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破壊のワルツ(12)

 滝沢さんのシーンが続くと、重くてむさくて、みぎゃーっっ、て叫びたくなりません?
 今回はサービスショットです、萌えてください♪




破壊のワルツ(12)






 リノリウムの床に延べられた段ボール箱の上で、薪は暑さに喘いでいた。
 携帯のフラップを開けて時刻を確認する。日曜日の午後1時。ここに閉じ込められて、20時間になる。

「くっそ、滝沢のやつ。オボエテロ……」
 自分を置き去りにした部下の名前で気力を出す方法も、そろそろ限界に近かった。飢えと渇きと、何よりもこの暑さは拷問だ。捜一にいた頃は現場に出ていたから、自然と暑さ寒さにも鍛えられたが、部署が替わってからはロクに陽にも当たらない生活になっていた。筋肉は落ちたし、体力も衰えた。あの頃と変わらないのは、事件解決に対する熱意と負けん気だけだ。

「ヤバイ。マジで眼、回ってきた」
 いくらなんでも夜のうちにはここから出られるだろうと、最初は思っていた。しかし、いくら待っても誰も来なかった。仕方なく、携帯の灯りを頼りに書類保存箱の予備を引っ張ってきて床に敷き、昨夜はその上に寝たのだ。

 暑くてひもじくて、ダンボールの寝床は耐え難いほど固くて、でもまあ明日には絶対に助けが来るだろうし、一晩くらいホームレスの真似事をしてみるのも話のタネになるかもしれない、などと呑気に考えたのも束の間。床面に接している部分が痛くて同じ体勢を取り続けることが辛く、とても眠れたものではない。加えてこの暑さ。
 耐え切れず起き上がり、家が無いすなわち屋外、ということはプラス雨風。なんて逞しいんだホームレス、僕には無理だ、これなら刑務所の方が空調が効いている分マシだ。質素とはいえ食事も出るし。リストラの憂き目にあって路上生活を余儀なくされている彼らより、刑務所の犯罪者の方がいい暮らしをしてるなんて、なにか間違ってる。
 ここを出たら警察をクビにならないように一生懸命仕事をしよう、と保身的な答えを導き出した薪は、膝を抱えたり横になったりを繰り返しながら、夜が明けるのをひたすら待った。

 その時点では、滝沢は自分がここにいることに気付いていないのだろうと薪は思っていた。
『千葉から電車で直帰する』
 行きの車中の会話で、滝沢は薪が先に帰ったと思い込んだのだ。上司が電車を使うと言えば駅まで車で送り届けるのが普通だが、ここから駅までは歩いても5分くらいだし。後部座席には鞄が置いてあったのだが、車上荒し対策のため、座席の下に隠してきたから見えなかったのだろう。
 いずれにせよ明日、薪が出勤して来ないとなれば、滝沢は必ず薪に連絡を取ろうとするだろう。携帯がつながらなければ自宅、それもだめならこの上着につけた発信機が薪の居場所を教えてくれるはず。そうしたら、すぐに助けが来る。
 出勤は定時の8時。遅くとも9時までには行動を起こすだろう。所長に連絡して、倉庫番に出てきてもらって、10時前後には出られる。それまでの我慢だ。

 しかし、薪が想像した救出劇は、その開演時刻を大幅に遅らせていた。
 携帯電話の時刻表示が、一日のうちでもっとも気温が高い午後2時を示している。薪はダンボールの上に横になって、身体は痛いが、もう起き上がることもできない。
 
 どうして滝沢がここに来ないのか、薪にはさっぱり分からなかった。
 もう午後だ。何故、助けに来ない?
 まさか、僕がここにいることに気付かないわけじゃあるまい。倉庫番を呼び出すのに手間取っているのか?

 空腹は感じないが、猛烈な喉の渇きを覚える。頭がぼうっとして、考えがまとまらない。とにかく暑かった。
 上着はとっくに脱いで、ネクタイも外してワイシャツもボタン全開の有様だったが、いっそズボンも脱いでしまいたいくらいだ。でも、それをするとパンツ1丁の情けない姿で発見されたりして、下手をしたらマスコミにリークされるかもしれない、それはいやだ。

 それから1時間後、背に腹は替えられない、もとい、暑さには勝てない。みっともなくてもいいから脱ごう、と思ったときには、既に手が動かない状態だった。
 身体に力が入らない。完全な脱水症状だ。
 全身が細かく痙攣している。こんなに暑いのに、震えているなんて笑える。頭はガンガンするし、吐き気もする。わずか数%の水分が体内から失われただけで、人間の身体は簡単に壊れる。

 やっとの思いで携帯を開くと、時刻は3時過ぎ。霞んだ瞳の中に、鈴木の笑顔が見えた。

 3時からだと言っていたな、結納式。
 それを薪に告げたときの、鈴木の照れたような笑い顔が闇の中に浮かぶ。それから薪に冷やかされて、あわてた顔、困惑した顔、でも最後にはとびきりの笑顔。

 どうしよう、これ、もしかすると人生の走馬灯ってやつかもしれない。僕の人生、90%は鈴木が占めてるから。
 鈴木の顔が見える。すごく幸せそうに笑ってる。
 向かいの席に雪子の姿がある。えらくめかし込んで、澄まして座っている。その隣には、年配の夫婦。よく見たら鈴木の隣にも、塔子さんとおじさんが座っている。
 どうして鈴木と雪子さんの結納式の様子が見えるのだろう。もしかしたら僕は死んでしまって、魂だけになって鈴木に会いに来たのだろうか。

 結婚の約束を固いものにした二組の家族は、楽しげに歓談し、互いの絆を深め合っている。
 鈴木は目の前の雪子に夢中で、姿の見えない薪に気づくことはない。
 それを淋しいと思っても詮無きこと。今に始まったことじゃない、ずっとこうだった。12年前、鈴木に振られてからずっと。

 僕は自分から友人という立場を選んで、でもそれは彼の傍にいたかったから。彼を見ていたかったから。彼に話しかけられたかったから。
 僕は鈴木に出会った19のときから、ずっとずっとずっと――――――。

 細い右手から、携帯電話が転がり落ちた。開いたままの画面から洩れる明かりが、しばらくの間床の上を照らしていた。
 やがてピーッという警告音が充電の必要を知らせたが、それを為すべき主はピクリとも動かなかった。動いたとしても、設備のないこの場所ではどうすることもできず、薪は唯一の明かりを失うことに変わりはなかった。

 真の闇に閉ざされた部屋の中、薪の浅い呼吸音だけが、今にもその動きを止めてしまいそうに、弱々しく響いていた。




*****

 って、これってSしか萌えない展開じゃ?
 すみません、萌えたのは書いてるわたしだけだったみたいです。 ごめんなさい。


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破壊のワルツ(13)

破壊のワルツ(13)




 やたらと長い病院の廊下を、鈴木は風のように走っていた。
 すれ違いざま、何人かの看護師に「走らないでください」と注意を受けたが、すべて無視した。耳に入らなかったと言ったほうが正しいかもしれない。

 所長から聞いた病室の番号を確認し、引き戸を開ける。
 それほど広くはないが一応個室で、最低限のものは揃っている。ベッド周りをカーテンに遮られて目当ての人物の姿は見えないが、小型のハンガーラックに掛けられた仕立ての良いスーツは間違いなく彼のものだ。
 鈴木は持ってきた荷物を床に投げ出すように降ろし、カーテンに手を掛けた。着替えや日用品をキャビネットに片付けるのは後だ。まずは彼の無事を確認しないと。

 カーテンを開いて、鈴木はその場に固まった。
 ベッドに仰向けになり、細い右腕には点滴の管を刺された親友の、顔の上に男が覆いかぶさっている。男の唇はぴったりと薪の唇をふさぎ、男の舌は薪の口中を蹂躙しているように見えた。

「何やってんだ、おまえっ!」
 自分でもびっくりするくらい、大きな声が出た。ここが病院だということは、完全に忘れ去っていた。
 意識のない薪はともかく、男のほうは鈴木の存在に気付いているはずなのに、一向に離れようとしない。鈴木は目の前が真っ赤になるくらい憤って男の肩をつかみ、力任せに薪から引き剥がした。
「おまえ、薪になんてことっ……!」
「ちょ、鈴木。誤解だ」
 相手が何か言ったような気がしたが、鈴木の凶悪な衝動は止まらなかった。あまりに怒りが大きすぎて、鈴木はそれを表に出すことも敵わなかった。殆ど無表情のまま、鈴木は男の胸倉をつかみ、拳を振り上げた。

「何の騒ぎですか? ここは病院ですよ!」
 騒ぎを聞きつけた看護師の叱責で、鈴木は我に返った。
 気付いてみれば、彼は自分の部下を殴ろうとしていた。副室長の立場から部下にそんなことをすれば、懲罰ものだ。もう少しで室長の薪に迷惑を掛けてしまうところだった。

 滝沢の襟元から手を離して、鈴木はベッドに寄った。
 青白い顔で眠っている薪の口元から、水が零れていた。サイドボードに置かれたハンドタオルでそれを拭ってやり、鈴木は息を詰めて彼を見守った。
 脱水によっていくらか腫れぼったくなった唇以外は、いつものきれいな彼だった。その薄い胸が規則正しく上下していることと、静かな寝息が聞こえることに安堵を覚え、鈴木はようやく詰めていた息を吐き出した。

「医者に言われたんだ。30分ごとに、少しずつ水を飲ませるようにって」
 後ろから滝沢が、弁解がましく言った。
「意識がないんだから、他に飲ませようがないだろう?」
 右手に、ペットボトルに入ったイオン飲料を持っている。さっきは頭に血が上って、彼がそれを持っていることにも気付かなかった。

「あとはオレがやる」
「……婚約者に怒られるんじゃないか?」
「水のみで飲ませるに決まってんだろーが!」
 脱水症状を起こしていると聞いてきたから、着替えと一緒に必要になりそうなものは持ってきた。床に置いた荷物の中から水のみとパジャマ、下着類を取り出して、鈴木はベッドの傍に戻った。

「薪の世話はオレがする。おまえは仕事場に戻れ」
「それはまずいだろう。室長と副室長が、揃って不在というのは問題だ」
 部下に副室長の責務を問われて、鈴木は眉根を寄せた。たしかに、滝沢の言うとおりだ。
 ここは柏市内の病院だ。灼熱の地下倉庫で一昼夜、脱水症を起こしていた薪には迅速な手当てが必要だと、最寄りの病院へ担ぎ込んだ滝沢と倉庫番の判断は正しい。そして、今の滝沢の主張も。霞ヶ関の病院なら電話1本で職場に駆けつけることができるが、ここから第九までは2時間近くかかる。

「何かあってからでは遅い。ここは俺が残ったほうがいい」
 滝沢は、鈴木の手から薪のパジャマを取り上げると、病院の部屋着を着せられている薪の胸元に手を伸ばし、合わせを結んでいる紐を解こうとした。
 咄嗟に、鈴木は滝沢の手をつかんだ。それから、今まで誰にも見せたことのない鋭い目つきになって、
「薪に触るな」
 
 よほど驚いたのだろう、滝沢は声も出せずに目を丸くしていた。自分でも信じられない、抑え切れない衝動が鈴木を動かしていた。
 鈴木は滝沢の手から薪のパジャマを奪い返すと、サイドテーブルの上に置いた。大分汗をかいているようだし、身体を拭いて着替えさせてやりたかったが、滝沢の前でそれをしたくなかった。

「鈴木、薪のことは俺に任せてくれ。元はと言えば俺のせいだし」
 滝沢が薪を地下倉庫に閉じ込めることになってしまった経緯も、所長から聞いた。
 MRIのバックアップ中に誤ってデータを消してしまい、薪と滝沢は柏にある資料倉庫に向かった。倉庫で資料を見つけ、滝沢はそれを持って第九へ戻った。倉庫から出たのは薪の方が先だったし、電車で直帰すると言っていたから、車にいないのも不思議には思わなかった。
 翌日は定時に出勤する予定だったのだが、滝沢は急な発熱に見舞われた。かなりの高熱で、立つことも難しいくらいだった。休ませて欲しいとの連絡を薪の携帯に入れたが、電話は通じなかった。まだ朝の早い時間だったので、薪の自宅の電話に留守電を入れ、身体が辛かったせいもあって、それで済ませてしまった。
 今朝になって熱が下がったので、出勤前に薪に電話を入れてみた。昨日の謝罪をするつもりだったが、まだ電話がつながらなかった。自宅の電話も、いくらコールしても誰も出なかった。日曜日でもないのに電話が通じないなんておかしい、と不審に思い、第九に出てきて、発信機から薪の居場所を知った。

「まさか、こんなことになっているとは思わなかったんだ。本当に申し訳ない」
「オレに謝ってどうするんだ。薪に謝れよ」
 眠っている人間に謝れなんて、ずい分意地悪なことを言う、と自分でも思ったが、鈴木は上手く自分の気持ちを宥めることができなかった。

 薪が。
 オレの薪が。
 あんなところに一昼夜も閉じ込められて、どんなに辛かったことか、心細かったことか。薪がそんな大変な目に遭っているときに、オレは―――――。

 煮えたぎるような怒りの本当の原因に思い至って、鈴木は愕然とする。
 ちがう、滝沢に怒りを覚えたんじゃない。オレが許せないのは。

「もちろんその心算だ。だから薪が目覚めたとき、傍にいたいんだ」
 滝沢は鈴木から離れ、ベッドフットの方から回って反対側に立った。昏々と眠り続ける薪に手を伸ばし、汗で汚れた髪を手で梳いた。
 今度は怒れなかった。自分にその権利はないと思った。

「入院中だけじゃなくて、ずっと傍にいてやりたい。俺の命の続く限り、ずっと」
 滝沢の言葉に、罪滅ぼし以外の意思を聞き取って、鈴木は目を瞠る。滝沢は、何度も何度も薪の髪を撫でている。やさしく、大切なものを慈しむような手の動き。そこに自分と同じものを感じて、鈴木は不可解な焦燥に捕らわれた。
「おまえ、まさか」
「発見したとき、薪が死んでるのかと思った。呼びかけても頬を叩いても、何の反応もなくて……恐ろしかった」
 その気持ちは、よく分かった。
 よっぽどの悪条件が重ならない限り、2日くらい完全絶食しても人間は死なないと思う。頭で理解していても、感情はそうはいかない。
 昔、大昔、薪が死んでしまったかもしれないと思って、街中を駆け回って彼を探した事があった。あのときの恐怖は忘れられない。今でも夢に見るくらい、鈴木にとっては人生最大の恐怖体験だった。

「今度のことで思い知った。俺は薪を愛してる」
 滝沢は薪への想いをハッキリと口にした。鈴木の心臓が、ぎゅっと握られたように苦しくなる。

 ふざけるな、と怒鳴りつけたい衝動に駆られた。
 薪を愛してるだと?
 そんなことは許さない、と心のどこかで喚きたてる声に耳を塞ぎ、鈴木は冷静な態度を装う。ここで情に負けては駄目だ。薪を守らなくては。

「それはおまえの勝手だけどな。薪に迷惑が掛かるような真似は慎んでもらう。薪は第九の室長なんだ。警察内の立場もあるし、世間の注目度も高い。おかしな噂が立ちでもしたら」
「噂ならすでに、官房長の愛人とおまえの恋人の2本立てだが」
 …………。

 言い返す言葉もなく鈴木が黙ると、滝沢はベッドに両手を置き、ぐっとこちらに身を乗り出してきた。
「これは俺と薪の問題だ。おまえに俺のことを止める権利はない」
「オレは薪の親友として、薪を傷つけるものは許さない」
 意識のない薪を挟んで、鈴木と滝沢は睨み合う。現場で鍛えた滝沢の眼力に一歩も引けを取らず、ともすれば彼を上回る凶悪さで、鈴木は彼の視線を受けた。
 先に目を逸らせたのは、滝沢の方だった。

「親友として、か」
 ふ、と鼻で嗤うように言って、次の瞬間、鈴木の襟元に手を掛けた。強い力でギリッと締め上げ、苦々しげに吐き捨てる。
「笑わせるな。薪を一番傷つけてるのはおまえだろうが」

 思いも寄らない言いがかりをつけられて、鈴木は怒るより先に不思議に思う。
 自分はいつも薪の傍にいて、彼を支え、守ってきた。薪が第九の室長という重責に押し潰されそうになるたびに、彼を慰め、力づけ、新たな一歩を踏み出す手伝いをしてきたのだ。
 それなのに、自分が彼を傷つけていると非難されるなんて。

「どういうことだ。オレがいつ」
「薪の気持ちを知ってて、彼女と婚約したくせに」
 今度こそ、鈴木はぐうの音も出なかった。
 それは事実だった。鈴木は薪の気持ちを知っていた。自分の気持ちにも気付いていた。だからこそ、受け入れることはできなかった。

「別に責めてるわけじゃない。薪の気持ちに応えられないのは、悪いことじゃない。だけど、薪を愛してやれないおまえに、薪だけを愛している俺を止める権利は無い。そうだろう?」
 勝手なことを言うな、と叫びたかった。
 オレがどんな思いで薪の涙を見てきたのか、おまえに解るか。何も知らないくせに、オレと薪の間に何があったのかも、どんなに必死になってそれを乗り越え、現在の関係を作り上げたのかも、他人に分かるわけがない。

 自分では解らなかったが、鈴木はおそらく、怒りで青ざめていたのだと思う。
 滝沢はそれを、隠していた真実を言い当てられて怯んだものと解釈したらしく、右手を緩めて鈴木を解放した。それから目を伏せて、眼下に横たわる美しい寝顔を見つめた。
「それに」
 滝沢は再びベッドフット側から回って、サイドテーブルが置いてある左手の方へ戻ってきた。鈴木の肩を押してその場から退けさせ、付き添いに最適な場所を獲得する。
「薪が未来永劫俺を愛さないと、どうして言い切れる? 薪が好きになる男はこの世で自分ひとりだとでも思っているのか?」

 適当な嘘で受け流すことは、できそうになかった。滝沢を煙に巻くどころか、口を開いたら思っていることをすべて話してしまいそうだった。それは明らかに薪の立場を危うくする愚行だと知って、だから鈴木は、破れるほどに唇を噛み締めるしかなかった。
 もし、薪がタヌキ寝入りをしていて、この会話を聞いたら何て思うだろう。一言も言い返せない自分を、情けないやつだと思うだろうか。

 サイドテーブルに置いたパジャマを取り上げ、滝沢は威圧的な口調で言い放った。
「図星か。本当に、おまえは傲慢な男だよ」





*****

 きゃー、滝沢さん、言ってやって言ってやって、それと同じことを原作の青木さんにも言ってやってっ、と、この話を書いた時点では思ってたんですけどね。
 4月号を読んだら、とてもそんなことは思えなくなってしまいました。 うう、青木さん、可哀想。(;;)



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破壊のワルツ(14)

破壊のワルツ(14)







「滝沢サン。室長、大丈夫ですか?」
 昼過ぎに第九に出勤した滝沢は、執務室へ入るや否や豊村の質問攻めにあった。
「どんな様子でした? 辛そうでした? 医者は何て言ってるんですか? どれくらいで仕事に戻れるとか」
 熱心な口調で矢継ぎ早に質問を重ねる豊村は、心配で心配でたまらないと言った表情だ。どうやら、室長のシンパに戻ってしまったらしい。
 こいつはもう、使い物にならない。何ヶ月かの苦労が水の泡だ、あの出しゃばり副室長め。

「大丈夫。2,3日で退院できるそうだ」
 滝沢が医師から聞いたことを伝えてやると、豊村は安堵して自分の席に戻った。拳をぐっと握って、机の上の書類と格闘し始める。
 左手でワサワサと紙片を動かしながら、右手は何故か机の下に入れている。傍を通りかかった上野が見咎めて、豊村の右腕をぐっとつかんだ。

「豊村」
「固いこと言うなって。姉ちゃんが室長のこと心配してたからさ、大丈夫だって連絡してやろうと思って。ほら、うちの姉ちゃん、室長のファンだから」
「そうじゃなくて。何も室長がいないときまで、隠れてメール打たなくても」
「もはや習性だな。手元を見ないほうが早く打てる」
 現代っ子の豊村らしい。滝沢は携帯のメールは苦手で、何度も画面を確認しないと打てないほうだ。一つのボタンでいくつもの文字を兼務するという、あの機能がいただけない。キィが多い分、PCのほうがずっと簡単だ。

「慣れた相手へのメールなら、ポケットの中でだって打てるぜ。そら」
 豊村が、椅子の背に掛けたジャケットのポケットに携帯ごと手を入れると、1分もしないうちに上野の携帯が振動した。
「役に立たない特技だな」
「そんなことないぜ。仕事中に彼女に連絡取りたいときとか、便利だぜ。室長もまさか、ポケットの中でメール打ってるとは思わないだろ」
「彼女からの返事は、どうやって読むんだ?」
「……そうなんだよ。それでいっつも喧嘩になるんだ。一方的過ぎるって」
 
 恋愛のストレスを仕事で解消しろ、と励ましにもならないことを言って、上野は滝沢のほうへ歩いてきた。
 豊村ほど素直に表には出さないが、彼も室長の身を案じていたのだろう。滝沢が事情を報せる前とは、明らかに表情が違っている。

「滝沢さん。室長に付き添ってたんじゃなかったんですか?」
「室長には副室長が付き添ってる」
「え。じゃあ、この書類には誰が判子押してくれるんですか」
「さあな」
 薪の意識が戻って彼の無事を確認すれば、鈴木は職場に来るだろう。夕方までには帰ってくるはずだ。職務を放り投げて付き添いを続けることなど、あの薪が許すはずがない。

「どうなんでしょうね。役付者が2人とも不在って」
 滝沢だって、大いに不満だった。
 親友の窮地に慌てた鈴木は、病院に入るときに携帯を切り忘れていたのだが、そこに所長からの連絡が入った。それは滝沢宛の伝言で、薪のパトロンの小野田が、当事者から直接事情を聞きたがっているから滝沢を戻してくれ、というものだった。それで仕方なく帰ってきたのだ。

 初めて話をした政敵の親玉の顔を思い出して、滝沢はじっと考え込む。
 薪を襲った災難について滝沢が説明するのを聞き終えた小野田は、困ったように微笑すると、
『やれやれ。発信機を付けさせても、何の役にも立たないね。次からは救難信号が出せるタイプのものを付けさせることにするよ』
 そんな回りくどい言い方で、滝沢を威嚇した。今回は見逃すが、次があれば容赦はしない、という意味だ。
 
 思っていたより、ずっと鋭そうな男だった。所長からの報告だけでは納得せず、滝沢から事情聴取をしたがる辺り、薪に対する期待の大きさと他人を信用しない慎重さが伺われる。
 表面上は穏やかな笑みを絶やさないのに、周りの空気は異様に重かった。そのオーラが彼の器の大きさによるものか、野心の強さかは判断しかねるが、敵には回したくない男だ。次長が彼に自分の立場を奪われるのではないかと危惧する理由も分かる。
 分かる、が。

 幾枚かの付箋を付けられて返却された報告書の手直しをしながら、滝沢は冷酷な笑みを浮かべる。
 次長も、彼のくだらない虚栄心もどうでもいい。小野田の野心にはもっと興味がない。
 自分がここに来たのは、ある目的のため。次長の密命は渡りに舟だったが、あちらは適当にやっておけばいい。

 ――――― 2057年11月の末、飛行機の墜落事故が起きた。
 飛行機事故は珍しいが、それでも皆無ではない。事故の大小はあれ、世界のどこかしこで年に1,2件は起きている。世間が年月と共に忘れ去ったであろうその事故は、しかし墜落から約1ヵ月後に唯一助け出された乗客の今際の際の告白で、関係者を震撼させた。

『わたしは、他の乗客の遺体を食べて生き残った』

 その衝撃的な内容から直ちに緘口令が敷かれ、亡くなった乗客の脳は、事故の原因と真実を確認するため、秘密裏に第九で調査することになった。捜査に当たったのは室長一人だと聞いたが、それでも上司に報告書を上げたはずだ。滝沢が狙っていたのは、その捜査資料だった。

 保管庫にはなかった。スパコンのバックアップにも、MRIのデータベースにも残っていない。あとは保管庫か、上司の手元にあるか。しかし、事件が隠蔽された場合、提出された書類は焼いてしまうのが普通だ。そちらの線は薄いだろう。
 ようやく書類庫を確認することができて、だが、そこにもあの事件の資料は残されていなかった。もしかしたら室長が個人的に持っているのかもしれないと考え、それを探すために彼を意図的に書類庫に閉じ込めた。

 第九に戻り、室長の執務机を調べたが、やはり何も出てこない。ならば自宅か、とこちらは少々危ない橋だったが、一番下の引き出しのシークレットボックスの中に隠してあった彼の自宅の合鍵が、滝沢の背中を押した。
 告発は覚悟の上だ。たとえ犯罪者に身をやつしても、真実が知りたい。
 昼間のほうが近所に怪しまれないと思い、日曜日の朝から、滝沢は彼のマンションを徹底的に探した。だが、あの事件に関するものは何も出てこなかった。

 あの事件の資料は、何ひとつ残されていない。
 滝沢が友人から聞いた話も、独自に組み上げた仮説も、証拠となるものは何も残っていない。
 それを知ったとき、滝沢は絶望した。

 俺は、彼らの無念を晴らすことができない。警察官として、真実を追究することができない。
 彼女のために、死んだ友人のために、自分にできることは何もない。

 目の前が真っ暗になるような心持ちで書類棚を見上げていたあの時。帰りを促す薪に、声を掛けられた。
『過ぎた好奇心は身を滅ぼすぞ』
 その一言で、滝沢は彼が事件の隠蔽に関わったことを確信した。
 この男はあちら側の人間。公安と政府が一緒になって隠滅した警察の不祥事、それを隠すことを選択した人間だ。

 瞬間。
 滝沢の中で、薪は人間ではなくなった。

 コレは現存する唯一の物証。彼はその容れ物に過ぎない。自分の仕事はこの容れ物から証拠を引き出し、世間に知らしめること。それが、突然に、理由も分からず死んでいった彼女に対する手向けであり、おそらくは知りすぎた為に消されたであろう友人の人生に対するせめてもの餞だった。


「とうとう20人目の被害者ですよ。捜一も、何をやってるんだか」
 
 上野が画面に向かって、経験したことも無い部署に文句をつけるのを聞いて、滝沢は彼の方へ顔を向けた。
 上野のPC画面には、巷で騒がれている連続殺人の記事が映っていた。見出しに、『美少年連続殺人、20人目の被害者発見される』という文字が躍っている。
 近頃、世間では寄ると触るとこの事件の話だったが、滝沢は興味を持てなかった。滝沢の探究心は、一昨年の飛行機事故と昨年のひき逃げ事故に向けられたままだった。

「今度は顔の皮膚を剥がされていたって……うげ、グロそう。コイツ、捕まって死刑になったら絶対に特捜きますよね? 見たくねえなあ」
「だろうな。しかし、20人てのはすごいな」
「ええ。たしか、今までの被害者の写真が並んでる記事が」
 上野は滝沢の相槌に乗ると、インターネットで目的の記事を探し始めた。書類をすべて仕上げて上司も不在、仕事中の雑談も少しは許されるだろう。

「ほら、これですよ」
 上野に付き合って画面を覗き込んで、滝沢は初めて見るはずの彼らに、デジャビュを覚えた。誰かに似ていると思った。
「室長に似てますね。きれいな男の子って、みんな似たような顔になるンすかね」
 豊村が横から入ってきて、滝沢の疑問に答えをくれた。
 そうだ、薪に似ているのだ。

「そうかあ? 室長はもっと怖いぜ」
 上野に感じられない被害者と薪の相似が、豊村と自分に感じられるのは何故だろう。
 
 豊村は室長を崇拝している。それだけでなく、青年期にありがちな擬似恋愛的感情を持って見ていると滝沢は思っている。自分にとっても、薪は特別な存在だ。真実の鍵を握る唯一の人間として、常に観察してきた。
 自分たちにそう見えるということは、鈴木にも見えるはずだ。彼の薪に対する感情は、豊村のそれよりずっと強い事が証明されたばかりだ。

 利用できるかもしれない――――― 滝沢は自分の席に戻り、PCで事件の概要を丹念に読み始めた。


******

 やっと貝沼事件が出てきました~。
 このお話も、折り返し地点です。 って、まだ半分かよ! 長いよー! (すみません、自分で書きました)

 それと、老婆心ながら。
 現在の薪さんのマンションの鍵は、瞳孔センサー式で本人以外は入れないんですけど、このお話は鈴木さんの事件の前で、住んでいるところが違います。(薪さんのお引越しの経緯は「岡部警部の憂鬱」に書いてあります)
 この頃は、第九から車で5分くらいのマンションで、鍵も普通のものでした。
 今考えると、第九の室長の自宅にしてはセキュリティが甘かったですね。(^^;


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破壊のワルツ(15)

 こんにちは。
 
 弊社で施工中の夜間工事ですが、昨日舗装が終わりまして、竣工書類に入ります。
 工期は3月15日、かなりの強行軍になる予定です。 なのでごめんなさい、コメントのお返事が遅れます。 
 せっかくお声をかけてくださったのに、慌しくお返しして、つまんないお返事にしたくないので。 すみません、しばらくお待ちください。





破壊のワルツ(15)





 長い睫毛がぴくっと動き、一瞬きゅっと眉がしかめられたかと思うと、ゆっくりと目蓋が開き、澄んだ亜麻色の瞳が姿を現した。ぼんやりとした瞳はゆるゆると動き、鈴木の顔に焦点を合わせると、夢のような美貌が儚げに微笑んだ。

「すずき」

 彼が自分の名前を呼ぶときの口唇の動きが、とても好ましいと鈴木は思った。やさしくまどろむように開かれたくちびるから覗く舌の赤さが、子供みたいで可愛らしかった。

 点滴とマメな水分補給のおかげで、薪は大分元気になったようだった。自分からベッドの上に起き上がり、
「ハラ減って死にそう」
 鈴木が売店から買ってきておいたおにぎりとサンドイッチを差し出すと、薪は迷わずにおかかのおにぎりを手に取った。
 パクパクとおにぎりを食べる彼を見て、鈴木は心から安堵する。食欲があるなら大丈夫だ。人間、食べていればとりあえず死なない。

「ゆっくり食えよ。2日近く食べてないんだから」
「平気。2,3日食べないのは慣れてる」
 薪は捜査に夢中になると、食事をしなくなってしまうという悪いクセを持っている。できるだけ食べさせるように心掛けているが、鈴木が目を離すとすぐに元に戻ってしまう。まったく手のかかる友人だ。
「このドジ。あんなところに閉じ込められた室長なんて、前代未聞だぞ」
「何だよ、鈴木の冷血漢。少しは心配しろよ。マジで死ぬところだったんだから」
 ペットボトルに入ったお茶を薪に渡して、鈴木は心にもない意地悪を言う。同じように、棘のない非難が親友から返って来て、二人は同時にクスッと笑った。

「気を失う寸前、走馬灯が回っちゃってさ。本気で駄目かと思った」
「へえ。走馬灯って本当にあるんだ。やっぱり、小っちゃい時から今までの光景が見えるものなのか?」
「……うん。まあ、そんなもん」
 内容については話したがらない薪にそれ以上は聞かず、鈴木は薪が返してきたお茶を受け取った。代わりにサンドイッチの包みを渡すと、3つ並んだ三角形の真ん中のハム野菜を選び、残りは鈴木に返して寄越した。

「なんだよ。死ぬほど腹減ってたんじゃないのか」
「チーズ嫌い。ツナサンドも」
「仕方ないだろ。病院の売店なんて、昼を過ぎたら選べるほど商品が残ってないんだよ」
「近所にコンビニくらいあるだろ」
 いつ目覚めるか分からないままの薪を残して、病院を出られるわけがない。それを承知の上でこんな我儘を言う、でもこれは彼特有の甘えだと鈴木は知っている。

「よし、分かった。今から行って、薪くんの大好きな牛乳を買ってきてあげよう」
 鈴木がわざと薪の苦手な食品名を挙げると、薪は子供のように丸く頬を膨らませた。仕事は誰よりもできるのに、薪にはひどく子供っぽいところがあって、それは鈴木だけが知っている彼の真実。
「こらこら。フグみたいな顔になっちゃうぞ」
 指先で軽くつつくと、膨らんでいた頬はさっと微笑みに形を変え、
「いいなあ。フグ食べたい。買ってきて」と無茶苦茶な注文をつけた。鈴木は真剣な顔になって腕組みをし、
「コンビニにフグはないな」
「そっか。残念」
 当たり前のことを当たり前に言って、真面目に残念がって、次の瞬間顔を見合わせて、2人はクスクス笑った。病院だから我慢しているけど、これが薪の部屋や誰もいない第九だったら大声で笑っているところだ。
 他愛もない会話がすごく楽しい。どんな話でも薪としていると、必ず笑いが洩れる。たとえ薪がプンプン怒っていたとしても、その怒った顔がかわいくて、鈴木はやっぱり笑ってしまうのだ。

 とりあえずの空腹が落ち着いたのか、薪はサイドテーブルの置時計をチラッと見て、
「さて。そろそろ第九に帰ろうかな」
「無理でしょ。走馬灯まで回しておいて」
 薪が時折見せる常識の欠如は、鈴木の笑いと庇護欲を誘う。天才的なひらめきと幅広い知識を見せつける仕事中の彼と、子供っぽくて常識知らずの彼。相反する2つの性質は、彼の中で奇跡のように混じり合い、比類なきパーソナリティを構成している。
「少なくとも今日は泊まりだ。大人しく寝てなさい」
 ええ~、と文句を言いかけて薪は、自分の右腕に刺さった点滴の針を見つめ、次いで点滴スタンドを見上げて残量を確認すると、諦めたように肩を落した。点滴はさっき取り替えたばかりだ。あと3時間はかかる。

「鈴木。僕は平気だから第九へ戻って、仕事を」
「もう少しいるよ。急ぎの案件もなかったし、残ってるのは報告書の直しくらいだろ。夕方帰っても間に合う」
「そんなこと言って。本当はサボリたいんだろ」
「あ、バレた?」
「鈴木警視。職務怠慢によりボーナス査定マイナス2」
「そんな。室長、どうかお目こぼしを」
 鈴木は慌てて袋の中からオレンジジュースのパックを取って、賄賂代わりに薪に渡した。いい心掛けだ、と鷹揚に頷いて薪がパックに取り付けられたストローを外すのを見て、鈴木は安心する。指先の震えもない。今夜一晩休めば、明日にはもう大丈夫だろう。

 紙パックに刺したストローを咥えて、薪はふと気付いたように、そのままの体勢で鈴木の顔を見た。何か聞きたいことがあるらしく口元をモゴモゴさせているが、言葉にしづらい原因でもあるのか、なかなか言い出そうとしない。
 こういうときは無理に聞かない。薪の心の準備が整うのを、黙って待っていればいい。
 やがて薪は鈴木の顔から目を逸らし、薄い目蓋を伏せて、視線を自分の手に持ったオレンジジュースに落とした。

「鈴木。さっき僕に、その……水、を……」
 薪の質問の内容を悟って、鈴木は途端、先刻の激しい感情を思い出す。表情に出さないようにしたつもりだが、薪にはたぶん、見破られる。薪が俯いていてよかった。
 薪は下方に視線を固定したまま、何かを思い出したように口元を右手で覆った。それからその形を確かめるように、自分の唇を細い指先で辿り、
「なんでもない」と呟いた。
 言い出しておいて、否定の形で質疑を自己終了させた薪は、少しだけ頬を赤くしてジュースを啜った。薪の誤解は予想できたが、鈴木はその誤解を解こうとはしなかった。

「ね。鈴木が僕を見つけてくれたの?」
「いや、おまえを助けたのは滝沢だ。あいつがこの病院に運んでくれたんだ。それから色々とおまえの世話を……覚えてないのか?」
「ぜんぜん。気がついたら鈴木がいた」
 口移しで水を飲まされた感触は何となく覚えているけど、あの時の会話については記憶がない。そういうことらしい。
 滝沢の告白を覚えていれば、彼の名前を出したときに、薪の表情には変化が現れる筈だ。こと、この親友に関して、鈴木はどんな微細な変化も見逃さない自信があった。見逃さないだけではない、例え離れていても、彼の身に何事かあれば、それは必ず自分にも伝わるはずだとさえ思っていた。なのに。

 親友の窮地を知りもせず、ほんのわずかな憂いさえ浮かばず、自分が昨日していたことを思い出して、鈴木は自責の念に駆られる。
 土曜日は、せっかく東京に出てきたのだから、と雪子の両親をいくつかの名所に案内し、翌日は予定通りに結納をすませた。新しく自分の父母になる彼らの、その純朴な暖かい人柄に触れ、自分の幸せをしみじみと感じていた。その後彼らを空港まで送り、雪子と一緒に彼女のマンションに行って、ふたりで幸せを分かち合った。
 自分が、愛する女をこの腕に抱いて人生最高の幸せを感じていたときに、薪はたったひとり、真っ暗な闇の中、灼熱の地獄を味わって。
 それなのに。

「……うれしかった」

 ぽそっとこぼした彼の言葉は、抑え切れない愛情に満ちて。死線を彷徨って目覚めたとき、傍にいてくれて嬉しかったと、たったそれだけのことで満ち足りる彼のいじらしさに、鈴木は息が詰まりそうになる。

 鈴木は手を伸ばして、薪の手からジュースのパックを取り上げ、もう片方の手で彼の肩を抱き寄せた。
「す……」
 突然の無礼な振る舞いを咎めようとしたであろう薪の声は、中途で止まった。
 昨日、あんな目に遭って気持ちが弱くなっていたのかもしれない。自分を心配してくれる友人を、ありがたいと思ったのかもしれない。その時の薪は、普段の自制心を忘れて、おずおずと鈴木の背中を抱き返した。

 薪の体温を、薄いパジャマの下のしなやかさを感じて、その肌の甘さを思い出して、鈴木は彼の未来の恋人に猛烈な嫉妬を覚える。
 薪を誰にも渡したくない。
 そんな気持ちが込み上げてきて、鈴木は自分の身勝手さに吐き気がする。自分は雪子と婚約しておいて、彼女と愛を確かめ合って、自分の未来を確実なものにしているのに。その一方で、薪の心をいつまでも自分に留めておきたいと願っている。

『おまえは傲慢な男だ』

 滝沢の非難が、耳の奥で木霊する。
『薪が好きになる男は、この世で自分ひとりだとでも思っているのか』
 そんなことは思っていないし、望んでいない。薪が自分への気持ちに踏ん切りをつけて未来を歩めるように、それが雪子との結婚を決めた陰の理由。
 もちろん彼女を愛している、だから彼女と結婚する。それで薪も新しい恋に踏み出せるなら、それが全員の幸せにつながると思った。だから、薪を愛する人間の出現は、本来なら喜ばしいことのはずだった。
 でも滝沢は男だから、自分と同じ同性だから、彼と愛し合ったら薪がまた苦しむことになるから、だからオレは薪の親友として―――――。

 必死で自分に言い訳しながら、鈴木は心の奥底で叫ぶ声に耳を塞ぐ。
 12年前、自ら選んだ親友という立場に無我夢中で縋りつき、それを貫こうとして鈴木は、自分の中に埋み火のように残る彼への想いを懸命に抑え込んだ。

 普段の傲慢さが信じられないくらい、大人しく鈴木の腕に抱かれている薪の、若木のように健やかに伸びた背中を掻き抱きながら。
 鈴木は自分の中に深く眠る埋み火の、その暗い焔に怯えていた。




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破壊のワルツ(16)

 お久しぶりです。


 4月に入りましたね。
 みなさま、その後いかがお過ごしでしょうか。

 被災地の方々、避難中の方々には、未だ辛い日々をお過ごしのことと思います。
 また、関東圏の方々には、原発のニュースを耳にされ、生活は日常に戻りつつあるものの、日に日に不安が募る毎日をお過ごしのことではないかと想像いたします。
 
 わたしも真下の県に住んでますので、関連ニュースを欠かさずチェックしては、外出を控えたり雨に濡れないように注意したりしてるんですけど。
 とはいえ、いくら心配しても、現場の方々にお任せするしかないので。
 するだけ無駄とは思いませんが、あんまり考えすぎて煮詰まってしまって、パニックを起こして周りの人に迷惑をかけないように、平常心で行きたいと思います。

 それには、ブログも大事ですよね。

 計画停電の回数も減ってきたみたいだし、土日は解除されるようなので、そういうときを狙って更新していこうと思います。


 よろしくお願いします。
  


 
 で、お話のほうなんですけど、

 もう、どこまで公開したか解らなくなるほど、間が空いてしまいまして。
 きっと読んでくださってたみなさまには、もっと訳が解らない状態だと思う、だからホントはあらすじとか書けばいいんだけど、頭を使う作業は苦手で~。 

 ちがうの、本当は書こうとしたけどまとまらなかったの。
 がんばってみたの。 だけど、意味不明の文章になってしまって~~。
 一応、見ます?

 ↓ これです。

 
 これまでのお話。


 滝沢さんの過去話です。
 滝沢さんの恋人は、飛行機事故で亡くなりました。
 滝沢さんの親友は、その事故に関わったかもしれない公安職員のことを調べていたら、轢き逃げに遭って亡くなりました。
 飛行機事故を検証したのは第九で、室長がひとりで捜査に当たっていました。
 恋人と親友のために、真実を探ろうと心に決めた滝沢さんは、第九排斥派の次長のイヌになることを決心して、第九にもぐりこみます。 次長の命に従って、また、自分の目的を果たすため、第九に不和の種を蒔いていきます。

(ここで文章に詰まる)

 えっと、それで色々あって、現在のシーンは、
 滝沢さんの策略で、地下倉庫に閉じ込められた薪さんが、脱水症を起こして病院へ担ぎ込まれて、その間に滝沢さんは、薪さんの机や自宅を調べたけれど、事件の資料は見つからなくて、
 えーっと、それから、
 病院で滝沢さんと鈴木さんが薪さんを巡って火花バチバチで、あ、でもそれは、滝沢さんの計略の一部で、
 意識を取り戻した薪さんが、不謹慎にも病院で鈴木さんといちゃいちゃして、薪さんはとってもうれしかったみたいだけど、滝沢さんに焚き付けられた鈴木さんはそれどころじゃなくて、だけど鈴木さんは、雪子さんと婚約してるから何も言えなくて、でもって、ええと……。

 (↑ 崩壊)


 自分で書いたお話もまとめられないって、わたし、どんだけバカなんだろ~~!!
 これだもん、レビューなんか書けないよ。(笑)


 というわけで、すみません、忘れちゃった方は読み直してください。(非道)
 量は、文庫本90ページ分くらいだと思います。<長すぎ。


 どうか広いお心で。


 


 


破壊のワルツ(16)




 翌日、薪は何事もなかったかのように第九に出勤してきた。医者の話では3日くらいは様子を見たほうがいい、ということだったのに、どうやら勝手に退院してきたらしい。

「本当に、申し訳なかった」
 滝沢は室長室に赴き、深く頭を下げた。余計な言い訳はしなかった。
「事情は鈴木から聞いた。おまえこそ、熱は下がったのか?」
 いつも影のように薪に付き添っている副室長の、昨日までとは明らかに違う目線を感じながら、滝沢は心の中でほくそ笑みつつ薪に笑いかけた。
「心配してくれてありがとう。おまえの方がずっと大変な思いをしたのに……何か、詫びをさせて欲しい」
「気にするな。仕事で返してくれればいい」
 薪のやさしさに感激した振りで、滝沢は彼をじっと見つめる。
 そんな自分を見る鈴木の視線の刺々しさに、滝沢は腹の底で笑い転げる。慎重派の鈴木らしく表情は変えていないが、イライラしているのが手に取るように分かる。

 腹の底の振動が頬に伝わらないよう注意して、滝沢は室長室を辞した。扉に向かって顔を伏せ、堪えていた笑いで顔を歪める。
 鈴木に礼を言うべきだったかな、と滝沢は顔を伏せたまま皮肉に思う。
 あのお節介が、薪の自宅から寝巻きやら下着やらを病院に持ってきてくれたおかげで、自分が彼の家に侵入したことを薪に悟られずに済んだ。家捜しの後、細心の注意を払って部屋を元の状態に戻したとはいえ、数ミリの誤差もないというわけにはいかない。薪ほどの優れた捜査官なら、その僅かな違和感を強く感じ取るはずだ。が、その違和感を鈴木が消してくれた。否、違和感の原因を鈴木が被ってくれたというべきか。親切な副室長に感謝しなくては。
 これでこの後も、薪に警戒されることなく自由に動ける。

 滝沢は最初から、第九に蒔くトラブルの種の一つとして、彼らの特別な関係を候補に入れていた。初めて彼らを見たとき、長年の親友だとは聞いていたが、それでも仲が良すぎると思った。噂先行の部分もあったが、まったくのデマではないと滝沢は睨んでいた。少なくとも、薪の方は明らかに鈴木に気があった。
 それは、自分が追い求める真実の、唯一の生きた証拠だと、薪を観察し続けた滝沢だからこそ気付いたことかもしれない。
 薪は鈴木への想いを、顔にも態度にも出していない。でも、その瞳が。
 いつも鈴木を見ていた。彼の姿を追っていた。時々、鈴木の恋人が差し入れに来るのを薪は歓迎していたが、その後は必ず寂しそうな表情を見せた。

 翻って、鈴木のほうはよく分からなかった。
 三好雪子という恋人、もとい、婚約者がいる。だから薪に対する特別な感情はないのかもしれない。だが、常に薪の傍にいて彼を庇護するようなその仕草からは、薪への愛情を感じる。
 だから、ちょっと揺さぶってみた。
 病室で眠る薪を前に、笑い出したくなるくらいあっけなく、鈴木は自分の感情を暴露した。滝沢の挑発に一言も乗らない冷静さには感心したが、普段の穏やかな彼からは想像もつかない、その表情が物語っていた。
 
 鈴木の賢い立ち回りのおかげで言質を取ることはできなかったが、本音はつかんだ。後はもう少しふたりの仲を掻き回して、鈴木の感情を傾ければいい。そうなったら薪は拒否しない。
 ふたりの関係が進んだら、それをスキャンダルにしてバラ撒けばいい。次長の方は、それで満足するだろう。

 しかし、自分の計画は。
 その一歩先にある。

「滝沢。あんまり気にしないほうがいいぞ」
 扉の前に立ち尽くしていた滝沢を見て、室長に叱られて落ち込んでいると思ったのだろう、同僚の上野が慰めの言葉を掛けてきた。
 ちょうどいい。豊村が使えなくなったところだ、彼にも種を蒔いておこう。

「これからもネチネチ言われるかもしれないけど、聞き流すに限る。俺なんか、半年も前のミスを未だに注意されて……どんだけバカだと思われてるのか知らないけど、要は粘着質なんだよな、あのひと」
「ありがとう、上野。でも、室長はおまえには期待しているはずだ。あれだけのことをして、おまえを第九に入れたんだから」
 怪訝な顔をする上野を席に着かせ、滝沢は隣の椅子に腰を下ろした。机の上に書類を並べて、ペンを動かしながら噂話を始める。
「前の課長に聞いたんだけど。室長が、しつこくおまえを引き抜こうとしてたって。で、関野課長に因果を含めたらしいぜ。そのせいで辛い思いをして、それは気の毒だったと思うけど、室長がおまえの才能を認めていたことだけは事実だ」
「辛い思い? MRI捜査のことか?」
 滝沢はハッとしてペンを止め、明らかに狼狽して、
「えっ……あ、ああ、そう! それだ」と彼には相応しくない口調で応えを返した。

「滝沢?」
 上野が質問口調で名前を呼ぶのに、滝沢はわざとらしく俯いて、ペン先でトントンと机を叩いた。
「隠すなよ。俺たち、仲間だろ?」
 上野の口調がきつくなる。滝沢の手首をむんずとつかみ、自分の方に顔を向けさせた。
「いや、悪い。俺の考えすぎだ。現場が長いと、いやらしい考えばかり浮かんじまって。俺の悪いクセなんだ、本当にすまない」
「いいから話せよ。どういうことなんだ?」
「怒るなよ? つまりその、おまえ、前の部署で課長との折り合いがよくなかったって聞いたから。それが、室長が含めた因果じゃないかってこと」
 滝沢の邪推に、上野はあんぐりと口を開けた。驚くよりは呆れた顔で、興味を失ったように滝沢の手を放した。

「何だよ、それ。なんで室長がそんなことをしなきゃならないんだよ」
「そりゃあおまえ、みんな第九へは来たがらないから。だからその部署に居辛くして、すんなり異動を受諾してもらえるように」
「まさか」
「いや、だから下衆の勘繰りってやつで。悪かったって。忘れてくれ。な?」
 上野は笑みさえ見せて、滝沢の言葉に頷いた。「聞かなかったことにしてやるよ」と軽い口調で言って、報告書の作成に戻った。

 そう、それでいい。
 俄かには信じられない、でも、かろうじて心の片隅に引っ掛かる。疑惑の種子とはそういうものだ。
 自分は種を蒔くだけ。それを育てて花を咲かせるのは、種を植え付けられた本人だ。

 上野は、どんな花を咲かせてくれるかな。

 隣で、どことなく憂鬱そうに職務に戻る同僚に、滝沢は期待する。
 願わくば、とびきり大きな徒花を。狂い咲きの夜桜のように、ひとの心を狂気に導く花を。



 

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破壊のワルツ(17)

 こんにちは~。

 お休みしてた10日くらいの間にも、当ブログを覗いてくださってた方々、気にかけてくださってありがとうございました。
 お知らせした後は放置状態だったんですけど、それでも毎日30人からの方に足をお運びいただいてたようで、恐縮です。
 このご厚情には、作品でお礼を、と思ったんですけど~、陰湿な話ですみません~~!! 
 どうしてこんなときにこんな話を……天然KYですみません……。


 わたしはお話を書き上げるたびに、題名とページ数と脱稿日を記録してるんですけど、3月は見事にゼロ。
 妄想しなくても人間は生きられるんだな~、と当たり前のことを思いました。(笑)

 4月に入ったことだし、気持ちを切り替えて、笑える話を書こうと思います。 
 心配しなきゃいけないことがたくさんあるからこそ、一時でもそれを忘れられるような時間をみなさんに提供できたらと、おこがましくも思ってしまうのは、わたしには他にできることが何もないからです。
 
 ということで、巻きますっ。
 この章は短いし、次の章も一緒に上げますね。
 この話、早く終わりにしたいの~~!! 暗いんだもんっ!(><)


 よろしくお願いします。
 



破壊のワルツ(17)





 室長室から出てきた豊村を見て、滝沢は彼の顔が生き生きと輝いていることに気付いた。
 薪からお褒めの言葉でももらったか、大股で自分の机に着くと、腕まくりまでして画面に顔を近づけた。
「張り切ってるな、豊村」
「へへっ、こないだの放火事件。室長が『よくやった』って」
 豊村の、若く紅潮した頬に、滝沢はある可能性を見出す。
 お節介な副室長のせいで、自分が豊村に蒔いた種は完全に枯れてしまったと思っていたが、あれは自分が間違っていたのかもしれない。蒔く種の種類を間違えたのだ。離反を阻止されたことは、返ってよかったのかもしれない。相手に向かう気持ちが強くなれば強くなるほど、それが負のベクトルに転換されたときの破壊衝動も強い。

