固めるのは鉄壁のポーカーフェイス。決着を着ける時は単独行動。水臭いを通り越していっそ面倒臭い。

「小野田が海外でよかったよ。でなきゃ今ごろ大騒ぎだ」
「迷惑を掛けてすみません。おれも青木も、薪さんには一人にならないようにとお願いしてるんですけど」
 ピリリリと岡部の胸で携帯電話が鳴った。出ていいよ、と中園が顎をしゃくる。画面を確認すると、竹内からだった。
『室長がいなくなったって本当ですか』
「ずいぶん早耳だな」
『青木から電話があったんです。おれと、先生のところにも』
「まだ分からんが。官房室からのホットラインにも応答しないとなると、拉致された可能性は高い」
『そうですか……一応、先生には心当たりをリストアップしてもらってます。その他になにか、おれにできることはありませんか』
 心から薪の身を案じている。電話越しにそれが伝わってくるような、親身な声だった。竹内はいい男だ。それに引き換え、青木のやつは。
「捜索のルートは多いに越したことはない。先生のリスト先を当たってみてくれ」
『分かりました。何か掴めたら連絡します』
 竹内の電話が切れた後、中園の前だと言うことも忘れて、岡部は思わず愚痴った。
「青木のバカ。竹内はともかく、雪子先生は産休中だぞ。身体に障ったらどうするんだ」
「まあ、薪くんの一大事とあってはね。青木くんの気持ちも分かるよ」
 中園は比較的、青木には寛大だ。青木はそこそこ頭がよくて腕も立って、粘り強く丁寧な仕事をする。バランスの良い捜査官は重宝されるものだ。

 岡部が携帯電話をしまうと同時に、今度は中園の電話が鳴った。
「げ。小野田だ」
 画面を見て、顔を歪める。本当に嫌そうだ。
『薪くんがいなくなったって!? どういうことだい、中園ッ!』
 相手は電話口で怒鳴っているのだろう。声が丸聞こえだ。
 岡部を共犯にするつもりか、中園は携帯のスピーカー機能をオンにした。大きく息を吸って呼吸を整え、妙にかしこまった口調で電話口に呼びかける。
「恐縮ですが官房長。その情報を、いったいどちらからお聞き及びに?」
『青木くんがぼくに電話をくれたんだよ。ボディガードの責を果たせず、申し訳ないって』
「あのバカ犬。吠えなくていい所で吠えやがって」
 気持ちが分かるとか言ってた気がするが、あれは気のせいだったか。

『すごく責任を感じてたみたいだったよ。可哀想に』
 よかったな青木、と岡部は心の中で呟く。
 これまで青木には何かと冷たかった小野田が、青木の心情に配慮をしている。自分だって電話に向かって叫ぶほど薪が心配なのに、落ち込む青木にやさしい言葉を。小野田も少しずつ、青木のことを認めて――。
「それでおまえ、青木くんになんて言ったの」
『死ねば、って言って電話切ってやった』
 ……強く生きろよ、青木。

「これだから親バカって言われるんだ」
『聞こえてるよ、中園』
「わたしは何も言っておりませんが。電波障害ですかな」
『そうかい。電話がつながらないんじゃ日本に帰るしかないな』
「ちょ、待て。国際会議だぞ。そんなことしたら」
『じゃあぼくが会議に集中できるように取り計らってくれ』
「連絡が遅くなって申し訳ありません。報告させていただきます」
 中園は口調を改め、岡部から聞いたこれまでの経緯を要領よく説明し、現在の対応状況を簡潔に話した。

「総監には話を通した。捜査本部は捜査一課に、現場指揮は一課が執る。失踪地点の銀座から円形に捜査範囲を広げ、所轄総動員でローラーを掛ける。5課には暴力団関係の情報を当たらせる。僕は僕の情報網を使って、薪くんを全力で探し出す」
 他に何か、と中園は上司に意見を求めた。中園の隙のない捜査計画に、小野田が電話の向こうで頷く。
「第九の皆には、容疑者の絞り込みのために過去の事件の洗い出しをしてもらう。薪くんに恨みを持っていそうな人間を炙り出すんだ。頼んだよ、岡部くん」
『ぼくからもよろしく頼むよ、岡部くん』
 はい、と応諾する岡部に、小野田は気遣わしげな口調で、
『今回はいつもの人騒がせとは違う気がするんだ。ぼくはね、こないだ薪くんをうんと叱ったんだよ。彼、その場では不満そうな顔してたけど、次の日茶巾ずし持って謝りに来て。ちゃんと反省したみたいだった。それからまだ2ヶ月しか経ってないのに、こんな騒ぎを起こすとは思えないんだ』
 茶巾ずしで懐柔されるとは、天下の官房長も意外と安い。
 中園と岡部は同時にそんな感慨を抱いたが、双方それを口には出さず。それぞれの捜索を速やかに進めるため、自分のテリトリーに戻って行った。



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モンスター(11)

 こんにちはー。

 おかげさまで、花屋の物置が撤去されました。これで先に進める♪ と思ったら、
 今度は横断する既設道路に下水の圧送管が出てきやがりまして、なんで下水道がGL△600の深さに入ってるのよー(><) (今は1200くらいの深さに埋めるんだけど、昔は規格ギリギリの600くらいに埋めてたらしい、てか、U字溝が入らないじゃん! 設計ミスだろ、これ!)
 おかげで切り回し工事が追加になり。またもや頭が痛い現場代理人です。

 何かの祟りかと思えば、こんなん書いてるからかしら。

*薪さんが痛い目に遭うの嫌な方、この章は飛ばして読んでください。読まなくても話は繋がりますのでご安心を。(それなら無くてもよかったんじゃ……)




モンスター(11)




 激しい痛みと寒さで、薪は眼を覚ました。
 潤んだ亜麻色の瞳が映しだしたのは埃まみれの板の間。投げ出された自分の右手が見える。左手首は手錠でベッドの脚に繋がれており、薪はそれより先に動くことができない。
 せっかくベッドがあるのだから使わせてくれてもいいのに、と薪は首を動かしてベッドを見上げるが、マットが破れてスプリングが飛び出しているのを見て諦めた。あれは傷に響きそうだ。
 せめて毛布が欲しい。10月も終わりに近いと言うのに、裸に近い格好で隙間風がびゅうびゅう入るこんな廃屋に転がされて。風邪を引いたらまた岡部が騒ぐだろう。
 ――生きて帰れたらの話だが。

「うっ……痛ぅ」
 薪を捕えた人物は残忍だった。
 なんのためらいもなく、薪の皮膚をメスで切り裂いた。薪が苦痛に悶える様を見て嘲笑い、つけたばかりの傷をさらに抉った。そうして少しずつ少しずつ、薪の身体に深い傷を刻んでいった。まるで子供が、捕まえた昆虫の脚を一本一本むしって行くように。
 特に重症なのは下腹部で、その部分の痛みは凄まじかった。初めて青木と結ばれた時も痛かったが、その比ではなかった。性器には針のようなものを突き立てられ、後ろには男性器の形をした大ぶりの器具をむりやり突っ込まれた。その様子を動画に撮られた。ネットに流すと言っていたから、今頃大騒ぎになっているだろう。

 表を歩けなくなる、そんな心配は要らないと言われた。
 おまえはここで私に嬲り殺される。二度と日の目を見ることはないのだから安心しろと、普通なら肩を叩く代わりに鞭で引っぱたかれた。
 薪の背中に蚯蚓腫れの痕を残しながら、薪が聞きもしないのに理由を説明してくれた。
 自分がどうしてこんな目に遭わされるか分かるか。私の兄がされたことをそっくりおまえにしてやるのだ。それがおまえに与えられた罰なのだと、確かそんな説明だった。痛みが激しくて、相手の話は半分も耳に入ってこなかった。

「ったく。この年でハードSMはきつい」
 絶体絶命の窮地に、薪は軽口を叩いた。
「また中園さんに大目玉だ」
 犯人は今、ここにはいない。来るとしたらおそらく夜の8時過ぎ。痛みに気絶していた時間を2時間と見込んでも、3時間くらいは余裕がありそうだ。だが、動けそうもなかった。傷が深すぎる。
「小野田さんにも迷惑かけちゃうし」
 誰もいない空虚に、薪の乾いた声が吸い込まれていく。
「岡部やみんなが心配して……」
 目の縁から涙がこぼれて、土埃に黒ずんだ亜麻色の髪を濡らした。くちびるが震えて声が出せない。どうやらカラ元気も打ち止めだった。

 死にたくないと薪は思った。
 これに近い状況に追い込まれたことは何度かあった。死を覚悟したことも、一度や二度ではない。だが薪はこれまでに一度も、こんな風に願ったことはなかった。
 心のどこかで誰かが助けに来ることを信じていた。その希望を最後まで、捨てたことはなかった。

 今回は違う。自分はここで死ななければいけないのだ。だからこそ痛切に思った。

 死にたくない。
 死にたくない。
 死にたくない。

 声にならないその願いが、薪のくちびるに一人の男の名を象らせる。
「青木――」
 青木に会いたい。死ぬ前に、一目青木に会いたい。会って告げたい、幸せだったと。おまえに会えて、愛されて、僕は幸せだったと。
「うっ……」
 もう恥も外聞もなかった。犯人の前では零すまいと決意した涙は、一度流してしまうと、我慢を重ねた分だけ歯止めが効かなかった。

 思いがけず最後の晩餐になった、昨夜の食事は甘鯛の酒蒸しだった。それとインゲンの胡麻和え、キンピラゴボウ、海藻のサラダ。
 この日が今日来ると分かっていたら、青木が好きな煮込みハンバーグを作ってやればよかった。ビールももう1本飲ませてやればよかった、セックスも。会議を理由に断ったりしなきゃよかった。

 いや。分かってはいたのだ。
 いずれこんな日が来ることは分かっていたのに。
 それは今日じゃない、明日じゃないと、何の根拠もなく思い込んでいた。だってあんまり楽しかったから。
 彼に恋をして、その彼と一緒に暮らせるようになって、地球の引力を振り切れそうなくらい舞い上がりきってた。その幸福が自分に訪れたことに驚きはあっても疑いはなかった。この幸せが明日も明後日も続くのだと、信じていた。

 なんて愚かだったんだろう、僕は。
 そんなこと。神さまが許すはずもないのに。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

モンスター(12)

 こんにちは。
 
 先日の薪さん生誕祭、盛り上がってましたね!
 久しぶりにブログさん巡りして、みなさんの薪さんを堪能させていただきました♪ 楽しかった、本当に楽しかった!
 やっぱり薪さんはわたしの生きる糧です。早起きして時間作ろう。(ブログのために早起きとか、なんてダメ嫁)

 え、おまえは何もしないのかって?
 Nさんのとこで公開されてた感涙ものの「白百合と薪さん」のイラストから、コラボが生まれそうですね、てTさんがおっしゃってくださったんですけど、わたしの頭の中にはすでに、
 百合の花背負った薪さんに警視総監がドン引くギャグ絵しかない(・∀・) それでよければ書きますけどw
 ギャグに縛られるやつですみません。お二方はじめ、イラストの美しさに感動したすべての人にお詫び申し上げます。



 さて、お話の続きです。
 てか、前回の章ヒドイよね(^^;) あの先、読んでくれる人いるのかしら……。





モンスター(12)






 翌日の第九は喧騒に満たされていた。
 研究室に残された薪の私物や、届けられた手紙から犯人の手掛かりを探すため、幾人もの鑑識や捜査員が立ち入り調査にやって来たのだ。

 当然、MRIによる捜査は差し止めとなった。視覚者のプライバシー保護のため、部外者がいるときは捜査ができない。代わりに職員たちに割り振られたのは、過去の捜査資料の検分であった。
 モンスターと名乗る人物は、これまでに第九で扱った事件の関係者である可能性が高い。しかし捜査資料は、第九職員以外には見せられない。よってその洗い出し作業が彼らに回ってきたのだ。
「第九創業時からとなると、膨大な数だな」
「もう10年だからな」
 電子ファイル化されたそれらの資料をPC画面に出力しながら、小池と曽我が囁き合う。その隣では今井と山本が、知人から送られてくる情報を携帯で確認しつつ、古い事件を紐解いていた。

「薪さんを逆恨みしそうな奴と言えば、MRI捜査で捕まった犯人の身内とか友人とか」
「全部合わせたら1000人くらいになるぜ。そんなに見きれるかよ」
「仕事しすぎなんだよ、あのひと。犯人捕まえすぎ」
「仕事の虫もこういう時は困りものですねえ」
 ぶつくさと文句を言いながら、しかし彼らの眼は真剣そのものであった。今朝、彼らが出勤して来たのは6時前。薪の捜索は警視庁に預けて自宅に引き取ったものの、まんじりともせず夜が明けてそのまま、始発に乗って職場に帰ってきてしまったのだ。

 薪の行方は杳として知れなかった。
 山本から連絡を受けた中園はすぐさま行動を起こし、警視庁に捜査本部を設置した。
 警視庁及び都内の所轄では可能な限りの人員を割いて捜索に当たったが、何処を探して良いのか見当も付かない状態では思うような成果は上がらない。姿を消したと言う銀座駅近くのパーキング近辺から虱潰しに聞き込みを掛けたが、誰も薪を見た者はいなかった。あれだけ目立つ人物なのだから、もっと人の記憶に残っても良さそうなものだ。もしかしたら脅されて、帽子やマスクなど特徴を隠すものを付けさせられたのかもしれない。
 もちろん、中園独自のルートでも捜索は行われていた。組対五課の面々は、自発的に暴力団関係を洗っていた。雪子や竹内、昔の同僚など、友人たちはそれぞれに自分の知り合いに連絡をし、薪の行方を探していた。が、誰一人として有力な情報を得ることはできなかった。

「こっちも思わしくないけど、あっちも混乱してるみたいだぜ」
 小池の示す方向を見て、曽我は耳を欹てる。室長室からは薪の私物を調べる捜査員と、それに立ち会っている副室長の会話が聞こえてきた。
『あっ、室長のシークレットボックスが壊されている! 犯人め、こんなところまで!』
『いや。これを壊したのはおれだ』
『なんと。ではあなたが犯人だったのですね、岡部警視!』
『なんでそうなる!』
 4人は思わず机上に突っ伏した。捜査ミスにも限度がある。
「一課の連中も相当テンパってるな」
「無理ないよ。岡部さんは捜一では伝説の人だから。シャーロックホームズの前で捜査してるようなもんだよ」
「そりゃ緊張するわな」
「でもなんか、鑑識の人もちょっと変ですよ」
 山本の言葉に他の3人が再び耳を澄ますと、薪の私物を検める鑑識課の声が。

