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天国と地獄7 (3)

 こんにちはっ!

 おかげさまで、実家の初盆が終わりました~。
 田舎の初盆は地区中の人が集まるので、100人を軽く超えるお客さまで~。 強制的なスクワット運動のせいで、太ももの筋肉痛が半端ないデス☆

 足を引き摺りながら今朝、3日ぶりに管理画面に入りましたら『緋色の月(9)』 のコメント欄がとんでもなく面白いことになってるっ(≧∇≦)
 た~の~し~い~♪♪♪
 コメントに対するコメントも入ってて、こういうの楽しいですよねっ。 掲示板みたいで。
 うちはコメントはもちろん、楽しいツッコミも明るいフォローも大歓迎です♪ (すみません、コメントくださった方のご意見も伺わず。でもわたしはみんなでワイワイやるの、大好きなの~)
 このささやかなブログが、『秘密』を愛するみなさんの交差点になれたら幸せです。

 ご自分のブログを持ってらっしゃらない方でも、原作に関してのご意見はたくさんあると思います。 それをご自分の胸だけにしまっておくのが辛く感じたら、遠慮なさらずに当ブログのコメント欄へどうぞ。(^^



 で、お話のほうは、この章でおしまいです。 
「鈴木さんフェア」にしては内容が薄いですか? それでは、次の機会には 『言えない理由sideB』 を! (←非道 ←薪さんが鈴木さんに振られる話の鈴木さんバージョンなんか誰が読みたがるというのか)

 それでですね、
 このお話の翌朝の薪さんそのものだわっ、というイラストが、えあこさんのブログ 『擒』 にアップされてまして、(えあこさん、勝手に思い込んでごめんなさい(^^;))
 えあこさんにお許しいただいたので、こちら、URLでございます。
 読後、ぜひ ぽちっとな してください♪

 URLは、こちら 。
 ギャラリー 落書き3 の中の上から5番目、薪さんが鈴木さんのシャツを着て、青木さんの眼鏡を掛けているイラストでございます。

 ↑ 拝見した後のしづの感想。
 本当にねえ。
 もう二人に愛されちゃえばいいよ☆


 えあこさんは熱心なすずまきすとさんで、こちらのお二人のいちゃつきっぷりには思わず顔がにやけてしまいます。 
 あー、本当に、こんなに愛し合ってたのにどうしてあんなことに~~~~! (←えあこさんのイラストに洗脳されている)

 鈴木さんに愛されて幸せいっぱいの薪さんがご覧になりたい方は、ぜひぜひリンクから飛んでくださいね~。





天国と地獄7 (3)




 何が起きたのかわからなかった。いや、キスされたのは分かった。恋人同士になってから、薪さんは別れ間際と寝る前には必ずキスをしてくれる、いつものそれなのだと分かっていた。
 でも、なんで鈴木さんの前で!?

「どうしたんだ、青木。眼が出目金みたいになってるぞ」
「だ、だって。鈴木さんがいるのに、こんな」
「そうか、人前は嫌か。わかった、これから気をつける」
「いや、そうじゃなくて!」
 思わず出したオレの大声に、ふたりはびっくりしていたけれど、オレの驚きの方が何倍も大きいはずだ。

「薪さんは、鈴木さんのこと好きなんでしょう? だったらその人の前で、他の人間とキスなんかしたら誤解されちゃうじゃないですか」
「誤解? 何の誤解だ?」
 薪さんは不思議そうにオレを見上げた。本当に、オレの言葉の意味が分からないらしかった。

「おまえは僕の恋人だろ」
 薪さんの気持ちが理解できず、困惑するばかりのオレに、薪さんはハッキリと言った。
「ちゃんと言っただろ。鈴木はそういうのとは違うって」
 いや、信じられないです。この二時間の目撃情報がそれを激しく否定してます。
「でも……どう見ても、ラブラブカップルって感じで」
 本当はバカップル丸出しって言ってやりたかったけど、そこは我慢した。オレは薪さんが幸せならそれでいいから。

「僕と鈴木がおまえの目にどう映ったか知らないけど、僕は鈴木に、いま青木に対して感じてるような気持ちを持ったことはない」
 薪さんの言葉の真意を測りかねて、オレはますます困惑の度合いを深める。

 もしかしたら、こういうことか?
 鈴木さんは3日でいなくなる。その間は彼との生活を楽しみたいけど、その後は今までどおり、オレと付き合いたい。だから待ってろ、って、そういう意味のケアなのか?
 いやいや、そんな二股掛けた男を両方逃がしたくない女の子みたいな姑息な真似を、薪さんがするとは思えない。薪さんはとっても潔い人だし、第一、彼の人生の中で恋愛が占める割合なんか、せいぜい10%くらいのものだ。その上、探す気になれば、オレの代わりは掃いて捨てるほどいる。大して重要でもないオレとの付き合いのために、薪さんが気を使ってくれるとも思えない。
 でも薪さんは、オレのヒネた思い込みを払うように、
「おまえが他の女の子といると悲しくなるけど、鈴木が女の子と遊んでても気にならない。おまえには今みたいに、恋人のキスをしたいと思うけど、鈴木にはしたいと思わない」

 オレが大好きな薪さんの亜麻色の瞳は賢そうに輝いて、決して彼が当座の恋人に対する言い逃れでそれを口にしているわけではないことを悟らせる。
 それでも。
「でも、一緒のベッドで寝るんですよね? こないだオレとしかけたことの、あの先のこととか、するおつもりなんでしょう?」 
 それも仕事に差し障るほど。
「するわけないだろ! あんなキショイこと!」
 キショイって……鈴木さん、泣いちゃいますよ。

 薪さんはその気がないと言うけれど、じゃあ、さっきの鈴木さんの言葉は?
 どうしても薪さんの言葉が信じられなくて、オレはその確証を鈴木さんに求めて彼の様子を伺った。
 鈴木さんは、クスッと笑って伸びやかな肩を竦めると、つかつかとこちらへ歩いてきた。長い腕を伸ばして、オレにがばっと抱きつき、頬ずりをする。

「ひいいっ!」
 オレはゲイじゃない、薪さん以外の男なんか気持ち悪い。でも、このカエルが踏み潰されたような悲鳴は、そういう理由からではなかった。

 鈴木さんの身体は、ものすごく冷たかった。
 それは生者の感触ではなかった。はっきり言ってしまえば、死人の肌触り。よくよく考えればおかしくはない、鈴木さんは幽霊なのだ。

「こういうこと。一緒に寝たら身体が冷えて、薪が風邪を引くかもしれないだろ」
 鈴木さんは腕を緩めてオレを解放し、屈託なく笑った。
 そこで初めてオレは、目の前でいちゃついていたふたりの様子の不自然さに気付いた。
 相手の身体に触れるのは、いつも薪さんから。鈴木さんから薪さんに向けられたのは、笑顔と甘い言葉だけ。

 きっと鈴木さんは薪さんと同じくらい、いや、薪さんよりも強く、彼に触れたいと思っていたはずだ。だけど、できなかった。自分が人ならざるものであることを知っている彼は、そうするしかなかった。
 鈴木さんは薪さんのことを、深く深く、愛していた。彼に命を奪われても、彼のところにその魂を返らせるほどに。そして薪さんも。だから彼らにとって、最初のあの会話は悪ふざけでも何でもない、本気でそう思っているのだ。あれだけの出来事を、当人の生死すらも乗り越えられるほどに、彼らの絆は強いということだ。

 勝てる気がしなかった。鈴木さんは死んでも、薪さんの最愛のひとに変わりない。オレは一生、鈴木さんを超えられない。

「今夜は蒸し暑いから、冷房を切って寝れば丁度いいと思います」
 オレは何もできない。薪さんが一番望んでいることが分かっているのに、それを叶えてあげられない。鈴木さんを生き返らせることも、オレが鈴木さんになることもできない。だったらせめて、この3日の間だけでも。薪さんの望むことを全部叶えてあげたい。

「じゃあ、3人で寝よう」
 ええ、薪さんの望みなら何でも……はい!?
「たしかに僕一人じゃ冷えちゃうけど、青木が僕を暖めてくれればいい」
 さすが薪さん、それは名案、じゃない!どう考えてもおかしいでしょ、その構図。昔の恋人(薪さんは否定してるけど)と今の恋人に挟まれて寝るなんて。
「あ、いいな、それ。楽しそう」
 鶴の一声、鈴木さんが賛同した時点で、薪さんの無謀な提案は可決された。
 オレと鈴木さんで薪さんを挟んで……なんか不特定多数の人間に、ものすごく恐ろしいことを期待されているような気がするのは何故だろう。

 男3人が横になれるベッドなんかないから、床に来客用の布団を2組敷いた。真ん中に薪さんが寝て、左に鈴木さん、右にオレ。色っぽい雰囲気は全くなくて、飲み仲間の悪友たちと雑魚寝するのと変わりなかった。
 軽くアルコールも入っていた薪さんは直ぐに眠りに落ちて、安らかな寝息を立て始めた。薪さんの顔は鈴木さんの方を向いて、でもその手はオレの手をしっかりと握っていた。
 鈴木さんは慈しむような眼で薪さんの寝顔を見ていたが、やがて顔を上げてオレを見た。亜麻色の小さな頭越しに、囁く声が聞こえる。

「薪は、おまえのこと好きだぞ」

 鈴木さんの言葉を、オレは怪訝に思う。鈴木さんは、薪さんとオレの関係を否定したいはずなのに、手を出したらトリコロスとまで言われたのに、どうしてそんなことを言うのだろう。
「おまえが思ってるよりずっと、おまえのことが好きなんだ。親友のオレが言うんだから間違いない」
「そんなことないです。薪さんは、いつも鈴木さんのことを想ってます。毎日鈴木さんの写真に語りかけてるし、キスはしてるし。きっと今でも鈴木さんのこと」
「なんで薪の言うことを信じてやらないんだ。おまえ、薪の恋人なんだろ」
 鈴木さんの口から出た言葉に、オレは息を呑む。
「認めてくれるんですか? オレのこと」
「認めるも認めないも、薪がそう言ったんだから。オレにとってはそれが真実だ」

 鈴木さんはそれを当然のことのように宣言し、誇らしげに頷いた。最初に会ったときには敵意むき出しだった鈴木さんの、気持ちの変遷がオレには良く分からない。
「鈴木さんは薪さんのこと、愛してるんじゃないんですか? 友人としてじゃなく、つまりその、性愛の対象として」
 鈴木さんは静かに微笑んだ。とても魅力的な笑みだった。
「さあなあ。昔は悩んだこともあった気がするけど、今はどうでもよくなっちまった。オレは薪が幸せなら、それでいいよ」
 その気持ちは、すごく良く分かった。鈴木さんとオレは、立場も性格もまるで違うけれど、まるで双子みたいに似ていると思った。
「オレもです」

 オレは薪さんとつながった手に、ぐっと力を入れる。
 鈴木さんはありったけの愛情を込めて、彼を見つめる。

 その夜の薪さんは、朝まで穏やかに眠り続けた。



(おしまい)



(2010.9) 



 

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天国と地獄7.5

 BL界から追放されても文句が言えないSS 第1弾


 なんでこんな物騒な副題が付いたのかと言うとですね、
 このお話、読み直してみたら腐女子の方にケンカ売ってるみたいな内容になっちゃったんです。 でも本人、そんなつもりは毛頭ございませんので、あしからずご了承ください。
(え、今までの話もみんなそうだったろうって? そ、そんな)

 引っ掛かる箇所等ございましたら、腐ったおばさんには若い女の子の美しいドリーム精神は理解できないのね、と軽く流してくださるとありがたいです。 よろしくお願いします。

 一応、不愉快と思われる箇所を前記にしましたので、それをお読みになってから本編に進むかどうかお決めくださいね。(^^

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恋人のセオリー その4

 こんにちは。
 先日はヘンなお話を上げてしまって、すみませんでした~~。


 前回のSSの焦点となったイリュージョンについて、知りませんでした、とおっしゃる方がけっこういらして、でも知ってよかったのか、となると、かなり微妙でございます。 
 本当に、世の中には知らない方が幸せなことって、たくさんありますね。
 
 これも知りたくなかった……。 
 あんまりショックだったんで、SSに書いちゃいました。(←もはや、色んな感情を整理するツールと化している)
 でも、みんなは知ってるのかな、どうなのかな。


 と言うことで、
 BL界に追放されても文句は言えないSS 第2弾 でございます。 ←反省の色が見えない。


 これ、本っ当に汚い話なので、
 冒頭のごあいさつにもあります通り、BLを美しいと感じ、そこに夢を抱いてらっしゃる方は読まないでくださいねっっ! 責任、持てませんからねっ!


 内容的には、うちのふたりの決め事のひとつなので、カテゴリは『恋人のセオリー』で。
 よろしくお願いします。





恋人のセオリー その4



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天国と地獄8 (1)

 こんにちは。

 前回、前々回と、とんでもはっぷんな記事で本当に申し訳ありませんでした。
 踏みつけにされても文句の言えない内容だったのに、それでもコメント下さったり拍手してくださったり、ううっ、秘密コミュのみなさんは本当にやさしい!!!
 
 わたし、心を入れ替えようと思いました。
 ご厚情に報いるためには、みなさんの期待を裏切らない、甘い甘いあおまきストーリーを紡ぐのがSS書きとしての正しい道ですよねっ。


 ということで、男爵シリーズの8つ目です。 (←絶大な裏切り行為)

 いやー、このくだらない話が、まさか8つも続くとは。 
 しかも前作ではRまで。
 人間て、自分でも予想すらしなかったことを易々とやってのける生き物なのですね。(←大げさ)


 このお話、カップリングは曽我×薪で、
 男爵では初の女装ものです。(いったい何を書いているのやら)
 カップリングと内容に、お腹立ちの方もいらっしゃるとは思いますが、みなさま、そこはそれ、本来のお優しさを遠慮なく発揮されて、しづを許してくださってもよろしくてよ? 


 ……あまりにも話の内容に自信がなくて、まともなご挨拶もできなくなってきたような気がするので、お話へどうぞっ。
 苦笑いでも失笑でも、笑っていただけるとうれしいですっ!!






天国と地獄8 (1)




 紙を破る音が聞こえた。

 それは激しいものではなかった。しかし、何度も何度も繰り返し、一定の速度で静かに周囲の空気を振動させた。
 職務室に居た人間すべてが音を立てる人物に注目するまでの間、その音は続いた。
 彼を見た職員たちは、一人残らず瞠目した。その人物が丹念に破っている紙の束が、挙句はゴミ箱に放り込まれた紙片の元が、彼らの仲間が書き上げて彼に提出した報告書だとわかったからだ。

 何もそこまでしなくても。

 室長から非人道的な扱いを受けた職員は曽我と言って、少々、慌て者の部類に入る。普段から誤字脱字等のケアレスミスが多く、しょっちゅう室長に叱られている。今回もその口だろうと思われるが、可哀想に、今日はたまたま室長の虫の居所が悪かったらしい。口頭で叱責を受けるだけでは済まなくて、実力行使をされてしまったというわけだ。しかもあんな陰湿な形で。

「警察庁に行ってくる。戻りは夕方だ。それまでに、人間が読める報告書を作成しておくように」
 書いた本人の目の前で報告書をゴミ箱に捨てるという仕打ちだけでは飽き足らず、薪は亜麻色の瞳を冷たく光らせて、皮肉と共に曽我に投げつけた。言葉の暴力というやつだ。
「岡部、留守を頼む」
「はい。おい、青木、薪さんについて」
「小池」

 室長の警察庁までのお供に、一番未熟で、抜けても現在の捜査に支障の出ない職員をつけようと岡部が指示を出すのを遮って、薪は曽我の右隣の席に座った職員を指名した。自分の名を呼ばれてびっくりした小池が、細い目を驚きに見開くのを見もせずに、「行くぞ」と彼を促したときには、薪はもう自動ドアの前。
「あ、は、はいっ!」
 慌てて立ち上がって薪に駆け寄り、彼から書類の入ったキャリーケースを受け取って、小池は細い背中に付き従う。同僚の視線を後ろ首で感じつつ、小池は薪の後に続いて自動ドアを潜った。

 エントランスまでの長い廊下を、誰ともすれ違うことなく歩いていく間中、小池はどうして薪が自分を呼んだのだろうと懸命に考えていた。
 もしかしたら、先週の金曜日、居酒屋でかました室長の悪口、あれが耳に入ったんじゃないだろうな?
 たしかに言ったのは小池だ。あんな捻じ曲がった性格になるくらいだから小さい頃は苛められっ子で女装もさせられていたに違いないとか、瞬時にスパイシーな皮肉が飛び出すのはきっと「皮肉ノート」を作成していて、ネタを思いついたらそれに書き留めているのだろうとか、でもあれは酒の席のことで、それを室長に密告るような輩は第九にはいないはずだ。
 しかし、薪は冷たく尖った口調で、
「小池。どうして僕がおまえを指名したか、分かってるだろうな」