 薪に褒められたのが余程うれしかったのか、昼休みまで時間が惜しいからモニタールームで弁当を食べるという豊村に、滝沢は付き合うことにした。売店で買ってきた握り飯をかじり、ペットボトルのお茶を飲みながら、思い出したように話題を振る。
「なあ、豊村。室長って、本当に官房長の愛人なのか?」
「あれはデマっすよ」
 ぷっと吹き出して、豊村はおかしそうに笑った。滝沢が、そんな噂を信じているということ自体がおかしかったのか、「滝沢サンともあろうひとが」と前置きしてから、
「うちの室長、見た目はあんなんだけど、中身はめちゃめちゃオトコでしょ。女の子見ると、まず胸に目が行くんすよ。ありえないっす」
 ……本当に、女の子の胸が好きなんだな。男の子だな、薪。

「そっか。じゃあ、俺の見間違いか」
 少し照れた表情をつくろって、指先で頬をぽりぽりと掻きながら、滝沢は慎重に言葉を選んだ。
「見間違いって?」
「いやその……こないだ、俺のせいで室長が入院することになっただろ。そのときに鈴木が」
 手で覆いを作り、声を潜めて、豊村に耳打ちする。
「薪とキスしてた」
「えええええ!!?? キス!?」
「しっ、豊村。声でかい」
 それでいい。給湯室で食後のコーヒーを淹れている上野にも聞かせてやりたい。

 案の定、上野は何事かと給湯室から顔を覗かせ、滝沢は彼にも聞こえるように声を張り上げて、
「いや、だから見間違いだって! 副室長が室長の様子を近くで見ていたのが、角度の関係でそんな風に見えたんだ、きっと」
「確かめてきます」
 豊村は食べかけの弁当を机に置いて席を立ち、真っ直ぐに室長室へ向かった。「待てよ」とおざなりに彼を制止しつつ、滝沢は心の中で嘲笑う。

 さすが単純さがウリの豊村だ。直球で行くか。
 普通に考えれば否定されて終わりだろうが、鈴木にはこの間、種を植えておいた。それがどんな風に成長し、彼にどんな反応を取らせるか。楽しみだ。

「なんの騒ぎだ?」
 上野がコーヒーを持ってきて、滝沢と豊村の机に置いた。自分のカップを手に持ち、立ったままそれに口をつける。
「いやまあ、なんて言ったらいいか」
 笑い話になるだろう、と滝沢は事情を話し、上野はそれに大した興味もないようだった。彼の興味は、そう、こちらだ。

「滝沢。こないだのことなんだけど……あれ、おまえの言うとおりだったかもしれない」
「え? なんでそう思うんだ?」
「思い出したんだ。課長と上手く行かなくなってから、すぐに第九への異動の話があったこと」
 上野は思い出したと言ったが、それが必ずしも真実でないことを、豊富な捜査経験を持つ滝沢は知っている。人の記憶と言うのは曖昧なものだ。その時の考え方によって、昔の経験はその意味合いを簡単に翻す。
 課長は単に上野と反りが合わなくなり、彼に第九への異動を勧めたのかもしれないし、そこに薪が関わった証拠はない。しかし、疑惑は人の目を曇らせる。疑いという眼を持って過去を振り返れば、それらしきことが見えてきて当然だ。

「課長に睨まれてる俺とは、つるんでくれる友だちもいなかったんだけど。2,3日前、前の部署の人間と話をする機会があってさ。関野課長、そいつの前でそれらしきことを言ってたって」
 それはもちろん、滝沢が仕込んだ駒のひとつだ。
 滝沢の裏のボスは、警察庁№2の実力者だ。使える手駒はどこの部署にも紛れている。
「何よりも、副室長が俺に言ったんだ。ここに来たばかりのころ、室長に怒られて凹んでたら、『室長はどうしてもおまえの読唇術が欲しくて、関野課長に頼み込んだんだ。期待してるから強く叱るんだよ』って」
 なんだ、本当に引き抜いていたのか。これは瓢箪から駒だ。
 しかし、これで真実味がさらに増した。鈴木は落ち込んだ上野を元気付けようとして裏事情を暴露したのだろうが、それがここに来て裏目に出た。自分が以前受けた陰湿な苛めの原因は室長にあるのでは、という上野の勘繰りを助長してしまう結果になった。

「上野、考えすぎだよ。もしそれが本当だとしても、あの室長にそこまで見込まれるってすごいことじゃないか? 大したもんだよ、おまえ」
 滝沢が上野を元気付けるほどに、彼は室長への疑いを濃くしていく。彼が空になったコーヒーカップを持って給湯室へ戻る頃には、彼の疑惑は完全な不信へと姿を変えていた。
 
 ひとりになって、滝沢はすっかり冷めたコーヒーを口に含む。
 これだから、人間てやつは面白い。自分で自分に糸を巻きつけ、猜疑と不安感でがんじがらめになって行く。絡み合った糸を操るも断ち切るも、自分次第。これはこれで楽しいが、滝沢の本当の目的は違う。

 薪から、あの事件の情報を引き出すこと。

 第九に不和の種を蒔き、彼を室長の座から引き摺り下ろす。役職から外れれば、彼の口も軽くなるだろうし、それでも喋らない場合は鈴木のことを盾に脅してもいい。何を犠牲にしても彼が真実を喋らなかった場合に備えて、滝沢は次長にも、第九失墜の暁には例の報告書を手に入れてくれるよう頼んである。
 どちらにせよ、条件は第九の混乱だ。

 苦く冷たい液体を飲みながら、舌よりも心でその苦さを堪能し、滝沢は薄く笑った。



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破壊のワルツ(18)

 ということで、本日2個目のアップです。
 よろしくお願いします。





破壊のワルツ(18)





 昼休みの室長室に駆け込んできた同僚は、開口一番にとんでもない質問をぶつけてきた。

「副室長。病院で室長とキスしてたってホントすか」
 書類棚の前に薪と並んで立ち、次回の室長会議で報告する事案を選んでいた鈴木は、ファイルを持ったまま一瞬固まり、心を落ち着けてからゆっくりと訪問者を振り返った。
「なにをだしぬけに」
 鈴木の声に、バサバサッという派手な音が重なった。
 鈴木が、豊村の質問をはぐらかそうと思ったときには遅かった。薪は持っていた書類を全部床に取り落とし、真っ赤になって口元を両手で覆っていた。

「ち、ちがうんだ」
 薪はもともと正直者だ。記者会見など予定された質疑応答に対して前もって用意された彼のポーカーフェイスは鉄製のそれだが、仲間内では紙のように薄い室長の仮面をつけているだけだ。こんな突然の襲撃にあってはひとたまりもない。
「あれはっ、僕が脱水状態で意識が無かったから……く、口移しで水分補給してくれただけで」
 ようやく彼が搾り出した声は、普段の涼やかなアルトとは似ても似つかぬ裏返ったかすれ声。薪、ちょっと黙ってろよ、と言いたいのを我慢して、鈴木はこのフォローをどうしたものか迷う。

 それをしたのは自分ではない、滝沢だ。
 しかし、本当のことは言えなかった。病院で見た薪の、気恥ずかしそうな嬉しそうな顔が、鈴木の口を重くしていた。

「あ、なんだ。やっぱりそんなことですか。失礼しましたー!」
 物事をあまり深く考えないタイプの豊村は、明るく笑うと疾風のように部屋を出て行った。残されたのは、その時のことを思い出してか頬を赤くした室長と、自分の嘘に気まずい思いをしている副室長のふたり。
「ごめん、鈴木。またヘンな噂が立っちゃうかも。雪子さんに怒られないかな」
「雪子は笑いとばす。ぜったい」
 床に落ちた書類をふたりで拾い集めながら、何となく目を合わせずらくて、ふたりとも自分の手元だけを見ていた。

 扉の向こうでは、豊村が早足に自分の席へ向かい、気が抜けたように腰を下ろした。途中だった弁当には手を伸ばそうとはせず、不在の間に置かれていたコーヒーを手に取る。
「誤解だったっす」
 隣でコーヒーを飲んでいた滝沢に、ぼそっと室長室で聞いた真実を告げる。
「な。だから俺の見間違いだって言っただろ」
「でも」

 豊村は言い惑い、しかし耐え切れなくなったように、真剣な顔で滝沢に訴えた。
「でもなんかあのふたり、様子がおかしかった」

 思った以上の成果に、滝沢は満足する。
 豊村が抱く薪への感情が恋に発展しなかったのは、薪は男と情を通じるような人間ではないと固く信じていたからだ。その因子があるとわかれば、暴走の可能性は充分にある。

 もうひとつ、波が欲しい。
 上野が薪に抱いた不信感を怨恨に転じさせ。
 豊村の感情を幻滅から破壊衝動へと誘導し。
 鈴木の抱えた爆弾のスイッチを入れる。
 それらを一気に起動させる、きっかけさえあれば。第九をカオスに変えることができる。

 貝沼清孝が連続殺人容疑で逮捕されたのは、その翌週のことだった。



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破壊のワルツ(19)

 こんにちは。
 今日はちょっとだけ浮かれてます。 

 聞いてくださいな♪
 わたしの大好きなライトノベル、『ばかてす』のアニメがBSジャパンで始まりまして。(日曜日深夜) 朝っぱらからビデオを観ちゃいました。
 テンポが良くてギャグが楽しくて、キャラクターが可愛くて声もいい。 アニメならではの演出もすごいし、これは売れるはずだよっ! 

 立派なオタクに成長しました甥にその感動を伝えましたら、再放送だよ、と冷たくあしらわれてしまったのですが。 最初に民放でやってたときにはかの小説を存じませんで、これが初対面だったんです~。
 個人的に、秀吉の変身シーンとEDのラブにぎりが爆笑でございました。 どう見ても男同士の手でラブにぎり。 しかも、何故か久保くんがメンバーに入り込んでるし。 あれ、絶対にウケ狙いで作ってるよ。 やるな、シルバーリ○ク。

 7月には2期が始まるそうで、これから楽しみです(^^
 


 秘密にもお話にも、ぜんぜん関係ない前振りですみません。
 この章もとっても短いので、次のと一緒に上げます。

 よろしくお願いします。





破壊のワルツ(19)





 連続殺人犯逮捕のニュースが世間と紙面を騒がせたその日、室長室では秘密の会話が交わされていた。

「鈴木……僕、こいつ知ってる」
 新聞の一面に大きく掲載された貝沼の写真をじっと見て、薪は弱々しく言った。真っ青な顔で、小刻みに手を震わせて、夏だというのに寒さに凍えるようなくちびるの色をしていた。

「2年前の春、家の近くのスーパーで会った。万引きしたのを見つかって、店員が僕のところへ連れてきた」
 薪は淡々と、連続殺人犯と自分の接点を語った。
 28人もの少年を殺しながら、どういう心境の変化か自ら警察に出頭してきた男の顔写真を食い入るように見つめて、薪はそこに過去の映像を重ね合わせているようだった。

「僕は、もう2度としないように言い含めて、彼を引き取らせた。貝沼は、分かったって。急に希望が見えてきた、これからは心を入れ替えて頑張るって」
 薪は声を詰まらせ、ザッと乱暴に新聞を払いのけると、表面を顕にした執務机に両肘をつき、小さな両手を額にあてがった。亜麻色の髪に指を埋め、頭を抱え込む。
「がんばるって……」

「何を考えてるんだ、薪。飛躍しすぎだ」
 親友が何を案じているのかを感じ取って、鈴木は冷静に状況を分析した。感情が先行している相手に、感情で接しても駄目だ。理論で納得させないと。
「貝沼が最初の殺人を犯したのは、昨年の4月。おまえと会ってから、1年も経ってる。だったら、その一年の間に何かがあって犯行に及んだと考えるのが普通じゃないか?ぶっちゃけ、頑張ってみたけどやっぱりダメで、自棄になっちゃったとかさ」
 筋道を立てて説明し、理性と理屈で薪を宥める。推理を正しい方向に導くのは、分析と証拠だ。

「どう考えても、因果関係はない」
「……そうだな。飛躍しすぎだな」
「まったくおまえときたら。たまに突拍子もないこと思いつくんだから。頭が良すぎるのも問題だな」
 できるだけ何気ない口調で、鈴木が薪の気を引き立てようとするのに、薪は無理に笑おうとしてそれを為せず、逆に泣きそうな顔になって、
「でもやっぱり、見逃したりするんじゃなかった。あの時、ちゃんと交番に連れて行って調書を取っていたら、或いは」
 鈴木の意見を認めてなお、陰鬱に沈む薪をさらに慰めながら。貝沼が薪に接触していた、その事実に誰よりも動揺しているのは鈴木だった。

 今朝、室長室に来る前に滝沢に見せられた、殺された少年たちの写真。
 薪に似ている。どの子も、どこかしら薪に似ている。

 この子は眉、この子はくちびる。あちらの子は薪と同じ亜麻色の瞳、こちらの子はあごのラインがそっくりだ。
 彼らから薪に似たパーツをそれぞれ切り取って、組み合わせたら完全な薪剛が出来上がるのではないか。
 しかし、創り上げたところでそのアソートは結局はまがい物でしかなく、薪の清冽な輝きを宿すことはない。それが分かったから、自首してきたのではないのか。

 そこまで考えて、鈴木は我に返った。
 三流の猟奇小説のような自分の思いつきを一笑し、軽くかぶりを振ると、未だに頭を抱えたままの親友の肩に、鈴木はそっと手を載せた。




*****


 原作では、貝沼は自首してません。
 これはうちのお話の設定なので(捏造ともいう)、どうかご了承ください。


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破壊のワルツ(20)

 本日2個目の記事です。
 よろしくお願いします。



破壊のワルツ(20)





 右耳のイヤホンから聞こえてくる上司たちの会話に、滝沢は少なからぬ興奮を覚えていた。
 室長室に盗聴器を仕掛けたのは1ヶ月ほど前からだが、やっと役に立った。盗聴の目的は、感情の抑えが利かなくなった鈴木が薪に迫る場面でも抑えられたら、と期待してのことだったが、こんな重要な情報が得られるとは。

 これを上手く利用すれば、薪を失脚させる事ができるかもしれない。出世コースを外れれば自棄になって、本当のことを喋る気になるかも。

 貝沼の脳の見る前の彼は、そう考えていた。
 滝沢とて、警官だ。どんな目的のためでも、人の命を奪うことは許されないという倫理観はあった。
 しかし。
 貝沼清孝の脳は、完全なるフリークスだった。

 彼が留置所で自殺を図り、その経緯と28人殺しの事件解明のために、彼の脳が第九に回ってきたとき。そして、彼が行った残虐な犯行を目の当たりにしたとき。
 滝沢の中で、自分の大切な人々を奪ったもの達への憎しみが、思いがけない強さで甦った。

 何をしてもいいような気がした。
 どうして何の罪もない彼女と友人が殺されて、事件の秘匿に関わった薄汚れた人間がのうのうと生きている。その理不尽を正さなければと、滝沢の中の何かが彼を突き動かした。

 それは、貝沼清孝という稀代の殺人鬼の狂気だったのか、深淵の闇に見果てぬ夢を見続けた滝沢自身の妄執だったのか。

 薪の口から真実を語らせる。そんな生ぬるいことでいいのか。
 俺の恋人は死んだ、死んだんだ。子供の頃からの友人も。もう、二度と会えないのだ。
 だったら、彼にも同等の制裁を。単純に死を与えるだけでは気が済まない、その上に自分の苦しみを加重して、彼がもっとも耐え難いと感じる死に方を。

 そう考えたとき、あるシナリオが浮かんだ。
 鈴木に薪を殺させよう。この世で一番信頼している友、恋愛感情まで抱いている相手に裏切られ、殺される。それがあの薄汚い生き物に相応しい死に方だ。

 貝沼の狂気は、間違いなく滝沢に影響を与えていた。しかし、滝沢が感じていたのは怯えではなく、みなぎるようなパワーだった。
 最高の武器が、天から降ってきた。すべては俺の手の中に。



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破壊のワルツ(21)

 最近、こちらのほうはぐんと暖かくなってきて、日中は部屋の中でジャンバー着なくてもよくなってきたんですけど。 東北は、まだ寒いのでしょうね。
 早く暖かくなりますように。





破壊のワルツ(21)




「この子も、薪に似ているな」
 豊村の耳元で囁くと、豊村はしかめていた顔をさらに歪めた。

 貝沼事件の捜査も3日目に入り、捜査官たちには疲労の色が現れていた。こんなにきつい映像は初めてだった。人体を丁寧に解体していく映像を何時間も続けて見ることは、彼らの精神に計り知れない打撃を与えていた。
 加えて、今回に限って、いつも彼らを叱咤し導く室長が奮わないのと、彼らを励ましてくれるはずの副室長が、他人に構う余裕はないとばかりに血眼になって画像を見ているのが、彼らの精神的負担を重くした。

「ほら。この眼の辺りなんか、そっくりじゃないか。身体つきも」
 画面には、肩口から血を流し、貝沼に陵辱されている少年の姿が映っていた。貝沼は全裸にした彼に後ろから覆いかぶさる形で、時々彼の背中や肩にナイフを突き立て、彼の可愛らしい尻に噛み傷を残した。
「肩のラインとか、尻の形とか。よく似ていると思わないか」
 部屋の壁に立てかけられた姿見に、殺人者と被害者の顔が映っている。
 血と悲鳴に興奮しているのか、貝沼の小さな目は爛々と光っていた。苦痛から逃れようともがく少年を押さえつけて、その小さな尻に容赦なく自分の怒張を突き刺した。
 泣き叫ぶ少年の表情に、絶望が加わった。少年の長い睫毛が伏せられ、涙が筋になって丸い頬を伝わり落ちた。

 豊村は突然、席を立った。
「どうした、豊村」
 口元を押さえた彼の、頬が赤い。
「気分が悪いなら、少し休んでくるといい」
 豊村がどうして映像から目を背けたのか充分承知の上で、滝沢は豊村に仮眠室に行くよう勧めた。

 豊村に、薪と貝沼の秘密の接点をこっそり教えたときのことを思い出して、滝沢は心の中で悦に入る。
 薪と貝沼は、過去に会っている。そのとき、貝沼は薪に邪な感情を抱いた。だからこうして、彼に似た少年を殺したのではないか、と自分の推理を話してやった。豊村は一笑に付したが、薪に似た少年ばかりがターゲットになった理由について、きちんとした説明はつけられないことは認めた。
 その上で、何度も何度も繰り返し、画面の少年が薪に似ていると吹き込んでやった。豊村には、薪が貝沼に犯されているように見えたことだろう。狂気に満ちた殺人鬼の映像を見続けて弱った精神に暗示をかけるのは、容易い。

「仮眠室には薪がいるから。ついでに様子を見てきてくれ」
 薪は先刻、画を見ていて貧血を起こした。今は仮眠室で眠っている。彼も相当追い詰められている。

 独りになった滝沢は、そっともう一人の標的を盗み見る。

 鈴木は、人には向けない鋭い目つきで画面を睨みつけていた。被害者の少年が悪夢のように残酷に殺されていく様子を、強い瞳で凝視していた。
 彼の瞳には、決意が宿っていた。それはおそらく、さっき彼が手ずからベッドへ運んだ大切な友人を、この映像の主の悪意から、否、彼を脅かすすべてのものから守ろうという強い意志。

 しかし、そうして彼が懸命になればなるほどに。
 貝沼の狂気はその流量を増して、彼の中に注ぎ込まれていく。鈴木はまだ、その危険性に気付いていなかった。



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破壊のワルツ(22)

 前の章が短かったので(またか)2個目です。
 よろしくお願いします。


 この章は追記にしたほうがいいのかしら? と思ったんですけど……まあ大丈夫だろ。 色気ないしね。
 あ、暴力行為が苦手な方はご注意ください。←苦手じゃない、と言い切るのも人としてどうかと。





破壊のワルツ(22)






 薄暗い仮眠室の中に薪を探して、豊村は一番奥のベッドへと辿り着いた。
 飾り気のないパイプベッドの上に眠る、深層の姫君のような気高い美貌のひと。その白磁の肌に見惚れ、豊村は自分の白昼夢を強く恥じる。

 どうしてあの少年を、薪と見間違えたのだろう。比べ物にならない、この髪も肌も、重なり合った睫毛の麗しさも。

 静かに寝息を立てる艶めいたくちびると、それに続く小さなおとがいへの曲線に、触れれば自らその身を落すような、熟した果実にも似た誘惑を感じる。無意識のうちに豊村は、彼のやわらかい頬を指でなぞっていた。

「ん……すずき?」
 感触に目を覚ました薪が、長い睫毛を震わせながら男の名前を呼んだ。
 それは、特別な意味ではなかった。薪にしてみれば、自分の頬を撫でて起こすような人間は、鈴木以外にいなかった。だから彼だと思った。それだけだ。
 しかし、先日の室長室の一件からふたりの関係に疑惑を抱いていた豊村には、まったく別の意味に聞こえた。
 眠っているときに頬に触ったら、それは鈴木になるのか。それはつまり、そんな状況が生まれ得る関係にふたりはある、ということではないのか。

「ごめん、大丈夫だよ。もう戻るから……豊村?」
 豊村の姿を認めて、薪は自分の間違いに気付いた。亜麻色の髪をかき上げて秀麗な額を出し、はあ、と物憂げなため息を吐いた。それからゆるゆると上体を起こし、ベッドの上に片膝を立てた。ネクタイを外した胸元の、2つボタンが外れた襟から覗く肌が、眩しいくらい白かった。

「悪い、間違えた。てっきり鈴木だと思っ、!?」

 そのとき自分を突き動かした力の正体を、豊村はついぞ知り得なかった。
 ただ夢中で薪の肩をつかみ、ベッドの上に押さえつけた。驚いて声も出ない様子の彼に猶予を与えず、彼の細い首筋に強くくちづけた。

「やっ」

 薪の抵抗は弱々しかった。そのことにも、豊村は激しい怒りを覚えた。
 見かけは華奢だが、薪は柔道空手共に有段者の猛者だ。なのに、豊村の身体を押しのけようとするこの手の弱さは何事だ。しかも、ロクに声も出さない。隣の部屋には同僚がいるのだ、大声を上げれば彼らが駆け込んでくる、それが分かっているはずなのに、薪は息を荒くするばかりで声は発せず。彼がした抵抗といえばせいぜい、枕元にあった自分のネクタイや腕時計、ティッシュボックスなど、当たってもさして効果のないものを豊村に投げつけるくらいだった。

 男に襲われて、形ばかりの抵抗をして見せて。まるで逆に誘っているようだ。もしかしたら鈴木だけでなく、他の男ともこんなことをしているのか? もしや、官房長との噂も真実だったのか?

 そのとき、薪が強く抵抗できなかったのは、何日も食事が喉を通らないせいで体力が落ちていたからに過ぎないのだが、そんな彼の事情を慮る余裕は豊村にはなかった。

 自分が何をしたいのかも、豊村にはよく分からなかった。
 薪を抱こうという明確な意思があったわけでも、彼に対する抑えきれない恋情があったわけでもなかった。
 ただ、薪に裏切られたように感じていた。
 薪はこんな男じゃない、男相手に色をひさぐような真似はしない、自分なんかにいいようにされて大人しくしているような、プライドのない人間ではない。

 しかし、薪は彼にされるがままになっていた。ワイシャツのボタンを全部外され、ベルトに手が掛かってようやく、
「豊村、しっかりしろ。正気に戻れ」と型で押したような台詞を発しただけだった。
 おざなりな制止の言葉などで止まれるほど、豊村を支配していた衝動は弱くなかった。
「あッ……!」
 股間を強く握られて、薪は小さな声を上げて仰け反った。その反射的な反応が、豊村には彼の淫靡な性癖の証のように思えた。

 やっぱり室長は、男のひとに抱かれるのが好きなんだ。

 先ほどモニターに映っていた貝沼に犯される少年の映像と、鈴木や他の男に抱かれる薪の姿が、豊村の頭の中で混ざり合う。どこまでが虚像でどこからが現実なのか、その境界線は限りなく不明確だった。

 薪の肌に顔を埋めながら、豊村は泣いていた。
 強く吸うと簡単に痣がつく薪の薄い皮膚も、そのたびに反応する彼の身体も、彼の呼吸が荒くなるのさえ腹立たしかった。口惜しくてたまらなかった。
 豊村はその苛立ちを薪にぶつけ、薪の身体がそれに応じた反応を返すことでますます怒りを大きくした。

 ずっと信じていたのに。薪の高潔さを、ずっとずっと信じていたのに。
 堕ちるくらいなら、いっそ壊れてしまえばいい。

 気がつくと、豊村は薪の上に馬乗りになり、薪の首を締め上げていた。苦しそうに顔を歪める薪の、その被虐的な表情がぞくぞくするくらい綺麗だった。

「か……はっ……」

 つややかなくちびるが酸素を求めてしどけなく開き、中から赤く濡れた舌が見えた。
 豊村はそのくちびるを自分の唇で塞ぎ、舌を絡め、吸い。かつてない興奮を味わい、目の前が白くなるほどの官能にさらわれ、服も脱がないままに射精していた。




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破壊のワルツ(23)

破壊のワルツ(23)






 時刻が昼を告げ、鈴木は薪を起こしに仮眠室へ向かった。

 捜査に戻ることはないが、食事はさせた方がいい。食べたがらないのは分かっていたが、水分だけでも摂ってもらわないと。また病院の世話になってしまう。
 貝沼が捕まってからの5日間、薪は食事らしい食事をしていない。あの連続殺人が貝沼の仕業だと判明しただけでもかなりのショックだったろうに、彼が留置所で自殺を図り、その脳を自分達で検証しなければならないことになってしまった。
 正直なところ、鈴木は貝沼よりも、留置所の職員の不手際を責めたい気分だった。貝沼が自殺さえしなければ、きちんとした供述も取れただろうし、そうすれば薪の不関与もハッキリしただろう。裁判の結果死刑になって第九に脳が回されてきたとしても、それは何年も先の話で、薪の在任中ではなかったかもしれない。

「薪。大丈夫か?」
 薄暗い部屋の中、ベッドに座ってうなだれている薪の姿を見つけ、鈴木は彼に声を掛けた。窓辺に寄って、日光を取り込もうとブラインドのレバーに手を掛ける。
「開けるな」
 鋭く制止されて、鈴木は手を止める。声の主に目を凝らしてみると、驚いたことに薪は毛布を身体に巻いていた。
「どうしたんだ? 熱でもあるのか」
 今は夏の盛りだ。いくら冷房が効いているとはいえ、毛布が必要なほどの温度ではない。

「鈴木。僕のロッカールームから、ワイシャツ持ってきて」
 横になっていたから皺になってしまって、と言い訳のように付け加えた薪の声が微かに震えている。鈴木は問答無用でブラインドを開け、瞬間、焼けるような夏の日差しが部屋の中に差し込んだ。
 
 部屋が明るくなって、咄嗟に毛布で顔を隠した薪の手を強引に開かせ、鈴木は彼の有様に驚愕する。
 唇の端は切れて血が滲み、頬には引っかき傷があった。隠そうとする薪の手から毛布を奪い取ると、予想通り、彼の身体にはたくさんの痣がついていた。

「……豊村か」
 午前中、仮眠室へ入ったのは薪と彼だけだ。鈴木の席は一番左側の列で、右を見れば全員の姿が目に入る。上野と滝沢は、一度もモニタールームから出なかった。

 細い首筋にくっきりと残った手形を見つけて、鈴木は激しい怒りに駆られる。
 犯そうとしたが抵抗されたので首を絞めた。しかし、日中、しかも職場の仮眠室で? 隣の部屋では同僚が仕事をしているのに? 正気の沙汰とは思えない。

「違うんだ、鈴木」
「なにが違うんだ? 豊村に乱暴されたんだろ?」
 薪は立ち上がり、鈴木の手から毛布を取り返した。それで再び身体を覆うと、やるせなく首を左右に振り、
「このアザをつけたのは豊村だ。だけどあれは違う」
 立っているのも辛いらしく、薪はベッドにドサッと腰を下ろした。毛布に包まれた自分の肩を自分で抱くようにして、両足を座面に上げて膝を抱えた。

「豊村の眼は、正気じゃなかった」
 薪の声にも表情にも、陵辱されたことに対する怒りはなかった。意外なくらい静かな眼で、薪はとつとつと語った。
「貝沼の画に引っ張られたんだ。一時的に錯乱してただけだから、落ち着けば元に戻ると思って。だから僕も、騒がなかった」
 自分の前に突っ立ったままの鈴木を、薪は思い詰めた表情で見上げた。言おうかどうしようか迷う形にくちびるを開き、思い直して引き結び、前歯で下くちびるをきゅっと噛んだ。

「貝沼の脳は特別製だ。これ以上、見続けることは……危険かもしれない」
 仕事に対して、薪がこんな風に不安を訴えるのは初めてだった。薪はいつも強気で自信家で、貪欲なまでに捜査に積極的だった。その薪に、こんなことを言わせるとは。貝沼の狂気は本物だと、今更ながらに鈴木は背筋が寒くなる。
「でも僕は、ちゃんと調べたい。ちゃんと調べて、僕がこの事件に何の関わりもないことを証明したいんだ。だから」
「わかった。豊村や他の連中のケアはオレがする。最後まで頑張ろう」
 華奢な肩を両手で覆って、鈴木は力強く頷いた。薪を安心させる事が、今の自分の一番大事な仕事だと思った。
 
 薪は初めてホッとしたように微笑み、こくりと頷きを返した。鈴木は彼の唇の端を手で触って傷の具合を確認すると、戸棚から救急箱を取り出して傷の手当をしようとした。
「いいよ、大げさなことしなくて」
「顔の方は大したことないみたいだけどさ。その……あっちの方は大変なことになってるんじゃないのか?」
 鈴木が言い辛そうに言うと、薪は呆れた顔になって、
「鈴木。いくら僕だってそこまでされたら、大きな声で助けを呼んでる」
 と、いつもの傲慢さを取り戻して言った。

「未遂だから。安心しろよ」
「なんだ。オレはてっきり最後までやられちゃったのかと」
「下品なこと言うなよ! こんな所でそんなことまでできるわけないだろ!?」
「じゃあ、どこまでされたんだ? パンツの中に手入れられた?」
「いいから、さっさとワイシャツ持って来いよ!」
 深く追求するとまた薪を怒らせそうだったので、鈴木は彼に言われたとおり、ロッカーから着替えを持って来た。

「薪。食欲ないと思うけど、昼飯」
「食べる」
 即行で返って来た答えに、鈴木は驚く。
 いくら言っても駄目だったのに、どういった心境の変化だろう。
「豊村が襲ってきたとき、殆ど抵抗できなかったんだ。ずっと食べてなかったから、身体に力が入らなくて」
 薪は毛布をベッドに落すと、痣だらけの上半身にアイロンの掛かったワイシャツを纏い、さっと袖を通した。細い指先でボタンを留めながら、ハッキリした口調で言う。
「これから何があるか分からないから。食べなきゃ駄目だ」
 薪は根性がある。困難な場面でこそ闘志を燃やすタイプだ。頼もしいと思うと同時に、彼をよく知る鈴木は不安を覚える。

『貝沼の脳は特別製だ』と薪は言った。それは豊村が錯乱したことでも証明された。彼が精神的に未熟なのではない、貝沼が特別なのだ。鈴木でさえ何度か吐き気を覚えたくらいだ。そんな画を、今の薪に見せて大丈夫だろうか。
 薪は今、貝沼の凶行の原因が自分にあったのではないかと不安になっている。そんな精神状態であの画を見続けることは、彼の精神に決定的なダメージを負わせることになるのではないか。

 着替えを済ませる薪の背中で、鈴木はこっそりと決意を固める。
 薪が見る前に、すべての画を自分が見ておこう。そうして、薪が衝撃を受けそうな部分を予め報告書にしておく。何が映っているか前もって知っていれば、衝撃も和らぐだろう。

「あれ? 枕元に置いておいたネクタイと時計は?」
「その辺に落ちてない? ボックスティッシュとか時計とか、手当たり次第に豊村にぶつけたから」
 言われて床を探してみると、ベッドの下に薪の腕時計が落ちていた。が、ネクタイはない。
「時計はあるけど。ネクタイは見つからないな」
「おかしいな」
 他のベッドの下も調べたが、薪のネクタイはどこにも落ちていなかった。

「ネクタイの1本や2本、どうでもいいだろ。早くメシに行こうぜ」
「だって。あのネクタイ、西陣織だったんだぞ」
 鈴木もそれは知っていた。あれは昔、薪と一緒に京都へ旅行に行った折、記念にと1本ずつ買い求めたものだ。薪はそれをとても気に入っていて、何かあるときには必ず身に着けていた。
「小野田さんのところへ定例報告に行かなきゃいけないのに」
「その時は、オレのを貸してやるから」
 未練タラタラの親友を急きたてて、鈴木は仮眠室を出た。グズグズしている暇はない。薪に食事をさせて、豊村を探して、彼のフォローをしなければ。

 その後、薪のお気に入りのネクタイは、思わぬ場所で発見された。
 第九の資料室のドアノブに、輪になってぶら下がっていた。輪の中には豊村の首があり、彼は薪のネクタイにすべてを預けるようして息絶えていた。



*****


 原作では、薪さんのネクタイは使われてません。
 オリジナル設定ばっかりですみません~、てか、すでに薪さんの性格が……二次創作失格のような気がします。(^^;


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破壊のワルツ(24)

破壊のワルツ(24)






 夜の第九に、ハードディスクの回る音が密やかに響いている。

 広い研究室にたった一人、鈴木は徐々に近づいてくる少年の背中を見ていた。男の手が後ろから伸びて少年の口元を布のようなもので塞ぎ、20秒ほど押さえた。少年の身体から力が抜けて、腕の中に倒れこんでくる。
 少年が気を失っているうちに、男は彼を自分の仕事場に運び込んだ。彼の仕事は、そのほとんどが此処で為されていた。

 部屋の中にはベッドがあり、その四つ角には、上に横たわる人間を拘束するための鎖がついていた。シーツは白く清潔で、これは仕事のたびに新しいものと交換しているらしい。
 ベッドの脇には平たいテーブルがあり、その上には彼の七つ道具がきちんと並べられている。
 医療用のメス、幅広のナイフ、骨を切るための鋸。頭を断ち割るための鉄鎚。首を落すための鉈。それらを使うのは、宴も終盤に近付いたころだ。序盤のためには、鞭やライター、針や金串などが用意されている。

 悪趣味だな、と鈴木は心の中で唾を吐く。
 この少年で何人目だろう。ご丁寧に、ひとりひとり殺し方を変えて、殺す前には必ずいたぶってから辱めて。それも苦痛が長引くように、長い時間悲鳴が聞けるように、喉を割くのは最後の最後。
 
 男は少年の身体を荷物のように無造作に床に放ると、今日の得物を物色し始めた。しばらく迷った末に、ライターと金串を手に取り、床にうつ伏せになっている少年を見下ろす。
 床に降ろされたときに偶然そんな体勢になったのか、少年は正座をして額を床につけていた。短い後ろ髪から、白い首が覗いている。
 華奢な後ろ首が、薪に似ていると思った。

『私の配慮が足りず……誠に申し訳ありませんでした』
 記者会見の見事な答弁が嘘のように、薪はそれだけしか言えず、床にひれ伏した。豊村の両親を前に、床に着けた頭を上げることもできず、また、それ以外にできることがあろうはずもなかった。
 それが今日の午後のこと。鈴木の脳裏には、豊村の亡骸に取り縋って嘆く両親の姿が生々しく焼きついている。
 
 豊村の自殺によってもたらされた精神的打撃を慮り、残る2人の部下たちには帰宅するよう言い含め、鈴木は密かに特捜用の部屋に篭り、貝沼の捜査に当たっていた。
 薪は所長の田城の所へ赴き、事情説明とマスコミの対応について話し合っている。終わったら、鈴木の携帯に連絡をくれることになっている。
 もう2時間にもなるが、無理もない。こんな事態は第九始まって以来だ。捜査官が自殺、それも室長のネクタイを用いて首を吊っていたなんて。

 不意に画面が明るくなって、鈴木はハッと目を見開く。
 それは貝沼の手によって点火されたライターの炎だった。貝沼はライターで金串をあぶると、それを無造作に少年の腕につきたてた。二の腕の上部から差し込んで、脇下まで貫通させる気らしい。
 鎖につながれた少年の腕の内側から、やがて金串の鋭い切っ先が現れる。突き抜けた串の先は脂に塗れた血でてらてらと光り、不気味なアクセサリのように少年の細い腕を飾っていた。
 それを皮切りに、貝沼は少年の身体に何本もの金串を刺し始めた。痛みにのた打ち回る少年の姿を見るのは辛かった。指先や急所を串で貫かれたときには、顔は見えずとも彼の絶叫が聞こえてきたような気がした。
 いっそ楽に殺してやりたいと思った。手足やわき腹を刺され、体中血を流しながらそれでも死ねない。心臓や大きな動脈は避けて、痛みの鋭い指先や敏感な内側の部分を重点的に責めている。貝沼は苦痛の長引かせ方を心得ていた。

 気が狂いそうな痛覚の中で、少年は徐々に弱って行った。逃れようと鎖を引っ張る力が弱くなり、やがてだらりと彼の腕がベッドに投げ出された。
 貝沼は少年の手足から鎖を外すと、彼の両足を広げて肩に担ぎ上げた。それから、そこだけは汚さずに残しておいた彼の後孔に自身を埋めると、激しく彼を揺すった。
 少年はもう、何も感じていないように見えた。犯される苦痛は、金棒を刺されるより軽かったのかもしれない。

 彼の何も映していないガラス玉のような茶色の瞳が、豊村家からの帰り道、助手席に座って呆然と前を見ていた薪の瞳に重なった。
 無気力で、陰鬱で、一切の思考を停止した状態。あんな薪を見たのは初めてだった。
 
 欲望を遂げて満足した貝沼は、少年の白い喉をナイフで切り裂いた。ようやく少年の苦痛に終わりが来たことに、鈴木は絶望すると共に安堵した。彼はもう、苦しまなくていいのだ。
 喉を裂かれて息絶えている彼は、鈴木の眼から見ても美しかった。
 真っ白になった顔と、涼やかに開かれた琥珀の瞳。長い睫毛がその周りを縁取り、薪に良く似た小さな鼻が、その下に奥ゆかしく収まっていた。細い顎もふっくらとした頬も、彼の純潔を証明するかのように真白く輝いている。なのに、喉元を飾る真っ赤な血とのコントラストに眩暈にも似た艶美を感じるのは何故だろう。

 貝沼は医療用のメスを使い、少年の皮膚をはがし始めた。現れた血まみれの組織をじっくりと観察する様は、この中に何が詰まっているのだろう、と熱心に仕事をする研究者のようだった。
 
 彼は、どうしてこんなに美しいのだろう?
 どこかに潜んでいるに違いない、彼を輝かせる何かが。自分を惹きつける原因となる何かが。この細い肢体の中に、必ずあるはずだ。
 それを見つけなければ、自分は――――― 俺は、彼に再び合間見えることはできない。

 薪さん、見てくれよ。見て、俺を褒めてくれ。
 俺はあんたに認めて欲しくて、こんなに頑張ったんだ。あんたがどうしてそんなに輝いて見えるのか、どうしてこんなに愛おしく感じられるのか、その理由を知りたくて、知ればあんたに近づけると思って、だから俺はあんたに似た男の子を探して、彼らの中までしっかり探して、たくさんたくさん探して―――――。

「――――― っ!!」
 鈴木は寸でのところで、画面から眼を離した。肩で息をし、冷や汗で濡れた額を手で拭う。

 これで何度目だ、聞いたこともない貝沼の声が聞こえてきたのは。
 薪が貝沼と面識があったことを聞いていたせいか、聞こえてくる幻聴は、貝沼が薪に見せるために少年たちを殺し続けたという内容のものばかりだった。
 いや、原因はそれだけではない。鈴木自身の願望が、貝沼の幻聴に現れているのだ。
 12年前、薪と別れてから、何度彼を幻想の中で抱きしめただろう。この腕に確かに残る彼のぬくもりを思い出し、そのしなやかな身体を目蓋の裏に甦らせ、飽きることなくそのすべてを愛して―――――。
 彼に近づきたい、誰よりも彼に愛されていたい、それは鈴木がずっと心の奥底に眠らせてきた薪への想い。彼の未来のために、自分は友として彼を支えていこうと決意しながらも、どうしても消しきれなかった彼への恋心。

 どういうわけだろう。この残虐な画を見るたびに、彼に恋焦がれる気持ちが強く蘇ってくるのは。
 貝沼の犯行に薪の存在が関わっていることを示唆するものは、どこにも出てこない。せいぜい、被害にあった少年たちが薪に似た部分を持っている、ということくらいだ。しかしこれは、さして重大なことではないと鈴木は考えている。見目麗しい人間同士、共通点があって当たり前だ。鈴木には最近のアイドル歌手は、みんな同じ顔に思える。
 なのに、どうしてそんな幻聴が聞こえてくるのか。
 俺が薪の無関与を信じないでどうする。薪が貝沼に会ったのは、今から2年4ヶ月前、たった一度きりのことで……。

 思い当たって鈴木は、画像を過去に遡らせた。
 2人が出会った2057年の4月、その時の様子を見れば、あるいは何か―――――。

 その時期のデータを引き出すと、一転して画像は薄汚れたものばかりを映すようになった。
 ポリバケツの中の残飯、ゴミ捨て場に捨てられた衣類。貝沼はそれらを懸命に探し、持ち帰ろうとして近所の主婦や飲食店の店主に見咎められ、何も持たずにその場を去った。とぼとぼと歩きながら時折空を見上げる様子に、彼が雨の心配をしているのだとわかった。

 住むところがない彼が見上げるのは、灰色の空ばかりだった。晴れた日には、雨の心配はない。空を見ている暇があったら、下に落ちている食べ物を探したほうがいい。
 そんな彼の眼に映る風景は、色素の薄い灰色の風景だった。樹木も花も動物たちも、薄いグレーのフィルターが掛かったように、ぼんやりとしていた。
 特に、人の顔ははっきりしなかった。まともに他人の顔を見ることも少なかった貝沼は、自分を警察に突き出そうとしたスーパーの保安員の顔すらも鮮明に見えてはいなかった。もちろん、保安員が自分の身柄を預けた若き警官の顔も。

『あなた、お名前は?』
 そう訊かれたとき、貝沼は初めて彼の顔を見た。
『貝沼清孝さん。僕は薪と言います』
 律儀に自分の名前を名乗り、身分を明らかにし、それは多分、貝沼が長いこと他人から与えられなかった人としての関与。
 誰も自分の名前を聞いてくれた人はいなかった、誰も自分の名前を教えてくれる人はいなかった、彼はずっと誰からも、人間として見てもらえなかった。ゴミを漁る薄汚い生き物としてしか、扱われてこなかった。

『さっきの店員さんが言ってたように、新しい研究室で、新しい捜査方法を確立させようと頑張っています。僕も頑張りますから、あなたも頑張りましょう』
 にっこりとこちらに微笑みかけた彼を見た瞬間、視界を覆っていた薄灰色のヴェールはさっと払われ、代わりにまばゆい光の本流が貝沼の視界に注ぎ込んだ。
 
 鮮やかに映し出された彼の姿、その鮮やかさは徐々に周囲に伝播し。貝沼の世界は、色とりどりの美しいもので満たされた。
 春の空の朧月、妖艶に花開いた公園の夜桜。薄い雲を払う夜風にまで、美しい彩色がなされているかのように、ありとあらゆるものが彼の前で、新たに生まれ変わっていくようだった。

『お引取りいただいて結構です』
 目の前にスーパーの袋が出され、さりげなく手に持たされた。背を向けて去っていく彼が、ふと立ち止まり、ゆっくりとこちらを向いた。
 少し困ったような薪の笑みに、貝沼の視界は不意にぼやけた。手の甲に雫が落ちるのを見て、泣いているのだと解った。薪は慌てて駆け寄ってきた。
 腕に細い手が置かれた。下から心配そうに眉根を寄せた顔が、自分を覗き込んでいた。

 信じられないくらい、きれいな睫毛だった。透き通るように純粋な瞳だった。こじんまりした鼻と、小さなくちびるが愛くるしかった。白い頬は真珠のように奥ゆかしい光を放ち、亜麻色の髪は街灯の光を受けてきらきらと輝いていた。

 つややかなくちびるが開きかけたとき、鈴木は思わず身を引いた。
 心臓が高鳴っていた。息を整えようとしたが、耳鳴りがして、上手にできなかった。

 この画だけでは、確証にならない。ならないが。
 間違いない。

 鈴木の捜査官としての本能、否、10年以上も彼を見つめてきた鈴木の中に培われた、彼を害するものに対する警戒本能が、それを告げていた。
 それと同時に。
 鈴木は強く思っていた。

 薪、オレの薪。誰にも見せたくない、オレだけの薪。
 それが、貝沼の想いが現れた画の影響に過ぎなかったとしても。
 もしもこれ以上、薪がオレ以外の人間にその心を分け与えるなら。彼の擒になった人間の、激しい感情の発露を目の当たりにするようなことがあれば。そのときは。
 俺はもう、薪への気持ちを抑えきれない。どんなことをしてでも彼を自分のものにしたくなる、そのとき、俺はひとではなくなる。

 机の上の携帯が震えて、鈴木が心待ちにしていた人からのメールの着信を報せた。しかし、鈴木の耳も頭も、その静かな振動音を捉えることができるほど冷静ではなかった。
 そしてこの些細な時間のずれが、更なる悲劇の引き金を引くことになる―――――。



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破壊のワルツ(25)

破壊のワルツ(25)




 所長室がある管理棟まで迎えに来てくれるものと思っていた親友の姿がいつになっても見えないので、薪は仕方なく第九へ戻った。歩きながら携帯を鳴らしてみるが、鈴木は一向に電話に出ない。さては雪子とでも一緒にいるのか、と思い、重い足取りが更に重くなった。
 モニタールームに入ると、案の定鈴木はいなかった。
 ずいぶん待たせてしまったから、先に帰ってしまったのだろう。それなら一言言ってくれればいいのに、と強く憤慨し、その苛立ちの強さに、今夜どれだけ自分が彼に傍にいて欲しがっているのかを悟って、泣きたくなった。

「室長」
 無人と思われたモニタールームには2人の部下がいて、薪を驚かせた。鈴木は彼らを先に帰らせると言っていたが、どうやら薪を待っていたらしい。
 自分の席に座っていた上野が立ち上がって、薪を真剣な眼で見て言った。
「豊村のこと、詳しく聞かせてください」
 自分の仲間が自殺したのだ。その理由を知りたいと思うのは当然だ。
 薪は心の底から疲れ果てていたが、彼らの気持ちを汲んで、所長に報告したことをもう一度繰り返した。
「貝沼の画を見て、錯乱して自殺。残念ながらそういうことだ」
 田城に話したことを簡潔に伝えると、薪はそれで話は済んだというように、彼らに早く帰るよう促した。非情なようだが、豊村が死んでも捜査は続ける。所長や局長とも話し合って決めてきたところだ。彼らの精神の安定のためにも、しっかり休息をとらせるべきだ。

「これからも捜査は続けるが、1時間に10分以上、必ず休息をとることにする。夕方は定時まで、夜は捜査をしない。常に2人以上で行動し、言葉や態度に何か不審な兆候が現れた際には、すぐに僕か鈴木に報告を」
 泊り込みの捜査は第九では珍しくないが、今回は犯人の死亡が確認されていることと、なによりも自殺者が出たことで、その再発防止対策を明確にする必要があった。薪は明日の朝礼で発表する心算だったことを、その場で彼らに説明した。

「俺たちは、そんなことが聞きたいんじゃない」
 強い口調で遮られて、薪は声の主を見上げる。薪より20センチも高い位置にある険しい顔を、薪は訝しげに見つめた。
「豊村は、何故死んだんだ?」
「何故って……今、言っただろう。貝沼の画に影響されて、自殺を」
「それだけか?」
 滝沢の口調と目つきに、不穏なものを感じる。これは上司を、仲間を見る眼ではない。取調室で容疑者を見る捜査官のそれだ。
「どういう意味だ」
「おまえのせいじゃないのか、薪」

 直接的な言葉で詰られて、薪は怯んだ。
 責任は感じている。豊村は貝沼の画に影響されて錯乱したのだ、それが分かっていて、でもまさか、彼がその直後にあんな行動を取るとは予測できなかった。他人への破壊衝動が自分へとその向きを変える、その可能性はゼロとは言い切れない。しかしあの時は思いつかなかった。
 あのとき豊村は、不意に薪の首に掛けた手を緩めた。そして逃げるように仮眠室から出て行った。
 その独特の動きと異臭で、彼が突然錯乱状態から醒めた理由を知った。薪にも経験があるが、男の生理は単純だ。抜けば頭は冷える。そういうことなのだろうと思った。
 落ち着いたら、帰って来るだろう。そうしたら「気にするな」と言ってやればいい、と簡単に考えていた。

「彼の行動を予見し切れなかったことは、申し訳ないと思っている。その責任を問うというのなら、上申書でも告発文でも書けばいい」
「ちがう、そんな間接的なことじゃない。俺が言ってるのは、あんたが豊村を殺したんじゃないかってことだ」
 薪は驚いて眼を丸くし、二人の部下の顔を交互に見た。
「ストレート過ぎだ」と上野が滝沢を嗜めるが、彼もまた疑いの眼差しで自分を見ている。しかし、どこからそんな疑いが出てきたのか、薪には不思議でならなかった。

「馬鹿な。どうして僕が豊村を」
「じゃあ、これはなんだ」
 滝沢は急に薪の襟元をつかむと、ネクタイを緩めて引き抜いた。それから力任せに、薪のカッターシャツの前を開いた。白いボタンが弾け飛ぶ。
「やめ……!」

 無理矢理おろされたシャツを背中に回され、薪は後ろ手に腕を拘束された。隠す術を持たない彼の裸体に、ふたりの男の視線が突き刺さる。
 首から下に付けられた無数の赤い痣。それは白い肌に扇情的に映えて、友人を亡くしたばかりの彼らに相応しくない感情を掻き立てた。
「滝沢、やり過ぎだ」
 上野の制止をひと睨みで切って捨てて、滝沢は薪の腕を握る手に力を込めた。現場で鍛えた捜査官の睨みに、上野は弱気に眦を下げる。滝沢と上野では格が違う。止められるわけがなかった。

「豊村に乱暴されたんだろう? それで豊村を」
「ちがう!」
「では何故、豊村はおまえのネクタイで首を吊ってたんだ?」
「そんなこと、僕が知るか!」
 あまりにも馬鹿馬鹿しくて、怒る気にもなれなかった。そんな単純な頭でよく刑事が務まるな、と言い返してやりたかった。

「滝沢、手を放」
「何をしている!」
 大音量の鋭い恫喝に、その場の誰もが竦み上がった。ぎょっとして振り返った3人は、自動ドアから現れた副室長の姿を眼にしてなお、声の主を探した。あの温厚な鈴木が、こんな声を出すとは信じられなかった。
 鈴木は眼を血走らせ、顔を怒りで赤黒く染めて、こちらに走ってきた。滝沢の手から薪の身体を強引に奪い取ると、彼を2人の部下から護るように自分の胸に抱きしめた。
「上官に対する暴力は、重大な職務違反だ。2人とも査問会の覚悟をしておけ!」
 