『こ、これが薪室長のロッカー』
『なんていい匂いだ』
『まったくだ』
 曽我の手からばさりと資料が落ちた。しかしそれを拾うものは誰もいなかった。
「そう言えば、鑑識にもあったよな。薪さんのファンクラブ」
 遠い眼をして今井が呟く。皆なぜか一様に俯いていた。

『この扉に薪室長の手が。この鏡に薪室長の顔が』
『中にヘアブラシが置いてあるぞ。残念ながら髪の毛は付いてないが』
 噂では鑑識課では、現場に落ちた薪の髪の毛などを採取してDNA鑑定をし、その鑑定書を会員証の代わりにしているとか、会員になるには試験があって、それは薪のDNAの塩基配列から導き出される彼の美しさについての論文を提出することだとか――あくまでも噂である。
『見ろ、替えのワイシャツがある』
『使用済みの衣類はないのか? できれば靴下とか』
 自分たちが使用するわけではなく、警察犬に嗅がせると信じたい。
『残念ながら靴下はないが、靴べらはあるぞ』
『ああ、これで室長に叩かれたい……!』
 ファンクラブと言うより単なる変態集団のような気もする。

「おまえら、みんな出てけぇっ!!」
 とうとう岡部の雷が落ちて、室長室から蜘蛛の子を散らすように捜査員たちが飛び出してきた。
「だれだ、こんな連中を現場検証に寄越したのはっ!」
 岡部は怒り心頭に発していたが、それでも彼らは手紙の束とノートパソコン、第九職員が見つけられなかった薪のスケジュール表、書き損じてゴミ箱に捨てたメモなどを持って帰った。一応はプロの捜査官らしく、ちゃんと自分の仕事はして行ったようだ。

 室長室から出て来た岡部は、モニタールームをさっと見回すと、青木と一緒にモニターを覗き込んでいる新人の机に近付いた。
「荒木。犯人に心当たりはないか」
 荒木は慣れない現場検証に緊張していたのか、ビクッと肩を跳ね上げ、不安そうな眼で岡部を見上げた。
「ここ最近、薪さんのお世話をしてたのはおまえだ。なにか変ったことはなかったか」
「……思い当たりません」
 しばしの熟考の後、荒木は言った。いつもとは打って変わって重い口調だった。
 荒木なりに責任を感じているのだろう。命令に背いての尾行とは言え、荒木が薪を見失わなければ薪は無事だったかもしれないのだ。しかし、それだけの技術を警大を出たてのキャリアに求めるのは無謀だ。尾行は体で覚えるものだ。現場経験を積まなければスキルは身に付かない。

「後を尾けたのは今回が初めてじゃないと言ってたな。薪さんは、おまえを待たせていつも何処へ行ってたんだ?」
「それは」
 答えるべきか否か、荒木は判断に迷うようだった。どうやら相手は薪のプライベートな人物らしい。
「プライバシーを守ってる場合じゃない。今はどんな情報でもいいから必要なんだ」
 岡部に説得されて、荒木が重い口を開く。出てきた証言は意外なものだった。
「室長は女性と会ってました」
「オンナ?」
 薪は春に青木と暮らし始めたばかり、その真実を第九の仲間たちは知っている。とはいえ薪が同性愛者ではないことも分かっているから、薪にそういう相手がいないと断定はできないが、さて。
「青木、ちょっと落ち着け。気持ちは分かるが、てかマウス割れてるし!」
 一人だけ、薪の『そういう相手』を認めることができない職員が大きな手でPCマウスを握り潰すのを横目に、岡部は質問を続けた。

「どういう場所で、どんな女だった?」
「場所はカフェとか、ホテルのラウンジとか。相手の女性はつばの大きな帽子を被って、顔が半分くらい隠れるサングラスをして」
 明らかに素顔を隠している様子だ。何か事情があるに違いない。
「背は室長と同じくらい。髪は肩までで、黒かったです」
「いつも同じ女だったか」
「毎回尾行が成功したわけじゃないですけど。おれが見た限りでは、同じ女でした」
 荒木が薪の行先を突き止めたのは、滝沢のいる東京拘置所を合わせて4回。置いてきぼりをくらった回数はそれと同じくらいだと言うから、週に1度の頻度でその女性と会っていたことになる。

「もしかしたらその女が」
「モンスターか、そうじゃなくても何か知っている可能性が高いな」
 最近になって薪が会い始めた謎の女。この女の正体が分かれば、薪の居所が掴めるかもしれない。

「よし、荒木。室長と女が会っていた場所におれを案内してくれ」
 岡部は上着を肩に掛けて颯爽と立ち上がり、荒木に車のキィを投げた。それから青木に向かって、
「青木、おまえも来い。おまえの鼻なら薪さんを追えるかもしれん」
 青木を警察犬扱いする、岡部に青木は気弱に微笑み返す。
「それが、見当も付かなくて。家でも何も見つけられなかったし」
 昨夜青木は、今は自分の家となった薪のマンションに帰り、事件について何か手がかりがないか、薪の私物を探ってみた。薪が青木に見せないようにしている鈴木の写真を入れた箱の中も調べてみたが、『モンスター』に関係していそうなものは何も出てこなかった。青木が偶然見つけてしまうことの無いように、自宅へは持ちこまなかったのだろう。いつものように、青木を巻き込むことを避けたのだ。その点では、室長室の机の中が一番安全だ。部下である青木は、職務に関しては決して出過ぎないからだ。

「春の事件のときも最初はそんなことを言ってたが、見事薪さんの居場所を探り当てたじゃないか。今度も大丈夫だ。そのうち薪さんの声が聞こえてくるさ」
 今まで何度も見せつけられた、青木と薪の不思議な絆。今回もそれに期待していると、岡部は青木の肩を軽く叩く。ついでに荒木の肩も、ごく軽く叩いた。
「道案内、よろしく頼むぞ、荒木」
「はいいい痛ったあっ!!」
「えっ。荒木、どこか怪我してたのか?」
「い、いいえ。大丈夫です」
「だから岡部さんの軽くは普通の人の目いっぱいなんですよ……」
 青木は岡部の特訓を受けて長いから慣れてしまったが、身体を鍛える必要のないキャリア組の荒木には堪えたらしい。荒木は叩かれた肩を擦りつつ、引き攣った笑いを浮かべた。

 後のことを今井に託し、3人は執務室を出た。
 エントランスまでの長い廊下を二人の後に着いて歩きながら、青木は心の中で薪に呼びかける。

 薪さん。
 オレを呼んでください。
 呼んでくだされば、オレはすぐに飛んで行きます。水の中でも土の中でも――何度でも見つけるって、約束したでしょう?

「青木。早く乗れ」
 いつの間にか車の前に立っていた。後ろの窓が開いて、中から岡部が青木を急かす。
「薪さん――」
 口中で小さく呟き、その人の面影を胸にしまって、青木は荒木の運転する車に乗り込んだ。



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ジャンル : 小説・文学

モンスター(13)

 先日、親友に「あんたの星座と血液型が薪さんと同じで、わたしの星座が青木さんと同じなのよ」と言う話をしましたら、「逆じゃね?」て言われました。わたしの方が薪さんじゃないの、てことで。
 でもこれ、褒め言葉じゃない。
 わたしの親友は、「薪さん=天才だけど性格破綻者。基本自分が王さまで自分勝手」 で、「青木さん=常識人。薪さんに振り回される可愛そうな人」だと思い込んでるんですよ。本当は青木さんの方が薪さんを振り回してるんだってこと、分からせてあげなきゃ。
 あ、でも、そうすると結局わたしが彼女を振り回してることになって、彼女の考えが正しいことに……ううーん。

 射手座と水瓶座って、火と水だもんねえ。仕方ないねえ。



 さて、続きです。
 
 今回の話、薪さんに痛い思いさせてすみません。何人もの方に言われて読み直してみたら、うん、けっこうヒドイね!!<おい。
 わたし、書いてるときは理性とか常識とか飛んでるから……誠に申し訳ないです。

 この章、すっごく短いんで、次のも一緒に上げます。よろしくです。




モンスター(13)





 青木の声が聞こえたような気がした。

 目を開けて、割れた窓から差し込む太陽光の位置が記憶よりも1mばかり右にあることに気付き、薪は知らず知らずのうちに自分が眠っていたことを知る。
 まだ、生きている。身体中痛いが。

 前の道からだろうか、若い女性の声がする。途切れ途切れに入ってくる会話から察するに、帰宅途中の女子学生らしい。センター試験の話をしているから、受験生だろうか。

 声の限りに叫べば、気付いてもらえたかもしれない。
 しかし薪の肺は、そのための息を吸おうとしない。声を出そうとすると突き刺さるような痛みを感じた。胸が潰れそうだ。
 歯を食いしばって痛みをやり過ごすうち、女子学生の声は遠ざかってしまった。失望とも安堵ともつかぬ溜め息を洩らし、薪は少しでも痛みを和らげるため、浅い呼吸に務めた。

 庭先から小鳥の声が聞こえる。
 元は民家らしいこの廃屋は、無人になって長いらしく、庭の樹も伸び放題だった。それが目隠しになって、表からは家の屋根すら見えない。見えたところで窓ガラスもない空き家だ。ホームレスだってもう少しまともな寝床を見つけるだろう。

 何かが自分の裸の脚を這っている。見ると、大きなムカデだった。
 ジメジメした廃屋は害虫たちの温床だ。痛みに紛れて気付かなかったが、周りには芋虫やらゲジゲジやら、汚らしい虫がたくさんいた。

 最悪だ、と薪は心の中で呟いた。薪はあまり虫が好きではない。
 だが、自分に相応しい寝床だとも思った。
 自分はこの虫たちと同じだ。人に蔑まれ、日陰にしか生きられず。太陽の光も美しいものも、見てはいけない。

 ――あの日から。

 薪は再び眼を閉じて、浅い眠りに戻った。
 今宵また自分を訪れるであろう耐え難い苦しみに向けて、少しでも体力を回復させるために。




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モンスター(14)

 本日、2個目の記事です。
 (13)を先に読んでください。あ、いや、読まなくても通じますね。薪さん、ちょっと可哀相なんで、痛いの苦手な方は飛ばしてOKです。(じゃあ何故書く←だって萌えるんだもん←ゲス野郎)





モンスター(14)





 荒木が最初に二人を連れて行ったのは、都内に数えきれないほどある有名なファミリーレストランの一つだった。
「薪さんが、女と会うのにファミレス?」
 薪のイメージに合わないと、岡部と青木は揃って首を傾げたが、荒木はここで間違いないと断言した。
「この席に座ってたんです」
 そう言って案内したのは窓際の席で、基本、密会に通りから丸見えの席を選ぶなんてこれもまた不自然だと青木は思ったが、それは薪の不貞を信じたくない青木の思い込みに過ぎなかったかもしれない。
 店のロゴが印刷された全面ガラス張りの窓からは、歩道を闊歩する人々の顔がよく見えた。少し奥に焦点をずらせば信号待ちをしている車の群れ、横断歩道を渡るビジネスマンたち、その先にはK大学の門から吐き出される学生たちの姿が見える。

「先月の10日頃、店にこの人が来ませんでしたか。つばの大きな帽子を被ったご婦人と一緒だったと思うんですけど」
 薪の写真を片手に店員に聞き込みをしたが、薪と女を憶えている者はいなかった。駅に近いだけあって、この店は客が多い。聞き込みをしている間にも、向かいの大学で講義を終えたらしい学生たちが2回程、団体で入って来た。この調子では1日の集客数は300人を超えるだろう。1月も前の客の顔を憶えていないのも無理はなかった。

「青木、どうだ。薪さんとこの店、なんか関係ありそうか」
「いいえ。薪さん、ファミレス嫌いですから」
 1度だけ、外回りの帰りに青木の腹の虫が騒ぎ出して、手近なファミレスに寄ったことがある。その時の薪の講評は、うるさいし、料理は不味いし、とクソミソだった。それ以来、一度も利用したことがない。

 そこでの聞き込みは諦めて、次の場所へ行くことにした。
 次に荒木が案内したカフェは、ビルの地下にある暗い雰囲気の店だった。やたらとギターを担いだ若者が目に着くと思ったら、ライブカフェなのだそうだ。ここもまた、ティータイムに静寂を好む薪らしくない。
 外から見えない地下の店は密会向きなのだろうが、やはり薪の好みではない。薪は青木が選ぶ店に文句を言ったことはないが、照明の暗い店には眉を寄せるし、外の風景が見えない店はつまらなそうな顔をする。薪が好むのは明るく清潔な店で、窓が大きく開放感がある。外に雄大な自然が広がっていたりするとベストだが、それは東京では難しい。

 そう言った意味では最後に訪れた喫茶店も、良い選択とは思えなかった。
 店は手狭で、10人分しか席がない。落ち着いた会話には不向きなスツール椅子しか置いてないし、雑居ビルの中にあるから外はロクに見えない。コーヒーは正直言って不味かった。
 ただこの店には一つだけ、青木の注意を引いたものがあった。コルクボード一杯にピンで留められた写真だ。この店の開店当初からの習慣で、常連客がここで写真を撮り、このボードに残していくのだそうだ。
 もちろん、密会に使った店で写真を残していくはずはない。そこに映っているのは若者たち、それも学生ばかりだった。さっきのファミレスもそうだったが、この喫茶店は若い客が多いようだ。近くに学校があったから、きっとそこから流れてくるのだろう。
 時代も服装もまちまちの、それらの写真の中には少しだけ薪に似た子もいたりして、青木は、薪も大学時代はこんな店に学友たちと立ち寄ったのだろうか、などとノスタルジックなことを考えた。

「店はこれで最後か?」
「そうです」
 最後の喫茶店の、焙煎のし過ぎで焦げ臭いコーヒーを飲み終えて岡部は、ふうむと鼻から息を吐いた。
 荒木に導かれて薪と謎の女性の密会場所を回ったが、手応えはまるでなかった。それどころか違和感だらけだった。自分の好みとはかけ離れた店で、つばの大きな帽子を被ったサングラスの女と、薪は何をしていたのだろう?