 ぎくぎくっと頬を引き攣らせて、小池はたじろいだ。青くなる部下の前に回り込むようにして彼の歩を止め、薪は刃物のような瞳で小池を見上げる。
「週末のこと、よく思い出してみろ」
「えっ、やっぱり室長にはお見通しで……すみません、酒の勢いでつい。でも本気で思ってたわけじゃないんです。室長、女装すっごく似合いますけど中身は男らしいし」
「女装? 何の話だ」
 しまった、皮肉ネタのほうか。
「いえそのっ、室長ほどの頭脳があれば皮肉のネタ帳などなくても言葉につまることはありませんよねっ!」
「皮肉のネタ帳ってなんだ?」
 まずい、これも違ったみたいだぞ。あと何を話したっけ、酒の席ではいつも薪の悪口で盛り上がっているから、心当たりがありすぎて一つに絞れない。

「じゃあなんだろう。『あのひと、常識知らずと言うよりはバカなんじゃないか』発言かな? それとも、『職務時間以外の薪さんはどこまでもダメ人間に違いない』のほうかな? あ、もしかして『彼女いない歴37年の薪さんがあんなに女装が上手いのは、毎日自宅では女物の衣装を身につけているに違いない、男物だとサイズがないから……』」
「小池。心の中で呟いているつもりだろうが、ぜんぶ声に出てるぞ」
 小池のわざとらしいミスを故意的なものと解釈しないのは、薪が多分にお人好しな証拠だと小池は思う。本音では薪の人間性を好ましく思っているから、それを知っているのは科警研中探しても自分たち第九の職員だけだと自負しているから、酒の肴の上司の話題はどんどんエスカレートするのだ。

「もういい。どうせおまえら、僕の悪口を肴に飲んでるんだろ。それは後でゆっくり聞くとして、問題は曽我だ」
 苦虫を潰したような顔から管理者の厳しい表情になって、薪は小池の顔を見上げた。
「金曜日までは普通だった。でも、今日になったらめちゃめちゃだ。あんなもの提出しやがって」
「そんなにひどかったんですか? 曽我の報告書」
「捜査員としての能力を疑われる内容だった」
 その口調が、部下の失態に憤ると言うよりはむしろ憂色の響きを宿しているような気がして、小池はついつい働かせる必要のない想像の羽根を広げる。

 もしかして、それであんなに細かく破ったのか? 曽我の立場を考えて、他の職員たちに読まれないように?
 まさかな。薪はそんなに甘い上司じゃない。皮肉屋で意地悪で、人の弱みを見つければ嬉々としてそこを衝いてくる、そういう男だ。でないと、これから新しい酒の肴を他に探さなくてはいけなくなる。それは面倒だ。

「何があったんだ? 曽我のことは、おまえが一番よく知ってるだろう」
 これは友人のプライベートに関することだ。言おうかどうしようか迷ったが、いずれは薪の耳にも入るだろう、と小池は判断した。噂というのは空気のようなもので、その侵入を防ぐことは極めて困難だ。
「実は、曽我のやつ……」

 小池が語る曽我の身を訪れた出来事に、薪の亜麻色の瞳が大きく開いた。




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天国と地獄8 (2)

 先日、とうとうやっちまいました、妻としてやってはイケナイこと。
 ごめんね、オット。 
 反省してます。 二度としないから許してね。


 何をやらかしたかというとですね、
 日曜日、映画に行った帰り道。
 けっこう暑くて喉が渇いてて、だからコンビニでアイスでも、と思いましてオットに、

「薪さん、アイス食べたい。 コンビニ寄って」

 真顔で 『薪さん』 と呼びかけてしまいました!!!

 オットを別の男性と間違えるなんて、妻としてやってはいけないことですよね(><) (←その前に、人としてどうよ?)
 まあ、いい加減、オットも呆れてましたけどね☆


 秘密ファンの方なら誰もが一度や二度はしている失敗だと思うのですけど~、
 みなさん、いかがですか? 






天国と地獄8 (2)





「結婚詐欺!?」
 薪と小池が出て行った後の研究室で、宇野と今井に目配せされて青木は、室内に曽我と彼の指導に当たる岡部を残して休憩室へ移動した。そこで二人に聞かされたのは、咄嗟に出た声を抑えることができないほどに意外な内容だった。

「いや、詐欺とは言えんな。さんざん貢いだ挙句に振られたのは事実だけど、結婚の約束をしていたわけじゃないからな」
「相手は女子大生か。大人の男性と付き合って、食事を奢ってもらったり洋服を買ってもらったり、そんなことは当たり前なんだろ」
 第九で事情を知らなかったのは、青木だけだった。毎回毎回、先輩たちの情報収集の速さには恐れ入る。

「曽我さんが若い娘と付き合ってるのは聞いてましたけど……そんなことになってたなんて、ちっとも知りませんでした」
 あれだけの仕事量をこなしながら噂話にも手を抜かない彼らに尊敬の眼差しを向ける青木の前で、今井が肩を竦めてコーヒーを啜る。
「曽我も美味しい思いしたんだろ? だったらもう、諦めたら」
「いや、それがですね、今井さん。あいつ、ヘンなところで純情でしょ? 彼女の方からほのめかしてきたのに、結婚するまでは大事にする、とか言ってドン引きされて、それが原因で別れ話になったらしいんですよ」
「バカだなー。女に縁のない男ってのはこれだから」
「まあ、曽我らしいですけど。青木、そういうわけだから。おまえもしばらくの間は、曽我の前で女の話題は避けてくれよ」
「はい、了解しました」

 第九の先輩たちは、本当にやさしいと青木は思う。
 彼らの噂好き、詮索好きは決して興味本位のものではなく、仲間に対する愛情なのだ。
 愛情の反対語は、憎しみではなく無関心だ、と聞いた事がある。攻撃するでもない陰口を言うでもない、相手に興味を持たないことが一番冷酷な仕打ちなのだと、気付いていない人間はけっこう多い。

「滝沢さんと山本が研修中でよかったですね」
「滝沢はともかく、山本に言われたら。曽我のヤツ立ち直れないだろうな」
 山本には、その外見に依らずというと失礼だが、美人の奥さんと可愛い娘がいる。去年のクリスマスイブに第九を恐慌状態に陥れた彼宛の写メールは、職員全員の忘れたくても忘れられない記憶のベスト3にランクインしている。

「相手の女性も、ちょっと非常識ですよね。結婚する気もないのにプレゼントだけもらうなんて。女性用の洋服やアクセサリなんて、返されても使い道ないし」
「返って来るわけないだろ。そんなもの、とっくに金に替えてるって。その女、同級生の彼氏がいたんだから」
「えっ!? ……すみません、状況が理解できないんですけど」
 曽我と付き合いながらも同級生の彼がいるという矛盾は、ありえないことではない。俗に言う、二股というやつだ。意志の弱い人間が陥りがちな状況で、どちらの男性も傷つけたくないと思うが故に、一番最悪のことをしてしまう。青木にも身に覚えがあって、だからその女性の気持ちは分からなくもなかったのだが、それがもらったプレゼントをお金に替えることとどう関係してくるのかは見当もつかなかった。

「本命の彼は同級生。学生だから金が無い。だから、曽我に貢がせたプレゼントを金に替えて、デート代にしてたんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。さっき、彼女は曽我さんにその、身体の関係を持ってもいいようなことをほのめかしたって」
「だから、デート代のお礼ってことだろ」
「そんな!」
 青木は激昂した。それでは曽我は、完全に利用されていたのではないか。
 誰の悲しむ顔も見たくないと、やむにやまれず二人の男性と付き合ってしまう、彼女の状況はそんな優しい気持ちからではなかったと知らされて、青木の怒りは一気に燃え上がった。

「ヒドイじゃないですか!」
「いや、俺に怒られても」
 思わず宇野に詰め寄ってしまって、青木はハタと我に返る。自分が怒っても何の役にも立たないと分かって、だけど彼の憤懣は簡単には治まらない。
 曽我は大事な先輩だ。KYな言動が多いと苦笑されることもあるが、基本的にはとてもやさしくて包容力のある男だ。昔、青木が仕事でミスって室長にクソミソに貶されてトイレで泣いていたとき、何度もドア越しに慰めてくれた。その先輩を利用するだけ利用して捨てるなんて、これは立派な犯罪行為だ。

「だって口惜しいじゃないですか! 曽我さんがそんな目に遭って、何とかしてその女に思い知らせてやりたいと思わないんですか?!」
「青木。気持ちは分からなくもないけど、てか、俺達だって同じ気持ちだけど、曽我がそんなことを望むかどうかを考えると」
 今井に穏やかに諭されて、青木は口を閉ざした。

 言われてみればその通りだ。そんなことをしても、曽我は喜ばないだろう。自分を騙した女性に陰湿な仕返しを考えるなんて、曽我はそんなセコイ人間では――。

「青木! 心の友よ!!」
 休憩室のドアが勢いよく開いて、坊主頭のメタボ体型が青木に突進してきた。いきなり抱きつかれて2,3歩よろめき、その場に倒れそうになるのを根性で踏ん張る。重量級の曽我にマトモに乗られたら、大柄な青木といえど窒息は免れない。青木は身長こそ高いが、岡部のような強靭な筋肉は持っていないのだ。

「そうか、おれのためにあの女に仕返ししてくれるのか!」
「えっ」
「ありがとう、ありがとう!!」
「いやあの、ちょっ、待ってください、宇野さん、今井さん! オレをひとりにしないでくださいよ!!」
 
 要領の良い先輩たちはさっさと執務室に戻ってしまい、休憩室には青木と、涙にくれる坊主頭の先輩だけが残された。
 自分の前で臆面も無く涙を流す恋を失った哀れな男に、青木は何と答えてよいものかわからず、ひたすら狼狽えていた。




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天国と地獄8 (3)

天国と地獄8 (3)





 小鉢の中で冷奴を割る箸を止めて、薪は大きく眼を瞬いた。
 亜麻色の瞳には、青木の困り果てた顔が映っている。きっと薪も、自分が困っていることは察してくれている。でも薪には怒りの方が大きいのだろう、大きな瞳を険しく伏せて、
「年のせいか、このごろ耳の調子が優れなくてな。よく聞き間違いをするんだ」

 薪は努めて冷静に、摩り下ろした生姜をたっぷりと豆腐に載せた。下ろし生姜の無い冷奴なんて、炭酸の抜けたビールみたいなものだ、と薪が言うので、自分は無くても平気だと青木が答えると、冷たい豆腐に醤油をかけただけなんてあり得ない食し方だと叱られた。豆腐に失礼だとまで言われた。意味は分からないが、なんだか薪らしくて笑えた。

「僕の悪口が聞こえたような気がして問い質すと、誰も言ってない、って言われるんだ。今聞こえたのは、それと同じ現象だよな?」
 口の中のものをきれいに飲み込んでから口を開く。薪は上品でも気取ってもいないが、とてもきれいに食事をする。

「『曽我の彼女になって欲しい』って聞こえたんだけど。ありえないよな?」
「すみません、お願いします! この通りですっ!!」

 一転、青木はキッチンの床に正座して頭を下げた。
 薪に怒られるのは覚悟の上。これも大事な先輩のため、ひいては室長である薪のためだ。

 曽我は彼女に振られて以来ミスを連発し、先日とうとう第九内だけでは収まらない大ポカをやってしまった。薪が捜一まで出向いて課長に頭を下げ、事態はそれ以上悪化しなかったが、第九の失点として累積されてしまった。
 起こってしまったことに対しては意外なくらい寛容な薪は、そのときも「これから気をつけろ」と曽我に言い渡しただけだったが、曽我の仕事のクオリティが下降傾向にあることは明らかだった。しかしそこには深く傷ついた心の問題が存在しているが故に、単なる励ましや一時の憂さ晴らしでは彼を元の優秀な捜査官に戻すことは困難で、事実青木のアフターと自腹を削っての激励会はあまり効を奏していなかった。

 曽我が彼女のことを吹っ切ることができたら職務も充実するに違いない。今のままでは薪の立場にまで悪影響を及ぼしかねない。曽我自身のためにも、第九のためにも、何とかしなくては。
 青木はそう考えて、この計画を立てたのだ。

「青木。そこまで……」
 青木の真剣さが伝わったらしく、薪はしばらく考え込んだ後、ガタリと音をさせて席を立った。それから青木の前に膝を付き、頭を上げろ、とやさしく言った。
「わかった。でも、一度だけだぞ」
「ありがとうございます!」
 自分の気持ちを理解してもらえたことが嬉しくて、青木は明るく笑みを返す。しかし薪は何故か悲しそうに眦を下げて、
「おまえの頼みだからやるんだからな。何があっても僕の意志じゃない。そこは分かってくれるな?」
「は?」
 思いつめたような表情をして、いっそ悲壮感さえ漂わせて薪は、きちんと折った細い膝の上に置いた両手をぎゅっと握り締めた。
「それと、ハグまでは我慢するけど、それ以上はちょっと」
「はい?」
 薪の言っていることがさっぱり分からなくて、青木の瞳は小さく引き絞られる。我慢するって、なにを?

 青木が訝しげに首を傾げると、薪はこれまたどうしてか頬を朱く染めて、
「おまえとだってまだキスとボディタッチくらいしかしてないのに、曽我とそれ以上の関係になるなんて。僕にはとても」
「はあ!?」
「僕は初めてはおまえって決めてるし、もしそこまで覚悟しなきゃいけないなら……こ、今夜、がんばってみようかな」
「ちょっと待ってくださいっ!! なんでそうなるんですか!?」
 突っ込んでしまってから気がついた、今夜頑張ってみるっていま薪の方から言ってくれたのに。千載一遇のチャンスを逃して、でもここは彼の勘違いを正すのが急務だ。
 
 自分の言を強く否定されて薪は、青木の顔を見てぱちりと瞬きをした。それから愛らしく小首を傾げて、
「先輩に強要されて、自分の恋人をレンタルするって話じゃ? この世界ではよくある話なんだろ?」
「ちがいますよ!!! 7.5といい今度といい、いったい何処から仕入れてくるんですか、その5流小説ネタは!!」
「ネットで『びーえる』って検索掛けると薪室長に役立つ知識がたくさん出てきますよ、って菅井さんが」

 腐女子の親切大きなお世話っっ!!!
 