 一方的に部下を悪者呼ばわりするとは、彼らしくない。豊村のことがあって平静ではいられなくなっているのだろうが、それは上野たちも同じだった。
「暴力を振るっていたわけじゃありません。俺たちはただ、どうして豊村が室長のネクタイで死んでいたのか、その理由を知りたくて」
「それだけじゃない。研究所内の不審死だ、普通なら司法解剖だろう。それをせずに、遺体をさっさと遺族に返したのは何故だ」
 鈴木は薪を抱きしめたまま、凄まじい眼でふたりを睨んだ。まるで親の敵でも見るような怨みの籠もった視線に、上野の腰が引ける。

「何を言い出すんだ、豊村の遺体は検視官がちゃんと調べただろう。その上で自殺の判断を下した。司法解剖をする必要はない」
「そうかな」
 上野は鈴木の剣幕に口を噤んだが、滝沢は食い下がった。年齢的にも捜査官としての実績も自分は引けを取らない、という自信があるのだろう。
「丹念に調べられたらまずい事があったんじゃないのか? 豊村の爪の間から薪の皮膚片が出てきたら、言い逃れのしようがなくなるから、だから圧力を掛けて」
「錯乱した豊村に襲われたんだ、皮膚片くらいついてるだろうさ。でも、それは殺人の証拠にはならない。
 滝沢、おまえは優秀な捜査官という触れ込みだったが、どうやら間違いだったらしいな。その調子で今まで、何人の冤罪を出してきたんだ?」

 鈴木と睨み合っている一人を除いて、残りのふたりはそれぞれの立場から驚いていた。
 薪は、親友のこんな姿を一度も見た事がなかった。鈴木は常にやさしく、相手の気持ちを第一に考えてものを言う男だった。上野は上野で、第九の母親的存在の彼が、自分達に対して牙を剥くこと自体に驚いた。鈴木はいつもニコニコと自分達の不満を聞いてくれ、時に諭し、時に室長に進言してくれる。そうして第九の融和を図ることを最優先に考えていた彼が、こんなに好戦的に皮肉を言うなんて。

「おまえらが薪に下らない疑いを掛けていたことはわかった。が、それと薪のシャツを脱がすことと、どういう関係があるんだ? 自白させるために拷問でもする気でいたのか」
「まさか。俺たちだって、本気で室長が豊村を殺したなんて思ってないです」
 止まらない鈴木の舌鋒を受けて、上野が懸命に自分達の言い分を主張する。滝沢が暴走しているのも事実だ。ここは自分が収めないと、決定的な亀裂が入ってしまう。
「でも、豊村がその……室長に乱暴を働いたことを知って、室長のプライドの高さは知ってますから、つい不安になって」
「そんなことくらいでいちいち殺したりするか!!」
 下手に出た心算が一喝されて、上野はますます身を縮こめる。普段怒らないひとに怒られるのは、ものすごく怖い。

「薪はな、昔っから襲われキャラなんだ! 電車に乗れば痴漢に遭うし、道を聞かれれば物陰に引きずり込まれるし、倉庫で片付け物をしてれば床に押し倒される!」
「鈴木っ! なに人の過去暴露してくれてんだよ!!」
「裸に剥かれて突っ込まれる寸前なんて、両手で足りないくらい経験済みなんだよっ! 日常茶飯なんだ、あんなの!」
「ちょっと待ってっ! 鈴木、僕を社会的に抹殺しようとしてる!?」
 これ以上鈴木に喋らせたくなくて、薪は必死に声を上げた。彼がずっと自分を抱きしめたままなのも気になっていた。鈴木は今まで、人前では絶対に自分の身体に触れなかったのに。

「とにかく、薪は殺していない」
 鈴木はその一言でその場を切り上げ、薪を庇いながら室長室へ入って行った。緊張の糸が切れたように、上野がどっかりと椅子に腰を下ろす。
「こ、怖かった……あんな副室長、初めて見たよ」
「ふん、馬脚を現したな。聖人君子を気取りながら、中身はあんなもんだ。大事な大事な薪のためなら、一瞬で鬼になれるんだ」
「滝沢も悪いんだぞ。あんなやり方して」
 仲間が死んで哀しかったのは上野も同じだが、滝沢はそれを怒りに変換させてしまったのだろう。辛い気持ちを誰かにぶつけなければ、やりきれなかったのかもしれない。

「なあ。本気で室長を疑ってるわけじゃないんだろ? あの人のことだ、本当に殺人を犯すとしたら、自分のネクタイを使って絞め殺すなんて真似はしないだろ」
「しないだろうな。やるとしたら、日を改める。自分に嫌疑が掛かるようなヘマはやらないだろう。でもな」
 滝沢はギロッと目を剥き、ドアの向こうの薪を見据えるように強い眼差しで室長室の方向を睨んだ。
「あのプライドの高い男が、そんな辱めを受けて黙ってるわけがない。正気に戻って、自分のやったことを悔やんでいる豊村に、死んで詫びろとでも言ったんじゃないか」

 座っている上野を見下ろして、滝沢は断定的に言う。
「きっと豊村は、室長のせいで死んだんだ。あの室長なら言いかねない」
「滝沢……ちょっと落ち着けよ。場所変えて話そうぜ」
 室長室の薄いドアに気兼ねして、上野は声を潜める。これ以上ここで話していると、また副室長に怒鳴られそうだ。

 上野は立ち上がり、鞄を持って滝沢の背中をぽんと叩いた。
 自分たちは今日、同僚を亡くしたのだ。彼の思い出も語りたかったし、その相手は同じ職場仲間の滝沢が相応しいと思った。
 滝沢は苦く笑って、自分も鞄を取り上げると、上野と並んでモニタールームを後にした。




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破壊のワルツ(26)

 こんにちは。

 昨日は身内の記事 (R355バトル) に拍手をいただいて、ありがとうございました。
 そうですね、嫁いで15年になりますけど、こういうことは初めてでございました。 貴重な体験でした。 もう二度とごめんですけどね☆ 

 会社にも、何回かに分けて、延べ10人くらい警察の方が来たんですけど。 
 ホンモノの警察手帳、初めて見ました~。 厚みがあって、重そうでした。 (さすがに触らせてくださいとは言えなくて。後悔)

 警備を強化しようと、昨日、早速センサーライトを増設し、資材置き場に置いていたトラック類を家の庭に移しました。 
 それでもオットはやっぱり不安で、眠れない日々が続いているみたいです。←びびり。 
 わたしは眠ってますけどね。(笑)


 お話の方も佳境です~。
 きっと薪さんたちも眠れない……。






破壊のワルツ(26)






 室長室のロッカーからジャケットの上着を出して、薪はボタンの取れたワイシャツの上に羽織った。シャツの替えは一枚しかなかったので、今日はこのまま帰宅するしかない。

「それじゃ電車に乗れないだろ。タクシー使うか」
「うん」
 ロッカーの前に立ったまま、鈴木の言葉に素直に頷いて、薪は力なくうなだれた。
 そんな彼が、鈴木は可哀想でならなかった。
 部下に殺人の容疑を掛けられた、それも、被害者は可愛がっていた部下だというのに。自殺の道具に自分の持ち物を使われて、一番傷ついているのは薪なのに。

「薪、元気出せ。あいつらだって本気で言ったわけじゃない」
 口ではそう言いながら、鈴木の中では彼らに対する激しい怒りが渦を巻いていた。薪を傷つけた彼らを、絶対に許せないと思った。
「分かってる。あいつらだってバカじゃない。ただ、僕は第九が」

 長い睫毛が瞬いたかと思うと、ほろっと丸い雫が亜麻色の瞳から零れ落ちた。
 他人には見せないが、昔から薪は、けっこうな泣き虫だ。豊村の自殺、検視の立会い、上への報告、遺族への対応、それらの仕事をこなしながら、ずっと我慢していたに違いない。
「この研究室は、僕と鈴木で立ち上げて、ふたりでここまで大きくしてきた。その第九が……このままじゃ、ボロボロになっちゃう」
 子供のように口元を歪めて、ロッカーの扉に向かって訴える彼の細い肩が不規則に震えていて、鈴木はいたたまれなくなる。薪がこんな哀しい思いをするなんて、あってはならない、間違っている、この世界は間違っている、と強く思った。

「局長は、自殺者が出た以上はMRI捜査そのものを見直す必要があるって。捜査員たちの精神的苦痛は前々から問題になってたけど、それを放っておいた室長と所長の責任を追及するって。
 それだけだって打撃なのに、みんなもうバラバラで……豊村はあんな死に方して、上野も滝沢も、ここを辞めたいって言い出すかもしれない。そうしたら」
 前置きもなく、鈴木は後ろから彼を抱きしめた。薪は驚いて身を固くし、息を呑んだが、鈴木の腕を振り払うことはしなかった。彼はそっと身体を回し、鈴木の胸に顔を伏せると、細い腕を回して大きなシャツの背中をぎゅっとつかんだ。
 小さな亜麻色の頭を撫でながら、鈴木はもう一方の手で彼の華奢な背中を抱く。薪はこうしてやると落ち着くのだ。

「辞めたいやつは辞めればいい」
 薪の呼吸が落ち着くのを待って、鈴木は強い口調で言った。
「心配するな、第九は潰れない。オレと薪がいれば、第九は再生できる。新しい職員はオレが引き抜いてきてやる。あいつらの100倍優秀なのをな」
 ぽんぽんと背中を叩いて、鈴木は腕を緩める。大きな背中を丸くして、自分より大分背の低い親友の顔を、間近から覗きこんだ。

「ふたりで創った研究室だろ。ふたりでやり直せばいいじゃないか」
 ニッコリ笑ってそう言うと、薪は泣き笑いの、何ともかわいらしい顔になって微笑んだ。

「鈴木。こないだ僕に、『辞めたいやつは辞めろなんて、室長が言っていい言葉じゃない』って言わなかったっけ」
「そうだな、室長は言っちゃダメだな。でもオレ、副室長だから」
「ええ~、なんかズルイ」
 ぷうと膨れた薪の頬を突き、鈴木は携帯で馴染みのタクシー会社に電話を入れた。直ぐに伺います、との返答を受け、科警研の正門で待つこと2分。タクシーの後部座席に並んで乗り込み、上野、横浜とそれぞれの自宅を告げた。夜は自宅で休む事が捜査を続ける条件だ。それを室長が破るわけには行かない。

 薪の自宅は職場のすぐ傍だ。車で5分も掛からない。引き換え、鈴木のほうは少々遠い。横浜の実家から毎朝40分、だから夜が遅いときにはしょっちゅう薪の家に泊めてもらっている。
「鈴木。泊まってけば?」
「いや、今日はいい。また今度な」
 薪の誘いは嬉しかったが、鈴木にはやる事があった。

「鈴木」
 自宅が近付いてきて、薪は小さな声で、でも力強く鈴木に話しかけた。
「絶対に守っていこうな。僕たちが立ち上げた研究室を」
「ああ。オレたちの第九だもんな」
 鈴木の言葉に力を得て、薪は生き生きと瞳を輝かせる。強気な表情でくちびるを吊り上げ、いっそ不遜ともとれる挑戦的な笑顔で、
「何があっても守ってみせる。僕は第九の室長だ」
 
 そうだ、薪はこうして高慢に笑っていないとダメなんだ。オレが守ってやる、この笑顔をオレが絶対に守ってやると、鈴木は繰り返し心に誓う。

 何でもする。
 薪を守るためなら、オレは何でもする。他人に何と罵られようと、どれ程の人間を苦しませようと、オレにとって一番大事なのは―――――。

 その考えが。
 すでに闇に囚われた狂人の妄執であったと、どうしてその時の鈴木に気付くことができただろう。

 鈴木はただ純粋に、彼の幸せを願い、彼の喜ぶものでこの世を満たそうと思った。彼の憂いを払い、彼の苦痛を消し去り、その頬に二度と涙が落つることのないように。自分の持てるすべての力を傾けて、彼の安息を守ろうと思った。

 薪の背中を見送り、彼の部屋の明かりが点くのを確認してから、鈴木は運転席に向かって言った。
「すみません、行き先変更で。科警研へ引き返してください」


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破壊のワルツ(27)

破壊のワルツ(27)





 行きつけの居酒屋への道すがら、上野は滝沢に昔話をしていた。
 自分の2ヶ月後に、豊村が第九に入ってきたこと。その頃いた職員も後から入ってきた職員もみんな異動してしまって、彼と自分だけがあの室長の下で2年も耐えていた、という内容のことを冗談交じりに話した。

「豊村はさ、あの性格だから。叱られれば凹むけど、褒められればすぐ立ち直る。うちの室長と副室長は北風と太陽みたいなもんだから、あいつ、いいように操られて」
 豊村の愛すべき単純さを思い出して、上野は苦笑する。あんなに明るくていいやつだったのに、どうしてあんなことを。室長に乱暴を働いたことも、自殺したことも、まだ信じられない。

 貝沼の画は確かに凄まじかったが、上野には他の猟奇事件をパワーアップしたくらいにしか感じられなかった。だから正直に言うと、豊村がどうして貝沼の画に引きずられたのか、解らなかった。豊村だけではない。室長がMRIを見て貧血を起こしたのも初めてだったし、副室長の鈴木があんなに目を血走らせているのも初めてだ。
 自分にはさほど影響を与えない貝沼清孝の画。彼らと自分の違いは、どこにあるのだろう?

「それに、豊村は室長に憧れて第九に来た口だから。うちの室長は、あの実績であの性格だからな。好かれるか嫌われるか、両極端でさ。前に第九を辞めてったやつなんか」
「憧れが高じて、あんな暴挙に出たというわけか。しかし、それは愛情の裏返しだったわけだろう。それなのに、自殺するほど責めるなんて……やっぱり俺は、室長を許せない」
 上野はちょっと考えて、しかしやっぱり自分の意見を言うことにした。滝沢は、同僚を失った悲しみのせいで視野が狭くなっている。彼の凝り固まった気持ちをほぐしてやりたいと思った。

「言わないと思う」
 滝沢よりも、自分の方が薪との付き合いは長い。彼の人となりは、滝沢よりも知っているという自負があった。
「室長はたしかに口が悪いし、嫌味も皮肉も半端ないけど。仕事に対する情熱だけは本物だ。どうしてそんなに一生懸命に仕事をするのか、訊いた事がある。そうしたら、人の命を奪う行為が許せないって言ってた。だから、人に向かって死ねとは言わないと思う」
 上野は滝沢を穏やかな眼で見つめ、彼の気持ちを宥めようとした。以前、自分と豊村が副室長に室長への不満を訴えた折、彼が自分たちに向けてくれた暖かい笑顔を思い出して、彼のように相手の気持ちに寄り添おうと努めた。

「それに、豊村は室長を尊敬していたから。豊村がこの様子を見たら、きっと悲しむよ」
「おまえはいいのか、上野。おまえが2課で不遇をかこったのは、室長の」
「あれはもういい」
 副室長を真似て、寛大にひとを許そうと思った。今夜の鈴木は尋常ではなかったが、明日になればいつもの彼に戻るだろう。同僚があんな死に方をしたのだ、今夜は誰もが平常でなくて当たり前だ。
「何かの間違いだ。室長、そんなに器用なタイプじゃない。本当だったとしても、そこまで俺を買ってくれたと思うことにする。そのほうが建設的だろ」
 上野が笑って見せると、滝沢はむっつりと考え込む様子だったが、やがてこくりと頷いた。彼は尊大な雰囲気を持ってはいるが、決して頑固ではない。
「分かった。おまえがそう言うなら、俺ももう、この件に関しては騒ぎ立てすまい。明日室長に謝罪して、一からやり直しだ」
「ああ、明日のほうがいい。俺も一緒に謝りに行く」

 科警研の裏庭を抜けた時、上野の携帯が鳴った。母親からだった。同僚が事故にあって亡くなり、それで今日は遅くなる、と伝えて電話を切った。
 同僚に母親との会話を聞かれたのが何となく気恥ずかしくて、上野は照れ隠しにエヘヘと笑った。
「うちのお袋、心配性でさ。残業のときは必ず電話してたんだけど、今日はあの騒ぎで」
 何気なく携帯の画面を見ながら、言い訳めいた口調で30近い息子の帰りが8時を回ったくらいで電話してくる過保護な親の説明をしていた上野は、液晶画面の右上に点滅する小さな封筒のマークに気付いた。

「あれ。メール着てる」
 歩きながら手馴れた手つきで操作をし、受信ボックスを表示する。そこに現れた名前を確認して、上野の足が止まった。

「…………豊村からだ」

 隣で滝沢が歩みを止め、上野を見つめた。
 夏特有の蒸し暑い風が2人の間を通り過ぎ、彼らがそれぞれの手に持ったジャケットの裾をはためかせた。
 画面に眼を走らせ、上野は低い声で言った。

「滝沢。どうして豊村が室長を襲ったことを知っていたんだ?」
「さっき言っただろう。豊村から聞いたんだ。自分のしたことを、とても悔やんでいた。だから豊村はきっと」
「『上野、おまえにだけは告白しておく』」
 画面に打ち出された文章を読み上げて、上野は信じがたい思いで目の前の同僚を見た。

「俺にだけ、と書いてある。どうしておまえが知ってるんだ」
「何をこだわってるんだ、上野。そのメールを打ったあとに、俺が豊村と話をして彼から真実を聞いた。それだけの話だろう」
 突然頑なになった上野の本意がわからず、滝沢は首を傾げた。慌てる様子もなく落ち着いている彼を見て、上野は自分の脳裏を過ぎった不安の正体を知る。
 滝沢は、豊村の死を悼んでいる振りをしていただけではないのか。彼の目的は豊村の無念を晴らすことではなく、室長を陥れるため。逆に、豊村の死を利用して……?

 上野は、携帯の画面を滝沢に向けて、彼の前に突き出した。滝沢は冷静にそれを読み、重々しく頷いた。
『俺は室長にひどいことをしてしまった。許してもらえるとは思っていないが、謝罪の上、責任を取るつもりだ』
「かわいそうに。やっぱり、豊村は自分のしたことを悔やんで」
「謝罪の上、と書いてある。書いてある以上、豊村は室長に詫びを入れる前に死んだりしない。それに『責任を取る』って、こういう場合普通は『辞表を書く』という意味じゃないか?」
「いや、豊村ははっきり言った。あんなことをしてしまって、俺にはもう生きる資格がないと……そんなことはないと慰めたんだが、力不足だったらしい。そう考えると、豊村の自殺は、俺にも責任が」
 上野は親指をすばやく動かして、画面をスクロールした。豊村の最後の手紙の下方には、彼の最後の言葉が残されていた。

『滝沢には、気をつけろ』

「これは、どういう意味なんだ? これを打ったときの豊村が、錯乱してたとは言わせないぞ。あいつは正気に戻ったからこの手紙を書いた、そうだろう?」
 上野は画面を滝沢に近づけ、彼に詰め寄った。
 今回の事件で、室長も副室長も何かを隠しているが、滝沢も同じだ。上司2人には言えないこともあるのかもしれないが、せめて同僚の彼だけは、自分にすべてを打ち明けてほしかった。

 滝沢は黙って上野の様子を見ていたが、やがて肩をすくめると、おもむろに鞄と上着を地面に置いた。
 上野が彼の行動の意味を考える間もなく、滝沢は彼の後ろに回り、太い腕で彼の総頚動脈を圧迫した。痕が残らないように、指ではなく面積の広い腕を使う。現場の経験が長い滝沢にとって、それは当たり前の知識だった。

「ったく。おまえみたいに種を蒔いても、芽の出ないやつもいるんだな。役に立たないやつは、死ねよ」

 腕の力を徐々に強くしながら、滝沢は豊村との最後の会話を思い出している。
 まさかあのとき、豊村が自分と会話をしながら上野にこのメールを残していたとは。単純な男だと決め付けて、彼を侮っていた。

 仮眠室から出てきた豊村の様子は、明らかにおかしかった。貝沼の画を夢中で見ていた他の2人は気付かなかったようだが、目的を持って彼を仮眠室に送り込んだ滝沢には、一目瞭然の異変だった。
 彼の後を追って、滝沢はそっと執務室を離れた。
 豊村はおぼつかない足取りで、洗面所に入っていった。彼はしばらくの間個室に篭っていたが、やがて出てきて、冷たい水で顔を洗った。両手を洗面台に載せ、鏡の中の自分に向かって深いため息をついた。それから、使い終わったハンカチをスラックスのポケットに突っ込んだ。

「豊村。大丈夫か」
 友人を心配する親切な同僚を装って、滝沢は豊村の前に姿を現した。
 豊村は滝沢に気付いて、いつになく好戦的な目つきでこちらを見た。黙ったまま、ポケットから手も出さずに、挙句には左手まで反対側のポケットに入れて、ついと横を向いた。

「何を持っている?」
 彼の左側のポケットが不自然に膨らんでいるのに気付いて、滝沢は訊いた。豊村は素直に中身を取り出し、滝沢に見せた。
「室長のネクタイじゃないか。どうしたんだ」
 滝沢の問いに、豊村は答えなかった。じっと考え込むように、夏らしい薄青色のネクタイを見ていた。
 やがて豊村は顔を上げた。それは、彼が滝沢に初めて見せる不信に曇った顔だった。

「滝沢。どうしておれに、室長と貝沼の接点を教えたんだ?」
「捜査をする上で、情報は多いほうがいいと思ったからだ」
「上野は知らないみたいだった。おまえはどこからその情報を得たんだ?」
 滝沢は黙り込んだ。豊村の小動物のように丸い目は、次第に疑いの色を濃くしていく。

「被害者の少年を見るたびに、おまえは室長のことを引き合いに出して。どうしてあんなに何度も『室長に似てる』って言ったんだ?」
 豊村は左手で薪のネクタイをぎゅっと握り、詰問口調で滝沢に詰め寄った。彼の中に生まれた猜疑が、瞬く間に大きくなっていくのが解った。
「おれはどうも、おまえに誘導されていたような気がしてならない。今回のことも、以前、室長と派手な喧嘩になったときも。おまえは巧妙に、おれを気遣う振りをしながら室長の悪いイメージをおれに吹き込んで、それも少しずつ少しずつ、長い時間を掛けておれが室長に刃向かうように仕向け……!!」

「残念だ、豊村。おまえはもっと使える男だと思っていた」
 静かに呟きながら、滝沢は今と同じように、豊村の首を絞めた。痕が付かないように注意深く、彼が意識を失うまで締め続けた。

 人間を気絶させるには、実はそれほど長い時間は要らない。窒息死させるには8分以上気道を閉塞させなければいけないが、失神させるにはものの10秒もあれば十分だ。首の左右の総頚動脈を堰き止めれば、脳に回る血が不足して人は簡単に意識を失くす。

 豊村が動かなくなったのを確認して、滝沢は床に落ちたネクタイを取り上げた。そのネクタイを豊村の首に巻きつけ、背中合わせになって彼を背負った。
 このやり方だと、殆ど縊死と区別が付かない。司法解剖をすれば器官の潰れ具合から判明することもあるが、検視の段階ではまず気付かない。そしておそらく、上層部は警察内部で起きた身内の自殺を司法解剖に回さない。万が一、誰かに殺された事実が出てきてしまったら、自殺以上のスキャンダルになってしまうからだ。そんな危険な賭けはしない。

 滝沢は豊村の死体を誰にも見られないように資料室まで運び、ドアノブに吊るして、彼が自殺したように見せかけた。昼になっても姿を現さない豊村を心配して彼を探しに行った鈴木が、その死体を発見したというわけだ。

 初めて自分の手で人を殺したことに、滝沢はさしたる感慨も抱かなかった。
 彼もまた、気付いていなかった。
 貝沼の脳に操られ、自分が彼の手足となって、薪の心に貝沼の恐怖を残すべく動かされているという事実に。

 10秒も経たないうち、上野は気を失って滝沢にもたれ掛かってきた。
 ぐったりとした上野の身体を、滝沢は無造作に肩に担ぎ上げた。それから2人分の荷物を左手に抱えると、今来た道を引き返していった。




*****


 わたし、滝沢さんはいい人だと信じています。(嘘じゃないよ~!)
 きっと彼は、『よそ者は黙ってろ』と言った人たちと敵対する勢力のスパイで、今は薪さんの完全な味方ではないけれど、共通の敵と戦っているという点に置いて利害が一致しているから、最終的には味方になってくれると思うの。 もちろん、宇野さんにも危害を加えたりしないと思う。
 滝沢さん、みんなの白眼視に負けないでがんばって!
 って、こんなん書いてるわたしに応援されても、迷惑かしら。(笑)



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破壊のワルツ(28)

破壊のワルツ(28)




 いったい何が起きているのか、もう訳が分からなかった。

 猟奇的な事件捜査に必要と思われる様々な文献が揃えられた資料室で、上野は息絶えていた。朝になって出勤してきた滝沢が、変わり果てた上野の死体を見つけた。上野は、自分で自分の胸をナイフで刺して死んでいた。ナイフの柄を握り締めた両手が、死後硬直で固まっていた。

「豊村が自殺して、上野は大分参っているようだった。やはり、昨夜は上野から眼を離すべきではなかった」
 悔やんでも悔やみきれない、と言った表情で目を閉じた滝沢を、鈴木は徹夜明けの充血した眼で見た。
 鈴木は一晩中、貝沼の画を見ていた。脳裏に残った残像がちらちらと目の前に流れていき、その被害者に上野や豊村の顔が重なった。
 現実に起きた2つの死が、MRIの画と混濁していく。どちらが現在でどちらが過去の出来事なのか、どちらが自分の目で見たことで、どちらが貝沼の眼を通して見たことなのか、その区別がつかなくなりそうな恐怖に鈴木は戦慄した。

「昨夜は、上野と一緒に帰ったんじゃなかったのか」
「途中で別れた。その後は」
 滝沢は不意に口ごもり、その場に相応しくない照れを含んだ態度で横を向くと、鈴木が聞きもしない自分のアリバイを語った。
「その後は、薪と一緒だった。朝までずっと」
「……なに?」
 滝沢の言葉に驚いて、鈴木は眼を見開いた。緊急対策会議に出席している親友の顔を思い浮かべて、喉をつまらせる。

 昨夜、自分が薪を自宅に送り届けた後、2人が一緒に夜を過ごした?
 まさか。あの薪が、そんな軽はずみな真似をするわけがない。

 疑わしそうな眼で滝沢を見ていると、彼は沈黙を怖がるように、自分が何故そんな行動に出たのかを説明し始めた。
「豊村のことで取り乱していたとはいえ、ひどい疑いを掛けてしまった。だから、薪の家まで謝りに行ったんだ。薪は俺を許してくれて、だから俺は」
 そこで一旦言葉を切り、滝沢は鈴木の方へ向き直った。それからしっかりと鈴木の眼を見据え、
「自分の気持ちを打ち明けた」
 滝沢は、真っ直ぐに鈴木の眼を見ていた。嘘を吐いているようには見えなかった。

「薪もギリギリだったんだろう。誰かに傍にいて欲しかったらしくて、俺を拒まなかった」
「まさかおまえ、薪に無体なことを」
 鈴木は滝沢の気持ちを知っている。前に病院で、直接本人に聞いたのだ。その彼が、夜を薪と共に過ごしたと言ったからには、当然予想される展開だった。
「俺は、豊村みたいに乱暴な真似はしなかった。ちゃんとやさしくしたさ。薪も満足してくれて」

 それ以上は聞きたくなかった。
 止めろ、という言葉よりも前に、右の拳が滝沢の頬にのめり込んでいた。言葉を発する余裕もなく、鈴木は彼の上に馬乗りになり、何度も彼の顔を殴りつけた。

 殺してやりたいと思った。
 その感情が自分のものなのか、自分の中に蓄積された貝沼の意思なのかは、当の鈴木にも分からなかった。

 現場経験が長く捕り物にも長けた滝沢は、隙をついて鈴木の両手を捉えた。自分の上に乗った男の背中に、容赦なく膝頭を叩き込む。
 その痛苦に鈴木は呻き、滝沢の上から転がり落ちた。これまでの殆どを内勤で過ごして来た鈴木が、肉弾戦で滝沢に勝てる道理がなかった。

「俺だけじゃないぞ」
 現場で鍛え上げられた滝沢の身体は頑強で、鈴木に殴られた痛みなど感じていないように見えた。たった一発の膝蹴りで咳が止まらなくなってしまった自分との差が口惜しくて、鈴木の憤りはますます強くなった。

「おまえも薪を抱いてみればわかる。薪は何人もの男を知ってる。あれは素人の動きじゃない」
「嘘をつけ! 薪のことはオレが一番よく知ってる。薪はそんなことはしていない」
「信じる信じないはおまえの勝手だ。好きにすればいいさ」
 一歩リードしたものの余裕か、滝沢はそんな風にうそぶくと、床に胡坐をかいて穏やかに言った。

「薪が望めば、俺はいつでも彼を抱く」
 ゼイゼイと息を弾ませて、でも深呼吸をしようとすると咳が出る。鈴木は黙って彼の話を聞くしかなかった。
「今までも、これからも、薪を愛する男はたくさん出てくるだろう。俺はその中のひとりに過ぎない。それでもいいと思っている。あいつだって淋しいんだ。本当に欲しい相手は手に入らないから」
 薪の想い人に嫉妬するでもなく、滝沢は静かに言って立ち上がった。床にへたったままでいる鈴木にくるりと背を向けて、
「薪の気持ちはわかる。あいつが淋しさに耐え切れなくなったとき、慰めてやれればそれでいい」

 滝沢の逞しい背中を見ながら、鈴木は嵐のように荒れ狂う心を抱えていた。
 滝沢は大人で、たぶん自分よりも精神的に円熟している。その事実は、認めざるを得なかった。でも。

 オレの方が薪を愛してる。
 ぜったいにぜったいに、オレの方が。薪を幸せにできる。
 オレはこれからそれを証明する。薪の憂いを、オレが全部払ってやる。

 モニターに向かって捜査の続きを始めた滝沢を尻目に、鈴木は一人、特捜用の個室へ向かった。



*****


 すみません、鈴木さんイジメがすっごく楽し、、、、すみません。


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破壊のワルツ(29)

 昨日は強い余震がありましたね。
 みなさま、お怪我などなかったでしょうか?

 うちの地域は震度5強というけっこうな揺れだったのですけど、津波警報が出されて焦りました。 
 茨城県の海岸って、うちの社員が行ってるよ! (津波によって街中に運ばれた砂を砂浜に戻す作業をしています)
 無事を確かめようにも、地震直後は電話がつながらなくて。 連絡がついたときには、ホッとしました。
 で、一段落したと思ったら、水道局のひとが来て、浄水場の配管が割れたから直してくれって。 結局、夜の10時までかかって直しました~。 みんな、お疲れさん。

 昨夜は何度も揺れが繰り返されて、みなさまも、そのたびに不安が募っていったことと思います。
 わたしもオットや社員が復旧作業に出かけていたので、揺れるたびに不安でした。
 本当に、早く治まってくれることを祈るばかりです。






破壊のワルツ(29)




 悪夢に続く悪夢で割れるように痛む頭を抱えて、薪は第九へ戻ってきた。

 警察庁長官以下上層部の殆どが招集された緊急対策会議では、第九と、その設立を支援した官房長の派閥が徹底的に糾弾された。次長は事なかれ主義の長官を取り込み、第九研究室の廃止を提案した。官房長派はもちろん反対したが、2人も自殺者を出したとあっては、その発言力は弱かった。
 しかし、実際問題として、廃止もまた困難だった。
 第九は科警研の金食い虫と評されるように、多大な資金の動く公共機関だ。今現在、それに関わるものたちや、第九設立に加担した政治家たちの強い圧力は避けられない。
 そこまで考えていた次長が、代替案として出したのが、室長の人事権の剥奪と、官房室および警視総監による第九の二重の管理体制だった。

 今まで、第九の職員の選定は室長によって行われていた。実際に人事を発令していたのは官房室だが、薪が望む人事は小野田に伝えれば、だいたいはそのまま通った。各所の課長は官房室には逆らえなかったし、本人には鈴木が根回しをしておいてくれたからだ。
 しかし、これ以降、薪は勝手に警視庁内の職員を第九に引っ張ることができなくなった。彼の権限で第九に招くことができるのは所轄の人間、それも警部補までの階級のものと限られた。残りは警視総監側からと官房室側から、同数の職員が選定されることになった。
 ある程度のペナルティは覚悟していたが、一番の危惧だった室長の交代の話は何故か出なかった。それは、薪の脳にしまいこまれた数多くの秘密のせいかもしれなかった。
 室長の役職から外して第九以外の部署に出すよりは、このまま第九で飼い殺しにしよう。そう判断されたのかもしれない。

 何とか首のつながった自分の職場に帰ってきた薪を迎えたのは、心を許した副室長ではなく、いまひとつ反りの合わない部下だった。そこで薪は、またもやひとつの問題を抱えることになる。

「鈴木が? おまえに殴りかかった?」
「ああ。見てくれ、この顔」
 滝沢の言う通り、彼の頬は腫れ上がり、内出血の痣も見て取れた。しかし、あの穏やかな鈴木が他人に暴力を振るうなんて。俄かには信じがたい。

「滝沢。おまえ、何か鈴木を怒らせるようなことを言ったんじゃないのか?」
「殴られても、俺のほうが悪者かよ」
 滝沢は不満そうな口調で言い返したが、直ぐにその態度を改めて、
「鈴木のやつ、眼がおかしかった。豊村や上野と同じ兆候が現れている」
 死んだ二人の名前を出されて、薪の表情が凍る。
 鈴木が彼らと同じことになったら、と想像したのだろう。見る見る間に青ざめて、仕事のことは見事なポーカーフェイスで通すのに、こちらの方は本当にわかりやすい男だ。

「鈴木はどこに?」
「特捜の部屋に篭って、一人で画を見てる」
「おまえ、鈴木が精神的に不安定になってるって、今言ったじゃないか。そんな状態の鈴木を独りにしたのか」
「鈴木が俺と一緒に仕事をしたがらないんだ。仕方ないだろう」
 チッと舌打ちして、薪はモニタールームを出て行った。その背中に、滝沢は追い銭代わりの情報を投げかける。
「鈴木のやつ、昨夜一晩中、MRIを見ていたらしいぞ」

 自動ドアの手前で、薪はぎょっとして振り返った。
 タクシーから降りて鈴木と別れた後、彼は自宅へ帰ったものと思っていた。冷静な鈴木らしくない、豊村の死を目の当たりにして乱れた精神状態であの画を見続けるなんて、どうしてそんな無茶な真似をしたのだろう。

 滝沢の言ったとおり、特捜に使う第4モニター室に鈴木はいた。
 大きな背中を少し丸めて、その後姿は昨日までの彼と何も変わらないように見えた。ほっとして彼に近づいた薪は、しかしその場に立ち竦んだ。

 どうしてだろう、すごく不安な気分だ。

 鈴木は薪の精神安定剤だ。仕事で躓いたとき、嫌なことがあったとき、すべてを投げ出して第九から逃げ出したくなったときでさえ、鈴木が傍にいてくれれば平常心を取り戻せた。鈴木に感情をぶつけて言いたい放題毒づいて、それで次の日からは元気に仕事ができた。鈴木はいつも、薪に癒しと活力を与えてくれたのだ。

 薪が後ろから近づいてきたことに、鈴木は気付かない。それも異変のひとつだった。
 鈴木はどんな人ごみからでも薪を見つけることができたし、どんなに遠くからでも彼の視線を感じ取ることができたはずなのに。

「鈴木。少し休んだらどうだ」
 しばらく隣に立っていても、鈴木が自分に気付く様子がないので、薪は慎重に声をかけた。鈴木はハッとして振り向き、充血で真っ赤になった目で薪の顔を見つめた。
「根を詰めすぎてはよくない。食事はしたのか?」
「ああ」
 素っ気無く言って、再び画面に向かう。そんな鈴木の態度に、薪はますます不安を募らせた。
 いつもの鈴木なら、針の筵のような会議から帰ってきた薪を気遣って、優しい言葉をかけてくれる。根掘り葉掘り訊くことはしないが、代わりに薪の好きなコーヒーを淹れてくれたり、日曜日にどこかへ行こうか、などと気晴らしに誘ってくれたりする。そんな鈴木が、薪の顔もロクに見ないなんて。

 現在、彼の関心を集めているのは貝沼が殺した被害者の画らしい。
 貝沼は、少年のふくらはぎから肉をきれいにこそげとって、肉切り包丁で細かく叩いている。まな板の隣には卵に小麦粉。何をしようとしているのか一目瞭然だ。
 こんな画は珍しくもない。今までに何件も見てきた。しかし、このフリークスな犯行が自分に起因するものであったら、という微かな不安が、薪の精神を追い詰める。乱れた心でその画像を見ることは耐え難く、薪は画面から顔を背けた。

「鈴木」
 MRIマウスから離れない鈴木の手に自分の手を重ねて映像を止め、薪は事の真偽を問い質した。
「滝沢を殴ったって、本当か」

「あいつは!」
 いきなり大声で返されて、薪はびっくりして眼を丸くした。反射的に手を離し、後ろへと一歩退がる。

「あいつはおまえに危害を加えた、だから!」
「そんなに大声を出さなくても聞こえる。鈴木、ちょっと落ち着いて」
「おまえを辱めたからオレはそれが許せなくて!」
 鈴木が自分のことで怒ってくれるのは普段ならうれしいことなのだが、今日のこれは呑気に喜んでいる場合ではなかった。

「薪を苦しめるやつは許さないんだ、オレは絶対に許さない、絶対ぜったいぜったいいいい……」
 鈴木はカッと眼を開いたまま、呪文のように繰り返した。瞬きの回数が、異様に少なかった。喋り方も言葉選びも、いつもの鈴木ではなかった。

 早く休ませないと大変なことになる、と薪は思い、彼を落ち着かせようとして、もう一度彼の手に自分の手を添えた。
「鈴木、僕は滝沢に危害を加えられたりしていない。おまえの誤解だ。僕を襲ったのは豊村だ。彼はもう死んだ。僕を危険な目に遭わせる人間は、この世に存在しない」
 薪が手を握ると、鈴木は少しだけ落ち着いたようだった。マウスを操る手を止めて、大人しく薪の話に耳を傾ける。
 
「昨夜もここに泊まって捜査をしていたんだって? ダメじゃないか、そんな無理をしては。昨日、決めただろう? 1時間につき10分以上の休憩、夜は捜査をしないこと。副室長のおまえに率先して破られたら、僕の立場がない」
 薪はできるだけやさしい口調を心がけて、鈴木を諭した。両手で彼の大きな右手を包んで、彼を安心させようと微笑んだ。熱に浮かされたような彼の黒い瞳が薪を見て、鈴木は幼い子供に戻ったようにカクンと首をかしげた。
「薪……困ってる?」
「ああ、困るよ。鈴木が決まりを守ってくれないと、僕が困る。昨夜の代休だ、今日は自宅でゆっくり休んでくれ」
 送って行ってやりたいが、室長の自分はここを離れられない。研究室にはまだ滝沢が残っている。彼が他の3人と同じ精神状態に陥らないとは限らない。

「仕事が引けたらおまえの家に行くからな。ちゃんと休んだかどうか、直ぐに分かるぞ」
 鈴木をタクシーに乗せて研究室から送り出し、念のため、彼の母親に電話を入れた。詳しいことは話せなかったが、「昨夜無理をしたので、昼間ゆっくり寝かせてください」とだけ頼んだ。

 モニタールームに戻ると、滝沢が一人で黙々と仕事をしていた。
「薪。追加の人員はいつ入るんだ? まさか、俺とおまえとで28件全部見ろって訳じゃないだろう」
 横柄な口調で、ずけずけとものを言う。彼の尊大さが、今はありがたかった。
「なるべく早く入れてくれるように、田城さんに頼んでおいた」
「人任せだなんて、何を呑気に構えてるんだ。無理矢理にでも引っ張ってこいよ、緊急事態なんだから。このままだと俺はカクジツに過労死だ。第九全員死に絶えるぞ」
「僕にはもう、人事権はない。室長を続ける代わりに、色々な特権は剥奪されたよ」
 滝沢は手を止めて、薪の方を見た。何か言おうとして口を開くが、いい言葉が見つからなかったのか、一言も発せずに口を結んだ。

「滝沢。僕はこれから、上野の自宅へ事情を説明に行かなくてはならない。昨日言ったように、必ず充分な休憩を取って、危険だと思ったら見なくていい」
「安心しろ。俺はあいつらとは年季の入り方が違う」
 滝沢は不遜に言い切ったが、あの鈴木でさえ引き込まれたのだ。薪は不安だった。
「とにかく、無理はするな」

 刑事と言う危険な職業について10年以上にもなれば、知り合いや同期の中にも殉職者は出る。しかし、自殺者は初めてだ。それも立て続けに、2人もの部下の自殺を防げなかったなんて。
 彼らはサインを出していた。特に豊村は、あんなに明確なサインを。今思えば、あれは追い詰められた豊村が、自分に助けを求めてきていたのだ。それなのに自分は、自分の心配ばかりして、彼らのサインに気付きながら何の手立ても講じなかった。
 
 滝沢に言われたことは、的外れなんかじゃない。自分の責任は、重い。
 彼らに対して、自分は何ができるだろう。残された遺族に対して、何が。

 自分に課せられた使命、その重責を思うと、息ができないくらい苦しくなる。その上に貝沼による不安要素が重なって、薪は自分の限界をひしひしと感じていた。




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破壊のワルツ(30)

破壊のワルツ(30)





 その夜、約束通り、薪が家に来た。

 鈴木が眠っている振りをすると、彼は謙虚にも親友の顔も見ずに帰った。
 玄関を出て、塀の前で立ち止まると、彼は明かりの点いていない二階の窓を見上げた。鈴木の母親からの差し入れを大事そうに両手で持ち、(多分中身は煮込みハンバーグだ。夕方、その匂いがしていた)長いことこちらを見ていた。
 やがて彼は小さなため息を吐くと、肩を落して帰っていった。鈴木はカーテンの隙間から、その様子をじっと見ていた。

 彼がいなくなると、母親が風呂に入っているときを見計らい、鈴木はそっと家を抜け出した。駅前でタクシーを拾い、研究所へ向かう。
 無人の第九を訪れ、IDカードと指紋センサーで中に入る。MRIシステムを起動させ、自分の席に座ってモニターの電源を入れた。

 24人目の被害者までは見終えた。25人目で薪が止めに来たから、そこからだ。
 少年のふくらはぎで作ったハンバーグをフライパンで焼く貝沼の、何ともいえぬ楽しげな手つきを眺めながら、鈴木は彼のことだけを想う。

 やさしい薪。
 オレのことをあんなに心配して、他の連中のことにも心を痛めて。勝手に死んだやつらのことなんかどうでもいい。薪が気にすることはないのに、あんなにあんなに辛そうな顔をして。
 かわいそうに、オレの薪。
 もう少し、もう少しで全部見終わる。そうしたら、薪に教えてやろう。
 貝沼の事件は、おまえとは何の関係もない。心配しなくていい。それから。
 もう、淋しい思いはさせない。おまえの気持ちは知ってる、だから。
 ふたりで、ずっとふたりだけでいられるところへ行こう。オレたちが何をしても、誰からも何も言われない、何物にも干渉されない、そういう場所に行こう。
 やさしいおまえがその心を痛ませないためには、そうするしかない。
 おまえを永遠に守るには、それしかないだろう?

「あと少しだよ……まき……」

 画面の中では貝沼が、留置所の洗面所で顔を洗っていた。彼は濡れた顔を上げ、小さく濁った瞳で自分の顔を見た。
 次の瞬間。
 彼は鏡の中に、自分以外の誰かを見つけたように、喜びに顔を輝かせた。離れ離れになっていた恋人に再び巡り合ったときの、はしゃぐような笑顔がそこにあった。
 逮捕され取調べを受けている彼の身の上に相応しくない表情に、鈴木は背筋を凍らせる。

 鏡の中の貝沼の唇が、鈴木のよく知った名前を象り始めた。
 それは鈴木に振り下ろされた、最後の槌だった。



*****



 翌、8月10日、深夜。
 科学警察研究所法医第九研究室に、3発の銃声が轟いた。
 狂ったように鳴く蝉の声が木霊する、蒸し暑い夏の夜だった。





*****

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破壊のワルツ(31)

 ようやくラストです~。
 うう、長かったよー、暗かったよー、やっと終われるよー。(←筆者が泣き言並べてどうするよ)

 大海原のように広いお心の女神さま方、
 お付き合いいただきまして、まことにありがとうございました!




破壊のワルツ(31)





 空港のロビーで滝沢は一人、ソファに座って搭乗案内が流れるのを待っていた。
 既に荷物は預けて、身軽な状態だ。手荷物は薄いビジネスバックが一つだけ。これだって、飾りのようなものだ。

 滝沢はソファにもたれ、2時間ほど前に上司と交わした会話を思い出している。すべてを終えた満足感と、為しえなかった後悔が半分ずつ、彼の胸を占めていた。

 滝沢の脳裏で、革張りの黒い執務椅子にふんぞり返るように座って、次長は太い足を組んでいた。短い指をせり出した腹の上で組み、苦く笑って紫煙を吐いた。
「よくやったと言いたいところだが……やり過ぎだ」
 広い執務机の上には、決済待ちの書類が山と積まれていた。『第九研究室』という文字が散見されるところから、あの事件の余波がここにまで及んでいることが察せられた。皮肉なものだ、第九へ滝沢という爆弾を送り込んだ当人が、その後始末に苦労している。

「貝沼事件のことは想定外でしたから」
 慇懃無礼に笑って、滝沢は背筋を正した。
 なんのかんの言っても、次長が今回の結果にほぼ満足していることは分かっている。事実上、壊滅状態に追い込まれた第九研究室の管理責任を問われて、小野田の次長昇進の話はなくなった。加えて、
「小野田の右腕をもぎ取ってやった。あの男も、これでしばらくは大人しくなるだろう」

 官房長の右腕と称されていた中園という参事官が、この秋からロンドン支局へ派遣になった。この人事には裏があって、次長は、何かと目障りだった薪をこの機会に潰しておきたいと考え、彼を懲戒免職にするように査問会に意見していた。それを撤回するよう、小野田が直接交渉に来た。小野田の願いを聞き届ける代わりに、昇進話を辞退することと中園を海外に異動させる事を承服させたのだ。
 なんと言っても、薪はまだ若い。それに、あれだけの事件を起こしたのだ。もう上には登ってこれまい。死に損ないの警視正と、小野田を官房長の座に就けた稀代の策謀家を較べたら、後者の方がよっぽど怖い。

 してやったりの警察庁№2を、滝沢は心の中でせせら笑う。
 警察庁、それも上層部というのは狐狸妖怪の跋扈する世界だ。騙し合いと駆け引き、そんなくだらないものに興味はない。
 滝沢の目的は、初めからひとつだ。

「次長。それでは約束のものを」
 滝沢が促すと、次長は一番下の引き出しを開けて、中から薄いファイルを取り出した。ラベルも表題もついていない黒いファイルを、無造作に机の上に載せる。
「どうしてそんなものが見たいんだ? 食人に興味があるのか?」
 それには答えず、滝沢は強張った手でファイルを取り上げ、開いた。

 カニバリズム事件の報告書。
 やっと手に入った。これを公表すれば、ゆかりも西野も報われる。

 震える手で表紙をめくり、滝沢は貪るようにその書類を読んだ。読んで、呆然とその場に立ち尽くした。
 報告書のどこにも、滝沢が想像した陰謀については書かれていなかった。何故この事件が非公開となったかについては、極限時における食人という行いに対して予想される世間の物議、その影響を危惧して、としか書かれていなかった。

 そんなはずはない、と滝沢は思った。
 これは偽の報告書だ。薪が、あの小賢しい悪魔が、すべての人間を欺いているのだ。あの腐った脳味噌の中だけに、真実を隠し持っている。
 やはり、真実を知るには薪の頭の中を覗くしかない。
 が、これだけの事件の後、薪には監視がつくに違いない。下手には動けない。鈴木が薪を撃ち殺してくれれば、そのチャンスはあったかもしれないのに。まさか鈴木のほうが薪に殺されるとは。シナリオ通りにはいかないものだ。

「君は、貝沼の脳を見て発狂したんだ。しばらく、静養ということで」
 一読した報告書を返して寄越した滝沢に、次長は次の赴任先をメモに書いて渡した。東南アジアの小さな国だった。
「地方の病院に、君の代役を置いておくから」
「本当に休みをいただけるわけじゃないんですね」
「欲しいのか?」
「まさか」
 メモを折り畳んでポケットにしまい、滝沢は尊大に笑った。

「新しく第九に来る人間は、決まったんですか?」
「ああ。この男だ」
 パラパラと書類をめくり、その中から一枚を抜き取って机の上にトンと置く。それは一人の警察官の、経歴書のコピーだった。
 岡部靖文。
 なるほど、捜一のエースを監視役に持ってきたか。捜一から、つまり警視総監の差し金。ということは、警視総監が第九に介入できる余地ができたということか。次長の思惑通り、第九の地位も小野田の権力も、地に落ちたようだ。
「後は所長の推薦で二人ほど。そちらはまだ決まってない」
 次長から得られるすべての情報を得て、滝沢は警察庁を後にした。

 上官しか使ってはいけないエレベーターと通路を使い、誰にも見られないようにして裏庭に出る。通りかかった数人の女子職員にさりげなく背を向けて、滝沢は裏門へ向かった。
 彼女達は警察中、いや、街中で持ちきりの噂話に夢中になっていた。エリート集団第九研究室の壊滅は、ゴシップ好きの彼女達にとって格好の獲物だった。
「薪室長が撃ち殺したんだって」「鈴木さんて、親友だったんじゃ?」「ひどいよね、何も殺さなくたって」「あれ? 正当防衛だって聞いたよ」「にしたって、お咎めなしよ? 官房長が庇ったって」「やだ。あのふたりって、本当に愛人関係なんじゃないの?」
 
 この心無いお喋りが薪の耳に入ったら、彼はどんな顔をするだろう。
 泣くだろうか。苦しそうに唇を噛むだろうか。
 いいや。
 半身を捥がれた薪に、感じる心が残されているとは思えない。もはや、生ける屍。殺してやるのが慈悲と言うものだ。
 しかし、それは今ではない。

 滝沢はふと窓の外を見る。ちょうど中型機が着陸してくるところで、青い空に白い翼が眩しかった。
 飛行機から降りてくる蟻のように小さな人々を眺めながら、滝沢は思う。

 俺は諦めない。いつか、必ず帰ってくる。
 そのときこそ、おまえの秘密を白日の下に曝け出してやる。それまでの短い生を、絶望と共に生きるがいい。それが穢れきったブラックボックスに相応しい人生だ。

 滝沢は視線をロビーに戻し、目を閉じる。
 記憶の中の彼女は、まだ泣いていた。
 当たり前だ。俺は彼女の死の理由を、明らかにする事ができなかったのだから。
 俺が薪の脳を暴くまで、おまえの笑顔は見ることができない。そうだろう?