 どの店でも目撃情報は得られなかったし、店の周辺でもそれは同じだった。捜査は空振りに終わり、3人は肩を落として第九に帰って来た。
 第九では4人の職員たちが、書類に埋もれて死にかけていた。みな、画面の見過ぎで眼がしょぼしょぼしている。小池なぞ、目が線ではなく点線になっている。
 どうでしたか、と訊かれて黙って首を振る。同じ質問を返す気にはなれなかった。聞かずとも、彼らの生気のない顔を見れば答えは明らかだった。
 同様に、捜索隊の成果も芳しくなかった。
 捜査一課では捜索範囲を消失点から半径10キロに広げたが、目ぼしい情報は得られなかった。
 薪は銀座のパーキングから、煙のように消えてしまった。あれだけ人目を引く人が、一目見たら忘れられない容姿を持つ人が、誰の眼にも触れず誰の記憶にも残らず。それこそモンスターに骨まで食われてしまったかのように。
 それらの情報は、岡部の後輩の竹内から得たものだ。竹内も今は警察庁勤めだが、捜査一課には彼が育てた後輩たちがいる。彼らに逐一報告を入れさせ、それを自分の先輩である岡部に流してくれるのだ。現場からの生の声は、官房室に上がる一課長の報告書より正確だ。見栄やプライドが絡まず、事実に尾ひれも付かない。

「おれは中園さんのところに顔を出してから帰る。おまえらも、もう帰れ。続きはまた明日だ」
 薪のことは心配だが、部下の身体も大事だ。休息を取らせなければ仕事の能率も下がる。
 特に荒木は精神的にも限界のようだ。新人で職場に慣れていない上、薪の失踪の責任を強く感じている。昨夜も眠れなかったのだろう、真っ赤な眼をして青白い顔をして、立っているのがやっとと言う有様だ。

「荒木、おまえは悪くない。荒木が責任を感じることは何もないよ」
 誰かがそれを言ってやらなければいけないと青木は感じて、そしてそれを言うのは指導員の自分の役目だと思った。
 よほど追い詰められていたのだろう、荒木は今にも泣き出しそうに顔を歪めた。罪の意識がそうさせるのか、眼の縁に涙まで滲ませて、
「青木さん……おれ……」
「青木の言う通りだ。今日は何も考えず、酒でも飲んで寝ちまえ」
 岡部にやさしく肩を叩かれて、荒木はようやく頬を緩めた。その日初めての、そして最後の笑みだった。



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ジャンル : 小説・文学

モンスター(15)

 こちら、可哀想な薪さん苦手な方はご遠慮ください、て、何度めの避難勧告だか(^^;

 やっぱり短いんで、次の章も一緒に上げます。
 姑息に、痛い薪さんがトップに来るのを防いでいるわけではありません(笑)






モンスター(15)





 思ったよりも長く眠っていたらしい。頭に水を掛けられて目が覚めた。薄目を開けるとランタンの灯りで錆びたバケツが転がっているのが見えた。薪の記憶に間違いがなければ庭に放置されていたものだ。
 水は、吐き気を催す臭いがした。バケツに溜まった雨水の上に落ち葉が降り積もって、それを食べる虫が湧いていた。それをそのまま掛けられたのだろう。

 できるだけ平静な眼で、薪は来訪者を見上げた。
 床から見上げるアングルだと、相手の帽子のつばが殊更大きく見える。サングラスはこの薄暗さの中では視界を悪くするだけだろうと思うが、相手は頑なにそのスタイルを貫いた。昨夜もその格好で薪を苛んだのだ。

 おまえのせいで私の家族はめちゃめちゃになったのだ、とその人物は言った。言いながら、昨夜刻まれたばかりでまだ薄皮もできない薪の腕の傷を爪で抉った。
 歯を食いしばる薪に、相手は、苦しいか、と訊いた。
 薪は返事をしなかった。ただ黙って痛みに耐えた。すると、傷を抉る力は倍になった。薪は歯を食いしばる力を2倍にし、それを堪えた。
 身体に掛けられていた上着が外されると、夜気の冷たさが骨身に染みた。食事を与えられていないから、細胞が熱を生み出すことができない。冷えきった身体に鞭は堪えた。いくら音消しの布を食まされても、呻き声が漏れてしまう。
 振り下ろされた正確な回数は分からない。しかしそれは昨日よりも短く感じた。打たれる間にも意識が途切れることが増えてきたから、そのせいかもしれないが。

 焼き鏝を当てられたような背中の痛みに耐えていると、相手は床に転がっていた責め具の中から一つを選び、それを手に取った。細い手に握られたグロテスクな物体に気付き、薪は身を固くする。羞恥心の強い薪にとって、それは純粋な苦痛より如何ほども耐え難かった。
 それは勘弁してくれないか、と薪は控え目に言った。開かれようとした太腿には、無意識に力が入っていた。
 薪の弱々しい抵抗に、相手は口角を吊り上げた。三日月形の唇から薪の心を砕く言葉が放たれる。

 おまえが絶望の中でのたうち回るのが見たいのだ。寒さに震えるのではなく、屈辱に震えるおまえをこそ見たいのだ。
 痛みと恥辱にまみれて死んでいった、私の兄のように。

 薪は身体の力を抜いた。すべてを諦めて眼を閉じた。
 長い夜は始まったばかりだった。



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モンスター(16)

 本日、2個目の記事です。
 痛い薪さん平気な方は(15)から、地雷の方はこちらからどうぞ。




モンスター(16)






 2ヶ月前――。

 アクリルボードの外側で腕を組み、薪はパイプ椅子にふんぞり返った。来てやったのだからそちらから喋れと、15分しかない面会時間を無駄にする気かと、さらに背中を反らしたら椅子ごと引っくり返りそうになった。このパイプ椅子の不安定さはどうにかならないものか。
「相変わらず危なっかしいな、薪は」
 ふっと鼻で笑われて盛大に舌打ちする。帰る、と席を立つと、相手は一層笑いを深めた。

「おまえは相変わらず偉そうだな。滝沢」
 薪は歪んだパイプ椅子に座り直し、安定性を確保するため、開いた足をしっかりと床に付けて背筋を伸ばした。
「て言うかおまえ、全然変わってなくないか? なんで?」
 当たり前だが、刑務所の中は犯罪者だらけだ。荒くれ者も多く一瞬たりとも気が抜けない。特に滝沢のような元警察官は、彼らに目の敵される。事あるごとに暴力の洗礼を受けるのが暗黙のルールだ。そんな生活を3年も続けていれば、もっと顔つきが荒んだり、やつれたりするものではないか。
 見た目の変化の無さを薪に指摘された滝沢は、「おまえには負けるよ」と吹き出すように笑って、
「ここは案外快適でな」と穏やかに言った。
「そんなはずがあるか。警察官がム所に入ったら五体満足で出て来れないって」
「入ったばかりの頃、親切な連中が入れ替わり立ち替わり挨拶に来てくれてな。おかげで使い走りには不自由しとらん」
 全員シメたのか。なんてやつだ。
 どうやら刑務所内の皇帝に収まったらしい滝沢は、その力でもって塀の中に居ながら外界を探れる情報網を構築したと言う。現に、幾人かの刑務官も丸めこみ、こうして記録に残さない面会も可能になっている。まったく呆れた男だ。

「で。僕に何の用だ」
「おまえのかわいい顔が見たくてな」
「写真でも差し入れて欲しいのか。――げ」
 滝沢はニヤリと右頬を歪め、灰色の作業服のポケットから一枚の写真を取り出した。そこには、ツインテールにフリルまみれの衣装を着けた女の子、もとい自分の姿が。
「ここの壁は意外と薄くてな。こんなものも通り抜けてくる」
 何年か前、ゴスロリ好きの変態科学者を捕まえたことがある。薪は個人的な恨みから、その犯人に自分で手錠をかけたかった。犯人を捕まえるための罠を考えたのは薪だが、その要となる少女役を自分が務めることになったのは誤算だった。確かに危険性の高い役柄だったが、捜査一課があそこまで強く女子職員の起用を拒否するとは思わなかった。それでいて薪の作戦を支持した彼らの真意がこの写真の姿にあったことは、事件に隠されたもう一つの真実と言うか知らぬが仏と言うか。

「写真はそろそろ飽きたんでな。現物が拝みたくなったと言うわけだ」
「目玉潰してやろうか」
 薪の渾身の脅し文句なぞどこ吹く風、滝沢はニヤニヤと笑いながら、
「この写真、刑務所内で何に使われてるか知りたくないか」
 薪も男だから大方の予想はつく。と言うよりそれ以外の用途が思いつかない。
「このボードがなかったら撃ち殺されてるぞ、おまえ」
「おいおい、看守の前でそんな冗談を言うもんじゃない。する気もないことを真面目な顔で言う、おまえのそういうところはおれの好みだがな」
 何か強烈な皮肉を言い返してやろうと口を開きかけて、止めた。滝沢のセクハラ癖は今に始まったことではない。どうせこいつには何もできないのだ。ムキになるだけ損だ。

 腕を組んでパイプ椅子にもたれかかった薪に、滝沢は何気ない口調で、
「青木と暮らし始めたんだって?」
「大きなお世話、っ、誰にその話を」
 滝沢が自分に会いたがっていると、無記名の封書が第九に届いたときには驚いたが、この男にはそういった協力者が何人もいるのだろう。薪の周りを探っている人間もいるに違いない。
「道理で肌艶がいいわけだ」
「叩き殺す……! 表に出ろ!」
「薪、落ち着け。あまり看守を困らせるな」
 いきり立つ薪を滝沢が諌める。どちらが服役囚だか分からない。

「本当に帰るぞ! おまえにからかわれるために小菅くんだりまで来るほど暇じゃないんだ、僕は!」
「貝沼事件の捜査中。おれは一人の女に捜査情報を漏らした」
 びくん、と薪の身体が硬直した。唐突に突き付けられたのは、10年前の惨劇。
『貝沼』というキーワードで、薪の脳裏には瞬く間に事件の全貌が浮かぶ。連鎖する記憶は悲劇に次ぐ悲劇。折り重なった少年たちの死体。何度も夢に見た、ひとつとしてまともな身体はない、狂人の緻密さでもって切り刻まれたその惨たらしい姿。
 ぐにゃりと周りの風景が歪む。さっきまで真っ直ぐだったアクリルボードが、うねうねとのたくっている。パイプ椅子は今や、出来損ないのロッキングチェアのようだ。

「おまえは上野の家に謝罪に行っていた。鈴木はあの調子で、特捜の部屋に籠って一人で貝沼の画を見ていた。あの女が訪ねてきたとき、第九に対応可能な職員はおれしかいなかった。それでおれがあの女の相手をした」
 滝沢の声が、引き潮のごとく引いて行く。カタカタと音を立てて震える足元から、黒いものが這い上がってくる。
「女はつばの大きな白い帽子に大きなサングラスを掛けていて、顔は殆ど見えなかった。正門の警備員が追い払おうとしていたのを、おれが引き止めて中に入れてやった。
 その女はおれに、どうして自分の息子が被害者になったのか、訳を教えて欲しいと言った。それでおれはその女に」
 黒い霧のようなものは次第に薪の視界を塞ぎ、耳孔を塞ぎ、喉を塞ぐ。見えない手に首を絞められる感覚。

「――ちゃんと聞いてるか、薪」
 ごん、と額のすぐ側で音がして、薪は我に返った。光が戻ってくる。目の前のボードに内側から叩きつけられた滝沢の拳があった。
「大丈夫だ……大丈夫」
 込み上げてきた吐き気を抑えるため、手で口元を覆った。唾を飲もうとしたが、口の中がカラカラに乾いて為せない。深く息を吸い、委縮した肺を必死にこじ開けた。
「悪かった。続けてくれ」
 室長の仮面を着けたつもりだったが、もしかするとそれはひびだらけだったのかもしれない。滝沢がほんの少しだけ眉をしかめたから。

「貝沼は」
 それでも滝沢は薪の望み通り、話の続きをしてくれた。
「貝沼は第九の薪室長のことが好きで、彼に会いたくて人殺しになった。あんたの息子は薪室長にほんの少し似ていたから殺されたんだと、そう言ってやった」
 なぜそんなことを、と薪は言わなかった。言えなかった。それは本当のことだった。
「息子は苦しまずに死ねたのか、と訊かれたから、殺される前にどんなことをされたのか、詳しく教えてやった。他の被害者と同じように、その女の息子も酷い殺され方をしていた」
 ナイフで身体中を傷つけられ、その傷口を鞭で叩かれていた。性器に針を突き立てられ、後孔を責め道具で犯されて、彼の泣き叫ぶ声を聞いて貝沼は楽しんでいた。最後は喉をジャックナイフで切り裂かれて息絶えた。それが彼にとっての救いであるとさえ、見る者に思わせる凄惨さであった。

「おれはその頃、第九を壊滅させるために送り込まれた次長側のスパイだった。この女がマスコミにリークしてくれれば、格好のスキャンダルになると思った」
 滝沢の職務違反に薪は一切の弁明を求めなかったが、滝沢は自分からその理由を述べた。釈明ではなく、事実の伝達であった。
「ちょっと待て、滝沢。おまえ、貝沼の最期を」
「見た。あの女が使えなければおれが自分であの画像をリークするつもりだった」
 貝沼の画像が、鈴木の守った秘密が、MRIデータから削除されたのは鈴木が死んだ日。その前に、滝沢はそれを見ていた。しかし。
「おまえが鈴木を撃ち殺して。その必要はなくなった」

 貝沼事件被害者の遺族に、殺害動機の真実を知った者がいる。もたらされたその事実は薪の恐怖と当時の罪悪感を引き戻し、彼の面を蒼白にした。前髪に隠れた額に、じっとりと脂汗が浮かぶ。いくら唇を噛みしめても、顎の震えは止まらなかった。
「薪。ひとつ忠告しておいてやる」
 滝沢の眼に憐れみが浮かぶのを見て、薪はかぶりを振った。おまえに慰められるくらいなら死んだ方がマシだと心の中で毒づいた。でも本音では。
 もう、何も聞きたくなかった。