 余計なことを吹き込まないで欲しい。それじゃなくても薪は捜査の役に立たないと思われる分野の常識には疎くて、それを自分も自覚しているから、尤もらしく書かれてあったり他人から教えられたりしたことを鵜呑みにする傾向があるのだ。男同士の恋愛事情なんてその最たるもので、彼は同じ性を持つものたちがどうやって愛し合うのかも漠然としか知らなかった。
「『801穴』の存在も、そこで知ったんだ」
 それでこないだの騒動が……あ、ダメだ、虚無の海に飲み込まれそうだ。
 
 遠ざかる意識を必死に引き戻し、青木はできるだけ平静な声で薪を諭した。
「そういうのは若い女の子が実情を知らずに妄想だけで書き散らしているものが殆どなので、信じちゃダメです」
 あの架空の器官には、美しき愛の象徴として描かれるべき性交渉に排泄器官を使うのが忍びない彼女たちの乙女心が生み出したファンタジーの産物、という見解もあるらしいが、どっちにせよ迷惑この上ない。そのせいで別れ話に発展しそうになったこっちの苦労も考えて欲し……いや、世界中探してもあんな幻想を信じるのは薪だけだ。彼女たちに罪は無い。

「え、そうなのか? でも、色とか形状とかすっごく詳しく書いてあったし、それさえあれば初めから気持ちよくって、しかも何回でもイケるみたいだぞ?」
 そんな便利なものがあれば、どこかの誰かさんも苦労しなかったでしょうね……。

 ズレた話を戻そうと、青木は薪の両肩に手を置いた。とんちんかんな誤解をしているとき特有のあどけない表情でぽかんと口を開けている薪の顔を覗きこんで、ありったけの好意を瞳と声に溢れさせる。
「薪さん。こんなに薪さんに夢中なオレが、薪さんと他の男が触れ合うことを望むと思いますか?」
「うん、分かってる。だから、止むに止まれぬ事情があるんだろうなって」
 それであんな思いつめた顔をしていたのか。このひとの思考回路って、いったいどこまで――。

「青木?」
 青木がものも言わずに薪の身体をぎゅっと抱きしめたから、薪は息を呑みながらも不思議そうに青木の名を呼ぶ。薪が説明を聞きたがっているのは分かったけれど、今はこちらを優先させて欲しい。青木が自分の気持ちを抑え切れなくなるのは、こんな風に不意を衝かれた瞬間だ。今青木は、薪のことが愛しくてたまらない。

 青木が頭を下げただけで、詳しい事情も聞かず、彼は自分の身を差し出そうとしてくれた。
 普段は青木のお願いなんか100個のうち1個くらいしか聞き届けてくれないくせに、青木が深刻な状況にあると思えば何も聞かずに協力してくれる。薪はとても意地悪だけど、本当に必要なときには迷いなく手を差し伸べてくれる。そういう人だと分かっていて、でも改めてそれを目の当たりにしたら、強く強く沸き起こる彼への愛しさを青木は止めることができない。

「薪さん、大好きです。オレ以外の男になんか触らないでください」
「じゃあ、何もしなくていいのか?」
「いや、して欲しいことはありますけど、そういうことじゃなくて」
 とりあえず薪を立たせて、途中だった夕食の膳に向かわせる。自分も向かいの席に腰を下ろして青木は、頭の中を整理した。誤解しやすい彼の性質を考慮に入れて、できるだけ明確な言葉を選ぶ。

「薪さんには女性に扮していただいて、曽我さんを騙した女の前で、曽我さんの新しい恋人のフリをしていただきたいんです」




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

天国と地獄8 (4)

天国と地獄8 (4)





「薪さんには女性に扮していただいて、曽我さんを騙した女の前で、曽我さんの新しい恋人のフリをしていただきたいんです」

 この計画は、青木と曽我で立てた。
 曽我本人にどんな仕返しがしたいかと聞いたところ、お金を取り戻そうとは思わない、という答えが返ってきた。曽我が一番頭に来たのはさんざん貢がされたことではなく、彼女の自己弁護の内容だったらしい。

『あんたみたいな冴えないオッサンが、あたしみたいに若くて美人の女を連れ歩けたんだから、それで満足しなさいよ』

 確かに彼女は若くて美人だった、そして曽我は見てくれは良くない。でも、人間容姿だけじゃない。まったく人生に影響がないとは言わないが、絶対にそれだけじゃない。大事なのは中身だ。平凡な顔立ちでも相手の人となりが分かってくるに従って可愛く見えてくるものだし、実際、何十年も一緒に連れ添ったら見てくれなんかどうでもよくなる。
 それを証明するためにも、彼女より遥かに美人の恋人を作って、その彼女に見せ付けてやりたい。男は中身で勝負するものなんだと、若さに思い上がった彼女に思い知らせてやりたい。
 それには曽我の恋人の振りをしてくれるとびきり美人の協力者が必要で、青木と曽我が思い当たる人物といったら、彼らの知り合いには一人しかいなかった。

 薪には容易い事だと思った。女性の振りをするのはおとり捜査で慣れているし、青木のために自分の身を差し出す決意までした彼なら、二つ返事で引き受けてくれると思った。しかし。

「アホらしい」
 さっきとは打って変わって冷たい口調で言い捨てると、薪は冷奴に箸を伸ばした。
「なんで僕がそんなことしなきゃならないんだ」
 まさか断られるとは思っていなかった青木は、薪のお手製のアジフライを頬張りつつ、そのふっくらとした身の柔らかさに感激しながらも、説得の続きにかかる。
「このままでいいわけないですよ。曽我さんは彼女と真面目に付き合っていたのに、あんな目に遭わされて。薪さんにとっても、曽我さんは大事な部下でしょう?」
「それは曽我と彼女の問題で、僕たちが口を出すべきじゃない」
「薪さんは口惜しくないんですか?彼女、曽我さんから貢がれた品を全部質に入れて、そのお金で本命の男とデートしてたんですよ。あからさまに利用されて……!」
「次からそんな女に引っ掛からなければいい。いい教訓になっただろ」
「薪さん」
 咎める口調で青木が薪の名前を呼ぶと、薪は箸と茶碗を置いて、両手をテーブルの上で軽く握った。

「青木。こういうことは、他人が何をしてもだめだ。曽我が自分で立ち直らないと」
 薪はずるい、と青木は思った。職務中のように姿勢を正して、澄み切った亜麻色の瞳で見つめられたら、青木はそれ以上何も言えない。
「大丈夫だ。曽我は、強い男だ」
 薪は、自分の部下を信じているのだと思った。彼が自分の力で己を取り戻すのを、黙して待つ心算なのだ。
 だからと言って、職務中に手心を加えたりしない。あくまで厳しく、やや独善的な上司像を崩さない。でも、居丈高にそらされた薪の胸のうちにはいつも、部下に対する信頼と愛情が溢れていることを青木は知っている。

「わかりました」
 神妙に頷いて、青木は食事に戻った。
 丁寧に細切りされた春キャベツの甘さと食感を楽しみながら、一連の会話のせいか、まるで仕事中のように整然とした所作で食事をする薪をプライベイトの彼に戻したくて、青木はちょっとしたイタズラを思いつく。

「薪さん。今夜、期待していいんですよね?」
「……えっ?」
 アジフライを分けていた薪の箸が止まる。顔と手の位置はそのまま、青木の顔を眼だけで見上げて、その瞳は不安に揺れている。
 薪は青木の期待の対象に気付いて、それは薪の最も不得手とする項目で、だから突然彼は挙動不審になる。青木と眼が合うとパッと横に逸らし、瞳があさっての方向を向いているものだからテーブルの上にキャベツが散らかっちゃってますけど。

 彼の焦りが伝わってきて、青木は心の中でニヤニヤ笑う。得意なことと苦手なことの差に天と地ほどの開きがある、それも薪の魅力のひとつだ。そのギャップがたまらない。
「さっき、今夜がんばってみるって」
「そ、それは!!」
 薪はくちびるを開いて、空気だけを飲み込んで閉じ、また開き。
 どうやら自分の発言をなかったものにしようとあれこれ考えているようだが、青木はそこまでお人好しではない。
「初めては、オレって決めてくれてるんでしょう?」
「うっ……」
 長い指を組み合わせて肘をテーブルに付き、薪の瞳を真っ直ぐに見つめれば、彼が自分から逃げられなくなることは分かっている。

「ごはん食べ終わったら、一緒にシャワー浴びましょうか」
 案の定、固まってしまった薪に笑いかけると、薪は白い薔薇が紅いインクを吸い上げて発色するように見る見る顔を赤くして、それでも終いにはこっくりと頷いた。




*****





 翌日、青木は曽我に、薪の協力を得られなかったことを正直に話した。曽我はそれほど期待していなかったようで、やっぱり、と軽く呟いただけだった。
 休憩室で自販機の紙コップに入ったコーヒーを飲みながら、青木は自分の隣で杜仲茶を飲んでいる曽我に、計画の修正案を提示した。

「どうしますか? 他に美人の心当たりと言うと、法一の三好先生か、助手の菅井さんくらいですけど」
「うーん、どっちもハイレベルだけど、年がなあ。彼女、まだ二十歳でさ。それと同じか年下に化けるとなると、苦しいだろうな」
「薪さんだったら年齢的にも文句なしだったんですけどね」
 薪の実年齢は37歳だが、服装によっては高校生くらいに見える。ラフな服装で居酒屋で飲んでいて、何度店の人から注意を受けたことか。

「あとは捜一の竹内さんに頼んで、女の子の知り合いから誰か見繕ってもらうとか」
「ダメダメ。竹内さんは、人妻と子供には手を出さないから」
 捜一の光源氏と異名をとるプレイボーイは、浮名を流す一方思慮深い一面もあって、自分の警察官としての立場を危うくするような相手とは初めから付き合わない。いつ監査課に突っ込まれても自由恋愛だと主張できるような、自立した大人の女性しか相手にしないのだ。その中に、親のすねを齧っている娘はいない。親がうるさいからだ。

「じゃあ、どうします? 諦めますか?」
「冗談だろ。今週末に決行する」
「わかりました! オレが曽我さんの彼女になります!」
「……おまえ、薪さんに毒されてない?」
 薪のスットンキョーが伝染ってきたみたいだ、と曽我に言われて、青木は照れ臭さを覚える。恋人として付き合うようになって一緒に過ごす時間が長くなったから、今までよりも彼の影響を強く受けているのかもしれない。主に、プライベイトの。

「こないだ、あんまり頭に来て言葉が出てこなかったから。相手に言いたい放題言われて、そのまま別れちゃってさ。新しい彼女なんかいなくたって、言いたいこと、バシッと言ってやるんだ。そうしたら吹っ切れそうな気がする」
 そう言って前を向いた曽我の横顔は、なかなかに男らしかった。

「悪かったなー、青木。さんざん付き合わせて。でも、おかげで勇気出た」
 曽我はKYだと評されることも多いが、基本的に平和主義者だ。腹に据えかねることがあっても、他人を攻撃したりしない。自分の意見を強く主張することよりも、ジョークや笑いに紛れさせてしまうことの方が遥かに多い。 それは、彼のやさしさの裏には自分の考えを堂々と言えない臆病な彼が隠れていることの証明に他ならず、そこが自分の弱さだと曽我自身も分かっているのだろう。

「自分を応援してくれる誰かがいるって、幸せなことだな」
「オレだけじゃないです。みんな口には出さないけれど、曽我さんのこと応援してますよ」
「うん。わかってる」
 曽我は残りの杜仲茶を一気に飲み干すと、右手の中で紙コップをくしゃりと潰し、立ち上がった。

「早いとこ、ケリつけないとな」



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天国と地獄8 (5)

 日曜日の夜、オットと一緒に『平成教育委員会』というクイズ番組を見てましたら、『亜麻色ってどの色?』という質問がありまして。 
 
「あ、うちの薪さんの髪の色だよ! とってもきれいなんだよ! 答えはDだね!」
 と、わたしが自信満々に言い放ちましたら、しっかり間違ってて。(笑) 答えはCでした。

 ええーーっ、亜麻色ってあんなに薄いの?!
 と驚くくらい、殆ど白に近い茶色で。うちのテレビ映りの問題かもしれないけど、こんなんだったよ?
 ↓↓↓

 『こんな色』  

 しかも、映像で見たら全然キレイじゃないんですけど。(←これ、モデルさんに失礼かもだけど、後姿だったから)
 おかしいなあ、ネットで調べたときはもっとずっと濃い色だったんだけどなあ。

 『亜麻色の色見本』 

 まあ、字面がいいので使ってた部分も大きいのですけど。 亜麻色は栗色の表現に用いられることも多いので。
 実際、ネットで調べた亜麻色より、薄茶色の方が見た目もキレイだったし。
 でも、『こんな色』で『亜麻色の髪の乙女』を想像しても、ちっともキレイじゃないわ、と思うのはわたしだけ? 金髪と言うより白髪だよね? ……痛くね?

 テレビの映像を見たオットが、
 「そうか、薪さんは白髪なのか。しづは老け専か」 と何事か呟いておりましたが、そんなことはどうでもよろしい。(いいの?)


 疑問に思った時のWiki頼みで調べてみたのですけど、
「こんな色」は エルクベージュ と言って、これも亜麻色と称されるんだそうです。 
 つまり、亜麻色って2色あるんですね~。 まぎらわしいな~~。

 テレビでやるなら、ここまできちんと放映して欲しいもんです。 おかげでオットに老け専だと誤解されました、ってクレームつけたら、意味分かってもらえるかしら。(笑笑)
 






天国と地獄8 (5)




 梅雨が明けたばかりの日本列島は、その日快晴に恵まれていた。
 
 アイスコーヒーのグラスを片手にすっかり薄くなった頭を自然の風に晒して、山本は休日の午後の一時を過ごしていた。
 山本がいるのはヨーロッパの街中によく見られるような路上にまで席を置いたオープンカフェで、周りにいるのは派手な恰好をした若者たちばかり。山本が実年齢より20歳老けて見えることを差し引いても、彼がその場所で浮いていることは否定できない。その証拠に、「あのオジサンさあ」という苦笑紛れの声が風に乗って聞こえてくる。見た目で判断されて耳も遠いだろうと思われているのかもしれないが、残念、山本は耳はいいのだ。
 山本自身、自分の外見については自覚しているから、本音を言うとお洒落なオープンカフェは苦手なのだが、合流に便利だからこの席で待っていてくれと頼まれたのだ。そうでもなければ、こんな気取った店の金属製の椅子になど座るものか。

 不愉快な囁きには耳を塞ぎ、文庫本のニーチェをめくりながら連れが迎えに来るのを待っていると、カフェから少し離れた路上でちょっとした騒ぎが起きた。公共の場所には相応しくない女の大声が聞こえて、何事かと顔を上げると、ちょうど山本の席の方へ向かって、大胆に腕と足を露出させた若い女性が歩いてくるところだった。

「ちょっと待てよ」
 後ろから、彼女よりは大分年上と思われる男が追いかけてくる。その男の顔を見て、山本は慌てて文庫本で自分の顔を隠した。
 山本の目前で女性の腕を掴んで彼女を引き止めている30前後の小太りな男、それは山本と同じ研究室で働く先輩職員だった。

 偶然にも同僚の修羅場を目撃する羽目になって困惑する山本の前で、若い女性は強気に彼の手を払い、苛立った口調で、
「話なんかないって言ってるでしょ。あんたがあたしに未練たらたらなのは分かるけど、あたしたちはもう終わったの!」
 脱色したストレートの長い髪を左右に振って、そうすると彼女は戦いの女神ミネルバのようで、傲慢なまでの我の強さは彼女の魅力のひとつとして立派にその役目を果たしていることが分かる。女性に従順を求めつつ、こういう女性に惹かれる男性もまた多い。
 青みがかった大きな瞳も、それを縁取る睫毛を強調した今時の化粧も、彼女の魅力を引き立てている。季節的にはまだ早いかと思われる二枚重ねのタンクトップにホットパンツという彼女のいでたちも、その眩しいまでの若さ溢れる肢体にはよく似合っていた。

 男はしかし、そんな彼女の迸るような激しい美しさに惑わされることなく、強い口調で言い放った。
「おまえに未練なんかない。だけど、おまえがしたのは悪いことだ。それをきちんと認識して謝罪しろって言ってるんだ。そうしなかったら、おまえはまた同じ間違いを繰り返すだろ」
「何よ、あんただってスケベ心があったからあたしに宝石やらバックやら買ってくれたんでしょ。お互い様じゃない」
「ちがう、おれはちゃんと結婚まで視野に入れて」
「それはあんたの勝手でしょ?! 冗談じゃないわよ、あんたみたいな冴えない男と結婚なんて! あんた、あたしに釣り合うとでも思ってんの!?」
 詳しいことは分からずとも、彼らの間でどんなトラブルがあったのか、凡その予想はついた。それはカフェの他の客も同様だったらしく、しかし客の殆どは自分たちに年の近い女性側の味方で、「あの男じゃ、あの娘はムリっしょ」などという失礼な言葉が、また風に乗って山本の耳に入ってきた。

 腹が立った。
 男が山本の同僚だったから、だけではない。曽我のことを何も知らない連中が、彼の価値を勝手に決めつける、その行為が許しがたく不愉快だった。

 が、公共の場で騒ぎを起こすほど、山本は非常識ではなかった。腹立ちは胸の中に押し留め、第三者の素振りでその場をやり過ごそうと思った。ここにいたのが自分でなく、第九の他の誰かでもそうするだろう。下手に騒ぎ立てたら曽我にも迷惑が掛かる。
 しかし、彼らは山本の一つ隣の空テーブルの前で揉めているのだ。会話はイヤでも耳に入ってくる。繰り返すが、山本は耳はいいのだ。

「ひとの外見にばっかり捉われてると、そのうち痛い目見るぞ」
「あんたみたいな男に言われてもね。これくらいイイ男が言うんだったらサマになるけど」
 そう言って彼女はすらりと長い腕を後方から現れた男の首に回し、これ見よがしに彼に擦り寄った。
 彼女の言うとおり、男は若く、なかなかの美男子だった。彼氏の出現に、曽我が思わず後ずさる。
 彼は彼女と同じような表情をして、自分の正当性を心から信じる十字軍の戦士のように強く曽我を非難した。

「オッサン。おれのアカネに何か文句あるの?」
「ヒロシはケンカ強いわよ。謝っちゃった方がいいわよ」
 ヒロシとやらが殴りかかればいい、と山本は思った。警察官と言う立場上、自分から手を出すことはできないが、曽我は柔道は初段だ。こんな優男を地面に叩きつけることなぞ、片手でやってのける。

 しかし、曽我は彼氏が出てきた途端に弱気になった。
 曽我の表情を見て取って、女は勝ち誇ったように彼を嘲った。
「女には強く出られても、男には引いちゃうのね。情けない男」

 曽我はぎゅっと唇を引き結び、その拳は怒りに震えて、でも決して一歩を踏み出そうとはしなかった。何も知らない者たちにとって、その様子は曽我が男の出現に恐れをなしたように受け取られ、か弱い女相手でなければ啖呵も切れない、なんと情けない男よと、カフェのあちこちで沸き起こる失笑に、思わず山本が立ち上がりかけたとき。