 目蓋の裏で、彼女は悲しげに首を振った。

 そんなに泣かないでくれ。もう少し、待ってくれ。必ず、俺が真実を。
 滝沢が呼びかけると、彼女は一層哀しげに首を振った。
 ……ちがう? 何が違うんだ、俺が真実を突き止めればおまえは笑ってくれる、そうだろう?
 俺はおまえの笑顔が見たい―――――。

 やがてアナウンスが、滝沢の乗る機体の目的地と便名を告げた。
 滝沢は腰を上げ、薄いビジネスバックだけを小脇に抱えて搭乗口へと歩いていった。


 ―了―



(2011.2)


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破壊のワルツ ~舞台裏座談会~

 久しぶりにやおい以外の小説を書いたので、あとがきを書こうかな、と思ったんですけど。
 しばらく書かないうちに、すっかり書き方を忘れて……もともとあとがきってリアルの文章だから、実はすっごく苦手だったりして。
 なので、主要キャラ3名による座談会の模様を載せておきます。(薪さん、滝沢さん、鈴木さんの3人です)
 暗い気分になっちゃったわ、どこがギャグ小説サイトなのよ? とお思いの方、気分直しにどうぞ。


 なお、こちらを書いたのは4月号が発売される前で、まだ青木さんのお姉さん夫婦の事件の裏が全然わからない状態でした。
 なので、現在の状況とは合わないところもありますが、目をつぶってくださいね~。




 破壊のワルツ ~舞台裏座談会~




 
薪 「ふーん、あの事件の裏にはこんな物語が……って、こわっ、滝沢おまえ、めっさコワッ!!」
滝 「誤解だ、薪。これは話の進行上止むを得なく。基本俺は、おまえの身体に触れればそれで満足な、明るいセクハラオヤジキャラなんだ」
薪 「それもどうかと思うぞ?」
滝 「この話だって、最初から俺に尻を触らせてくれてれば、こんなドロドロした話にならずに済んだのに」
薪 「マジでか。うーん、じゃあ生ケツ触らせてやるから、この話は削除の方向で」
滝 「!!! よし、じゃあ今からでもやり直し、ぐあ!」
鈴 「な・に・を、ノンキなこと言ってくれちゃってんのかな? 死人まで出てるんだよ? オレを含めて」
薪 「鈴木!(ぎゅっ)」←ソッコー抱きついている。
鈴 「薪、元気にしてた?(ナデナデ)」←頭を撫でている。
薪 「うん!(ゴロゴロ)」←喉を鳴らしている。
滝 「……おまえら、舞台裏に来るといちゃつき放題だな」
鈴 「やかましい! オレのこと殺しといて、このぐらいでガタガタ言うなっ!」
滝 「いや、おまえを殺したのは薪」
薪 「うん、滝沢の言うとおり。ごめんね、話の進行上止むを得なく」←棒読み。
鈴 「……いいんだよ、薪……」
薪 「まあ、滝沢も自分の役割を務めたに過ぎないから。せっかくみんなで集まったんだし、楽しくやろうよ」
鈴 「そうだな。オレも大人げなかったよ」
薪 「それにしても鈴木、来るの遅かったね。料理は殆ど滝沢が食べちゃったぞ」
鈴 「やっぱコロス」
滝 「遅れてきたおまえが悪い」
鈴 「るっさい、こっちは天国からの遠距離なんだよ」
滝 「上野と豊村は? 一緒じゃなかったのか」
鈴 「おまえの顔、見たくないって」
滝 「なんてことだ。俺たち、仲間だったじゃないか」
鈴 「自分を殺した人間の顔なんか、普通は見たくないだろ」
薪 「うわあああんっ!!」
鈴 「!?」
滝 「おまえ、ひどいやつだな。何も薪に面と向かって言うことないだろ」
鈴 「あっ、そうか、しまった」
滝 「よしよし、可哀相にな、薪。(ナデナデ)」←セクハラ開始。
鈴 「ちがうよ、薪のことじゃないから」
滝 「わかっただろ、薪。これがこいつの本音だ。俺の方がずっとやさしいぞ。(すりすり)」←エスカレート中。
鈴 「何を吹き込んでくれてんだ、この腐れ外道!! てか、薪から離れろ!」
滝 「それに、鈴木はあっちの方はてんで下手くそだったんだろ? 薪、昔付き合ってた頃、殆ど感じなかったって。(さわさわさわ)」←どこ吹く風。
鈴 「そ、そんなことないよな、薪」
薪 「うん、すごく上手だったよ」←超棒読み+無表情。
鈴 「……嘘の吐けないおまえが好きだよ……」
滝 「俺はテクニックには自信があるぞ。付き合うなら絶対に俺の方が」
鈴 「嘘つけ、ゆかりさんに聞いたぞ。自分勝手なセックスで嫌になるって」 (ゆかり…滝沢の恋人(故人))
滝 「!! お、おまえ、ゆかりとそんな話を」
鈴 「西野くんにも会ったけど。おまえ、暗くて話つまんないって言ってた」 (西野…滝沢の親友(故人))
滝 「…………(TT)(TT)(TT)」
薪 「滝沢、汚い。鼻水つくからあっち行って」
滝 「容赦のない言い方……薪、素敵だ」


*****


薪 「全体的に悲惨な話だったけど、僕的に一番辛かったのは」
鈴 「オレが死んじゃったことだろ」
薪 「じゃなくて」
滝 「俺の悲しい過去だよな」
薪 「それはどうでもよくて」
滝・鈴 「「……ドライなところも魅力的」」
薪 「豊村が」
鈴 「自殺の件か。あれはおまえのせいじゃないよ、てか、殺したのこいつだし」
滝 「襲われたほうだろ。ショックだったんだよな?」
薪 「『室長は男の人に抱かれるのが好きなんだ』って誤解したまま死んだこと」
滝・鈴 「「プライドの高いおまえが好きだ」」
薪 「鈴木。豊村に会ったら、あれは誤解だって言っておいて」
鈴 「ううーん、一応言ってみるけど、誤解を解くのは難しいと思う」
薪 「役立たずは嫌い。出来なかったらおまえとは絶交」
鈴 「そ、そんなあ」
滝 「くくく、いい気味だ」
薪 「滝沢。元はと言えばおまえのせい。天国に行って豊村の誤解を解いて来い」
滝・鈴 「「……身勝手なおまえが愛しいよ」」


*****


薪 「あと、僕がどうしても許せないのは」
鈴 「滝沢が陰でみんなを操ってたことだろ」
滝 「鈴木がおまえを殺そうとして発砲してきたことだよな」
鈴 「実際に人を殺してるおまえに言われたくないぞ」
滝 「おまえこそ、薪が地下倉庫で死にそうになってるときに女医先生といちゃいちゃしてたの、あれ、万死に値するぞ」
鈴 「だれが薪をその状況に追い込んだんだよ?!」
滝 「俺の罪を明確にしたところで、自分の罪は消えないぞ、鈴木!」
滝・鈴 「「~~~~~~~っ、薪、どっちだ!?」」
薪 「滝沢のほう」
鈴 「ほら見ろ」
滝 「うっ……し、しかし、あれは話の進行上」
薪 「滝沢が付き合ってた彼女が、Fカップだったこと」
滝・鈴 「「……自分の気持ちに正直なおまえが眩しいよ」」


*****


  『薪さん、そろそろいいですか?』
薪 「あ、うん」
滝・鈴 「「? 薪、どこへ?」」
薪 「青木が迎えに来ちゃったから。行かないと」
  『鈴木さん、滝沢さん、お話中すみません』
薪 「おまえが謝ることない。僕が迎えを頼んだんだから。
   じゃあね、ふたりともゆっくりしてってね。ボックスの料金、払ってあるから」
滝・鈴 「「ちょ、ちょっと……!」」
鈴 「……どうやら本当の敵は、別にいたらしいな」
滝 「あの若造。ちょっと鈴木に顔が似てるからって、いい気になりやがって」
鈴 「薪も薪だよ、なんでそっくりさんの方へ行くんだよ? 本物がここにいるのに」
滝 「テクニックの違いじゃないのか?」
鈴 「やめろ! そんなに繰り返したら確定しちゃうだろ、それじゃなくても一部の読者の間で『(法十の)鈴木はエッチ下手』説が定着しかかっているというのに!」
滝 「まあ、おまえのヘタレ伝説はどうでもいい。問題はあの若造だ」
鈴 「オレはもう手出しができないからな。おまえに託すしかない」
滝 「任せておけ。あんなガキ、ひとひねりだ」
鈴 「おお、頼もしいな。すでに作戦があるとか?」
滝 「まずは青木の姉夫婦を殺し、彼を精神的に追い込んで」
鈴 「……作者の意図が見えないと思ったら、こんな裏話があったのか」
滝 「ふふふ、原作と二次創作のエピソードは、思わぬところで邂逅するものだ」
鈴 「原作に対する冒涜とも言うが」
滝 「まあ、見ていろ。そのうちあの若造を気が狂うほどに追い詰めて、それを薪が必死になって助けて、そしてふたりの間には誰にも入り込めない強い絆が・・・・・!(身悶え)」
鈴 「……どうしておまえがオレを敵視するのか、分かったぞ」
滝 「ほう。言ってみろ」
鈴 「おまえ、実は『あおまきすと』だろ」
滝 「…………ばれた?」


だったらいいな♪


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春よ、来い(1)

 新しいリンク先のご紹介です。

 もう殆どの方はご存じだと思うのですけど、 
 『ひみつの225』 (←押すと飛べます。)
 の にに子さま に相互リンクを貼っていただきました。

 甘い甘い青薪さんの、漫画・イラストサイトでございます。
 すっごくきれいで色気のある薪さんが満載です。 それと、にに子さんは青木さんフリークなので、青木さんがとても男前なんですよね!! カッコよくてかわいいです♪

 個人的には、にに子さんの描かれるコマ漫画が超好きです。
 デフォルメした薪さんがむちゃくちゃ可愛いの

 リンクから飛べますので、ぜひどうぞ。



*****



 で、こちらのお話なんですけど。
 かなーり昔、リクエストを募ったときの候補のひとつ、「薪さんが、もう青木さんは要らないと思う話」です。

 書いたのは3年前、なんと2008年の10月です。
 最初の予定では、この話が最終話になるはずでした。 薪さんが完全に立ち直って、前向きに歩んでいくラストを書いたつもりでした。
 今読み直してみると、
 …………こっちの薪さんの方が立派じゃん! 書いた分だけ堕落したよ、うちの薪さんっ!!

 もう、今となっては矛盾だらけなラストなんですけど、最初の予定はこうだった、ということで理解してください。
 そのようなSSを公開する理由は、リク募集の際に題名だけとは言え作品があることを明かしてしまったこと、それを読みたいと言ってくださった方が何人かいらしたこと、の他にもうひとつあって、ものすごく昔のことなんですけど、
 みひろさんちの薪さんがカエルが苦手だというSSに「カエルつながりで最終話が書いてあるから、あとで公開しますね」とコメントしたことがあるので、このままお蔵入りにするわけにもいかないかな~って。

 混乱覚悟で晒します。
 本編とは若干設定が異なりますので、カテゴリはADでお願いします。

 3年前の作品なので、文章の拙さと話の荒さは大目に見てください。(^^;




春よ、来い(1)




 薪は重役会議が嫌いである。
 警視正の役職に着任してから何度かお呼びがかかった重役会議だが、下っ端の身分で自分の意見を述べられるわけでもないし、議題の重要性の割に実のある会議内容とも思えない。それは当然のことかもしれない。会議の出席者たちが真剣に考えているのは議題についてではなく、自身の属する派閥の強化だからだ。加えて老人たちは保身のためか、政治家を真似てはっきりものを言わない。第九のディスカッションのほうが遥かに充実している。一度、上層部の老人たちに第九の会議を見せてやりたいくらいだ。
 狸と狐の化かし合いみたいなこの会議で、薪は明日、一つの議案を通さなければいけない。そのため、彼は自宅に帰ってきてまで会議の草案を練っていた。

 薪が机から参考資料を探っていると、引き出しの奥から古い写真が出てきた。
 亜麻色の髪の華奢な男がスーツ姿で黒髪の男の上に乗り、彼のズボンを脱がせて下着に手をかけている。改めて見るとすごい構図だ。
 思わず作業の手を止めて、写真に見入る。
 懐かしい―――― これはまだ薪が第九の室長になる前、準備室室長として第九発足のための様々な職務をこなしていた頃のことだ。
 創立メンバーの人選からMRIシステムの試運転、追加すべき機材とマニュアルの作成。人権擁護団体の強烈な批判に対する回答は完璧に仕上げて上層部へ報告。マスコミの対応も怠りなくこなす――― とにかく忙しくて忙しくて、捜査(しごと)をしているヒマがないというまるで落語みたいな落ちがついた時期だった。

 職員のひとりは始めから決まっていた。発足時のメンバーは室長権限で選ばせてもらえるという話だから、室長の役職を引き受けたようなものなのだ。
 大好きな親友と一緒に仕事ができる。
 それは、捜査一課のエースだった薪を研究所勤務に踏み切らせた大きな理由だった。

 鈴木は以前からMRI捜査に高い関心を示していて、もしかすると薪よりも第九の職務に就きたかったくらいかもしれない。だから薪が声をかけると二つ返事で引き受けてくれた。他のメンバーの人選は鈴木と話し合って決めた。もちろん辞令は上層部から出されるが、事前交渉には鈴木が当たった。人当たりの良い鈴木は、標的となった職員を見事に説得してきた。果たして、第九にはエリート中のエリートが集まり、研究所の頭脳集団などと呼ばれるようになったのだ。

「な、なんですか? その写真!」
 大きな声に、追憶から引き戻される。
 眼鏡をかけた背高のっぽが薪の後ろから写真を覗きこみ、非難めいた声を上げている。まったく面倒なやつだ。誤解ばかりして、その飛躍した思考はいつも薪を苦笑させる。

「何って、見れば解るだろ」
 わざと意地悪く言う薪も薪だが、このパターンに何度も騙される青木も青木だ。
「鈴木さんにはこんなに積極的だったんだ……オレには一度もこんなこと」
 どよよん、と周りの空気を重くしてぶつぶつ言い始める青木に、薪は意地悪な笑いを抑えきれない。
「なんだ。これと同じことをやって欲しいのか?」
「当たり前ですよ。薪さんからしてくれたら、嬉しいに決まってます」
「今は秋だからムリだな」
「は?」
 わけがわからない、という顔をしている。当たり前だ。この写真だけでは、その時の事情はわからない。

「別のことならしてやれるぞ」
 写真を机の上に伏せておいて、薪は色香を含んだ目で青木の顔を見上げる。回転椅子を回して青木の腰をつかむ。ベルトを外してズボンの前を開き、ワイシャツを捲り上げて少し身をかがめ、へその辺りにキスをする。
 青木には残業手当もつけずに、自分の仕事を手伝わせている。見かけよりずっと仕事のできるこの部下の書類は誰よりも手早くきれいで、会議の資料作成の助手にはもってこいだ。これくらいサービスしてやろう。

 下着に手を掛けて中のものを引き出す。右手で軽く握って、口を近づける。
「ま、薪さ……」
 青木がびっくりしている。
 べつに初めてじゃないのに、と薪は思い、しかしすぐにその理由に思いあたる。ベッドの中では何度かしたことがあるが、こんなところで服を着たままするのは初めてだ。それで驚いているのか。かわいいやつだ。

 先端にキスをしてくちびるを開き、咥え込もうとする。が、椅子に腰掛けて屈んだ体勢では角度がうまく合わない。薪は椅子から降りて床に膝をついた。風俗のような位置関係に抵抗はあるが、この姿勢のほうがやりやすい。
目を閉じて口に含む。薪のちいさな口の中でそれはすぐに反応し始めて、たちまち固く屹立していく。そんなにご無沙汰だったかな、と薪は記憶を探る。いや、先週の土曜はここに泊まって朝までさんざん……まだ3日しか経ってないじゃないか。若いってのはこわい。

 さっきの写真に写っていた薪も鈴木も、あの頃は若かった。ちょうど今の青木と同じ年だ。
 これからどんな悲劇が自分たちに訪れるかも知らずに、第九の可能性に、未来に、胸をときめかせていた。あの事件さえなければ、薪は青木とこんな関係にはならなかった。鈴木が生きていたら、きっと彼以外の人間は今も目に入らなかっただろう。

 大好きだった鈴木。
 恋人として過ごした時期もあったが、友人としての時間のほうがずっと長かった。鈴木と雪子と3人で、それはとても楽しくて笑いの絶えない日々だった。

 もう、二度と戻らない。あの日々も親友も。
 昔日の光景が輝いているほどに、現在の寂しさは強くなる。いま、薪には親友と呼べる人間はいない。
 青木はちがう。青木とは友だちにはなれない。

 僕の親友は、生涯おまえだけだな――――― 青木の昂ぶりを口に含み頭を動かしながら、薪はその当時のことを思い出していた。




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春よ、来い(2)

 こんにちは。

 過去作品を読んでくださってる方、拍手をありがとうございます。
 懐かしさに駆られてちらっと目を通しただけでも、拙さと読みづらさが目に付きます。 我慢して読んでくださってるんですね、ありがたいなあ。
 この話も、3年前の作品ですからね。 読み直しのとき、ガシガシ引っ掛かって~~、
 言葉選びが~、文章のテンポが~、直してるとキリがないので、もうこのままで。 すみません。


『ニアリーイコール』にある通り、現在の薪さんはカエル嫌いではありません。 動物園に行くと熱心に見てますからね。 
 昔、嫌いだったんです。

 ↓↓↓ こちら、その理由でございます。 うちの薪さんて、ほんと不憫。(笑)




春よ、来い(2)




 ソレを見た途端、薪は室長席から立ち上がり、2mほど飛びのいた。いつも冷静な彼らしからぬ、過敏な反応である。
「なに。おまえ、こんなもんが怖いの?」
 梅雨の時期にはおなじみの、緑色のつやつやした小さな両生類。何故そんなものが第九準備室の室長室に入り込んだのかは不明だが、薪のこの反応はなかなかに面白い。
「へええ。薪の弱点、みーっけ。みんなにバラしてやろ」
 鈴木の目が子供のように輝く。普段、仕事でやり込められてばかりいる薪に仕返しができるチャンスだ、と思っているのがミエミエだ。

「怖いんじゃなくて、キライなんだ! おまえだって僕と同じ目に遭えばわかるさ!」
「同じ目ってどんな目だよ」
「……言いたくない」
「言わなきゃ分かんないだろ」
「いいよ、分からなくて。ていうか、解って欲しくない」
「なんだよ、教えろよ。オレとおまえの仲だろ」
 あの手この手で薪の口を割らせようとするが、そこは頑固な室長のこと、鈴木ごときの甘言に篭絡するほどやわではない。
 しかし、これは聞き出さねばなるまい。捜査官として真実の追究は職務である。

「じゃあさ、それ話してくれたら、オレもおまえと同じ目に遭ってやるから」
「ほんとだな?」
 鈴木の申し出に、薪の目の色が変わった。
 少し嫌な予感はしたものの、この時点の鈴木には好奇心のほうが大きい。力強く頷いてきっぱりと断言する。
「男に二言はない」
 鈴木の言葉に薪は、しぶしぶという口調で白状した。

「僕、子供の頃、身体が小さかったから近所の子供に苛められててさ」
 薪の身体が小さいのは今もだが、ここは黙っておこう。
「下着の中にコイツを入れられたことがあるんだ。それ以来、気持ち悪くって見るのもイヤだ」
 …………聞かなきゃよかった。

「鈴木、僕と同じ目に遭うって言ったよな?」
 取調室仕様の凄烈な表情と口調で、室長は冷ややかに言った。見るのも嫌なはずのカエルを白い手のひらに載せて、鈴木の目の前に突き出す。
「おまえ、カエルさわれんじゃん」
 ひとに意地悪をするためなら生理的嫌悪すら抑え込める。まったく、彼の意地悪は筋金どころか鉄骨入りだ。

「入れてもらおうか」
「いや、ちょっと待ってくれよ。だって子供の頃の話だろ、それ。今はいろいろと事情が違う、っ!」
「男に二言はないんだろ」
 この上なくきれいに微笑んだ室長を見て、鈴木は自分の愚かさを激しく後悔した……。



*****



 室長室から漏れ聞こえてくるただならぬ騒音と怒号に、第九準備室では全員がパニックに陥っていた。
『覚悟しろ、鈴木!』
『た、頼む、薪! やめてくれ!』
『往生際が悪いぞ。さっさとズボン脱げよ』
『それだけはカンベンしてくれ!』
『おとなしく入れさせろ!』
『だれか助けてー!』
 仕事どころではない。どう聞いても鈴木があぶない。
 しかし、このドアを開けて良いものかどうか。あまりのきわどいセリフの応酬に、全員が二の足を踏んでいる状態だ。まともにその場面を見てしまったら、中の二人もこちらもこれから顔を合わせづらいではないか。

「あの2人、仲がいいとは思ってたけどやっぱりそういう関係?」
「でも、室長のほうが男役だなんて意外だよな」
「あの世界は見かけとは逆だって言うからな」
「やばいぞ、鈴木。ズボン脱げとか言われてるぞ。ここで始めちゃう気かな」
「まさか」
「だって室長、入れさせろとか言ってるぞ」
「なにを」
「なにっておまえ」

「どうしたの? みんなでドアにくっついて。新しい遊び?」
 第九には珍しい女性客の声に、職員たちは一斉に蒼ざめる。
 背の高い白衣の美女。法医第一研究室の実力ナンバー1、三好雪子女史である。手にはピザの箱を4つも持っている。どうやら差し入れに来てくれたらしい。
 しかし、なんて間の悪い。雪子は鈴木の恋人なのだ。

「先生は知らないほうがいいです!」
 焦りまくる第九の職員たちに倣って、雪子は室長室のドアに耳をつけた。
 中で起こっていることに察しがついたのか、目を丸くする。が、さすがは冷静が売り物の監察医である。すぐに平静な顔に戻って、ピザの箱を静かに机の上に置いた。あまりのショックに泣き出すのでは、という職員たちの心配は杞憂に終わったようだ。

 雪子は白衣のポケットに手を入れて何やら探っていたようだが、目的のものが見つかったらしくにやりと笑った。迷うことなく室長室のドアノブに手をかける。
「み、三好センセ……今は駄目です!」
 職員の必死の制止も聞かず、雪子はドアを開けた。俊敏な動作で中に入り、ドアを閉める。

 室長室には2人の男と1人の女。1人の男を男女で取り合って、おそらく泥沼のような三角形が描かれているはずだ。
 これから起きる修羅場を予測して、第九の面々はますます顔を青くしたのだった。



*****



 パシャパシャッ、とカメラのシャッターが切られる音で薪は手を止めた。
 寝椅子に仰向けになった鈴木の上に、薪が馬乗りになっている。鈴木の状態はといえば、既にベルトを外されズボンの前を開けられて、下着のゴムに薪の華奢だが強い手がかかっていて。あと1秒で放送禁止の画面に切り替わりそうだ。

「雪子! 助けてくれ、薪に犯される!」
「なっ、ち、違います、雪子さん! これはそのっ」
 薪が慌てて鈴木から離れる。恋人の鈴木よりも、雪子への気遣いは細やかだ。薪は昔から、雪子にだけは頭が上がらないのだ。
「って、写真撮るの止めてくださいよ!」
 シャッターチャンスは逃さないのが雪子のポリシーだ。白衣には愛用のデジカメがいつも忍ばせてある。これまでもこのふたりの迷場面は、悉くカメラに収めてきた雪子である。こんな面白い場面を見逃せるはずがない。

「なんか、外がえらい騒ぎになってるわよ」
「え? どうしてですか?」
 分かっていない。いかにも薪らしい。
 今回のこれはけっこうきわどいが、このふたりのことだ。何か面白い理由があるに違いない。雪子はわくわくしながらその理由を尋ねた。

「聞いてくれよ、雪子。薪のやつ、子供のころカエルをさ」
「鈴木!」
 うっとりするほど美しい曲線を描く頬を真っ赤にして、薪が鈴木の言葉を遮る。どうやら薪の子供時代には、恥ずかしい秘密があるらしい。
 これは是非とも聞き出さねば。真実の追究は監察医の職務だ。
 ……長く付き合っていると、恋人同士の考えは似てくるものであるらしい。

「薪くん、まさか本当に鈴木くんを襲って? ひどいわ!」
「誤解です、雪子さん! 実は」
 写真まで撮っておいて今更だが、雪子は白々しく悲劇のヒロインを演じてみせる。他の女性なら放っておく薪だが、雪子だけは特別だ。雪子は薪の柔道の師匠であり、恩人であり、大学時代からの大切な友人なのだ。
 言葉に詰まりながらも、事情を説明してくれる。薪の子供時代のことには笑ってしまったが、やっぱりそんなことかと納得した雪子である。

 このふたりが昔、そういう関係だったことは知っている。しかし今、鈴木は雪子の恋人であり、薪は大切な友だちだ。二人とも雪子に対しては誠実で、とてもやさしい。
 だから雪子も余計な詮索や勘ぐりはしない。そんなものは人と人との間に必要ではない。必要なのは信頼と愛情だ。それを解っていても疑ってしまうのが女という生き物だが、雪子は違う。それを実践できる強さを雪子は持っている。その強さが彼女の魅力だ。

「じゃあ鈴木くん、頑張らなきゃ」
「へっ!?」
 薪と目を合わせて、雪子がにやーっと笑う。
「有言実行する男って、カッコイイわよね」
「そうだぞ、鈴木。男をみせろよ」
「お、おまえら……!」
 鈴木が青くなる。この二人がタッグを組んだら、鈴木にはとても太刀打ちできない。二人とも柔道は黒帯なのだ。

「もう、カエルなんかどこかへ行って」
「これでしょ」
 いつの間にか雪子の手の中に小さな両生類が握られている。薪は嬉しそうに小さな手をすり合わせ、低い姿勢を取って鈴木の背後に回った。
「たすけてくれー!!」
 薪が鈴木の背後から太い首を両腕で固め、雪子が鈴木の上に片足を乗せて押さえ込む。
 雪子の手から緑色の生き物がピョンと跳ねて、次の瞬間、すさまじい男の悲鳴が準備室に響き渡った。
「ぎやああああっ!!」

 鈴木の命があぶない――――― 決死の覚悟で飛び込んで来たであろう第九準備室の職員たちの前で、雪子は薪と一緒に腹を抱えて笑い転げていた。



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春よ、来い(3)

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春よ、来い(4)

こんにちは。


『青木さん、要らない子』 のお話、こちらでラストでございます。

読んでいただいて、ありがとうございました。






春よ、来い(4)






 夜中に目を覚まし、薪はゆるゆると身を起こした。

 青木はよく眠っている。
 年を重ねるほどに、こいつは男っぷりがよくなる。惚れた欲目なのか、最近はつい、見とれてしまうほどカッコイイと思うときがある。
 そんなことを考えている自分に苦笑して、薪はそっとベッドを抜け出した。

 夜中はさすがに冷える。厚手のパジャマの上にガウンを着込み、キッチンに行ってインスタントコーヒーを濃く入れる。明日の会議の資料作りが途中だ。今夜中に仕上げなければ。
 どんな時でも仕事の手は抜きたくない。自分は鈴木の遺志を継ぐと決めたのだ。

 作業の続きをしようと机に向かうと、机の上にはホチキス止めされた会議資料が積み重ねてあった。何部かは見本に作ったが、人数分のコピーはまだしていなかったはずだ。
 一部を手にとって確認してみる。
 薪が何枚か駄目にしてしまった書類も打ち直されて、途中だったはずの参考資料からの抜粋も完璧に仕上がっている。
 ホチキスの止め方に特徴がある。きっちりとした真横止め――― 青木だ。
 自分が眠っている間に仕上げをしておいてくれたのか。ここまで出来ているのなら、あとは自分のPCに入っている草案のチェックだけだ。

 仕事を始める前に、薪は机の一番下の引き出しから写真立てを取り出した。青木が来るときには隠してある写真の中の親友に笑いかけ、自分の誓いを新たにする。
「鈴木。僕は上に行くからな」

 親友の野望を知った2年前から、薪はそれまで興味のなかった出世に積極的になった。
 上層部に媚びへつらったり、自分のプライドを切り売りしたりするほど貪欲になったわけではないが、特別承認や昇格試験を受けることは拒否しなくなった。薪のことを目に掛けてくれている官房長の引きもあって、薪は来年には警視監の昇格試験を受験できる手筈になっている。そのための勉強も既に始めている。今度は大学のときに受けた国家Ⅰ種のように、簡単な試験ではない。
 エリートの登竜門の国家公務員Ⅰ種試験を簡単だと言い切る薪の頭脳はやはり人間離れしているが、その薪にしてみても警視監の昇格試験はきつい。薪が過去の問題を見てヤバイと思ったのは、実はこの試験が初めてだ。

 試験勉強もしたいが、とりあえず今は明日の会議だ。
 会議は嫌いだが、出世のためには仕方がない。自分の顔を売って有能さをアピールして、自然に重要なポストを手に入れるようにしなければ。そのためにはしっかりとした会議資料を作り、重役たちに提供してやることだ。

 PCの電源は入ったままになっていた。マウスを動かすと、画面が明るくなる。……訳の分からない文字の羅列が、最後のページに打ち込まれている。
 これは……自分でやったんだな、きっと。あいつがヘンなことしてくるから、夢中でいろんなところを叩いちゃったんだ……。
 ひとりで赤くなりながらその部分を消去して、薪は気持ちを切り替えた。

 キーボードの上を細い指が瞬速で走る。
 明日の会議の焦点になるであろう、テロ対策マニュアルについての明確な具体案がいくつも打ち出され、投げかけられるであろう質問に対する答えが薪の頭の中で反芻される。回答を裏付ける資料を、自己が記憶する膨大な犯罪関連の記録の中から探り当てる。警察庁のデータベースにアクセスし、自分の記憶を確かめると同時にその文献をプリントする。
 夜中の薪の努力を、写真の中の親友だけが見守ってくれていた。



*****




 翌日の会議は10時からの予定を10分ばかり超過した。
 どういった風の吹き回しか、滅多に会議には顔を出さない小野田官房長が、今朝は出席するとの意向を伝えてきたからである。
 コーヒーを飲んでいくから少し待っててね、と会議室の電話から小野田ののんびりとした声が聞こえてきて、全員が席に着いた状態で主賓の到着を待つことになった。

「やあ、ごめんごめん。待たせちゃったね」
 全員が立ち上がって頭を下げる。官房長の席は一番奥だ。が、小野田は途中で足を止め、この会議室の中にあっては若さで悪目立ちする、亜麻色の髪の警視長に話しかけた。
「今日の会議、君が主役だって聞いたから。我儘言って出てきちゃった」
「あとで僕が中園さんに叱られるんですね」
「中園は君を気に入ってるから、叱ったりしないよ。でも昼飯には付き合わされるかもね。ぼくにも資料ちょうだい」
 こそこそと身内の会話を交わして、資料を手渡す。いろいろあって、薪は官房長にも主席参事官の中園にも目を掛けてもらっている。それを快く思わない輩もこの部屋の中には多いが、小野田以上の高官が此処に存在しない以上、誰も表立って薪を責めることはできない。

「それでは会議を始めます。お手元の資料をご覧ください」
 今日の司会は薪だ。
 テロ対策は、警察庁における新しい取り組み課題である。複雑化する国際社会の中で、テロ対策に一歩遅れをとる日本を憂えた総理大臣直々の命令で、警察庁が新たな対策を練ることになった。これは官房室から薪に与えられた、大きな課題である。
 この草案が通れば、薪の才覚の程は上層部のその上まで届く。薪の警視監昇任に文句を言う者もいなくなる。外野は実力でねじ伏せる――― これは官房長の指示だ。
 薪はできれば敵は減らしたいと思っているが、なぜか年々増える一方である。困ったものだ。まあ、小野田のような強力な味方も増えているから、差し引きはマイナスではないが。

 薪が用意した会議資料は完璧だった。草案もかなりの完成度で、法律の専門家が見てもこのまま法案として通用するのではないか、と思われるくらいだ。
 しかし、そう簡単に通してはくれないのがこの会議である。ここは建設的に議論を交わす場ではなく、互いの足を引っ張り合い、自分が上に行くための土台を築く場所だからだ。

 案の定、薪の流暢な説明を遮って、警備室局長の立花が口を挟んできた。
「そう簡単にいくかね。実際の現場も知らない君のような人間が、SPの訓練にまで口を出すというのはどうかと思うがね。彼らは能力も高いが、プライドも高いからね」
 SPの所属は警備室4課であるから、警備室局長の意見も無理はない。しかし、薪は4課の課長とは既に何度も意見を摺り合せている。局長には課長からその報告書が上がっているはずだから、これは明らかに薪に対する牽制だ。

「資料の5ページをご確認ください。そこにあるように、今の日本のSPは海外のものに比べて甘すぎます。訓練段階からの改善が必要です。訓練の内容については、4課の木村課長と話し合いの上で決定しました。それに、これは官房室の草案です。私個人の名前は出ません。警備部側の反感はないと思われます」
「しかし君ね」
 なおも言い募ろうとする警備部局長を、小野田がやんわりと制した。
「いいんじゃない。これ、よくできてるよね、立花君」
「……はあ」
「草案はぼくの名前で出すから。そうだよね、薪くん」
「はい」

 この場ではそう言ったが、小野田との間には既に密約が交わされている。
 草案は連名でという小野田の申し出を、自分の若輩を理由に最初は断った薪だったが、これは官房長命令だから、といつものように押し切られてしまった。重役会議の席では官房長の名前で提出することにしてその場を凌ぎ、そのあと薪との連名で出せばいい。
 出してしまえばこっちのものだ。小野田らしい人を食った作戦だ。

 ひとより10年も早く警視長に昇任した薪には、敵が多い。薪の昇任は官房長の特別承認がきっかけであり、昇格試験の結果で周囲を瞠目させた明晰な頭脳のおかげだ。薪は初の警視長昇格試験の現役合格者であり、最高得点記録保持者だった。
 が、その結果に感服しないものも多い。試験の結果だけで警察の仕事が務まるわけではない。頭でっかちの生意気な若造――― 薪をそういった眼で見る重役たちに囲まれての会議は、薪にとっては針の筵だ。末席に端坐していてもその状態なのに、今日は自分の議案を通すため、主役を務めなければならない。
 そんな薪を心配して、小野田は殺人的なスケジュールを調整してここに来てくれたのだ。コーヒーを飲んでから、などと電話では呑気なことを言っていたが、それはもちろんフェイクで、本当は急ぎの書類をやっつけて駆けつけてくれたに違いないのだ。

 薪の提案に反発する重役たちを次々と丸め込む小野田を見て、薪はそれを確信した。
 それほどまでに自分を買ってくれている小野田に、何としてでも報いたい。来年の警視監昇格試験は必ずパスしなければ。それぐらいしか今の薪には、小野田を喜ばせる方法が見つからない。
 何度か打診のあった愛娘との結婚話を承諾してやれれば一番良いのかもしれないが、そうすると今度は、普段は大人しいくせにキレるととんでもない行動に出る薪の困った恋人が、何をしでかしてくれるか分かったものではない。薪にもそんな気はないし、愛のない結婚なんて相手にとっても悲劇でしかないだろう。

 会議は2時間ほどで無事に終了し、草案はこのまま内閣に提出されることになった。草案自体のレベルの高さもあるが、やはり小野田の力は大きい。
 会議が終了した後、薪は小野田に深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「礼を言うのはぼくのほうだよ。この段階で、ここまで煮詰めたものを持ってくるとは思わなかった。法学部の教授に声を掛けといたんだけど、必要なかったみたいだね」
「専門家に見ていただけるならありがたいです。僕の法律の知識には、かなりのブランクがありますから」
 薪は今年で41歳。いくら薪が東大の法学部を首席で卒業したとはいえ、20年も前の知識では、この草案は作れない。この草案の為に薪がどれだけの時間を法律の習得に費やしたか、小野田にもよく解っている。だからこその労いの言葉なのだ。

「この資料は、もらっちゃっていいのかな」
「はい。後でもっと詳しいものをお届けしますが、今日のところはそれをどうぞ」
「本当にもらっていいの?」
 小野田の含みのある言い方に、薪は首をかしげた。
 なんだろう。こんな回りくどい言い方をする人ではないのだが。
 周りに誰もいないのを確かめて、小野田は一枚の写真を薪に見せた。
「――― っ!!」

 例の写真だ。
 小野田のところに配布されたのは不幸中の幸いというべきか、神様の悪戯というべきか。どちらにせよ、薪は穴があったら入りたい。顔から火が出そうだ。

「この写真も僕がもらっていいのかな」
「いや、あのっ、違うんです、この写真はカエルが」
「蛙?」
「つまりその」
 薪は言葉に詰まる。
 とても説明できない。この写真が資料に混ざってしまった本当の理由は、もっと言えない。

 薪が親友に襲い掛かっているようにしか見えない写真を返してよこすと、小野田は少しだけ真面目な顔つきになって言った。
「この資料、君んとこの部下と一緒に作ったんでしょ。もちろん原案は君だろうけど、ホチキスの止め方が違う資料があったから」
 自分の席に着くまでに他の出席者の席を見て、そこまで気付くとは。やはりここまで上り詰める男は、凡人ではないのだ。
「気をつけなさいよ。君は敵が多いんだから。ぼくの力にも限界があるんだよ」
「……すみません」

 小野田の心配はよくわかる。
 自分と青木の関係を、この頼りになる上司は知っている。その上で見逃してくれている。それは薪の実力を認めて自分の後継者に育て上げたいと思っていることと、青木の存在が今の薪を支えていることを察しているからだ。

「このミスは高くつくよ」
 小野田の固い声音に、薪の秀麗な眉が不安げに寄せられる。何を言われるかも怖いが、彼に余計な心配をかけてしまったことが悔やまれる。
「中園との昼食に、ぼくも混ぜてもらうとしよう。もちろん薪くんの奢りで」
「……何を召し上がりますか?」
 いつもの口調に戻った小野田に、薪は苦笑で応えた。どうやら今日も、小野田は自分を見逃してくれる気らしい。
「職員食堂のSランチ」
「そんなのでいいんですか?」
「おいしいよ、あそこのランチは」
 本当に職員食堂で食事をする気だろうか。官房長と首席参事官が席に着いたら、その周りの職員たちは食べた気がしないだろう。……面白そうだ。
 
 小野田は中園を携帯電話で呼び出すと、カフェテリアで落ち合う約束を取り付けた。立ち上がって管理棟の方へ歩いていく小野田に、薪も後ろから着いて行く。
「そうだ。あの写真のことは、中園には黙っといたほうがいい?」
「できればその方向でお願いします」
「じゃあ、口止め料にケーキも食べていい?」
 どこまでも惚けた男だ。余裕のある男はカッコイイ。自分もこれくらいの余裕を持ちたいものだ。

 しかし。問題はこの写真だ。
 確かあのとき、机の上に伏せて置いた。その後、青木があんなことを……気がついたら資料が幾枚もくしゃくしゃになっていたし、PCには訳の分からない文字が打ち出されていたし、きっとこの写真も無意識のうちにレジュメに混ぜてしまったのだろう。

 青木のやつ、どうしてくれようか。
 仕掛けたのは自分の方だったはずだが、薪の思考にはそれはない。自分はちゃんとしたのに、一度で満足しない青木が悪いのだ。

「あ、薪くん。写真のことは黙っててあげるけど、その首の方はうまい言い訳を考えときなさいよ」
「は?」
「ほら、ここ」
 ワイシャツの後襟を引かれ、その奥を指で差される。深く頭を下げないとわからない位置だが、さっき小野田に礼を言ったときに見えてしまったらしい。
 小野田の言う意味がようやく分かって、薪は今度こそ真っ赤になった。
 あれほど痕はつけるなっていつも言ってるのに……青木のやつ!
「若いっていいねえ」
 もう、何も言えない。うつむいて手で顔を隠すのが精一杯だ。

 春になったら、と薪は決心する。
 もしも春まで自分たちの関係が続いていたら、青木をこの写真の親友と同じ目に遭わせてやる。雪子さんと岡部にも手伝ってもらって、押さえつけて無理やり中に突っ込んでやる。雪子さんはまた写真を撮るだろう。そうしたら、小野田さんを心配させる写真がもう一枚増えることになるな、と薪は心の中でにやにや笑う。

 そんなふうに。
 思い出を重ねて、触れ合って。人は生きていくのだ。

 ――― 鈴木。僕はまた一歩、おまえに近づくぞ。

 明るい日差しに包まれたカフェテリアの窓際の席で、中園が待っている。薪を見てにっこりと笑う。自然に浮かんでくる微笑と共に、薪は首席参事官に会釈する。
 秋空が今日も、青い。



―了―



(2008.10)



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言えない理由 sideB(1)

 新春より当ブログにお越しのみなさま、ご来訪ありがとうございます。
 本年もよろしくお願い致します。
 この「よろしく」の内容を平たく言いますと、やっちゃいましたなSSにも目をつぶってください、ということで……今年も生温い眼で見てやってくださいねっ!!


 で、早速『やっちまったなSS』第一弾、すずまきさんの失恋話でございます。(松の内も明けないうちからすみません)
 うちのすずまきさんは、大学時代に1年くらい恋人として付き合っていたのですけど、薪さんが鈴木さんに振られる形で別れてしまいまして、その経緯を薪さん視点から書いたのが『言えない理由 sideA』でございました。 
 こちらはその逆バージョン、鈴木さんサイドから見たお話です。 どっちにせよ、別れちゃうことに変わりはないんですけど。(身も蓋もなくてすみません)



 こちらのお話、鈴薪強化月間参加作品 となっております。
 みなさまにはご存知の通り、にに子さんのブログ 『ひみつの225』 にて、鈴薪強化月間実施中でございますが、図々しくも、それに乗っけていただきました♪ (←ポチると飛べます)

 にに子さんとは、一緒に鈴薪強化月間を盛り上げよう! とお話いたしまして、1月の公開と相成りました。
 わたしはあおまきすとですが、すずまきさんあってのあおまきさんであって、薪さんが鈴木さんに恋をしていなかったから、薪さんが鈴木さんを殺めていなかったら、薪さんは青木さんに恋をしなかったと思ってます。 青木さんも、あそこまで薪さんに心酔しなかったんじゃないかと。 
 もちろん、これはあおまきすとにあるまじき考えだということは承知しております。 だって二人は運命の二人だから、どんな状況で巡り合ったとしても恋に落ちるに違いない、というのが正しいあおまきすとの考え方ですよね。
 だけどわたしには、そうは思えなくて。
 あのふたり、運命じゃなくて必然だった気がするんですよね。

 にに子さんのところの鈴薪強化月間に参加させていただこうと思ったのは、そう言った理由で、わたしがすずまきさんを重要視しているからです。
 以上、声明でございました。

 
 え、しづの本音?
 そんなん決まってんじゃん、うちのS話で傷ついた読者さんを、にに子さんの甘いすずまきさんで癒してもらいたいなって。 ←こすっからしい。
 
 ということで~、みなさま、うちの話を読んで「なんやこれ」と思われましたら、にに子さんのブログへダッシュ!!
 なお、しづの人の道に外れた魂胆は、にに子さんにはナイショにしてくださいねっっ!! ←非道。





言えない理由 sideB(1)






 爽やかな秋晴れの休日。
 鈴木は薄手のブルゾンのポケットに両手を入れて、ジーンズに包まれた長い足を軽やかに動かしていた。
 鈴木が向かっているのは、鶯谷の学生向けのアパートで独り暮らしをしている友人の家。今年の春知り合って、現在は一番の親友になった男の家だ。

 もうすっかり見慣れたドアの前に立ち、右手のチャイムを押す。すぐにドアが開いて、友人が姿を現わした。
 ドア口から顔を覗かせた彼は10月の潔い太陽光に照らされて、階段の下から吹いてくる秋風より涼やかに、鈴木を見てにこりと笑った。
「いい天気だぜ、薪。どっか行こうか?」
「やだ。部屋でゲームしたい」
「え~、またかよ」
「じゃあ、ビデオ観る。それか読書。とにかく、家の中がいい」
 頑固に言い張る自分勝手な親友に、鈴木は「はいはい」と頷く。言うことを聞いておかないと後で自分の頼みも聞いてもらえなくなるから、これはいわゆる妥協だ。

 主に促されて部屋に入り、鈴木が居間兼居住スペースのカーペットの上に置かれたクッションに腰を落ち着けると、キッチンからコーヒーと菓子を持って薪が現れる。レモン風味のパウンドケーキにコンソメ味のポテトチップ。さすが親友、オレの好みを解ってる。
 テレビの配信管理画面を開いて作品を物色し始める親友の背中を見て、こいつはこんなに極端なインドア派だったかな、と鈴木は思う。
 確かに本が好きで、室内でのゲームや映画鑑賞を好むタイプだったけど、以前はもっと頻繁に外へ出掛けていたような気がする。それともあれは、まだそれほど親しくない友だちに対する遠慮だったのだろうか。
 昔から友人の多い鈴木だが、この友だちは少し特別だ。とびきりの頭脳と容姿、そして誰にも真似できない独特の思考回路を持っている。薪の考えていることは、実のところ鈴木にもよく分からないことが多い。だからこそ面白いのだが。

「鈴木。なんかリクエストある?」
「女子アナ水着大運動会」
「……そのジャンルは登録されていません」
「なんで。基本だろ、男なら」
 薪の家のビデオ配信設定ジャンルは、本格推理もの、冒険アドベンチャー、動物感動もの。イロケのイの字もない。
「鈴木の家にはあるのか?」
「もちろん。オレの部屋のテレビのジャンル設定は、セクシー系、萌え系アニメ、アダルト映画の3つだ」
「……ヒロ兄、さいてー」
 鈴木の幼い妹の呼び方を真似て、薪が軽蔑しきった顔をする。
「おやおや。コドモの薪くんには、女の子のビキニ姿の騎馬戦は刺激が強すぎるのかな?」
「べつに。そんなの平気だけど。アダルトジャンルは有料だから、それだけ」

 薪は親元を離れてひとり暮らしをしている。仕送りはあるのだろうが、彼の読書量を勘案するに、多分ぜんぜん足りない。
 女子がデパートで洋服を買いすぎてしまうように、薪は本屋に入るとふらふらと本の背表紙に惹かれて行って、最終的にはびっくりするくらい大量の本を買い込む。1回に20冊くらいは平気で買うのだ。それを月に何回か。毎朝見かけるたびに違う本を持っていることが、鈴木には信じられない。

 鈴木の求める作風のものはここにはないことを悟った薪は、冒険活劇のカテゴリからひとつの作品を勝手に選び、スタートボタンを押した。軽快な音楽に乗って、主人公の青年とヒロイン役の美女が姿を現す。
 ジャングルの奥地に隠された秘宝をめぐるアドベンチャーだか何だか、そんな話らしかった。ストーリーは平凡だが、アクションシーン満載で純粋にワクワクする。こういう映画には付き物の主人公とヒロインの恋愛にしても、冒険を通してふたりが惹かれあう様子が自然に描かれていて、これなら恋愛映画としても楽しめそうだ。
 彼らの気持ちは秘宝に辿りつく直前に最高潮を迎えたようで、明日は洞窟の中に入る、という前夜、一緒のベッドに入ることになったらしい。胸の大きな金髪のヒロインが服を脱ぎ、鈴木が身を乗り出すと、隣にいた親友が席を立った。

「どこ行くんだよ?」
「コーヒーのお代わりを。あ、止めなくていいよ、先に進めちゃって」
 そんなもったいない、と思わず突っ込みたくなるのを堪えて、鈴木は停止ボタンを押した。
「待ってるから、早く持ってこいよ」
「いいよ。別に見たくないから」
 19歳の男が、こういうシーンを見たくないなんて、正気とは思えない。が、思い起こしてみると、薪はこういう場面がテレビに映ると自然に席を外すことが多かった。鈴木が悪友たちとナンパの成果を自慢し合うときも、黙って聞いているだけだった。薪は顔立ちも雰囲気も上品で、そういう話題にはそぐわない男だったから、その場では誰も無理に聞こうとはしなかったが、みんな気になってはいたのだ。つまり、薪の女性経験だ。

 新しいコーヒーを持って帰って来た親友に、鈴木は軽い調子で尋ねてみた。
「薪。おまえ、もしかして女の子としたことないの?」
「あ、あるよっ、僕にだって!」
 コーヒーカップを倒しそうになるほどうろたえて、薪は頬を赤らめた。その顔は鈴木以外の友人たちが同席しているときの表情とは、まるで違っている。鈴木の前でだけ見せる、薪の素の顔だ。

「へえ。いくつのとき? 相手は?」
「こ、高校三年のとき。相手はクラスの娘で」
「同級生かあ。どうだった?」
「そ、それが……あんまり、うまくいかなくて」
「なんだよ、何やらかしたんだ?」
「……笑わない?」
 うっすらと桜色に頬を染め、ちらっと上目遣いに見上げてくる親友の顔に、どきんと心臓が脈打つのを感じて、鈴木は焦る。こいつって、本当に可愛い顔してる。思わず性別を忘れてしまいそうだ。

「笑ったりしないよ。オレだって最初は、相手にリードしてもらったもん」
「そっか、相手が大人の女性なら良かったのかも。僕は同い年の娘だったから、相手も初めてだったみたいで。どこに入れたらいいのかよく解んなくって、だけど女の子のハダカ見てたら興奮しちゃって、入れる前にその」
「―― 未遂暴発?」
 赤い顔をしてこっくりと頷く薪を見て、鈴木は大声で笑い出した。約束を違えた鈴木に、恥ずかしそうに俯いていた薪が目を剥いて怒り出す。

「笑わないって言ったじゃないか! うそつきっ!!」
「だ、だっておまえ、それ……ぶはははは!!」
「鈴木のバカ――ッ!!」
 顔やら胸やらを、小さな手がめちゃめちゃに叩いてくる。まるで子供が癇癪を起こしているみたいだ。ホント、可愛いやつ。
「だれかに言ったら承知しな、って、なにチェーンメールで回してんだよ!!」
「いや、これきっと今年のグランプリだぞ」
「なんの!?」

 鈴木は薪の拳を避けようと、床に転びつつも笑い続けた。メールはもちろんフリだけ、こんな可愛い薪を他の誰にも見せたくない。だけど真っ赤になって怒る薪の姿はもっと見たいから、鈴木は携帯のフラップを閉じない。
 仰向けになった鈴木の腹の上に跨るような体勢になって、薪は鈴木の頬を思い切りつねる。それでも鈴木が笑いを収めないと知るや、薪はため息をついて鈴木の上から退いた。

「どうせ僕は、遅れてるよ」
「そんなことないって。てか、遅れてるとか進んでるとか、そういうもんじゃないだろ。薪が本当に好きになった人とすればいいんだからさ。焦ることないよ」
 膝を抱えて落ち込みのポーズを取る親友を、鈴木は慌ててフォローする。ここでこいつに機嫌を損ねられたら、週明けに提出予定のレポートは絶望的だ。
「付き合い始めて3日でやっちゃう鈴木に言われてもなあ」
「オレの祖先、イタリア人だから」
「ウソ吐け! 大和民族代表みたいな顔してるくせに」
「うおっ、気にしてるのに! いいよな、薪は。ハーフみたいで、カッコよくて」
 薪の亜麻色の髪や瞳は、太陽に照らされるとキラキラ光って、角度によっては金髪にも見える。それが不自然に見えないくらい、白い肌と整った顔立ち。その気になれば女の子なんか選び放題だろうに、薪は誰とも付き合おうとしない。変わったやつだ。

「好きじゃない」
 膝を抱えたまま、薪はポツリとこぼした。
「僕、自分の顔好きじゃないんだ。鈴木みたいな顔がよかった。こんな風に」
 隣に立ち膝をついた鈴木の顔に、細い指が伸びてくる。右手の中指の先が眉根に当てられ、すっと右にずらされた。
「眼は切れ長で、鼻は高くて。唇も顎も男っぽくて」
 左手の人差し指が眉間に当てられ、眉間から鼻筋を通って下に下りていく。下唇で立ち止まった指先が左にずらされ、頬に手のひらがあてがわれた。
「頬は……」
 華奢な両手が鈴木の頬を包み、薪は急に黙り込んだ。鈴木は薪の言葉の続きを待っていたが、やがて焦れて、彼に声をかけた。
「薪?」