「これ以上、自分の中に秘密を増やすな」
 かぶりを振り続ける薪に、滝沢は言った。
「腹の中ぜんぶ晒け出せないようじゃ、一緒に暮らしてても意味がない」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

モンスター(17)

モンスター(17)






 薪が姿を消して3日目。
 第九室長失踪事件は大きく動いた。薪の救難信号が発信されたのだ。

 ビーッ、とけたたましいブザーが第九に鳴り響いたのは朝の8時15分。その時刻には荒木を除く全員が出勤しており、引き続き容疑者の絞り込みのため資料箱を広げたところだった。
 慌てて駆け寄った受信モニターには、薪の居場所を示す赤い三角形が、地図の上を速い速度で移動していた。マークの軌跡が道路上に残されていることから、車に乗っているものと思われた。
「岡部さん!」
 職員たちがすぐさま岡部に知らせ、その判断を仰ぐ。岡部はいかつい顔に緊張をみなぎらせ、しかしその口調は極めて冷静であった。
「捜査本部に連絡だ。我々は捜索に加わることはできない。自分たちに与えられた仕事をするしかない」
 岡部の厳格な指示に小池と曽我は少し鼻白み、今井と山本は黙って自分の席に戻った。
 青木はと言えば、資料箱を抱いたまま、受信機に点る赤ランプから目を離すこともできず、傍目にはまるで金縛りにあったように立ち尽くしていた。しかしその心中は嵐のごとき葛藤のさなかであった。すぐにでも捜査本部に駆け込もうとする己が脚を留めるのに、渾身の力を振り絞らねばならなかったのだ。

「おはようございます。――何かあったんですか?」
 それから30分ほどして出勤してきた荒木は、ただならぬ緊迫感に首を傾げ、しかし誰からも答えをもらわないうち、救難信号の受信モニターに気付いた。
「これ、薪室長の?」
「捜査本部には受信機の映像をリアルタイムで送ってる。もうすでに、200人からの捜査官が254号線を北上している」
「おれたちは行かなくていいんですか」
「荒木、おれたちは捜索には行けないんだ。本部の人間以外は現場の追跡に加わることを許されない。おまえたちも、絶対に第九から出るな」
 薪を連れ去った犯人がどのような人間か、どんな武器を所持しているか、まるで分かっていない状態で、職員たちを現場に投入することはできない。ましてや第九職員はデスクワークが基本である。現場捜査に慣れていない素人が現場に混乱を招く危険性を考えれば、捜査本部の指令はしごく正当な措置であった。

 残念そうな顔をする荒木の横で、青木もまた拳を握りしめる。
 みんなが我慢しているのだ。自分ひとり、勝手な行動を取ることはできない。春の事件のとき、単独で薪の救出に向かった青木は、後からやってきた岡部にこってり叱られたのだ。
 薪が心配で居ても立ってもいられず、上司に何の断りもなく探しに来てしまった青木とは違い、岡部はあらゆる状況を想定した捜査計画書を提出し、その読みの深さと完璧さでもって捜査権をもぎ取って来た。それが警察官のやり方だ、おまえのはただの暴走野郎だ、と怒鳴られて、一言も言い返せなかった。
 それに、春先の事件とは状況が違う。あのとき薪は森の中をさ迷っているものと思われていたが、今回は薪を拉致した人物がいるのだ。例え青木が薪の居場所を探し当てたとしても、不用意に近付けば犯人を刺激し、却って薪を危険に晒すことになりかねない。追跡、探索、交渉術のプロが揃っている捜査本部に任せた方が安心なのだ。

 ――そう、いくら自分に言い聞かせても、青木の心は薪の元へと飛んでいく。
 薪がいなくなってもう三日。青木が、こんなに長く薪の存在を感じ取れないのは初めてだ。

 先日岡部にも言われたが、春先の事件でも冒頭、青木は薪がこの世の何処にもいないと感じていた。後に薪から聞いた話と繋ぎ合わせてみれば、その頃の薪に意識はなく、あったとしても完全に記憶を失くした状態で何一つ心に思うことが無かったらしい。青木と会うまで薪の記憶は失われたままだったが、その間も薪は、誰かが自分を探しに来てくれると言う希望は捨てなかった。
 思うに、青木が薪の居場所を探り当てられるのは、そうやって薪が発信したパルスを辿っているのではないか。非科学的な話になってしまうが、自分を見つけて欲しいと願う薪の気持ちが強いほどに青木のレーダーも精度を増すような気がするのだ。

 だがそう仮定すると、今回の状況は甚だ恐ろしいことになる。
 見つけて欲しいと願う意識もない、つまり既にこの世にいない。或いは、薬物等で意識が朦朧としたまま囚われの身となっている。
 救難信号が発信されて、青木が一番恐れていた前者の可能性はなくなった。薪は生きている。それだけでも心に明かりが灯った。
 しかしそうなると、薪は後者の状況にある可能性が高い。あくまでも仮定の話だが、そうでもなければ、薪自身が救出を望んでいないということになってしまう。常識的に考えてそれはおかしい。

「青木、ちょっと来い」
 ちっとも書類に集中できず、何度も同じファイルを繰っていた青木を、岡部が執務室の外に呼び出した。エントランスまで歩いてやおらに振り返り、誰もついてきていないのを確かめる。
「おまえは薪さんのボディガードだ。官房室からの正式な任命書がある。捜索に加わる権利があると進言したら中園さんがOKしてくれた」
「岡部さん」
 行け、と親指を立てられて、青木は走り出す。
 一刻も早く薪のところへ。モンスターから彼を奪い返し、この腕に抱きしめたい。

「て、なんで着いて来てんですか?」
 第九の正門を出てから気が付いた。岡部が隣を走っていた。
「おれはおまえの助手だ」
「みんなには絶対に第九を出るなって言っておいて」
「仕方ないだろう。刑事の鉄則は二人一組だからな」
「岡部さん……薪さんに似てきましたね……」
 夫婦は似るって言うけれど、薪の女房役の岡部もすっかり屁理屈が上手くなった。

 捜査本部は警視庁の中に設置されている。最短距離である中庭の地下通路からそちらへ向かおうとして青木は、岡部に呼びとめられた。
「青木、そっちじゃない」
「え、でも。捜査本部に行って情報をもらわないと。無線機も」
「いや。おれたちは別口だ」
 ポイと車のキィを投げられた。岡部の私物だった。
「少し、気になることがある」


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モンスター(18)

 映画の影響でしょうか、最近、「はじめまして」の記事に拍手をいただいてます。ここ1ヶ月で20ちょっと。きっと新しいファンの方が増えたんでしょうね。喜ばしいことです(^^)
 うちのブログ、そのうち何人の方にドン引かれたのかとか、考えない考えない。
 そしてこの話、常連さんのうち何人の方に「しづのヤロー」と舌打ちされたのかとか、考えない考えない。




モンスター(18)





 車のトランクと言うのは荷物を積む場所であって、人間が乗る所ではない。然るに、乗り心地は非常に悪い。
 路面の僅かな段差を拾ってタイヤが跳ねるたび、その振動がダイレクトに伝わる。窮屈に折り曲げられた身体が金属製の内壁にぶつかって、ガムテープの下になった口唇がくぐもった呻き声を上げる。
 後ろ手に掛けられた手錠は、擦られて破れた皮膚から流れる血液で黒ずんでいた。これまで何度も容疑者に手錠を掛けてきたけれど、こんなに痛いものだとは思わなかった。逮捕された彼らが何日もこの状態でいることはまずないが、それでも人権に配慮して内側にクッション材を取り付けるべきだと次の部長会議で提起を――。
 ――もういい。この痛みも、もうすぐ終わるのだ。

 早朝、背中を蹴り飛ばされて起こされた。服を着せられ、相手の肩を借りる形で外に出た。薪の右腕の、傷口から流れた血が細い筋状に固まっていて、動くとそれが剥がれて大層痛かった。新しい血がワイシャツを汚し、白い袖に美しい、赤い花びらのような模様を描いた。

 相手は行き先を言わなかった。聞きもしなかった。どこから旅立っても行き着く先は同じだと思ったからだ。
 ガタガタと揺れていた車が止まり、短いドライブが終わった。ふわりと車体が浮き上がる感覚の後、バタンと車のドアが閉まる音がして、運転者が車から降りたのが分かった。
 カツカツと靴音が響く。どうやら地面はコンクリートのようだ。どこかの駐車場かもしれない。
 薪はトランクの蓋が開くのを待ったが、それは一向に訪れなかった。聞こえていた靴音は遠くなり、やがて消えてしまった。

 まさかここに放置?
 勘弁してくれ、と薪は思った。まあ、それでも充分死ねるが。

 暗い中でじっとしていると、疲労と空腹ですぐに意識が遠のく。捕えられてから何日経ったのか、もう分からなくなってしまった。食事は一度も与えられなかった。水だけは飲ませてもらえたが、生命を保つ最低限の量だった。軽度の脱水は頭痛と悪寒を伴い、薪から冷静な思考力を奪っていた。

 深い闇の中に沈んでいく意識の中で、青木の声を聞いたような気がした。なんだかとても懐かしく感じる、愛しい声。誰かと何か話している。相手は岡部か。なにやら楽しそうだ。
 よかった。僕がいなくても、青木は笑えるんだ。
 安心したせいか、薪は急速に意識を失った。限界を超えたその細い身体が、微かに痙攣していた。




*****




 細かい文字がぎっしりと書かれた書類を机の上に放り投げ、小池はううんと伸びをした。
「あー、疲れた。青木、コーヒー……あれ、青木は?」
「青木さんなら岡部さんと一緒に外へ出ました」
 小池の問いに山本が答える。山本は検事時代に、書類を読み上げながら被疑者の表情や無意識の動きを観察していた時の癖で、モニターに集中しながらも周りの動きを同時に見ている。おかげで彼は同僚が何処にいるか、大抵は把握しているのだ。
 それを聞いて小池は、ちぇ、と眉を寄せた。右肩を揉みほぐしながら、ふん、と鼻から息を吹く。
「なんだよ、青木は特別扱いかよ。ズルイなあ」
「仕方ないだろ。青木は薪さんのボディガードだし。第九の中じゃ、今や岡部さんの次に強いぜ、きっと」
 不機嫌丸出しの小池の声に、隣の曽我がのほほんと答える。尖った槍の先をふんわりと包む真綿の鞘のような口調だった。
 小池は第九の中で一番薪への文句が多いが、それはポーズで、本当は薪のことをとても尊敬している。だから今この瞬間にでも、捜索隊に加わって彼の救出に尽力したいに違いない。小池の親友は、そんな小池の心理と素直になれない性格を理解しているのだ。

「それもそうだな。じゃ、荒木、頼むわ……あれっ? 荒木は?」
「トイレじゃないのか」
 新人の応えがないことに気付いた曽我が一緒になって探したが、執務室の中に荒木はいなかった。目の利く山本ですら、荒木が出ていくのに気付かなかったと言う。
「荒木のモニター、30分前で止まってます」
「車のキィが1つありません」
「それは岡部さんたちが乗って行ったんじゃないか」
「いや、昨夜から無かったぞ。誰か使ってるんじゃないのか」
 第九の鍵類は、各々の机の鍵からキャビネットに到るまで、すべてキィボックスに格納されている。もちろん車のキィも。取り外すには自分のIDを打ち込まなければならない。

「IDの記録は……荒木だ」
 新人が研究室の車を勝手に借り出し、何処へ行ったのか。職員たちは一様に眉を寄せ、顔を見合わせた。
「昨夜も寝てないみたいだったし。あいつ、仕事終わってから薪さんのこと探してるんじゃないのか」
「薪さんがいなくなったの、自分のせいだって思い詰めてたからな」
 薪が行方不明になってからの荒木の落ち込みようは、見ているこちらが気の毒になるくらいだった。こういう事態に慣れていない分、その憔悴ぶりは、薪のイヌと揶揄される青木よりも酷かった。
 あの明るかった彼が、まったく笑わなくなった。真っ赤な目をして、寝不足にむくんだ顔をして、常に何か考え込んでいた。食事も喉を通らないらしく、誰かが食事に誘っても遠慮がちに首を振った。それが3日も続いた今では、もともと小柄な体が更に一回り小さくなったようだった。

「今も多分、発信機を追いかけて行ったんだ」
 たとえ何もできなくても、じっとしていられない。自分たちだってそうなのだ、失踪の責任が自分にあると思えば尚のこと。その気持ちはよく分かった。青木のことを「特別扱い」と皮肉った小池ですら、荒木の行動を責める言葉は持たなかった。
 室長、副室長共に不在の折、室長職を代行する今井が結論を出す。
「岡部さんに知らせておくか」


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モンスター(19)

 今日はバレンタインデーですね!
 大切な人に感謝を込めてチョコを贈る、一年の中でも愛に溢れた1日だと思います。

 そんな中、ドS小説更新してすみません。
 わたしも早く終わらせたいの~(^^;




モンスター(19)






 第九室長失踪事件の追跡捜査に於いて現場指揮を執っていたのは、捜査1課で竹内の後を継いで第4班のリーダーを務めている大友警視であった。
 現在、3名の仲間と共に彼が乗っているのは、都内に何千と走っているありふれたバン。その中には大型の無線機と8つのモニター、そのうちの一つは救難信号の受信機とリンクさせてある。これで追尾車の中にいながら救難信号の位置が追える仕組みだ。
 そのモニターに目をやりつつ、大友は携帯電話に耳を傾けていた。

『まだ見つからないのか。何ちんたらやってんだ、バカやろー!』
「怒鳴らなくても聞こえますよ、先輩」
 鳴り響く罵声の木霊に顔を歪め、努めて冷静に言い返す。竹内に怒鳴られるのは4ヶ月ぶりだが、今は懐かしがっている場合ではない。
「もう少し待ってくださいよ。あと5キロの地点まで迫ってますから」
『5キロか。それなら5分だな』
「無茶言わないでくださいよ。相手も車で移動してるんですよ」
『知ったことか。5分以内に室長を救出できなかったらおまえ、どうなるか分かってるだろうな?』
「なにする気ですか」
『おれが捜査一課に復帰してやる』
「……戻りたいんすね」