「曽我さん」

 鈴を転がすようなアルトの声が響き、軽やかなヒールの音が山本の席に近付いてきた。白い日傘を差した彼女は、亜麻色のふわふわした長い髪とほっそりした体つき、胸元にフリルのたくさんついたチュールワンピースを着ていた。開いた胸元にはシンプルなプラチナのネックレスが奥ゆかしく輝き、華奢な両肩を慎ましく覆う短い袖から伸びた腕と、品の良い長さのスカートから伸びた脚の白さは驚くばかり。それらのアイテムと彼女の優雅な身のこなしを併せれば、どこからどう見ても良家の子女に間違いない。間違いないが、山本の観察眼も間違いではなかった。

「室……!!」
 カフェの客たちが騒然とする中、突然現れたお嬢さまは満面に浮かべた笑顔をそのままに、ちらりと山本の方を見て、しかし立ち止まることなく、細い人差し指を自分のくちびるに当てただけで山本の横を通り過ぎた。

 ふんわりしたスカートの裾をひらめかせ、無邪気な笑顔をその美しい顔に浮かべて彼女は、「お会いできて嬉しいわ」と、曽我の手を取った。
 その場で呆然としていないのは、日傘を差したお嬢さまだけだった。誰もが自失していた。彼女に手をとられた曽我でさえ。

 曽我の顔を見上げる彼女の、前髪の下の秀麗な眉とその下の大きな瞳。長い睫毛はその色合いと形から、人工的なものではなく生まれつきのものだと分かる。女の子らしい小さな鼻と、桃の花色に彩られたくちびる。笑うと、真珠のような前歯が少しだけ覗いて、さっきの彼女がミネルバならこちらはフレイアだな、と山本は思った。俗に言う「愛と美の女神」ってやつだ。
 亜麻色の豊かな髪は彼女の華奢な背中を覆い、その美しい曲線を日傘と協力して隠していたけれど、品よく晒した腕と脚の造形から、服に隠れた部分の麗しさは十分に推し量れる。本当に美しいものはどれだけ巧妙に隠匿しても、その輝きを自然と滲ませるものだ。何より、彼女の全身から発せられる気品と清涼感は付け焼刃で身につくものではない。タンクトップにホットパンツという若さに任せたアカネの姿が、何故だかとても薄っぺらく、いっそ下品に見えてくる。鑑定書つきのダイヤモンドの隣にキュービックジルコニアが並んだみたいだ。

 曽我は自失から戻り、若い彼女との諍いのときより遥かに多くの耳目を集めていることに気付いたようだった。焦った顔で深窓の姫君を見やり、
「ま、薪さん……どうしてここに」
『あの娘、マキって言うんだ』という呟きが聞こえる。マキは苗字ですよ、と突っ込みたくなるが、それをしたら只では済まないことを山本は経験から学んでいる。

「車から曽我さんのお姿をお見かけして、はしたなくも追いかけてきてしまいました」
 彼女は自分の軽率さを恥らうように、でも嬉しくてたまらないといった様子で曽我の手を握った自分の手に視線を落とした。
「曽我さん。よろしかったらこれからわたくしの家に……あら。そちらの方、どなた?」
「あ、彼女は」
 曽我がアカネを振り返ると、そこにいたのは何故か彼女の本命の彼氏の方で、後ろを向いていた曽我は知らないが、マキの姿を見た途端に彼はアカネの肩に回していた手を解き、殆ど彼女を突き飛ばすようにして前に出てきていた。

「ちょ、ちょっと待って。君、こいつと付き合ってるの?」
 ヒロシと呼ばれた若者は無遠慮にマキに顔を近づけ、我知らず赤くなって何とも下卑た笑いをその口元に浮かべた。言われてマキは、長い睫毛を瞬かせ、口元を右手で隠すと、恥ずかしそうに首を振った。
「いいえ、そんな。とんでもない」
「だよね、君みたいな可愛い娘が、こんな冴えない男と」
 うんうんと頷いて、それは山本を除いたギャラリーたちも同じ気持ちだったのだろう。何となく安心したような空気が流れて、場の緊張は幾らか和らいだように見えた。
 が、山本には分かっていた。本番は、ここからだ。

「ねっ、よかったら、おれとこの後」
「あんた、なに言ってんのよ!」
 自分の本命彼氏が図々しくマキに声を掛けるのにマジギレして、アカネがヒステリックに喚き立てる。先刻、彼女の啖呵はとても気風よく感ぜられたのに、今はなんだか雌猫がぎゃんぎゃん鳴いているみたいだった。
 対照的に、涼やかに透き通ったアルトの声が、せっかく落ち着いてきた観衆に再び爆雷を落とす。

「わたくしの方が一方的にお慕いしてて。曽我さんには、きっとご迷惑だと思うのですけど」
「「「ええ~~~~!!!」」」
 そこで一緒に驚いてはダメだろう、曽我!!
 しかし、無理もなかった。カフェの客の中には思わず席を立つものもいたし、店員は客のコップに注いだ水が溢れているのにも気付かない。

 薪がその気になれば、帝国が築けるのではないかと山本は思う。カリスマ性があるというか自然と人の憧憬を集めてしまうというか。普段から衆目を攫う美貌のひとではあるけれど、意識してそれを操ることができたら、警察機構なんか簡単に牛耳れる気がする。

「お嬢さま。探しましたよ」
「今井」
 半袖シャツの人ごみを背景に、ダークグレイのスーツに白い手袋をはめた、いかにも執事然とした男が姿を現した。きっちりと撫で付けられた髪は、主の髪より幾分薄めのブラウン。見目良く品良く、洗練されたその物腰に、うっとりと見ほれる女性もちらほら。
 ……今井さんて、こういう人でしたか?

 交通課の彼女に連絡してやろうか、と山本が余計なお世話を焼きたくなるくらい、堂に入った執事っぷりだった。つまり、ノリノリということだ。
「突然いなくなられては困ります。ボディーガードもつけずに。私が旦那さまに叱られます」
 咎める口調で諭されうつむいて、しかし彼女が気にしているのは執事の機嫌ではなかった。

「ごめんなさい、曽我さん。わたくしのこういうところがお嫌なのでしょう? でもマキは、あなたの為なら家なんかいつでも捨てる覚悟がございますのよ」




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天国と地獄8 (6)

 こんにちは~。
 て、呑気に語尾を伸ばした挨拶してる場合じゃないですよね。

 ごめんなさい、放置しちゃってすみませんでした~っ
 しかも、章の途中と言う非道な切りっぷり!!(長かったので2つに分けた) 鬼だね、しづ!!!

 ちょーっとリアルがバタバタしておりまして、コメレスは、もうしばらくお待ちください。
 記事は見直し済みなのでね、残り2回、レスより先に公開させていただきます。←不義理の極み。


 みなさまに、楽しんでいただけますように。
 
 




天国と地獄8 (6)




「ごめんなさい、曽我さん。わたくしのこういうところがお嫌なのでしょう?でもマキは、あなたの為なら家なんかいつでも捨てる覚悟がございますのよ」

「何を仰います、マキさま! 資産254億の小野田家を継がれるのはお嬢さましかいないのですよ!!」
「「資産254億!?」」
 事実とはゼロの数が9つほど違っているようだが、細かいことを気にしてはいけない。
 しかし、あまりにも現実から掛け離れた嘘はリアリティを損なうものだ。観客の中に「小野田家なんて聞いたことあるか?」という声がちらほらと上がったとき。

「小野田、小野田……おっ、これか!!」
 カフェにいたひとりの男がノートパソコンを広げ、インターネットから記事を引き出した。「こりゃすごい、本物だ!」と彼が声を上げるので、気になった連中は一人二人と彼の席に寄っていき、彼のPCの画面を覗き込んでは、おお、と感嘆の声を上げた。
 平均よりは大分小柄な山本が人垣の後ろから爪先立って、見ると、画面には現職の法務大臣と握手をしている警察庁長官と隣に並んだ薪の姿が映っていた。これは多分、先日の事件解決の折に法務大臣と会談をしたときの写真だと思うが、長官の衣装はタキシードに、薪の衣装は豪奢なイブニングドレスに変わっていた。

 宇野さん……これは一種の詐欺行為では……いや、まあ、偽造したのは公文書ではないし、でも軽犯罪法には抵触しているような……。

「これって、何とかって大臣だよね? テレビで見たことある」
 法務大臣の名前くらい覚えておきましょうね、君たち。
「毎週土曜、定例となっている昼食会、とか書いてあるぜ。すっげーセレブ」
 うん、現職の法務大臣はそんなにヒマじゃないと思いますけどね。
「しかしこの親父、あの娘と似てないなー」
 そりゃあ、本物の親子じゃありませんから。

 いくらか浮世離れした設定も、インターネットという魔法をかけられれば現実になる。今や観衆の誰もが、マキという女性は自分たちとは異なった世界で至宝のように育て上げられた温室の薔薇であることを信じていた。
 そして当然、生まれる疑問がひとつ。
 美人で、若くて、お金持ちで、約束された幸福な未来を持つ彼女が、そのすべてを投げうってまで付いていきたいと思う男性、それがこの坊主頭の冴えない男?

「その男のどこがそんなに?!」
 ヒロシと呼ばれた男の質問は、観衆の総意だった。
 マキはニコニコと品良く微笑みながら、小鳥が羽繕いをするように小首を傾げ、
「曽我さんは、ステキな方ですのよ」
「どこが?! あんたの目、節穴じゃないの?」
 アカネの叫びは、これまた観衆の代弁。しかしマキは臆することなく、静かな口調で、しかし力強く言い切った。
「失礼ですけど。表面上のものだけ見ていては、曽我さんの素晴らしさはわかりません」

 それは、実に教師的な物言いだった。あどけない頬のラインから自分よりも年下と見受けられる少女に上から目線で諭されて、アカネは腹に据えかねたのだろう。自分だって男を見てくれだけで判断するほど愚かな女ではないことを主張するため、曽我の内面的な部分に対する非難を早口にまくし立てた。
「この男はね、無神経で空気読めないし、見当違いのことばっかり言うし、女の言いなりになってばかりの情けない男なの! あたしの嘘に何度も騙されるくらいバカだし……とにかくバカなの! いいとこなんて、ひとつもないわよ!」
 公衆の面前で罵倒されて、それでも曽我は何も言わなかった。卑屈なまでに寡黙な彼の横顔をちらりと見やり、麗しの少女はぽつりと一言、
「馬鹿はおまえだろう」

 ざわめいていた観衆が、シンと静まり返った。
 それは唐突に打ち捨てられた上品な言い回しとか、現れてから今までずっと彼女の顔に浮かべられていた笑顔が失せたこととか、そういった眼に見えるものの影響ばかりではなかった。冷たい波動が彼女の細い身体から発せられ、それが彼女の怒りであることを本能で感じ取ったことによる恐怖が集団に伝染したからだった。
 透き通るアルトの声音に氷の冷たさを添えて、薪は言った。

「曽我は、一見無神経に見える行動の裏で、たくさんのものを見てたくさんのことに気付いている。MRI画像をあれだけ細かく読み解ける曽我に、それができないわけがない。曽我はその上で言葉を選んでいる。相手の気持ちを、プライドを考えるから。隠しておきたい人の心を大事にするから。それは曽我のやさしさで、それに気付かない人間が愚鈍なんだ」
 淡々と、でも力強く、彼女の声はそれが真実であることを他人の心に伝える。心から信じているものは心に伝わる。頭で理解するのではなく、第一印象からでもなく、彼女の言葉から真実の彼を感じ取って、ギャラリーは沈黙する。

「誠実で正義感が強く、同情心が篤い。強く、やさしい心を持っている。今どき珍しい本物の男だ」
 曽我の手を離し、薪は一歩前に出た。自分よりも若干背の高いアカネに、至近距離から氷柱のような眼光をぶつける。
「曽我は、おまえなんかにはもったいない」

 ひくっと頬を引きつらせて、アカネは一歩下がった。彼氏に至っては素早くアカネの背後に隠れて、まったく今時の男は情けない。
「お嬢さま、お言葉が。お顔も少々」
 澄ました口調で執事が注意を促すのに、お嬢さまはハッと我に返り、こほん、と子リスが首を縦に振る風情で咳払いをし、レースつきの白い日傘をくるりと回した。
 すると彼女を包んでいた氷壁は幻のように融解し、彼女は再び、少しだけ世間知らずで屈託のない深窓の姫君に戻る。そこにすかさず攻撃をかけるアカネは、中々根性が入っていると山本は思った。

「なっ、なによ、小野田家のお嬢様だか何だか知らないけど、あんたあたしより年下でしょ。偉そうに説教しないで、きゃああっ!!」
 アカネの反撃は、途中から悲鳴に変わる。
 ずうん、と重苦しい音と共に現れたのは見上げるような大男で、その三白眼から照射されるのは間違うことなき殺気。ぼきぼきと指の骨を鳴らし、毛深い腕をぐっと曲げれば、ボディビルダーのような筋肉が白シャツの下に浮き上がる。
 今度こそ二人は悲鳴を上げて2mほど飛びのくと、熱せられたアスファルトの上の膨張した空気の中で震え上がった。

 最後は脅しなんだ、といささか滑るような心持ちで山本は、すっかりぬるくなったアイスコーヒーを飲み干した。岡部が出てくれば、これで幕だろう。

「宅のお嬢さまを侮辱する言葉が聞こえたようでしたが、空耳でしたかな」
「岡部、弁えなさい。空耳ですよ」
 微笑みつつ用心棒を諌める、その自然さは、彼女が確かに命令することに慣れた特権階級の人間であることを感じさせる。強い主従関係を認めて衆目が感心するのに、山本はひとり心の中で呟いた。
 そりゃ自然ですよね。室長、岡部さんには普段から言いたい放題ですものね。

「お嬢さま。旦那さまがお屋敷でお待ちです。曽我さまも、どうぞご一緒に」
 岡部が大きな手で指し示した先には、黒塗りの高級車が停まっていた。運転手らしき男が後部席のドア前に立ち、お嬢さまの乗車を待っていた。彼もまた背が高く、きちんと撫で付けた黒髪のオールバックとクスエアな眼鏡がよく似合う美形だった。
「さ。行きましょう、曽我さん」
 曽我の手を取り、車へと導く彼女の足取りはとても軽く。スキップでも踏みかねないその様子は、曽我への好意を物語る。

「どうぞ」
 運転手はドアを開けて姫君を乗せ、反対側のドアから執事と曽我を乗せる。助手席には用心棒が乗り、最後に運転手が運転席に納まった。
 美丈夫たちに慈しまれ守られて、美しい姫君は花のような人生を歩むのだろう。しかしその彼女が選んだのは、坊主頭の垢抜けない男。

 否。そんなはずはない。
 彼女が選び、それを周りの彼らも認めている。ということは、彼はもしかしなくても、大した男なのではないか? 若さゆえにそれが見抜けず、アカネという女はとんでもない損をしたのではないか?