 名前を呼ばれた薪は、突然両手で鈴木の頬をバシンと叩いた。
「痛て! なんだよ、いきなり」
「叩きたくなる頬っぺたなんだよ、鈴木のは」
「はあ?」
 相変わらず、何を考えているのか分からないヤツだ。
「警察官僚を目指す男が、そういう理由でひとを叩いて良いと思ってんのか?」
 鈴木の抗議に苦笑して、薪は顔を上げた。
 ちらりと時計を見て、台所へ歩いていく。何か食べたいものある? と聞かれて、鈴木は好物のスパゲティナポリタンを注文する。薪の間違った認識(付き合い始めて3日でなんて、そんな美味しい思いはしたことがない。最短でも2週間かかった)は是非とも正しておきたいところだが、それはこいつの作る昼飯を食ってからだ。薪の作るメシは美味い。鈴木の好みにピッタリと合った味付けだ。

 台所の入口で足を止め、薪はこちらに背を向けたまま呟いた。
「……本当にそう思う?」
「ん?」
「僕が本気で好きになった人とすればいいって、鈴木は本当にそう思う?」
「ああ」
 頷きながら、笑って悪かったかな、と少し後悔する。けっこう気にしていたらしい。罪滅ぼしの意味もあって、鈴木は彼の大人への挑戦にささやかな力添えを申し出る。
「もしかして、だれか狙ってる娘がいるのか? 教えろよ、協力してやるから」
 友情の証ともいえる親友の申し出に、薪は振り向きもしなかった。細い肩を軽く竦めて、静かに言った。

「いないよ。だれも」




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言えない理由 sideB(2)

 こんにちは。

 お正月も早8日。 みなさん、七草粥は食べましたか?
 わたしは忘れました。 ←今年もダメ嫁。

 なんか今年は忙しくって~~、
 1日に工事したでしょ?
 2日は寝正月して、3日は実家に挨拶に行って、4日は漏水当番で、5日は成田にお参りに行って、そのまま千葉のホテルに1泊して6日に帰ってきたら、
 入札の指名とお葬式の連絡が2件。(・∀・) しかも、うち1つは当日がお通夜だったという。 
 そして、
 昨日から仕事です。
 お正月なんて、毎年こんなもんなんですけどね。 今年は特に盛りだくさんだった気がします。 春からお盛んてことで☆
 

 そんなわけで色々あって、新年のご挨拶いただいた方々、お返事が遅くなってしまってすみません。 これからお返ししますねっ。
  





言えない理由 sideB(2)





 そんな会話をこの部屋で交わしたのは2ヶ月くらい前だった、と鈴木は思い、そこで回想を止めた。
 ふと横を向いて、死んだように眠っている親友の青白い顔を見る。いや、親友と呼ぶのはおかしいかもしれない。たった今、自分たちは特別な関係を結んだばかりだ。
 自分でも信じられない。酔った勢いとはいえ、男とセックスするなんて。
 鈴木は今まで男の身体に反応したことは一度もないし、そんな趣味もない。興味もなかったし、自分の未来に関係するとも思えなかった、というか、あんまりお近付きになりたくなかった。迫害する気はないが、自分とは縁のない世界だと思っていたのだ。

 どうしてこんなバカな真似を、と鈴木の中の良識が顔を歪める。今までもこいつは、薪の我が儘に振り回されるたび、なぜ彼に怒りを覚えないのかと口うるさく鈴木を嗜めてきたのだ。
「だって。薪があんまり一生懸命だったから」
 汗ばんで冷たい薪の頬に、そっと手を載せる。目の縁に残った涙を拭いてやって、長い睫毛が指先に当たる感触を楽しんだ。

 ―――― なんだ、その理由は。おまえは一生懸命に迫られれば、誰とでもセックスするのか。
「うん。相手に恥をかかせたら可哀相だろ。女の子の泣き顔は見たくないよ」
 ―――― こいつは男だぞ?
「下らないこと言うなよ。付き合いの浅い女の子を泣かすのもイヤなのに、薪を泣かせるなんて、冗談じゃないよ」
 ―――――。
 黙り込んだな。オレの勝ち。

 考えるまでもないことだ。ホモフォビオでもない自分が、僅かばかりの生理的嫌悪感と今や心の殆どを占めている薪と、どちらを優先するかなんて分かりきってる。
 見慣れているはずのきれいな顔に、鈴木は胸が詰まるような疼きを覚える。それにしても、薪が自分のことをそんな風に思っていたなんて、全然気付かなかった……。

 街を歩けば10人のうち3人が同性愛者だと囁かされるこの時代、鈴木の数多い友だちの中にはゲイもいたりするが、薪と彼らの間に共通点はなかった。彼らが鈴木を見る湿気を含んだ目線と、薪の涼やかな瞳は比べようもなかった。
 自分は、薪のあの目に弱いのだ。
 琥珀のように透明度の高い瞳。時にそれは夜空に浮かぶ月のように神秘を湛え、またある時にはイタズラ好きの子猫のように眩めく。鈴木の女の趣味は悪いと、氷のように冷ややかになったかと思えば、警察官僚になって警察機構を上から改革してやると、夢を語るときは熱っぽく輝く。
 でも、あんなに情の籠もった薪の瞳を見たのは昨夜が初めてだった。

 先刻まで自分たちがしていたことを思い出して、その行為が薪を手酷く傷つけたことを知って鈴木は、そっとベッドから抜け出す。傷口の血は拭っておいたけど、ちゃんと手当てをしておかないと、後で困るだろう。
 血止めと化膿止めの塗り薬を買うために、鈴木は夜中の街に出た。




*****




 自分たちの新しい関係は、人に知られてはいけないものだということを理解していた彼らは、友人たちの前では今までどおり振舞っていた。しかし、愛される喜びを知った薪の内面から滲み出す自信に満ち溢れた美しさは、どうにも隠しようがなかった。
 今までも薪と付き合いたがる人間は後を絶たなかったが、この時期の彼の周りには、ひっきりなしに彼と親しくなりたがる男女が押し寄せた。しかし薪は彼らを悉く、それもかなり辛辣に跳ね除けた。

 鈴木と付き合うようになって丸くなったと評されていた薪の性格は、昔に戻ってしまったようだった。どちらかと言えば内向的だった彼は、鈴木と友情を築くことで、鈴木を介して他の友人とも交流を深めるようになっていたのだが、それをぱたりと止めてしまった。他の者を交えず、鈴木とふたりきりでいることを好んだ。
 それは、付き合い始めたばかりの恋人同士が誰にも邪魔されずに甘い蜜月を過ごしたい、そんな当たり前の感情から起こされた行動だったのかもしれない。が、人間的な成長を考えれば、交友関係を至極限られたものにすることは明らかなマイナスだった。
 そのことに気付いてはいたものの、鈴木はそれを放置した。何故なら、鈴木自身が薪に溺れかけていたからだ。

 恋人という関係になってから、薪は変わった。
 意地っ張りの皮肉屋だったのが嘘のように、素直に鈴木に甘えてくるようになった。部屋でふたりきりになると、すぐに傍に寄ってきて、鈴木の腕や肩に額を預け、
「鈴木。僕のこと好き?」
 はにかんだ口調で照れたように、でも幾度となく聞いてきた。
「薪。そのセリフ、今日何度目だ?」
 心にもなく鈴木がからかうと、薪は頬を膨らませて、
「いいだろ。何回だって聞きたいんだ」
 そう言って鈴木の身体に両腕を回してくる。細いからだが愛おしかった。
 鈴木は薪を抱き返し、その場に組み敷き、彼の肌を貪った。相手を愛しいと思う気持ちがそのまま欲望につながる、そんな年齢だった。

「夢みたいだ」
 欲望が去った後も離れがたく、力を失った鈴木を自分の中に収めたまま、薪は窮屈に身体を折り曲げながら、すっかり平静に戻った声で呟いた。
「鈴木と、こんなふうになれるなんて。夢みたい」
 薪は言って、綿菓子みたいにふんわりと笑った。
 鈴木は、薪のそんな笑顔がうれしくてたまらなかった。ずっとこんな風に笑っていて欲しいと思った。そして、今のこの関係を壊したくないと痛切に願った。

 誰にも、特に自分の親には絶対に知られてはいけない。鈴木の親は薪のことをとても気に入っていて、彼の訪問を心待ちにするくらいだったが、それはあくまで息子の親友として歓迎していたのであって、こんな関係を結んだと知ったら間違いなく反対される。親のいない薪は、鈴木の両親を自分の親のように慕っていた。彼らの白眼視は、確実に薪を傷つけるだろう。
 薪を守りたい、と思う気持ちと、おそらくは保身のため。鈴木は、薪との関係を完璧に隠蔽しようと努めた。

 薪が鈴木との蜜月を満喫しようと自分の殻に閉じこもるようになっても、鈴木はこれまでと変わらずに友人たちとの付き合いを続けた。講義も、ゼミも、サークルも。以前と同じ生活スタイルを崩さないこと。それが鈴木が取った作戦だった。
 3ヶ月くらい過ぎた頃、友人のひとりが女の子を紹介してくれた。断ろうとしたが、「おまえ、恋人でもできたの?」と聞かれて断れなくなった。結局、一晩付き合って別れた。
 彼女に特別な感情は抱かなかったが、男女が一夜を過ごせばそこには当然、そういう関係が生まれた。逆に何もしないことによって、余計な詮索をされることを危惧した。彼女の方もさばけた性格だった。鈴木に、それ以上のものは何も求めてこなかった。薪と恋人同士になったものの、彼の身体を気遣って欲望を抑えていた鈴木には、格好の相手だった。

 翌日、友人のお喋りから薪にそれがバレて、ものすごいケンカになった。
「僕がいるのに」と責め立てられて、その剣幕に鈴木は何も言えなくなった。「カモフラージュのつもりだった」と説明しても納得してもらえなかった。事情は承知しているはずだと思っていたのに、真っ向から否定されてしまった。
 薪がこれほど嫉妬深いとは思わなかった。外見から推察するに、クールな部類に属すると想像していた彼の恋愛スタイルは、実は火のように激しかった。

「ごめん。もう二度としない」
 鈴木が謝っても、薪はなかなか泣きやまなかった。床に座って泣き続ける薪を見て、鈴木は思った。
 薪がそんなに嫌なら、もうこんなことはするまい。だけど、女の切れたことのない鈴木が突然女と付き合わなくなったら、周囲の人間は不思議に思うだろう。
 薪が落ち着いたら、その辺のことをよく諭してやろう。薪自身も、もっと友だちや女性と付き合うようにしないと、自分たちの仲は発覚してしまう。そうしたらきっと、一緒にはいられなくなる。

「嫌いに、ならないで」
 治まりきらない慟哭の中で、薪は途切れ途切れに鈴木の名前を呼んだ。鈴木が彼の顔を覗き込むと、薪の丸い頬に、乾くことを知らない涙がまた新たな水途を作った。
「初めはね、こんなつもりじゃなかったんだ。僕が鈴木を好きになったんだし、鈴木が女の子の方が好きなことも知ってるし、だから鈴木のことを束縛しようなんて、これっぽっちも思ってなかった。
 今日だって、我慢しなきゃ、って思ったんだよ。だけど」
 薪は懸命に言葉を継いだ。不規則な息継ぎが彼の言葉を聞きにくいものにしたが、それは鈴木に伝わる何ものをも阻害しなかった。
「カッコワルイよね、僕。みっともないって自分でも解ってるけど、でも……僕のこと、嫌いにならないで」
 
 臆面もなく、駄々をこねる子供のように。薪の愛情のベクトルは、真っ直ぐに鈴木を指していた。
 鈴木は彼の身体を抱き寄せた。首筋に、薪の涙が伝うのを感じた。

「好き、鈴木が好き。誰にもさわらせたくない」
 自分の感情を制御できないことを恥じる薪を、愛しいと思った。彼を放したくないと思った。
「鈴木にさわるやつ、みんな殺してやりたい」
 物騒な発言は、しかし鈴木の心を怯ませなかった。
 これまで付き合った女性の中に、ここまで独占欲の強い女性はいなかった。浮気がバレてケンカ別れした彼女は何人かいたが、縁りを戻すことはしなかった。世の中に女は星の数ほどいる。ポジティブな鈴木らしい考え方だったが、裏を返せば自分も相手もそれくらいの思い入れしかなかったということだ。

「そんなこと考えちゃいけないって、いつも自分に」
 薪の言葉を遮るように、鈴木は薪にくちづけた。ただでさえ不自由だった薪の呼吸はしばし止まり、鈴木が彼を解放したときには言葉を発する余裕もなかった。
「こりゃ大変だ。これからは隣で子供が転んでも、助け起こさないようにしなきゃ」
「……おばあさんを背負って横断歩道を渡るのもダメだよ」
 鈴木がおどけると、薪は泣き笑いの顔になって冗談を返してきた。頬は涙で汚れて鼻は真っ赤になって、髪もめちゃくちゃだったけど、すごくかわいかった。
 亜麻色の前髪に隠れた額に自分の額をつけて、鈴木はクスリと笑った。



*****


 あおまきさんでこれを書いたら、身体中痒くてたまらなくなると思うんですけど。 すずまきさんだと照れくさいだけで平気なのはどうしてかしら??



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言えない理由 sideB(3)

 最近、あちらこちらですずまきさんがイチャイチャしてますが。(嬉) 
 拝見するたびにきゃーきゃー騒いで、迷惑掛けてホントすいません。 あおまきすとのくせにねえ。 どうしてこんなにワキワキしちゃうんでしょうねえ。

 おかしいんですよね。
 ツーショットのお相手が青木さんだと、ほっこり幸せな気持ちになります。 その気持ちは伝えますが、無意味に叫んだりして、管理人さんに迷惑を掛けるようなことはしてないつもりです。 なのに、どうして鈴木さんが相手だと 『きゃーー!!!』 って叫びたくなっちゃうんでしょう?

 わたし個人の場合ですが、こういうことだと思うんです。

 あおまきさんは鈴木さんの死を背負っているけれど、すずまきさんには背負うものが無い。
 
 唯一無二の存在だった鈴木さんをその手で殺めてしまった薪さんには、重い重い十字架が架せられてしまった。 もう二度と、誰も愛せない。 彼の心はそのとき、親友と一緒に死んだも同然だった。
 その薪さんが、青木さんに出会って愛する心を取り戻し、結ばれて、ああ、よかったねえ、って、しみじみと思う。
 薪さんが失ったものと取り戻したものの大切さを思えば、涙さえ滲んできそうな幸せな光景です。 嬌声が上がるようなものじゃないの。 むしろ泣く。
 
 すずまきさんには、まだそれがないから。
 きゃーっ、薪さんたら薪さんたらっ!! ってなるんじゃないかな?

 だからみなさん、しづのこと、「エセあおまきすと」とか言わないでねっ。 ←最終的には自己弁護。






言えない理由 sideB(3)





 結局、鈴木は薪に、カモフラージュの必要性を説くことはできなかった。
 恋人同士になって初めてのこの諍いは、ふたりの絆を強めた。薪は一層想いを募らせ、鈴木は出来る限り薪の傍にいるようになった。

 ふたりで過ごす時間が重なるほどに、この世でふたりだけしか知らない秘密が増えるほどに、薪はどんどんきれいになった。造作の麗しさだけでなく、愛されているもの特有の色気というかフェロモンというか、何とも言えない雰囲気を漂わせるようになった。
「鈴木」
 上目遣いの艶を含んだ眼で見上げられ、あどけなさを残す口唇で名前を呼ばれると、彼を抱きしめたいという衝動が即座に湧き上がった。本能と恋情から来る情動に逆らうことは難しく、鈴木は薪に溺れた。
 若い鈴木の身体は飽くことなく薪の肌を求め、薪は痛々しいまでに懸命に、それに応えた。薪の身体は華奢で体力も無く、鈴木が我を忘れると、翌日は起き上がれないことも多かった。

 その日、薪が一限目の講義に出席しなかったのは、そんな理由からだった。
 講義の後、提出しておいて欲しいレポートがある、と薪に頼まれてきた鈴木は、託ったものを教授の葛西に渡した。葛西は眼鏡の奥の細い目で鈴木を見ると、ため息混じりにレポートを受け取った。
 葛西教授はレポートをざっと捲り、ううむ、と低く唸った。
 きっとレポートの出来に感心しているのだ、と鈴木は思った。先刻、鈴木も目を通したが、いい内容だった。切り口も斬新だし、起点からの論理展開も――。

「書き直せと伝えてくれ」
 白くて節の細い学者の手につき返されたものが、鈴木には信じられなかった。
「ちょっと待ってください。オレにはこのレポートは、完璧に思えますけど」
「べつに、君に言ってるわけじゃない。薪くんに伝えて欲しいだけだ」
 そういえば、と鈴木は、以前薪のレポートに不可を付けたのもこの教授だったことを思い出した。あの時は、『薪ならもっといいものが書けるはずだと思って、教授はわざと不可をつけたんじゃないか』などと言った鈴木だったが、ある事情を薪から聞いた今は、他の疑念も抱いていた。

 この教授が薪に肩入れしていることは知っていた。犯罪心理学の権威である教授は、大学生とは思えない薪の優れたプロファイリング能力に多大な期待を寄せていた。大学院に進んで自分の研究室を手伝って欲しいと、2年生のうちから言われていたそうだ。
 1年半前、鈴木と知り合ったばかりの頃の薪は、度重なる警察の不祥事に、自分の将来をその腐敗した場に定めるべきかどうか、迷いが生じていた。葛西教授のことは尊敬していたし、このまま大学に残り、学者としての道を追及するのもまた意義のある仕事だと考えていた。さらには自分を引き立ててくれる教授への恩義もあって、曖昧に返事を濁していたのだと言う。
 しかし、3年生になった薪はそれをキッパリと断った。警察官になりたいと言う薪の夢に、鈴木が自分の未来を合わせてきたからだ。
 だから教授は僕には異様に点が辛いんだよ―― そうぼやきながら、薪はこのレポートを書いていたのだ。

「手を抜くのもいい加減にしろ。こっちも我慢の限界だ。そう言っといてくれ」
 これは完全に教授の意地悪だと思った。薪が自分の誘いを断って、研究室に入る事を拒んだから、その腹いせにこんな陰険な方法で仕返しをしているのだ。
「待ってください。薪がこれを書いているとき、オレは彼と一緒でした。薪は真面目にやってました。手抜きなんかしてません」
 銀縁の眼鏡の向こう側で、葛西の灰色の瞳が冷たく光った。心理学を極めたものの、それは心の奥底まで見透かされそうな視線だった。
「君は彼の何を知っている? 彼の論文を、一度でも読んだことがあるのかね?」
 金属めいた響きを持つ声音で問われて、鈴木は何も言えない。薪が去年、論文コンクールでグランプリを獲ったことは知っていたが、その詳細な内容までは把握していなかった。
 
 ついてきたまえ、と葛西教授は背広の裾を翻し、鈴木を自分の研究室にいざなった。
 書物が天井まで届きそうな見知らぬ部屋で、鈴木は左端を閉じ紐で留められた紙の束を渡された。『暴力的映像が攻撃行動に及ぼす影響と実態について』と銘打たれたその論文は、鈴木がこれまでに読んだどの文献よりも濃密で、かつ大胆な理論展開をしていた。参考文献のリストを見ると、50を超えている。その膨大な文献と近年の新聞記事、及び関連する事件の資料をすべて理解し、それらに自らの手で一本の芯を通し、再構築する。どんな頭脳があれば、そんなことが可能になるのだろう。どれだけの労力と時間を要しても自分には不可能だ、と鈴木は思った。

「これがグランプリを獲った論文なんですね。さすがにすごい」
 鈴木が感心した声を出すと、葛西教授は何とも冷たい眼差しをこちらに向けて、
「それは単なる課題レポートだ」
「へっ?」
 思わず、呆けた声が出てしまった。
 課題レポート? これが? 鈴木が今日預かってきたレポートと、同じものだというのか?

「グランプリを獲った論文は、ドイツ語で書かれた文献を多く参考にしてるから、内容が掴みにくいと思ってね。そっちも読んでみるかい。これの3倍は分量があるが」
「いえ、結構です」
 英語ならなんとかなるが、ドイツ語は自信が無い。
 身の程を悟って鈴木が辞退すると、葛西教授はそれを馬鹿にする様子もなく、軽く頷いて鈴木の手から紙の束を取り上げた。それを無造作に机の上に置き、机の前に置かれた背もたれつきの回転椅子に深く身を沈めた。

「わたしとて普通なら、ここまでのものを隔月提出の課題レポートに求めたりはしない。法学部の彼にとって、心理学は一般教養の一科目に過ぎん。それはよく理解しているつもりだ。
 だが、彼は将来のために犯罪心理学を学びたいという理由でわたしのゼミに入り、去年まではこれだけのものを作り続けてきた。それがここ1年の間に、急に堕落した。
 どの学生にも、中だるみの時期は訪れる。しかし、これはひどすぎる。まるで人が変わったようだ」
 厳格で、怒ると怖いと陰で学生たちに囁かれている教授は、ただ悲しげに言った。

「君は薪くんの友だちなのか?」
 はい、と鈴木は頷いた。
「だったら、彼に忠告してくれたまえ。いくら素晴しい頭脳を持っていても、使わなかったらただの肉の塊に過ぎないとな」
 教授が薪のレポートに不可をつける理由が解った。同じ人間が書いたレポートにあれだけの差があったら、首を捻りたくなるのは当然だ。しかし。

「わたしの手元に彼を置くことができたら、必ず学会に名を残す論文を仕上げさせてやるのに」
 本人が望まないことを無理矢理させる権利も無いはずだ。薪には薪の人生があり、それを選ぶのは彼だし、その過程で何を身につけるべきか取捨選択するのも彼の自由だ。
「葛西教授のお誘いを断ったのは申し訳なかったと、彼は言ってました。でも、警察官になるのは、薪の昔からの夢なんです」
「それは彼から直接聞いたよ。彼の人生は彼が決めるものだ、わたしに詫びなど必要ない。が、堕落は許さん」
 葛西教授が繰り返し使う、「堕落」という言葉が鈴木の心に引っ掛かった。
 薪のレポートの質が下がった理由は明らかだ。時期的にも、自分たちが特別な付き合いを始めた頃とぴったり符合する。

「わたしは口惜しくてたまらん。あれだけの才能が腐っていくのを、指を咥えて見ているなど……とても黙っておれん」
「でも教授。学問を究める他にも、人間には大事なことがあると」
 弱々しく、鈴木は反論した。教授の憂鬱に、自分も一役かっていたからだ。
「すべてを犠牲にして学問に打ち込め、などと言うつもりは無い。逆に、そんな学生はろくな人間にならん。人生経験は大事だ。若い頃にしかできないこともある。しかし、それで学術をおろそかにするのは本末転倒だと思わんか、と一般の学生には諭すところだが。
 彼は特別だ。この学び舎にいられる間に、彼の才覚に見合う結果を出すべきだ」

 理解ある大人の意見を述べて鈴木を安心させた教授は、その意見を『特別』という一言で潔く撤回して見せた。不意をつかれた鈴木の黒い瞳と、葛西教授の目が合う。
 鈴木の目をじっと見据える、薄い灰色の瞳。そこには学問に生涯を捧げた男の、計り知れない壮絶が宿る。

「それが天才に生まれたものの宿命だ」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

言えない理由 sideB(4)

 鈴薪強化月間は1月19日まで。 あと1週間ですね。
 なんか寂しいな。

 
 ……えっ? あと1週間?
 あれ? この話、残り何章あるんだっけ?  
 ひーふーみー、全部で11章? 毎日公開しないと間に合わない?!
 いや、でもそれは無理。 明日は現場で役所の立ち合いがあるし、入札も2件掛かってるし、施工計画書の直しもあるし。

 
 お正月休みにだらけてるからこんなことに~~、計画性のない奴ですみません~~!!
 ということで、今のうちに期日超過のお詫びを。(^^;) ←仕事なら契約不履行で罰金。

 新春からルーズですみません。 見捨てないでください。
 





言えない理由 sideB(4)





「ええー、またあ? 本っ当に意地悪なんだから、あの教授」
 仕上げたはずのレポートを戻されて、繰り返されるダメ出しに募る不満を隠そうともせず、薪は盛大に嘆いて見せた。
「そうふくれるなよ。教授も悪気があるわけじゃないんだからさ」
「絶対にただの嫌がらせだと思うけど」
「オレも手伝うからさ。さっさと片付けちゃおうぜ。今から図書館に行ってさ」
「え、鈴木、今夜大丈夫なの? 昨日うちに泊まったばかりで、塔子さんに怒られない?」
「薪と一緒だって言えば大丈夫」

 鈴木が請合うと、薪は少しだけ困った顔になった。相も変わらず、その言い訳は鈴木家において最高の免罪符だったが、薪にしてみれば複雑なのだろう。息子とその親友の本当の関係を知ったら、彼らがどんな反応を示すか――― 優しい彼らのこと、息子の選んだ人なら、と笑って許してくれるはず、などと考えられるほどお気楽な性格はしていない。
 それでも、鈴木と一緒にいられる時間が増えるのは、薪にはどうしようもなく嬉しいことで、自然と口元に浮かんでくる微笑を抑えることはできない。不名誉な不可マークのついたレポートと筆記具を携えて、デート気分で夕暮れの図書館へ向かった。

 大学内の図書館は、熱心な学生と、逆に不真面目のツケが回ってきた学生とで7割の席が埋まっていた。
「鈴木が付き合ってくれるなら、ちょっと頑張っちゃおうかな」
 天井まで届く大きな本棚の間を軽い足運びで行き過ぎながら、薪は次々と本を抜き取り、鈴木に手渡した。その種類は多岐に及び、さらには言語を問わなかった。レポートの表題は『視覚障害者の証言能力の可能性について』だったはずだが、この『世界の香辛料』という本は何の役に立つのだろう。

 20冊目を渡されたところで、その量と重みに、鈴木はとうとう抗議の声を上げた。
「薪。もう5時過ぎてるぞ。閉館時間までに、こんなに読みきれないだろ?」
 この親友が、異様な早さで本を読むことは知っている。それでもあと3時間で読破できる分量だとは思えなかった。それに、目的はレポートを書くことだ。ただ読むだけではない、途中でメモを取ったり、証明の展開を組み立てる作業も必要になるはずだ。
 ハタ、と気付いて振り返り、薪は鈴木が抱えた本の山を見て軽く小首をかしげた。何か言おうとして口を開くが、そのくちびるはすぐに微笑みの形に変わり、鈴木の顎につきそうなほど重ねられていた本を上から7、8冊受け取ると、空席を探して室内に目を走らせた。

「そうだね、鈴木の言うとおりだ。これくらいにしておこう」
 6人掛けのテーブルがひとつ空いているのを見つけて、ふたりはそこに腰を降ろした。両側に積まれた本の山、間に置かれたレポート用紙と筆記具、インターネットと清書の為のノートパソコン。それらを確認し、鈴木はあるものが足りないことに気付いた。
 資料の中には、日本語以外のものが混じっている。まずは辞書を用意しないと。

 鈴木は席を立ち、数冊の辞書を携えて席に戻ってきた。薪の向かいに腰を降ろし、早くも一冊の文献を紐解いている彼に声をかける。
「薪。わからない言葉があったらオレが」
「うん、ありがと」
「遠慮するなよ。ドイツ語でもフランス語でも」
 鈴木は口を噤んだ。ピリッと緊迫した空気を感じる。

 最初、薪は目次から目的のページを探しているのだと思った。それくらいの速さでページを捲っていたからだ。しかし、彼の手は最後まで止まらず、メモも取らずPCにも触れず、閉じられた本を重なった本の向こう側に置いただけだった。
 2冊目も、その調子だった。3冊目も、4冊目も。
 最後の本を置いたのは、1時間後だった。薪はその間一言も発せず、読む以外の行為をしなかった。結局、辞書は一度も使わなかった。

「鈴木。本を戻すの手伝って」
 にこっと笑って立ち上がる薪に、鈴木は驚いて言った。
「返しちゃっていいのか? だって今からレポート書くんだろ?」
「レポートは家で書くよ」
「……どうやって?」
 メモも取らず、下書きも作らず、グラフの数字さえ転記していない。この状態でどうやってレポートを書くというのだろう?

 鈴木の不思議顔をどう取ったのか、薪は再び腰を降ろすと、「じゃあ、ここで書いちゃうね」とノートPCの電源を入れた。
 滑らかにキーボードの上を走りだす細い指先に、鈴木は目を丸くする。信じられない思いで薪の背後からPC画面を覗き込んだ彼は、息をすることも忘れて絶句した。

 画面には魔法のように文字が打ち出されていくが、それは練習さえ積めば誰にでも習得できる技だ。しかし、文章を組立てながらこの速度で、しかもその文面に先刻彼が眺めていた本の内容が参考文献として明示されていくのを見ると、もはや人間業とは思えない。
 あれだけの量の書物の内容をすべて記憶し、論文の裏付けとし、いくら自分が書いた論文の手直しといえど以前のレポートを見もせず、ひたすらキーボードを打ち続ける。そんな薪を、鈴木は見知らぬ他人のようにまじまじと見直した。
 自分が止めなければ、参考文献はもっと多くなっていたはずだ、と鈴木は思った。何か言おうとして止めた、先ほどの薪の表情が鈴木の脳に甦った。鈴木の抗議は的外れだと、でも敢えて薪は鈴木の言に従った。

 自分と同い年の、一緒にバラエティ番組を見て笑ったりする、時には自分よりもずっと年下の印象さえ受ける親友。彼の頭脳がとびきり優秀なのは知っていたが、現実に見せ付けられたのは初めてだった。親友になって久しいが、薪は鈴木の前で自分の勉強をしたことはなかった。鈴木が期限ぎりぎりのレポートを薪の家に持ち込むことは多かったが、自分のレポートはとっくに終わっていることが常だった。
 せっかく鈴木といるのに、そんなつまらないことはしたくない。ふたりでいるんだから、ふたりでできることをしようよ。
 そう主張して、鈴木のレポートを手早く片付けると、後は他愛もないお喋りやテレビゲームに興じた。恋人同士になってからは、そこにふたりきりの特別な時間が加わって、ますます勉強会からは遠ざかり、だから鈴木はこんな薪は知らない。

『鈴木が付き合ってくれるなら、ちょっと頑張っちゃおうかな』
 ちょっと頑張る。薪にはこれが「ちょっと」なのか。

 天才、という言葉が鈴木の脳裏を過ぎった。
 呆然とする鈴木の視界の中で、薪は静かにキーボードを叩き続けていた。



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言えない理由 sideB(5)

 お礼が遅くなりましたが。
 17000拍手、ありがとうございました♪

 感謝の気持ちを込めて、今度は甘いあおまきさんを書こうと思います。
 身体中痒くなっても我慢します。(笑)





言えない理由 sideB(5)





 それから鈴木は、薪の将来のことを真剣に考え始めた。
 葛西教授の言葉が、何度も思い出される。

『わたしは口惜しくてたまらん。あれだけの才能が腐っていくのを、指を咥えて見ているなど』

 腐らせたのは、オレ? 薪を堕落させたのはオレなのか?
 誰もが羨ましがる頭脳と美貌、彼に近付きたがるものは大勢いる中で、薪が自分から求めるのは鈴木だけ。それもあんなに激しく、夢中になって、まるで鈴木がいなければ生きることの意味すらないとでも言うように。そのことがうれしく、誇らしく、さらには俗物的な優越までが加わって、自分は有頂天になっていたのだ、と鈴木は気付いた。
 客観的に、これまで自分たちがしてきたことを思えば、それの何たる低俗なことか。
 恋人として過ごす甘やかな時間が低俗だというわけではない。だが、それに日常の大半をつぎ込んでしまうような極端な偏りは、やはり問題だと言わざるを得ない。

 二人の未来の為に、本当はどうするべきなのか、その頃の鈴木にははっきりと分かっていた。それに応じたプランもあった。
 何も別れることはない。もっとバランスよく、恋愛もして、勉強もして、友だちとも遊んで。そういう生活スタイルを確立すればいい。
 鈴木はそのことについて、何度も薪と話し合おうとした。しかし薪は、聞く耳を持たなかった。

「僕は鈴木といられれば、他には何もいらない」
 そう言って鈴木の前に身を投げ出す恋人を、拒絶することはできなかった。
 こんなことを繰り返してはならないと、きっとこの関係に溺れることはお互いのためにならないと、そう分かっていながらも彼から離れられない。いじらしくてひたむきで、親を求める子供のようになりふりかまわず鈴木を独占したがる。可愛くてたまらなかった。鈴木もまた若かった。自分を抑え切れなかった。

 ベッドの中で、鈴木の下になって、薪は浮言のように繰り返した。
『鈴木が好き』
『だれよりも好き』
 気が付くと、彼を夢中で愛していた。その繰り返しだった。
 
 シングルベッドの窮屈さを、必然的な密着を心地よく感じている鈴木の胸に半身を載せるような形で脱力していた薪が、唐突に言った。
「もし鈴木が僕より先に死んじゃうことがあったら、僕はすぐに後を追うからね」
「え?」
「鈴木のいない世界なんて、意味ないもん」
 鈴木の左胸に耳をつけて、じっと鈴木の心音を聞いている薪の、少し汗ばんで乱れた亜麻色の髪とその中に存在する驚異的な頭脳。その優秀さと彼の幼いセリフのギャップに目眩を覚える。
 と、同時に。
 薪にとっては自分が世界そのものなのかもしれないと、自惚れたことを思った。

「じゃ、おまえが先に死んだら?」
「鈴木のこと迎えに行く」
「もしもし薪くん? 普通そこは、『あなたはわたしの分も生きてね』って言うとこじゃないですか?」
「やだ。死んでも一緒にいたい」
「悪霊化決定だな。おー、コワ」
「なんだよ、鈴木の薄情者。忘れるなよ、鈴木もちゃんと僕のこと迎えに来るんだぞ」
「はいはい、わかりましたよ」
 気のない返事で会話に終止符を打ちながら、鈴木は背筋が震える感覚を味わう。

 薪は、薪の恋情はあまりにも激しすぎて、彼のすべてを飲み込んでしまう。すべてを焼き尽くしてしまう。彼の存在すらも、その犠牲となってしまいそうなほどの潔さ。
 この恋が叶わぬなら自分はうたかたの泡となって消え失せてもいい、御伽噺の主人公のように、彼は彼女に負けないくらいの熱心さで自分を滅ぼそうとしている、鈴木はそんな恐怖を覚えた。

 心の中に芽生えた慄きを払拭しようと、鈴木は殊更明るい表情を取り繕った。
「じゃあさ、オレが薪と一緒に死にたいって言ったらどうする?」
「いいよ」
 迷いの欠片も無い答えに、軽い口調ながらも決して揺るがない声の響きに、鈴木は再び戦慄する。冗談だよ、と言おうとして、口の中がカラカラに乾いていることに気付いた。

 薪は顔を上げ、にっこりと鈴木に笑いかけて言った。
「いつでもオッケー」



*****


 すずまきさんなら、いくらでも甘く書けるのになあ。(←実はすずまきすと疑惑、浮上)


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言えない理由 sideB(6)

言えない理由 sideB(6)





 どうにかしなければいけないという気持ちと、相手を離したくないと思う気持ちとが、鈴木の中で鬩ぎ合う。そんな毎日だった。
 鈴木は何度も何度も、薪にその話をしようとした。しかし、薪はそのたびに鈴木の言葉を遮った。新しく開店したカフェの話題や、丹精込めてこしらえた食事や、最終的には自分の身体を武器にして。
 そこまでして、聞きたくない言葉だったのだ。
『もう少し、距離を置こう』
 その時は理解できなかった。薪にとってその言葉が、どれほど残酷な一言なのか。
 
 だから、どうしてこんなにこいつは人の話を聞かないのだろうと、少々苛立ちもした。そんなときには、小さな諍いを起こしてしまうこともあった。軽い口ゲンカ程度だったが、友人だった頃には薪と口論になったことなど一度もなかった。薪はいつも自分勝手で我が儘だったが、引き際はわきまえていた。
 恋人になってからは、それがまったく逆になった。普段は素直でかわいいのに、口論の時には絶対に自分を譲らなかった。特に鈴木が女友達を交えて飲み会に参加したときには、異常なまでの猜疑心で鈴木を責めた。
 ならば一緒に行こうと誘っても、薪は絶対についてこなかった。他人を交えての飲み会となれば、ふたりきりの時のようには振舞えない。お互いの目の前で、他の男女と楽しく過ごさなければいけない。それは薪にとって耐え難いことらしく、しかし鈴木にまでそれを強要することはさすがにできないと見えて、鈴木の付き合いを封じることはしなかったが、翌日、彼のご機嫌は確実にナナメだった。

 そんなことの繰り返しが、彼らから思いやりと笑顔を奪っていった。
 思いは通じ合っているはずなのに、諍いばかりが増えていく。どうしようもなくすれ違う心と、言葉を重ねるほどに深まっていく誤解。薪は鈴木への独占欲から疑心暗鬼に囚われて、次第に心の均衡を崩していった。
 まるで子供に返っていくようだ、と鈴木は思った。
 恋人という関係になってから、薪の人間性は劣化した。友人としての彼は、もっと冷静で思慮深く、社交性も高かった。
 学業の面において、葛西教授の言うとおり、薪は堕落した。それが人間性にも起きているとしたら。

 考えてみて、鈴木は地面が抜けるような崩落感を覚えた。自分とこういう関係になって、薪のためにプラスになったことが、何かひとつでもあっただろうか。
 薪の笑顔が見たいから、鈴木にはそれはとても重要なことだったから、だって誰よりも大切に想っていたから。だから何だかこうなるのが当たり前だったような気もして、深く考えもせずに彼を受け入れてしまったけれど。本当に彼のことを考えるなら、その人生に幸あれと願うなら、自分は彼を拒否するべきだったのではないか。
 
 その疑惑は、冬の休日に確証を得た。
 真冬、とても寒い日だった。その日が恋人としての最後の日になった。

「行かせない」
 雪子と一緒に映画に出かけるという鈴木を、薪は必死に引き止めた。
 人間が人間として生きていくためには、大勢の他人と関わりを持つ必要があるのだと説く鈴木に、薪は夢中で言い返してきた。
「僕は鈴木がいれば他の人は要らない。なのに、なんで鈴木はそうじゃないんだよ! どうして僕だけじゃいけないんだよ!」

 彼の狂おしいまでのひたむきさがどこから生み出されるのか、鈴木はこのとき、やっと理解した。
 距離を置こうと、他の友人たちとも付き合うようにしようと、それが自分たちが長く付き合うためだと、そんな理屈は薪には通らない。薪にとっては鈴木がすべてで、今この瞬間、鈴木の隣にいて同じ空気を呼吸している、ただそのことが重要であって、他のことはどうでもよいこと。
 百億の人間のうち、鈴木だけが意味を持つ彼の世界。
 そこまで狭められた世界に生きる彼には、恋愛と社会性のバランスを保つという、人間なら誰もが普通にしていることが為せない。天才的な頭脳も驚異的な記憶力も、何の役にも立たない。

 何がいけなかったのだろう。彼をそんな社会不適格者に貶めてしまったのは、どこの不届き者だろう。

 オレの大事な薪を、と鈴木は滅多と感じない怒りを覚える。
 オレがこの世で一番大切にしていたあの涼やかな瞳を、万物を映してきらめく万華鏡のような瞳を、彼に恋という魔法をかけることで、たったひとりの人間しか映し出せない呪われた鏡のようにしてしまった悪魔。言葉巧みに誘惑し、堕落させ、彼の前に限りなく広がっていたはずの賞賛と栄光に満ちた世界を、こんなにも狭搾したものに変えてしまった悪魔。
 その悪魔が誰なのか、鈴木は知っていた。
 一刻も早く薪の人生から悪魔の存在が消えることを望み、それを為せるのは自分だけだと鈴木は思う。が、この局面において潔くなれるほど、鈴木も大人ではなかった。鈴木は何とか彼を説得しようと、最後の希望に懸けた。

「警察官が男とこういう関係持ってたら、世間的にもまずいだろ?だからもっと広い交友関係を築いて」
 彼の子供の頃からの夢。そのために法学部に席を置き、犯罪心理学の教授に教えを請い、大学に入ってからの時間の多くをそのために費やしてきた。その夢だけは、まだ彼の心の中に息づいているはずだと信じたかった。なのに。
「それなら警官になんか、ならなくたっていい」

 耐え難い衝撃が鈴木を襲った。
 微塵の迷いも見せず、スッパリと薪は自分の夢を切って捨てた。それは、自分を捨てるも同じこと。
 鈴木に残された道は、ひとつしかなかった。

「もうお終いにしよう、薪。オレたち、別れたほうがいい」
 残酷な言葉を紡ぎながら、鈴木は葛西教授の悲しそうな顔を思い出していた。
 自分を簡単に捨てられる人生なんて、そんな無価値な未来を薪に選択させるわけには行かない。
「今のおまえは、オレが惚れた薪じゃない」
 戻って欲しかった。昔の薪に戻って、彼の本来の生と世界を取り戻して欲しかった。
 そのためには、自分がいては駄目なのだ。

 視界の隅に映り込んだ薪の泣き顔に疼く心を抱えて、鈴木は真冬の街に出た。
 絶望というものを生まれて初めて体験しながら、これほどまでに猛り狂う気持ちが自分の中に存在したのかと驚きを覚えながら、鈴木は薪の最後の言葉を噛み締める。
『僕は鈴木さえいればいいんだよ! 鈴木を失うくらいなら、何にもいらないよ!』
 頭の中に響き渡る悲痛な声音を遮りたくて、鈴木は大きくかぶりを振った。

 そんなつまらないものに左右されるほど、薪の人生は安くない。薪の、オレの薪の人生が、そんなんで終わっていいはずがない。
 これから自分たちは社会に出る。薪は薪に相応しい舞台で、その才覚と能力を余すところなく発揮して、天才の名に相応しい偉業をやり遂げる男になる。その過程で、人生の伴侶も見つけることになるだろう。
 それはオレじゃなくていい、オレの役割はそこじゃない。おまえの未来を奪うくらいなら、オレはいっそ、おまえの前からいなくなることを選ぶ。

 だけど、と鈴木は心の中で慟哭する。
 だけど、薪。
 好きだよ、自分でも信じられないくらい、おまえが好きだよ。おまえの幸福のためなら世界が無くなってもいいと思えるくらいに、この世のいかなることも引き合いに出せないほどに、おまえのことが大事だよ。
 だから、オレのこの胸の痛みなんか、ちっぽけなことなんだ。おまえのこれからの輝かしい人生の前には、瑣末なことなんだ。

 胸のうちで叫んだはずなのに、何故か喉が痛くなって、それを不思議に思いながらも歩くスピードは緩めずに、鈴木は雪子との約束の場所を目指した。向こうから歩いてくる中年の女性に、すれ違いざまに同情の篭もった目で見られたような気がして、ふと足を止める。
 嫌な予感に動かされ、左手のショーウインドウに映る自分を確認して、鈴木は我が目を疑った。
「自分から振っといて、泣いてりゃ世話ねえ」

 薪は。
 薪はまだ、泣いているだろうか。

 鈴木はマフラーの裾で涙を拭き、振り向きざまに走り出した。
 あいつは感受性が強くて、けっこうな泣き虫だ。映画を見ても本を読んでも、面白いくらいに泣くやつだ。
 そんな薪に、あんな言い方をしてしまって。あんな、傷つける方法でしかふたりの未来が探れないなんて、そんな手段しか取れないなんて。もっとちゃんと話し合って、お互いが納得のいく形でこれからのことを決めるべきじゃないのか。
 そんな理由が、後からついてきた。本当は、薪の泣き顔を思い浮かべたら、足が自然に動いてしまっただけだ。

 息せききって走りこんだ薪のアパートに、主はいなかった。
 部屋の鍵は開いたまま、暖房もつきっぱなしだった。ハンガーに掛けられたコートやマフラーはそのままで、薪のスニーカーだけがなくなっていた。
「薪……?」
 最後に自分に取り縋った薪の様子を思い出して、鈴木はいたたまれぬ焦燥に身を焼かれる。薪は、自分を追いかけて部屋を出たのかもしれない。コートを羽織る余裕もなく。
 ぞっと、背筋に氷を当てられたように、鈴木は身を震わせた。

『鈴木がいない世界なんて、意味ないもん』

 昔、寝物語に薪が語った物騒な約束を思い出す。あの時は枕上の睦言としか思わなかったが、薪の本当の気持ちを知るに、あれは真実であったと、薪にとっては現実なのだと、解って鈴木は身体の震えが止まらなくなる。

 そのとき、携帯電話の着信音が響いた。
 一瞬、薪からかと思ったが違った。薪の携帯は、部屋の充電器につながれたままだった。
『ちょっと鈴木くん。どこにいるのよ、映画始まっちゃうわよ』
「今、薪のアパート」
『あっそ。じゃ、あたし一人で観てくるから。あとでお金はちゃんと回収するからね』
「薪がいないんだ。どこにいるか、知らないか」
『……何であたしが知ってると思うわけ?』
「早く探さないと、大変なことになるかもしれない。オレ、あいつにひどいこと……頼む、薪を探してくれ!」

 ただならぬ気配を感じたのか、雪子はすぐに薪のアパートへ駆けつけてくれた。何処を探したらよいのか見当もつかず、焦るばかりで行動が伴わない鈴木の背中をバシンと叩いて、「しっかりしなさい!」と怒鳴りつけた。
「親友でしょ? 薪くんの行き先ぐらい、わからないの?」
 わからなかった。
 本当に、何も思いつかなかった。
 誰よりも彼に近しい存在であったはずなのに、オレは今まで薪の何を見てきたんだろうと思った。

「仕方ないわね。こうなりゃ人海戦術よ」
 呆然と佇む鈴木に同情とも軽蔑ともつかぬ視線をくれると、雪子は力強く言い切り、ポケットから携帯電話を取り出した。
「あ、もしもし、麻子? 法学部の薪くん、知ってる? うん、彼を探してるの。見かけたら連絡くれる? そう、大至急」
 雪子は、次々と自分の友人に電話を掛け始めた。女性男性入り混じり、医学部だけでなく文学部や理系、果ては講師に至るまで、雪子の交友関係の幅広さに鈴木は圧倒された。

「こういうとき、ターゲットが有名人だと助かる……何やってんの! あんたもさっさと電話しなさいよっ!!」
 叱り飛ばされて、鈴木は我に返る。
 薪の無事を確認したい、それは山々だけれど、友人たちにその手助けを頼むのは躊躇われた。雪子の友人たちとは違って、彼らは薪の友人でもある。鈴木からそんな頼みごとをしたら、詳しい事情を知りたがるだろう。
「あんまり騒ぎ立てないほうがいいかも。その」
 薪がどうして真冬の街に防寒具も無しに出かけたのか、彼を発見した誰かがその理由を聞いたら。自暴自棄になった薪は、その誰かにすべてを話してしまうかもしれない。鈴木の中の良識が、その危険性を示唆した。

「鈴木くん、今自分がどんな顔してるか分かってる?」
 言われて鈴木は、雪子の顔を見た。気の強そうな黒い瞳が、燃えるように輝いていた。
「お気楽なあんたがそんな顔になるほど、やばい状況なんでしょ。違うの?」
 自分がどんな表情をして雪子の前にへたり込んでいるのか、鈴木には自覚がなかった。先刻、通りすがりの女性に同情されたときのように、泣いているのかもしれなかった。
「薪くんを早く見つけないと、あんたのほうが死んじゃいそうよ」

 死、という言葉が鼓膜を震わせた瞬間、鈴木の脳裏に最悪の光景が浮かんだ。
 青ざめた薪の顔が見えた。血の気を失った頬と艶を失くしたくちびるが、彼の美貌を凄絶に彩って、鈴木を戦慄させた。それは生まれて初めて味わう真の恐怖だった。

「中島? 薪がいなくなったんだ。探してくれ」
 気がつくと鈴木は、携帯電話に向かって夢中で叫んでいた。



*****



 薪を見つけたとき、鈴木は神さまに感謝した。
 雪子から連絡を受け、言われた場所に全速力で走り、冬の最中に汗だくになって彼のもとへ辿り着いた。
 一軒の建物から、薪は雪子に引き摺られるようにして出てきた。
「薪!」
 大声で呼びかけて、有無を言わさず抱きしめた。街の中、派手なラブホテルの門前、何事かとこちらを見ている通行人たち。自分たちが他人からどう見えるか、そんなことを気にする余裕はなかった。

 腕の中にしまった彼のぬくもりを感じる。鈴木の顎の下にすっぽりと納まってしまう彼の、頼りない、でも温かい身体。
 生きてる。怪我もない。自分の胸で子供みたいに泣いている、彼はとても元気だ。
 感謝します、と鈴木は心の中で繰り返し思った。何が一番大切なのか、やっと分かった気がした。

 泣き続ける薪を抱きしめる鈴木の耳に、女友だちの勇ましい声が聞こえてきた。
「なに見てんのよっ! ぶっとばすわよ!」
 彼女に噛み付かれた通りすがりの若い男が、慌てて逃げていく。鈴木は苦笑しつつ、薪を抱く腕にぎゅっと力を込めた。




*****


 ということで、薪さんは振られてしまいました。
 さー、みなさん、しづと一緒に、にに子さんのブログへダッシュ! 



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ジャンル : 小説・文学

言えない理由 sideB(7)

 松の内も明けまして。
 すっかりお正月気分も抜けましたね。 
 門松も解体したし、おもちも全部食べちゃったし、残ったのはぜい肉だけか……。(遠い目)
 どうして毎年、お正月太りしちゃうんだろうっ!(><)
 みなさんは平気ですか?