 竹内はそのキャリアと見掛けに依らず、バリバリの現場人間だ。そのせいで、昔は第九を目の敵にしていた。
 それがどういった心境の変化からか、ある時から突然、第九と協力体制を取るようになった。そのおかげで第4班の検挙率は数倍に跳ね上がった。押しも押されぬ捜一のエースとなった彼にはしかし、彼の望まぬ運命が待っていた。つまり、出世だ。
 京大卒のキャリアで捜査一課検挙率ナンバー1の彼を、上層部がいつまでも現場に置いてくれるはずがない。6月に起きた母子殺しを解決に導いたのを機に、警察庁警備部へと配置替えになった。
 捜一は厳然たる実力主義、その中でエースの力は強大だ。今もその立場にあれば、課長に一言申し出るだけで、この捜索の指揮を執ることもできただろう。それができなかった悔しさを、竹内は後輩にぶつけてきているのだ。

「竹内さん。いい加減、落ち着いたらどうなんですか。子供、2人目生まれるんでしょ。奥さんだって、危険な現場から内勤に異動して、どれだけホッとしてることか」
『先生はそんな器の小さい人じゃない』
「口ではそう言っても、てか、なんで未だに先生呼びなんすか」
「大友さん!」
 他人の家庭に嘴を突っ込んだ大友のお節介を、咎めるように部下の声が車の中に響く。
「車両の特定ができました」

 電話を繋いだまま、大友は声を上げた部下が指差すモニターに顔を近付ける。自車の前に数珠つなぎになった車の、このどれかに薪はいる。
「どれだ」
「6台前のトラックです」
「あれか」
 それは大型のコンテナ車だった。
 犯人に気付かれる可能性があるため、ヘリを飛ばすことができない。パトカーで囲い込むのも危険だ。よって、追跡は数台の覆面パトカーで行われていた。相手が大型車を使用していたことは幸いであった。そのおかげで、かなり離れた位置から目的の車を視認することができたのだ。

「こちら1号車、対象の車を発見。直ちに検問の警察官に通達されたし。車のタイプは大型のコンテナ車。後面に『Y青果市場』の表記あり。現在位置はS市M町3丁目G信号付近。繰り返す、対象の車は」
『コンテナ車?』
 繋ぎっぱなしの電話から、竹内の不思議そうな声が聞こえた。気付いて大友が電話を取り上げる。
「はい、ここから見えますよ。コンテナにY青果市場って書いてあって」
『なんで人ひとり運ぶのにコンテナ車なんだ?』
「警察の目を晦ますための偽装じゃないんですか」
『却って目立つだろ。第一、業務用車両なんか使ったらアシが』
 竹内は、不意に黙り込んだ。何か思いついたらしい。
 恐ろしいことに、嫌な予感しかしなかった。今すぐ電話を切れと、大友の本能が言っている。その予感は過たず、現実のものとなった。

『大友。今すぐその車、止めろ』
「え。なに言ってんすか、竹内さん」
『早く。サイレン鳴らして緊急停止させろ』
「そんなことしたら犯人が逆上しますよ。人質の命が」
『いいから。止まらなかったらタイヤ撃ち抜いてでも止めろ』
「おれに警察クビになれって言ってます?」
『大丈夫だ。骨は拾ってやる』
「勘弁してくださいよ、もう」
 口では猛烈に反発しながら、大友はパトランプを用意する。窓から手を伸ばして車の天板に取り付け、高らかにサイレンを鳴らした。
「Y青果市場のトラック、止まりなさい!」
 竹内の、現場で鍛え上げた勘と捜査一課のエースを張ったその頭脳の冴えを、大友はずっと間近で見てきた。言葉にしたことはないが、心の底から尊敬している。自分のような未熟者が班長になれたのも彼のおかげだ。彼に導かれて、自分はここまで来ることができたのだ。大友にとって、彼の命令は絶対だった。

「左に寄って。速やかに止まりなさい」
 大友の誘導に従って、トラックが徐々にスピードを落とす。左ウィンカーが点滅したのを確認して、大友はトラックの前に回り込んで車を停めるよう運転手に命じた。
 矢先。
『何やってんだ、大友ォ!!』
 無線機の内蔵スピーカーが割れんばかりの勢いで、鬼より怖い捜査一課長のカミナリが落ちた。他の車両の連中から連絡が行ったらしい。
「やば。西田、課長のライン、切っといて」
 無線を担当していた部下がスイッチを落とすと、課長の声はあえなく切れた。強面で有名な課長の、こめかみの血管が膨れ上がるのが目に見えるようだ。
「いいんですか、大友さん。課長、カンカンですよ」
「いいわけねえだろ。くそー、クビになったら竹内さんちにパラサイトしてやる」

 吐き捨てるように言って、大友は車から降りた。停車したトラックの運転席に近付くと、窓が開いて農協の帽子を被った初老の男が顔を出した。何故自分が止められたのか、まったく心当たりがない表情だった。
 積荷を見せるよう命じると、男は素直にコンテナの後ろ扉を開け、中に大友たちを招き入れた。中は空っぽで、聞けば市場に野菜を卸して帰る途中とのことだった。
 コンテナの隅に、赤く点滅するものが落ちていた。ボタン電池のような形状の、それは紛れもなく大友たちを呼び寄せた発信機であった。
 それを確認するや否や、大友はスマートフォンに向かって叫んだ。
「竹内さん、やられました。この車は囮です」
『やっぱりか。おかしいと思ってたんだ。3日も経ってからSOSなんて』
 あのしたたかな室長がそんなマヌケなことをするはずがない、と竹内は悔しそうに呟いた。歯ぎしりの音が聞こえてくる。

「竹内さん。薪室長はどこに」
『……わからん』
 大友の視界の隅では鳴り響くサイレンに囲まれて、運転手の男が途方に暮れた顔をしていた。




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モンスター(20)

 今週は防衛省の会計検査がありまして。その資料作りでちょっと忙しかったです。
 検査を受けるのは役所の監督員さんなんですけど、色んな資料を作るのは業者の仕事、でも、
 設計図作ってください、て依頼には驚きました。
 設計図って役所が作って業者に渡すもんでしょ。それって役所(正確にはコンサル)の仕事だよね?
 無茶振りっすよ~、監督さん。いつもお世話になってるからやりますけどね。






モンスター(20)





「えっ! おとり?!」
 青木は耳を疑った。スマホから聞こえてくるのは竹内の声だ。竹内はこんな状況で冗談を言う男ではない。

『ああ。トラックには室長のバッジだけが置かれていた。運転手の話によると、8時頃にS市場に荷を下ろしただけで、あとはノンストップだそうだ。犯人がコンテナにバッジを投げ込むならそこしかない。今、大友たちをS市場に向かわせて目撃情報を洗わせてる』
 断片的な会話から事情を察した岡部が、細い眉を険しく歪めて悲壮に呟く。
「まずいぞ。犯人は発信機で捜査陣を引き寄せて、その間に薪さんを殺す気なんだ」
 青木の顔がサッと色を失い、緊張に瞳が瞠られた。今この瞬間にも薪の命が失われるのではないかと思うと、気が気ではない。

『おまえらの方はどうだ?』
「中園さんに頼んで警務部長の許可をもらって、個人情報センターの端末を起動させたところです」
 はあ? とキツネにつままれたような声が返ってくる。無理もないと青木は思った。青木もなにがなんだか分からないまま、岡部にここまで連れてこられたのだ。
 個人情報保護のため、警察官の個人データは特定の端末でしか閲覧できないようになっている。その端末の操作には人事部職員の指紋認証が必要で、他部の職員が情報を得ることはできない。
 しかし、内部監査などで人事部職員を介入させたくない場合、警務部長の許可を得た上でこの場所の情報端末を使用することができる。この端末は人事部のデータバンクと繋がっており、人事部職員と同様のデータを引き出すことができる。
 ――のだが。

『おまえら、何やってんの?』
 本当に、何をしているのだろう。
 発信機が囮だったと聞かされた今では、別口捜査を選んだ岡部の判断は間違いではなかったことになるが、さりとて、警察の人事データに薪の監禁場所の手掛かりがあるとは思えない。

「岡部さん。なにも今、こんなこと調べなくても」
 岡部に急かされてキィを叩くが、青木の心中は穏やかではない。気持ちばかりが急いて、目的も定まらないままに走り出そうとする自分を押さえるのがやっとだ。
「いいから早くしろ。おれはどうもこのコンピューターってやつが苦手なんだ」
「第九の副室長にあるまじき発言だと思いますけど」
「宇野がいれば、もっと早くに調べさせたんだが。そうすればこんな所まで来なくても」
「もっとまずくないですか、それ。――出ました。あれっ?」
 目的の人物の人事データを引き出して、青木は意外そうな声を出す。本人から聞いた家族構成とデータが相違していたからだ。

「やっぱりな。中学の時に親が離婚して父親に引き取られ、その後父親が再婚して相手の女性の籍に入ったんだ。旧姓は森田か」
「ああ、これは血縁の欄だから。親が離婚する前の家族なんですね」
 警察官の血縁者は徹底的に調べられる。そこに暴力団関係者はもちろん、重罪を犯した者、宗教関係者も名を連ねることは許されない。警察の情報がそれらの団体に流れることを防ぐためだ。戸籍上の繋がりではなく予想される交流を重視したものだから、当然、旧姓の家族の氏名も明記されている。

「現在は実の父親と、その再婚相手との3人家族ですが、前の家族は4人。母親はK市民病院に入院中。兄がいましたが、こちらも2058年に亡くなっています。名前は森田和也……岡部さん、この人の死因……!」
『実兄 和也』と書かれた文字の右側、備考欄に記された忘れようにも忘れられない事件の名称を見て、青木の舌が凍りつく。
 ああ、と岡部が頷いた。
「モンスターの正体はこいつだ」




*****




 救難信号に釣られた捜査陣が、見当外れのトラックを追っていた頃。
 薪は、一つの墓標の前に膝を折っていた。
 深く頭を垂れ、脱水に震える両手を合わせて。殴打に腫らした頬と血の滲んだ唇でその美貌はわずかに損なわれていたものの、伏せた睫毛の美しさはこんな状況にあっても鮮烈に、見る者の心を惑わせる。

 傍らには、第九の新人の姿があった。
 薪と並んで、一緒に手を合わせている。先に合掌を解いた彼は、「そろそろいいですか」と控えめに声を掛けた。薪の祈りを破ることを恐れたような、小さな声だった。
 応じて薪は瞼を開き、こくりと頷いて見せた。弱々しく微笑んでみせる。それは彼の、渾身の力を込めた精一杯の笑みだった。

 荒木は薪に肩を貸し、彼を墓前に立たせた。薪がしんどそうに息を吐く。
 それを見て荒木は、ジャケットのポケットからある物を取り出した。それをそっと薪の細い首に宛がう。
 冷たい感触に、薪の首筋が慄く。
 荒木の右手に握られたもの、それは銀色に煌めくジャックナイフだった。



*****




 ――滝沢の話には続きがあった。

「一緒に暮らしてても意味がない」
 そう言われてしばらく沈黙した後、薪は訊いた。
「なぜ今なんだ?」
 この世に自分を息子の仇と見なす人間がいる。それを薪本人に知らせ、古傷を抉るのが目的なら、もっと早くに言うべきだ。例えば3年前、再会を果たした夜にでも。そうすれば、その日から薪に安らかな夜はなくなるはずだった。

「懺悔のつもりか。10年近くも前の情報漏洩などとっくに時効」
「その女にはもう一人、息子がいてな。兄が貝沼に殺された時、その子供はまだ中学生だった」
 思わず薪は席を立った。
 アクリルボードの向こうで、滝沢の声がフクロウの羽音のように囁いた。

『2番目の息子は第九にいる』


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ジャンル : 小説・文学

モンスター(21)

 義妹がインフルエンザに罹りました。
 流行ってるみたいですね~。みなさんは大丈夫ですか?
 わたしは元気です。今年も「バカは風邪ひかない」を身をもって証明してます☆

 さてさて、お話の続きです。



モンスター(21)





 今井から、荒木が姿を消したと連絡を受けた二人は、彼の生家に急行した。情報センターからはこの場所が一番近かったからだ。
 荒木のアパートには今井を、自宅には小池を、母親の入院先には曽我を向かわせた。確証が無かったため詳しい事情は説明できなかったが、一刻も早く荒木の居場所を確定する必要がある、とだけ告げて職員たちを追い立てたのだ。

「どうやら決まりだな」
 荒れ果てた廃屋の中で、岡部は呟いた。
 この家は荒木の生母の名義になっていた。彼女は10年前、長男の和也が死んで半年後に離婚。それからは一人暮らしだったが、7年前に病に倒れた。精神的なショックから不摂生な生活を送っていたせいで病気と闘う体力を失くしていた彼女は、それから死ぬまで入院生活を余儀なくされた。つまり、この家はずっと空き家だったのだ。
 荒木の母親が死んだのはつい最近のことだった。そのため、データバンクには未だ記載されていなかった。病院に赴いた曽我からの情報で、それが分かったのだ。

 岡部の手には、失踪当日に薪の胸を飾っていたネクタイが握られていた。それには夥しい量の血が付いており、見下ろせば、腐って害虫だらけの床板にも赤黒い血が染み込んでいるのだった。
「まさか……本当に荒木が」
 ゾウリムシが集団で這い回る床に、引き毟られたように散らばっている亜麻色の髪の毛を見ても、青木はまだ信じられなかった。あの無邪気に笑う若者が、こんな恐ろしいことを。荒木がいつも薪を見ているのは恋情からだと思っていたが、それは青木の誤解で、実際は犯行の機会を狙っていたのだろうか。

「青木。これを見ろ」
 障子も畳も朽ち果てた部屋でたった一つ、最近ここに持ち込まれたと思われるものがあった。それは一枚の写真であった。そこには、大きなつば付きの帽子を被った黒髪の女性が、2人の少年と一緒に微笑んでいた。家の庭先で撮ったものらしく、レンガを並べて仕切った花壇には、ピンク色のガーベラが見事に咲き誇っていた。
「岡部さん。これ、薪さんが密会してた女の人じゃ」
「裏を見てみろ」
 ――お母さんとお兄ちゃん。
 子供の字で、そう書かれてあった。今はもう、その2人ともこの世にはいない。