 そんな声もちらほらと上がる中、車はゆっくりとスタートを切り、衆目の中で道化を演じる羽目になったアカネは、不貞腐れた表情で足早にその場を去っていった。ちょっと待って、と後ろから追いすがる男を振り返りもしない様子から、「彼らの仲も長くないかも」「あの女の気の強さじゃね」などという失笑も洩れ聞こえてきて、本当に集団というものは心無い発言をすると山本は思う。
 そっと後ろを伺うと、いつの間にか宇野は姿を消していた。もうここに、山本の知り合いはいない。

 カフェの話題は先刻の一幕のことに染まり、小野田家の令嬢の美しさや、執事のスマートさ、あらわたしはあの運転手が素敵だと思ったわ、いやいやあの用心棒は名の通った武道家に違いない、などと空想も逞しくお喋りに花を咲かせるが、彼らがどんなに熱心にiモード検索をかけても、先刻確認したはずの記事は見つけることができないのだった。
「それにしても、あのお嬢さまオトコの趣味悪いよな?」と誰かが言うのに、「ホント、てんで釣り合わない」「あれだったら最初の彼女の方がお似合い」という声がそこかしこで上がる。全体でまとまった話をしているわけではなくとも、共通のスレッドが立った状態の今、グループごとの会話も全体の会話も似たようなものになるのだ。

「世間知らずっていうかさ。ちょっと非常識だよな」
「浮世離れしてるっていうの? まあ、金持ちなんて皆そんなもんかもしれないけど」
「あのお嬢さまが特殊なんじゃん? でなきゃ、あんな冴えない男選ばないっしょ」
「いやいや、分からんぞ。ああ見えてあの男、ビルゲイツも真っ青のITの申し子とか」
「どっちにせよ、あのお付きの数は非常識でしょ」
「でもみんないい男だった~」

 みんなの言うとおり、なんて非常識な上司と同僚なのだろう、と山本は思った。
 同僚が女性にこっぴどい振られ方をしたからと言って、こんな大仰な仕返しをするか? 良識のある大人のすることとは思えない。
 しかし、この胸が熱くなるような感覚はなんだろう。彼らはどこまでも愚かしい、でも、その愚考の目的を思えば下らないと切り捨てることのできない何かが山本の中にも生まれつつあって、その何かが新しい山本賢司を作り出していく。

 今日は天気も良いし。梅雨も明けたことだし。
 少し、非常識になってみようか。

 やがて山本の待ち人が現れて、いつものように周囲の人々からざわめきが起こった。常なら逃げるようにその場から去る山本だが、今日はゆっくりと座ったまま、自分の妻と娘を見上げた。
 店中の客が彼女たちに注目しているのが分かる。マキ嬢ほどではないが、彼女たちは道行く男たちを振り返らせるのに充分すぎるほどの容姿をしていた。豊かな黒髪をアップにまとめ、中学生の子供がいるとは思えないほどに若々しい肢体を持った妻に、山本は尋ねる。

「ねえ、玲子さん」
「なあに?」
「きみは私の何処がよくて、私と結婚したのかな?」
 妻はデパートの袋を両手に持ち直すと、その美しい顔に輝くばかりの笑みを浮かべ、
「賢司さんみたいに素敵なひとは、他にいません。思いやりがあって、頭が良くて、正義感が強くて、勇ましくて。わたしがこれまでに会った男性の中で、あなたが一番ステキ」
 15年前に聞いた台詞と全く同じことを、彼女は録音機のように繰り返した。彼女の気持ちはあの頃のまま、いや、年々強くなるようですらあると山本は感じている。
「だから学生のうちにプロポーズしたのよ、あなたを誰にも取られないうちに。社会に出たら、たくさんの女性があなたに夢中になるって分かってたから」

 あまりにも現実との開きが大きい彼女の言葉に、カフェの客たちが呆然としている。我が妻ながら彼女のドリーム精神には恐れ入る、と山本も密かに思っている。しかし今日だけは、彼女の気持ちを素直な気持ちで聞きたかった。

「ママ、ずるい!」
 中学1年になる娘が、玲子を押しのけるようにして山本の前に顔を出す。母親そっくりのきれいな顔をして、同級生の男の子からしょっちゅう交際の申し込みをされているらしいが、本人は彼らを歯牙にもかけないと聞く。
「わたしだってパパのこと、世界で一番ステキな男性だって思ってるのに! パパ、ママとわたし、どっちが好き?」
 さすが玲子さんの娘。男の趣味の悪さは母親譲りだ。
「まあ、玲奈ったら」
 さすがに玲子は母親だ。彼女は娘の言葉を軽く諌め、ホホホと上品に笑い、
「そんなのわたしに決まってるでしょ。わたしは賢司さんの奥さんなんですからね」
 ……もしもし、玲子さん? 眼がすわってますけど。

「わたしの方が若いし、これからもっともっと美人になるもん! お父さんだって、若い子の方がいいに決まってるわ!」
 いや、玲奈ちゃん。美人になってもお父さんには何もできないからね?
「大人にはね、子供に真似のできないテクニックってものがあるのよ! 賢司さんはわたしのもの、手を出さないでちょうだいっ!」
「なによ、負けないわよ!」
 …………彼女たちも充分非常識だった……。

「帰りに何処かでごはん食べていこうか」
 大人の良識を捨てきれない山本がぼそりと呟くと、二人の美女は山本の右腕と左腕をそれぞれ抱きしめて、はい、と素直に返事をした。そのまま3人で連れ立って、夕暮れの迫る街へと消えていく。
 彼らがいなくなって平均年齢が10歳ばかり下がったカフェで、「人間、やっぱり中身だよな」という低い呟きが、誰からともなく洩れた。




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天国と地獄8 (7)

 薪さんの女装話、ラストでございます。
 お付き合いくださって、ありがとうございました。(^^




天国と地獄8 (7)





 昼間の蒸し暑さも風に払われて、汗ばんだ肌から水蒸気と共に奪われる体温が心地よい夏の夕暮れ。
 人気のない公園のベンチに、美しい少女と坊主頭の男が並んで座っていた。

 もしも誰かがその光景を見たら、思わず自分の見たものを疑い、懸命に眼をこすったかも知れない。というのもその美少女が、見目麗しい脚を下品にも大きく開いて、まるで中年の男性が座るように座していたからだ。開いた膝の上に右手首を載せ、もう片方の膝には反対の足の踝を載せ、顔は非の打ち所のない美少女なのに、まるで彼女にオヤジの霊が取り付いてしまったかのようだった。
 男の方はうつむいて、じっと自分の靴先をみている。両手を握って膝の上に置き、沈んだ様子であった。

「悪かったな。勝手なことして」
 美しい少女の口から、今度は男の声が洩れた。やはり彼女は憑依されて、などということはもちろんなく、白いドレスに包まれた彼女の華奢な肢体は、よくよく観察すればその骨格は男のもので、類稀なる美少年が女の衣装を身につけているのだと分かる。しかしどうしても看破できないのは彼の年齢で、今年38になる立派なオヤジだという事実はシャーロックホームズにも見抜けまい。

「いいえ」
 彼の実年齢はもちろん、本名も職業も知っている曽我は、先刻の猿芝居を思い出してクスクス笑うと、
「室長やみんなが、あそこまでノリがいいとは思いませんでした」
 舞台がはねた後、曽我は薪と二人でこの公園に置いてきぼりにされた。青木が運転してきたのは警備部所有の要人用のエスコートカーで、警視庁に返しがてら他の皆を家まで送り届けるつもりらしい。警視正の特権を振りかざしたのだろうが、こんな目的のためにエスコートカーを借り出すなんて。本当のことが知れたら、所長から大目玉を喰らいそうだ。

「岡部さんなんか、完全に楽しんでましたよね」
「岡部はなー。ああいうの、意外に好きだからなー」
「室長も楽しそうでしたよ?」
「馬鹿言え」
 薪は膝に持たせた手首を離すと、両の踵をきちんと地面につけた。執務室にいるときのように背筋を伸ばして腿の上に拳を置くと、
「僕は反対だったんだ。結局はウソなんだから、こんなことしたって納得できるわけがない。だから青木に頼まれたとき、最初は断ったんだ。余計なお世話だって」
 それはおれが青木に頼んだんです、と曽我が青木の事情を明かすと、薪は意外そうに大きな瞳を瞬かせた。どうやら曽我の頼みだとは言わず、自分の勝手なお節介として薪に協力を頼んでいたらしい。

「どうして協力してくれる気になったんですか?」
「そりゃあおまえ。青木がおまえの恋人役をやるなんて言い出すから。それだったら僕がやったほうが、市民に与える視覚的衝撃が少なくて済むと思って」
 確かに。悲惨なことになりそうだ。

 青木は何とかして曽我を元気付けたくて、何度も薪に頼んだのだろう。青木の女装を防ぎたかった、と言うのは薪の照れ隠しで、本当は青木の熱意に負けた、と言うのが真相だろうと曽我は思った。なんのかんの言って、薪は青木の『お願いします』には弱い。
「青木はやさしいですね」
 薪は答えなかった。
 答える代わりにふっと微笑んで、それは幸せそうに微笑んで、「バカだ」と彼の思いやりを切り捨てた。

「彼女も懲りたでしょうね」
「は。どうだかな」
 彼女の話題が出ると薪は表情をがらりと変えて、不愉快極まりないというように、ぞんざいな口調で吐き捨てた。
「彼女も反省してますよ。公衆の面前で、こてんぱんにやられたわけですから」
「あのギャラリーは計算外だった。なんであんなに注目されたんだか……??」
 相変わらず、自分が分かっていないひとだ。
 しかし曽我もまた、薪というひとがわかっていなかった。

「あの女、どうしておまえが自分と話したかったのか、その理由もわかってない」
 曽我は弾かれたように振り向いた。小さな眼をいっぱいに開いて、上司の美しい横顔を見つめる。
「男が出てきた途端におまえがどうして黙ったか、そんなことにも気付かない。本命の彼氏の前で、彼女の立場が悪くなることを懸念して引こうとしたおまえの心遣いを卑しい自己保身なんかに貶めやがって。
 あんなバカ女に部下が愚弄されるなんて。不愉快だ。室長の沽券に関わる」

 瞬間、曽我は薪を知る。
 曽我がどうして自分を振った彼女ともう一度話したいと思ったのか、その理由を彼は知っている。誰にも言わなかったのに、彼女のことについては薪には直接話すらしなかったのに、なぜ?
 
 彼女は確かにひどい女だった。でも、曽我は彼女からたくさん楽しい思い出をもらった。別れ間際の言い草に腹が立ったのは事実だが、それ以上に、曽我は彼女の行く末が心配だった。
 不誠実な行為で得たお金で本当の愛を育むことなどできるわけがないと思った。そのことに気付いていない彼女の、いや、彼女たちの未来が不安だった。自分と切れたあと、もう二度と彼女にこんなことをして欲しくなかった。曽我は、それをこそ彼女に訴えたかったのだ。
 しかし、それはどう贔屓目に見ても『バカ』が付くお人好しの考えることで。お人好しの代表格の青木にすら呆れられると思ったから、口にはしなかった。
 でも、薪は知っていた。曽我の本当の気持ちに気付いていた。その上で曽我を、『本当の男だ』と言ってくれたのだ。

 怒りに頬を紅潮させた薪のきれいな横顔を、曽我は、知らない人を見るような心持ちで見つめていた。
 こうしてこのひとは、どれだけの人の心を見抜いてきたのだろう。闇を、光を、やさしさを、憎しみを、ありとあらゆる感情の揺らめきを感じ取って飲み込んで抱きしめて慈しむ。バカ女、と評した彼女のことだって、彼は本当は気になっている。彼女を語るとき亜麻色の瞳にわずかに浮かんだ憂いを、MRI捜査に慣れた曽我の眼は見逃していない。

「遅いぞ、青木」
 薪の声に我に返り、曽我が前方を見やると、そこには糸目の親友と高身長の後輩が並んで立っていた。青木は手に紙製の手提げ袋を持っており、それを受け取った薪が真っ直ぐ公衆トイレに向かったので、中には着替えが入っていたのだと分かる。女装したまま自分のマンションに帰りたくない薪の気持ちを汲んで、薪の家に自由に出入りできる青木が彼の着替えを持ってきたのだろう。
 
 男3人でベンチに腰を下ろして、夕暮れの風に吹かれる。遠くに見える街では、気の早い飲食店の明かりが、ちらほらと燈り始めている。
「青木。ありがとな」
「いいえ、オレは大したことしてなくて」
 計画も筋書きも、青木が立てたと聞いた。配役も彼が決めて、みんなに交渉したのだろう。この後輩は謙虚なくせに、意外と押しが強いのだ。

 右隣に座った後輩の、額に落ちた前髪が風に揺れるのを眺めながら、曽我は感謝の気持ちを込めて彼に言った。
「おれ、今度は薪さんみたいなひと好きになるよ」
「えっ!?」
 それはもちろん、人の気持ちが分かる大人の女性という比喩的な意味合いで言ったのだけれど、何故だか青木は慌てふためいて、
「だ、だめです!薪さんはいけません、薪さんはオレのっ……!!」
 言いかけた言葉を無理矢理飲み込み、両手で口を押さえて眼を白黒させる。どういう理由からか、夕焼けの空に負けないくらい真っ赤に頬を染め替えて、青木は地面に付けた長い脚をバタバタと意味なく動かした。

「『薪さんはオレの』、なんだよ?」
「……オレの上司です」
「おれの上司でもあるぞ?」
「………………はい」
 短い肯定の言葉の前の長い沈黙の間、青木は両の拳を胸の前で振り動かし、地面をドスドスと蹴って、3人が座っているベンチを揺り動かした。
「おまえは何がしたいんだよ?」
「……すみません……」
 
 謝りつつ、なおも衝動が自分の身を動かすのを止められないでいた青木は、着替えを済ませてやってきた上司の姿を眼で捉えるや否や、勢い良く立ち上がった。職場では見られない薪の私服は半袖パーカーに膝丈のジーンズというラフなもので、実年齢よりも20歳は若く見える上に、限りなく中性的だ。
「帰るぞ、青木」
「あれっ、飲みに行くんじゃなかったんですか?」
「予定変更だ。疲れた」
「車、返してきちゃいましたけど」
「歩きたくない。負ぶっていけ」
「!!! はい!!」
「……真に受けるなよ」
 幼い顔をして言葉だけは横柄に、一回りも年の離れた部下と頭の悪そうな会話をして、薪は足先を公園の出口に向けた。

「じゃあな。小池、後は頼んだぞ」
「はい。お疲れさまでした」
 青木が二人にぺこりと頭を下げて、薪の後ろを飼い犬のように付いていく。薪が脱いだ衣装の入った手提げ袋を当然のように持たされて、彼は小さな背中を追いかけていく。
 二人の姿が見えなくなってから、曽我はポツリと呟いた。
「なあ、小池。あのふたりってさ」
「ああ」
 それ以上言わずとも、小池は察したらしかった。ベンチの背にもたれ、さっと脚を組んで群青色に変わり始めた空を見上げる。
「いいんじゃねえの、別に」
「そうだな」
 小池の言うとおり、べつに、どうでもいいと思った。好奇心もないではないが、それこそ余計なお世話だと思った。

 小池はしばらく何も言わずに色濃くなっていく群青を見つめていたが、やがてその藍色に微かな星の瞬きが混じり始める頃になって、唐突に口を開いた。
「曽我」
「ん?」
「なんでおれが皆に協力しなかったか、分かるか」
 小池は上を向いたまま、閉じているのか開いているのか分かりにくい眼で、天空に何かを探しているようにも見えた。
「面倒だったんだろ」
「ちげーよ、バカ」
 罵りながらも小池の視線は空に固定されたまま、曽我の顔には至らなかった。しかし彼の声は職務中のように真摯で、凶悪犯罪に憤るときのように激しかった。

「おれ、絶対にその女、許せねえから。おまえには悪いけど、分からせてやることなんかないと思った。勝手に痛い目見ればいいと思った」

 もうひとり。
 誰にも言わなかった気持ちを、むしろ隠していた気持ちを、いつの間にか知られている。そのことの幸福と不利益を秤にかければ前者に大きく傾いて、それは時と場合によると思うが、今日は祝杯でも上げたい気分。

「さて。店も開いた頃だろうし、飲みに行くか」
 小池は身軽に立ち上がり、初めて曽我の顔をしっかりと見た。細くて感情の分かりにくい眼には、いつもの少しだけシニカルな彼の優しさが輝いていた。
「おお。当然、おまえの奢りだろうな?」
「何バカ言ってんだ、割カンだよ、割カン」
「ええ~、だっておれ、金ないもん。彼女に貢いじゃって」
「ったく。仕方ねえなあ」
 連れ立って歩き出す、自分より少しだけ高い親友の肩は細く尖っている。

「やった。じゃ、叙々苑に行こうぜ」
「ば……ふざけんな、てめえ。どんだけタカル気だよ」
「この胸の痛みは、あそこの特選和牛じゃないと癒されないんだよ」
「なにが特選和牛だ。居酒屋でモツ煮込みでも食ってろ」
「あ、そっちもいいな」
 食えれば何でもいいんだろうとか、そんなんだからメタボ体型になるんだとか、余計な一言は相変わらず多いけれど、曽我は彼のことが嫌いになれない。
 それは第九で一番最初に知り合った同僚だから、ということばかりではなく。彼の失言の裏に隠された不器用な彼のやさしさを、曽我は知っているから。それ以上に、自分の不器用さを彼が分かってくれるから。

 すっかり夜の空気に包まれた街の中、暖かな色合いの明かりがビルの窓に点る。それを目指して、二人はふざけ合いながら歩いていく。
 彼らが去った公園では、やっと点き始めた外灯が、誰もいないベンチを照らしていた。



(おしまい)



(2011.6)



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天国と地獄9 (1)

『あおまきさんおめでとう記念作品 エピローグがなかったらお蔵入りになってたSS 第2弾』 

 てかこれ、エピローグ関係なしに、あまりにもバカバカしくて公開するの迷ったんでした。
 こんなんばっかり公開してると、しづ、バカだと思われちゃうー。 ←手遅れ。

 5歳児の日記を読むつもりで読んでください。(なんて腐った5歳児……)
 よろしくお願いします。







天国と地獄9 (1)