言えない理由 sideB(7)






「右手を耳の後ろに当てて、ここでターン、と」
 ぶつぶつと呟きながら、言葉のとおりに手を動かしていた薪は、うん、と大きく頷いて椅子から立ち上がった。
「よし、覚えた。行くよ、鈴木」
 カラオケ店の薄暗い廊下で打ち合わせを終えた二人は、クライアントに指定された番号の部屋を探す。細い窓から中の様子を確認し、そこに自分たちを招いた友人の姿を見つけると、ドアを押して中に入った。

「ごめん、中谷。遅くなった」
「遅えぞ、鈴木」
「お詫びに一曲、踊ります。薪くんが」
「ずるいぞ、鈴木。僕だけに押し付ける気か」
 鈴木の後ろから顔を覗かせたスペシャルゲストの姿に、黄色い声が上がる。声の出所は、部屋の中にいた8人の女の子たちだ。
 鈴木はにこやかに彼女たちに手を振ると、目的の曲を選択し、イントロが流れ出すと同時に薪を舞台に引っ張り上げた。マイクを持たせて、踊りだしの合図をする。主役はあくまで薪。鈴木は補佐役だ。
「わん、つー、すりっ、ハイッ!」

 薪はさっと最初のポーズを決めると、顔の前で腕を交差させた。イントロに合わせて、徐々に両腕を開いていく。顔が現れたところで、女の子に向かってウインク。彼女たちを喜ばせて場を盛り上げることが、今日の自分たちの仕事だ。
 ベースの音に合わせて足でリズムを取ると、薪の細い首に掛けられた3つのネックレスがぶつかり合って、ジャラジャラと音を立てた。ワックスで固めてあちこちを捻った髪型と、派手な英文字と髑髏マークのシャツというパンクに近いファッション。ビジュアル系バンドのボーカリストと称するには地味だが、普通の大学生からは充分に逸脱したスタイルだ。それが日本人離れした顔立ちの薪には、冗談みたいによく似合う。

 音楽に合わせて片膝を床に付き、薪はマイクを伏せる。舞台が狭いのでここからの宙返りは不可能と判断し、スローな前方倒立転回に切り替えることにしたらしい。
 床に両手をついて逆立ちした薪の背中に、鈴木はすっと腕を突き出す。その腕を支えにして、薪はゆっくりと向こう側に足を下ろす。その場で前後の180度開脚。薪の身体はびっくりするほど柔らかい。
 ピッタリと床について伸ばされた彼の細い足が、次の瞬間には垂直に閉じ合わされ、再び薪は舞台に立ってポーズを決める。ニコッと女の子たちに笑いかけて、マイクのヘッドにキスをした。

「きゃ――ッ!!」
「うお、すげえ!」
 女の子たちの歓声と、悪友たちのはしゃぎ声。奇声と嬌声と手拍子と、にぎやかな音楽。けたたましい騒音とも取れる音の洪水の中で、彼らは道化になりきって歌い踊る。二人とも騒がしいのは苦手だし、こういう席は不得手だが、これは自分たちが招いたことだ。

 薪を探して冬の街を走り回ってくれた多くの友人たちに、二人は何らかの礼をしたいと考えた。特に薪はこれまで大したつながりもなかった学友たちが必死に自分を探してくれたことを知って、彼らに対する申し訳ない気持ちから、自分にできることなら何でも協力すると申し出た。
 鈴木が全員にランチを奢ると言ったときには、「別にいいよ」と大した反応も示さなかった彼らだが、薪の言葉を聞くや否や、ばっと彼を取り囲み、
「合コンに出てくれ!!」
 眼の色を変えた悪友たちを見て、鈴木は彼らの思惑を悟る。連中の考えそうなことは分かってる、薪を女の子寄せに使うつもりなのだ。
 どうしようもない連中だ。相手は校内一の秀才なのだから、レポートのアドバイスをしてもらうとか、試験のヤマをかけてもらうとか、このチャンスをもっと有効に活かす方法はいくらでもあるだろうに、まったくもって救いがたい。

「ちょっと、薪はそういうのは」
「いいよ」
 鈴木の援護を無視して、あっさりと応じた薪に、周りの友人たちのほうが驚いていた。もちろん鈴木も驚いたが、それを表面には出さなかった。
 多くの友人たちはお人好しで、それで借りはチャラということになったが、ひとりだけ意地の悪い男がいて、そいつが余計なことを言い出した。彼は以前、コンパの時にふざけて薪にキスを迫り、公衆の面前で鈴木に吊るし上げられた藤田という男だった。その時は酒の席のこととして禍根を残さないつもりでいたが、彼の中には幾ばくかのわだかまりが残っていたのかもしれない。

「やめたほうがいいって。こいつ、コンパに出ても人形みたいに座ってるだけじゃん。周りが白けるぜ」
「大丈夫だよ。ちゃんとみんなと楽しくやるから」
 薪にしてみたら、それは友人に対する誠意だった。しかし、彼にはそれを信じてもらえないようだった。
「薪には無理だって。カラオケの順番が回ってきたら、拒否しないで歌える?」
「うん、歌えるよ。何だったら振りもつけようか?」
「言ったな? やってもらうからな」
 売り言葉に買い言葉的なニュアンスが多大に感じられたが、そういうことになってしまった。コンパの日取りは後で連絡するから、と友人たちが去っていった後、鈴木はそっと薪の様子を伺った。

 先刻まで友人たちに愛想を振りまいていた彼は、皆の姿が消えた途端に仏頂面になり、チッと舌打ちした。親友の豹変振りに、鈴木は思わず苦笑する。
「振りつきのカラオケかあ。おまえ、そんな特技あったの?」
「そんなわけ無いじゃん。今から練習するんだよ」
「やっぱりな。ま、せいぜい頑張れよ」
「なに他人事みたいに言ってんだよ。鈴木も一緒に決まってるだろ。これは連帯責任なんだから」
「…………マジ?」
 仕方がないと割り切って、ならばいっそ完璧に仕上げてやろうと言い出したのは薪のほうだった。
「こうなったら徹底的にやるからな。藤田の狙い通りになってたまるか」
 亜麻色の瞳を輝かせ、嫌がらせに対抗しようとする薪を見て、鈴木はうれしくなった。負けん気が強くてプライドが高い、それは鈴木の大好きな薪の姿だった。

 ふたりが踊り終えると、室内は歓声と拍手に満たされた。遅れてきた非礼を詫びながら、薪と鈴木はバラバラに友人の隣に腰を下ろした。舞台には既に次の歌い手がスタンバイしている。カラオケボックスでのコンパのコツは、歌を途切れさせないこと。主催者の中谷はコンパの帝王だ。その辺は抜かりない。
 鈴木は、さっと女子軍に目を走らせた。
 女子は8人。ギャル系が4人、キレイ系が2人、地味系が2人。鈴木はキレイ系のうち一人を選ぶと、さりげなく彼女の真向かいに座った。「ドリンク追加する?」と声を掛け、空のグラスを受け取るふりをして彼女の手を握ることに成功する。
 彼女の分と自分の分、そして親友のオーダーを聞こうと薪を見ると、彼は一瞬で5人の女の子を周りにはべらせていた。
 さすが薪。やつのドリンクはアイスミルクに決定だ。

「薪君、すごい! 歌も踊りもいけるなんて、芸能人になれるわ」
「鈴木君との息もぴったりだったし。プロモーションビデオ作って、芸能プロダクションに売り込んだら?」
「いや、僕、警官になる予定だから」
「ええ~、うそー! アイドルのほうが絶対に向いてるって」
 ニコニコと笑って女の子たちのお喋りに耳を傾けながら、舞台の友人にも時折拍手を入れる。そつなく宴席をこなす薪を見て、鈴木は安堵のため息を洩らした。

 鈴木が話をしていた女の子がマイクを持って舞台に上がったとき、悪友のひとりが隣に座った。薪がこの会合に来ることに異議を唱えていた藤田だった。
「薪ってすげえな。本当に何でもできるんだな」
 ウィスキーの水割りを飲みながら、藤田は苦笑して言った。自分の目論見が外れたからか、それにしては明るい笑顔だと鈴木は思った。
「あいつだって必死で練習したんだよ。藤田が意地悪言うから」
「ちげーよ、意地悪じゃねえよ」
 少し酔っているのか、藤田はダン! とテーブルにグラスを置き、鈴木の顔を見上げた。それからぷいっとそっぽを向いて、聞き取りにくい声でぼそぼそと話した。
「あいつ、こういう席苦手だろ。なのに、皆して言うから……ほら、今も困ってる。早く連れて帰ってやれよ」
 かしましい女の子たちに囲まれて、薪は作り笑顔の裏で閉口していた。それには気付いていたが、敢えて口を出さないことにした。薪が自分から合図を送ってくるまでは、何もしない。鈴木は薪の意志を尊重したかった。

「ねえ、薪君。付き合ってる娘、いないんでしょう? わたしなんかどう?」
「ちょっと、何抜け駆けしてんのよ! てか、図々しい。自分が薪君に吊り合うと思う? 鏡見たことあんの?」
「なによ。アユミだって薪君が来るって聞いたから来たくせに」
「あたしは1年の頃から薪君ひと筋ですが、なにか?」
「よく言うわよ、こないだの彼はどうなったのよ。ていうことで、薪君、わたしと!」
「ずるい! じゃあ、わたしも立候補する!」
 ヒートアップしていく女の戦いに、免疫のない薪が耐えられるわけがない。そろそろギブアップか、と鈴木が彼を注視していると、薪は意外なことを言い出した。
「悪いけど、僕、宮内さんと付き合ってるから」

 薪の一言で、部屋の端っこで鈴木の友人の一人と話をしていた女の子に注目が集まった。「うそー!!」という声が、部屋中に響き渡る。
「なんで麻子!?」
 その疑問はいささか失礼だと思うが。
 
 しかし、無理もなかった。宮内麻子は決して美人ではなかった。十人並みの容姿に、十人並みのスタイル。最近の女の子にしてはちょっと太めで、飾り気のない肩までのストレートボブは彼女の大人しい雰囲気にあってはいたが、地味な女性という印象は拭えなかった。
 彼女は突然の指名に驚き、手に持っていたグラスを取り落としてしまった。テーブルの上に零れたスクリュードライバーを拭き取る作業に、しばしみんなが気を取られた。
 騒ぎが落ち着いた頃、だれもが何となく、カミングアウトした恋人たちを見た。全員の視線の中で、薪は麻子の傍に寄り、
「ごめん、麻子ちゃん。みんなに言っちゃまずかった?」
「ううん、わたしはいいけど……薪くんこそ、みんなに知られちゃっていいの? わたしなんかが、その」

 おどおどと、自分に自信のないもの特有の喋り方で、麻子は俯いた。大分内気な性格であるらしい彼女は、皆の顔がまともに見られないようだった。
 そんな彼女にふわりと笑いかけて薪は、
「僕、麻子ちゃんのそういうとこ、好きだよ。奥ゆかしいっていうか、ほっとけないっていうか」
 他人の目を気にしない恋人の言葉に、麻子は見る見る赤くなり、それを隠そうと更に下を向いてしまった。
「麻子ちゃんは可愛いよ」
 床に座って体勢を低くして、薪は俯いている麻子の顔を下から覗きこんだ。じっと見つめあう二人の姿に、場をわきまえないその振る舞いに、座の空気が一気に白くなる。
 たっぷり2分ほど見つめ合って、薪は顔を上げた。
「あの、僕たち、もう帰っていい? なんか盛り上がっちゃったから」

 ずるっと椅子から落ちる者が数名、腹いせに隣の男の足を踏むものが数名。鈴木は踏まれた方だった。
「帰れ帰れ!!」
「てか、出てけ!」
「恋人いるやつが合コン来るなっ!」

 怒号が飛び交う中、薪は笑いながら麻子の手を引き、部屋を出て行った。窓から見下ろすと、二人が腕を組んで夜の街を歩いていくのが見えた。
 仕切り直しだ、と主催者の中谷が叫び、マイクを持った。ヤケクソ気味に歌いだした彼の実力は中々のもので、場の空気は直ぐに元通りに修復された。
 再びにぎやかなお喋りに包まれる室内で、鈴木は一人、いつまでもブラインドから外を見ていた。煌びやかな夜景が、何故か霞んで見えた。




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言えない理由 sideB(8)

 鈴薪強化月間は今日までの予定でしたね。
 
 …………終わらなかった……にに子さん、ごめんなさい……。
 すみません、ダラダラ続いて。(^^;
 残り3回、よろしくお付き合いください。




言えない理由 sideB(8)






「薪が柔道? まさか」
 偶然一緒になった構内の廊下で、鈴木は雪子から友人の近況を聞いた。聞いて、開いた口が塞がらなくなった。何を思ってそんな、似合わないことを始めたのだろう。
 薪に柔道を教え始めたという三好雪子は、柔道二段の実力者。取っ組み合いのケンカになったら確実にのされる。だから鈴木は出来るだけ、彼女を怒らせないように心掛けている。

「嘘じゃないわよ」
 鈴木が驚いたことに驚き、次いで彼女は怪訝な表情になった。
「ふざけ半分に絡んでくる男子を撃退したいからって。知らなかったの?」
「友だちだからって、毎日一緒にいるわけじゃない。知らないこともあって当然だろ」
 鈴木は薪のことなら何でも知っている。そんな刷り込みが彼女の中から消えていないことに気付いて鈴木は、彼女の思い込みを否定した。彼にしてはぶっきらぼうな口調だった。
「雪子だって、友だち全員の習い事を把握してるわけじゃないだろ。それと同じだよ」
 要注意人物に対する普段の心掛けも忘れて、鈴木は理論で雪子の言葉を封じた。弁護士希望の鈴木にとって理詰めの会話は実は得意とするものだったが、彼は今まで討論会以外で友人相手にそんな会話を仕掛けたことはなかった。

「そうね。じゃあ、これは知ってる? 講師の中田と教育学部の三島洋子、デキてるって噂」
「あ、知ってる。子供できちゃって、堕ろしたのが奥さんにバレて、先生の奥さん実家に帰っちゃったって」
「それはデマ。でも奥さまとの修羅場は本当」
 賢明な雪子は週刊誌のページを捲るように話題を変え、廊下を歩きながら二人は学内の噂話に興じた。
「馬鹿だなあ、中田のやつ。でも、三島はいい女だからな~。オレももう少し付き合っとくんだったな~」
「あんた、洋子とも付き合ってたの? 一体、何人食ってんのよ」
「オレの知り合いの女で寝たことないのって、おまえくらいだな」
「ったく、みんな見掛けに騙されちゃって」
「女性に一時の夢を見せるのは、イイオトコの使命だからな」
 ドンファンを気取った鈴木のセリフは、もちろんフェイクだ。そのことを雪子はちゃんと知っている。嘘の上に嘘を重ねる虚構の会話の楽しさを、二人は一緒に楽しんだ。

「あたしは永遠にごめんだからね、あんたなんか」
「永遠にって、先のことは分からないっしょ」
「絶対に嫌。ゴキブリと寝たほうがマシ」
「おまえ、マジでゴキブリと寝てるもんな。掃除しろよ、女の部屋なんだから」
「苦手なのよ、掃除って。やればやるほど散らかっちゃうのよね、不思議なことに」
 そこで雪子は足を止め、思い出したように口元に手を当てた。
「明日、ゼミの後輩が遊びに来るんだっけ。お願い、鈴木くん。掃除手伝って。本棚とかベッドとか、重いものはあたしが動かすから」
「普通それ、逆じゃね?」

 笑いながら建物を出て、正門に向かう途中、法文の4号館から出てきた顔見知りの集団に出会った。
 先刻話題に上った柔道を習い始めた友人と、そのゼミ仲間だった。男ばかりが7人、何ともむさくるしい眺めだ。
「よ、鈴木」
 サークルで一緒の学生が一人いて、彼は鈴木に声をかけてきた。鈴木も軽く手を上げて、それに応える。
 葛西ゼミの人間ではないものの、薪の我が儘に付き合わされる形で、鈴木は彼らとも交流を持っている。みんな気のいいやつらだった。
「これから吉田の家で勉強会。おまえもどう?」
 吉田の家には、家事見習い中の姉がいる。このお姉さまがかなりのナイスバディで、お菓子作りも上手かったりして、こいつらの勉強会の目的はもっぱらそっちの方だ。レポート用紙は白いまま、大抵はお姉さまの妄想談義になってしまう。
 それはそれで楽しいし、鈴木も久しぶりに彼女の神々しいまでのFカップを拝みたくはあったが。

「あー、悪い。これからオレ、雪子んちの掃除の手伝いに」
「はあ? なにそれ」
「早くも尻に敷かれてるのか?」
 反論しようとする雪子を、眼で止める。雪子には悪いが、ここは役割を演じてもらおう。
「ジャマしちゃ悪いよ。行こう」
 揶揄するように責めるように笑う友人たちを促して、薪は彼らの輪からひとり、抜け出した。
「じゃあね、鈴木。またね」
「ああ」
 スタスタと歩いて行ってしまう薪を、友人たちが追いかける。「待てよ」と一人が呼びかけるのに、「早く淳子さんに会いたいだろ?」と返す声が聞こえて、「僕、お腹空いてるんだ」と彼の急ぐ理由に皆の笑い声がかぶさった。

「あれで良かったわけ?」
「だって今、約束しただろ」
 雪子はふっくらと赤い下唇を突き出し、ひとのせいにしないでよ、と不満げに吐き捨てた。
「もしかして、あれからずっとこの調子なの?」
「べつに、ケンカしてるわけじゃないよ。ただ、前みたいに四六時中一緒にはいない。オレにだって薪の知らない友人はいるし、薪は薪で、ゼミ仲間と楽しくやってるみたいだし」
「薪くんのゼミになら、あんた今まで平気で顔出してたじゃない。コンパも顔パスだったでしょう?」
 それは昔の話。今は今だ。

「薪には薪の付き合いがあるんだよ」
 鈴木は携帯電話を取り出して、母親の携帯にメールを打つ。今日は雪子と夕飯を摂ることになりそうだから、断っておかないと。この連絡を怠ると、いつもはやさしい母親が鬼になる。夕飯くらい、と思うが、女って不思議な生き物だ。

「友人も恋人も……そういえば、麻子ちゃんて、おまえの友だちだよな? あのふたり、付き合ってるの知ってた?」
「まあね。付き合い出すときに相談受けたわ」
「こないだコンパで一緒になったんだけどさ、いい感じだったぜ。あんなにやさしい眼で女の子を見る薪、初めて見たよ。よっぽど麻子ちゃんのこと」
「理学部のアユミが薪くんと寝たって、自慢げに言ってたけど」
 面白くなさそうに、雪子は言った。
「えっ。マジ?」
 麻子は雪子の友人だ。彼女がないがしろにされて、腹立たしいのだろう。しかし、さっき雪子は薪に何も言わなかった。これが鈴木だったら一本背負いを決められているところだ。この差はなんなのだろう。人前だったから遠慮したのかもしれないが。
「他にも何人か、同じような噂を聞いたわよ。真偽のほどは不明だけど」

 雪子の言葉がとても哀しそうな響きを持っているのに気付いて、鈴木は薪を責めない彼女の気持ちが、解ったような気がした。
 彼女は知っている。薪の本当の気持ちを、知っているのだ。

「あのね、鈴木くん。余計なお世話かもしれないけど」
 鈴木の大きな手が、雪子の口を塞いだ。普通の女の子ならくちびるで塞ぐところだけど、こいつにはそういうことはしたくない。雪子は大切な友だちだ。失いたくない。
「これでいいんだよ」
 雪子は目を瞠ったが、すぐに平静を取り戻し、鈴木の手を穏やかに退けた。それきり、何も言わなかった。
 遠ざかっていく彼らの姿を、彼らの合間に見え隠れする小さな亜麻色の頭を、鈴木は見えなくなるまで見送っていた。



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言えない理由 sideB(9)

 鈴薪強化月間の当初予定日は過ぎてしまったのですけど、お話はもうちょっと続きます。
 具合の良いことに、にに子さんとこも延長決まったみたいだし♪ (にに子さんの爽やかすずまきさんと比べて、ドS展開のこの話はさっさと終わらせるべきでは?)

 根性出せばきちんと収まったはずなんですけどね、年のせいで体力がね。(^^;

 年のせいって言えばね、40過ぎたらお尻の肉が垂れてね~。 ←藪から尻。
 こないだ、ふざけて義妹の膝の上に座ったら、骨が当たるって言われたのですよ。 肉が下がって、尾てい骨部分の肉が薄くなったんですね。 オットにも、床に膝をついて雑巾掛けしてたら 「尖ってる尖ってる」 って先端部を撫でられるし~、
 セクハラで訴えてやろうかしら。(笑) 






言えない理由 sideB(9)





 最近になって、鈴木は麻子の姿を頻繁に視界の隅に留めるようになった。それは内気な彼女らしいアプローチで、控えめにこっそりと影から自分のことを見つめる風情で、なるほど薪もこの戦法に陥落したのかと微笑ましいことを考えた。
 鈴木が呑気に構えているのは、薪の彼女の接近が、親友から自分に対する心変わりから来るものでないことを知っているからだ。彼女はたぶん、自分に言いたいことがあるのだ。

「オレに何か用?」
 その日は珍しく鈴木の周りに友人がおらず、一人で帰宅の途を辿っていた。彼女と話をするにはいい機会だと思った。
「薪なら一緒じゃないよ。約束もしてない」
 薪は以前の生活スタイルを取り戻し、授業にゼミにと忙しい毎日を送っていた。葛西教授に詫びを入れに行ったら、1年分のレポートをつき返され、全部書き直して来なさい、と言われたらしい。薪はそれらのレポートを1ヶ月のうちにすべて再提出し、そのうちのひとつがコンクールの特別審査員賞を獲得したとか。教授の満足そうな顔が目に浮かぶようだ。

「い、いえ、あの……わたし、鈴木さんに、お話が」
「薪のこと? 悪いけど、あいつの浮気の話ならオレからは諭してやれないよ。オレも人のこと言える立場じゃないからさ」
 薪が麻子以外の女性とも付き合っている、という噂は聞いていた。鈴木が見たところ、相手の女性に押されるがままに関係を持ってしまっただけのような感じを受けたが、それでも浮気は浮気だ。しかし、鈴木も他人のことを言えた義理ではない。来るもの拒まずが鈴木のモットーだからだ。

「そんなことはどうでもいいです」
 変わった娘だ。自分の彼氏が他の女と遊んでも、気にならないのだろうか。
 道端じゃなんだから、と鈴木は麻子を近くのカフェに誘い、コーヒーとオレンジジュースを挟んで向かい合った。

「で?」
 鈴木が促すと、彼女はテーブルの下でぎゅっと両手を握り締め、フレアースカートの生地を掴んだ。懸命に唇を動かそうとし、能わず、落ち着こうとしてかオレンジジュースに手を伸ばした。でもその手は小刻みに震えていて、グラスを倒してしまう危険性が高いと自分でも察知したのか、彼女は元通り、膝の上に手を置いた。
 そんな彼女の様子に、わずかにイラつく自分を感じる。その苛立ちの本当の理由を知っている鈴木は、努めて穏やかな表情で彼女から話を聞き出そうとした。

「あいつに何か、キツイことでも言われた? だったら気にしないほうがいいよ」
 彼女が話しやすいように、こちらから話を切り出す。コーヒーを啜りながら、鈴木は軽い口調で話を継いだ。
「薪とうまく付き合うには、ちょっとしたコツがあるんだ。それはね、薪の言うことをマトモに受け取らないこと。あいつの態度と本音は、真逆だと考えていい。意地悪や皮肉を言われたら、それはあいつの愛情表現だと思って大丈夫だから」
「鈴木さんとは、そんなふうだったんですね」
 彼女は苦笑し、それで少し落ち着いたらしかった。手を震わせずにグラスを持ち上げ、ストローで静かにジュースを飲んだ。

「薪くんは、わたしにはとても優しくしてくれます。意地悪も皮肉も、言われたことはありません」
「あ、そうなんだ。薪のやつ、本当に麻子ちゃんのこと好きなんだな」
 素直な感想を述べる鈴木を、麻子は顔を上げてじっと見た。初めてまともに彼女と向き合った鈴木は、気弱な印象を受ける彼女の灰色の瞳の中に揺ぎ無い意志を感じ取って、彼女の芯の強さを知った。
 やがて彼女は言った。
「薪くんが、すごく辛そうなんです」
「つらそう? 何かあったの? あ、もしかして、やつの浮気のことでケンカになったとか」
 麻子は首を横に振り、
「それで彼が満たされるなら、わたしは平気です。もともとわたし、薪くんの恋人ってわけじゃないし」
「え!? ちょっと待ってよ、麻子ちゃん。薪の方は本気だと思うよ? あいつが女の子と付き合うなんて、初めてなんだから」
 半年も付き合っている彼女に、恋人として認めてもらっていない不憫な友人の境遇に、鈴木は同情した。他の女の子に手を出した薪が悪いが、浮気は男の本能みたいなもので、それを女性に納得してもらうのは中々に難しいが、ここは友人のために一肌脱いでやろう。
「むかし薪はね、女の子なんかつまらないって、オレにはずっと言ってて」
「今もそう思ってますよ。わたしは彼が好きだけど、彼はわたしを見ていない。わたしだけじゃない、他の誰も」
 鈴木の弁護は途中で遮られた。彼女の瞳が強く輝いているのを見て、ここからが本題だ、と鈴木は察した。

「薪くんが欲しいのは、鈴木さんだけなんです」
 鈴木の右手に触れて、コーヒーカップがかちゃりと音を立てた。
「わたしでは、彼の渇きは癒せない。他の誰でも駄目なんです。鈴木さんだけが」
 彼女の真剣な声音に、鈴木は確信する。彼女は、薪と自分の過去を知っている。まさかと思うが、薪が話したのだろうか。

「わたし、見てたんです。あの日、最初に薪くんを見つけて、雪子にあの場所を報せたのはわたしなんです。わたしじゃどうにもならなかったから、だから雪子に頼んだんです」
 なるほど、と鈴木は納得する。あの一部始終を知っているのでは、下手な言い逃れはできない。彼女はすべて承知の上で、薪と付き合うことにしたのだ。おそらく、薪の心の中に誰が住んでいるのか、そこまで知った上で。
「それで? オレに何をどうして欲しいの」
「彼のところに戻ってださい」
 本当におかしな娘だ。麻子は薪に恋をしている、それは明確な事実なのに、昔の恋人に彼と縁りを戻せと言う。

「それはできない」
 やっとの思いで断ち切った彼との関係を、彼が流した涙と必死の決意を、無駄にはできない。
「普通の友人としての付き合いは続ける。それがオレには精一杯だ」
 事情を知っていても、麻子は所詮部外者だ。あの苦しみを知っているのは、自分たちだけ。薪を二度とあんな煉獄に堕とすことはできない。

 彼女の申し出を鈴木がきっぱりと断ると、麻子は一重の細い目を更に細めて、ぼそりと吐き捨てた。
「だれも薪くんの恋人に戻れなんて言ってないでしょ」
 聞き間違いかと思った。
「なにうぬぼれてんの? 薪くんだって、もうそんなこと望んでないわよ」
 顔と言葉が合ってない。内気な表情と奥ゆかしい雰囲気はそのままで、口調だけが乱暴になっている。
 薪のやつ、とんでもない女と付き合ってるな、と思いかけて、鈴木はそれを瞬時に否定する。彼女は怒っているのだ。鈴木が想像もつかないほど。
 麻子は残りのオレンジジュースを飲み干し、ぎゅっと唇を引き結んだ。薄化粧をした彼女の唇はベージュ色のヌーディリップで、彼女にはもっと明るい色が似合うのに残念だな、と鈴木はお節介なことを考えた。

「普通の友人ってつまり、大勢の友達のうちのひとりってことですよね? そうじゃなくて、昔みたいに、彼の一番近しい存在に戻って欲しいんです」
 先刻までの控え目な態度が嘘のように、麻子は自分の意見を堂々と主張した。開き直ると強いタイプらしい。
「薪くんはとっくに覚悟を決めて、鈴木さんの親友としてやり直そうとしているのに。鈴木さんは彼と距離を置こうとしている。薪くんがあんなに辛そうなのは、そのせいです」
「オレが近くにいちゃダメなんだよ。オレがいるとあいつは」
「薪くんは、そんなに弱い人間じゃありません」
「きみの前ではそうかもしれないけどね、あいつはオレの前じゃ」
「いいえ。薪くんはあなたが考えているより、ずっと強いひとです。弱いのはむしろ、あなたの方」
 きつい眼光に、鈴木は思わず身を引いた。驚いた、この娘は怒ったほうが美人だ。

「あなたは、逃げてるだけ。彼の想いが怖いから、いいえ、自分の中に残ってる彼への気持ちに引き摺られるのが怖いから。それはもしかしたら、薪くんも同じかもしれない。
 でも薪くんは、あんなに一生懸命なのに。あなたに心配を掛けたくないから、苦手なコンパにも出てるのに」
 糾弾とも取れる言い方で、彼女は畳み掛けた。開き直ると強いんじゃない、この娘はもともと強いのだ。弱気な外見をしているだけで、中身は雪子クラスだ。
「あんなに一生懸命、あなたに相応しい人間になろうと努力してるのに」
 学生らしく勉学に励み、友人との付き合いもこなし、年相応に女の子とも遊んで。それは確かに、鈴木が薪に望んだ姿だった。薪は懸命に、その理想像に自分を近づけようとしている。ただただ鈴木のため、堂々と鈴木の親友に戻るため。

「あなたも薪くんの親友なら、彼の努力に応えてあげて」
 言い終えて、麻子はオレンジジュースを飲もうとし、中身が空なのに気付いて、水の入ったコップに手を伸ばした。氷が解けて温くなった水を、彼女はゴクゴクと飲んだ。テーブルの上に載せられた左手が、血の気が失せるほど握り締められている。緊張していたのだ、と分かった。

「きみの言いたいことは解った。オレからも、一言いい?」
 ぎくっと彼女の肩が強張った。自分の暴言に何を返されるのかと怯えた眼をした彼女は、しかし気丈に「はい」と頷き、鈴木の眼を見返した。
「麻子ちゃんさ、口紅はピンク系の方が似合うと思うよ」
 
 きょとん、と目を丸くする彼女を置いて立ち上がり、鈴木は店から出た。ぶらぶらと歩いて、コンビニの角を左に曲がる。横断歩道を渡って100mほど歩き、さらに左に折れる。
 半年振りに辿る道、半年振りの風景。目的の場所までの道順はちゃんと足が覚えていて、何も考えなくても鈴木をそこまで運んでくれる。
 鉄製の階段を上がり、左下方の傷の形まで思い出せるドアの前に立つ。右手のチャイムを押し、家主が出てくるのをしばし待つ。やがてドアが開かれ、鈴木は彼と対峙する。
 記憶を手繰るまでもなく鮮明に重なる、彼の涼やかな笑顔。

「なにか用?」
「退屈だから、薪と一緒にビデオでも見て、感想を語り合おうかなって」
「……政治学の課題レポートの書き方とか?」
「あ、バレた?」
 あはは、と笑って鈴木はディパックを左肩に掛けなおす。階段の下から吹いてくる風からは、夏の終わりの匂いがする。
「でも、ビデオ鑑賞の時間はあるぜ」
「そうなのか? レポートの提出期限は?」
「来週の月曜日」
 鈴木が期限を告げると、薪は真夏の太陽みたいに明るく笑った。

「じゃあ、外へ行こうよ、鈴木。こんなにいい天気なんだから」




*****


 学生時代のすずまきさんは、ここまでです。 
 この先は鈴木さんの最期の場面につながって行くので、痛いの苦手な方は、ここでおしまいにしてくださいね~。 ←手遅れ感が半端ない。



 

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言えない理由 sideB(10)

 新しいリンクのご紹介です。

 
№9 秘密ートップシークレットー (←クリックすると飛べます)
 maki9 さまが描かれる緻密なタッチの麗しい薪さんが満載のイラストサイトです。

 ご本人様は 「いくら描いても似ない、だれか描き方教えてくれないかな」 なんて仰ってますが、わたしに言わせれば、こんなに描けるくせに、なんて贅沢なって。(笑)
 絵が描ける人って、本当にすごいですよね!
 文は日常生活で使うものだから誰にでも書けると思うけど、絵は、生まれつきの才能もさることながら、特別に時間を作って研鑽を重ねていくものでしょう? maki9さんは、その努力を惜しまない人だと思います。 原作の絵柄に近付けようと試行錯誤を重ねるご様子に、薪さんへの愛を感じます。 本当に好きなんだなあって。 
 ぜひご訪問なさって、maki9さんの熱ーい薪さん愛を、その目でお確かめになってください。(^^


 





言えない理由 sideB(10)





「鈴木。起きろよ」
 軽く肩を揺さぶられて、鈴木は目を覚ました。青い空に、ぽっかりと浮かんだ白い雲が見える。
「警察官が他人に起こされるまで野外で爆睡って、ありえないだろ」
 亜麻色の大きな瞳を悪戯っぽく吊り上げて、親友が自分の顔を覗き込んでいた。つややかなくちびるは細く窄められ、幼い頬は芳醇に実った果実のように瑞々しく、瞳と同じ色の髪は太陽光に照らされて、いっそ金色に輝く。
 現実の太陽よりも彼に眩しさを感じて、鈴木は眼を細める。

「オレは薪と違って、現場に出たことないから」
「これだから、察庁さんは」
「おまえだって所属は警察庁だろ? キャリアなんだから」
「僕は今は警視庁の人間。鈴木は敵だ」
 警視庁と警察庁の不仲を揶揄して、薪はにやっと笑った。意地悪そうな笑い顔が、板についている。彼が充実した毎日を送っている証拠だ。

 薪は現在、警視庁捜査一課に身を置いている。今年から班長を任されて、優秀な成績を上げている。『薪警視の前に迷宮なし』と囁かれる、捜査一課の天才。その意外と子供っぽい素顔は、鈴木だけが知る彼の秘密だ。
 鈴木の腕を掴んで起き上がらせる彼の腕に、男の力強さを感じる。警察機構に入って3年、薪は見違えるように逞しくなった。見かけはそれほど変わらないが、スーツの下に隠された肉体には明らかな変化が起きている。
 彼は、先日の柔道の昇段試験に見事合格し、念願の黒帯を獲得した。鈴木に賞状を見せにきた薪はとてもうれしそうで、とっくに燃えるゴミになってしまった国学院の賞状との対比に、失笑を禁じえなかった。

「なんだよ、おかしな笑い方して」
「いや。なんでもない。それよりもさ」
 苦笑に顔を歪めた鈴木は、どうしてここで親友を待っていたのかを思い出し、彼にその話をするように促した。薪にとっては青天の霹靂、世界の一大事だったはずだ。一介の警視が、上層部、それもトップ3の人物に直々に呼び出されるなんて。

「どんなひとだった? 小野田官房長」
 緊張した面持ちで訊ねる鈴木に、薪はあっさりと、
「写真と同じ顔してた」
「いや、そうじゃなくてさ」
 やっぱり薪の感覚は、普通とズレがある。現に、興奮も萎縮もしていない。小野田官房長といえば警察機構実力者ナンバー3、自分たちのような一警察官にとっては雲の上のようなひとだ。そんな大人物と面接をしたとあれば、気分が高揚して饒舌になるか、逆に過度の緊張状態から醒めて脱力状態になるかのどちらかではないか。
 鈴木の呆れたような口調に、薪はしばらく考えてから、
「やさしそうなひとだった」
 だから、そうじゃなくて……もういいや。

「で、面接の内容はなんだったの?」
「第九の室長やってみないかって」
「室長? 第九って、新設の研究室の? って、警視のおまえに?」
 薪は手に持った封筒から3枚の申請書を取り出し、鈴木に差し出した。官房長直々の特別承認人事。書類を持った鈴木の手が震える。
「警視正の試験を受けろって。で、受かったら1年くらい海外研修に行って来いって」

 芝生の上、鈴木の隣に座って天気の話でもするように、この夢のような幸運を淡々と語る親友に、鈴木は身震いする。
 絶対に大物になると思っていたが、こんなに早くその兆しが現れるとは。薪はまだ26。通常警視正になれるのは35歳からだ。試験を受けるのは来年だろうが、こいつが試験と名のつくものに落ちるわけがないから、昇任は27歳。8年も早い上層部入りなんて、聞いたこともない。
 それなのに、薪ときたら。

「いやだなあ、海外なんて。せっかく班長任せてもらえるようになったのに」
 これだ。現場の仕事が面白いものだから、この常識外れの大きなチャンスをありがた迷惑みたいに思っている。
「なあ。やっぱり断ったらマズイかな」
「当たり前だろ! てかおまえ、こんなチャンスを断るなんて、キャリア入庁した他の同僚に聞かれたらフクロにされるぞ」
「だって研究所なんて。僕、現場の方がいいよ」
 それは、ずっと鈴木が望んでいたことだった。現場で荒くれた犯罪者と対峙する薪の身を、鈴木が毎日どれだけ案じていたことか。研究室なら、命の危険はないはずだ。それだけでも安心できる。

「何言ってんだ、第九だぞ! 最新鋭の捜査方法だぞ!」
 
 昼食の最中に携帯で呼び出されて走っていく親友の後姿を、鈴木がどんな思いで見ていたか。殺人犯に襲われたら、強盗犯に撃たれたら―― 警察官なら殉職の可能性は視野に入れていたはずだが、薪はキャリアだ。現場に出るとは思わなかった、だから止めなかったのに。何を思ったか薪は捜査一課への配属を希望して、自らを危険の中に置いて、その死と隣り合わせの毎日は鈴木の心労を否応なく煽った。
 新しい研究機関の素晴らしさを滔滔と並べ立て、鈴木はこのチャンスをものにするよう、薪に働きかけた。熱心な説得の裏に隠された鈴木の気持ちには気付かないまま、薪は感心したように息を吐く。

「鈴木がMRI捜査に賛同するとは思わなかった。たしかに、今までのやり方を根底から覆す手法だけど、僕はいやだな。だって、人間の脳を見るんだろ? 覗きみたいじゃないか」
「なに甘っちょろいこと言ってんだ。倫理的には問題が残るかもしれないけれど、通り魔殺人等で被害者同士の接点が見つからない場合には、これ以上有効な捜査方法はない。犠牲者の人数を最小限に抑えることができるんだ。冤罪だって防げるし」
 聞きかじりのMRIの知識を振りかざして、鈴木は懸命に薪を説得した。薪の言うことなら何でも聞いてやった鈴木だが、今回ばかりは譲れなかった。
「わかった、わかったよ。鈴木がそこまで言うんなら、受けてみるよ、昇格試験」
 鈴木の剣幕に押される形になって、薪が折れた。薪は我が儘だが、引くところは引く。彼らはいつもそんな調子で、押したり引いたり、凹凸の波がぴったりと重なるみたいに寄り添っていた。

「MRI捜査に興味があるなら、鈴木も一緒にやる?」
「そんな勝手が許されるのか」
「わからない。でも鈴木となら、他の誰とするよりも良いものが創れると思う」
 意地悪で皮肉屋で、常に斜めから人を見るタイプの親友は、鈴木の前では時に、びっくりするくらい素直な一面を見せる。それが彼の中核だと、鈴木だけは知っている。
「官房長に頼んでみる。まずは準備室を立ち上げるから、そこの副室長におまえのことを推薦しておくよ。そうしたら」
 自分の思いつきにワクワクして、薪は子供のような笑顔になる。最初の気乗りのなさは何処へやら、芝生の上にかいた胡坐の膝を抱え込むように身を乗り出すと、
「そしたら、一緒に仕事ができるな」

 亜麻色の大きな瞳を希望に輝かせて、薪は未来のビジョンを語った。
「僕が室長になるから、鈴木は副室長になって。どんな事件もたちどころに解決して、第九研究室を警察機構一の研究施設にするんだ」
「おお? さすが薪くん、試験を受ける前から通る気マンマンだね?」
「茶化してないで聞けよ。死人の脳を見るわけだから、世間は色々言うだろうけど、実績さえ上げれば抑え込めると思う。システムの扱いには専門的な知識が必要だから、その研修施設も創設しないとな。それには優秀な人材を集めて」
「研究所随一のエリート集団、法医第九研究室か。カッコイイな、それ」
「だろ? きっと女の子にモテモテだぞ」
「モテモテって……薪、それ100年くらい前の死語だぞ」
「うるさいよ、真面目に考えろよ」
「自分から言い出したくせに」

 それからふたりは、新しい研究室の話題に夢中になった。最新鋭のIT技術の粋を凝らした宇宙開発局クラスの設備。神の領域に挑むような高揚感が、彼らを包んでいた。
 そのときは思いもしなかった。
 自分たちの未来予想図が、悪夢に変わるなど。
 近い将来彼らを襲う悲劇の存在は、僅かな片鱗すらも覗かせてはいなかった。すべてを見通す神の眼たるMRIにも、推理の神さまとまで謳われた天才にも、まったく予測することはできなかったのだ。



テーマ : 二次創作(BL)
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言えない理由 sideB(11)

 過去作に拍手くださってる方々、ありがとうございます。(^^
 わー、懐かしいー、と軽い気持ちで当該記事を眺めると、光の速度で記事を下ろしたくな……とにかく、ありがとうございます。 

 ただ、ちょっと心配なのは、
 時間が夜中の1時とか3時とか!
 病気になっちゃいますよっ。 睡眠不足は免疫力を低下させてしまいます。 どうか、夜はちゃんと眠ってくださいね。


 SSを書き始めて3年経ちまして、昔の話を読みますと、その粗雑さに恥ずかしくなります。 勢いだけで書いてたんだねー。
 今はちゃんと考えて書いてるもんね。  
 いかに笑いを取るか、いつも考えてる! ←完全に方向性を誤っている。 

 こんなんだから、うちのあおまきさんは 「ドツキ漫才」 とか言われて~。
 ええ、本望ですとも。(笑) 




 お話の方は、これで終章です。
 にに子さんと一緒に始めた (←便乗させていただいたが正しい) 鈴薪強化月間も、この更新が最後です。 同じタイミングで終われてよかった。(^^
 機会がありましたら、また昔の鈴薪さんを書きたいです。 でも今一番書きたいと思ってるのは、滝沢さんリターンズのクライムサスペンスです♪ (いつも望まれないものばっかり書いてすみませんっ)
 
 お読みくださってありがとうございました。






言えない理由 sideB(11)




 蝉時雨が狂ったように降り注ぐ夏の早朝だった。
 二発の銃声が第九研究室に響き、次いで一発の銃声が轟いた。
 鈴木は叩きつけられるように床に倒れた後、すぐに動かなくなった。
 直前、鈴木の眼に映っていたのは親友のきれいな顔。驚愕に歪み、それでもなお美しく。鈴木を惹きつけた亜麻色の瞳。

 夏の最中、連日の過酷な職務に身を削られ一回り細くなった鈴木の親友は、両手で構えた銃をそのままに、床にぺたりと腰を落とし、ガタガタと身を震わせていた。一人では立つこともできない赤子のように、それはとても頼りない姿で、だから鈴木は彼に手を貸して立たせてやろうとするが、鈴木の身体は既に彼の支配から離れ、意思を持たない肉塊になろうとしていた。
 自分を助けにも来ない不忠者の部下を叱責することもなく、薪は自力で床を這い、鈴木の方へ寄ってきた。鈴木の胸の左側、血が噴出している場所に両手をあてがうと、圧迫によって止血をしようと自分が血に汚れるのも構わず、力を込めた。胸に押し付けた白いハンカチが、見る見る真っ赤に染まる。

「鈴木っ!」
 彼の声が聞こえる。普段は涼やかなアルトの声、それがヒステリックに引き攣れて、自分の名前を呼んでいる。
「はい、室長」
 そう答えたつもりの鈴木の声は発せられることなく。力なく落とされた目蓋に死の影は濃く、正常な聴覚も既に失われていたけれど。
 鈴木にはしかし、彼の様子がはっきりと分かる。

 目なんか見えなくたって、耳なんか聞こえなくたって。薪のことだけは分かる。
 泣いている。震えている。ありえないくらい取り乱している。

 名前を呼ぶことで、彼がこの世に留まることができる、そう信じ込んでいるように。薪は何度も何度も繰り返し、彼の名前を呼び続けた。しかし鈴木の身体は急速に熱を失い、噴き出していた生命の迸りも、その勢いを失くしつつあった。

 生命の終着に訪れる、長い長い一瞬の中で、鈴木は思う。

 人類がこの世に誕生してから700万年。人は生まれて、生きて死んで、回り続ける糸車のように命を紡いできた。その壮大な流れの微粒子に過ぎない自分と彼が、同じ時代に生まれ同じ場所に生き、互いの人生を交差させたのはまさに奇跡。
 この巡り合わせに、ひたすら感謝する。
 おまえに会えたこと、おまえに関われたこと、身近なひとになれたこと。
 オレってけっこう、ラッキーだったじゃん。

「すずき、すずきっ!」
 滂沱する彼の雫を、消えゆく意識の片隅で感じて、その涙を止める術を持たない自分を鈴木は残念に思う。
 相変わらず、薪は泣き虫だ。警察に入庁してから強くなったと思っていたけど、全然ダメじゃないか。

 必死に自分の名を呼び続ける彼に、何とかして伝えたい。
 そんなに悲しむことはないと、別に世界が終わるわけじゃない、これからもおまえの輝かしい人生は続くのだと、どんな形でもいいから伝えたい。
 しかし既に自分はその力を失ってしまったのだと、もう永遠に取り戻すことはできない、これから先、二度と彼の涙を拭ってやることはできないのだと、今になってやっと気付いて、鈴木は初めて絶望する。
 誰でもいい、どんな方法でもいい。誰か、オレの代わりに、薪の涙を止めてくれ。

 薪の涙が鈴木の頬にぼたぼたと落ちて、彼の声が遠ざかる。見も世もなく嘆く親友の、それは鈴木の胸を抉るように辛い画で、こんな彼の姿を見たくはないと鈴木は思う。
 だから鈴木は、心から願う。

 ――― 頼むよ、薪。
 笑ってくれよ。オレはおまえの笑った顔が見たいんだよ。
 この期に及んで、それ以外、何も望まない。欲深いオレの最後のお願いがこんなに謙虚なんだから、叶えてくれてもいいだろう?

 鈴木の願いに応えてくれたのは神でなく、彼の親友でもなく。わずかに活動を続けていた鈴木自身の脳だった。
 鮮明だったモニター室の風景が白く霞み、まばゆい光が辺りを包んだ。壊れかけた脳が作り出す幻覚と言う名の彼が、鈴木の前に姿を現わす。
 亜麻色の髪をさらりと流して、僅かに小首をかしげている。はだかの肩が覗いている、幾度となく抱き寄せた愛しい肩。
 鈴木を見上げてはんなりと微笑む、綿菓子みたいな笑顔。

 ――― さすがオレの薪。やればできるじゃん。

 その所作に満足して、鈴木がいつものように亜麻色の頭を優しく撫でると、薪は嬉しそうに笑った。



 ――― これはオレの大いなる遺産。薪に遺す、薪にしか意味のない宝物。
 いつの日も、おまえにこの笑顔があるように。
 ずっとずっと、大切に守って。
 オレが守ってきたものを、今度はおまえが守って。
 守り続けて。



 ―了―



(2010.9)


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破滅のロンド(1)

 こんにちは。
 春一番も吹き荒れまして、やっと春ですね。

 本日から公開しますお話は、心浮き立つ季節に相応しく~。
『破壊のワルツ』の続編、滝沢さんリターンズのクライムサスペンスでございます。
(おやあ? ふざけるな のお声があちこちで……)

 えっとね、
 話はハードかもしれないけど、この話は基本的にあおまきさんだから、根っこは明るくて、だから『破壊のワルツ』みたいに後味の悪い話ではないと思います。 「べるぜバブ」の主題歌をBGMに書いたくらいだし。
 ただクライムサスペンスなので、死んじゃう人はいるし、怪我をする人もいます。
 本誌が最終回を迎えようとしているこの時期、秘密ファンはみんな精神的に不安定になってると思う、ので、強くお勧めはできないのですけど。 うちの滝沢さんの決着として、原作とは切り離して楽しんでいただけたらと思います。

 なお、前作『破壊のワルツ』は、カニバリズム事件がメロディ本誌で飛行機事故だった頃に書いたものなので、続編のこちらもその設定が継続しています。 ご了承ください。




 

破滅のロンド(1)



 空港のロビーから一歩外へと踏み出した彼は、焼け付くような日差しに眼を細めた。
 今まで暮らしていた南国に比べれば故郷の太陽は春先の木漏れ日のように優しいはずだと予想していたのに、なかなかどうして、厳しい出迎えだ。彼がこの地を離れた6年前より、東京の温暖化は確実に進んでいるとみえる。

 タクシー乗り場へ向かうと、行列ができていた。一列に並び、雑誌や新聞を片手に大人しく順番を待っている人々を懐かしい思いで眺める。相変わらず行儀のよい国民だ。礼儀正しさと愚かしい従順を持ち合わせている。
 郷に入っては郷に従えだ、と自分に言い聞かせ、彼は列の最後尾に付いた。順番待ちの退屈な時間、彼は周りの人々のようにそれを紛らわす事を敢えてしなかった。
 彼にとって、無為な時間はとても貴重だ。こんな風にぼんやりとできて、かつ、命の危険を感じなくていいなんて。

 この数年、彼は異国の地で絶えず生命のやり取りをしてきた。工作員としての基礎を一から叩き込まれ、強制的に危険な任務に就かされた。
 平和な祖国に帰って来ることができて、彼は運が良かった。
 はずなのに。

 安息に満たされようとする彼の心に、それは唐突に投げ込まれる。水面に投じられた細い針のような、よって広がる波紋もさほど大きくはない。だが、その切っ先は鋭い。針は真っ直ぐに彼の一番深いところを目指して、その姿に似合わぬ威力でもって彼を切り裂いていく。
 乱れ破れた記憶の狭間から浮かび上がってくる雑多な映像。その多くはこの手で殺した人間の顔だ。新しいものから古いものへ、風景は南国の砂漠から都会のビル群に移り、やがては彼が最初に人を殺めた記憶へと行き着く。

 壁一面の大型スクリーンと、端末モニターだらけの部屋。スパコンのファンが回る音と、薄気味悪いくらいリアルな音の無い画。そこにいるのは4人の仕事仲間で、うち二人は彼が殺した。残る二人のうち、一人がもう片方の男を殺して、部屋にはたった一人が残された。
 独り生き残った男をこそ、彼は仕留めたかったのに。

 自分が未熟だった頃に仕損じた仕事を、そのターゲットの姿を、彼は鮮明に思い出すことができる。ターゲットは、一度会えば忘れられないような姿形をしていた。性別を超えた美しさとでも言うのか、見ようによっては人間ですらないような。
 でも、彼は知っている。あの綺麗な顔の裏には穢れきった脳みそが詰まっていて、その中には沢山の秘密が隠されている。彼が暴きたかった真実も、他の誰かの密事も、入り乱れて腐敗している。取り澄ました顔をして、でもその本質は吐き気を催すほどに汚らしい。

 その男を思い出した途端、鮮やかに甦る若い女性の姿。彼女は再び彼の名前を呼び、彼に手を振る。せっかく故郷に帰って来たのに、記憶の中の彼女は、やっぱり泣き顔しか見せてくれなかった。
 彼女の泣き顔を見ると、ポケットに忍ばせたナイフを己が胸に突き立てたくなる。
 彼女が泣くのは当然のことだ。6年前、必ず帰って真実を暴くと決意したものの、なかなかその機会は訪れず。生き残るだけに精一杯の毎日が、彼を当初の目的から遠ざけた。彼の中で次第に大きくなって行ったのは、事実の究明よりも失われてしまった命に対する罪悪感。
 彼女の死の真相を、自分は暴くことができなかった。悲しかろう、悔しかろう、すまないすまない。おれもそちらへ行くから。行っておまえに詫びるから。

 でも、生き残ってしまった。

 生きさらばえてこの国に帰ってきて、ならば必ず成し遂げて見せる。そのために、おまえはおれを彼の地で守ってくれたのだろう?