「じゃあ、薪さんが会ってたのは荒木のお母さんの生霊……」
「この状況で冗談が出るか。おまえも図太くなったもんだ」
 え、と青木が首を傾げると、岡部は突然無表情になった。
「おまえってホント刑事に向いてないのな」
 溜息交じりにぼやいて、青木の手からパシリと写真を取り上げる。
「あれは荒木の嘘……いや」
 岡部は取り返した写真の、表面と裏面を代わる代わる見ていたが、やがて「そうか」と呟き、なんともやりきれない貌をした。

「どういうことですか」
「ここの日付を見ろ」
 写真の裏に書かれた日付には青木も気付いていたが、撮影日だと思って特に言及しなかった。たまたま何年か前の今日、この写真が撮られたと言うだけのことで――。
 あっ、と青木は思わず声を上げた。先刻、端末の画面を見たときにどうして気付かなかったのだろう。
 今日は、荒木の兄の命日だ。

「命日とくれば墓だ。荒木はそこで薪さんを殺す気なんだ」
 行くぞ、と機敏に身を翻し、岡部は外へ駆けて行く。青木も慌てて後を追った。
「でも岡部さん。お墓には不特定多数の人が出入りします。そんな場所で犯行に及ぶでしょうか。発信機みたいに、これもミスリードじゃなんじゃ」
「違う。これは荒木がおれたちに残したメッセージだ」
 どうしてそんな真似を、と青木は訊いたが、岡部は答えなかった。今は問答をしている場合ではない。青木も口を引き結んで素早く車に乗り込み、ハンドルを握った。シュッとシートベルトを引き、エンジンを掛けて、
「……お墓ってどこにあるんですか?」
「おまえ、ホント刑事に向いてないわ」
 突き出された岡部のスマートフォンの画面に、山本からのメールが届いていた。添付ファイルを開くと、荒木の実家およびアパートの地図、その近くの青果市場、彼の母親が入院していた病院など、彼に関する詳細なデータが表示された。岡部がその中から選び出したのは、代々木にあるS霊園のアクセス図だった。
「いつの間に」
「おれには薪さんみたいに天才的な推理力は無いがな。頼りになる仲間はたくさんいるんだ」


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モンスター(22)

 今日はメロディの発売日ですね!
 夜は薪さんに会えるかな(〃▽〃)



 お話の続きです。
 うーん、今回もメロディ発売までにオワラナカッター。





モンスター(22)






 ジャックナイフの刃先が薪の首を撫でた。観念して眼を閉じる。
 何処からか金木犀の香りが漂ってくる。それを今生の酒代わりに肺腑に収めながら、ああやっぱり、と薪は思う。

 やっぱり僕にはこんな最期が待っていたんだ。そりゃそうだ、あれだけのことをしておいて。畳の上で死のうなんて虫が良すぎる。
 鈴木。
 待たせたな。ようやく会えそうだよ。

 あちらの世界できっと自分を待っているであろう親友の姿を心に浮かべ、薪は旅立ちの準備をする。
 鈴木はこういう時いつもするように、ちょっと困った顔をして、でもやさしく笑ってくれた。仕方ないなあと言いたげに、うん、ごめん。解ってるよ。これはおまえが望んだ死に方じゃない。
 ――だけどね、鈴木。
 僕にはこの道以外、選べないんだよ。

 鈴木の不満顔に薪が言い訳すると、鈴木は何を思ったか前髪を手で後ろに撫でつけた。それからチタンフレームのスクエアな眼鏡を掛け――、
 ちょ、なにしてんの、おまえ。それ、反則だろ。

『薪さん』と彼が薪を呼ぶ。
 僕が死んだら、青木は――。

 瞬間、荒木の手首を掴んでいた自分に薪は驚く。それは薪の初めての抵抗であった。
「なにか、訊きたいことでも?」
 荒木が促してくれた時間稼ぎに乗って、薪は尋ねた。本音ではどうでもよかったはずのことを、いかにも気になっていたかのように。
「どうして今なんだ。これまでに、いくらでも機会はあったはずだ」
 尤もらしい疑問だった。荒木が第九に来てから2ヶ月になる。これまでに何度も二人きりになる機会はあった。なぜもっと早く行動を起こさなかったと薪に問われ、荒木は静かに答えた。

「母が死んだんです」
 先週の日曜に、と荒木は言った。
「おかしなもんですね。母が生きてるうちはいくら繰り言を言われても、聞き流すことができたんですよ。おれはデキのいい兄がそんなに好きじゃなかったし。嫌いじゃなかったけど、母のように仇を討ちたいとまでは思わなかった」
 薪の首にナイフを当てたまま、荒木は訥々と話した。
「でも、母の死に顔を見たら。その安らかさにぞっとしたんです」
 母親の最後を思い出したのか、荒木の手が微かに震えた。その微動は刃先に伝わり、薪の首に浅い傷をつけた。うっすらと血が流れる。

「母は末期がんで、その苦しみ方って言ったら尋常じゃなかった。なのに、なんでモルヒネの投与を拒否してたか分かりますか。薬でボケたらあなたへの手紙が書けなくなるからですよ。まあそれも8割方、青木さんが弾いてたみたいですけど」
 モンスターを名乗って薪に手紙を書いていたのは、荒木の母親であった。それが命の期限を切られた彼女にできる、唯一の復讐だったのだ。病床に着いてからも彼女は手紙を書き続け、それを息子の荒木に託し続けた。
「おれが第九に入ってようやく、母の言葉はあなたに届いた」
 青木の陰の働きを、薪は知らなかった。知らずに安寧を貪り続けた。無知ゆえの罪。

「痛みと苦しみとあなたへの恨みで、母の容貌は化け物のようでしたよ。それがあんなに安らかに。おれが代わりに恨みを晴らしてくれる、そう信じて死んでいったんだと思うと……こうする他なかったんです」
 平凡な家庭の主婦だった荒木の母親を、幸せに暮らしていた一人の女性を、そんな風に変えてしまった自分の罪深さに、改めて薪は打ちのめされる。
 自分が貝沼を見逃しさえしなければ、その悲劇は起きなかった。
「自分でもダサいことやってると思いますよ。殺意の相続なんか、今どき流行りませんよね」
 薪は残った力のすべてを振り絞って、荒木の手首を握りしめた。その丸い頬を、つう、と自責の涙が伝い落ちる。

「死にたくないですか?」
 薪の涙を生への執着と取り違えた荒木が、嬉しそうに訊いた。
「あなたがそう思ってくれてよかった。これで母も満足してくれる」
 荒木は薪の首から少しだけナイフを離し、首筋に滲んだ血を、もう片方の手でそうっと撫でた。
「どうして母が、真相を知ってすぐにあなたを殺さなかったと思います?」
 この期に及んで質問は無意味だったが、そのことは気になっていた。滝沢の話では、彼女が情報を得たのは2059年の夏。なぜ彼女はその時、薪を殺そうとしなかったのか。第九が混乱を極めたあの季節、薪の処分も確定せず、現在のように薪を守る者もいなかった。何よりも、鈴木を亡くしたばかりの薪はボロボロだった。女の力でも簡単に殺せたはずだ。
 なのになぜ。

「あの頃のあなたが死にたがっていたからですよ。殺したら、あなたに喜ばれるだけじゃないですか」
 荒木の答えは当たっていた。当時の薪にとって、死は唯一の救いであった。それを彼女は見抜いていた。同じように愛する者を喪い、絶望を見た人間として。そして。
「だから母は待ったんですよ、あなたが立ち直るのを。もう一度、この世に生きる希望を見出すのを。そこで殺さなかったら復讐にならない。だって兄は死にたくなかったんだから!」
 希望していた大学に受かって、2年目の春だった。バンド仲間と作ったプロモーションビデオが審査を通過して、ライブカフェで演奏させてもらえることになったと夕食の席ではしゃいでいた。
 兄が貝沼の手に落ちたのは、その矢先だった。
 初ステージに向けて、毎日遅くまで貸スタジオで練習を重ねていた。帰り道、ひとりになったところを狙われた。貝沼はターゲットの生活パターンを調べ上げ、機会を狙っていたに違いなかった。
 兄は貝沼清隆に殺された。理由は、『薪室長に少し似ていたから』。

「たったそれだけの理由で! あなたさえこの世にいなきゃ、兄貴は死ななかった! 母さんだって、あんな化け物じみた死に方しないで済んだんだ!」
 襟元を掴まれて揺さぶられた。がくがくと揺れる頭蓋骨の中で、脳みそが溶けたアイスクリームのようにぐちゃぐちゃに混ざるのを感じた。
「もっと」
 ぽつりと薪の頬に水滴が落ちて、薪が流した涙と合わさった。雨かと思い、そっと瞼を開けると、そこには滂沱する荒木の顔があった。
「もっと幸せに生きて、毎日楽しく笑って、そうやってずっと暮らせるはずだったんだ。父さんと母さんと兄貴とおれと4人で、それを」
 自分が不幸にした人間は、この世にどれだけいるのだろう。貝沼の犠牲になった少年たちだけでなく、その家族や友人たち。その数を思えば自分が此処に存在していることすら許せない気がして、薪は何もかもを打ち捨てた清白の表情で眼を閉じる。
「あなたのせいだ!」
 振り上げたナイフの切っ先が、薄曇りの空に鈍く光る。薪の瞳はそれを映すことなく、その心臓は鼓動を止めようとしていた。

 最期の息を薪が吐き終えた、そのとき。

 ガッ、と音がして、荒木の呻き声が聞こえた。石の上に金属片が落ちる音を聞きながら、薪の身体は支えを失って倒れていく。
 石に当たった膝の痛みで、思わず目を開けた。目の前に、自分の人生に終止符を打つはずだったジャックナイフが落ちていた。
 何が起きたのか分からずに呆然としていると、誰かに抱き上げられた。そのままその人物の胸に身体が押し付けられる。
 大切なものを扱う手つき。愛おしさに溢れた抱き締め方。
 厚い胸板と逞しい腕。薪の大好きな日向の匂いと、髪の毛から漂う懐かしいハードワックスの香り。

「薪さん」と呼ばれて、やっと目を開けた。
 予想を違えず、そこには薪の恋人が、親友と同じような困り顔で、でもやさしく笑っていた。



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モンスター(23)

 以前、下請けさんの現場担当者のお名前が、「滝沢さんと鈴木さんだったw」と言うお話をしたことがありました。で、今回新しい現場で、その滝沢さんと再び一緒に仕事をすることになったのですけど、なんと、
 I 市役所の監督員さんの名前が「青木さん」!! マジかww
 いやー、こんな偶然、あるんですねえ。びっくりしました。





モンスター(23)





 その日のうちに荒木翔平は逮捕され、監査官による聴取を受けた。荒木の身柄が捜査一課ではなく官房室の息の掛かった監査官預かりになったのは、薪のスキャンダルを恐れた中園の判断であった。一課長の苦い顔が目に浮かぶようだったが、身内の不祥事であったこと、捜査陣がまんまと裏を掛かれて偽の信号に飛びついた事実を不問に付したこと、監査課の監査が終わった後は警視庁に身柄を引き渡すこと、つまり送検と手柄は捜査一課のものとしたことで、表立った騒ぎは起きなかった。
 一課での取り調べが行われる前、荒木の犯罪計画について、監査室では一つのストーリーが作られた。それは荒木が薪に横恋慕し、交際を迫ったが拒否されて拉致監禁、暴行、殺人未遂に到った、と言う若者にありがちなドラマであった。それが荒木の自供調書になった。貝沼事件との関係は、一文字も記載されなかった。

「なんだ、その三文小説みたいな筋書きは」
 アクリルボード越しに投げつけられた言葉に、青木は鼻白む。その言い方はあまりにも尊大で、自信に満ち溢れている。どう聞いても囚人の言い草ではない。
「誰が書いたんだ。センスねえな」
「おれだ」
 滝沢のダメ出しに、岡部が低い声で答える。俗なストーリーが岡部のイメージに合わなかったのだろう、滝沢は意外そうに眼を見開いた。
「中園さんと二人で色々考えたんだが。それが一番通りがいいだろうってことになって……まあ、薪さんだからな」
「なるほど。薪だからな」
「薪さんですからねえ」
 似たり寄ったりの感想は三者三様の口調で、しかし3人は申し合わせたように遠い眼をする。一時下りた沈黙を破って、滝沢が尋ねた。

「薪はまだ病院か」
「ああ。今日、やっと医者の許可が出た。おれたちはこれから病院だ」
 運び込まれた警察病院で、薪は丸一日眠り続けた。彼の体力が回復し面会が許されたのは、薪が助け出されてから3日後の午後。その日はちょうど滝沢に約束した面会日と重なっており、岡部と青木は小菅に寄ってから薪の病室へと赴くことにした。
 滝沢が看守を追い出した面会室で、青木は滝沢に事件の詳細と顛末を語って聞かせた。今回の事件には滝沢も一枚噛んでいた、というか、薪に危険が迫っていることを知らせてくれたわけだし、彼にも知る権利はあると判断したのだ。

「動機だけはこちらで用意しましたが、犯行の詳細について、荒木は全面自供しました」
 自分が第九入りを希望したのは、病床の母親を元気付けるためだった、と荒木は言った。
 全身を病に蝕まれた母親の、生きる気力は薪に対する復讐のみ。母親に少しでも長く生きて欲しくて、荒木は自分が復讐を代行している振りをした。

 ――今日は階段からあいつを突き落としてやった。鈍くさいあいつは足を挫いて、松葉杖のお世話になっている。
 コーヒーの中に下剤を混ぜてやったら、トイレが間に合わなくて粗相をしてしまった。今では警察中の笑い者だ。
 ビタミン剤だと偽って飲ませていた母親の抗癌剤(病院には失くしたことにしていた)の副作用で髪が抜けて、若い頃の美貌は見る影もない。毎日、鏡を見ては溜息を吐いている。いい気味だ――。

 母親に求められるがまま、荒木は薪に様々な嫌がらせをしていると話したが、現実に荒木がしていたのは、母親の手紙を他の郵便物に混ぜて薪に届けたことくらい。それ以外は何もしていなかった。
 薪は手紙を読んでも感情を表に出すことはなかったが、それについても荒木は母親に嘘を言った。
 母さんの手紙のせいで、あいつは恐怖に怯えている。殆どノイローゼになっている。計画は順調に進んでいる、このまま追い詰めていけばあのオカマ野郎は自殺するに違いない。もう少しで恨みを晴らせる――そう、嘘を吐き続けた。あの男の死に様をこの眼で見るまではと、母もそれに応えて病と闘い続けた。