 例えば休日の昼下がり。
 薪はソファの座面に片足を抱えるようにして、異国の言葉で書かれた本を読んでいる。それは青木には馴染みのない文字の羅列で、地球のどの辺りで交わされているものなのか見当もつかないのだけれど、ページをめくる細い指先の軽やかさで、彼の興味を惹くことが書かれているのだと解る。
 頁の角から離れ、艶めかしいくちびるに当てられる人差し指は、彼が何事かを考えている証。すっと横にずらされて、耳上の頭髪に差し込まれる手指は、彼の少しだけ伸びすぎた前髪を退けて真っ白な額を露わにする。
 何気ない動作。それがどうしてこんなに美しいのだろう。
 見ているだけでため息が漏れる。時折またたく長い睫毛も、控えめに持ち上げられる口角も、青木の眼を捉えて離さない。

「盗聴モノに興味があるなら、脇田課長に相談してみるが」
 唐突に問われて青木は首を傾げる。薪の口から何の脈絡もなく出てきたのは組対5課の課長の名前だが、どういった思考ルーチンが彼を導き出したのだろう?
「もう5分くらい、そのページを見てるから」
 気が付くと、眺めていたはずの車雑誌はいつの間にか購入目的の新車特集ページを遥かに離れて、若い男子をターゲットにしたDVDの広告ページになっている。青木は慌てて雑誌を閉じると、夢中で自己弁護をした。
「違いますっ、オレは別に」
「若いってのはいいな。色んなことに興味を持てて」
「だから違いますってば」
「隠す必要はない。おまえも若い男なんだし、自然なことだろ。僕だっておまえの年には30人も彼女がいて毎晩違う娘と」
 薪の冷静が表面だけなのも、華やかな武勇伝がハッタリなのも、青木には分かり過ぎるほど分かっていたけれど。突き放されると面白くないのがオトコゴコロ。青木が他の女性に興味を持つ素振りを見せたら、嫉妬する真似だけでもして欲しい。

「そうですか。じゃあ、大○優ちゃんの写真集、買ってもいいですか?」
「ああ、あの娘、可愛いよな。まあ僕のフカキョンほどじゃないけど」
 写真集くらいじゃ動じないか。かくなる上は一晩くらい、友だちの家に泊めてもらって携帯の電源切って、と半ば意地になった青木が愚策を企てるのに、薪は突然話題を転じ、
「この本に書いてあるんだけど。イスラム教徒って、不義密通は死罪なんだな」
「えっ」
 物騒な言葉に、思わず雑誌を取り落とす。大型のホッチキスで留められた雑誌は自然に真ん中のページが開いて、薪の誤解を招いた広告が再び顔を出した。薪はそれを冷たい瞳で見据え、尋ねられもしない雑学の補足説明にかかる。
「死刑方法もすごいぞ。不貞を働いた男女は首まで土に埋められて、何十人もの同胞から石をぶつけられるんだ。死ぬまで」
 喋りながら薪はソファを降り、青木の方へと歩いてきた。床に落ちた雑誌を拾い、問題のページを青木に突きつけるように差し出すと、青木と眼を合わせてニヤリと笑った。
「日本に生まれてよかったなあ、青木?」
 他人に殺されるか薪に殺されるかの違いで、結果は同じなのでは?

 青くなって黙り込んだ青木に、薪は薄ら笑いで踵を返す。表面には出さないだけで、薪はものすごいヤキモチ妬きなのかもしれない。
 今となれば思い当たることもある、例えばマラソン大会のとき。顔も知らない女子職員たちが青木の周りに寄ってきて、それを薪が不愉快に思っていたことを岡部から聞いた。だから、これまで青木はできるだけ女性を遠ざけるようにしてきた。身に覚えのない誤解は受けたくない。
「写真集は止めておきます。車の資金に回します」
 もとより、青木には必要ない。どんな美麗画集よりも魅力的な動画が目の前に展開されているのだ。実際、写真集より断然ヌケるし。

「……僕のフカキョンを貸してやってもいいが」
 自分の脅しに萎縮して欲しいものを諦めた恋人を哀れとでも思ったか、薪は秘蔵の写真集を青木に貸してくれると言い出した。薪の好意は青木にはかなり微妙だ。薪にとっては宝物でも青木にしてみればただの紙切れ、否、恋敵のアルバム。うれしくも何ともない。
「けっこうです」
「遠慮するなって」
 ひょいとソファから尻を浮かすと、薪は壁際に置いてある仕事机から『僕のフカキョン』を持ってきた。
 青木には女優の写真集も買わせてくれないくせに、自分はお気に入りのアイドルの水着写真集を自作している。身勝手な人だ。色んな意味であり得ないと思う。
 ほら、と手渡されたスクラップブックは、百人もの人間に読み回された雑誌のように青木の手に馴染む。この冊子が誰かの手で、しょっちゅうめくられている証拠だ。
 破り捨ててやろうか。

「大事に使えよ」
 どういう使用目的で貸してくれる気でいるのか、怖くて聞けない。
「汚すなよ?」
 汚物の詳細に関しては絶対に聞きたくない。
「じゃあ僕は席を外すから、おまえはゆっくり」
「あのですねっ!」
 たまりかねて青木は叫んだ。薪の自分勝手は心得ているし、それは彼の魅力の一つとさえ思えるほど薪にメロメロの青木だが、どうしても許せないことがある。己の貞節を疑われることだ。

「オレは、薪さん以外の人に性的魅力を感じません」
「無理するな。ほらほら、これなんか胸の谷間がスゴイことになってて」
 手ずからお勧めのショットを紹介してくれるが、完全に有難迷惑だ。どんな男もノックアウト間違いなしと、薪は自分の審美眼に絶対の自信を持っているらしいが、青木の眼には『そういうカタチのモノ』にしか見えない。青木の情動を呼び覚ますのは彼女の唇やお尻のラインではなく、それを辿る指先だ。短く切られた桜貝みたいな爪、白くてやさしい指。あのほっそりとした手が自分の肌を辿り、深い場所に触れることを思うとゾクゾクする。

「じゃあ、これでどうだ!」
 眼を輝かせるどころか写真に見向きもしない青木に苛立ちを募らせた薪が突き付けたのは、どうやって手に入れたのか、というかこの写真にいくら払ったのか尋ねたくなるようなヌード写真。いやちょっと待った、これって。
「これ、合成ですよね? 本物と臍の形が違いますし、ほら、内股の黒子も水着の方には映ってない」
「青木」
 はい、と写真を返しながら顔を上げると、薪はえらく真面目な顔になっていた。
「身体の具合でも悪いのか」
「いえ、元気ですよ」
「嘘を吐け。僕とくっついて座ってるだけで直ぐに反応しちゃうおまえが、彼女のヌードを見ても無反応なんて。本当は、おなか痛いんだろう?」
 オレの病気って、腹痛以外バリエーション無いんですね……。

 薪の心配は見当違い、青木は元気だ。恋人の杞憂を払うためには、それを証明する必要がある。かような論法で青木は、自分に都合の良い行動理由を捻り出した。
 とん、と軽く薪の肩を突いて、バランスを失った彼に口づける。不意打ちを食らって慌てる薪の身体をソファに押し倒して、ぎゅっと抱きしめる。シャツのボタンを外して肩から胸を露出させ、細い首筋に舌を這わせれば、青木の分身は即座に熱を持つ。それを自覚して薪の手を導くと、薪は眼を丸くして青木の顔を不思議そうに見上げた。
「ほら。元気でしょう?」
「青木……」
 突然の行為にショックを受けたのか、薪は困惑の表情を浮かべていた。しまった、驚かせてしまったか。
 薪はまだ自分が欲望の対象にされることに慣れていなくて、だからいつも緊張感でいっぱいの彼を宥めすかしてベッドに連れ込んで、それでもゴールは遠いのに。今の青木は彼の誤解を解きたかっただけで何もする気はなかった、でも薪にはそんなことは分からなかっただろう。いきなりオオカミになった恋人が恐ろしかったに違いない。

 驚かせてごめんなさい、と謝罪する青木に、しかし薪は深刻そうに眉根を寄せて、
「僕と一緒にお医者さんに行こう」
 なんでっ!?
「どう考えても異常だ。女性の裸を見ても何にも感じないのに、オヤジの胸見て欲情するなんて」
「いや、オレだって別にオヤジなら誰でもいいってわけじゃ、ってなんて言い訳させるんですか!?」
 どんだけヘンタイだよ、オレ!!

「だって今の現象を客観的に説明するなら、彼女の胸より僕の胸のほうがムラムラくるってことだろ?」
「はい」
 薪の論旨を、青木は頷きと言葉で肯定する。
 だって仕方ない。昔からそうだった、青木は好きになった相手以外には欲情しない。青木にとってはこれが普通のことなのだ。現在、青木が愛しているのは薪一人。だから彼以外の裸には反応しない。当然の帰結だ。
 が、薪には青木の常識は理解できないようだった。
「まさかおまえ、真性のゲイになりかけてるんじゃ……早く病院へ行って治療しないと」
 違います、てか、ゲイって病気じゃないしっ!

「これは恋の病ですから。医者じゃ治せません」
 プライベートの薪はおとぼけ魔人。ツッコミどころは山ほどあるが、此処は力づくでもロマンチックムードに持って行く。だって大事なことだ。
「オレが欲情するのはあなただけです」
 この世で一番愛してます、あなただけが好きなんです。
 青木はそう言ったつもりだったのに、薪は何故だかものすごく困った顔をした。あまつさえ、口中では小さく「ええー……」とドン引く声が。

 欲情なんて言葉を使ったのが拙かったか。あからさま過ぎた。
 薪はオヤジでエロトークも好きだけど、経験自体はびっくりするくらい少なくて、だから自分のことになると異様に純情だったりもする。男同士がどうやって愛し合うのか、具体的な方法を知ったのもついこの間だし、そのことで気を失うほどショックを受けていた。
 あれを自分がやるのかと思ったら気が遠くなった、と後で告白されたが、それでも自分には無理だとか他を当たってくれなんて後ろ向きなことは言わず、「頑張ってみる」と呟いた彼の健気さが愛おしくて、青木はますます彼が好きになった。

「あ、いや、四六時中そんな眼で見てるわけじゃないですよ? 上司として尊敬してますし、仕事のときはカッコイイと思ってます。だから職場ではそんな気は起きませんし、こうして家にいる時だって、一緒にいられればそれだけで幸せだと」
 青木が懸命に薪の気持ちを引き戻そうと言葉を重ねるのに、薪は何やら深刻に悩み始めてしまった。青木が薪の上から退き、彼に身体の自由を返しても、ソファの上に仰向けに寝転がったまま。シャツのボタンも留めないで、いっそ青木に働かれた狼藉を見せ付けるように指一本動かさず、天井を睨んでいる。
「あの、薪さん、すみませんでした。もうヘンなこと言いませんから」
 仕方なく、自分が外したシャツのボタンを元通りに掛け、青木は薪の背中を抱くようにしてソファに座らせた。今夜のレッスンは延期したほうが良さそうだ。

「青木。今日は帰ってくれ」
 泊まりも拒否されてしまった。警戒されたらしい。せっかくいいところまで行きかけてたのに、これでまた薪が昔みたいに「やっぱり男同士なんてあり得ない」とか言い出したらどうしよう。
「あ、青木」
 不吉な予感に足元がおぼつかない青木に、薪の声が掛かる。
 なんてヒドイ、この上追い討ちを掛けようと言うのか。「しばらく距離を置こう」なんて言われたら泣きますからね。20歳超えた男だって泣くときは泣くんです。

 身構えた青木の頬を小さな両手が包み、唇に薪の唇が触れた。あれっ? と混乱したのは束の間、いつもの別れ際のキスだと分かる。
「明日、研究室でな」
 ひらひらと手を振られて、青木はマンションから追い出された。夕飯どころか午後のお茶の時間にも到らなかった。こんな休日は初めてだ。
 マンションから出て、恨みがましい気持ちで薪の部屋の窓を見上げると、薪が窓際に立ってこちらを見下ろしていた。青木に気付くと、彼は軽く頷きながら拳を胸の前で握り、その仕草はガッツポーズにも見えたが、ひとりで何を頑張るというのか。

 彼の真意がさっぱり掴めず、青木は怪訝な顔で薪を見上げる。その視線を拒絶するように勢いよくカーテンが引かれ、道端で青木は途方に暮れたのだった。





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天国と地獄9 (2)

 更新、空いてしまってすみませんでした。
 わたしの場合、間が空くときは、仕事が忙しいか新しいSS書いてるかサボってるかのどれかなんですけど、大抵は3番目の理由なんですけど(すみません)、今回は2番目の理由です。 単細胞なので、区切りの良い所まで書かないと他の話が読めないんです。 気持ちが混ざっちゃうの。
 だから頑張って書いてたんですけど、でも何か進みが悪くて~、あれっぽっち書くのに5日も掛かったー、だって暑いんだもん。 ←結局3番目。



 お話の続きです。
 今度の話は、うちのバカ話の中でもダントツバカな自信あります。
 海より広いお心でお願いします。
 怒っちゃいや。







天国と地獄9 (2)







 翌日から1週間、青木は一度も薪の家に誘われなかった。恋人として付き合い始めて半年、こんなことは初めてだった。これまでは仕事が早く退ければ、平日でも夕食に呼んでくれたのに。
 日曜日の失態が響いているのか、と青木は不安になったが、それは違った。その週の薪は体調が優れず、終日青白い顔をして、時々気持ち悪そうに口元を押さえていたからだ。
 病かと案じればそれも違った。「胃腸に来る風邪でも引きましたか」と岡部が心配するのに、「この吐き気は頭に残った映像がフラッシュバックするせいだ」と答えていたからだ。要は、SクラスのMRI画像を見てしまって、それが薪の不快につながっているらしい。豪胆な薪が1週間も引き摺るほどだ。さぞかし凄い画だったのだろう。青木が見たら、失神してしまうかもしれない。

 そんなわけで平日は我慢した青木だが、休日になれば話は別だ。恋人の立場から彼に会いに行くのは許されるはずだと、青木が薪の家を訪れたのは土曜日。薪は笑顔で迎えてくれたが、何処となく疲れているようだった。
 未だ精神的に回復しきっていない恋人を気遣って、青木はコメディ映画のDVDを用意してきた。テレビ放映された旧作をダビングしたものだが、何も考えずに笑える映画だ。心の栄養剤には持ってこいだ。

 青木が持参したDVDを鞄から取り出すと、薪はハッと息を飲んだ。DVDを掴んだ青木の手を自分の両手で押さえ、いやいやと首を振る。サラサラした亜麻色の髪が跳ねるように揺れて、その美しさに青木は言葉を失くした。薪は自分の手の甲に顔を伏せ、何かあったのかと尋ねることもできない恋人に向かって、苦しげに吐き出した。
「もう、自信がない」
 一瞬、それは別れたいと言う意味かと度肝を抜かれたが、すぐに違うと思い直した。薪がそうっと、青木の腕に自分の頭を持たせてきたからだ。
「薪さんにも、自信が持てないことなんてあるんですか?」
「これ以上はとても無理だ。見られない」
 青木は心底驚いた。あの薪が、MRI画像に音を上げるなんて。
 薪は見かけに因らず剛健な男だ。精神力の勝負なら、岡部にも圧勝だ。第九の室長を立派に務め上げていることからも分かる、彼は鉄の心臓を持っている。その彼が。

「いったい、どんな画なんですか?」
「何言ってるんだ。おまえが僕に見せたんじゃないか」
 亜麻色の瞳に責められて、青木は記憶を探る。薪をここまで憔悴させた原因は、過去、自分が薪の家に持ち込んだDVDだと彼は言う。しかし青木には、薪を不快にさせるものを用意した記憶はない。青木はいつだって薪の好みに合わせたものを厳選している。特に女優の胸の大きさには配慮して、その証拠に青木がセットしたDVDを観て薪が引いたことなど一度も…………あった。どん引くどころか、気絶した映像が。

 ああ、と青木が腑に落ちた声を上げると、薪は弱り切った口調で、
「初めはどうにかなると思ったんだ。人がやってることなんだから、僕にもできるはずだと思った。でも」
 薪の考え方は間違っていない。できればもう少し、その理由付けに恋情や欲望などを加味して欲しいところだが、これがこの人の限界だと青木にはよく分かっている。
「ちゃんとやり方を覚えようとDVDを見たら……胃が引っくり返って」
 それも想像が付く。最初に見た時も気を失わなきゃ吐いてましたよね、と青木は思い、腹の底から力が抜けていくのを感じた。