 彼の深慮は、上着ポケットの微震によって遮られた。携帯の着信を見ると、自分を母国に呼び戻した雇い主からだった。
「滝沢です。今ですか? まだ成田に着いたところですよ」
 雇い主の相変わらずの気短に、彼は苦笑する。
「ええ、そちらに着くのは午後になるかと。え、今日中に研究室へ? 今日は日曜ではなかったですか?」
 公休日にも関わらず、新しい職場へ行けと雇い主は言う。明日から彼が勤務する研究室の責任者は日曜日でも職場に出ている予定だからと、電話の後ろからは明るいモーツァルトが聞こえてきて、彼の雇い主は余暇を満喫している様子だ。
 いいご身分だ、と彼は皮肉に唇を歪め、しかし言葉は丁寧に承諾の意を示した。
「解りました。おれも早く、懐かしい顔に会いたいですし」
 そう、彼が赴くのは新しい職場ではなく、古巣だ。そこでは6年前と変わらず、壊し損ねたブラックボックスが室長を務めている。

 ―― 今度こそ、壊してやる。

 徹底的に破壊して、跡形もなく消し去ってやる。そうすれば、きっと。彼女は笑ってくれるに違いない。

 携帯のフラップを閉じ、薄く微笑みながら彼は思う。そのことを考えると、銃撃戦の最中に弾丸が耳の際を掠めたときのように、身体中の血が逆巻いた。

 そうだ。これが、生きるということだ。



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破滅のロンド(2)

 ある日の我が社の会話。

オット 「変更設計書、キターーー!!」
しづ  「ジャスドゥーイット! ダンジョンセレクト 『DA・I・KU』!」
オット 「作戦モード 『ガンガン行こうぜ』!」
しづ  「オーケェイ、我が命に代えても!」

(↑↑↑ 仕事中、いつもこんなアホをやっているわけではありません)

 今日の時点で、竣工検査が4月9日に決定しております。
 ので、4月8日までブログはお休みします。

 始まったばかりでぶった切ってすみません。
 その前に書類が上がれば再開しますので~、どうかよしなにお願いします。
 







破滅のロンド(2)






「岡部。今、何時だ?」
「18時35分22秒です」

 上司に時刻を尋ねられた岡部が秒単位で返してやると、薪はちょっと嫌な顔をした。が、文句は言わない。岡部の性質に似合わない嫌味な行為は、1枚の書類を精査し終えるごとに時刻を問うた自分に責任があると、頭では理解しているのだろう。なのに、次の書類を読み終えると同時に彼は、
「何時になった?」
「……お貸ししますから」
 舌打ちしたいのを堪えて、岡部は自分の腕時計を外した。6時を回ってから10回以上も訊かれているのだ。気が散って仕事にならない。
 岡部が差し出した時計を、しかし薪は受け取ろうとしなかった。亜麻色の瞳を困惑に曇らせ、書類で顔の鼻から下を隠すように覆う。報告書の活字に向かって彼は「悪い」と小さく呟き、見れば彼の細い手首にはオメガのビジネスウォッチが正確に時を刻んでいた。

「どうにも落ち着かなくて」

 6時までに片付けたい書類があるから手伝ってくれ、と頼まれて、岡部が日曜の研究室にやって来たのは午後4時。朝から仕事をしていたと思しき上司は、岡部の顔を見るとホッとしたように微笑んだ。
 よく来てくれた、コーヒーでも淹れるか、などと常にはあり得ない低姿勢で休日出勤の部下を労う彼の態度に岡部は多大な疑念を抱き、というのも薪は人生の最優先事項は仕事だと主張して憚らないワーカホリックタイプ上司の典型で、それを他人にも強制するという厄介な性癖を持っている。だから休日に仕事を言い付けたところで、部下にお愛想を言う訳がない。絶対に、何か裏がある。
 手渡された書類を見て、岡部の疑惑は確信に変わった。月末に目を通しても業務には支障のないような会議の議事録。休日の午後に職場に呼び出された理由がこれですか、と岡部が恨みがましい視線を向けると、薪はようやく白状した。

 一昨日、薪の恋人の姉が上京してきた。
 彼女は夫と一人娘の3人で大阪に住んでいるのだが、OL時代の友人の結婚式に出席するため、東京に出てきた。せっかくだからゆっくり羽を伸ばしてきなさいと言ってくれた寛大な夫に3歳になる娘を託し、単身で東京にやって来た彼女は、最新観光スポットのガイド役を依頼すべく、弟に連絡をしてきた。
 彼女の計画では、土曜日の昼に友人の式に出席し、その後は週末を利用して弟と東京見物などして過ごし、日曜の最終列車で大阪へ帰ることになっており、その話は岡部も彼女の弟から直接聞いて知っていた。薪の恋人というのは実は同じ研究室の捜査官で、岡部の部下でもあるからだ。基本的に研究室は週休二日制を採用しており、今のところ休日を返上しなければならないような事件もない。だから彼が姉孝行のために土日を当てることに、何ら問題はなかった。ところが。
 日曜日の夜、ぜひ薪と3人で食事を、と彼の姉が言い出したから大変だ。

「居ても立ってもいられなくて。仕事してるのが一番落ち着くから」
 そんな理由で日曜の朝から急ぎでもない書類の整理をしていた上司は、空調の効いた研究室が炎天下の路上でもあるかのように、パタパタと書類で顔を仰いだ。相手の顔も見ないうちから舞い上がっているらしい。
「でも、時間が迫ってきたら文字が頭に入ってこなくて。誰かいれば平常心を保てるかと思って」
 それで岡部が呼び出されたわけだ。まったく、はた迷惑なひとだ。
「6時ごろに、連絡をくれる約束だったんだ。もう30分も過ぎてる」
 鳴らない携帯電話を見つめ、薪はそっと息を吐き出した。青木は姉の希望に沿って観光スポットを巡っているのだろうし、業務連絡ではないのだ。30分くらいは誤差の範囲だと思うが。

「薪さんの方から、青木に連絡すればいいじゃないですか」
「電話なんかできるわけ無いだろ。お姉さんが一緒なんだぞ」
「別におかしくないでしょう。だって、これから三人で食事するんでしょう?」
「そうだけど……う」
 呻いて薪は、口元を左手で覆う。前かがみになって小さな肩を竦め、
「緊張のしすぎで胃にきた」
 上司の小心に、岡部は呆れる。緊張などと言う人並みの感覚が、この男にあったのか。警察大学の大講堂で何百人もの聴講生相手にMRIの講義をしたときも、警察庁の重鎮たちに第九の合法性を主張する説明会を開いたときも、平然とした顔でさらりとこなしていたのに。

「どうしてそんなに緊張するんです?」
「僕が彼女だったら、夕食に毒を盛る」
 物騒なことを言い出した上司に、岡部はたじろぎながらも尋ねる。
「毒を盛られるような覚えが?」
「だっておかしいだろ。どうして姉弟水入らずの席に僕を呼ぶんだ。青木のやつが何かヘマして、秘密がバレたに決まってる」
 薪は顎の下に右手をあてがい、肘を机について背中を丸めると、憂鬱そうに呟いた。彼らの関係は一般的に見ればマイノリティだ。薪の懸念は理解できなくもないが、卑屈な態度は相手に悪印象を与えてしまうだろう。要は気の持ちようだ。ダメだダメだと思っていると、本当にダメになってしまうこともあるではないか。

「薪さんのほうが、悲観的過ぎるんじゃないですか」
 もっとリラックスした方がいいですよ、と岡部がアドバイスをすると、薪はそれを跳ね返すように片手を突き出し、険しく目蓋を閉じて、
「僕には1時間後の未来が見える。席に着いた途端、コップの水をかけられて女狐とか罵られて、人の大事な弟に何てことを、ってめちゃめちゃに殴られて」
「どこの韓流ドラマですか」
 薪は映画やドラマに影響を受けやすいから、アクが強い韓流ドラマと任侠映画は見るなと言っておいたのに。岡部の忠告を守らなかったらしい。

「だったら行かなきゃいいじゃないですか。仕事じゃないんだし、強制される筋合いはないでしょう」
 青木の姉とて、薪の忙しさは弟を通じて聞いているはずだ。だから時間的余裕があったはずの金曜の夜ではなく、自分が帰らなければならない日曜の夜を指定してきたのだろう。全国的公休日なら薪の予定も空いている確率が高いと踏んだのだ。ならば、彼女の思慮深さに甘えさせてもらって、後は青木のフォローに期待してもよいのではないか。
「青木の身内に不愉快な思いはさせたくないんだ」
 断頭台に向かう罪人のような薪の表情から、一も二もなく飛びついてくるかと思ったが、彼は岡部の案には乗らなかった。盛大にしかめた眉を普段の凛々しい形に戻し、散らばった書類を机の上で揃えながら、
「どうしても譲れないことがあるから。だから、その他のことは何でも彼女の気が済むようにしてやりたい」
 カチリとホッチキスを握り、書類と一緒に自分の心も整理したかのように、薪は静かに言った。

 相手の身内に対する引け目や罪悪感。相手も合意の上なのだから、というか、青木の方から好意を寄せてきたのだから、そんなものを感じる謂われはないはずなのに。恋愛に関して、どちらか一方が悪いなどと言うことはあり得ないのに、年上の自分に責任があると独り決めしている。とにかく、薪は考え方が古いのだ。もはや化石だ。
 それでも。
 相手に対して誠実であろうと自分を奮い立たせる薪の姿に、岡部は心強さを覚える。「どうしても譲れない」と彼は言った。こちらの方面には限りなく後ろ向きだと思っていたが、それなりに成長しているようだ。

「ご機嫌伺いに、でっかい花束でも贈りますか」
「ラフレシアとか、スマトラオオコンニャクとか?」
 岡部の懐柔策はもちろん冗談だが、薪はくるっと眼を輝かせて、その話に乗ってきた。緊張の緩和には馬鹿馬鹿しいジョークが有効で、それは室長と副室長と言う役職をこなす二人の間でしばしば行われてきた試みだった。とかくストレスの多い管理職、冗談でも言わないとやってられないときもあるのだ。
「僕も考えたんだけど。今日、大阪に帰るなら荷物になるかなって」
「それもそうですね。じゃあ、かさばらなくて軽いもので、娘さんの洋服とか」
「僕が3歳の女の子の洋服を選ぶのか? カンベンしてくれよ」
 苦笑しつつ、薪は立ち上がった。書類に2穴パンチで穴を開け、ファイルに閉じるべく壁際の書類棚に向かって歩き出す。
 そのとき、室長室の扉がノックと共に開かれた。

「薪くん。いてくれてよかった」
「田城さん。なにか」
 言葉を飲み込むようにして、薪は口元を手で覆った。きれいな顔が、見る見る青ざめていく。取り落とした書類が床に散らばるのをそのままに、薪は強張った顔でドア口を見つめた。
 入ってきたのは田城所長ともう一人。ふくよかだが背は高くない所長の後ろから、大柄な男がドアを潜ってきた。

 すうっと、部屋の空気が変わった気がした。
 舞い降りる漆黒の羽ばたきを、確かに聞いたと岡部は思った。彼の放つ死臭を嗅いだと思った。長年、現場で鍛え上げた岡部の第六巻が告げていた。この男は危険だ。

「久しぶりだな、薪」



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破滅のロンド(3)

 こんにちは~。
 毎度のお運び、ありがとうございます。

 おかげさまで、書類上がりました♪
 今日から再開させていただきます。


 公開作、過去作共に、たくさんの拍手をありがとうございます。(〃∇〃) 
 このお話、サンショウウオさんにしか読んでもらえないと思ってたんですけど(笑) 意外や意外、二桁の「よし行け」コールをいただけて、嬉しい限りです。(あ、ふざけるなコールだった?)
 全部で28章あるので、お気を楽にして、のんびりお付き合いください。






破滅のロンド(3)







「久しぶりだな、薪」

 男は田城の後方から、真っ直ぐに薪を見ていた。岡部のことなど気にも留めていない。自分をここに連れてきた田城の存在さえ無視して、まるでこの部屋には薪と自分の二人しかいないかのように、気安く薪に話しかけた。
「6年ぶりだ。懐かしいな」
 懐かしい、と男は微笑んだが、それはひどく冷たい笑みだった。細めた眼は恐ろしいくらいに笑っていない。年は、おそらく自分とそう変わるまい。対等な口を利いているところから、薪のキャリア仲間かと想像した。しかし。

「…………滝沢」
 押し殺したような薪の声には、怯えと怒りが混じっていた。両手を身体の脇に下し、ぎゅっと拳を握り、薪は睨みつけるように男を見た。男の、塗りつぶされた闇のような、底の知れない黒い瞳と、透明度の高い亜麻色の瞳がぶつかり合う。
 滝沢と呼ばれた男の背中から、禍々しいものが立ち上る気配がした。岡部が捜査一課で凶悪犯を追い詰めていた頃、何度も感じたあの気配。警察庁勤めのキャリアが、何をしたらここまでの殺気を持ちうるのか。この男、只者ではない。
 睨み合ったまま、二人は一言も喋らない。部屋を満たした極度の緊張に刺激され、岡部の後ろ首がチリチリと疼いた。

「ちょうど良かった、岡部くんも一緒だったんだね。滝沢くん、紹介しておくよ。副室長の岡部警視だ」
 場を取り持つ才覚に優れた田城の声で、部屋の緊張は一気に緩んだ。我知らず、ほっと息を吐いて、岡部は滝沢に視線を向ける。
「岡部くん、こちら滝沢幹生警視。明日から第九研究室の新しい一員になる」
 えっ、と声を上げたのは岡部だけではなかった。頭を巡らすと、薪が驚いた顔をしている。室長の薪が新しい人事を知らされていなかったなど、普通では考えられない。

「薪くんは昔なじみだから、紹介の必要はないよね」
 ええ、と頷いた滝沢は人を見下す目つきで岡部を見た後、形だけは丁寧に頭を下げた。
「明日からよろしくご指導ください。岡部副室長」
「こちらこそよろしく」と岡部が応えを返すのを見届けて、田城は部屋を出て行った。滝沢はモニタールームを見学するという名目で残り、しかしそれは明らかな方便だった。疑うまでもない、彼の目的はこちらだ。
 田城がいなくなると、滝沢はスタスタと薪の傍に歩み寄り、包み込むように薪の肩に手を置いた。

「またおまえの下で働けることになって、本当にうれしい。どうだ、これから旧交を温め合おうじゃないか」
 薄笑いを浮かべながら、薪の腕や背中を軽く叩く。瞬間的に、岡部は怒りを感じた。青木のように特別な感情を抱いているわけではないが、薪の身体に気安く触られるのは不愉快だ。自分は室長のボディガードだという自負があるからだ。
 それに、滝沢の態度は副室長としても許せない。室長の薪に対して砕け過ぎではないか。現在、薪の周りにこんなフランクな態度で彼に接する者はいない。小野田でさえ、必要以外には薪の身体には触れない。薪の身体に触りたがる者と言えば警務部長の間宮がいるが、あれは例外だ。薪も遠慮なく蹴り飛ばしているし。
 普通なら払いのけるはずの過剰なスキンシップを、何故か薪は耐えているようだった。飲みに行こうと誘われて、即座に断らないのも不思議だった。薪にはこれから、大事な約束があるのに。

「病院からは、いつ?」
「1週間程前だ。何度も見舞いに来てくれたのに、まともな応対ができなくて悪かった」
「最後に行ったのは1ヶ月前だ。ずい分急激に回復したな。喜ばしいことだ」
「ああ、おれも驚いている。おまえが陰に日向に、おれの回復を祈ってくれたおかげだ。感謝している。ありがとう」
 自分の細い手を握って礼を言う滝沢の大きな手を、薪はじっと見つめて、
「よく日に焼けているな。病院では、日光浴が日課だったのか?」
「生っちろいと、いかにも病み上がりみたいで周りが気を使うだろう。日焼けサロンに行ってきたんだ。少し、焼き過ぎたかな」
 ちっ、と舌打ちして、薪が引いた。表面的には和やかな会話だが、聞いているほうはヒヤヒヤする。見えない火花が散っているみたいだ。昔なじみと言っても、どうやらあまり友好的な関係ではなかったらしい。

 薪はじっと新しい部下の顔を見て、彼から視線を逸らさずに携帯電話を取りだした。待っていた電話が掛かってきたらしい。いいタイミングだ、これでスムーズに断れるはずだ。
 ところが。
「今日は行けなくなった。急な用事ができて」
 素っ気無い言葉で、薪は電話を切ってしまった。日曜日の朝に朝寝もできないくらい重大な用事だったのに、自分にできることは何でもすると決意していたのに、この豹変ぶりはどうしたことか。

「あちらの方が先約じゃないですか。せっかく大阪からいらしたのに」
 思わず岡部が口を挟むと、余計なことを言うなと言わんばかりの目つきで睨まれた。常なら引き下がるが、この選択は薪を窮地に追い込むと分かっていた。
「彼は明日からここに勤務するんでしょう? いつでも飲めるじゃないですか」
「うるさいな。行きたきゃおまえが行け。元々乗り気じゃなかったんだ」
「薪さん」
 あまりと言えばあまりな物言いに、岡部の声が棘を含む。それに気付かない薪ではない筈だが、彼の態度は変わらぬまま。ふい、と岡部から眼を逸らし、自分の肩を抱いたままの男を見上げる。

「滝沢、行こう」
「ああ」
 優越を含んだ目つきで新人に見られて、岡部の三白眼に力が入る。が、相手はどこ吹く風だ。ヤクザでさえ竦み上がる岡部の睨みにたじろぎもしないとは、豪胆と言うかふてぶてしいと言うか。相当の修羅場をくぐってきたと見える。

「店は任せる。なんせ、6年も病院に入っていたからな。この辺もすっかり変わっちまった。ここに来るときも、迷いそうになったんだ」
「方向音痴は相変わらずか」
 クスッと薪は笑って、でも眼が笑ってない。それに応えて笑みを浮かべる滝沢の瞳も、永久凍土の氷壁並みの冷たさだ。
「おまえも変わってない。ティーンエイジャーのままだ」
 滝沢は手のひらを薪の額に当て、前髪を弄ぶように撫で上げた。薪の人形のような額が顕になり、しかしそこには普段は見られない嫌悪が微かな皺となって浮かぶ。
「まるで人ではないようだな?」
 薪はそれには答えず、するりと滝沢の手を抜けて、自分の机に戻った。鞄を持ち、帰宅の準備をする。

「岡部。それ、片付けといてくれ」
 床に散らばった書類を指差し、薪は平然と命じた。まるで薪と初めて会った時、床の掃除を命じられたあの時のように、それは他人を寄せ付けない態度だった。岡部は理解しがたい思いで薪を見たが、彼の横顔は完全な無表情になっていた。もう何年も見たことがなかったのに、どうやら滝沢という男の存在は、岡部には踏み入らせたくない領域であるらしい。

 二人が肩を並べて研究室を出て行った後、岡部は薪が散らかした書類を片付けながら、明日から自分の部下になる男の顔を思い出していた。
 態度はやや尊大だが、穏やかだった。言葉も丁寧で、粗雑な感じは受けなかった。でも、嫌な眼をしていた。何を考えているのか分からない、底の知れない眼だ。
 決して彼のことを好いてはいない風なのに、どうして薪は彼との交誼を優先したのだろう。気を使わなければいけない相手なのか? 自分の部下になる男なのに?

「……そうか」
 思い当たって過去の人事データを調べてみると、やっぱりそうだ。滝沢幹生警視。貝沼事件の折、精神を患って入院した職員だ。
 薪が特別扱いするわけだ。彼が入院したのは自分の責任だとでも思っているのだろう。彼にできるだけのことはしてやらなければ、と考えているに違いない。何でも自分のせいにする薪の自責癖は矯正すべき悪癖で、岡部もしょっちゅう注意するのだが、これがなかなか治らない。自分のお節介と一緒だ。

「やっかいな新人が来たもんだな」
 と、その時の岡部は、他の職員たちと彼の調整に頭を悩ませたが、すべてが終わってから振り返るに、何と呑気なことを考えていたのだろうと、恥じ入るような気持ちになった。
 迷わず、引き留めるべきだったのだ。殴り倒してでも、薪と一緒に行かせてはならなかったのだ。
 自分は彼に、不吉なものを感じ取っていたはずだ。危険な男だと思ったのだから、抑えることはなかったのだ。
 その後彼が巻き起こす、警察庁全体を揺るがす未曾有の事件の予想を、しかし岡部は予想だにせず。薪に命じられたとおり会議録をファイルに閉じて、研究室を後にしたのだった。



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破滅のロンド(4)

破滅のロンド(4)






 カラン、と氷の溶ける音がした。
 地下ビルのバーという場所でありながら、低音で流れるリストのピアノ曲の中では、その音は異質だ。それを証明するかのように、年季が入って艶を帯びたカウンターの内側でバーテンダーがこちらを振り返る。その視線から連れを隠すように、滝沢は細長い台の上に肘を付き、薪の方へと身を乗り出した。

「本当に変わらんな。あの頃のままだ」
「おまえはますます態度がでかくなった」
 亜麻色の髪に伸ばした滝沢の手を、薪は耳の横でパシリと払った。冷ややかに言い放ち、ロックグラスを傾ける。6年前より酒も強くなったらしい。

「岡部は副室長だが、鈴木ほど穏やかな性格をしてない。彼の前であまり僕にべたべたすると、投げ飛ばされるぞ」
「それは残念だ。おれはおまえのことが大好きなのに」
「そういう冗談もNGだ。何て言うかその……色々あって。彼は少し、過敏になってるんだ」
 薪の言う「色々」の具体的な意味は分からなかったが、彼が眉根を寄せた所を見ると、つまびらかにされるのは避けたいようだ。後で聞きだしてやる、と滝沢は心に決め、薪が嫌がると解っている猫撫で声で、
「冗談なんかじゃない。おまえのことは本当に好きだぞ」

 ―――― 殺したいくらい。

 あからさまに眉を顰める旧友に、滝沢は含み笑いをこぼす。
「6年間、おまえのことばかり考えていた」
 嘘ではない、本当のことだ。死んだ彼女を想うより、彼を身の上を想像する方が多かった。彼女には一筋の変化も見出せなかったが、彼には空想の余地があった。
 あれから彼はどうしただろう? 最後に見たときには死人のようだったが、生き永らえているだろうか。自ら命を絶ったとしたら、どんな方法で?
 あそこまでの絶望に叩き込んでやったのだ。浮き上がれるはずがない。彼女を失った自分が二度と昔の自分に戻れなくなったように、ましてや薪はその手で自分の半身を殺したのだ。まともな人生など歩めるはずがない。彼に比べたら自分はまだマシだ。
 そう思っていたのに。

 雇い主に渡された資料には、滝沢が予想もしなかったことが書かれていた。現在の第九メンバーと室長である薪との間には強い信頼関係が築かれ、見事な連携プレイによって幾つもの難事件を解決している。滝沢がいる頃はどちらかと言うと孤立気味だった警察内の立場も改善され、昨今では天敵だったはずの捜査一課や組対五課と協力し合って犯人を逮捕することも多くなってきた。長官賞、局長賞、警視総監賞など主だった賞はとっくに制覇し、第九の名声は室長の薪警視長の威光と共に日本中に轟くようになった。
 警察機構トップの検挙率を武器に、第九は現在も躍進を続けている。その頂点に君臨するのが滝沢の隣に座った小男だ。滝沢が与えた絶望は何処へやら、いつの間にか階級も上がっているし、順風満帆の人生ではないか。

 それを知って滝沢は、ひどく寂しい気分になった。
 自分が彼に施したものを、6年の間に彼は忘れ去ってしまった。自分は一時たりとて、彼を忘れたことはなかったのに。
 ―――― 思い出させてやる。

「おれはおまえに会えて、本当にうれしいんだ。以前のように仲良くしてくれ、薪」
「以前のように?」
 薪の顔が訝しげに歪んだ。おまえと馴れ合った覚えはない、と言いたげだ。
 よかろう。思い出せないなら、新しく関係を築くまでだ。

「薪、おれはおまえを恨んじゃいない。おれが精神を病んだのは、自分を過信したせいだ」
 相手の罪悪感を喚起するには、やさしい言葉が効果的だ。ストレートな非難を受けた人間が抱くのは反発だけ、反発心から人間が自発的行動を取ることはない。自分の首は自分で締めさせる、それが滝沢の戦術だ。
「おまえがあれほど無理をするなと言ったのに、限界を超えて貝沼の画を見続けた。おまえの言いつけを破って悪かった、でもおれは、少しでもおまえの役に立ちたかったんだ」
 滝沢が誠実な言葉を重ねるほどに、薪の瞳は憂愁に包まれた。
 薪は責任感の強い男だ。少々、過ぎる嫌いがあるくらいだ。鈴木のことはもちろん、上野や豊村のことも、室長としての自分の責任を強く感じていることを滝沢は知っていた。ならば当然、精神病院に収容された滝沢にも引け目を感じているはずだ。

「できるだけのことはする」
 予想通りの言葉が薪の口から零れて、滝沢は心の中で快哉を叫ぶ。
「おまえが病院に入らなきゃならなくなったのは、室長である僕の責任だ。許されるとは思っていないが、僕にできるだけのことはする」
「うれしい言葉だ。おまえは相変わらずやさしいな」

 お人好しめ、そんなことだから部下を全部殺されて、その上自分の手まで汚すことになったんだ。恨むなら自分の甘さを恨め。
 そう嘲笑う側から、否、根源はそこではない、と打消しの声が上がる。そうだ、忌むべきは甘さではない。愚かしくはあるが、それは罪ではない。憎むべきは彼の罪。的を一点に絞って、滝沢は心中で薪を罵倒する。
 上層部の言うがままに秘密を飲み込んだ、その汚い心根を恨め。

 言葉にならない呪詛を繰り返し呟きながら、滝沢は尊大に笑う。俯き加減にグラスに口をつける、明日から自分の上司になる男に向かって昂然と言い放った。
「おまえの誠意に期待する」



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破滅のロンド(5)

 こんにちはっ。
 すっかり春ですね~。 
 大好きな季節です。 お花もきれいだし、緑がやわらかくて、ほっこりします。 何より、
 仕事がヒマだから怠け放題。 ←そこか。

 さてさて、滝沢さんリターンズのこの話、覚悟していた 「薪さんにヒドイことしないで」 というお声が聞こえてこなくて、ホッとしてます。
 いつもやさしく見逃してくださってありがとうございます。
 本当は心配で 「やーめーてー」 と言いたいのを我慢されてる方も、決して泣くような話じゃないので、どうか気を楽にしてくださいね。 でもって、最後まで読んでくださるとうれしいです。 この話がないと、薪さん負け犬のままだし、滝沢さんも可哀想なままだから。


 ではでは、お話のつづきです。




  


破滅のロンド(5)






 翌日。岡部と同い年の新人の来訪は、第九に波紋を起こした。
 朝礼の際、室長の隣に立った新人は、その風貌だけで職員たちをざわめかせ、次いでその雰囲気で言葉を失わせた。静寂を見定めて、薪が「おはよう」と朝礼開始の挨拶をする。

「今日から一緒に働くことになった、滝沢幹生警視だ。6年ほどブランクはあるが、元々2課の生え抜きだった男だ。MRI捜査にも精通している。6年の間に更新されたシステムの操作法さえ習得すれば、即戦力になれる実力を持っている。しっかり指導してやってくれ」
「滝沢です。先輩方、よろしくご指導願います」
 職員たちの心に広がった波紋は、薪が新人の肩を持つような紹介の仕方をしたことも理由の一つだったが、一番の原因はやはり本人にあった。
 鋭い目つきと大柄な体躯。尊大な雰囲気と上から目線の態度は、新人と言うにはあまりに威圧的で、人の好い曽我などは思わず敬語で挨拶を返してしまったくらいだ。

 こちらが先輩なのだから気を使う必要はない、と岡部が経験年数を盾に曽我の立場を守ろうとすると、滝沢は、
「岡部副室長のおっしゃる通りです。年は行ってますし、MRI捜査の経験もありますが、普通の新人として扱ってください」
 と、慇懃無礼に返してきた。言葉と雰囲気が全く合っていないのは、わざとか無意識か。悩むところだが、彼が長い間入院していたことを考慮すると、コミュニケーションは不得手だろうと察せられた。
 薪は朝礼が終わると直ぐに室長室へ引っ込んでしまったし、フォローするのは事情を知っている者の役目だ。岡部は、細い眼に不満を浮かべた小池の肩を叩き、
「ここでは新人だが、滝沢は現場経験が長い分、捜査官としてはおまえらよりも上だ。階級もな。敬語の必要はないが、学べるところは学ばせてもらえよ」

 滝沢の実力を勘案して、指導員は宇野に担当させることにした。本来なら新人の指導は青木の仕事なのだが、いかんせん若すぎる。自分より一回り以上年下の職員に教えを乞うのは、滝沢のプライドにも障ると思われた。
 指導と言っても、滝沢は既にMRI捜査の基本は押さえている。必要なのは、この6年の間に新しくなったシステムの使い方、つまり操作方法の説明だ。システムに一番詳しいのは宇野で、様々なショートカットを効率的に使いこなせるのも彼だ。そんな理由から、宇野に白羽の矢が立ったのだ。

「よろしく。言っときますけど、俺、二回同じこと教えませんから」
「はい。心して聞きます」
「青木に当たれば優しく丁寧に教えてもらえたと思うけど。残念ながら、俺はやさしい人間じゃないんで」
 好戦的な会話が耳に入って来て、岡部は焦る。これは選択を誤ったか。
 宇野は意外と気分屋だ。人の好き嫌いもはっきりしているし、IT人間ならではの合理的精神で多少言いにくいこともズケズケ言う。しかし、曽我では滝沢の雰囲気に呑まれてしまうだろうし、小池では絶対に喧嘩になる。今井なら適当にあしらうと思われたが、指導内容がシステムのことに限られるなら、捜査の中心たる今井を取られるのは避けたかったのだ。

「どのくらい使えるか見たいから。とりあえずこのテストデータ、ラーニングしてみてください」
 CDを渡してあっさり言うが、6年前とはシステム起動の方法も変わっているのだ。いきなりは無理だろう、とまたもやフォローの必要性を感じて岡部が二人のところへ足を向けると、盆に載せたコーヒーの馨しい香りと共に、宇野曰く「やさしい男」がやって来た。
「すみません、滝沢さん。明日から、ご自分のカップを持ってきてもらえますか?」
 二人の机にコーヒーを置きながら、にこやかに話しかける。何人新人が入って来ても、一番年若い捜査官として雑事をこなしている青木は、業務開始前にこうして全員にコーヒーを配って歩く。強制されているわけではないが、日課のようなものだ。皆もそれに慣れてしまって、彼が出張の日など、青木のコーヒーを飲まないと一日が始まらない、と嘆く職員もいる。

「カップ、ですか」
 太い首を訝しげに捻り、滝沢は低い声で訊いた。ニコリともしない新人に向かって、青木はあくまで友好的に、
「ええ。今日はお客さん用のカップに淹れましたから。はい、どうぞ」
「普通は紙コップを使うのでは?」
「そうしてる部署もありますね。でも、カップの方がエコだし、コーヒーの味が引き立ちますから」
「しかし、瀬戸物のカップを使ったら、いちいち洗わなければいけない」
「流しに置いといてください。オレが後でまとめて洗いますから」
 にこっと笑いかけられて、滝沢が黙った。人を和ませる青木の笑顔は、彼の最大の武器だ。あの顔に向かって正面から毒づけるのは、薪くらいのものだ。

「そうだ、宇野さん。渋谷の放火事件で見て欲しい画があって。ちょっと機械借りていいですか?」
 宇野の返事を待たず、青木はシステムを起動させた。と、宇野がセットしたテストCDが自動的にセットアップされ、選択の画面が現れる。
「あれ、何か入ってました? すみません、邪魔しちゃいましたね。オレのは後でいいです」
 焦った振りのクサイ演技を織り交ぜて、青木は身を引いた。選択画面まで行けば、取っ掛かりができる。青木らしいフォローだ。
 余計なことを、と宇野は眉根を寄せたが、宇野は青木を気に入っている。肩を竦めてコーヒーカップを持ち上げ、「今日も美味いな」と青木の特技を褒めた。

「呑気にカップを洗える職員がいるとは。今の第九はよっぽど暇なんだな」
 ぼそりと、だがしっかりと相手に聞こえるように洩らした滝沢の言葉に、青木は苦笑し、会釈でその場を去った。真っ直ぐ室長室へ向かって行く。薪のカップを最後にしたのは、昨夜受けたドタキャンの理由でも説明してもらう気でいるのか。
 その背中を、滝沢はずっと目で追っていた。
 青木の気遣いを彼はちゃんと分かって、しかし素直になれなかったのかもしれない。精神を病んだ経験がある人間は、人の好意に甘えることが怖いのかもしれない。岡部は滝沢の心中を慮り、彼を皆に溶け込ませるためには肌理細やかなフォローが必要になると考えて、少しだけ憂鬱になった。面倒だが、職員同士の調和を図ることは副室長の仕事だ。

 青木が室長室に入った後も、滝沢はじっとドアを見つめていた。まるで中で起きていることを見透かすように、彼はとても鋭い眼をしていた。
「滝沢サンもどうぞ。青木のコーヒーは絶品ですよ」
 しばし無言でいた滝沢に宇野はコーヒーを勧め、すると滝沢は思い出したようにコーヒーカップを口に運び、馨しい液体を啜った。
「ね。美味いでしょ」
「さあ。わかりませんね」
 無感動で平坦な声だった。コーヒー好きにはたまらない味と香りも、好みが違えばさほど感じ入ることもない。まるで水でも飲むように滝沢は残りのコーヒーを飲み干し、空になったカップを給湯室へ持って行った。戻ると直ちに画面に向かい、マウスをクリックして一つのデータを選択した。

「オーケー。じゃあ次、ここ、拡大してみてください」
「はい」
「へえ、やり方覚えてるんだ。滝沢サン、記憶力良いですね。でも今は、ワンクリックで出来るようになって、こう」
「素晴らしい。便利になりましたね。MRIシステムも進化しているんですね」
「まあね。じゃあ、今度はこの画像をこちらへ移動してみて」
 スムーズに指導が行われていくのを見て、岡部は胸を撫で下ろした。
 青木のやつ、なかなかやる。職場の融和と勤労意欲を増進させる雰囲気作り。あいつには副室長の素質がある、と岡部は青木を評価し、しかし同時に彼は、青木の行動はただ一人の人物のためのものであることを知っている。職場の人間関係が悪くなれば、職務に影響が出る。そうなったら困るのは室長の薪だ。青木の行動規範は、薪のためになるかならないか、だ。
 青木の副室長としての才覚は、薪が室長でないと発揮されないかもしれない。それも、二人の関係が友好的であるという条件付きで。何とも限定されたアビリティだが、今のところ、岡部はずい分助けられている。

 青木は室長室に入ったまま、まだ出て来ない。職務中にプライベートの話を長々とする薪ではないが、昨夜のフォローをしているのだろう。薪が一言謝れば、青木がそれを快く許すであろうことは眼に見えている。とにかく、青木は薪に心底参っている。それは薪だって。
 青木のコーヒーを一番楽しみにしている人物が、愛用のマグカップを手に眼を細めている姿を思い浮かべて、岡部は穏やかな気持ちで朝礼の記録簿を閉じた。



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破滅のロンド(6)

 こんにちは。 

 今ね、わたしの大好きな人が新しい環境でがんばってるの。 遠いところにいるから彼女の健闘を祈ることしかできなくて、それがとっても歯痒い。
 自分では手の出せないことをあれこれ心配して、不安になって、そうすることに意味はない(直接彼女の役には立たない)と分かっているのに考えてしまうの。
 合理的でもない、建設的でもない愚かな思考、でも、
 こんなに他人のことを大事に思えるの、幸せなことだよね?
 今までも彼女はわたしにたくさんの幸せを与えてくれたけど、こうして彼女からのアクションが無いときでも、ちゃんと幸せは感じられる。 人を好きになるのって、本当に素敵なこと。
 今度はそういう話を書きたいなあ。


 あ、すみません。
 お話の続きはCさまとAさまの予想通り、めちゃくちゃひっくり返ってます☆
 どうか広いお心で~。





破滅のロンド(6)






 室長室で青木は、手に盆を下げたまましばらく立ち尽くしていた。
 約束を反故にされた件について、当然薪の方から詳しい説明があるものと思っていたのに、薪は何も言おうとしなかった。薪はとても潔い性格をしているから、事情を説明することは言い訳になると考えているのかもしれない。だから自分からは言い出しにくいのかもしれない、と青木は彼の立場を思いやり、譲歩する意味合いで尋ねた。
「昨日は、どんな用事だったんですか?」
「夕方、滝沢が此処に来て。飲みに行こうって誘われたから」
「それだけですか?」

 少々、咎めるような口調になってしまったかもしれない。それも無理からぬことだった。
 ものすごく素っ気ない断り方をされたから、急な仕事でも入ったのかと思い、姉にはそう説明した。もしも緊急の事件だったらと気になって折り返したが、薪は電話に出なかった。姉と別れてから何度も電話をしたのに、薪は一度も応えてくれなかった。幾度となく意図的に切られた携帯電話を見つめて、青木は眠れぬ夜を過ごしたのだ。

「オレ、昨夜何度も電話したんですけど」
「朝まで滝沢と一緒だったから。出られなかったんだ」
「朝まで?」
「久しぶりにロックなんか飲んだら足に来ちゃって。滝沢の部屋に泊めてもらったんだ」
 薪はそれを何でもないことのように告げたが、受け取る青木の方は到底平静ではいられなかった。滝沢は薪の昔の部下だと聞いているが、再会したその晩に部屋に泊まるほど仲が良かったのだろうか。
 薪が、朝のコーヒーを飲もうとしないのも気になっていた。薪はコーヒーが大好きで、だから青木は懸命に努力してドリップ技術を磨いたのだ。いつもなら飛びつくはずの室長専用ブレンドの香りにも、今日の薪は無関心だった。

「カンチガイするなよ? 別に何もないぞ」
 そこまで気を回したつもりはなかったが、恋愛の機微には鈍い薪がフォローを入れてくれたところを見ると、泣きそうな顔になっていたのかもしれない。
「安心しろ。世の中おまえみたいなヘンタイばかりじゃないから」
 薪さん、フォローになってません、と心の中で突っ込むが、これがこの人の気の使い方なのだ。このトゲの付いた鞭のようなフォローを有難く受け取れてこそ一人前だ。

「あの……姉は、薪さんに会えるの、とっても楽しみにしてたんです。オレ、姉には薪さんのこと、けっこう話してて。日本一の捜査官だからって、だから姉も薪さんのファンみたいになってて」
「青木。僕たち、距離を置こう」
 青木の言葉を遮るように、薪は唐突に宣言した。
「しばらくの間、プライベートでは会わない。職場でも仕事の話だけにしてくれ」
「何故ですか」
 反射的に飛び出した青木の問いに、薪は答えなかった。昨夜の電話と同じように、意図的に青木の気持ちを黙殺し、
「これは命令だ」
 冷たい声だった。まだ薪が遠い存在だったころ、彼の人となりを知らなかった頃の青木の耳に親しんだそれは、戦慄する過去からの呼び声のようだった。

「長居は無用だ。さっさと仕事に戻れ、青木警視」
 薪が階級を付けて部下を呼ぶときは、理性が吹き飛ぶほど怒っているか、命令に背くことは絶対に許さない、という強い意志が込められているかのどちらかだ。今回は、後者だ。
 青木は黙礼し、室長室を辞した。

 いったい、何があったのだろう。薪の気紛れには慣れているが、ここまで何の前触れもなく、直接的な言葉で遠ざけられたのは初めてだ。
 夕食を断った理由も、到底納得できるものではなかった。もしかしたらヤキモチだろうか。せっかくの週末だったのに、青木が姉を優先して、彼をほったらかしにしたから拗ねたのだろうか。だから自分も旧友を優先したと、そういうことか? しかし一昨日、「日曜の夜に姉と3人で食事を」と誘った時に彼は、「それは楽しみだ」と快諾してくれたのだ。多少緊張した声ではあったが、それが原因とはとても思えない。あるいは、自分の姉に会わせようなんて、結婚が決まった男女の段取りみたいなことをさせようとしたのがまずかったか。青木に深い考えはなかったが、薪にとっては重荷だったのかも。

 思わずドアの前で考え込んでしまった青木は、ふと、自分に向けられた視線に気付いた。
 興味、好奇心、それから、向けられる覚えのない敵意。じっとりと湿気を含んだ悪意に、ぞっと背筋が寒くなる。

 ハッとして顔を上げると、そこにはいつもの職場風景が広がっていて、自分を見ている者は誰もいなかった。ごく近い距離からの目線のように感じたのに、気のせいだったのだろうか。
 二日間、姉に引っ張り回されて疲れているのかと思った。まったく、我が姉ながらちゃっかりしている。舞が生まれてから初めての独り身だ、弟と時間は有効に使わなきゃ、と身勝手な理屈で土曜は夜中まで、翌日は朝の6時から東京中連れ回された。解放されたのは日曜の夜の9時過ぎだった。
 今週はしんどい週になりそうだ、と青木は思い、薪の笑顔が見られれば疲れなんか吹っ飛ぶのに、こんな時こそ癒して欲しいのに、と無い物ねだりの子供のように、つれない恋人のきれいな横顔を恨めしく思い出した。


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破滅のロンド(7)

破滅のロンド(7)




 昼休み終了の10分前。室長室にコーヒーを運ぶ青木を、岡部は呼び止めた。

「室長なら留守だぞ。午後から警視庁で会議だ」
「え。食事先から直行で?」
 午後からの会議のことは、青木も知っている。それでもこうしてコーヒーを運んできたのは、いつも薪は青木のコーヒーを飲んでから会議に赴くからだ。今日のように、昼食を摂った店から会議室へ直行というのは珍しい。ましてや。
「……また滝沢さんと一緒か」
 お供の部下と一緒に食事をして、そのまま出掛けるなど。

 ホワイトボードに書かれた各人の予定を見て、青木が低い声で呟く。表情には出さないが、面白くないのだろう。その気持ちは岡部も一緒で、多分、他の職員たちも同じだ。
 薪はとても公正な室長だった。部下の中で特に誰かを疎んじることなく、可愛がることはもっとせず、平等に厳しく、公平に叱った。職員たちの不満は室長に集中し、仲間内でいざこざが起きることはなかった。
 それが、滝沢にだけは違った。モニタールームに入って来るたび、彼に必ず声を掛けた。自分が外に出ることがあれば、常に彼を同伴した。まだ見習い期間中の滝沢は受け持ちの事件を持っていないから、と言うのがその理由だったが、青木が新人だった頃は一度も指名された覚えがない。

「よかったら」とカップを差し出され、岡部は隣に立った男を見上げた。椅子を回転させ、彼の真面目そうな顔を検分する。何処となく疲れて、元気がなさそうだ。
「薪さんも、どういうつもりなんだろうな」
 岡部はそれを、カマを掛けたつもりで訊いた。青木は薪の恋人だ。薪が滝沢に気を使う理由を、本人から聞いて知っているはずだと思った。ところが。
「オレには分かりません」
 力なく首を振る、そこまではあり得ることだった。薪は意地っ張りだ。自分の弱みを、例え相手が恋人といえども隠そうとすることは、充分に考えられた。しかし。

「もしかしたら昔、恋人同士だったのかも」
「ぶっ!」
 後輩の口から予想もつかない答えが飛び出して、岡部はコーヒーにむせる。何を根拠にそんな疑いを持ったのか、さては恋人の勘違い癖が伝染したのかと、岡部が咳き込みながらも青木の疑惑を否定すると、青木は何とも情けない顔になって、
「じゃあどうしてオレ、薪さんに振られたんですかね」
「はあ?」
 岡部はポカンと口を開け、間の抜けた声を出した。そんなわけは無い、自分は薪から何も聞いていない。薪が、青木の姉に会う直前の精神安定のために岡部を呼び出したのは4日前だ。この急転直下のラブストーリーをどう理解したらいいのか。

 岡部が日曜日の薪の様子を話してやると、青木は悲しそうに眉根を寄せ、岡部の隣の席に腰を下ろした。
「そうですか、そんなに嫌がって……オレ、薪さんの気持ち、全然分かってなかったんですね」
「いや、薪さんは別に嫌がってたわけじゃ」
「オレ、実はすごく浮かれてて。姉に自分の彼女を紹介するような気分でいたんです」
 それはそうだろう。薪は青木の恋人なのだから、どこも間違っていない。
「だけど、薪さんにはプレッシャーだったんですね。そうですよね。オレだって、もしも薪さんの両親がご存命でいらして、お会いする機会があったら、緊張で食事なんか喉を通らないかも」
「まあ、プレッシャーはあったみたいだが。薪さんは、おまえのためにそれを乗り越えようとしてだな」
 懸命に、薪は自分を奮い立たせていた。悲惨な未来図を思い浮かべながら、それでも逃げ出さず、立ち向かおうとしていた。そんな薪が青木を疎んじる道理がない。

「だから、薪さんがおまえを嫌いになったなんてことはない。滝沢の方を優先したのは、薪さんにも理由があって」
「理由ってなんですか。滝沢さんが此処に赴任した途端、オレと距離を置かなきゃいけない理由ってなんですか。仕事中は仕事のこと以外話しちゃいけない、プライベートでは近付いてもいけない理由って?」
「それは、おまえたちの仲が発覚するのを怖れて」
 苦しいこじ付けだった。それを危惧するなら、今までだって同じではないか。このタイミングで薪の警戒態勢がレッドゾーンに入った理由は他にある。

「岡部さん」
 縋るような瞳で、青木が岡部の顔を見た。岡部は第九内でただ一人、彼らの関係を知っている人間だ。困り果てた青木が他に頼る者はいなかった。
 迷ったが、話すべきだと思った。
 他の職員はともかく、青木は薪にとって特別だ。他人の過去、それもかなりの割合で推測が入る話だが、青木の気持ちを落ち着かせるのは大切なことだ。青木は大人しそうな外見からは信じられないくらい無鉄砲な男で、思い詰めたら何をしでかすか分からない。滝沢に詰め寄って直接問い質す、なんてことを平気でしてくれるからコワイ。

「滝沢は、貝沼事件の生き残りだ」
 えっ、と驚きの声を上げて、青木が背筋を伸ばした。貝沼の名前が出ただけで、ゴクリと唾を飲む。2065年の今でも、かの事件を上回る猟奇犯罪は起きていない。6年という歳月を経てなお、貝沼事件は日本犯罪史の頂点に君臨していた。
「当時の第九の職員は室長を除いて死亡したが、一人だけ、精神病院に入院した職員がいただろう。それが滝沢だ。6年間療養して、ようやく現場復帰することができたんだ」
「それで薪さん、あんなに気を使って」
 薪が滝沢から目を離さない理由を知って、青木は深く頷いた。薪の性格を知っているものなら誰でも察しがつく、室長として部下の精神的疾病の責任を感じているのだ。

「この話は、他の連中には黙っててくれ。下手に気を回されると、余計うまくいかなくなる」
 岡部が青木に秘匿を促すと、青木はもう一度頷いて、
「薪さんが滝沢さんのこと、気に掛ける理由は分かりました。薪さんらしいと思います。でも、だからってオレと別れなくても」
 多分、違うと思った。薪はポーカーフェイスが得意だが、こういうことはすぐにバレる。背中に張りがなくなったり、話し方が淡々とし過ぎていたり。ボーっとしたり、ミスが増えたり、人の話を聞いていなかったり。そういった兆候が一切現れていないところを見ると、別れ話は青木の誤解の可能性が高い。
 そう言って岡部が慰めても、青木は俯いたままだった。こと恋愛に関して、他人から告げられる恋人の好意は意味を持たない。希望を持たせようと耳に心地良いことを並べている、そんな風に受け取られがちだ。
 直接薪に確かめるのが一番良いのだが、プライベートでは会ってもくれない。電話ですら、仕事以外のことを喋ろうとすると切られてしまうと言う。何を考えているのか知らないが、そこまで徹底しなくてもよさそうなものだ。青木が落ち込むのも当然だ。

「折りを見て、ちゃんと説明するように俺が薪さんに話してやるから」
 最終的に、お人好しの岡部が介入を約束させられて、青木の悩み相談室は終わった。広い肩を落として自分の机に戻る後輩を、岡部は溜息混じりに見送ったのだった。



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破滅のロンド(8)

破滅のロンド(8)





「なんで勝手にタブを閉じたんだよ!」
 荒々しい声に岡部が振り返ると、冷静さが売りのシステムエンジニアが、仁王立ちになって怒っていた。珍しいこともあるものだ。
「切り替えの時には、必ず俺に声を掛けてくれって言っただろ?!」
「申し訳ない」
 宇野に怒声を浴びせられて滝沢は、それでも落ち着きを失わず、いつも通りの慇懃な態度で応えを返した。彼が第九に配属されて1週間。岡部はまだ、彼の焦った顔や困った顔を見たことがない。

「以前のシステムでは、タブが閉じる前に自動的に確認の画面が開いたものだから」
 滝沢が時々犯す旧システムとの相違による操作ミスは、ある程度仕方のないことと言えた。機械の操作法は、身体が習得しているものだ。頭で考える前に指が動いてしまうこともあるだろう。素早く処理をしようと思えば尚更のことだ。
 それは宇野も心得ている。問題は、滝沢のこの態度だ。申し訳ない、と言いながら、ちっとも悪びれる気配がない。口先だけで謝罪しているのが丸分かりだし、本人もそれを隠そうとしない。完璧に舐められている、と宇野が感じても仕方なかった。

「すまない。これからは気をつけよう」
「滝沢サン、あんたねっ!」
「宇野、落ち着け」
 宇野の激昂を嘲笑うような滝沢の横柄さを腹立たしく思いながらも、岡部は争いを収めようと二人の間に入った。四角いレンズを通した宇野の瞳が、常に無く凶悪な光を宿している。
「滝沢も、わざとやったわけじゃないんだから」
「それで済むなら警察要りませんよ! こっちは5日も掛かって入力したデータ、オシャカにされたんですよ?!」
「何の騒ぎだ」
 大声で怒鳴っていたものだから、薪の耳に入ってしまった。薪がこちらにやって来るのを見て、岡部はマズイと思った。岡部には薪がこの局面で、どんな態度を取るか分かっていた。それを受けた宇野がますます激怒するであろうことも。

 近付いて開口一番、薪は宇野に向かって、
「宇野。滝沢の指導員はおまえだが、滝沢はおまえより階級も年も上だ。頭ごなしに怒鳴ったりするものじゃない」
 岡部の予感は当たった。宇野の怒りは、2倍になったに違いない。普段はのっぺりとした彼の額に、幾本もの青筋が浮いたからだ。
 これまでの薪は完全な実力主義を貫いており、年齢や階級のことなど、一度も口にしたことがなかった。実績を上げたものが偉い。三つ子の魂百まで、初就任先の捜査一課で培われた彼の価値観は、研究室に於いても変わることはなかったのだ。そんな薪の方針を、第九の職員たちは恐れながらも支持してきた。それなのに。

「何があった。説明しろ」
 薪は宇野から事情を聞き、拳を握り締めて立っている宇野と、座ったままの滝沢を交互に見た。やおら腕を組み、軽くため息を吐く。くだらない、と口に出さんばかりだ。
「悪いのは宇野だ。このミスは、データ保存の手順を教えなかったおまえの責任だ」
「教えようとしましたよ! 切り替えの前に声を掛けてくれって、ちゃんと言いました! それを滝沢が勝手に」
「滝沢は悪くない。最初に手順を説明してから作業に入れば済んだ話だろう。おまえが説明を省いたのがそもそもの原因だ」
「そんなこと言われたって、画面を見ながらじゃないと説明できないし。目的の画面に進むまで、見てるわけにも行かないですよ。こっちにだって仕事があるんですから」
「指導と言うのはそういうものだろう。手を抜いたおまえが悪い」
「薪さん、なんでいっつもこいつのこと庇うんですか!?」
 一方的に叱責されて、宇野がキレた。この1週間、誰もが思って、でも言えずにいたことを、宇野は理性を失った人間特有の無遠慮さで叫んだ。