 その母がとうとう病に負けて、この世を去った時。荒木の中で何かが壊れた。
 崩落による隙間を埋めるように、そこに母親の遺志が注ぎ込まれた。その瞬間に殺意が生まれたのだと、決して最初から薪を殺す気だったわけではないのだと、犯行の計画性を否定した。

「まさかおまえ、それ、信じたわけじゃないだろうな」
 荒木の自供内容に不可を付けられた青木は、少し考え込んで、でもきっぱりと言った。
「オレは荒木を信じます」
 さもバカにした眼で滝沢が青木を見る。視線に形があったらきっと、「バカ」と書かれている。おそらく強調太文字で。それでも青木は自分の意見を曲げなかった。
「『第九に来てよかった』って、荒木はオレに言ったんです。室長のこともオレたちのことも大好きだって」
 酔いに任せて調子の良いことを、そんな解釈もできたかもしれない。しかし青木には、そうは思えなかった。
「あれが演技だったとは、オレは思いません」

 青木が口を噤むと滝沢は、あの人を値踏みするような目つきで青木を見やり、はあ、とため息を吐いた。
「おまえが鈴木くらい腹黒けりゃな」
 一部では第九の神さまと呼ばれる鈴木でさえ、滝沢フィルターに掛かるとこの始末。裏返せば、その滝沢ですら青木にはおよそ悪の要素を見い出せないと言うことになる。
「オレ、善い人じゃありません。お芝居とは言え、滝沢さんが薪さんを押し倒したって知った時には、すっごいヤキモチ妬いたし」
「当たり前だ。それが目的だったんだ」
 あれには別に目的があったのだが、滝沢は敢えて嘘を吐いた。青木もまた、その事実の裏側を薪から聞かされていたにも関わらず、知らない振りをした。
 工作員として訓練を受け、人の表情を読むことに長けた滝沢は、一目でそれを看破する。薪クラスのポーカーフェイスならともかく、青木のそれはお粗末すぎるのだ。

「薪がなんでおまえに何も言えなかったのか、分かった気がする」
「オレにだって分かってます。……オレが頼りないから」
「それは否定せんが」
 青木に話したら全部顔に出る。そうしたら周り中に知られてしまう、荒木が貝沼事件被害者の遺族であること。
 その危惧もあっただろう、しかし。
「たぶん、違うな」
 話せば青木は、必死で薪を慰める。あなたのせいじゃない、あなたはオレが守る、オレのためにもみんなのためにもあなたは胸を張って生きてくださいと、そんな言葉で彼を包むだろう。それに身を委ねてしまいそうになる、自分が薪には許せなかった。
 そんな薪の気持ちを見抜いて滝沢は、薪が「過去の亡霊に囚われている」と言ったのだ。

 もうとっくに終わった事件の、そもそも自分にはない責任を勝手に背負いこんで、誰も自分を責めないからと自分で自分を責め続け、それだけでは飽き足らずにこんな事件を引き寄せた。滝沢が自由の身なら、病院に飛んで行って平手の2,3発もお見舞いするところだ。
 自分が行けなければ誰かに託すしかない。立場的には恋人の青木が適任だが、この男にはまず無理だ。
 なぜ話してくれなかったのかと、青木からは薪に対する怒りがまるで感じられない。もちろん打ち明けてもらえなかったことを寂しいと思っている、でもそれは薪が悪いのではなく、己の未熟ゆえだと凹んでいる。
 こういう人間に、あの頑固な薪を矯正することはできない。

「どうやらあんたの出番だな。副室長殿」
「おれは他人のプライベートには口を挟まん」
「しかしこいつには無理だ。薪に尻の毛まで抜かれちまってる」
 ふうむと腕を組み、考え込む様子の岡部に、青木は慌てて言った。
「嘘ですよ、岡部さん。オレ、薪さんにそんなことしてもらってません」
 瞬時に居室に敷き詰められた微妙な空気。次の瞬間、アクリルボードの向こうで爆笑した滝沢に、岡部が苦い顔をする。
「滝沢さん、いい加減なこと言わないでくださいよ。薪さんに無駄毛の始末なんてさせられるわけ、あ、でも、耳掃除はこないだしてもらって、それが気持ちよかったのなんのってうごっ!」
 青木が座っていたパイプ椅子の脚が岡部に蹴り飛ばされてダリの絵のように歪んだのと同時に、面会は終了時間を迎えた。

 そんな一幕を経て、二人は病院を訪れた。時刻は3時を回っていた。
 薪はベッドに横になり、茫洋と窓の外を見ていた。毛布の上に投げ出された細い腕に、亜麻色の前髪が被さる額に、幾重にも巻かれた白い包帯が痛々しかった。

 見舞いに訪れた二人を認めると、薪は困ったように微笑んで見せた。その顔は「またおまえらは余計なことをして」と言わんばかりだった。
 衰弱が激しかった薪は、入院初日はICUにいた。昨日は一般病棟に移されたが、面会謝絶の状態だった。青木はスタッフを口説き倒し、看護師立会いの下で薪の寝顔を見ることだけを許してもらった。
 起きている薪を見ることができたのは5日ぶり。まだ頬は青白く笑みはぎこちなかったが、森田家の墓前でこの腕に彼を抱いたあの日より幾分も、その瞳は生ある人間に近付いていた。

「薪さ」
 青木が薪に近付こうとすると、岡部がそれを手で制した。驚く青木に岡部は、さらに青木の度肝を抜くようなことを命じた。
「青木、外で見張ってろ。誰も病室に入れるな」
 すぐにでも薪の手を取ってその無事を確かめたかったが、ここは我慢だ。青木は聞き分けよく、病室の外に出た。岡部は副室長として、室長の薪に事件の顛末や仕事の報告をするつもりなのだろう。それで秘密保持のために青木を見張りに立てたのだ。

 青木はそう推測したが、それは大きな間違いだった。
 ドアの前に立って5分もしないうち、青木は病院の廊下に信じられない人物を発見した。捜査一課の大友と西田、そして彼らが連れているのは。
「荒木……!」
 荒木は両手を前で揃えて、その上にタオルを巻いていた。腰には猿回しの猿のように青い紐を結わえ付けられ、その先端は西田の手にしっかりと握られていた。まだ取り調べ中だから囚人服こそ着ていないが、その扱いは完全に犯罪者のそれであった。

「薪室長の病室はここですか」
「そうですけど、大友さん。室長はまだ、面会謝絶が解けたばかりです。事情聴取はもう少し後にしてもらえませんか」
 病室に入る前、担当医に、患者に無理をさせないようきつく言い渡された。
 薪の怪我は全治2週間。実はこれは大した怪我ではない。時間を掛けて養生すれば、跡形もなく消える程度の傷だ。だから、医者が心配しているのはそこではない。
 誘拐事件の被害者にとって一番深刻なのは心の傷だ。例え無傷で助け出されてさえ、被害者に危険がないとは言い切れない。ほんの些細な共通点、例えば犯人がしていた腕時計と同じものを街で見つけた、監禁場所で嗅いだ潮の匂いがした、聞こえてきた時報のメロディが同じだった――たったそれだけのことで、監禁された時の恐怖が甦り、パニックになって自殺した者もいるのだ。聴取目的だろうが荒木を同伴するなんて、1課は何を考えているのか。

 怒りが顔に出ていたのか、大友は焦った様子で首を振り、「青木さんでもそんな顔するんですね」と苦笑した。
「聴取は室長が退院してからで充分です。自白調書も、その裏付も取れましたから」
「じゃあどうして」
「竹内さんから電話があって。岡部警視に頼まれたんだそうです。荒木を連れてきて欲しいって」
 驚きのあまり、青木は声も出なかった。
 岡部が荒木を薪の病院に呼び寄せた? いったい何のために?

 改めて荒木の様子を見れば、彼の太陽のような明るさはとっくに消え失せて、罪人特有の陰鬱な空気をまとい始めている。虚ろな視線を床のタイルに淀ませ、誰とも眼を合わせないように誰の視界にも入らないようにひっそりと息を殺して、その姿は出会った頃の薪を青木に思い出させる。あんなに華やかな人なのに、当時の薪はそんな気配を漂わせていた。見ていると不安を掻き立てられるようで、青木は彼から眼が離せなくなった。

「これ、課長にバレたら今度こそおれクビですからね。ぜったい竹内さんちにパラサイトしてやるー」
 仲が良いのか悪いのか、いま一つ不明瞭な竹内の後輩は、荒木の腰紐を青木に譲り渡し、サッと敬礼した。
「見張りはおれたちが代わります。青木さん、荒木を連れて中に入ってください」
「え。でも」
「『理由は分からないけど、岡部さんは薪室長に何か大切なことを伝えたいんだと思う』 そう、竹内さんが言ってました。あのひと、そういうの鋭いから」
 信じて間違いないと思います、と大友に言われてようやく青木は滝沢の言葉を思い出す。自分には預けてもらえなかった滝沢の伝言を岡部はちゃんと受け取って、薪に伝えようとしているのだ。
 青木は紐の取っ手をぐっと握りしめ、スライドドアを横に滑らせた。




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モンスター(24)

 新しいリンクのご紹介です。

「BON子の秘密妄想帳」 ←ポチると飛べます。

 その名の通り、BON子さんの妄想を主体とした、爆笑必至のブログさんです。
 薪さんファンなら誰しも、薪さんについてあれやこれや、時事や季節イベントを絡めて空想しますよね。その模様が軽妙な文章で分かりやすく書かれており、しかもそれがBON子さんの美麗イラスト付きと言う、笑いと萌えがいっぺんに味わえる大変贅沢な作りになっております。
 個人的には、時折挟まれるBON子さんのセルフ突っ込みがめっちゃツボです。

 BON子さんの空想は限界がないと言うか自由過ぎると言うか(笑)、とにかく型破りです。わたしも大概突拍子もないこと考えますけど、BON子さんには負けます。BON子さんのパワフルな想像力、その翼は易々と次元を超えます。
 ハッキリ言ってBON子さん、
「薪さん好き過ぎて現実が見えてない」
 はい、8年前のわたしにそっくりです!!
 思い起こせば8年前、薪さんに根こそぎ持って行かれたわたしは、仕事クビになっても離婚されても文句は言えない、それくらい薪さん一色の日々を送っておりました。俗に言う「秘密廃人」です。妄想以外、何もしてませんでしたね。
 今になって思えば、オットはよく我慢してましたよ。あ、今もね。一生その調子でお願いね。(今も充分秘密廃人)

 BON子さんはここまでひどくないと思いますが、それでも、妄想の内容はかなりの確率で被っております。もはや他人とは思えません。
 BON子さんのブログを読んでいると、当時の熱い思いが呼び起こされるようです。そんな気持ちもあって、わたしの方からリンクをお願いしました。


 常軌を逸した妄想に笑い、美麗イラストに嘆息する。
 まるで、二重人格のようなブログさんを、BON子さんの魅力あふれる語り口と共に楽しんでください。超オススメです!



 さてさて、お話の方は、
 岡部母さんの説教開始です。
 心して聞くように(*・`ω´・)ゞ ←これ、ワンクリックで挿入できるようになったのね。これならわたしでも顔文字使えるw




モンスター(24)





 青木が病室に入ると、薪は窓の外を眺めたまま、岡部だけがこちらを振り向いた。2人が会話らしい会話をしていなかったことは、空気の重さで分かった。

「岡部さん。あの」
 青木の声で、やっと薪はこちらを向いた。そして見つけた。青木の陰に隠れるように立っている、誘拐犯の姿を。
 ベッドの上で、びくりと薪の身体が震えた。
 見る見るうちに薪の表情が曇り、細い眉が弱気に垂れ下がる。立ち上がろうとして為せず、なにか言おうとしてそれもできず。やがて薪はくちびるを噛みしめてうなだれた。罪を悔いる咎人そのままに。

「薪さん。荒木が貝沼事件の遺族だと知ったのはいつですか」
 薪の両手が毛布を握りしめる。その細い指は白くなるほど力が入って、小さく震えていた。
「岡部さん、医者が言ってました。まだ精神的に回復していないから、事件の話は控えるようにと」
「回復されてからじゃ遅いんだ」
 いいから黙ってろ、と岡部に命じられ、青木は一歩退がった。納得はできないが岡部のすることだ。薪にとって不利益なことのはずがない。

 岡部は薪に向き直り、重ねて回答を促した。
「答えてください」
「面談のとき。鼻の形が、森田和也くんにそっくりだと思った」
 3人が3人とも、え、と声を上げた。面談と言ったら初対面の時ではないか。荒木の素性に最初から気付いていたなら、薪はどうして彼の第九入りを許したのか。
「犯罪被害者の遺族が警察官になるのは珍しいことじゃない。むしろ、事件がきっかけとなって正義に目覚め、警官を志す者も多い。彼らは多くの場合、身内の事件について詳しい情報を得たいと考える。貝沼事件の最終捜査本部は第九だ。脳データこそ失われたが、事件調書は第九にある。荒木の転属願は自然なことだと、そう考えていた」
「それだけですか? 貝沼事件で加害者意識を持っていたあなたは、被害者遺族である荒木にできるだけの便宜を図ってやろうと、そう考えたんじゃないんですか」
「そんなことはしていない。みんなと同じに」
「青木とはあからさまに差が付いてましたけど」
「仕方ないだろ。荒木は器用で機転が利いたけど、青木は不器用で鈍くさかったんだから」
「ええー……」
 肩を落とす青木を、元気出して下さい、と荒木が慰める。おかしな構図だ。

 なんとなく緩んだ空気を岡部の咳払いが元に戻す。緊張を孕んだ声で、岡部は聴取を続けた。
「荒木の計画に気付いたのはいつですか」
「……荒木の家に初めて行った時」
 確かそれは、10月の第一水曜日だったと青木は記憶している。それから3週間近くも、荒木の計画に気付きながら薪は彼を放置していたことになる。