「洗面器抱えて続きを見たんだけど、そのうち意識が朦朧としてきて。蝶ちょやらテントウムシやらが部屋を飛び回って、床に花が咲いて、犬とサルとアルパカとゾウが僕の周りで手をつないで踊り出して」
 見事な現実逃避ですね。一種の才能ですね。
「さすがにマズイと思って、それ以上は見るのを止めたんだ。ギリギリのラインだった」
 あと5秒、判断が遅れていたらオフェーリアしてたかもしれないって言いたいわけですね。賢明な判断でしたね。
「僕みたいな気の弱い人間には、この教本は苛酷過ぎる」
 薪さんが気弱だったらこの世に気の強い人間は存在しないと思いますけど、相対的に。
 皮肉が口をついて出そうになったが、青木は思い留まった。以前、薪と一緒に観たDVDの映像を思い出したからだ。あれは確かにキツかった。脇田から借りた『ホンバンモノ』は画像処理を施す前の違法ビデオ、しかも通好みの逸品だとかで男優が毛むくじゃらのゴツイ中年親父だったのだ。普通の男には正視できなくて当たり前だ。自分にできないことを相手に強要するのは間違っている。

「DVDを見なくても、何をどうするかは、もうご存知ですよね?」
 青木は薪を怯えさせないように、できるだけやさしい口調を心掛けた。「まあ、だいだいは」と歯切れ悪く返って来た薪の答えに、殊更明るく、
「だったらそれでいいじゃないですか」
「ちゃんと勉強しておかないと、実践でどう動いていいか分からないから。別の教材を探そうと思う」
 青木が認めたリタイアを薪は了承せず、初心者向けのものを探そうと主張した。青木の手を引いてパソコンの前に座らせ、インターネットブラウザを起動させる。

「男女のハウツー本はけっこうあるんだけど、男同士のってなかなか無い」
 その通り、男同士に拘ると適切な参考書はまず見つからない。青木が参考にしているのは、男女のアナルセックスについて書かれた本だ。相手に苦痛を与えないようにするにはどうしたらいいか、かなり具体的に書かれているし、気を付けなければいけない病気や感染症についても言及されている。こんな本が世間に出回ると言うことは、こちらの快楽を楽しむカップルもたくさんいるということだ。

「あと、この教本は菅井さんにもらったんだけど」
 困惑顔で薪が机から取り出したのは、ピンク色の表紙に男二人が抱き合っている漫画絵が描かれた文庫本だった。余計なことをしないように注意しておいてくれと雪子に言っておいたのに、あの腐助手。
「特殊な比喩が多すぎて、僕には理解できない」
 BL小説は実践では役に立ちませんから、てか、読まないで! いっそ障壁になるから!
「辞書にも載ってない言葉がたくさん出てくるし。この手の本の読者層は、10代から20代の女の子だって聞いたけど。最近の若い女の子は勉強家だな」
 辞書を片手にBL読んでる読者が果たして何人いますかね……。

 脱力感に支配されて動けない青木の代わりに、薪がマウスを操作する。検索エンジンによってリストアップされたサイトから適当なものを選び出すと、突然、画面が赤くなってセキュリティ警告が発信された。怪しいサイトらしい。
「このサイトもダメか」
 チッ、と舌打ちするきれいな横顔を見て、今更ながら青木は疑問に思う。この半年、拒絶反応の著しい薪を騙し騙し、徐々に大人の関係へと、亀よりのろいカタツムリの速度で進んできて、彼はそれを焦る様子もなかったのに。

「積極的になってくれたのは嬉しいですけど。どうして急に」
「だって青木、僕にしか反応しないんだろ。なのに僕が頑張らなかったら、青木が可哀相だ」
 薪は画面を見たまま、まるで数学の解でも証明するように答えた。淡々と、当然のことだと言わんばかりに、彼の愛情表現はいつだって飾り気がない。海より深く愛してるとか君は僕の太陽だとか、芝居がかったセリフを彼の口から聞きたいわけではないが、あまりにもさっくりと告げられるから、「本当に?」と聞き返したくなる。
 でも分かった。
 悪心が日常化するほど青木のために頑張ってくれたのだ。彼の愛は本物で、青木が想像するよりずっと熱いのだ。
 思うに、彼にとって恋人を心から愛し、相手のために最大限の努力をすることは、極々普通のことなのだ。自分は当たり前のことをしているだけ、だから大仰に飾る必要はないし、それが相手に伝わるようにくどくど説明する必要もないと考えているのだろう。
 潔くて男らしい。そんな風に愛されたら、ますます好きになってしまう。

 薪が次にクリックしたサイトは警告なしに開いたが、いきなり肌色の写真が出てきた。顔を歪めて口元を押さえたネットサーファーからマウスを譲り受け、青木は苦笑交じりにタブを閉じる。こんなことを毎晩していたら、体調を崩して当たり前だ。
「アルパカ、カワウソ、ゾウ、ウマ、マングース、スカンク、クジラ、ラッコ」
 優秀すぎる動体視力が捉えた鮮明な画像を消去するため、大好きな動物で頭の中をいっぱいにしようと言う目論見らしいが、動物の名前がしりとりになってるのはなんか意味があるんですか?
「コアラ、ラクダ、タスマニアデビル、ル、ル、ル……」
 ルの付く動物はなかなかいないでしょう。
「ルパン三世」
 一応、哺乳類ですね。

 夢中で現実から遠ざかろうとしている薪を尻目に、青木はパソコンの電源を落とした。未経験のことに挑戦するときは、事前にできるだけの知識を入手しようとする。予習が習慣付いている優等生にはありがちなことだが、こういうことは案ずるより産むが易しだ。
「青木、僕は大丈夫だぞ。今のところインパラの大群が頭の中に」
「習うより慣れろって言うでしょ。ビデオ講義より、実地研修の方が有効だと思います」
 回転椅子を回して、隣の美貌を自分の膝に抱え上げる。青木の片腿にちょこんと乗ってしまう小さな身体が、驚きで硬くなった。
「オレ、優秀な講師になれると思いますよ」
 青木が気持ちを仄めかすと、薪は慌てて首を振り、
「そ、それはダメだ!」
「なんでですか」
「僕の方が年上なのに、おまえが講師なんておかしい」
「え。だってそれは」
 経験も実力も青木の方が明らかに上で、だから主導権を握るのは当然だと思ったが、それを言ったら薪は機嫌を悪くする。青木は口を噤んだ。

「僕だってこの1週間、勉強したんだ。僕が講師になる」
 宣言して薪は、青木の膝から降りた。それから代わり番こにシャワーを浴びて、青木は薪の後に寝室へ入った。ベッドの縁に腰かけていた薪の隣に座り、軽く抱き寄せて髪にキスをする。そこまでは順調だった。異変が訪れたのは、次のターンだ。
 薪は自分の言に責任を取るべく、青木のバスローブの紐を解いた。前をはだけ、その形状を視認し、そこで固まってしまった。ざあっと顔が青ざめたかと思うと、吐き気を堪えるように両手で口元を押さえ――――。

「あの?」
「いまちょっと……頭にお花畑の映像が……」
 青木のハダカを見て、フラッシュバックされたらしい。
「モンシロチョウ、ウラナミシジミ、ミヤマカラスアゲハ、ハナムグリ、リスアカネ、ネ、ネ、…………」
 すぐ詰まっちゃいましたね。昆虫は難しいみたいですね。
「ミネフジコ」
 昆虫じゃないし、合ってません。

「ホモのAV見た後だから、男のハダカが見られないんですか? 人間の身体を切り刻む画を見た直後に焼肉は食べられるのに?」
「普通だろ。みんな、殺人事件のニュース見ながらメシ食ってるじゃないか」
 正しいようなそうでないような。薪の切り口は変わっているけど鋭くて、頭ごなしに違うと言えない。
「でも、オレのハダカは何度も見てますよね。一緒に風呂も入ってたでしょう?」
「そうなんだけど……肌色が目に入ると条件反射って言うか」
 どうやら退化してしまったらしい。薪がこちらの方面に積極的になると、本当にロクなことが無い。

「薪さん、顔上げて。オレの顔、ちゃんと見てください」
 俯いてしまった薪の頬を両手で包み、そっと上向けさせる。顎が上がるのと同時に長い睫毛が上方へと開かれ、それと一緒に大きな瞳が上目蓋に吸い付くように持ち上がった。色素の薄い薪の瞳はキラキラと輝いて、まるで宝石を美しく見せるための特殊な照明を照射されているみたいだ。この光源が単なる蛍光灯の明かりだなんて、信じられない。
「おまえ、スケベな顔になってる」
「……すいません」
 責めるような薪の呟きに青木は素直に謝って、でも自分の気持ちを抑える気はなかった。
「薪さんは? オレと二人きりで、ベッドの上に座って、これからどうしたいですか?」

 もっと迷うかと思ったけれど、薪の判断は早かった。青木の首に両腕で抱きつくと、そこを支えにして腰を浮かせ、青木の唇にキスをした。
 くちびるを啄ばみ合いながら、薪は青木のバスローブを広げる。目を閉じたまま、さっきは果たせなかったことを手探りで成し遂げようとする。不器用な薪の手に応じつつ、青木は素早く手を動かす。
 互いのバスローブを取り去って、二人一緒に生まれたままの姿でベッドに横になった。この際、視覚は塞いでしまった方がいいと青木は考え、彼をしっかりと抱きしめた。見るから連想されるのだ。こうしてぴったりと密着してしまえば、見えるのはお互いの顔だけだ。これなら悪心も起きるまい。

 前の部分を擦り合わせ、安心させるように薪の背中を幾度か撫ぜ、近頃ようやく快楽を覚え始めた双丘の間に手を忍ばせると、いきなり、
「ぱ、ぱおーんっ!」
「!?」
「いや、なんか……こういう局面ではゾウの鳴き声が聞こえた気が……」
 薪の特殊な思考回路の産物か、自己防衛本能の為せる技か。いずれにせよ、映像が脳にもたらすダメージを最小限に留めるため自動的に無害なものに脳内変換されたのだろう。彼がどれほどの精神的苦痛を味わったのか、察せられようと言うものだ。
 しかし困った。愛撫の反応をイヌやネコの鳴き声で返されたら、さすがの青木も先に進めない。薪の心の傷が癒えるまで、実地研修は延期するしかないだろう。

「わかりました。今日はやめておきます」
 青木は2枚のバスローブを拾い、一枚を薪の背中に着せ掛けた。残る一枚に自分も袖を通しながら、
「よっぽどショックだったんですねえ。可哀想に」
 世間一般に言って可哀想なのは青木のほうだと思うが、それはあくまで第三者の目線であって青木の自意識とは一致しない。
「薪さんがまたオレの身体に触れたくなるまで、待ちますから」
 青木は待つのは得意だ。もともとが犬体質の彼は、ご主人様が待てと言えば何時間でも待つ。
 引き換え、薪は気短かだ。自分の気持ちに気付くのこそ時間が掛かったが、分かってからの行動は実に早かった。好きだと告白して、その場でキスをして、その夜には裸でベッドインしたのだ。途中で逃げられたが。

「待たなくていい。僕は青木の身体に触れたい、今だって」
「でも、視界に肌色が入っただけでその状態じゃ……なんですか?」
 しゅっとバスローブの紐を引き抜くと、薪はそれを自分の目に当てた。後頭部で端部を縛り、「これで大丈夫だ」と青木に顔を向ける。
 薪は夜目が効くから部屋を真っ暗にしても相手の身体が見えてしまう、でも目隠しをすればそれは防げる。そういう理屈らしいが、青木は困惑するばかりだ。

 だって、エロイ! 半端なくエロイ!!
 小作りな美貌の上半分がタオル地の白布に覆われて、見えるのは小さな鼻と艶っぽいくちびる、それと細い顎だけ。強気な眉が隠れてしまっているから、あどけなさは最高潮だ。そのくせバスローブの合わせから覗くのは、大人の快楽を知っている身体。こんなものを見せられたら理性が保たない。

「すいません、オレが大丈夫じゃないです」
「僕だって、こんな変態チックなプレイは好みじゃないけど。こうでもしないと先に進めそうにないから」
「そんな無理をなさらなくても。薪さんの記憶が薄れるまで待ちます」
「生憎だが、僕の記憶は新生児から残ってる。僕を取り上げてくれた看護師さんの顔まで憶えてるぞ。鼻の横にホクロがあった」
「マジですか」
 新生児の視力は0.02程度、普通に考えれば見えるわけがないのだが、薪の場合、この人ならそれくらいのことはやりそうだと思わせるところがすごい。

 自分の視界が暗闇に包まれているからか、薪はいつもより積極的だった。屁理屈を重ねる間にも、青木のバスローブの隙間から手を入れてくる。
「触るのは平気ですか?」
「うん、平気だ。青木の筋肉は手が覚えてる」
 薪は形を確かめるように、両の手のひらを青木の胸に置き、その間に顔を伏せた。広い胸に額が押し付けられ、次に鼻先、そしてくちびる。左胸の乳首のすぐ横を、ちろりと濡らす感触。
「肌の味も」
 赤くて小さな舌先が、ふっくらした下唇から悪戯っぽく吊り上がった口角までを舐め上げる。唾液で光ったくちびるの強烈な誘惑に、青木は眩暈を覚える。
 これを無意識でやってのけるのだから恐れ入る。この人は天性のマノンレスコー、自覚がない分タチが悪い。

「おまえの手の感触も。僕の身体が、ちゃんと覚えてるから」
 手探りで取られた青木の右手が、やわらかな内腿に導かれる。さらっとしてすべすべした手触り。薪の身体は全部好ましいけれど、中でも一番好きなのがここの皮膚の感触だ。撫でさすると薪の脚はひくんと震えて、青木は紳士ではいられなくなる。
「だから青木、んっ」
 強いくちづけで言葉を奪うと、青木は強引に彼をシーツに押し付けた。青木の身体の下で薪の身体が強張ったのが分かったが、やさしい言葉を掛けてやる余裕がなかった。青木の唇が為したのは彼を安心させるための言葉を紡ぐことではなく、彼の首筋に彼には見えない徴を刻み付けることだった。
 うっ、と低く呻く薪の声が聞こえた。彼の胸を擦った指先に、必要以上に力が入っていると自分でも思った。でも止められなかった。
 薪が悪い。目隠しなんかで誘惑する方が悪いのだ。

 痛みを堪えるような薪の声は、青木の行動の抑止力にはならなかった。それどころか視界の不自由さとの相乗効果で、彼をいっそう扇情的に飾り立てた。
「あ、青木」
 しかめられた眉の形が分かりそうな声で、薪に名前を呼ばれた。力任せの愛撫が彼に快楽を与えていないことは察しがついたが、もう戻れないところまで来ていた。
 もしかしたら、今日は薪を泣かせてしまうかもしれないと心の隅で案じた。しかしその涙は目隠しの布に吸い取られて、頬を伝うことはない。だから彼の涙を見ずに済むと、そんな姑息な考えが浮かぶほど、どうしようもなく彼が欲しかった。
 ただただ、彼が欲しかった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

天国と地獄9 (3)

 お暑い中、お越しくださいましてありがとうございますー。
 連日の拍手、ありがとうございます。 いっぱい励ましてもらってます。(〃▽〃)
  

 男爵の目隠しプレイ、こちらでおしまいです。
 暑さが倍増しそうなくだらなさですみませんっしたー!