「別に、庇ってるわけじゃない。指導について僕の考えを述べただけだ」
 薪は本気でそう言ったのかもしれないが、逆上していた宇野には姑息な言い訳に聞こえただろう。宇野の形相は凄まじさを増し、それをさらに煽るように滝沢が口を挟む。
「薪。宇野警部の言うとおりだ。おれが悪かったんだ」
「なんでおまえは薪さんにタメ口なんだよっ! それが一番アタマに来るんだよ! 元同僚だか何だか知らないけど、職務中は敬語使えよ!!」
 正に決定打。それは岡部を始めとした部下たち全員の総意だった。
 鬼の室長として職員たちから遠巻きにされる薪に、滝沢は気の置けない友人のように話しかける。薪もそれを咎めることなく、終始和やかに応じる。それを目の当たりにすると、自分たちよりも滝沢、つまり旧第九の部下の方が薪と深い絆で結ばれているような気がして不愉快になるのだ。要は、ヤキモチだ。

「宇野さん、落ち着いてください。データの復旧作業、オレが手伝いますから」
 宇野を必死で宥めているのは、薪に関しては一番嫉妬深いはずの男だった。これまでに何度も彼は、薪の不公平な態度に憤る職員たちを慰めてきた。薪の立場を悪くすまいと、青木の努力は涙ぐましいほどだった。
 そんな彼の努力を蹴り飛ばすように、薪は滝沢の肩を軽く叩き、
「滝沢、気にするな。おまえの記憶力が良過ぎただけだ」
 などと世辞めいたことまで言った挙句、
「経験者とは言え、たった1週間で新しいシステムをここまで使えるようになったのは大したものだ。自信を持っていい」
 滅多に部下を褒めない薪の賞賛に、皆が目を剥いた。小池など「おまえが新人の時とはエライ違いだな」と青木の腹を肘で小突いた。それは皮肉屋の小池らしいリアクションで、しかし岡部には、滝沢に対する嫉妬心からの行動と思われた。
 滝沢には、心の病気だった過去がある。薪にしてみれば罪滅ぼしのつもりなのかもしれないが、あからさまな新人贔屓は他の職員の不満を煽る。これ以上は、第九全体のコミュニケ-ションに害を及ぼす。一言、注意を促しておくべきだ。

「薪さん。滝沢は完全に回復したと、医師が保証しています。薪さんが気を使われることはないと思いますが」
 室長室に戻った薪を追いかけて、岡部は進言した。話しかけられても薪は、岡部の顔を見ることもせずに室長席に座った。細い脚をスマートに組み、背もたれに寄りかかり肘掛に腕を置き、戯れにボールペンを回しながら薄く笑う。嫌な笑い方だと岡部は思った。
「昔なじみの贔屓は見苦しいと、正直に言ったらどうだ」
 岡部がせっかく包んだオブラートを無造作に剥がして、薪は嘯いた。
「分かってらっしゃるなら、どうして」
「僕は態度を改める気はない」
 突然厳しい口調になって、薪は言った。組んでいた脚を解いて、床にきちんとつける。背筋を伸ばして両手を机の上に置き、岡部の顔をしっかりと見据える。亜麻色の瞳は澄み切っており、彼の発言が確固たる意志の下に為されたものであることを証明していた。

「滝沢は優秀な捜査官だ。僕の目から見て、実力はおまえと五分。第九は実力主義だ。できる職員は優遇する」
 滝沢の実力は、岡部も認めていた。捜査資料を読み解くのも早いし、雑多な情報の中から重要なものを嗅ぎ分ける鋭い鼻を持っている。近年、科学警察に於いて非合理的なものは軽視される傾向にあるが、刑事の勘というやつは確かに存在する。それは豊かな現場経験から生まれるもので、一朝一夕に身に付くものではない。滝沢は、相当な場数を踏んでいるということだ。
「僕に眼を掛けて欲しけりゃ、腕を磨け。みんなにもそう言っとけ」
 話は終わりだ、と言う代わりに、薪は報告書のファイルを開いた。すかさず、岡部はその上にグローブのような手を滑り込ませる。A4判の中心に置かれたその手は書面の殆どを隠して、薪はうんざりしたように顔を上げた。

「滝沢が優秀な捜査官であることと、あなたのプライベートから青木を閉め出すことは、どう関係してくるんですか? 何故、同時なんです?」
「必要だったからしたまでだ」
「あなたに迷いがないと言うことは、仕事がらみですね?」
 これがプライベート、限定してしまえば恋愛問題なら、薪はもっと情緒不安定になる。以前、私的な懸念から青木を遠ざけようとしたときは、こちらが見ていられないくらい凹んでいた。その浮き沈みが今回は見られない。つまり、仕事だ。
 形の良い眉を思い切りしかめられて、岡部は安心する。ちっ、と行儀悪く打たれた舌打ちは肯定の証。薪が何かを隠し、決意し、一人で密事を為そうとしていることなど、岡部にはとうにお見通しだ。

「芝居なら芝居だと、青木に説明してやらないと。地球のコアまで落ちてましたよ。自分の姉に引き合わせようなんて、薪さんにプレッシャー掛けたから振られたのかもって」
「心配することはない。そのまま行けば、そのうち反対側に抜けるだろ」
「薪さん」
 岡部が非難がましい口調で名を呼ぶと、薪は肩を竦めた。少し苛々したときの癖で、人差し指で肘掛をトントンと叩きながら、
「別れようなんて言ってない。距離を置こうって言っただけだ」
「ほとんどイコールだと思いますけど」
「ぜんぜん違うだろ。プライベートでは会わない、職場でも仕事のこと以外は話さない、ってだけのことだぞ」
「……それ、事実上別れてますよね」
「えっ、そうなのか?」
 ズレているというか薪らしいというか。一般的な恋愛のニュアンスと薪のそれは、時に開いた口が塞がらないほど相違していて、しばしば相手に虚脱を感じさせる。

「説明してあげてください。他の連中は俺が何とか抑えますけど、青木のやつだけは薪さん本人の口からじゃないと聞きゃあしませんから」
「できない」
 自分の思い違いを認めてなお、薪は即答した。どうして、と訊こうとした岡部を遮って、薪の冷徹な声が響く。
「どんなことをしても、青木を巻き込むわけにはいかないんだ。これで青木が僕から離れるなら、そこまでの縁だったということだ」
 言葉面だけを追えば潔く切り捨てたように聞こえるが、薪に悲哀はない。青木が自分から離れることはない、と信じ切っているのか。岡部は薪の自信を頼もしく思ったが、残念ながらそれは違った。

「いつの間にそんなに自信家になったんです」
「自信なんかない」
 ニヤつきながら尋ねた岡部に照れ臭がる様子もなく、薪は硬い声で答えたのだ。
「共に過ごすより、もっと重要なことがあるだけだ」

 一番下の引き出しの奥から取り出した黒いファイルを抱え、薪はすっくと立ち上がった。殺人事件の捜査に挑むときと同じ声の響きに、岡部は表情を改める。薪は何かを考えている。そしてそれは、不退転の覚悟で挑まなければならないような厳しいものなのだと悟った。
「薪さん」
「警察庁へ行ってくる」
 一歩歩き出すと、小脇に抱えた黒いファイルから、挟み損ねたのか一枚の紙片が机上に落ちた。薪の細い手が素早くそれをさらう、その一瞬を岡部の眼は見逃さない。

 警察庁内に配布される広報誌の一部。『××年度 国家公安委員会』の文字がある事から半年ほど前のものと思われた。一瞬だったが、現在の国家公安委員長である大久保国務大臣、その下の欄に5人の委員たちの顔写真が名前入りで並んでいるのが見えた。
 どうしてそんなものを報告書に? 岡部が口を開きかけた時、薪の口から思いもよらない言葉が漏れた。

「岡部、滝沢を頼む」 
 下された命令に、岡部は顔をしかめた。室長が不在の折、第九を預かるのは副室長の岡部の役目だから薪は当然のことを言ったに過ぎないが、「研究室を」と言うところを個人名と言い間違えるなんて。どれだけ彼のことを気に掛けているのかと、咄嗟に反感を持ってしまったのだ。
「滝沢を、ですか?」
 やや皮肉な心持ちで岡部が間違いを指摘すると、薪は意外にもしっかりと頷き、
「ああ、そうだ。今日はどうしても滝沢を連れて行くことができないからな」
 言い間違えを恥じるどころか、開き直られてしまった。それから薪はモニターを睨むような眼で岡部を見上げ、顔を近付けて声を潜めた。

「絶対にやつから眼を離すな」



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破滅のロンド(9)

 昨日は久しぶりに、行きつけ(?)の動物園に行ってきました。
 でも、すっごく風が冷たくて~、いつもみたいに動物とアイコンタクトが取れるまで柵の前に居座っていられませんでした。 桜はとってもきれいでしたけど、寒くて上見るの大変だった~。
 もっと暖かくなったら、また行こうと思います。
 




破滅のロンド(9)






 警察庁官房室は中央合同庁舎の八階に位置している。地図上ではその敷地は科学警察研究所の敷地とほぼ隣接しているものの、実際に歩いてみると10分ほどの距離がある。研究所の門と警察庁の門が対極にあることと、敷地の広さに因るものだ。
 国民の税金を費やして造られた警察庁の前庭に、無駄に大きい噴水やら前衛的なオブジェやらを置くのはいかがなものかと、中園紳一は今日も考える。八階の窓から下方を見下ろしつつ、仕立ての良いスーツのポケットに両手を突っ込んで、彼は独り言のように言葉を窓ガラスに放った。

「報告書と銘打つには推測部分が多過ぎる気がするけど。それでもまあ、よく調べたね」
「逃げっぱなしじゃ、男が廃りますから」
 背後から部下の硬い声が聞こえて、中園はふうむと唸る。
 6年前、自分が逃げたという自覚があるわけだ。その通り、彼は逃げた。親友を撃ち殺した衝撃から、自分の世界に逃げ込んだ。事件からも周囲の人間からも逃げて、彼との思い出が残る第九に閉じこもったのだ。
 その彼が長い雌伏のときを経て、中園の元へ持ち込んだ報告書には、驚愕すべきことが書かれていた。正式なルートを使わずにこれだけのことを調べ上げた彼の苦労は、並大抵のものではなかったはずだ。その根性だけでも、例の事件が彼にとってどれほど重大なものだったかが察せられる。何を失っても悔いはない、そんな覚悟で挑んだのだろう。

 遠からずキツネは動きます、と薪は言った。
 対するこちらの選択肢は二つ。狐に老鶏を与えて森へ帰らせるか、捕縛するかだ。前者を選択した場合、こちらの被害は最小限に留められる。問題はもう一つの選択肢だ。
 かなり危険な賭けだと思った。しくじれば無傷では済まないどころか、鶏の代わりに自分が噛み殺される可能性もある。しかし、事が上手く運んだときの利益は計り知れない。

「中園さん」
 呼びかけられたが、中園は振り向かなかった。まだ心が決まっていない。この状態で彼に口説かれるのは避けたい。感情に流されて冷静な判断を欠く可能性がある。
「どうして僕なんだい」
 前庭を歩いている職員たちを無感動に眺めながら、中園は尋ねた。
「小野田に直接頼めよ。僕を飛び越したからって、別に拗ねたりしないよ」
 官房長の小野田は、薪を気に入っている。彼の頼みなら大抵のことは叶えてやるし、人事や監査の面にも気を配ってやっている。もちろん、権限は参事官の中園よりも格段に上だ。動かせる人間も部署も比較にならない。彼に頼ったほうが、薪の目的は確実に達成されると思うが。

「小野田さんに知れたら、止められるに決まってますから」
 なるほど。それはありうる、というか絶対に止めるだろう。薪の立てた計画は、あまりにも危険過ぎる。不都合なことにその危険は小野田が一番大事にしている人間一人に集中し、つまりそれは薪自身だ。いつ死んでもおかしくない状況に大事な跡継ぎを置き続ける計画など、小野田が率先して潰すだろう。
「それで僕に?」
「中園さんなら、小野田さんにバレないようにフォローを入れた上で、僕のお願いを聞いてくれるでしょう?」
 甘いマスクをして、でも中身には激辛の香辛料がまぶされている。生クリームに包まれたハバネロみたいな男だ。騙されて噛みついたら口の中が焼けただれる。

「さて、どうしようかな。キツネ狩りは楽しそうだけど」
「いいえ、キツネ狩りはこちらでします。中園さんにお願いしたいのは、キツネの巣穴を壊すことです。できれば森ごと」
 中園は思わず振り向いた。畑を荒らす性悪狐にお灸を据えるだけでなく森ごと巣穴を壊そうなんて、そんな大それたことを考えていたのか。一研究室の室長風情が、身の程知らずもここまでくると笑い話だ。

「どうにも物騒な森らしいので。武力行使もやむを得ないと考えています。そこで中園さんのお力を」
「無理だ。この報告書だけでは、森には入れない」
「キツネの住処がその森であるという確たる証拠を掴めば、動いていただけますか」
 未だ証拠はないが、いずれキツネは動く。そこで証拠を掴んでみせると薪は豪語した。証拠さえあれば不可能ではない。不可能ではないが、しかし。

「大変なことになるよ?」
「でしょうね」
「社会的影響とか、ちゃんと考えてる?」
「失業率が何パーセント跳ね上がるか、とかですか? それを考えるのは僕の仕事じゃありません」
 抜け抜けと薪は言う。
「僕には第九を守ることが最優先です」
 一時的な打撃は大きいかもしれないが結果的には社会の膿を出すことになる、巨悪を見逃すわけにはいかない―――― そんな説得の仕方はしてこない。薪は中園と言う男を理解している。
 誉れ高き社会正義を、中園は信じない。人は常に利を考えて動く。自分も彼も、中園がすべてを託した男でさえ。勿論、利を得る人間は必ずしも自己ではない。尽力の還元先を自分に限定したいなら、警察なんぞを職場には選ばない。職務のため仲間のため社会のため。最終的には、己が信じるもののため。

「相変わらず薪くんは自分勝手だねえ」
 中園が呆れた顔をすると、薪は憎らしくなるほど綺麗に微笑んだ。
「いいのかな、小野田の信頼を裏切るような真似をして」
「裏切るなんてとんでもない。この計画が成功を収めれば、小野田さんの天下が来ますよ。中園さんなら分かるでしょう?」
「成功すればね。でもしくじったら、小野田も僕も窓際の席で一生日向ぼっこだ」
「そんなことにはなりません。途中で僕が死んだら、この計画はその時点で打ち切ればいい。中園さんにお願いしたいのは最後の幕引きだけですから。お二人に害が及ぶことは無いはずです」
 中園にとって大切なのは小野田だ。薪程度の部下はいくらでも替えが利く、そう思っていることを薪は知っている。自分が中園にとってどの程度の人間なのか、しっかり見極めた上で彼は駆け引きを持ち掛けてきたのだ。

 しかし、と中園は思う。
 薪は、裏切りの意味を履き違えている。自分の身を危険に晒すこと、それこそが小野田に対する裏切りだと、あと何回小野田に心配で眠れない夜を過ごさせれば、この男は理解するのだろう。

「もともと小野田にも僕にも、関係のない案件だと思うけど」
「関係はありますよ。第九の青写真を描いたのは小野田さんですから」
 薪はソファから腰を上げ、中園の机の前に立つと、中園が一読して放り投げた報告書をきちんと揃え、持ってきたときと同じようにファイルに挟み直した。
「第九の醜聞は小野田官房長の足を引っ張る。そうでしょう?」
 整理ついでに、いい加減な角度で重なり合った他の書類をきれいに重ね直しながら、
「それに、中園さんには彼個人に対する恨みもあるんじゃないですか? 中園さんを海外に飛ばした人間は、彼が警察庁に忍ばせた手駒だったんでしょう?」
 薪の言葉に、中園は反射的に眉を顰める。
 そこまで調べたのか。まったく、侮れない男だ。

「小野田は君の何処を見て、『薪くんは純真で困る』とかほざくんだろうねえ?」
「僕は順応性が高い人間なんです。どんな相手にも自分を合わせられる」
 机の上で紙の束を整えながら、薪はしゃあしゃあと言ってのけた。
「小賢しい人間には小賢しい知恵で対抗しようと?」
「そんなことは言ってません。ただ、秘密裏に事を進めるのが上手いのは、小野田さんより中園さんだろうなって。盗撮がご趣味のようですし」
 3ヶ月ほど前のことを当てこすられて、中園は肩を竦めた。何のことはない、これは体のいい脅しだ。薪は自分に、謝罪代わりに協力しろと言っているのだ。

「薪くん」
「はい」
「僕がデータを残してないとでも思ってるの?」
 ばさささっ、と盛大な音を立てて、中園の机の書類が床に散らばった。唯一無事だったのは、薪が持ってきた黒いファイルだけだ。咄嗟に薪がそのファイルで自分の顔を隠したので、中園の机の上は電話以外何もなくなった。中園の執務机が勤務中にこんなに綺麗になったのは、海外勤務の辞令が下った時以来だ。

「な、中園さ……!」
「冗談。データなんか残ってないよ」
 ファイルと前髪の隙間から亜麻色の瞳を覗かせて、わずかに見える肌は真っ赤になって、それでも薪は強気に眉を吊り上げて、動揺を抑え込んだ。
 苦手な分野の揺さぶりにも屈しない。強い決意が彼本来の気質をカバーしている。
 中園がにやりと笑いかけると、薪はたった一度の短い呼吸で顔色を元に戻して見せ、黒いファイルを中園の机の右端に置いた。中園はそれを机下のボックスにしまい、電磁ロックを掛けた。

「ま、君がそれくらい大人になれるなら勝算はありそうだ。協力しよう。まずは僕のほうで裏付けを取るから、それまでは軽はずみな真似は慎むように。いいね」
 はい、としおらしく返事をするが、亜麻色の瞳は彼の負けん気を隠し切れていない。成り行き次第だ、と考えているのがバレバレだ。
 仕方がない、と中園はとっておきのアイテムを机から取り出す。それを見た薪の眼が、大きく見開かれた。

「これ、持って行きなさい」
「中園さん。いくら官房室付の主席参事官でも、これはちょっと」
 当然の反応を示す部下に、中園はなおも執拗に、
「そう言わず。特注品なんだよ」
「いえ、僕はこんなものは、ちょ、あぶなっ!」
 要らない、と首を振る部下の手に強引に握らせて無理矢理引き金を引かせると、彼は2,3度眼を瞬いてからニヤッと笑い、
「お借りしてよろしいのですか。不自由されるのでは?」
「大丈夫。もう一個持ってるから」
 薪は何処かしら楽しそうにそれを弄り回していたが、ふと視線を外し、右横の何もない空間を見やった。つややかな唇に、コンマ2秒で浮かぶ微かな笑い。何か考え付いたな、と中園は思う。

「中園さん。もう一つの方もお借りできませんか」
「こっちもかい? いいけど、なるべく早く返してね」
「ありがとうございます。有効に使わせていただきます」
 薪は、借り受けたものをポケットに落とし込むと、文句のつけようがないくらい美しく敬礼して退室した。彼を飲み込んだ後、穏やかに閉じられたドアに向かい、中園は唇を尖らせる。

「ったく、小野田が甘やかすから。片付けて行けよ」
 床に散らばった大量の書類を見下ろして、中園は忌々しそうに舌を打ち鳴らした。



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破滅のロンド(10)



破滅のロンド(10)







 薪が単独で警察庁に赴いた日の午後、青木は初めて滝沢と二人きりで話す機会を得た。それは給湯室で、シンクに重なったコーヒーカップをいつものように青木が片付けている時のことだった。

「悪いな、先輩」
 自分が使い終えたカップをシンクに置き、滝沢は見下すような視線を青木にくれた。それはひどく挑発的な行為にも思えたが、青木は微笑んで彼のカップを手に取った。階級こそ同じだが、年齢、経験共に滝沢の方が上だ。第一、このくらいのことで逆立つほど青木の神経は細くない。

「滝沢さん。明日には忘れず、ご自分のカップを持ってきてくださいね」
 これまで何度も繰り返された説得を、青木は辛抱強く試みる。ああ、と滝沢は生返事をして、無表情に頷いた。
 そのまま執務室に戻るのかと思ったが、滝沢はそこに立ったまま、青木をじっと見ていた。職場でカップを洗う警視が珍しいのだろう、興味深げな視線だった。
「あの、何か?」
 滝沢にとっては自分の好奇心を満たすための行動に過ぎなくても、見られている青木の方は落ち着かない。それでなくとも狭い給湯室、早く出て行ってください、と言外に含ませて、青木は滝沢の方へと顔を向けた。

「ああ、すまない。昔の仲間によく似ていたものだから」
「……鈴木さん、ですか」
 洗い上げたカップを布巾で拭きながら、青木はその名前を口にした。薪の心に永久に住み着いた、今は亡き薪の親友。何年か前までは、寝ぼけた薪によく彼と間違われた。
「薪から聞いたのか」
「ええ、まあ」
「そうか。薪が自分から鈴木のことを話すとは……あいつはおまえを気に入ってるんだな」
「室長に対して、その呼称はどうかと思いますけど」
 1週間前に第九に来たばかりの滝沢に、自分がおまえ呼ばわりされたことより、彼が薪をあいつ呼ばわりしたことの方が百倍癇に障った。6年前、滝沢がどれだけ薪に重用されていたとしても、鈴木ほどではなかったはずだ。その鈴木でさえ、執務室では薪を室長と呼んで敬語を使っていたと薪本人から聞いたことがある。滝沢の馴れ馴れしさは、少し異常だ。

「室長には敬語を使えと?」
「それが当たり前だと思います」
「今さら敬語と言われてもなあ。薪も、気持ち悪がると思うぞ?」
「でも、親しき仲にも礼儀ありって」
「親しい仲にも色々ある。おれと薪は特別なんだ」
「どう特別なんですか?」
 滝沢の使った『特別』という言葉が、青木の心を乱した。明らかに色事を匂わせる表情で、滝沢は嘯いた。

「多分、おまえが考えている通りだ」
 青木は思わずカップを取り落した。ステンレス板の震える音が、手狭な部屋に木霊する。
「再会した晩に確かめ合ったんだ。あいつの身体はおれを忘れちゃいない」
「嘘です! 薪さんは浮気なんかしてないって、はっきりオレに」
「やっぱりおまえが今の薪の恋人か」
「あっ……」
 露呈した事実に、青木は真っ青になる。誰にも知られてはならないと、知られたら自分たちの関係はお終いだと、普段から何度も何度も念を押されて過ぎるほどに警戒していたのに。この話が滝沢の口から薪に伝わったら、本当に自分たちは終わる。

「た、滝沢さんっ!!」
 青木は必死で滝沢に手を合わせた。恥もプライドも、あったものではない。
「泣くなよ。誰にも言わないから」
「絶対、絶対にですよ? 手帳に懸けて誓ってくださいねっ」
「わかったわかった」

「あのお……それで、さっきの話ですけど」
「安心しろ、おれが薪を抱いてたのは昔の話だ。今は関係してない」
 昔の話とは言え、それも青木には納得がいかなかった。自分には鈴木がいるからと、薪はずっと青木の求愛を退けていたのだ。鈴木が死んだ後も彼に操を立てていた薪が、ましてや鈴木の存命中に、他の男と関係を持ったりするだろうか。
 否、鈴木には雪子がいた。彼の愛を得られない寂しさを埋めるために、他の人間を求めた夜もあったかも。
 青木が深刻な顔になると、滝沢は大仰に肩を竦めて、陽気な外国人のように両手を広げて見せた。

「そんなことでいちいち目くじら立ててたら、あいつの恋人なんかやってられないだろう。あいつに過去の男が何人いるか、知ってるのか? 関係してたのはおれだけじゃないぞ。ベッドの中のあいつは、そりゃあすごくって」
「滝沢さん」
 滝沢の不愉快な長舌を遮って、青木は冷静に言った。一時の激昂は、既に治まっていた。
「ヘンな噂、立てないでくださいね。此処にいるみんなには通じる冗談も、薪さんを知らない人は本気にしちゃうかもしれませんから」
 どことなく当てが外れたような顔をしている滝沢を残して、青木は給湯室を出た。自分の席に着き、仕事の続きに戻る。
 滝沢が後ろから、自分の様子を伺い見ているのが分かる。幾らでも見るがいい。自分は薪を信じる。信じられる。
 モニターを見つめる黒い瞳は、何かを固く決意したのかのように、強い光に満たされていた。



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破滅のロンド(11)

破滅のロンド(11)







 固く冷たい床に、薪は跪いていた。
 強張って自分の意志では解けない両手の間に、黒く重い金属の塊が不規則に振動している。いや、動いているのは自分の腕だ。腕だけではない、身体中が振動している。息もまともにできない。声も出せない。筋肉も内臓も自律神経すらも、自分の役割を忘れて勝手気ままに振る舞い出したかのようだ。
 目蓋は限界まで開かれて、乾いた薪の瞳は痛みを覚える。眼を閉じればこの悪夢は消えるかもしれない、そう思うのに薪はどうしても瞬くことができない。目の前の惨劇から、一瞬たりとて眼を離すことができないのだ。

「大丈夫ですか、室長」
 浅く短い呼吸を繰り返す薪の肩に、誰かの手が置かれた。この声は聞き覚えがある。あの夏、第九で命を絶った部下のひとりだ。
 振り返って確かめようとするのに、薪の首は動かない。壊れたからくり人形のように震える薪の横に、男の顔が回りこんでくる。と同時に、薪の視界に見覚えのある西陣織のネクタイが下りてきた。やはり彼だ。顔を見なくても分かる、彼の首に食い込んで彼の気管を押し潰したネクタイは、薪の私物だ。親友と一緒に買い求めて、とても大切にしていた。

「大丈夫ですか?」
 豊村は心配そうに尋ねた。彼は薪の体に触れることなく、前に顔を回してきた。身体のバランスがおかしいと薪は思った。こいつ、こんなにリーチがあったか。
 そうだ、豊村は首を吊ったのだった。だから首が長いのか。
 首吊り遺体の首は20センチから30センチくらい伸びる。さほどの身長差のなかった豊村でも、それだけ首が伸びればこの体勢は不可能では――。

「―― っ!!」
 舌が上顎にぴたりと張り付いて、呻き声も出なかった。薪の背後にいた男はオールバックの黒髪にスクエアな眼鏡。それは豊村ではなかった。
 どうして、と薪は叫んだ。声にはならなかったが、叫んだつもりだった。
 あり得ない、こんな光景はあり得ない。彼は死んでない。死んだのは豊村だ、この映像は間違っている。

「こんな物騒なもの、いつまでも持ってちゃだめですよ」
 別の声に呼ばれて下を見ると、薪の両手をこじ開けるようにして、男の手が拳銃を取り去った。彼の手は血にまみれていた。手から上を辿ると、胸にナイフが突き刺さっていた。
 その彼も、やはり上野ではなかった。第九の資料室で発見された時と同じように、上野が気に入っていたブランドのネクタイを締め、胸を血で真っ赤に染めていたが、顔は薪の恋人の顔だった。
 薪は絶望して、自分が撃ち殺した親友の亡骸を見た。彼はゆっくりと起き上がって、こちらに歩いてくるところだった。3人の死者は、まったく同じ顔をしていた。

 胸にナイフを刺した男が、彼にピストルを渡した。ピストルを渡された男は、薪に銃口を向けた。背後にいた男が、首に絡んだネクタイを外した。それを薪の首に巻き付けた。最後に胸を真っ赤に染めた男が、自分の胸からナイフを引き抜いた。その切っ先を薪の胸にあてた。
「大丈夫ですか?」
 3人の青木は、にっこりと微笑んだ。




*****




 ハッとして薪は眼を覚ました。恐々と周囲に眼を走らせると、室長室の自分の席だった。うたた寝して、悪い夢を見たらしい。
 首に触れると、じっとりと汗をかいていた。寒気がして身体が震えた。汗を流して着替えないと風邪を引く、シャワーを浴びようと考えた。今、悠長に寝込んでいる暇はない。
 バスルームへ行くため室長室を出ると、モニタールームにはまだ明かりが点いていた。時刻を確認すると、9時を回っている。急ぎの事件もないのに誰が残っていたのだったか、と頭の中で職員たちのシフト表をめくるまでもない。そもそも、彼が残るから自分も残ったのではないか。

「滝沢。まだ頑張ってるのか」
「ああ、もう少し。どうもこの新型のマウスは感度が良すぎて」
「感応レベルを下げることはできるが、それだと折角の解析速度を落としてしまうからな。できるだけ慣れる方向でやってみてくれ」
 仕事熱心な新人に労いの言葉をかけ、薪はバスルームへ向かった。驚いたことに、湯船には湯が張ってある。多分、これは青木の仕事だ。帰り際に「まだお帰りにならないんですか」と訊かれたから「滝沢の練習に付き合う」と答えた。泊まりになるかもしれないと考えて、用意して行ってくれたのだろう。

 お湯は清潔で温かで、それはそのまま彼の温もりのようだった。
 落ち込んでいると岡部から聞いた。訳も分からず遠ざけられて、普通の男ならとっくに逆ギレのするか他の女性に目先を向けるかするだろうに、青木ときたら。薪の言い付けをきちんと守って、仕事以外では近付いてこない。でもこうして、彼はいつも自分のことを考えてくれる。きっと今も。

 湯船に浸かり、しばし頭を空にする。滝沢が来て2週間、緊張続きだ。あの男の相手は本当に疲れる。でも仕方ない。見張っていないと、滝沢は何をするか分からない。まだ確証は掴んでいないが、6年前あの男は――――。

 滝沢のことを考えると、自然と部下たちの死に顔が浮かぶ。滝沢と再会して記憶が刺激されたのか、最近、彼らの夢をよく見るようになった。だが、今日のような夢は初めてだ。
 夢の内容を思い出すと、吐き気がした。
 薪は思わず自分の肩を抱き、湯船の中で身体を縮こめた。眼を閉じてくちびるをぎゅっと噛み、しっかりしろ、と自分を叱咤する。

 一番恐れていることを夢に見る、だから悪夢と言うのだろうが、そんなものは自分に自信が無い人間が見るものだ。この期に及んで、そんなことでどうする。第九と部下たちには傷一つ付けない、そう大言してこの計画を発動させたのは自分だ。後戻りはできない。だったら最後までやり抜くしかない。

 身体が温まると、気力も湧いてくる気がした。よし、と誰にも聞こえない決意表明をして、風呂から上がる。以前、薪の平均入浴時間は1時間だったが、滝沢のことが気になって長風呂を楽しめなくなってしまった。これが最大のストレスだな、と失笑交じりにドアを開けると、脱衣所にストレスの原因が待ち構えていた。

「何か質問でも?」





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破滅のロンド(12)

破滅のロンド(12)





「何か質問でも?」

 男の視線を軽くいなしてバスタオルで身体を拭く。滝沢のこういう下劣な嫌がらせには慣れっこだ。
 薪は無礼な男を真っ直ぐに見据え、すると嫌でも彼の手に握られたものが目に入った。自分の携帯電話だ。迂闊だった、脱衣籠に放った上着に入れっぱなしだった。

「この携帯電話に保存された男の写真について、説明してもらおうと思ってな」
「断りも無しに他人の携帯を見るのはマナー違反だろ」
 そんなハッタリには引っかからない。滝沢は昔、自分の鈴木への気持ちを見抜いていたようだが、6年前のようにはいかない。もう、あの頃のように初心じゃない。
「部下の顔写真を保存しておくと、他部署の人間と打ち合わせするとき便利なんだ。事件担当者の顔を教えるのに、端末から人事データを引き出すより早い」
 二人で撮った写真にはロックを掛けてある。暗証番号なしに見られるのは、パブリックなものばかりだ。その中には部下たち全員の顔写真も含まれている。
「おれの写真が無いのは何故だ」
「……撮る機会が無かっただけだ」
 ふむ、と頷いて滝沢は、携帯のカメラを自分に向けてシャッターを切った。それからデータを保存フォルダに入れようとしてか、親指を何度か動かした。

「おい。勝手にいじるな」
「ゼロ発信は副室長かと思ったが、違うんだな」
 髪の毛を擦っていた薪の手が止まる。しまった、登録を変えておくべきだった。
「アイウエオ順に並べてあるだけだ」
「だったら2番目は宇野じゃないのか」
 咄嗟に返した理屈は通らなかった。滝沢は昔から、重箱の隅をつつくような捜査をする。供述の矛盾を拾うのは得意中の得意なのだ。ここは黙秘権発動だ。

 薪が無言になると、滝沢はククッと思い出し笑いをした。薪に携帯を返して寄越しながら、
「あの犬っころ、おまえからの電話だと思ったんだろうな。『薪さん、何か御用ですか』って異常なテンションだったぞ」
「僕の携帯を使って青木に電話したのか」
「ちょっと弄ってたら、偶然掛かっちまったんだ。わざとじゃない」
「他人の携帯を勝手に弄ること自体、偶然ですまされることではないと思うが」
 怒ったヤマアラシのように、薪はその声に無数の針を忍ばせる。薪が本気で怒っていることが伝わったのか、滝沢は突然素直になって、
「いや、すまなかった。おまえが今誰に関心があるのか、気になって仕方なかったんだ」
 いやらしい含み笑い。底の見えない黒い瞳は、標的を見つけたと言わんばかりの興奮に輝いている。
 見たばかりの悪夢がフラッシュバックする。目眩のような酩酊感に襲われ、薪はさりげなく脱衣篭で身体を支えた。膝が崩れそうになっているなんて、相手に気付かれてはならない。

「滝沢、おまえの誤解だ。僕と青木は何でも」
「関係ないわけがないだろ」
 一瞬で間合いを詰められて、薪は壁に押し付けられた。背中と後頭部を壁面に、細い首を男の大きな手ががっちりと留めている。動けなかった。気管を圧迫されて、息が苦しい。第九の室長がバスタオル一枚の姿で壁に張り付けとは何とも締まらない話だと、自分に向かって毒づいた。

「あれだけ鈴木に似てるんだ。おまえが平気でいられるわけがない」
 親友の名前を出されて、薪の額に青筋が立つ。一番深い傷を無造作に抉られて、思わず足の力が抜けた。
「虫も殺さぬような顔をして、大したタマだ」
 滝沢は薪の首を押さえたまま、もう片方の手で薪の顎を掴んだ。上向けさせ、触れ合わんばかりに顔を近付ける。滝沢の息が鼻先に掛かるのを不快に感じる。薪は苦労して顔を背けた。
「おまえが鈴木を殺した時も驚いたが、なるほどな、自分を捨てて女を選んだ鈴木を許せなかったってわけだ。その上でヤツに似た男を見つけてきて、破れた恋路を実らせたのか。それでおまえのプライドは保たれたのか?」
 刹那、目の前が赤くなるほどの怒りに囚われ、薪は爆発的な力でもって自分の顎に掛かった滝沢の手を払った。首を捉えた手も外そうとしたが、そちらは敵わなかった。圧倒的な力の差で、薪が最初に払いのけたと思った手も、滝沢の方から引いたのだと分かった。

「あの坊やは知ってるのか? 自分が鈴木の身代わりだってこと」
「黙れ」
「無駄だ。力じゃ敵うまい」
 薪の両手が無様に空を切るのを見下して、滝沢は勝ち誇った笑みを浮かべた。が、次の瞬間、その笑みは驚きの表情へと変わった。
「黙れと言ってる」
 ゴツリ、と腹に重い感触。滝沢は瞬時に理解する。銃口だ。

「おまえ、風呂場にまで銃を持ち込んでるのか」
「力じゃ敵わないからな」
 滝沢がゆっくりと両手を挙げ、少しずつ後ろに下がった。相手との間にできた距離を両腕を伸ばすことで補い、薪はしっかりと相手の胸に狙いを定める。
「僕を侮るな。6年前の僕じゃない」
 厳しい顔つきで威嚇するも、やっぱりタオル一丁じゃ締まらないな、と思う傍から滝沢に反撃された。覚悟はしていた。滝沢がこの6年間何処で何をしていたか、薪はとある筋からの情報を得ていた。
 滝沢の動きは素早かった。薪の優れた動体視力はそれを捕らえてはいたものの、身体の反応が間に合わなかった。迷わず撃鉄を起こして引き金を引けるほどには、薪は射撃訓練を積んでいなかった。

「そっくり返してやる。成長してるのは自分だけだと思うな」
 あっけなく床に引き倒され、上から押さえつけられた。拳銃を奪われ、逆に突きつけられた。が、滝沢はすぐにその銃の違和感に気付き、腹立たしげに舌打ちして壁に投げつけた。
「さすがだな。重さも本物と同じに作ってあるのに」
 自分に馬乗りになった男を、薪は下から皮肉った。腹の筋肉がひくひく震えた。笑えて仕方なかった。
「プロのおまえがアマチュアにモデルガンで脅されて、悔しいか」
 挑発は、平手打ちになって返って来た。意外と気の短い男だ。

「いい気なるなよ。おれがその気になれば、おまえもあの坊やも」
「おまえの目的は僕の命か? 違うだろう」
 叩かれた頬は腫れ上がって熱を持った。口の中が切れて血の味がした。腫れが引かなかったら、明日岡部がうるさいだろう。寝ぼけてベッドから落ちたことにでもしようかと、薪は呑気に考える。
「その気なら、会った初日に殺せたはずだ」
 久しぶりに会った部下に見栄を張りたくてオンザロックなど飲んだものだから、3杯目の途中で酔い潰れてしまった。足に来てしまって、結局は滝沢が仮住まいをしているホテルに泊めてもらったのだ。

「おれの目的を、おまえは知っていると言うのか」
「そんなことも知らずに、どうして僕がおまえを第九に受け入れたと思うんだ?」
 滝沢にとって薪の言葉は、よほど意外だったに違いない。肩を押さえた手を緩め、自分の身を浮かせて掛けていた重量を取り除くと、床に打ち付けられて傷んだ薪の背中に手を回して丁寧に抱き起した。

「滝沢。耳を貸せ」
 自分の背中と腕を支えた男の首に、薪は自分の右腕を回し、彼の頭を引き寄せた。きれいに刈り込まれた短髪から覗いた耳元にくちびるを寄せ、魔法の呪文を囁く。
「…………どうしてその名を?」
 呪文の効果は絶大だった。滝沢は軽々と薪の身を持ち上げ、床に立たせると、質問の答えを待った。
「僕だって6年間、無為に過ごしていたわけじゃない」

 予定よりは少し早いが、話すことにした。滝沢を抑えるのも限界に来ていた。部下たちに被害が及ぶようなことになってからでは遅いし、この辺が潮時だろう。
「おまえが千葉の倉庫で資料を探していた2057年の事件から、おまえの関係者を洗い出した。ひき逃げ事件の調書も見直した。彼は、っくしゅっ!!」
 裸でやりあっていたものだから、すっかり湯冷めしてしまった。薪はぶるっと身体を震わせると、振り向きざま滝沢に向かって、
「おまえのせいで湯冷めした。もう一回温まってくるから待ってろ」

 一人残されて滝沢は、再び浴室に戻ってしまった上司が落としたバスタオルを拾い、篭の縁にきちんと掛けた。それから床に転がっていたモデルガンを取り上げ、色々な角度からじっくりと検分した。
 実に精巧にできている。拳銃に慣れ親しんだ自分が見間違えたのだ。プロの目から見ても、外見だけではまずオモチャとは気付かない。このオモチャでプロを騙したのだから、薪の度胸は大したものだ。

「冷や汗をかいたの間違いじゃないのか」
 クスリと笑いを洩らした滝沢の耳に、風呂好きの上司が勢いよく湯船に飛び込む音が聞こえた。



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破滅のロンド(13)

 発売日まで10日を切りまして。 
 みんな同じ気持ちだと思うのですけど、どうにも落ち着きませんね~。
 でも、この感覚を味わうのも最後かと思うと、気を紛らわしたりせずに、いっそ味わい尽くそうという心持ちになってきます。

『秘密』自体は、まだ続くのかもしれない。 第九編が終わるだけで、新しい舞台で新しい話が紡がれるのかもしれない。 その可能性があることは分かっているのですけど、わたし個人は、
 第九編が終わってあおまきさんが誌面から姿を消したら、こんな気持ちで待つことはなくなると思うの。 仮に第九の未来が描かれたとしても、こんな居たたまれない気持ちにはならない。 薪さん個人でも青木さん個人でも、この気持ちは生み出されない。
 そう思うと、日常生活すら危ういこの状況が、失い難いものに思えてきます。

 今わたしたち、貴重な体験してますよね?








破滅のロンド(13)







 その日、薪は警察庁から直帰した。
 タクシーを降りてマンションに入ると、エントランスの隅に影法師のように大男が立っていた。人目に付かないように気を配ったつもりかもしれないが、その身長では何をやっても無駄だと言うことをそろそろ学習して欲しい。
 自動ドアを開けた途端に彼に気付いて、でも知らぬ振りをしてキーパネルに向かう薪を、彼はしょんぼりと見ていた。何か聞きたいことがあって来たのだろう。でも、プライベートでは薪に取り合ってもらえないことが分かっているから言い出せなくて、懸命に信号を送っているのだ。

「何の用だ」
 タッチパネルで玄関のロックを解除しながら、薪は低い声で訊いた。
「確かめたいことがあって」
「仕事のことだろうな?」
「……違います」
「では帰れ」
 冷たく突き放すと、青木はますますしょんぼりと項垂れた。節電対策で端まで行き渡らない照明のおかげでその姿はいっそう恨めしく、薪をげんなりさせた。

「オレ、薪さんに迷惑掛けてますか」
「ああ」
 薪は本心から頷いた。こいつがいなければ、自分はもっと潔くなれた。あの頃の自分なら、とっくに勝負をかけていただろう。例えこの身が滅ぼうとも、そうせずにはいられなかったはずだ。
 それがこの体たらく。
 青木と付き合いだしてから、自分はひどく欲張りになった。何も残されていなかったはずの人生に、多くのものを望むようになった。欲して与えられて望まれて差し出して、そんなことを繰り返すうち、時が過ぎるのを待つだけの人生は、いつの間にか楽しむものへと変わっていた。

「さっさと来い。人に見られたくないんだ」
「入ってもいいんですか」
 つくづく自分の甘さが嫌になって、薪は投げやりに言った。
「おまえも岡部も、どうせ僕を放っておいてくれる気なんかないんだろう?」

 薪は振り返り、だが青木がいる場所とは全く違う方向に顔を向けた。観葉植物の陰からぬうっと出てきた一人の男に、青木が驚きの声を上げる。
「お、岡部さん!? いつから」
「青木。張り込みの極意は気配を断つことだ。岡部によく教えてもらえ」
 言い捨てて、薪は玄関を潜った。その後ろに二人の部下が付き従う。薪の背中はしゃんと伸びて、でも、絶対拒絶のオーラはそこにはなかった。



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破滅のロンド(14)

 お話はここから中盤です。(長い……)
 本当はメロディ発売前に終わらせたかったんですけど、ちょっと無理っぽい、てか、絶対ムリ。 やっとこさ半分だもん。(^^;
 最終回の後に公開の気力が残ってるといいな、と不吉なことを考えつつ~、
 お話の続きです。 よろしくお願いします。




破滅のロンド(14)






 尊大な新人が第九に入って、3週間が過ぎた頃。第九に新たな爆弾がやって来た。

「監察官主査の服部です。こちらは副査の米山。これから1週間、みなさんには監査に協力していただきます」
 監査課の人間らしくきっちりと撫で付けた黒髪に銀縁眼鏡を掛けた服部は、見るからに神経質そうな男だった。中肉中背でやや猫背気味、額は狭く、垂れ気味の眉は細い。もう一人の監察官、米山はシニア職員らしく、頭頂部が禿げ上がった小柄な老人だった。陰気で気弱そうな眼をして、黒い額縁眼鏡を掛けていた。
 薪のらしからぬ振舞いに、諦めという手段を用いて職員たちがようやく慣れてきた、ちょうどその頃合を見計らったかのようなタイミングだった。岡部は監察官に敬礼しながら、次の休みには神社に厄落としに行こうと心に決めた。

 監査とは、職員たちに不正がないか、職務が規則を逸脱せずに行われているか、公費の無駄遣いがないか、など、正しく職務が遂行されているかどうかを調べるものだ。監察官は帳簿や議事録を精査するため、1週間ほど対象部署に滞在する。捜査一課にいた頃、岡部も監査を受けたことがあるが、実に仕事がしづらかったのを覚えている。間違ったことはしていなくても、自分が為した仕事の正否を判断する人間にいつも見られているというのは、何となくソワソワするものだ。

 第九に監査が入るのは初めてだった。
 それは捜査の特殊性に因るものと思われた。人間の脳を見るという、人権擁護団体の槍玉に挙げられる捜査法。情報漏洩には最大限の注意を払う、そのため、MRIシステムが作動している間は防犯カメラも動かないし、他部署の人間は基本的に出入り禁止になっている。
「監査課としても、第九の特殊性は心得ています。よって我々は、捜査を行っている間は執務室には入りません。別室で、職員の皆さんから個別の聴取と、帳簿、記録簿等を見せていただきます」
 おそらく、その条件で薪が監査を受け入れたのだろう。監察官もたった2人、それも一人はシニア職員だ。普通よりもかなり緩い監査体制に岡部は、もしかしたらこれは形だけのものかもしれないと考える。
 監査を受けるのは誰だって苦痛だ。忙しく職務をこなしながら、監察官の命じる書類を揃え、聴取に応じ、大抵は何かしらの注意を受ける。ところが、第九は職務の特質性から監査を逃れている。不公平だ、と他部署から非難の声が上がるのは必至だ。それを抑えるため、簡易的監査で実績を作るつもりなのかもしれない。

「では、早速監査に入ります。最初に鍵類の保管状況を確認しますので、室長の立会をお願いします。次に皆さんの机の中も確認しますので、それまでは机に触れないように」
 金庫室や捜査書類を収納するキャビネットの鍵類は差し込み式のキーボックスに収納されており、室長または副室長のIDがないと取り出せないようになっている。職員達の机の鍵も毎日職務終了時に金庫室の中にしまわれ、個人が持ち帰ったりすることは許されない。

 2人の監察官と室長が金庫室へ入ると、職員たちは目に見えてうろたえ始めた。どうしよう、あれが見つかったら、などと小声で囁き合っているところから、保管場所は鍵の掛かるキャビネットと定められた捜査資料等を、自己の机に放置していたらしい。本当はいけないことだが、翌日もまた同じ資料を使う時にはついやってしまいがちなショートカットだ。こういうのは見つかる前に申告してしまうに限る。監察官も鬼ではない。隠し立てせずに正直に謝れば、減点せずに勧告だけで済ませてくれることも多い。
「おまえら。机の中にヤバイもんがあるなら、今のうちに俺に言え。こっちから報告したほうが、減点が少なくて済む」
 自分たちのミスを話しやすいよう副室長が穏やかに告げると、部下たちはわらわらと岡部の周りに集まり、
「昨日俺、机の中にゲーム機忘れて行っちゃったんですよ!」
「黒木メ○サの写真集が!」
「ガ○ダムのプラモが!」
「「「監察官に没収されちゃうんですか!?」」」
「…………おまえら、中学生か」

 ひときわ青い顔をしていたのは、一番年若い後輩だ。岡部を部屋の隅まで引き摺っていくと、誰にも聞こえないよう耳に口を寄せて、
「どうしましょう、岡部さん。オレ、あれがないと仕事にならなくて、だからつい」
 深刻そうに話すが、どうせ青木の「ヤバイもの」は食べ物だ。身体が大きい分食欲も旺盛な彼は、休み時間に栄養補給をしないと夜まで腹が持たないのだ。嫌味くらいは言われるかもしれないが、掠り傷ほどの失点にもならないはず。
「デートの時に撮った薪さんの超ビューティフルな写真が」
 致命傷だ。
「おまえ、そういうものを職場の机に、……あっ」
 言いかけて岡部は、自分の机の中のバクダンを思い出す。見る見る青くなる岡部の耳に、金庫室の確認を済ませた監察官が職員たちの机の施錠を解除する音が聞こえてきた。

「薪室長。これは」
 次々と出てくる玩具や雑誌を見て、薪の額に青筋が立った。中学生の持ち物検査ではあるまいし、いい恥さらしだ。
「申し訳ありません。私の指導不足で」
「まあ、息抜きも必要です。良しとしましょう」
 話の分かる監察官でよかった。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、3人の傍らを通りざま、薪が低い声で「没収」と呟いた。さめざめと泣き始める3人を哀れと思うが、岡部と青木は自分のことで手一杯だ。

「おや、これは」
「!! こ、これは宴会の余興でっ!」
 青木の机を開けた服部主査が、中の写真を手に取って感心したように眺めた。遠目に見えた、それは薪の女装姿だった。デートのときに撮ったとか言ってたけど、この二人、何をやってんだか。
 薪は必死で言い訳したが、主査は少し厳しい口調になって、
「研究室の宴席にコンパニオンを? それは公費の無駄遣いではないですか」
 監察官の眼をも欺くとは、さすが薪。服部の眼が節穴なのではなく、薪の女装が完璧過ぎるのだ。よほど彼に近しい者でなければ、目の前にいるスーツ姿のきりりとした男と、妖艶に微笑む写真の美女が同一人物だとは気付くまい。
「あ、いや、あの……こ、これは友人でして。謝礼等は払っていません」
「ふむ。まあ、今回は注意に留めておきましょう」
 はああ、と安堵の溜息を洩らす青木の傍らを通り過ぎた薪が、小声で「焼却」と囁いた。そんな、と情けない顔になった青木に同情している余裕は岡部にはない。次は自分の番なのだ。

「おや、こちらの机にも写真が」
 問題の写真は、引き出しを開けて直ぐに目に付く所に置いてある。見逃しようが無かった。主査に随行している薪も、それは同様だ。
「この机は誰の?」
「岡部警視です。副室長を務めています」
「さすが副室長ですな。モチベーションの上げ方を知っている。恋人の写真を見て意欲を増進させるというのは、実に有効な方法です」

 余計なことを言わないでくれ! と心の中で叫んでも、現実には何の効力も無い。岡部が一旦吸った息を吐き出さない間に、彼の周囲にはドッと部下たちが詰め寄り、
「「「恋人の写真!? 岡部さん、見せてくださいよ!!」」」
「ち、違う! 恋人じゃない!!」
「「「またまた、照れちゃって! どんな女性なんですか? どこで知り合って?」」」
 監査中だということも忘れて、タブロイド記者のように質問を浴びせる部下たちに聞こえるように、薪がフォローを入れた。

「服部主査、ひとつ訂正を。岡部警視のそれは、恋人ではなく母親です」
「「「なーんだ」」」
 母親と聞いて途端に興味を失くし、それぞれの机に戻っていく部下たちの背中に、岡部が心底助かったと室長に感謝したのも一瞬のこと。すれ違いざま薪に、
「雛子さんが服を着ている写真でよかったな?」

…………監査なんか大っきらいだっ!!




*****


 一応注記しますが、
 監査課による定例監査は創作上の作り話ですから信じないでくださいねっ。
 実際は内部告発でもない限り、監査課は動かないと思います。 警視庁は都警察ですから東京都の定例監査(会計検査)は受けますが、監査課が調べるのは基本的に問題を起こした職員とその事実関係ですから、業務内容そのものを確認をすることはまずないでしょうね~。
 でもほら、あったらあったで面白いでショ?<おい。
 
 何処の会社にも社内検査制度はあるんだし、科警研にあってもヘンじゃないと思うな~。 検査って気分的に嫌なもんだし、第九に検査が入ったらみんなどんな反応するかな~。
 竣工検査で検査官にイジメられながら、しづがこんな妄想をしていたのは、監督員にはナイショです☆

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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
10万拍手ありがとうございます!
いつの間にか9歳になってました。( ゚Д゚)
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