 絶句する青木の横で、荒木が妙な笑い方をした。
「おれ、なんかヘマしましたっけ」
「ミスと言えるほどのミスはしていない。少し気になった程度で」
「なにが?」
「兄弟が居るかと訊いたとき、きみは一人っ子だと言い、それを証明するかのように母親に電話をした」
「わざとらしかったですかね」と自嘲した荒木に、薪はゆっくりと首を振り、
「そうじゃない。自分が被害者遺族であることを隠すのはごく普通のことだし、僕に気を使ったとも考えられる。気になったのは、そのとき母親を『ママ』と呼んだことだ」
「20歳超えても、母親をママって呼ぶ男はいっぱいいるでしょ」
「父親のことは『父さん』と呼んでいた。釣り合いが取れない」
「それだけで?」
「そんな子供もたくさんいるとは思うけど。僕はその時点で、きみにもう一人の母親がいることを知っていたから……新しい母親にママと呼んで欲しいと言われたのかもしれない、でも別の可能性もあると思った。
 新しい母親と表面上は仲の良い親子を演じても、自分の母親は一人だけ。荒木は産みの親をとても大事に思っているのかもしれないと、そう思った」
 薪の推理を聞いて、青木はふと思い出す。そう言えば薪も、育ててくれた叔母夫婦を「叔父さん、叔母さん」と呼んでいた。同じ境遇の子供同士、感じるものがあったのかもしれない。

「どうしてそれを話してくれなかったんです」
「その時は未だ確証がなかった。不確かな疑惑で第九に混乱を招きたくなかった」
 質問に対する薪の答えを、岡部は疑り深そうな顔で聞いていたが、やがて軽く頷いた。
「まあそれはよしとしましょう。では、確証を持ったのはいつですか」
 毛布を掴んだ自分の手をじっと見つめ、薪は沈黙した。焦れた岡部がせっかちに解答を促す。
「答えなさい」
「…………猫の首が送られてきたとき」
 事件の朝、あの呪われた贈り物から荒木の計画は回り出した。あれが荒木の仕業だったと、薪は即座に見抜いていたのだ。

「おれがやったって証拠は、何も残さなかったはずですけど」
 荒木の言う通り、鑑識の調べでは何も出なかった。だが、薪の根拠は物証ではなかった。
「きみが青木と話しているのを聞いた。猫の耳に入れてあったメッセージカードに、僕の名前があったから僕を呼んだのだと、そう言ってただろう」
 青木もその会話は覚えていた。「例え室長に宛てたものでも処分は自分たちでするものだ」と荒木に教えていたら、隠蔽を指導するとは何事だ、と薪に叱られたのだ。
「カードは頭から突っ込んであった。文章の始めに書かれていた僕の名前は見えなかったはずだ」
 メッセージカードを抜かないうちから薪の名前が書いてあると知っていたのは、そのカードを書いた本人だけだ。
「あのときは焦ってたんですよ、おれも。青木さんのあんな怖い顔、見たの初めてだったから」
 言われてみれば、薪が青木たちに声を掛けたタイミングはおかしかった。青木が荒木を指導してから、少し間があった。青木の隠蔽工作に憤ったなら、もっと早い段階で叱責に来るべきだ。
 あのとき薪の中で、荒木に対する疑惑が確たるものに変化した。それゆえのタイムラグだったのか。

「それはつまり」
 岡部が三白眼をぎらつかせ、薪に詰め寄った。
「薪さんは、モンスターの正体が荒木だと分かっていながらそれを誰にも教えず、そのモンスターと二人で出掛けた、と理解していいんですね?」
 脅しつけるような声だった。握った拳が微かに震えていた。
 対する薪は、そうだ、と静かに応じ、伏せた睫毛を瞬くたびに揺らしながら、
「滝沢からの情報を重ね合わせると、疑わないわけにはいかなかった。岡部たちが滝沢から聞いた話を、僕は1ヶ月前に聞かされていたんだ」
「おれたちがその話を滝沢から聞いたのは、今日ですけどね」
「本当か? それでよく」
 そこで初めて薪は顔を上げ、岡部の顔を直視した。途端、わずかに身を引く。岡部はまるで憎むべき犯罪者を睨むような眼で、ベッドに座った薪を見下していた。

「なぜわかったか、ですか? あんたが青木の気持ちに鈍くなったからですよ」


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モンスター(25)

 岡部母さんのお説教、その2です。長いな、おい。




モンスター(25)





「あんたが青木の気持ちに鈍くなったからですよ」
 岡部の怒りを確信して、薪の眉が寄せられる。岡部が薪を『あんた』と呼ぶ時は、ものすごく腹を立てているときなのだ。

「気付いてるかどうか知りませんけどね、あんたが青木のサインを見失うのは、あんたの過去が関係してるときだけなんですよ。
 それはあんたがまだ昔の事件を自分の罪だと認識していて、自分には誰かと共に人生を歩む資格はないと思い込んでるからじゃないんですか」
 一気にまくしたてる岡部に、薪は一言も言い返せない。ひたすらに眉を曇らせて、小さく開けた口を小刻みに震わせていた。
「だから青木の気持ちが掴めなくなっちまうんですよ。無意識に、青木を見ることを避けてるから」
「岡部さん」
 岡部の舌鋒を止めようと呼びかけた青木の声に耳も貸さず、岡部は言い募る。
「あんた昔おれの前で『自分は正当防衛だ、みんなに死なれて迷惑だ』と言いながら泣いてた。本当はあんた、あそこから一歩も動けないでいるんじゃないですか」
「岡部さん!」
 薪の瞳が驚きから悲しみの色に変わって行く。何もそこまで、鈴木や死んだ仲間のことまで引き合いに出す必要があるのか。岡部に対する不信が青木の中で膨れ上がり、2度目の制止はやや咎めるような声になった。しかし岡部の言葉は止まらない。

「あれから10年も経ってるんだ。いい加減前を見たらどうです」
 岡部は薪の細い肩を掴み、すると薪は痛みに顔をしかめた。まだ荒木につけられた傷が癒えていないのに、いくら岡部が薪の女房役でも、怪我人にこんなこと。
「あんたの傷の深さは分かってるつもりですよ。でも青木が可哀想じゃないですか。10年間、あんたの傍を片時も離れずにあんたを想い続けてる青木の気持ち、考えたことあるんですか」
「やめてください、岡部さん!」
 薪の肩を掴んでいた岡部の手を、強引に振りほどく。2人の間に割って入った青木は、薪を背中に庇うようにして、一言も喋れないでいる薪の代わりに岡部に言い返した。
「オレはいいんです。本当にいいんです」

 岡部が薪に言ってくれたことは、正直ありがたかった。自分の生に執着しない薪の姿勢は、青木が唯一許せない彼の悪い癖であったからだ。が、それに対する反論もまた、青木の素直な気持ちだった。
「最初に薪さんに言われました。鈴木さんのことも自分の罪も、一生忘れないって。オレはそれでもいいって言ったんです。だから」
「そりゃ最初は言うだろうさ。でも普通なら10年も経てば」
「だって薪さんですよ? 忘れないって言ったら、本気で一生忘れませんよ。天才の上にめちゃくちゃ頑固なんですから」
 青木が少しだけおどけると、岡部はふいと眼を逸らした。岡部なら分かってくれると信じていた。
「そこまで承知で、オレは薪さんの傍にいることを選んだんです」
 だからいいんです、と青木は薪に笑い掛けた。

 その笑顔に、薪はひどく哀しげな笑みを返した。
「そうやって僕は、ずっとおまえに甘えてきたんだな」
「え?」
 最後の言葉はよく聞こえなかった。薪は再び下を向いてしまい、その言葉は毛布に吸い取られたように誰の耳にも届かず消えてしまった。

「青木。おまえのアパート、まだ残してあったよな」
「あ、はい。荷物の整理が終わらないのと、家賃が1年間の前払い制なので、つい」
「ちょうどいい。おまえ、今日からそっちへ帰れ」
 病室に短い沈黙が下りた。薪が何を言おうとしているのか、察して青木は身構える。こういう薪は経験済みだ。対処法も心得ている。
「もう、家には来るな」
「嫌です」
 即行言い返した。
「こんな状態のあなたを一人にするなんて、できません」
「これは命令だ」
 毛布を握った自分の拳を見つめたまま、薪は言った。
「僕たちは少し……長く一緒にいすぎたのかもしれない」

 次の瞬間、薪の頬で、パン、と乾いた音がした。驚いた薪が青木を見る。思わず青木は自分の両手を降参の形に上げて、身の潔白を証明した。
 叩かれた頬を反射的に押さえたまま、薪が首を巡らせた。そこには鬼の形相をした岡部が仁王立ちになっていた。
「岡部さん、薪さんは怪我を」
「これだけ言ってもまだ分からないんですか?!」
 青木の控え目な抗議は岡部の怒号に掻き消された。廊下の2人にも聞こえたに違いない、ここが病院であることを忘れ去った声量だった。
「荒木を見なさい! あれはあんたのせいだ!」
 岡部の指差す方向を見やれば、薪と青木のプライベートを多分に含んだ会話に身の置き所を失くした荒木が悄然と立っている。両の手首を結わえた鉄の輪をタオルで隠し、青い細紐に腰を繋がれた罪人の姿。

「あんたの弱さがあいつを犯罪者にしたんです。それが分からんのですか」
「分かってる。元々は僕が貝沼を見逃したことが原因だ。僕の甘さが、あの事件を」
「あんた、本当にバカだな!!」
 警察庁の天才と呼ばれる薪をバカ呼ばわりできるのは、世界中探しても滝沢くらいのものだと青木は思っていたが、ここにもいた。灯台もと暗しとはこのことだ。

「そんな昔の話、今さら蒸し返してどうなるってんです。そうじゃない、おれは今のあんたの心の在り方が今回の事件の原因だと言ってるんですよ」
 悲痛な眼をして、薪が岡部を振り仰ぐ。亜麻色の瞳の中に、岡部の真剣な表情が映り込んでいた。
「ちゃんと荒木を諭しましたか? 復讐なんかでおまえの人生を無駄にするなと、上司として彼を導きましたか?
 自分の母親はおまえを呪いながら死んでいったのだと、母がそうなったのはおまえのせいだと、荒木に言われるがままに頷いて自分の罪悪感に飲み込まれて、薄っぺらい自己満足と引き換えに彼の暴挙を許したんじゃないんですか」

 岡部の言うとおりだった。薪は一切の抵抗をしなかった。
 所轄からの帰り道、「大人しくしてください」と荒木にナイフで脅され、でもそれは薪にはなんでもないことだった。岡部や青木と違って、荒木は武道を習ったこともない。構えは隙だらけだったし、簡単に押さえ込むこともできたはずだった。
 しかし、薪はそれをしなかった。諾々と荒木の言に従い、自分の手に自ら手錠を掛けたのだ。
 それから薪は、荒木が昔住んでいた家に連れて行かれた。母親が病に倒れて長いのだろう、そこは既に廃墟と化しており、近隣住民はおろかホームレスさえ近付かなかった。

 腐って虫が湧いた床の上で、薪は彼の刃を受けた。苦痛にも辱めにも、黙って耐えた。それくらい、してやってもバチは当たらないと思った。
 凶刃のひらめく間に間に挟まれた荒木の言葉で、薪は荒木の過去を知った。
 やさしかった母親が、兄の死で徐々に壊れて行ったこと。家の中はめちゃくちゃになり、嫌気がさした父親は他の女性に救いを求めて、幸せだった家庭はもろくも崩れ去ったこと。
 狂気の中で、母親は病を得た。入院費は父親が払ってくれたが、病院には顔を出さなかった。一人ぼっちの母親を放ってはおけず、荒木はずっと彼女の看病をしてきた。
 
 病床の母は、繰り返し繰り返し、薪への恨みを吐き続けた。
『和也は、あなたの兄は、あの男のせいで死んだのよ。あの男に少し似てたから、たったそれだけの理由であんなひどい死に方を』
『まだ20年も生きてなかったのに。やりたいこともいっぱいあったのに……和也ね、ライブデビューが決まったこと、真っ先に母さんに知らせてくれたのよ。それなのに』
『自分のせいで死んだ人間がいることを知りながら、のうのうとテレビなんかに出て。こんなに大きく新聞に載って持て囃されて。雑誌のインタビューまで』
『殺してやりたい、殺してやりたい、この男』
 10年間、荒木は母親の狂気と共に生きてきた。その10年の苦しみに比べれば。彼の母親を狂わせた罪人として、これくらいの罰は受けて然るべきだと思った。

 荒木の自白調書に、薪の心情についての記載はなかった。だから本当のことは分からない。でも、薪の瞳が物語っていた。
 僕は、罪を償いたかったのだと。

「それが間違いだって言ってるんですよ、薪さん」
 凄みを効かせた重低音で、岡部の糾弾は続く。彼の声には薪に対しては常に込められていた友愛の欠片もなく、心の底から薪に腹を立てていることが分かる。察して、薪の亜麻色の瞳が一層の哀しみを湛えた。
「こいつはね、おれたちを案内したんですよ。自分の兄貴が通ってた大学の近くのファミレス、もうすぐライブデビューするはずだったカフェ。バンド仲間とたむろってた喫茶店には兄貴の写真も飾ってありましたよ」
 岡部の口に青木の知らない事実がのぼり、やっと青木は理解する。岡部は事件後も、荒木の調査を進めていたのだ。そして彼の行動の真相を知った。
「荒木は本当は自分を止めて欲しかった。それをロクな抵抗もせずに唯々諾々と彼に従って、救難信号も出さず逃げる素振りすら見せず、あんたがそんなんだから」
 すうっと息を吸い込んで、岡部は薪を叱りつけた。
「荒木は後戻りできなくなっちまったんですよ!」

 薪が女性と密会していたと言うのは荒木の嘘だった。被害者となった兄に縁のある場所を回りながら、二人にヒントを与えていたのだ。
 岡部の言う通り。荒木は誰かに自分を止めて欲しかったのかもしれない。

「まだ24ですよ。こいつが、平気で人を殺せるようなやつに見えますか?」
 薪は力なく首を振った。
「僕の責任だ。僕が、彼の人生を狂わせた」
「だからどうしてそうなんですか、あんたは!」
 病室の空気が振動するような怒号。その対象ではない青木や荒木までもが一歩後ずさる。岡部が捜査一課で伝説になっているのはこういった彼の恐ろしさ、そして。
 真実を見抜く心眼。それが岡部靖文の伝説を支えている。

「薪さん! モンスターはあんただ!」



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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