 



天国と地獄9 (3)








 はあ、とため息を吐き、薪はうつ伏せに寝そべった。すかさず、青木は白い背中を毛布で覆う。汗をかいた後に裸で寝ていたら、風邪を引いてしまう。
 薪は毛布の肌触りに相好を崩し、長い睫毛を快楽の余韻を楽しむ形に閉じた。そうしてしばらくの間まどろむ風だったが、やがて眼を開け、先刻まで自身の視界を覆っていたバスローブの紐を摘み上げて、
「なんか、今日はすごくよかった。こいつのせいかな。クセになるかも」
「カンベンしてください。オレの指が保ちません」
 ヒリヒリと痛む小指を自分の手で擦りながら、青木は土下座せんばかりに頼む。自分の指を噛んで、ようやくの思いで留まったのだ。もう一度仕掛けられたら、この次は指を噛み切ってしまいそうだ。

「バカだな。歯形が残るほど噛みやがって」
 呆れた声で薪は青木の手を取り、口調とは正反対の優しさで彼の傷ついた指を慰撫した。傷口にそうっとキスをして、舌先で舐める。原始的な治療を施したつもりかもしれないが、この状況下にあってはやけに艶めかしく感じた。
「我慢しなくてもよかったのに」
「イヤですよ。初めてなのに、目隠しなんて」
 嘘だ。本当はその気だったのだ。あんな誘惑を受けて堪えろと言う方が無理だと、開き直って奪ってしまうつもりだった。多少嫌がっても、決定的な亀裂には到らないはずだ。肌を重ねるようになって半年にもなるのだ、遅いくらいだ。

 最初に来る彼の痛みを、哀れに思ったわけではない。青木を止めたのは、理性でも同情心でもなかった。薪の協力的な行動が、青木の情動に歯止めを掛けたのだ。
 誘導されて触らされて押し付けられて、彼の身体の一部分でありながら本体を簡単に支配下に置くことができる中枢を、無防備に委ねられた。そこに、不安はなかった。恐れも猜疑も、目隠しによる単純な惑いすらなかった。
 何をされてもいい、青木が自分を傷つけたりするはずがない。視界を奪われて尚、彼は母親を信じる赤子のように無垢だった。
 愛されてると思った。
 そもそも人は、信頼できない人間の前で自ら視界を塞いだりしない。そう思うと、彼の信頼を裏切るような真似はできなかった。

 一緒の毛布に入って、薪と同じ姿勢を取って、青木は薪に微笑みかけた。施術のお礼に、彼の可愛い肩にキスをしながら、
「初めて薪さんの中に入る時には、薪さんの顔を見ながら入りたいんです」
 ちょっとロコツだけど、これは青木の本心だ。だって、一生の思い出になる瞬間だから。互いの顔を見て、互いの愛情を確認し合いながら、彼と結ばれたい。
「悪趣味なやつ」
「あ、いえ。別に薪さんの痛がる顔を見たいわけじゃ」
「そうじゃなくて。ああいうのは、暗い所で眼を閉じてするのが一般的だろ」
「オレは明るいとこで、眼を開けてするのが好きなんです」
 悪趣味、と薪はもう一度青木の理想にケチを付けた後、顔の前で交差させた自分の両腕に鼻先を埋めて、
「正直言うと、少し怖いんだ。いざとなったら、また逃げだしちゃうかも」
「やさしくします。初めてですから無痛と言うわけにはいかないかもしれませんけど、できるだけ痛くないようにしますから」
 そのために何ヶ月も掛けて薪の身体を慣らしているのだ。青木も後ろを使うのは初めてだから確信は持てないが、モノの本によれば2ヶ月程度のレッスンで快感を得られるようになるそうだ。細いものから始めて、徐々に大きくしていく。初めての夜から受け手に悦びを与えようと思ったら、それしか方法がない。青木が我慢するしかないのだ。
 一日おきくらいに訓練するのが理想的なのだが、仕事が忙しくてそうもいかない。結局、半年経ってもこの有様だ。それでも初めの頃に比べたら、指を入れるときの反発力も減ってきたし、感度も上がってきた。あと一息だ。

「痛かったら止めます。指を噛みちぎっても止めますから」
 そうじゃなくて、と薪は先刻と同じ言葉で青木の言を遮り、自分の怯懦を恥じるように、小さな声で弱音を吐いた。
「おまえのことは好きだし、多少の痛みは覚悟してる。でも、男に犯されるんだぞ。自分がどう変わってしまうか分からない。怖くて当たり前だろ。おまえだって同じだ。このまま女が抱けなくなったらどうしようとか、不安じゃないのか?」
「オレはもともと薪さん以外には欲情しませんから」
「そうか。おまえはとっくにヘンタイになってたんだな」
 身も蓋もない言葉で、薪は青木の純情を切り捨てる。相談した自分がバカだった、と言いたげに頬杖を付き、ふん、と高慢に眼を閉じた。
 そんな薪の様子に、青木は思わず笑ってしまう。つんつんしてる薪はかわいい。誰が何と言おうと、可愛いものは可愛いのだ。

「オレには不安はないです。自分がどう変わるか、分かってますから」
 未来が分かる、と断言した青木に驚いて、薪は弾かれたように頬杖を外した。分かるのか? と身を乗り出してくる彼の素直さに、溢れ出すような愛しさを感じながら、青木は自信たっぷりに予言した。
「薪さんと結ばれたら、もっと薪さんを好きになるに決まってます」
 青木は心から言ったのに、薪の反応は微妙だった。驚くでもなく、嬉しがるではもっとなく、眉を顰めて前を向くと、ベッドの上に無言で突っ伏した。

「そんなの、僕だって同じだ。だから怖いんじゃないか」
「え? いま、なにか言いました?」
 薪の腕とシーツに閉じ込められた彼の言葉は、青木の耳には届かなかった。聞き直せば、返って来たのはいつもの憎まれ口。
「おまえがこれ以上ヘンタイになったら、僕の手に負えないって言ったんだ」
「もう。人のこと変態呼ばわりしないでくださいよ」
「だってヘンタイじゃないか。女の子のハダカを見ても反応しないくせに、僕みたいなオヤジに添い寝してるだけで、ほら」
「ちょ、触らないで、あっ、握っちゃダメ、ダメですってば!」
「さっきのお返しだ。今度は僕が」
 薪が悪戯っぽく笑うと、ものすごくコケティッシュだ。青木の大好きなたおやかな手が、真っ白い指が、青木の深部をまさぐる。応じて青木が脚を開くと、薪は毛布の中にごそごそと潜り込む。
「ぼく、が……」
 ぎゅ、と薪の手に力が入った。気持ちいい、でもちょっと痛いかも、いや、痛い、痛いです、てか潰れるっ!

「薪さん、痛いですっ、緩めてくださ」
「コケコッコーッ!!」
 けたたましく叫んで手を離すと、薪はベッドから飛び出した。投げつけられた毛布から青木が顔を出したときには、彼の姿はバスローブと共に消えていた。残っていたのは彼が乱したシーツと、今宵のアイテムになったバスローブの紐だけだった。
 薪が忘れて行ったバスローブの紐を取り上げ、青木はそれを自分の両目にあてがった。後頭部で二重に縛り、無感動な声で低く呟く。
「もう、何も見たくない」

 薪と一緒に一生の思い出を作れる夜は、まだまだ先のようだった。




(おしまい)





(2012.4)



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

恋人のセオリー その5

 祝!!!
『秘密』過去編、スタート!!



 個人的には不安もたくさんあるのですけど、(鈴木さんとか鈴木さんとか鈴木さんとか)
 新しい薪さんに会えるのは、やっぱり嬉しいです。
 それも、こんなに早く会えるなんて。 先生、長期連載終了後でお疲れでしょうに、本当にありがとうございます!
 白状しますと「過去編」とのお言葉、読書会のお愛想かと思ってました。<こらこら。
 気が向いたらね、くらいのニュアンスだと思ってたんです。 それに、描いてくれたとしても事件中心になるって話だったし、薪さんじゃない第九室長が主役になるんだと思ってた。 だってほら、薪さんが主役になったら彼の美貌に心を奪われて、読者はみんな事件なんかどうでもよくなっちゃうじゃん。←おまえだけじゃ。

 コミックスも加筆がたくさんあるみたいだし。
 10月末はお祭りですねっ!!



 で、今日のお話ですが。

 予告とも妄想とも違う話ですみません。 さらに勝手な都合で、予告の『パーティ』は次の話の後になります。
 うーんとね、クリアファイルがいけないの。 モロ「明日に向かって撃て」なんだもん。 ちょうどその話書き上がったとこだし、こっちを先に公開したくなっちゃうんじゃん、ねえ。(←誰に同意を求めているのか)
 それにしても、このファイルの青木さん、カッコいい。 薪さんじゃなくても惚れるわ。

 ということで次のお話は、法十版『明日に向かって撃て』(原題 「たとえ君が消えても」)でございます。 よろしくお願いします。


 こちらはその前座なんですけど~、
 うちの青薪さんは、片方が死んでももう片方が後を追うようなことはございません。 相手と別れたら生きられない、ということもありません。 べつに冷めてる訳じゃないと思うんですけど、あ、やっぱり冷めてるのかしら? ううーん。
 ぬるいカップルですんません。





恋人のセオリー その5





『青木。僕はもう、青木が傍にいてくれないとダメなんだ』
「薪さん……」
『青木がいないと、生きていけない』
「薪さんっ! オレもです、愛してます!」
『青木っ!』
「薪さ、痛ったいっっ!!」
 ゴイン! と言う派手な音と共に青木の後頭部を直撃したのは、あろうことかフライパン。このひと、本気でオレのことコロス気じゃ。

「なにを気色悪いことやってんだ」
 絶対零度のオーラをまとってキッチンから姿を現した青木の恋人は、冷ややかに言い放った。その出で立ちは白地に小さな野菜柄のエプロン姿で、彼の険しい表情にはまったく合っていないが、やっぱりかわいい。

「気色悪くないですよ。むしろ、これが本来の姿かと」
「いい年した大男が不気味なセリフを呟きながら自分で自分の肩を抱きしめるのが?」
 薪はローテーブルの上のリモコンを操作して、青木が見ていたコテコテの恋愛ドラマを止めると、容赦なくテレビの電源を切った。それから明らかに青木をバカにした目つきで、
「こんなドラマばっかり見てるから、脳に虫が湧くんだ」
 薪は恋愛もののドラマが苦手だ。見ていると、身体中痒くなってくるらしい。引き換え青木は、ロマンチックなラブストーリーが大好きだ。自分がドラマの主人公になって、ヒロインのセリフを薪に言ってもらえたら、と妄想するのはとても楽しい。
 青木の妄想の中の薪は恥じらいに頬を染めて青木を見つめ、亜麻色の瞳をうるうるさせながら愛の言葉をそっと囁く。青木がそれに応えて同様の言葉を返すと、感極まって青木の胸に飛び込んでくる。ふたりは熱い抱擁を交わし、それから甘いキスを――――。

「なにが『愛してます』だ。くだらない」
「他所さまの青薪は、みんなこうなんですよっ! うちは薪さんが協力してくれないから、オレがひとりでやるしかないんじゃないですか!」
 空想と掛け離れた薪の言葉に、青木は強い口調で言い返した。恋人に愛を伝える大事な言葉をくだらないなんて、いくら薪でも許せない。
「あん? 『他所さまのアオマキ』って、なんだ?」
「いや、そこは突っ込まないでください。色々あるんで」
 薪は首を傾げ、呆れ果てたというよりは困惑した口調で独り言のように呟いた。
「やるしかないって……そこまでして遂行する必要があるミッションなのか?」
 床に落ちたフライパンを拾い上げ、ちらりと青木を見る。薪の身体からケチャップの匂いがするから、きっと今日の昼食はオムライスだ。

「勿論です。だってオレたちは恋人同士で、身も心も離れられない関係でしょう?」
「ふうん。そうなんだ」
 ここでめげてはいけない。このぐらいで引いてたら、『秘密』の世界では生き残っていけない。

「恋人同士ってのは百歩譲って認めるとして」
 ちょっと待って! 譲るとこですか、そこ!!

「身も心も離れられない関係というのはどうだろう。これまでも仕事の都合で何日も会えなかったりしたけど、お互い命に別状は無いようだが?」
 そんな、冷静に分析されても……。

 折れそうになる心を必死に立て直して、青木は懸命に言葉を紡ぐ。言語能力に些かの不具合がある薪に、恋愛における特殊な比喩表現を理解させるには、根気強く説明するしかない。
「それは短い間だからですよ。これが長期に渡ったら、オレは確実に健康を害します。真面目な話、オレ、薪さんがいないと食欲がなくなるし」
「腹八分目は健康に良いそうだぞ」
 ……負けないもんっ!!

「夜は眠れないし、やる気は出ないし。でも、何日か後には薪さんに会えると思って頑張るんです。薪さんがオレの原動力なんです。それが叶わないとなれば、何もする気が起きません。離れられないってのはそういう意味です。
 だから絶対に別れられないんです。薪さんだって、そうでしょう?」
「僕は別に、おまえと別れても平気だけど」
 うわああああんっっ!!

「ひどいですよ! オレは薪さんがいなかったら生きていけないのにっ!」
 本当は分かっている、薪の人生の最優先事項は仕事だ。事件が起これば青木の恋人としての立場なんか、地平線の彼方にポイだ。今まで何度もそんな目に遭ってきたから、薪の本音は分かっている。だけどそれを彼本人の口から聞きたくはない。
 床に突っ伏してオイオイ泣き始める青木を見て、薪は肩を竦める。フライパンを右肩に担いで、冷めた口調で、
「誰かがいなきゃ生きられないなんて。それは依存症という立派な病気だ。精神科に行ったほうがいい」
「どうしてそんなに冷たいんですか?! 恋人に向かって『別れても平気だ』なんて!」
「僕はおまえに失恋したくらいで、ダメになったりしない」

 キッパリ言い切った冷酷なセリフの、『失恋』という言葉に青木の涙が止まる。
 もしも自分たちが別れるとしたら、失恋するのは自分の方だと薪は思っているのだろうか。そんなことはありえないが、言葉尻を捕らえて逆説を辿れば、薪は自分を好きだと言ってくれていることになる。
 そのことに思い至って、青木の心は地獄から天国にワープする。
 こんな方法でしか相手の気持ちを測れない恋人関係ってどうなんだろう、なんて普通の人間が考えるようなマイナス思考が欠片でもあったら、薪とは付き合えない。舞い上がりそうな心地で、遠回しな言い方ながらも愛情を表してくれた薪に笑いかける青木を哀れと捉えるかバカと見るかは個人の自由だが。

「別れたとしても、おまえは生きてるんだから。絶望したりしない」
 薪は呆れた表情を崩さずに、だが青木は彼の微細な変化を見逃さない。微かに亜麻色の瞳に浮かんだ苦味。青木は、かつて薪を襲った絶望を思う。
 薪の壮絶な過去を顧みれば、その考えは無理もない。薪には実際に、生きること自体が難しい時期があったのだ。死の誘惑と戦う日々が。自分の身体を傷つけて、ようやく正気を保っていた日常が。
 愛するひとの命を亡くすことに比べたら、恋を失くすことなんか大したことじゃない、という理屈は、青木にも納得できる。
 過去の経験が、今の薪を形作っている。そんな当たり前のことに気付いてみれば、彼の言葉は決して薄情なものではなく、深遠な意味を内包していると青木は考え、ありきたりの言葉を彼から聞きたがった自分の愚かさを罵倒したくなる。

 うなだれた青木の目の高さに合わせて薪は膝を折り、下らないことを言うなと言わんばかりの乱暴な手つきで、青木の頭髪をつかんだ。そうして髪の毛ごと年下の恋人の顔を上げさせると、
「おまえが僕から離れても、僕は死なない」
 言い切った薪の瞳には、苦悩も悲しみもなく。いっそ清冽に輝いて、青木は一瞬で彼の擒人になる。
「例えおまえが死んでも、後を追ったりしない」
 それは最初に青木が求めた言葉とは正反対のはずなのに、何故かとてもうれしくて。彼のたくましさに心の底からの喜びを感じている自分を自覚して、青木は自分が彼に与えてもらいたかった言葉を忘れそうになる。

「おまえの言葉を借りるなら、僕の命は鈴木が守ってくれた命なんだろ?」
 右手で持ったフライパンを青木の左頬の近くに構え、脅しつけるような目つきで冷笑していた薪は、一筋の怯えも含まない黒い瞳に出会って、ふっと頬を緩めた。暗い朝闇の中に最初の光が差し初めるように、瞳の色合いを温かなものに変えると、中段に構えた右手をそっと床に下ろして、
「鈴木の遺志を掬い上げて、僕に見せてくれたのもおまえだろ。だから僕は」
 そこで薪は言葉を切り、その先を続けようかどうしようか、しばらく迷う素振りを見せた。青木には薪が言いたいことは分かっていたし、薪がそれを口にしづらいことは察しが着いたが、敢えて何も言わずに薪の言葉を待った。
 やがて薪は、しっかりと青木の眼を見て口を開いた。

「僕の命は鈴木に守ってもらった命で、僕の人生はおまえがくれた人生だと思ってる。だから、自分から捨てたりしない。何があっても、絶対にしない」

 青木は息を呑んだ。声は出せなかった。薪の発言の意外性は、青木の声を失わせるに充分だった。
 青木の予想は、半分だけ当たっていた。鈴木に守られた命を粗末にはできない、そこまでは的中していたが、その先は晴天の霹靂だった。薪が自分の人生をそんなふうに捉えていたなんて、想像したこともなかった。

「悪かったな。冷たい恋人で」
 片手に青木の髪をつかみ、もう片方の手にはフライパンを持っている薪の姿は、他人から見たら言い逃れようのない恋人虐待の場面だが、そこには彼らにしか分かり得ないパルスがあって、それはひっきりなしにふたりの間を行き来している。言葉にしたくてもできない、表しきれないその想いを、曖昧な夢のように伝え合っている。
 それを言葉にすることが愚かだとは思わないし、時には必要だということも解っている。でも、いまは。

「大丈夫です、オレが今から薪さんのカラダを熱くして差し上げま、痛っ!!」
 自分を抱き寄せようとした青木の腹に鋭い蹴りを入れて床に転がすと、薪はさっさとキッチンに戻ってしまった。
「もう。乱暴なんだから」
 蹴られた腹を擦りながら青木は笑い、薪の後を追ってキッチンへ入った。



(おしまい)



(2011.1)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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